十話 皇太子妃(仮)

 帝宮というのは恐ろしく巨大な敷地を持っている。帝都全体の敷地の五分の一を帝宮が占めているのだ。帝国が建国された当時、帝都が建設された時には今の帝宮の城壁の内部だけが帝都だったものが、帝国が拡大すると共に帝都は大きくなり、旧城壁の内側は全て帝宮になったのである。


 帝宮は皇帝陛下の居城だが、私達が住んでいるように直系の皇族は帝宮内部の離宮に住む。それ以外にも場合によっては近臣も帝宮内部に屋敷を構える事があるのだという。実際、現在二家ある傍系皇族の公爵家屋敷は帝宮内城壁の内側にある。この場合は離宮とは呼ばれず、本館とは直接繋げられ無いが。


 帝宮は帝宮外城壁で囲まれ、更にその内側に帝宮内城壁がある。外城壁と内城壁の間には広大な庭園があり、そこに官公庁の建物が幾つもある。このエリアまでは貴族なら誰でも入る事が出来、官公庁のお役人は毎日出勤してくる。お役人や帝宮に仕える使用人の寮や、身分高い使用人用の邸宅もある。そういう人向けの商店も出店が認められており(出店するのは貴族の血を引く者に限られるが)、その辺りはちょっとした街になっている。


 内城壁は許可が無いと潜る事が出来ず、使用人でも出入りの際身体検査される。身体検査を免除されるのは上位貴族だけだ。騎士によって内城壁は厳重に警備されていて、万の軍勢にも耐えるという。内城壁の内側は帝国の中枢。帝国の心臓部なのだ。それは厳重に警備もされるというものだ。


 帝宮本館は外宮であり基本的には政治の場だ。行政を司る皇帝府。皇帝府を補助する皇太子府。立法を討議する元老院。司法の頂点である皇帝裁判所。などがあり、皇帝に任命された上位貴族がそれぞれお役目を授かって仕事をしている。そういう上級のお役所が本館にはある他、謁見室、面会室、晩餐会室、サロン、ダンスホールなどが無数に存在し、これも全て政治に使われる。


 帝宮では年中お茶会や各種夜会が開かれるているが、遊んでいるように見えるが、これらは立派な政治、つまり貴族のお仕事なのである。帝国の政治は貴族が行うものだ。例えば法律が新たに定められる場合、元老院で元老院議員の上位貴族が短時間討議しただけで法律が決まる訳ではない。貴族らしくまずは貴族の屋敷の夜会などに仲間内で集まってそれとなく法案のひな型を造り、帝宮の夜会で反対勢力と打ち合わせをして相違点の擦り合わせをし、皇帝陛下にもそれとなくお話を持ち掛けてご意見を賜り、それを繰り返して妥協点を見つけ、また夜会で根回しをして貴族界に周知をし、最終的に皇帝陛下ご臨席の元老院で形式的な討議をして法律を決めるのである。ほとんどの部分は夜会で決められるのだ。


 領地間の争いが出た場合も帝宮の夜会に繰り返し出てそこで味方を増やしたり相手方に付いた貴族を懐柔したりして優位を作る。その様子を皇帝陛下が見ながら最終的に皇帝裁判所で御裁可を下すので、夜会での立ち回りが非常に重要になってくるのだ。ここでモノを言うのが夜会における振舞い方。要するにお作法、マナー、優雅な立ち振る舞い、高級でいて下品でない衣服、優れていてそれでいてウィットやユーモアに富んだ会話術、そして芸術的なセンスであり、人を引き付ける魅力である。貴族政界における政治力にはそういうモノが多分に含まれており、正論ばかり言う夜会下手はどんなに頭が良くても相手にされない。夜会は大事なのだ。だから上位貴族の子女はあれほど血眼になってお作法やお芸術の勉強をさせられるのである。


 貴族の妻はそういう夜会で頑張る夫の援護をするお役目が非常に重要だ。そのために帝宮で行われるお茶会に足を運んで、夫が有利になれるよう味方を作ったり敵の評判を下げたりするために画策する訳である。その時もお作法やお芸術のセンスは格好の攻撃材料になるわけで、皇妃陛下主催のお茶会にうっかり同じドレスを着て行ったがために皇妃陛下からの評判を落し、夫まで政界での地位を落としてしまった例もあるので本当に服装一つとっても気が抜けない。社交の度にドレスを使い捨てるなんて勿体無いと思ったが、これも夫の政治のための投資だと思えば安い物なのかもしれない。


 おほほほほと笑っているだけに見えるお茶会や、ははははは、と笑っている踊っているだけに見える夜会がどうして政治なのかがお分かり頂けただろうか。私も知らなかった。教育期間にお母様たちにコンコンとお説教され続けても良く分からず、実際お茶会や夜会に出始めてようやく理解した。社交怖い。


 帝国には諸侯領の他に属国がいくつか存在し、それ以外にも周辺の友好国がたくさんあり、そこら辺からは年中ご機嫌伺いの使節がやってくる他、たまには敵対関係にある国からも情勢を探る使節も派遣されてくる。そういう使節をおもてなしするために宴を開くのは立派に政治で、それも皇帝の仕事である。このもてなしに失敗して戦争が起こった例もあるから本当に洒落にならないのだ。敵対国からの使節をもてなす宴などは細心の注意と準備が必要で莫大な費用も掛かる。


 帝宮本館はそういう政治を行う拠点であり、日夜各種の社交が繰り広げられていて華やかで優雅に見えながら、内情はドロドロピリピリしていて大変なのである。この帝宮本館で一日中過ごして微笑みを顔に貼り付け続けていれば、それは離宮に帰って普通のお作法だけに気を付けていれば良いだけならリラックス出来てしまっても無理も無い。私もほんの一カ月社交に出ただけでその事を理解出来るようになった。何しろ私は皇太子妃(仮)なのだ。社交に出ない訳には行かず、出ないどころかお披露目期間中である今の内は皇妃陛下と並んで出られるだけの社交に全部出て顔を売らなければならなかったのだ。本当に大変だった。


 朝、セルミアーネと朝食を食べたら、いきなりドレスの着付けが始まる。きっちりしっかりコルセットを締めての正装だ。宝飾品もフル装備。髪もきっちりセット。お化粧もばっちり。これでも夜会向けの装備よりは若干ラフなのだ。どこが違うのか私には分からないけれどそうらしい。そして本館の庭園かサロンで行われる昼の社交に向かう。この数ヶ月は私はまだ社交は主催せず、皇妃陛下の社交に出席するだけだ。いきなり社交を主催するのは無茶だし、社交を重ねて出席した貴族の反応を見てからでないと社交の計画も立てられない。らしい。私に貴族の顔色を読むのは無理だから、私が出る社交には必ずお母様かお姉様か親戚の夫人の誰かが出て下さることになっている。


 園遊会は皇妃陛下主催の社交としては最も大規模なもので、貴族婦人が100人以上集まる大イベントだ。それだけに準備も大変で、皇妃陛下の指揮の元に庭園を何か月も掛って整備するのだ。庭園の整備ならまかせとけ。皇太子妃(仮)が手を出してはダメですね。分かっていますとも。なので園遊会はそう何度も行われるものでは無い。


 最も開催回数が多いのはお茶会で、これはほとんどがサロンで行われるが、庭園で行われる事もある。内容は単に親睦を深めるために集まってお茶飲んでお菓子食べて談笑するだけだ。なのだが、先ほども言った通り単にそれだけでは済まないのが貴族の社交である。ここで皇妃陛下に根回しした事が皇帝陛下に伝わり、それが政治に反映される事も多々ある。それだけでなく皇妃陛下は元老院におけるただ一人の女性議員であり、陛下なので多大な影響力もお持ちだ。帝国の女性の意見を代表し政治に反映出来る存在だと言えるわけで、皇妃陛下に意見を直接訴えお心を動かす事が出来るお茶会は貴族女性にとっては政治そのものなのである。


 それをおほほほと笑いながら無粋な直接的な表現を避け、婉曲に回りくどく、時には手先の動きだけで表して皇妃陛下に訴えるのである。訴える方も大変だが読み取る皇妃陛下も大変だろう。他人事では無い。皇太子妃は次の皇妃陛下でねえか。一体どうやったらそんなスキルが身に付くというのか。私は皇妃陛下のすぐ横に座らされ、笑顔を顔に貼りつけながら呆然とするだけだった。


 皇妃陛下は私にも好意的で、お優しく接して下さって助かった。これが意地悪姑だったら流石の私もお茶会拒否症候群に掛かったかも知れない。二人だけのお茶会や昼食会に招いて下さる事もあり、そういう時は皇太子妃のお役目や心構えやちょっとした行動のコツについてお話下さることもあった。


 ある時、何かの拍子にセルミアーネのお母様、フェリアーネ様のお話になった。フェリアーネ様の名前を出すと皇妃陛下は見るからに落胆した表情をなさっていた。非常に大切なお友達で唯一無二の腹心だったとおっしゃる。大変だった皇太子妃時代を手を取りって乗り越えて来た戦友でもあったそうだ。何でも皇妃陛下は前皇妃陛下とは関係が悪く、現皇帝陛下も皇太子時代に立場が絶対的では無かったそうで、即位されるまで非常にご苦労が多かったそうである。


「・・・フェリアーネは最初から皇帝陛下、私の夫が男性として好きだったのよ」


「え?そうなのですか?」


「そう。私が皇太子妃として帝宮に入った時に侍女に付いてからずっと。隠していたけど私は知っていたわ。絶対に表には出さなかったし、私も知らないふりをしていたけど」


 それはセルミアーネの話に無かった事だった。まぁ、セルミアーネも知らなかったのだろう。


「だからフェリアーネが皇帝陛下の御寵愛を受けた時、私は彼女の長年の想いが叶ったと知っていたから友人として嬉しかったのよ。祝福したわ」


「その、嫉妬とかはなされなかったのですか?」


 私はセルミアーネに浮気されたら蹴っ飛ばしてしまう自信がある。


「全然。だけどフェリアーネにはそう思えなかったようね。何度も何度も謝られてしまった。終いには帝宮から出て行って距離を置かれてしまった。早く亡くなったのも私への忠誠心と陛下への愛情への板挟みになって苦しんだからでしょうね。悪い事をしたわ」


 その事が皇妃陛下の心に長く後悔として残っていて、その分フェリアーネ様の息子であるセルミアーネを溺愛し、その嫁である私に対しての好意的な態度に繋がっているのだろう。


 この頃、現皇太子殿下は死の淵を彷徨っており、皇妃陛下は社交が無い時間は息子の看病をして本当に大変だったらしく、顔色もお悪く、疲れてしまうため直ぐに社交も切り上げていた。その分私がフォローしなければならなかったのだが、こんな私に何が出来るというのか。政治の話なんて出来ないし。むしろアップアップしている私のフォローを皇妃陛下がしてくださっていた有様だった。後から思い出すと皇妃陛下の御負担を減らすことが出来なくて本当に申し訳無かったと思う。


 社交も大変だったが私とセルミアーネには別の重大な予定も入っていた。立太子式である。皇太子殿下がお亡くなりになったら速やかにセルミアーネが皇太子になる必要がある。皇太子がいない空白期間はなるべく短い方が良いからだ。これはセルミアーネ以外にも傍系王族の中に皇太子の座を狙っている者がいない事も無く、推す勢力が無い事も無いという事が理由だった。幸いセルミアーネは皇帝陛下ご夫婦が強力に支持して下さっているし、お兄様であるカリエンテ侯爵が全面的に支持してくれていてそれに協力する貴族も多いから、このままならセルミアーネが立太子される予定ではある。だが、空白期間が長くなり対抗勢力に時間を与えればどう転ぶか分からない。そのため、お亡くなりになったら間髪入れず立太子したいのだという。


 セルミアーネは皇太子殿下がお亡くなりになるのを待っているようだと嫌がったし、私だって楽しからぬ気分ではあったが、お見舞いに行くたびに皇太子殿下の具合が悪化し、最近ではほとんど昏睡状態なのを見れば準備を始めておく必要性は理解出来た。儀式に使用する儀式正装の作成のための仮縫いや、儀式次第の確認、全能神と皇帝陛下へ宣誓する言葉を覚える事など。最後には帝都民衆の前に姿を現し、手を振って笑わなければならないのだそうだ。どんな羞恥プレイだ。


 夜になれば夜会である。これには一度離宮に戻って着替えなければならない。同じ服などとんでもない。それどころか夜会向けなのでより気合の入ったコーディネートをされる。帝宮の夜会はほぼ毎日だ。これは意外だが主催は皇帝陛下ご夫妻だとは限らない。帝宮のホールを借りて夜会を開催するのは名誉な事なので、どこかしらの上位貴族が帝宮のホールを借り受けて夜会を開催しているのだ。下手をすると複数のホールで仲が悪い貴族があえてバッティングさせて夜会を開催している場合もあり、その場合はどっちに出るかで自分がどちらに味方をするかを示してしまうため大変なのだとか。


 帝宮のホールを借りれば貴族は客を集めるのが簡単になるし、自宅のお屋敷で開催するより予算も少なくて済む。それと皇族が毎晩夜会を開催していたら皇室予算が大変な事になってしまうという事情もある。皇族主催の夜会はせいぜい月に一回だ。これには絶対に出なければいけないが、他の夜会には予定が合わなかったり気に入らない開催者だったりすれば出なくても良いらしい。ただしお披露目期間中の今は別だ。皆勤が求められる。


 夜会にはセルミアーネも出る。彼もおめかしをして控室で私を待っている訳だが、もう疲れてしまって僅かなその時間に寝ている事さえあった。だが、セルミアーネもお披露目期間中である。夜会で顔を売って自分への支持を集めて皇太子就任を後押しして貰わなければならない。なので夜会を欠席する訳には行かなかった。ただ、セルミアーネはフェリアーネ様に作法の部分については相当教育されたらしいのと、騎士として多少は社交に出なければいけない部分もあったため、それ程無作法に苦しむ事は無い様だった。そもそも男性の場合は女性ほど繊細な作法は求められないそうだ。ずるい。


 夜会では私達は注目の的で、挨拶攻め質問攻めが凄かった。好意的な質問ばかりではなく「本当に皇子なのですか?」とか「カリエンテ前侯爵から貴女の事を伺った事がありませんね?本当にご令嬢なのですか?」など不躾で失礼な質問も無くはなかった。これにうるせえ馬鹿野郎とか、脳天チョップとかで答えられれば楽なのだが、そういう訳にもいかないのだった。それとなく不快感を示しつつ、否定して、最終的には向こうから謝罪を引き出す返答が求められる。出来れば少しユーモアが混じっていれば完璧だ。・・・出来るか!


 ご婦人方からの質問は逆に婉曲的で意味が判じない物も多く、これにも上手く答えないと冷笑を買う。随伴してくれるエステシアが後ろからこっそり教えてくれなければ危ない場面は幾らでもあった。というかエステシア万歳。彼女を付けてくれた一族の皆さまマジありがとう。彼女がいなければ付け焼刃で夜会など絶対にこなせなかっただろう。


 夜会で唯一楽しみなのがダンスで、私は特に早く激しいステップやスピンを含むダンスを好んだ。一日中しずしず緩やかな動きしかしない一日で唯一運動らしい運動が出来る時間だ。形式を忘れなければ、多少オリジナリティを出しても問題無いのも良い。踊っている間にも会話はあるが、こういう時にあまり難しい会話はしないものだ。最初にセルミアーネと踊った後は、他の男性諸卿と積極的に踊った。皇太子妃(仮)と踊りたがる男性には事欠かなかったから、夫人達との会話から逃れるためにも可能な限り私は踊り続けた。終いにはダンス狂いの皇太子妃(仮)というレッテルが貼られたそうだ。セルミアーネは苦笑していた。


 ようやく夜会が終わると離宮に帰り、部屋着に着替えると(これもドレスだが)夜食(夜会で食べられないので実質晩餐)をセルミアーネと食べて、お風呂に入って就寝だ。毎日毎日へとへとなので私はすぐ眠ってしまうが、私が寝た後にセルミアーネは起きて少し仕事をしている事もあるようだ。真面目過ぎるよ家の旦那様。その内身体を壊しそうだ。


 というか私もストレスが溜まって病気になりそうだった。森に行きたい。狩りがしたい。手強い獲物と戦いたい。最低限、駆けまわって飛び回りたい。ダンスだけでは全然足りない。私は日々悶々としていた。するとある日、就寝するべくベッドに入った時にセルミアーネが私の耳元でこそっと言った。


「退屈そうだね」


「退屈という事は無いけど、運動不足よ。思い切り動き回りたいわ」


 すると、セルミアーネは苦笑しながらこそっと言った。


「私は早起きして仕事をする事があるんだけどね。早朝、警備の騎士が交代するタイミングは早番の侍女が入ってきたりして、意外と帝宮内部は人の動きが多いんだ。そうだな。今の季節なら日が出る直前かな?」


 何を言い出すのか。私が首を傾げていると、セルミアーネは続けた。


「それから君が起こされる時間まで、そうだな、3時間くらいある」


 なるほど。それで?


「朝の皆が忙しい時間に紛れて抜けだして、起こされるまでに帰ってくれば、その間は運動してきても大丈夫だと思うよ」


 え?私が思わずセルミアーネを見上げると、セルミアーネは苦笑しながら指を唇に当てた。


「もちろん、見つかったら駄目だよ?」


「大丈夫よ!朝飯前だわ!文字通り!」


 しかし、抜け出して遊んで来いとはまたずいぶん大胆な発言である。普通の旦那なら妻が抜けだして遊んでくるなど禁じこそすれ推奨しないだろう。まして皇太子妃(仮)に。


「君の気持は良く分かるし、あんまり我慢されて溜め込まれて爆発されたら被害が大きくなりそうだ。程良くガス抜きしてきた方が良い」


 流石はセルミアーネ。私の事を良く分かっていらっしゃる。私は嬉しくてセルミアーネに抱き着いた。


 私はセルミアーネから私サイズの軍服を調達してもらうと、早速早朝の脱走を試みた。ベッドの中でなるべく音を出さないように着替え、音も無く天蓋付きベッドから抜け出すと、事前に用意した天井裏に入れる穴へ壁を蹴って飛び上がって入り込む。そこから移動して上手い事外に出るルートを確立するまでに数日掛ったが、これも脱走の楽しみだ。外に出てしまえば気配を消して騎士の目をごまかすなど簡単だ。離宮区域から出てしまえば着ているのは軍服だし、多少は人目に触れても問題無い。


 広い帝宮本館内部を探検し、庭園を駆け回り、城壁をよじ登ってそこからの景色を堪能し、遂には内城壁を越えてその向こうの官公庁街や商店を見物した。早朝なので店はほとんどやっていなかったが、仕入れの大騒ぎなどは見物していて楽しかった。外城壁と内城壁の間には小さいが森もあり、木に登り枝の間を駆け回り、簡単な罠を仕掛けてウサギやリスを仕留めて狩猟欲を少し解消した。獲物は商店に売った。


 男装だし皇太子妃(仮)だとは誰も思わないらしく、男性にしては背が低い私にやさぐれた軍人が喧嘩を売って来る事もあった。大歓迎だ。私は思う存分暴れてぶちのめし、大いにストレスを解消した。残念だが、セルミアーネが侍女をごまかしてくれても脱走していられる時間は4時間が限度だった。それまでに戻って何食わぬ顔をしてお妃様に戻らなければならない。しかし脱走方法が洗練され、警備の癖も掴んだこともあり、出来る事は次第に増えた。これならもう少し頑張れば外城壁も乗り越えて市内の市場にも遊びに行けるわね。本格的な狩りには少し時間が足りないな。いや、馬をどこかに用意しておけばあるいは・・・。


 このストレス解消はかなり効果があり、私は貴族生活を多少は楽しむ余裕さえ出て来た。やはり人間ストレスを溜め過ぎると頭も身体も良く働かない。たまには羽目を外してやりたい事を思う存分やった方が良い。私は脱走が誰にもばれないように慎重にやった。見つかって禁止でもされたらたまらない。おかげで誰にもばれなかったと思う。ただ、なぜか擦り傷痕や爪が傷んでいる事があるのをアリエスは不思議がっていた。彼女は私の身体のお手入れがお仕事なので「お気を付けください」とプリプリ可愛く怒っていた。


 こうしてどうにか私が皇太子(仮)生活に慣れ出したかな、と思った矢先、恐れていた事態が起こった。


 皇太子殿下のご逝去である。


 

 


 


 


 

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