十九話 皇太子(代)  セルミアーネ視点

 誰しも人生に過酷な時期は付き物だと思うが、私の人生で一番過酷な時期は、皇族復帰して皇太子代理になってから正式に立太子されるまでの間、だっただろう。


 この時期は本当に大変だった。大変だったね、で済むような大変さでは忙しさでは無かった。危うく死ぬところだった。過労死するところだった。


 私は皇子として公認された次の日、皇帝陛下により皇太子代理に任命された。・・・無茶振りも良い所だ。どういう事なのか。しかしながら仕方が無いのだ。皇太子も皇太子代理も皇族にしかなれず、私は次期皇太子であると皇帝陛下に貴族たちの前で明言されてしまったのだから。


 次期皇太子なら皇太子不在時には当然皇太子代理をやるのが責務だ。皇帝陛下ご不在時には皇太子が皇帝代行を勤めるのが責務なように。それは分かる。理屈としては分かる。分かるのだが問題はそこではない。


 私が今まで単なる騎士としてしか職務を行って来なかったのが問題なのだ。騎士の仕事は戦う事である。任務を遂行することである。そしてそのために身体を鍛え技を鍛える事だ。詰まる所私は成人してから、身体を動かす以外のことをほとんどしてこなかったのである。


 皇太子の責務は多岐に渡り、その中には騎士団の訓練に参加する、というのもある。これは次期皇帝として騎士団員と親しく付き合うことで忠誠心を得て、有事の時に備えるための時間だ。が、身体を動かす機会はその位で、ほとんどが書類仕事。つまりデスクワークだ。頭を使う仕事だ。


 そんな仕事を私はした事がないのである。読み書き計算は教育されたから問題無く出来るが、書類仕事はそれだけでは出来ない。公文書独特の言い回しや約束事を知らなければ出来ないし、そもそも知識が何も無ければ書類に書いてある項目が何を意味しているのかも分からないではないか。


 皇太子府に出勤した初日に、既に皇太子殿下が病に倒れてから山積みになっている未処理文書の山を処理して欲しいと皇太子府付きの侍従に言われて、私は途方に暮れた。最初から最後まで何をしたら良いか分からない。侍従や皇太子府の官僚、関係各省の大臣や官僚に一から教わるしか無いのである。引き継ぎを受けるべき皇太子殿下はとても長時間のお話に耐えられる状態では無いのだから。


 皇太子殿下は私が皇子になった当初はまだ多少はお話が出来た。私は忙しい時間を縫ってお見舞いに参上した。私が苦労しているのを見て「自業自得だ」と笑いながら「済まないな」と寂しそうに笑っていらしたものだ。少しは引き継ぎもして頂いたが、すぐに殿下の症状は悪化して医者に仕事の話は禁止されてしまった。それでも、久しぶりに兄弟として接することが出来て私は嬉しかったものである。


 私は必死に勉強した。勉強するだけで無く即座に実務にも取り掛かった。幸いだったのは皇太子府の官僚たちが協力的だった事で「皇太子殿下の最期のお願いだから」と何も分からない私をサポートしてくれた。ただ、彼らは皇太子殿下子飼いの部下で、腹心達だった。殿下に心酔しており、私に対する態度は当初冷淡だった。単に皇太子殿下の最期の願いを聞いて私に協力してくれているに過ぎなかったのである。彼らの協力を失っては私は本当に詰んでしまう。


 私は彼らと交流する事に努め、何とか皇太子殿下亡き後も皇太子府に残ってもらえる様に頼み、将来の出世も約束した。彼らは私を殿下のご病気につけ込んで空き巣のように皇太子の座を手に入れようとしている者と見做していて、なかなか心からの忠誠は得られなかった。だが、紆余曲折あって最終的には何人かを除いて私の皇太子府に残って力を尽くしてもらえるようになった。


 官僚達の忠誠心を繋ぎ止めるために必要なのは偏に努力だった。頑張り。誰よりも頑張り、拙いながらも猛然と仕事をこなし、殿下が倒れて活気を失っていた皇太子府を活性化させ、官僚達を仕事に巻き込んでその中で一体感、連帯感を出すしかなかった。私には皇太子殿下のようなカリスマ性は無いし、帝王教育も受けていない。出来るのは努力くらいだった。


 私は早朝、まだラルフシーヌが起きる前から勉強をし、帝宮で実務もこなしつつ必死に勉強し、帰って晩餐を済ませてからラルフシーヌが寝た後も深夜まで勉強した。それでも時間は足りない。馬車の中でもトイレの最中も勉強勉強。最終的には歩きながらも書類を読んでいた。それでどうにか数ヶ月で実務が何とかこなせるレベルに自分の知識を引き上げたのである。


 恐るべき事に、皇太子代理の仕事はそれだけでは無かった。細かい仕事を上げれば切がないが、大きな仕事としては騎士との訓練、儀式、社交などがあった。


 騎士との訓練。これは慣れ親しんだ仕事だし、今や思い切り身体を動かせる上、馴染んだ面々と会える息抜きですらあった。なるほど、皇太子殿下が毎日のように訓練に来て私と鍛錬をしていたわけだ。騎士仲間も私が皇子だった事には驚いていたが、元々豪放磊落な皇太子殿下とざっくばらんに付き合う事に慣れていた騎士たちである。私にもすぐに慣れてそれなりに普通に接してくれるようになった。


 問題なのは儀式と社交だった。帝国の皇帝は全能神の代理人。全能神と契約出来るただ一人の人間である。いや、全能神と直接接触出来るという意味では、他の神と同格だから神の一人と考えるべきかもしれない。そのため、全能神を奉じ、敬い、儀式をもって魔力を捧げ、帝国の守護と豊穣を願わなければならない。それが初代皇帝が全能神と交わした契約なのである。


 魔力は=生命力だと考えれば良い。命そのものだ。魔力を使う。魔力を奉ずるというのは命を削って使う事なのである。だから正確には魔力は誰でも、平民でも持っている。だが、初代皇帝は全能神と契約した際、普通の人間が持っているのの何倍もの生命力を付与された。その生命力を大地に捧げ、土地を富ませよと命じられたそうだ。


 その初代皇帝の血を濃く引き継ぐ皇族や高位貴族も引き継いだ高い生命力が魔力の正体である。そのため、皇族や高位貴族は傷や病気が治り易く、高い身体能力を持っている。勿論、限界はあり、致命傷や死病に掛かれば死ぬ。


 魔力(生命力)は魔法や奉納で使えば減るが、休養すれば自然に回復する。回復出来ない程使えばつまり命を削り過ぎてしまえば、寿命が減るし使い過ぎれば死ぬ。ただ、限界以上に使い過ぎる事は逆に難しく、神から与えられた余剰生命力(これがいわゆる魔力)以上を使ってしまう事は事故を除けばあまり無い。だから平民は魔法が使えないのだ。


 皇帝陛下と皇妃陛下、そして皇太子夫妻は帝宮本館にある礼拝堂で一日一度、全能神に礼拝して、全能神と帝国の大地に魔力の奉納を行う。私も皇太子代理に任命されたその日から奉納に参加した。ラルフシーヌが呼ばれないのは、彼女は正式に皇太子妃代理に任命されたわけでは無いからである。彼女はまだ皇太子妃(仮)だ。そもそも彼女はどうも魔力の使い方を学んでいないようなので、恐らく魔力の放出が出来ず、奉納は出来まい。


 本来であれば4人、皇太子に成人以上の子供がいればそれ以上の人数で行う事もある儀式である。これを皇帝陛下と皇妃陛下で行うのは大変だ。それが私の皇太子代理就任を急いだ事情の一つである。皇帝陛下によれば、皇太子殿下は妃殿下が亡くなってからその分をカバーすべく多少奉納で無理をしていて、それが病が急速に進行してしまった理由ではないかとの事だった。恐らく病が進んでからも我慢して奉納に参加していたのだろう。


 奉納自体は簡単である。礼拝堂他、大神殿や帝宮奥にある聖地の聖堂でも行う事が出来る。上位貴族の各領地では礼拝堂を建てて各領主がおのおの魔力の奉納を行っている。魔力を奉納すればするほど土地は肥えるので、大魔力を持つ上位貴族の方が有利だ。ただし、あまり土地が肥えると害獣が大きく強くなり、竜などの伝説上の大害獣すら出てくるらしいので、奉納すれば良いというものでもない。方法としてはどこででも同じで、形式が整った祭壇の前で全能神に魔力を奉納する旨を奏上し魔力を放出すれば良い。


「天にまします全能神よ。古の契約に基づいて、我が帝国のために祈りと命を我は捧ぐ。帝国の大地の隅々に至るまで恵みと潤いを広げたまえ」


 皇帝陛下が祝詞を唱えて空に聖印を切る。私と皇妃陛下は跪いて胸に右手を当て、頭を下げたままだ。そして同時に魔力を放出する。これは慣れればそれほど難しくは無いが、放出量の調節が少し難しい。特に今回のように複数人で行うとつられて放出し過ぎる事がある。


 皇帝陛下が聖印を切ったまま上げていた右手を下ろしたタイミングで放出を止める。すると礼拝堂の上の方から綺麗な光の粉が降って来た。これが全能神に祈りと魔力が届いた証で、奉納の成功を意味するのだそうだ。


 奉納が終わるとかなり疲労感がある。私が額を押さえていると皇妃陛下が心配そうに私の肩に手を当てた。


「大丈夫ですか?セルミアーネ。無理をしなくても良いのですよ」


「平気です。御心配をお掛け致しました。皇妃陛下」


 皇帝陛下も来て下さって心配気にしている。


「慣れぬ内は大変だろうが、無理の無い範囲で奉納してくれれば良い。そうだ。今の内から妃にも奉納の練習くらいはさせておいた方が良いかも知れぬぞ?すこしづつ慣れておいた方が良くは無いか?」


「いえ、正式に皇太子妃になるまでは止めておきましょう」


 ラルフシーヌはどうやらカリエンテ侯爵邸で作法の猛特訓を受けているらしく、家に帰って来るとげっそりしているのだ。これ以上の負担を掛けたくない。私はラルフシーヌの分もと思って一生懸命に奉納を行ったが、ある時、放出量の調節に失敗して放出し過ぎてしまい意識を失ってしまって、慣れないのに無理をし過ぎだと皇帝陛下に怒られる結果となった。


 三ヶ月経って私達の離宮が整備され、大騒ぎで引っ越しをすると、今度は社交が本格的に始まった。


 帝宮では兎に角、毎日毎日社交が行われる。何しろ社交は貴族の仕事の重要な一つなのだ。これを疎かにしていては貴族を名乗れない。いわんや皇族においておや、だ。皇族が社交に出ないなどあり得ない。貴族たちの心を掴み、意見を調節し、判断の材料を得るのには社交がどうしても必要だ。皇帝陛下も皇妃陛下も皇太子殿下が危篤の状態でご心痛の中、笑顔を顔に貼りつけて社交に出ている。それなのに皇太子代理である私が「疲れた忙しい」と言って社交に出ない訳には行かない。勿論だが皇太子妃(仮)のラルフシーヌもだ。社交嫌いだなんて噂が立ったら皇太子妃として不適格と言われてしまう。


 ラルフシーヌの無作法は特訓の甲斐あって見違えるほど矯正されていた。余程彼女自身も頑張ったのだろうが、あの状態からこの状態にまで引き上げた前カリエンテ侯爵夫人を筆頭としたラルフシーヌの家族の頑張りの結晶だろう。頭が下がる思いだ。細かい部分でボロが出ない事も無いが、彼女に付けられた一族の伯爵夫人が事細かにチェックし、指摘して修正を入れている。あの野人のようだったラルフシーヌが立派に貴族婦人に見えるでは無いか。


 作法さえちゃんと出来ていればラルフシーヌの美しさは社交界でも群を抜くレベルだ。誰もが思わず見惚れる程美しい。勿論私も見とれてしまうが、彼女が物凄く頑張っている事も分かっているから切なくなってしまう。何しろ離宮に帰りベッドに入ると私にべったり抱き着いて離れないのだ。彼女が私に甘えるなど滅多に無い事だ。初めての離宮、初めての貴族生活、初めての社交三昧で余程精神の余裕を失っているのだろう。ちなみに、離宮に引っ越してから、というかその前の私が皇子として公認されたあの日から、私達は夫婦生活を行っていない。お互い精神的に疲れてしまってそれどころでは無いからだ。


 ラルフシーヌ程でないにしても私も社交の経験は非常に少ない。おまけに昼間の仕事で疲れてもいる。そんな状態で貴族諸卿に囲まれ「本当に皇子なのですか?どこに隠れていたのですか」というような事を質問されれば腹も立つのだが、表に出すわけにもいかない。微笑んでやり過ごすしかない。ラルフシーヌも同様な無礼な質問をされてベッドで寝る前にブチブチと文句を言っていた。彼女は溜まったストレスをダンスで解消しようと試みているようだった。彼女はダンスが非常に上手くなっていて、踊り出すと兎に角が早く難しく激しいステップを要求してきて困った。私ではそう何曲も付き合い切れず、彼女はダンスが好きな男性と何度も何度も踊っていた。あれは貴族女性と会話をしたく無いんだな、と私には分かったから何とも思わなかったが「ラルフシーヌ様はあんなに色んな男性と踊っているなんて、少しはしたないのではないかしら」という意見は耳にした。


 社交の一環としては貴族との面会もある。書類仕事の間に面会を求めて来た貴族と会い、陳情や要望やご機嫌伺いを聞く事で、これも勿論重要な仕事である。


 ある日、ラルフシーヌの長兄に当たる現カリエンテ侯爵が面会を求めて来た。彼は非常に長身な男性でこげ茶色の髪をして口ひげを生やしている。彼が私に一礼して、お互いに席に着くと物凄く微妙な顔をして私に謝罪をしてきた。


「セルミアーネ様。その、この度は・・・。ええ、その、ラルフシーヌとの結婚の時はその・・・、申し訳ございませんでした」


 混乱しているようである。無理も無い。ラルフシーヌを娶るために侯爵邸に通った時には私は騎士。彼は次期侯爵だったのだ。何度か顔を合わせたが、彼の長女が私に懐いていた事もあり、私の事を良く思っておらず、睨まれたり邪険に扱われた事もある。ただ、私としては彼の印象はそう悪くない。彼はラルフシーヌには非常に優しく、結婚式でラルフシーヌに祝福の言葉を掛ける様子は愛情に溢れていた。ラルフシーヌが生まれた時、侯爵は既に結婚していて丁度長男が一歳だったという。前侯爵は現侯爵の長男の養育費とラルフシーヌの養育費を秤に掛けて、結局ラルフシーヌの養育を諦めて田舎に送ったという事情があるらしく、現侯爵はその事でラルフシーヌに負い目を持っていたらしい。


「お気になさらず。義兄殿。私にも予想の付かない事でしたから」


「そう言って頂けると有難く存じます。ラルフシーヌは無事過ごしておりますでしょうか?」


「社交に苦労していますが、なんとかやっていますよ」


「そうですか。あの妹に皇太子妃が務まるとは思えませんが、こうなっては仕方がありません。宜しくお願い致します。勿論、カリエンテ侯爵家一族は全力を挙げて殿下を支持させて頂きます。全能神に誓って」


 カリエンテ侯爵は額に○を描いた。私は彼の頭の上で聖印を切った。


「よろしくお頼み申し上げる。カリエンテ侯爵。あなたの忠誠には必ず報いよう」


「ありがとうございます。殿下。どうかラルフシーヌを末永くよろしくお願い申し上げます」


 カリエンテ侯爵の二番目の弟に当たるコルエン・エメラーム子爵は、侯爵家から分家を立てて子爵家を興した人で、軍関係の官僚の仕事をしている。三十代半ばの少し太めの男性だが、流石にラルフシーヌの兄だけあって顔は整っている。物凄くモテるらしいのだが、まだ妻がいない。後日だがその事を尋ねると「特定の女に縛られるなどバカバカしい」と言っていた。結婚する気は無い様だ。


 求婚で侯爵邸に通う中で、彼とは既に仲が良くなっていて、ラルフシーヌと結婚してからもたまに会っては話しをしていた。コルエンは面会を求めて来て、私の顔を見るなり笑って言った。


「おいおい。辞めろ辞めろ。死相が出ているぞ。君には皇太子なんぞ似合わん」


 子爵風情が皇太子代理の皇子にする態度では無いが、軍関係者にはこういうざっくばらんな男も多い。ただ、この男は女性に対しては完璧な貴公子にもなれるから、この態度はわざとだ。私の事を心配しているのだろう。


「それでも辞める訳には行かないのですよ。義兄上」


「はっ!面倒な事だ。高貴な生まれというのは」


「義兄上も侯爵家の高貴な生まれではありませんか」


「三男坊など出がらしみたいなものよ。何も残っとらん。だから好きにやる事が出来るのだがな」


 こういう性格がラルフシーヌの兄らしくて私は気に入っているのだ。そして軍官僚として非常に有能でもあるし、本人の人望と実家の後ろ盾もあって軍でそこそこの派閥を率いているのだ。彼に野心があるなら、皇太子の後ろ盾を欲しがらない筈が無い。


「義兄上は私に協力して下さらないのですか?」


「一介の騎士、いやいや私は子爵だったな。に何を期待しているのですかな?殿下?」


 これまで私が一介の騎士である事を強調していた事への嫌味を言いながら、コルエンは私の事を意外に鋭い目でチラッと見た。


「勿論、義兄上の、手腕を頂きたい」


 ふふん。得意になった顔はラルフシーヌにそっくりだ。


「私が力をお貸しする価値はあるのでしょうな?殿下?」


「可愛い義弟のためには力を尽くして下さると、知っていますよ。私は」


 コルエンは歯を見せて笑う。その表情もラルフシーヌを思わせる。銀色の髪と薄茶の瞳が似ているせいもあるだろう。


「では期待に応えてもらうからな。可愛い義弟よ。私を失望させるなよ」


 ラルフシーヌの兄姉の中で、最も面白い兄はコルエンだが、最も面白い姉はヴェルマリア・ラフチュ伯爵夫人。ラルフシーヌの一つ上の姉だろう。彼女はラルフシーヌの五歳上でラフチュ伯爵家に嫁いでいた。彼女は姉たちより少し格の落ちる伯爵家に嫁いだことが気に入らないらしく、私がラルフシーヌの求婚のためにカリエンテ侯爵邸に足げく通っていた頃から実家である侯爵邸に「結婚していないのか?」と思えるほど入り浸っていた。


 彼女は一つ上の姉だけにラルフシーヌと特に仲が良く、とりわけ離宮に引っ越す前の教育期間にラルフシーヌと相当やり合ったらしく、ラルフシーヌと顔を合わせると大きな声で言い合いをして大笑いする程仲が良くなっていた。彼女は何と帝宮入りしてしまった妹を心配、は全然していないらしかったが(あの度胸なら大丈夫でしょという事だった)妹を口実に帝宮に毎日のように通い、ラルフシーヌを見守るという名目で高位貴族のお茶会に毎回出て楽しんでいるようだった。ラルフシーヌ曰く、自分なぞ気にもせず一人で楽しんで帰って行くのだとか。離宮にも姉権限で頻繁に来訪し、妹にくっついて皇妃陛下とのお茶会にも出るなど、ラルフシーヌの姉の中で最も妹の権勢を利用していた。


 彼女はラルフシーヌと体格が似ていて、成人の時のお披露目の時のドレスなどはラフチュ伯爵夫人から借りたのだという事だった。ラルフシーヌがそのドレスをダメにした事を根に持っていて、その代わりとばかりにラルフシーヌが作らせたドレスを何着も貰っていた。皇太子妃(仮)ともなれば朝夕に一着ずつ新品のドレスがいるので、膨大なお古が出る。これは自分の派閥の貴族婦人や、自分の侍女などに下賜するのが普通なので、まぁ、彼女が持って帰っても問題は無い。自分から勝手に選んで持って帰るのは行儀が良いとは言えないだけで。


 ただ、ラルフシーヌは頻繁に自分の所に顔を出してくれるこの比較的歳の近い姉を非常に頼りにしていた。特にこの時期は毎日慣れない社交で溺れそうになっていた時期であり、ラフチュ伯爵夫人がいるだけで少しは心が落ち着いて助かったようだ。彼女もラルフシーヌの事を実はちゃんと見ていて、離宮に来る度に社交での振舞い方の指摘や、社交に出た婦人からのラルフシーヌへの評判や対策を話してくれていた。


 ラルフシーヌの他の兄姉ももちろん前侯爵である父母も、ラルフシーヌと非常に仲が良く、彼女を心配し、叱咤し、出来る限り助けてくれていた。家族と縁の薄い私にはその家族愛が眩しく映った。もちろん、貴族の家族にも色々あり、あんなに仲の良い貴族の家族は稀だと知ってはいたが。それでもラルフシーヌを中心に仲良く結束したカリエンテ侯爵一家が私の後ろ盾になってくれた事は嬉しく、心強かった。


 そのように色んな助けを受けながら必死に皇太子代理生活を送っていた私だったが、最大の問題が日に日に膨れ上がって行くのを感じてはいた。皇太子代理の勉強もまだまだとはいえかなり進み、実務にも儀式にも社交にも何とか慣れ始め、カリエンテ侯爵一族の後押しもあって次第に貴族界に皇太子代理として認められるようになってきた私にとって。問題は減って行くものの筈であった。しかしながら最大の問題は、目を背けて我慢して、見ないふりをしていたが、どうにももう誤魔化しが効かないところまで来てしまっているようだった。


 ラルフシーヌのストレス問題である。

 




 

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