十三話 前代未聞のお披露目会(下)  セルミアーネ視点

 ラルフシーヌを軽食や飲み物が並べられたテーブルに導くと、彼女は目を輝かせて次々と食べ始めた。彼女は当たり前の様に健啖家であり、何でも食べる。意外とちゃんと座ってカトラリーも普通に使いこなしていたが、手掴みで食事をしたら怒られたのでこれだけは覚えたのだとのこと。


 ラルフシーヌは私と狩りの話をしたがった。彼女はまだ見ぬ帝都の森にしきりと行きたがっており、情報を欲しがったのだ。恐らくだが、その情報を元に、この滞在中に一度くらいは抜け出して狩りをしてみようと企んでいたのだと思う。


 狩りの話の内容は具体的実践的で、私は彼女が熊を狩るという話が全くのホラ話では無いと感じた。そもそも彼女はそういう嘘を吐くタイプでも無いだろう。


「ラルは狩人になるのですか?」


 侯爵令嬢に尋ねる質問では無かろうが、彼女のこの狩りへの拘りを見るにつけ、どうも狩りを本職にする気があるようにしか見えなくて私はそう尋ねていた。しかし彼女は意外な事を言った。


「別に決めてはいないわよ。農家の嫁になったら世界一の農家になりたいし、商人に嫁入りしたら全力で商人やるわ。私は半端は嫌いなの」


 私は何かが自分に突き刺さったような心地になった。それが何だかこの時はよく分からず、私は曖昧な気分で言った。


「ラルは凄いですね」


 すると、ラルフシーヌは私の事を振り仰ぎながら不思議そうな顔で首を傾げた。


「ミアだって騎士になったからには帝国で一番の騎士になりたいでしょう?」


 私は衝撃を受けた。頭を殴られたような心地になり、血の気が引いた。その言葉は私に自分の重大な欺瞞を突き付けた。。


 騎士、とは何だ。騎士身分の事か?騎士身分になれば騎士なのか?なれば終わりなのか?一番の騎士?それは何だ。何がどうすればそんなものになれる?強くなれば良いのか?手柄を立てれば良いのか?


 そんな事も分からず私は騎士を名乗っていたのである。そう。私は一介の騎士になると言いながら、その実、自分が騎士になるという事を真面目に考えていなかったのだ。単に皇族にならないため、母に言われたから、そんなあやふやな理由で騎士になったに過ぎない。そのため、目標も無く、何となく先輩騎士に言われた任務や訓練をこなしていたに過ぎなかったのである。


「・・・そんな事は考えた事もありませんでした。そうですね。騎士たる者、帝国一の騎士を目指すべきなのかも知れません」


 私は隠し切れない動揺で声を震わせながらなんとか言った。しかし、ラルフシーヌは更に衝撃的な事を言った。


「そうに決まってるでしょ。あなた、素質はありそうなんだから、今から頑張れば皇帝陛下より強くなれるかもよ」


 皇帝陛下より強い騎士?なんだそれは!そんな存在が許されるのだろうか。


「・・・皇帝陛下より、ですか?」


「そう。私が見た人の中で皇帝陛下が多分一番強いわ。でも、あなたも強くなれそうなんだから頑張りなさいよ」


 ラルフシーヌはふふふんと笑って言った。


 私は呆然としていた。皇帝陛下は若い頃、猛将として鳴らした方で、戦士としても一流だったと聞いた事がある。実際、鍛錬で今でも皇太子殿下とまともに打ち合うのだと呆れ顔の殿下から聞いた。


 しかしである。その戦士としての強さは皇帝陛下の尊さとは関係が無い。戦士として、騎士として、戦闘の技量で皇帝陛下を上回ることは不敬でも何でも無いのである。なぜなら、現皇帝陛下のように戦える皇帝陛下は歴代では少数派だし、現皇帝陛下とて年老いれば戦闘能力は落ちて行く事が避けられないからだ。皇帝陛下よりも強い騎士がいてはいけないなどという事になれば、軍が弱くなってしまう。


 つまり、騎士として強さを求めることは身分とは何の関係も無いという事である。それなのに私は、騎士身分になった時に、全力で強さを求めようとしなかったのだ。一般的な騎士に埋没するために手を抜きさえした。しかしそれは欺瞞である。自分の怠慢への誤魔化しである。騎士になるなら全力で騎士になるべきだ。


 ラルフシーヌは私は皇帝陛下よりも強い騎士になれる素質があると言った。ならば皇帝陛下よりも強い騎士になる事を目指すべきだ。帝国一強い騎士となり、その力で皇帝陛下、皇太子殿下のお役に立つべきだ。そうでなければ皇帝陛下と皇妃陛下の懇願を振り切って一騎士になった甲斐が無いではないか。


 ラルフシーヌの金色の瞳は美しい。この美しさは、彼女が常に全力を尽くすからこそ美しいのだろう。私はなんとなく頭がスッキリしたような気分になった。


「そうですね。頑張ります」


 私は心から微笑んだ。それを見てラルフシーヌも得意げに歯を見せて笑った。



 ラルフシーヌの気も紛れたようなので、私達は侯爵の所に戻る事にした。彼女はうんざりした顔を隠そうともしなかったが、貴族の社交は貴族の仕事である。平民になる気だとはいえ、少しは彼女も経験しておいた方が良い。


 と、突然ラルフシーヌが足を止めた。そして一方を厳しい顔で見据えている。私も彼女の睨んでいる方を見ると、そこに嫌なものを見てしまった。


「ミア、あれは何をしているんだと思う?」


 ラルフシーヌの口調は厳しい。多分事情は察しているのだろう。私は苦いものを飲み下すような気分で答えた。


「多分、身分低いご令嬢を高位の者が苛めているのでしょう。エスコートの騎士は何をやっているのか」


 そう言いながら、私はエスコート役の騎士の気持ちが痛いほど分かっていた。


 上位貴族の令息数人が、一人の令嬢を取り囲んで何事か詰ってる。理由は良く分からないが、服装やお付きの者たちの様子から上位貴族が下位貴族を詰っている事は明らかだった。エスコート役の騎士や彼女の侍女と思しき者、それどころか彼女の父母さえ心配そうな顔をして手を出せないでいる。相当の身分差があるのだろう。


 貴族の階級差は同一階位でも格が違えば反論すら難しいほどだが、一つ階位が違えばそれは絶対的な差である。上位が下位を皇帝裁判所に訴えれば、ほぼ無条件で下位が悪いと見做される。それぐらいの差がある。それが貴族の階位というものだ。


 それは子供でも同じである。上位の言う事には下位は黙って従わなければならない。それが貴族社会の掟であり規範である。この場合、上位が何かに機嫌を損ねたのであればそれは下位が悪いのであり、理由など関係無い。下位はひたすら謝罪するしかない。なのでこの場合、貴族として最低階位の騎士階級であるエスコートを命じられた少年騎士が、護衛対象である令嬢を助けないのは正しい判断だ。なにしろ彼女の父母でさえ娘の危機に耐えるしかないのだから。


 私も不快には思ったが、貴族社会の常識、そして自分で作り上げた「一介の騎士」という枠が私を縛る。この場合、私がもしも皇族であっても、貴族社会の常識的に令息たちが令嬢を苛めている行為は正しいので何もやらなかっただろう。まして一介の騎士であれば、何も出来ない。下手な事をすれば自分が罰せられる。


 仕方が無いのだ。私はそう思って、自分の感情に蓋をした。


 しかし、ここにそのような貴族社会のしがらみと無縁の少女がいる事を私は忘れていた。一瞬、ラルフシーヌの身体から光が漏れだしたような気がした。ハッと私が見た時には遅かった。彼女は疾風のような速度で駆け出していた。速い。


「こ~ら~っ!!」


 ハイヒールで小気味良い音を立てながらラルフシーヌはホールを駆け抜けると、そのまま跳んだ。そして左脚を伸ばしてスカートをはだけながら見事な飛び蹴りを放ったのである。


「女に手を出すとは何事だ!恥を知れ~!!」


 横腹に蹴りが突き刺さる瞬間まで令息は何も気が付かなかっただろう。彼は放物線を描いて落下。床にバウンドし、動かなくなった。私は流石に青くなった。死んだのではなかろうな?しかしラルフシーヌは姿勢も乱さず着地すると、傲然と周囲を睥睨した。その姿はあたかも戦場の将軍のようだった。


「あんた達もよってたかって一人を苛めるとか、卑怯者が!私が相手になってやるから掛かって来なさい!!」


 掛かってくるどころか全員が目と口を丸くしてポカーンだ。それはそうだ。貴族の社交の場で暴力行為などまず起こらない。せいぜいご婦人方が嫉妬でお互いを引っ掻き合うくらいだろう。まして飛び蹴りを決める貴族令嬢など聞いた事が無い。


 ラルフシーヌは全員が唖然としているのを見ると、ふんすと鼻息を放ち、倒れていた苛められていた令嬢を助け起こした。そして厳しい口調で叱った。


「あんたも!何で黙ってるの!誇りを汚されたら何時もは大人しい犬だって牙を剥くものよ!」


「え?その、身分が・・・」


「そんなもの!関係無いわ!誇りを忘れたら生きたまま死ぬ事になるわよ!誇りを汚されたら戦いなさい!!」


 呆然としていた令嬢だが、ラルフシーヌの言葉に目に生気を取り戻し、頷いていた。そして、ラルフシーヌは駆け寄って来た騎士に向かっても先にも勝る口調で叱りつけた。


「騎士なのに、守護を任じられた女性の危機に駆け付け無いとは何事か!」


「は、いえ、その、身分が・・・」


「あなたは戦う相手を身分で選ぶの?命懸けの戦いで、相手はあなたの身分なんて気にしちゃくれないわよ!」


 ・・・ラルフシーヌの言葉は一々私に突き刺さってきた。


 誇りを忘れたら、生きたまま死ぬことになる。そう。私は母に「皇帝陛下の子である事の誇りを忘れるな」と良い聞かされて育った。しかし私は、自分が皇族にならず一介の騎士になる事に拘るあまり、あの立派な父の子である事の誇りを忘れていたのではないか。誇りを忘れて自分を貶めているから、騎士としての在り方をも見失うのだ。騎士としての誇りも持てないのだ。それでは生きているとは言えないではないか。


 そして、騎士たるもの、命懸けで任務を果たすべし。いかなる困難や障害にも負けず、命じられた任務を何があっても果たすべきなのだ。それを相手の身分を気にして怠ってはならない。その通りでは無いか。戦場で、相手の将軍が皇族だから騎士の自分は戦えないなど通らない。任務遂行に身分など関係無い。


 私は何を馬鹿な事に拘っていたのか。大事なのはなんだ。身分を守る事か?それとも自分を枠にはめる事か?そうでは無かろう。本当に大事なのは自分の足で立ち、自分の頭で考え、誇りを忘れず、自分の正義を規範に行動する事だ。階級がとか騎士なのだからというのは全て言い訳だ。そんなものに縛られる必要は無い。邪魔なら、そんなものは時に蹴り飛ばすべきなのである。あの少女がしたように。


 私は自分の今までの全てが否定されたような気分がした。自分の価値観や決め事が

、あの超新星爆発のような少女によって粉々に吹き飛ばされてしまったのだ。それは不思議と嫌な気分ではなく、それどころか身体中が震えるような感動と快感を伴う喜びを伴った。私は今ここで死んで、生まれ変わったのだ。精神的に。


 ラルフシーヌは私の方に銀髪をなびかせて振り向くと、金色の目を細めて、歯を見せてニッと笑った。


 その瞬間、私は見つけたのだった。私の女神を。私は思わず彼女の方に駆け寄ろうとした。


 と、彼女の後ろから二人の大柄の令息、恐らく蹴り飛ばされた令息の子分が襲い掛かって来るのが見えた。私は「危ない」と叫び掛けたが、ラルフシーヌの動きは信じられない程素早かった。


 身を沈めて二人の手に空を切らせると、目にも止まらぬ動きで一人を投げ、もう一人に肘打ちを決める。確かにこれは害獣と格闘戦をやるというのも頷けるスピードだ。しかし、二人の令息が倒れた事で周囲から悲鳴が上がり、彼女に向けて護衛の騎士たちが襲い掛かって来た。私は飛び込んで一人を組み止めたが、二人がラルフシーヌに飛び掛かった。彼女より頭二つは大きな騎士である。それが二人だ「ラル!」思わず私は叫んだ。


 ところがラルフシーヌはむしろ嬉しそうな表情で、消えるような速度で一人の懐に滑り込むと、勢いと重さを利用して軽々とその騎士を放り投げたのである。そしてそのまま飛び上がってもう一人の顎にアッパーキックを叩きこんだ。鍛えられた騎士がそれで意識を消失して倒れてしまったのだから相当な威力だ。私と、私と組み合った騎士の目が点になる。


 その狼藉を見て会場を護衛していた騎士や貴族の付き人がラルフシーヌを捕えるべく集まってきたが、なぜかラルフシーヌは瞳を輝かせた。掴み掛かって来る騎士を躱してテーブルにひらりと飛び上がると、手を伸ばしてシャンデリアを掴んだ。そしてテーブルを蹴ってシャンデリアごと飛ぶと、振り戻されたシャンデリアの勢いに乗って騎士に向かって蹴りを放った。何が起こっているか分からないという表情で騎士が吹っ飛ぶ。着地の瞬間掴み掛かって来た騎士を、今度は真正面から一瞬だけ組み止め、足を飛ばしてバランスを崩すと竜巻のような投げ技でその騎士を放り投げた。続けて殴り掛かって来た従僕を躱すと、皿をとってその顔に投げる。命中して一瞬動きが止まった所を足払いで転ばして転がしてしまう。


 私は唖然とするしか無かった。どう見ても彼女はこの乱暴狼藉を楽しんでいて、金色の瞳は生き生きと輝いている。そしてどう見ても余裕綽々。手加減している事は明らかだった。10人はいる騎士、20人はいる従僕は本気である。それなのにせいぜいラルフシーヌのドレスに触るのが精一杯。殴られ蹴られ投げ飛ばされケーキを顔にぶつけられるのばかりだ。これはあれだ。彼女が単独で熊を倒すというのは確かにホラでも何でも無さそうだ。


 私が呆れ果てて見ていると、カリエンテ侯爵がやって来た。最初は何が起こっているのかと驚いていた侯爵は、騒動の中心で猿のように飛び回っているのが自分の娘である事に気が付いて驚愕した。


「何をしている!娘に何をする!止めさせろ!」


 侯爵の怒声は驚いた周囲からその周囲に伝わり、必死で追い掛けていた騎士や従僕も足を止める。ラルフシーヌも侯爵に気が付き、テーブルをひょいひょいと渡って侯爵の前に降り立った。私も慌てて傍に向かう。


 それまでラルフシーヌを追いかけ回していた者たちはそれを見て「侯爵閣下?」「え?侯爵令嬢?嘘だろう?」と呆然としている。それはそうだ。しかしまさか可愛い娘が加害者だとは思いもしない侯爵閣下ご夫妻は怒り心頭で、騎士たちや従僕たちを怒鳴りつけ、私に向かっても怒鳴った。


「おい!ラルフシーヌを馬車まで送れ。可哀そうに酷い格好だ。人目に触れさせるな!」


 私は侯爵閣下に恭しく了解を応え、ラルフシーヌの手を取って広間を急いで出た。好都合だ。


 ラルフシーヌはドレスこそボロボロで汚れていたが傷一つなく、それはもうご機嫌な様子で私の手を振り回していた。その姿はまるでダンジョンに潜り込んで宝物を取り戻してきたお姫様といった風情で、美しく気高く生き生きと輝いていた。思わず誰もが振り返ってしまう程だ。


 それを見ながら私はもう決めていた。一生の目標を。


 私は必ず彼女を娶るのだと。この輝く宝石のような女性を自分の妻にして一生大切にするのだと。勿論、この彼女に大人しくしてもらおうとかそういう事は求めない。彼女には自由に思う通りの素敵な人生を送ってもらいたい。そして私はそれを見守りたい。彼女が側にいれば、私はもう二度と自分の人生を見失わなくて済むと思ったのだ。


 私は侯爵家の馬車にラルフシーヌをエスコートして、そのまま一緒に馬車に乗り込んだ。本来であれば非マナー行為だが、あまりにも酷い格好のラルフシーヌに驚いた御者や執事は私を止めそこなったようだ。馬車の座席にご機嫌の勢いで飛び乗ったラルフシーヌ。私はその前に跪いた。ラルフシーヌはきょとんとしている。私は彼女の手を取り、一度額に押し抱くと、おそらくは格闘に邪魔なので手袋を脱いでしまって素手になっていたその手の平に、自分の唇を押し当てた。


 手の平へのキスは求婚の意味がある。もちろん、それはお互いの同意があって成立するので、これが正式な求婚にはならない事は百も承知である。案の定、ラルフシーヌは怪訝な顔を見せている。意味を知らないのだろう。だが、私は構わなかった。今ここで私が決意を示すことに意味がある。私は自分の求める事のために全力を尽くすことを、もう決めたのだ。


「ミア?」


「良いですか、ラル。私がその呼び名を許すのはあなたに対してだけです。その事を良く覚えておいてください」


 私はそう言い残して馬車を降りた。



 次の日、朝から騎士団本部に呼び出されて事情聴取を受けた。何しろ私は加害者たるラルフシーヌのエスコート役だ。質問を受けた後、聴取を任された千人長は「何とか止められなかったのか?」と私に尋ねた。私は胸を張ってこう答えた。


「止める必要性が認められませんでしたので」


 それを聞いた千人長は「まぁ、侯爵令嬢ではな」と言ったが、私の意図は勿論そうではない。だがわざわざ説明はしなかった。


 その日の勤務が終わると、私はそのままカリエンテ侯爵のお屋敷に向かった。侯爵邸は流石に大きかったが、私は臆する事無く門番に「昨日お嬢様をエスコートした騎士でお見舞いがしたいから取り次いで欲しい」と頼んだ。取り次いでもらえるかどうかは賭けだったが、私は無事に屋敷へと通された。


 応接室で待っていると、侯爵本人が出て来た。これはどうやら昨日の騒動の真相を知り、一応私に詫びようと出て来たものらしい。でなければ侯爵がいきなりは出ては来るまい。侯爵は私にやや尊大な態度で昨日の労をねぎらった。直接的な謝罪は無くても侯爵本人が直接騎士にねぎらいを掛けるというのは謝罪したと同じようなものなのである。


「お嬢様をお見舞いしたいのですが」


 私が言うと、侯爵は意外な事を言った。


「ラルフシーヌは今朝、領地に帰らせた」


 私は驚いた。恐らく騒動が大きくなるのを恐れて急いで帝都を離れさせたのだろう。それじゃぁ、と腰を上げかけた侯爵に、私は慌てて叫んだ。


「閣下!ラルフシーヌ様を私の妻に頂けませんか!」


 は?っと、侯爵が目を点にした。それはそうだろう。いきなり過ぎる。しかし足止めには成功した。私は侯爵の足元に跪き、彼を見上げて堂々と言い切った。


「ラルフシーヌ様のすばらしさに私は激しく心を奪われました!どうか閣下、私とラルフシーヌ様の結婚をお許し下さい!」


 そして空に聖印を切って、額に〇を描いた。これは正式な宣誓の作法である。それを見て侯爵の表情が驚きから戸惑いに、最終的には少し怒ったような表情に変わった。


「馬鹿な事を。騎士風情が高望みをするでない」


「閣下、昨日私はラルフシーヌ様に自分は平民に嫁に行くと聞きました。平民に嫁がせるのであれば騎士の私でも良い筈です!」


「あれを平民に嫁がせるのは理由があっての事だ。しかも平民とはいえ其方よりも豊かで力ある者に嫁がせるつもりだ。其方では不足である」


 もっともな話である。騎士よりも裕福な平民は幾らでもいる。私は実は母から階位は引き継がなかったが資産は引き継いでいたので、実はかなりの資産家と言えるのだが、そんな事は言えない。侯爵は話は終わりだとばかりに立ち去ろうとした。私はまた叫んだ。


「ラルフシーヌ様には昨日、直接に求婚いたしました!」


「何?」


 侯爵は驚いて足を止めた。ここが勝負どころだ。私は目に力を入れて侯爵を見据えた。


「ラルフシーヌ様は拒否はなさいませんでした。ご本人に聞いて頂いてもよろしゅうございます。これが何を意味するかお分かりですね?」


 侯爵が嫌な顔をした。これは求婚の先着権の問題である。


 求婚時の作法として、先に本人に求婚した者は尊重されるというものである。勿論だがこれは絶対では無い。女性の結婚は父親に決定権があるので本人の意向さえ無視される事が少なく無い。先着権があろうと無かろうと結婚にそれほど有利になる訳では無いのである。


 しかし私は騎士でラルフシーヌは侯爵令嬢だ。本来であれば求婚自体が成立しない程の身分差がある。侯爵としては私の求婚の宣誓など聞き流し、無かった事にしたい所であったろう。だが、ここで先着権が生きてくる。本人に最初に求婚し即座に拒否されなかったというのは求婚を保留されている状態である。既に求婚自体は成立しているから無かった事には出来ないのである。


「其方などに嫁にやる気は無い。帰れ」


「何度でも参ります。閣下に認めて頂けるまで」


 侯爵は気に喰わなそうに鼻息を吐くと、応接室を出て行った。良し。私は一まず息を吐いた。今日は侯爵に私の存在を知って貰えただけでも上等だろう。会えない可能性もあったのだから。そして求婚した事実も認めさせた。求婚者の地位を手に入れた以上、侯爵家としても完全に無視は出来ない筈だ。他にも手練手管は必要だとしても。


 本当なら私が皇族である事を明かすのが求婚を成立させるのに一番楽な方法なのだが、それは出来ない。だが、いよいよとなれば後の面倒は覚悟してその手段を使っても良いかもしれない。私はこの時、ラルフシーヌと結婚するためならあらゆる手段を使うつもりだった。そのためならあれほど禁忌としていた自分を皇族だと認める事も辞さない気分だったのである。


 良し!やるぞ!必ずラルフシーヌを妻に迎え入れるのだ!私は決意を新たにして侯爵邸を後にしたのであった。


 


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