十一話 立太子式

 皇太子殿下は享年28歳だった。まだ全然お若い。


 皇太子としての激務が寿命を縮めたのかもしれない、とセルミアーネが昼夜無く働いているのを見ると思う。私はこれ以降、セルミアーネの健康には非常に気を配るようになった。とりあえず夜中に抜けだして仕事をされないようにがっちり抱き締めて寝るようにした。セルミアーネは困っていたが、彼の健康の方が大事だ。


 皇帝陛下と皇妃陛下の落胆は大変なものだった。このお二人は三人も皇子を儲けていながら、戦死、病死、病死と三人とも自分たちよりも早世されてしまったのである。これは辛い。私は皇妃陛下を一生懸命お慰めした。皇妃陛下はしきりに「セルミアーネとラルフシーヌがいてくれて良かったわ」と仰っていた。私達がいれば皇統は残るからと。本当は我が子に継がせたかっただろうに悲しみを堪えてそう仰るのだ。私は母であるより皇妃であろうとする皇妃陛下の姿に凄みを覚えた。私が我が子を失った時にこんな立派な態度が取れるだろうか?


 皇太子殿下のご葬儀は壮麗で厳粛なもので、黒い弔旗が立ち並び、腕に黒い弔章を締めた騎士たちが騎乗して並ぶ間を、セルミアーネを始めとした皇族や近しい部下が護る棺を乗せた馬車が進む様は美しくさえあった。だが、葬式は葬式だ。誰もが哀しみ嘆き、特に尊敬していた兄を失ったセルミアーネの落胆は深く、ガックリ肩を落としていた。


 帝宮内にある大神殿で葬儀は行われ、大司祭の祭祀を受けた皇太子殿下の御遺体は再び馬車でゆっくりと運ばれ、帝宮の最奥にある聖堂に葬られた。この聖堂には歴代の皇帝を始めとした皇族が葬られているそうだ。帝国最高の聖地で聖堂の最奥には皇帝陛下しか立ち入れない。皇妃陛下でもダメなのだというから、私も一生立ち入れない事になる。・・・その内こっそり忍び込んでやろうとか考えてませんよ。本当だよ?


 葬儀が終わると一カ月の服喪期間があって、その後にセルミアーネの立太子式が取り行われる事になった。そのため、式の準備が忙しくて服喪している筈なのにしんみり故人の事を忍んでいる場合ではなかった。いや、セルミアーネの皇太子としての仕事も私の社交も別に減ったわけではなかったからそもそも服喪している気分は全然しなかった。単に衣服のどこかに黒いリボンを付けているだけという感じだ。ただ、皇妃陛下は悲しみのあまり体調を崩されてしまい、それでも私が心配だからと社交に出ようとしたのを私が止めた。もう私一人で大丈夫だと言い張って。


 勿論、大丈夫な訳が無いのでお母様やお姉さまを召喚して助けてもらった。母姉の有難さよ。正直、これまで私は自分が侯爵家に生まれた事を何とも思っていなかったが、ここに来てようやく生まれに感謝した。カリエンテ侯爵家に生まれなかったら帝宮に母姉を呼ぶのも大変だっただろうから。ここまでの数カ月に流石の私も社交に慣れてきたのもあって、皇妃陛下がいない間の社交で大きなやらかしをする事はなかった。一安心だ。


 早朝の抜け出しは続けていた。軍服だけではなく、下級侍女のお仕着せを調達する事にも成功していたのでよりバレ難くなった。素知らぬ顔で侍女に混じって掃除や洗濯や庭仕事をしながら噂話を聞く。誰もが豪放磊落で良い人だったらしい皇太子殿下の死を悲しみ、帝国の将来を不安がっていた。ただ、働き者で真面目なセルミアーネの評判は良く、がっちりとした男らしい美形だった皇太子殿下と女性的な美形であるセルミアーネを比較してどちらが美形かで侍女達が盛り上がっているのをよく見かけた。因みに私はお人形みたいに綺麗で大人しいお妃様だと思われていて、正体はバレていないようだった。ただ、やはりお作法に厳しいと噂の侍女からは私のお作法にはダメが出ているようだった。むぅ。あれでもダメか。ちょっと厳し過ぎではないかしら。


 それはそうとある日、抜け出していた私は変な物を見た。


 侍女服を着て庭園をほっつき歩いていると、庭掃除をしていると思しき侍女がいた。のだが、彼女は箒も何も持っていなかったのである。何だか手をクルッと回すと、つむじ風のような物が舞って、落ち葉が舞い上がり、彼女が指を指し示した方向に運ばれて行くのだ。


 見たこともない光景に私は興奮した。私はその侍女に駆け寄った。


「ねぇ!ちょっと!」


「ひ!」


 びっくりした彼女が振り返ると、風は消えて落ち葉がバラバラと落ちてしまう。明らかに彼女の意思で風が舞上がっていたのだ。


「ねぇ!今何やってたの!」


「ご、ごめんなさい!箒が見当たらなくて、つい!」


 ?意味が良く分からなかったがそれどころではない。私はその下級侍女の肩を掴んで揺さぶりながら興奮して叫んだ。


「今の何!どうやって風を起こしてたの?」


 焦茶のおさげ髪の気の弱そうな下級侍女だ。記憶には無い。ということは私達の離宮の侍女ではない。なら身バレは気にする必要は無いと見てとる。


「え・・・?その、魔法だよ?知らないの?」


 魔法?人生で一度も・・・、いや、何処かで聞いたことがあるな。でも記憶に定かでない程度しか聞いたことが無い単語だ。何だそれ。


「その、魔力で風を起こしたり、火を出したり出来るんです。帝宮では使用が禁じられているんだけど・・・」


 それで見つかったと思って焦っていたらしい。しかしそんな事はどうでもいい。私は時間ギリギリまで彼女を質問攻めにした。


 その結果、このオクタビアという子爵家出身の侍女が言うには、魔法というのは概ね貴族しか使えない力であるらしい。貴族なら教育で必ず習うから知っている筈だと不思議がられた。むぅ、なんで教えてくれなかったかなお母様。


 ただ、魔力は貴族なら誰でも持っているという物では無く、人によるらしい。上位貴族になればなるほど持っている可能性が高く、強い力が行使出来るらしい。


 ただ、上位貴族では魔法はあまり上品なものとは見做されていないようで、使えても使いたがらないらしい。どうりで家族が使ったのを見たことが無いはずだ。


 魔法にも色々あるが、オクタビアが使えるのは使役魔法という奴で、一番簡単な物だという。精霊にお願いして魔力をあげる代わりに少し言うことを聞いてもらうのだとか。何それ犬みたいね。出来る事はあげる魔力に比例するらしい。


 聞けば聞くほど私も使ってみたくなった。私だって貴族、しかも上位貴族出身なのだから使えてもおかしくない。私はオクタビアに使い方を教えてくれるよう頼んだ。彼女は渋ったが、どうも押し付けられているらしい広い庭園の掃除を手伝う事を条件に承諾した。


 教えてもらい始めてすぐに私にも魔力があることは判明した。オクタビアが呼び掛けた精霊に私が手をかざすと反応したからだ。ただし、そこから魔力とやらを上手く放出出来なくて苦労した。だって魔力が何だかよく分からないんだもの。オクタビアのあやふやな説明ではよく分からず、ああでもないこうでもないと頑張って、初めて魔力の放出に成功したのは10日程経ってからだった。


『風の精霊よ我が声に応えて下さい』


 と私が魔力を放出しながら唱えると、私の周辺で風が動いた。うわ!やった!出来た!私は喜びに思わずオクタビアの手を取って踊り出してしまう。オクタビアは私に手を引かれながらホッとした顔をした。


「後はやっている内に精霊が言う事を聞いてくれるようになるわ。魔力の大きさによって出来る事は変わってくるけど」


「ありがとう!オクタビア!」


 私はお礼にオクタビアに掃除を押し付けた下級侍女たちに罰を与えるように、侍女長に命じておいた。侍女長はなんでそんな事を私が知っているのか不思議がっていたけれど。


 ついに魔法がうっすら使えるようになった晩、私はベッドで興奮しながらセルミアーネに打ち明けた。セルミアーネは目を丸くした。


「・・・ラルに魔法を教えてしまうとは・・・」


 セルミアーネはうーんと唸った後に、渋々というように言った。


「ラル、魔法は私のいないところでは使わないようにね」


「え?なんで、上位貴族が嫌っているから?私は気にしないわよ」


「違う。危ないからだ」


 セルミアーネが言うには、魔力は元々、初代皇帝が授かった力で、それが婚姻のせいで貴族にも徐々に広まっていったものだという。広まると共に薄れてもいて、子爵辺りの血の薄さではせいぜい頑張っても風を起こす程度だろうという。


 だが、血が色濃く残っている皇族や上位貴族は、古の皇帝には遥かに及ばないが大きな魔力を持っている。建物を吹き飛ばすほどの力を精霊に与えられるのだとか。


「何それ!凄い!」


「凄いけど、危ないだろう?魔力放出のやり方もよく分からない状態じゃ尚更だ。私が教えてあげるから、他では使ってはダメだ。良いね?」


 うぬぬぬ。私も刃物の使い方に習熟していない者が、それを振り回す危険はよく知っている。本当は早く使えるようになりたくて仕方が無いが、頷くしか無かった。


「まぁ、皇太子妃になったら、儀式で魔法を使わなければならない事も多いから、ちょうと良かったかな」


 は?それは初耳だ。何でも皇族は帝国運営のために必要な神への魔力の奉納があるらしく、上位貴族も自分の領地の神や精霊に魔力を奉納して土地の豊穣を祈願する儀式をやるものらしい。お父様お母様が領地に年二回は必ず来ていたのはそのためだったようだ。そういえば二人が来る時はお屋敷の礼拝堂を必ず掃除したわね。


 そういう奉納で魔力を使うために魔力を無駄に使う事を戒める風潮があって、転じて人前で魔法を使う事を厭うようになったそうだ。


 何というか、二十年近くも生きてきても、世の中には知らないことがまだまだ一杯あるんだなぁ、という気分だった。そう言えば思い出した。確か、セルミアーネが竜を倒すには魔法がいるって言ったんじゃ無かったかしら?


「私に魔力があると言う事は、私なら竜も倒せるという事なんじゃない?」


 セルミアーネはギクリとした顔をした。


「そういうことなんでしょう?ね?」


「・・・ラルの魔力が大きければ、そういうことになるね」


「よし!やる気出てきたわ!ミア!絶対に教えてね!絶対よ!」


 喜びセルミアーネに抱き着いて浮かれる私の頭を撫でながら、セルミアーネは何故かため息を吐いていた。



 服喪期間が明けて直ぐに、セルミアーネの立太子式が執り行われた。


 と、簡単に言ったが、これがまた大変だった。一大事だった。私はこれまで貴族の儀式に参加したことすらあんまりない。成人のお披露目と、セルミアーネの皇族復帰くらいだ。結婚式も儀式と言えば儀式だろうか。貴族が大勢参加して行われる祈念祭だとか豊穣祭だとかいう儀式には出たことが無かった。そのため儀式がどんなものかよく知らなかったのである。


 まず、服装が儀式用の正装で、袖のひらひらした服を7枚も重ねて着るものなのである。重い。暑い。冬で助かったわ。流石に夏は涼しい生地で仕立てるらしいけど、7枚にも意味があるので枚数は減らせないらしい。


 髪も独特の様式で結い上げる。アクセサリーも見た事が無い形式で、これは帝国創建当時から続く様式なのだとか。服に描かれた紋様や肩から垂らされた飾り紐にも厳密な意味があり儀典の専門のお役人がやって来て慎重に確認し、ズレがあった場合はやり直しだ。


 服装でこれだから、お作法も古い様式を厳密に守らなければならなかった。普通のお作法の十倍は面倒だ。ただ歩くだけでも歩幅、足の向き、足音を立てず、三歩歩いたら一度止まるなど、いくつもの決まりがあり、とても覚えきれない、何でこんなに面倒臭い事をやらなければいけないのかと思うのだが、儀式というのはそういうものらしい。そして皇太子妃ともなれば一年に何度も儀式に出なければならないのできちんと覚えておかないと困るらしい、マジか。


 私は儀式の説明で初めて知ったのだが、私達は普段、神様といえば全能神しか知らないし祈らないが、実は神様というのは大勢いるらしい。魔法を使う時にオクタビアは精霊に祈っていたが、より強い力を使う場合は神の力をお借りするそうだ。儀式というのは広義で言えば魔法の一種だそうで、神の力をお借りするために面倒臭い様式が必要なのだそうだ。


 因みに、普段お祈りしている全能神から御力をお借り出来るのは皇帝陛下だけだそうで、全能神と契約する事=皇帝になるという事だそうだ。そんなの全国民の九割くらいが知らないんじゃ無いかしら。


 立太子の儀式は葬儀の時と同じで、大神殿でまず行われる。離宮から帝宮本館に移動し、そこからセルミアーネと二人で馬車に乗り、大神殿位向かう。これも葬儀の時と同じように、大旗を持った騎士の列の間を馬車はゆっくり通る。だが、騎士は儀典用の華麗な鎧を纏っているし、翻る旗は目に眩しいような青、帝国皇室を象徴する鮮やかな青だった。


 大神殿に入ると、そこには伯爵以上の上位貴族が儀式正装で整列し、私達を出迎えた。この時ここにいるのはそれぞれの家の当主と婦人だけで、本来は前侯爵であるお父様と前夫人であるお母様は入れない。のだが、私の父母として列席が認められていた。


 私たちがゆっくりと大神殿の中に進むと、上位貴族夫妻およそ二百人が一斉に深く頭を下げた。そしてそのまま私達が祭壇の前に進むまで起き上がらない。物凄く気が引けて居た堪れないが、仕方が無い。


 重厚な儀式正装のセルミアーネにエスコートされて貴族たちの間を進む。セルミアーネは厳しい顔をしていたが、時折私を見ると口の端だけで笑う。私も同じようにする。何だろうね。セルミアーネと二人ならこんな緊張する場面でも笑えるもんなんだな。


 祭壇の前には最高司祭様がいらっしゃって、私達が前に出るとまず聖水を振りかけ、次に聖印を空に描く。


「天にまします全能神の御心に叶う偉大なる血の一族の末よ」


 最高司祭様が朗々と祝詞を唱える。その瞬間、私とセルミアーネの周囲にフワッと風が舞った。あ、これ魔力が動いたんだわ。と気がついた。魔法の事を少しも知らなかったら感じ取れなかっただろう。


「其方は血を継ぐ者なり。全能神のお力をこの世に顕現する血の力を持つ者なり。天に祈り全能神に祈り、その御力を受けて帝国に繁栄をもたらす者なり」


 最高司祭様の祝詞を受けてセルミアーネが朗々と祝詞を誦じる。


「我は偉大なる血を受け継ぐ者なり。天にまします全能神よ、我が祈りに応え、我が血の盟約に応え、我にお力の一端を貸し与えたまえ。我が捧ぐは祈りと命。古の盟約に従いて我が願いを叶えたまえ」


 セルミアーネの身体がボワっと光ったような気がした。そしてゆらゆらと陽炎のように何かが立ち上る。おそらくあれが魔力なのだろう、


 オクタビアの使っていた精霊を使役する魔法もそうだが、祈りと魔力の放出で精霊と繋がる事により、精霊の力を借りる事が出来るのである。セルミアーネは今、祝詞と魔力の放出で最高神と繋がっているのだろう。


 全能神の御力を行使出来るのは皇帝のみ。その意味で言ってセルミアーネはまだ全能神の力は行使出来ない筈だが、皇太子になるには御力を行使しないまでも全能神と繋がる事が出来る血の濃さと魔力が必要になるのかもしれない。セルミアーネは額に汗を浮かべていた。頑張れミア。私は無意識に応援していた。


 やがて、セルミアーネから魔力の放出が止むと、天から不思議な光の粉が舞い散って、降り注いだ。列席の貴族がおお、と歓声を上げる。最高司祭様が頷いて高らかに告げる。


「全能神と偉大なる血の盟約は示された」


 すると、兄であるカリエンテ侯爵が真っ先に、拍手をしながら叫んだ。


「皇太子セルミアーネ!」


 ほとんど同時にお父様お母様が大きな声で叫ぶ。


「皇太子セルミアーネ様万歳!」


「皇太子殿下万歳!」


 すると列席の上位貴族が口々にセルミアーネの名を呼び、万歳を叫んだ。ドォっと大神殿の中に歓声と拍手が広がる。セルミアーネは破顔して右手を上げ、歓声に応えていた。この瞬間、セルミアーネは貴族達に皇太子殿下として認知されたのである。


 ひゃ〜すごいすごい!家の旦那すごい!と私も手を叩きそうになったが何とか我慢した。セルミアーネによれば魔力が足りる事は分かっていたそうだが、それでもぶっつけ本番で成功するのはすごいと思う。


 大神殿での儀式が終わると、私達は大神殿を出てもう一度馬車に乗った。そして聖堂へと向かう。帝宮の奥というか、地図で見ると帝宮のある丘の中央、一番高い場所に聖堂はある。帝宮の中なのに鬱蒼とした森の中にあり、うっかり狩人目線で観察を始めてしまいそうになるが、いくら私でもこんな聖地で狩りはしないよ。本当だよ。

 

 聖堂は大神殿に比べると簡素というか素朴な作りで、古い、構造としては入ったところが祭壇で、その奥に墓所区域があり、更にその奥に最奥の間があるそうだ。前皇太子殿下の葬儀の時は墓所区域まで入ったが今回は祭壇の間にしか入らない。


 祭壇の間には皇帝陛下と皇妃陛下が待っていた。前皇太子殿下の葬儀の時は侍従や侍女、護衛の騎士などもいたが、今回はお二人だけだ、


「無事に済んだようだな」


 他に誰もいないからか皇帝陛下の口調は楽なものだった。表情も実に嬉しそうだ。


「お疲れ様。セルミアーネ。ラルフシーヌ」


 皇妃陛下もニコニコしていらっしゃる。荘厳な聖堂の雰囲気とはそぐわないほどご機嫌に見える。何だろうね。ここでは皇太子冠と皇太子妃冠を授かる儀式があるだけだと聞いているけど。


「では、さっさと始めてしまおうか。この後も予定が詰まっているからな」


 皇帝陛下は明るく言って私達を促した。祭壇には二つの冠が置かれている。大神殿のように全能神の像が飾ってある訳ではなく、殺風景な祭壇だ。花と香が供えてある。


 私達は跪き、皇帝陛下に誓いの言葉を述べる。


「全能なる神の代理人にして、帝国の偉大なる太陽、輝ける栄光の座、東西南北を統べるお方、剣と天秤の守護者、いと麗しき皇帝陛下よ。私、セルミアーネは皇太子として皇帝陛下と帝国のために全ての力を捧げると誓います」


「私も夫を支え妃として、帝国と皇帝陛下のために全ての力を捧げると誓います」


 皇帝陛下は鷹揚に頷くと、まずセルミアーネの頭に皇太子冠を載せた。すると彼は驚いたように目を見開き、周囲を見回し、そして少し寂しげに微笑んだ。


 何だろうと思う間も無く、私の頭にも皇太子妃冠が置かれる。すると、バチッと何かが弾けるような感覚があった。驚いて顔を上げると、私の周囲に、今までは確かにいなかった筈の女性達。いろんな年代の貴族婦人が大勢いるのが見えた。な、何事?私が身構えると、彼女達は笑って、スーッと消えていった。


 私がポカンとしていると、皇妃陛下がクスクスと笑った。


「見えましたか?ならばラルフシーヌも大丈夫ですね」


「な、何だったんですか今のは?」


 皇妃陛下は私の驚き様を見て実に楽しそうに笑った。


「この聖堂にいらっしゃる歴代の皇妃ですよ。新しい皇太子妃を品定めにお見えになったのです」


 ・・・それはもしかして幽霊とかそういう類なのでは?


「そうとも言いますね。ですが、気に入らない相手には姿をお見せになりませんから、見られて良かったのですよ。貴方は歴代皇妃に認められたのです」


 ・・・。幽霊とかお化けは散々父ちゃん母ちゃんに子供の頃に脅かされていたけど、いつしかそんなもの居ないと気にも留めなくなっていた。しかし、本当にいるとなると・・・。ダメだ気にすると夜の闇が怖くなってしまいそうだ。


「セルミアーネも見たの?」


 私は気を紛らわせるべくセルミアーネに話を振ってみた。すると彼は少し嬉しそうに。そして寂しそうに笑った。


「ああ。歴代の皇帝と・・・。兄君が三人共いらしたよ・・・」


 あらまぁ。三番目の前皇太子殿下は兎も角、セルミアーネが生まれる前に亡くなった兄君二人には初めて会ったのだろう。それで嬉しそうなんだろうね。


 皇帝陛下と皇妃陛下は楽しげに笑っている。お二人も中々お人が悪い。私たちが何を見て驚くのか知っていて黙って笑っていたのだから。だた、それだけでは無く、私達が真に皇族の仲間入りしたことが本当に嬉しいのだろう。


 聖堂を出ると今度は皇帝陛下ご夫妻と一緒に馬車に乗り込み、帝宮外城壁の塔へと向かう。帝都市民へのお披露目があるのだ。数日前に帝都のあちこちで新皇太子立太子式の布告が出され、今頃騎士達が帝都中でお披露目のお触れを出している筈だ。


 セルミアーネのエスコートを受けて塔に登れば、眼下には途方もない数の群衆が蠢いていた、その塔の前はちょっとした広場になっていて、走って横切るのに私でも三十を数えるくらいの時間が必要なくらい広いのに、なんとその広場が石畳が何も見えないくらいの密度で人で埋まっている。それどころか、広場からつながる路地も見渡す限り人で一杯だ。あまつさえ建物という建物の窓や屋根に人がたかっている。


 それらの何万人いるか定かではない人々が、私たちが塔の上に姿を現すと地響きを立ててどよめくのである。布告官が地響きに負けないように怒鳴る。


「今日この善き日、皇子セルミアーネ様は皇太子殿下となられた。同時にお妃様であるラルフシーヌ様は皇太子妃殿下となられた。偉大なる皇帝陛下が全能神のご意志を踏まえてそうお定めになったのである!」


 どっと歓声が沸き起こる、その圧力と振動でビリビリと塔が震え出した。冬だというのに熱気が湧き上がってきて私は額に汗をかいた。


「皇太子セルミアーネ万歳!」


「帝国に栄光あれ!」


「皇太子妃ラルフシーヌ万歳!」


 怒号か悲鳴か歓声か判別が付かない様な渦を巻くような人々の叫び。それら全てが私とセルミアーネに向けられていた。


 と、とんでもないことになった。私はこの時本当の意味で、自分が皇太子妃になるということのとんでもなさを理解していた。皇太子妃ともなれば、この帝国の、ここにいる人々の何百倍もの人々の上に立ち、彼らを率い、責任を負う立場となる。彼らの、彼らの家族の生き死にを左右出来る立場なのである。帝国民衆を生かすも殺すも、栄えさせるも飢えさせるも、全て私達次第なのだ。


 私は貴族のことは未だによく分からず、貴族よりも偉い立場、国の中で皇帝陛下ご夫妻の次に偉いのだと言われても何となく他人事だったのだが、平民の事はよく分かる。この無邪気に私達に歓声を送っている人達の中には、狩人協会で仲良くなった人々や、行きつけだった市場の商店のおばちゃんもいるだろう。私はそういう人たちの人生を左右する権力を今日から握ってしまったのである。一生懸命生きている人達を、あっさり死なせてしまえる存在になってしまったのである。


 私は背筋が寒くなった。ちょっと、そんなの私には無理!とんでもないわ!そう思って私はセルミアーネを見上げる、セルミアーネも顔色が青かった。同じような感慨を抱いているのだろう。しかしそれでもセルミアーネは私の方を見て、ふわっと笑って見せた。・・・くっ!私は内心歯を食いしばった。


 駄目だ駄目だ。無理ならば付いて来なくても良いというセルミアーネをぶん投げて締め上げてまで付いて来たくせに、今更皇太子妃という身分の恐ろしさに気が付いて臆してどうするのか。セルミアーネはとっくに覚悟を決めて、それでも私を気遣う気概を見せてくれている。どう考えても皇太子となり、いずれ皇帝になる彼の方が多くのモノを背負い、大変な筈なのに。情けない。これからどんどん大変になる夫を、助けられ無いようで支えられない無いようで、どうして彼の妻が名乗れようか。


 私は右手を伸ばして、セルミアーネの左手を握った。その手は汗ばんで、少し震えている。私はその手を強く、しっかりと握った。


「行きましょう。ミア」


 セルミアーネは私の手を握り返すと微笑んだ。


「ああラル、君がいてくれれば大丈夫だ」


 私達は手を握り合ったまま、竜巻のような熱気と轟音に立ち向かい、手を上げて笑顔を向けて応える。私達はあたかも荒海に乗り込むような気持で、帝国の皇太子と皇太子妃となったのであった。

 


 

 

 

 

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