九話 引っ越し

 衝撃の一日から3ヶ月後、私とセルミアーネは帝宮内部にある離宮に引っ越すことになった。


 皇帝陛下、皇妃陛下と何度か話し合った結果、セルミアーネはとりあえず皇子身分で帝宮に入り、皇太子代理となって公務を早急に引き継ぐ。そして皇太子殿下がお亡くなりになり次第、セルミアーネを皇太子とすることになった。


 人が亡くなる事を前提に予定を組むことに抵抗はあるが、国家運営は一日だって停滞出来ない。皇太子は公的な地位であり、皇太子府は公的な機関である。麻痺しないように維持するのは感情の問題ではなく、政治的な責務なのだ。


 帝宮に引っ越すまで、私たちは今まで通りの生活を、出来るわけが無かった。準備に大わらわになってしまったのだ。


 セルミアーネは引っ越す前から騎士団ではなく帝宮の皇太子府に所属が変わり、皇太子代理として引継を始めた。毎日帝宮まで馬車で出勤して、暗くなるまで帰って来ない。何しろセルミアーネはこれまで騎士の仕事しかしたことがなかったのだ。それがいきなり皇太子代理である。それこそ一から勉強し、覚えなければならないことが山のようにあるのだった。それでいて皇太子殿下は既に執務出来る状態に無いので、実務もこなさなければならない。国政は停滞させられないからだ。セルミアーネは慣れない仕事に毎日へとへとになっていた。ちなみに、こんなに引継ぎを急ぐ割に引っ越しまでに三ヶ月も開いたのは離宮の準備が間に合わないからである。


 では私は暇だったかといえば、そんな訳が無い。私も大変だった。


 私はあの日の数日後に実家から呼び出しを受けた。仕方が無く出向くと、お父様お母様を筆頭に一族全員が大集合していて、血走った目をした全員から質問責めにされた。無理もない。とは言っても私も知らないことが多過ぎて満足に答えられなかったけど。


 それから一族会議が繰り広げられた結果、カリエンテ侯爵家としても皇太子妃を出すというのは名誉なことであるし、権力的な意味でチャンスでもある。なので私とセルミアーネを一族上げて全面的に支援してくれる事になった。それはどうもありがとう。


 と、私はそそくさと帰ろうとしたのだが、そうはいかなかった。私はお母様、お姉さま達にガッツリ捕まった。な、何でしょう?


「今の貴女をそのまま帝宮に上げられるわけがないでしょう!一族の恥になります!貴女は今日から一族女性の頂点になるのですよ!自覚しなさい!」


 私のその時の格好は綺麗目のブラウスにボディスにスカートにブーツという格好だった。少し上等だが庶民服だ。確かにこの格好では帝宮には入れなかろうが。


「大丈夫ですよ。お母様。帝宮に行く時にはちゃんとドレスを着ますから」


「何を馬鹿な事言っているの!ドレスって嫁入りの時に持たせたあれでしょう?あんな安物で皇太子妃の格に合うものですか!大至急ドレスを発注しなければ!」


「それと、作法、マナー!そんなドタドタ歩きで帝宮を歩いてはなりません!あなたの一挙手一投足が一族を代表すると思いなさい!特訓します!今日から毎日ここに通いなさい!」


 ひょえ~!た、大変な事になった。お母様達の目は本気も本気で、実際、私は毎日逃げられないように馬車で迎えに来られ、侯爵邸で特訓を受けることになった。ドレスも最高級の物を山のように作られ、その仮縫い、試着だけでも大騒動だ。宝石も沢山持ってこられ、着けられては、これは何々、これはどこ産、これは偽物が多いから気を付けろなど教育された。宝石の目利きは貴族女性にとっては必須なのだそうだ。


 お作法マナーなどはそれこそ手の上げ方から脚の下ろし方まで注文が付く。しゃべり方は単なる口調だけではなく。持って回った言い回しだとか、微妙な間で自分の感情を現す方法だとかまで教えられた。目の開き方で侍女に合図を送る方法なんてものがあるのも初めて知ったわよ。座った時の指の形も疎かに出来ない有様で、とてもでは無いが全部は覚え切れない。


 それもその筈。もしも皇太子妃を一族から出そうとするのなら、皇子がお生まれになって2年から5年以内に生まれた女児を立って歩く前から教育するものなのだという。7歳を過ぎた辺りでそういうお妃候補を集めたお見合いが始まり、気が合うと思われた女児の中から家柄や貴族界の勢力や皇帝陛下のご意向などを踏まえて10歳くらいまでには許嫁を決定すると、教育は本格化。それこそ朝から晩まで完璧なレディになるべく各方面から徹底的な教育が施され、15歳くらいでご成婚の運びとなる。無事に結婚出来れば良いが、皇太子殿下が別の令嬢に恋をしてしまいお話がご破算になる例もままあるらしい。何というか、貴族令嬢も大概楽ではない。


 因みにこのお妃教育についての話を、皇妃陛下に本当なのかと後に聞いてみたら、乾いた笑いを浮かべながら遠い目をされていたので、多分本当の話のようである。


 それは兎も角、お母様もお姉さまも教育時間の足りなさをしきりに嘆いていた。私だって頑張ったが、こういうのは繰り返し、反復で身に着くものなのだ。付け焼刃ではどうしてもボロが出る。ただし、宝石の目利きだけは、私は興味もあったし目も勘も良いので中々のレベルに到達した。もちろんそれだけが出来たって仕方が無いわけである。私は時に無茶を言うお母様お姉様たちと言い合いをしながらも必死で勉強した。おかげで、何というか、他人のようであった家族と遠慮の無い交流が持てるようになった気がする。


 当たり前だが森には行けず、市場にも行けず、ストレスは溜まる一方だった。しかしお母様曰く、帝宮に入ればこんなものでは無いそうで、帝宮の侍女は厳しい教育を受けたお作法のプロばかりで、皇妃陛下のお客様としてお呼ばれしたお母様ですら気が抜けないところなのだという。無作法な事をすれば冷笑が飛び、直ぐに社交界全体で噂になってしまうのだそうだ。何それ怖い。


「大丈夫ですよお母様。私みたいな突っ込みどころしかないお作法なら呆れて噂にもなりませんよ」


「あなたが呆れられるのは良いとして、どういう教育をしてるんだと笑われるのは私なんですからね!」


「それはそうでしょうけど、実際、お母様には教育されずに田舎で遊びまわっていたわけですし」


「それを言われると辛いんですけどね・・・」


 お母様は首を振った。お母様とて田舎で猿のように暮らしていた私にいきなり皇太子妃は無理だと分かってはいるようで、しきりと私の事を気の毒がっていた。何度か暗にセルミアーネと離縁する気は無いのかと尋ねられたほどだ。


「インクルージュの方をセルミアーネ様と結婚させておけばよかったわ」


 などと言う始末だ。インクルージュは私の一番上の兄、現侯爵の娘で私の姪だ。例の私に求婚に来るセルミアーネに熱を上げていた三歳下の姪である。実際、幼少時より侯爵家第一令嬢として厳しく躾けられていた彼女ならまだしも皇太子妃に向いていただろう。その彼女自身はまだ嫁に行っておらずこの時はまだ侯爵邸にいて、私の教育に協力してくれていたのだが「私の目には狂いはなかったわ」と鼻高々だった。もっともその彼女ですら「皇太子妃なんて私には無理」と慄いて私と代わりたいとは言わなかった。


 私はセルミアーネと離縁する気は無く、セルミアーネに大口を叩いた以上皇太子を回避する気も無く、必然的にお母様たちの即席お嬢様教育からも逃げられなかった。逃げる気は無かったけどね。私は泣きそうになりながら頑張った。お母様やお姉様は及第点は出してくれなかったが「まぁ、前よりは少しはマシになってきたような気がするわね」とは言ってくれた。元が酷過ぎる事ついては目を逸らしておきたい。


 因みに例外的にダンスだけは私はあっという間に上達してお母様たちを驚かせた。私は運動が得意だし、筋力もある。こんなもんコツを掴めば鹿を撃つよりよほど簡単だ。むしろフラストレーションが溜まる一方の教育期間に身体を思い切り動かせる唯一のチャンスで、息抜きにさえなった。誰にも一つくらい取り柄はあるものね、とお母様は言った。


 お作法だけでなく、基礎教養も学んだが、読み書き計算は元から出来たし、領地である程度実務もこなして公式書類の言い回しだとかサインの仕方は知っていたので、これくらい知っていれば十分だろうと言われた。領地で暇な時に身に着けた事が役に立って良かったわ。ただ、皇太子妃なら帝国の歴史や皇室の歴史、帝国の貴族の名鑑は丸暗記しておいた方が良いとは言われた。それは侯爵邸にある図書室にある分厚い本八冊にも及ぶ分量で、そう簡単に覚えられる筈が無いので今回は除外された。時間が掛かり過ぎる。


 これに加えて本当は、お茶会や園遊会、夜会各種の開催要領も覚えなければならなかったのだがとても手が回らなかった。これらはお作法とお芸術のセンスの総合みたいな技量が問われるので、あなたには無理だ、と言われたのだ。無理と言われれば挑戦してやりたくなるのが私なのだが、兎に角時間が無くて無理だった。では皇太子妃になった後にそれらを開催しなければいけない事態になったらどうしたら良いのか?と思ったのだが「その時は私達を呼びなさい」とお姉様たちが力強く請け負ってくれた。有り難い。


 はっきり言って一族では「こんな娘に皇太子妃は無理だ。いや、なってしまっているものは仕方が無いけど、とても一人で帝宮には入れられない」という結論になったらしい。親戚の女性が2人、侍女として付けられる事になった。一人は少し年上の伯爵夫人で名はエステシア、もう一人は私より2つ下の子爵令嬢で名はアリエスだった。親戚と言っても初対面だったが、教育期間中一緒にあれこれやって大分気心も知れた。これなら全然知らない人だらけの帝宮に行くよりは気が楽である。エステシアは通いで、アリエスは住み込みで私の面倒を見てくれる事になった。アリエスは私より少し背が低い金髪がフワフワした娘で「帝宮に住み込みなんて気が重い」と嘆いていた。エステシアの方は私よりも背が高いふくよかな黒髪の女性で、流石に伯爵夫人だけに帝宮も知っているそうでそれほど緊張はしていなかった。


 エステシアの方には侍女というより私の教育係、ボロを出させない係の役目が課せられているらしく、私が何かしでかすと事細かに注意してくれた。アリエスは私の身の回りの世話係だが、私よりはるかにお作法に詳しいから私は彼女にも遠慮無く分からない事を聞いた。二人とも教育期間中に私の無作法を見ていたし、私の性格も把握したらしく、直ぐに遠慮容赦無く接してくれるようになった。何しろ彼女達には一族から私が何かしでかしそうになったら止めるようにという無茶振りが課せられている。それが如何に難しい事であるかを、二人は帝宮に入って何度も思い知らされることになる。


 そんなこんなで大騒ぎしながら準備をした挙句、私とセルミアーネは帝宮に用意された離宮に引っ越したのであった。因みに、住んでいた邸宅はそのままハマルとケーメラに維持して貰う事にした。扱いとしては私達の別邸という事になる。セルミアーネも私も私物はあらかた置いて行った。庶民服や狩りの道具を帝宮に持ち込んでも仕方が無い。


 代わりに侯爵邸から山のように作らされたドレスを始め、家具や部屋の装飾、大量の花など馬車7台に及ぶ引っ越し荷物が持ち込まれた。馬車自体も侯爵家の紋章の入った壮麗なもので、護衛の騎士も着飾り、その豪華さに見物人が出るほどだった。私も純白の花嫁衣裳じみたドレスで完璧に着飾らされて屋根の無い馬車に乗せられている。見物人はそんな私を見て歓声を上げていた。まるで見世物だ。


「なんでこんな目立たなければいけないのですか?」


「侯爵家の令嬢が格上の家に嫁ぐ時はいつもこんなものですよ」


 介添え役として同じ馬車に乗っていたお母様はあっさりおっしゃった。つまりこの車列は、私の嫁入り行列のやり直しなのだ。要するに皇族入りする私の結婚式が先のあれでは侯爵家の威信に関わるから、新たに結婚行列だけでもやり直して上書きしたいらしい。私の気分としては、故郷でやったあれと結婚式とでこれが三回目の結婚式の気分なのだが。先頭の馬車からは花が撒かれ、見物人はそれを拾って花びらをちぎり、私に向かって放り投げる。おめでとうの声も掛かる。まるっきり花嫁への祝福だ。私とっくに結婚しているんだけどね。同じ馬車に乗っている青い礼服姿のセルミアーネも苦笑している。この青い礼服だが、皇族のみに許される軍礼服で、軍に所属している皇子しか着ないものらしい。青は帝国皇室を象徴する色なのだそうだ。結婚式の時に着たのは私との式で一番良い服を着たかったかららしい。確かに複雑な輝きが波打つ青い生地で非常に豪奢だ。皇太子殿下から押し付けられたものだそうだ。


「侯爵に気が付かれたらどうしようかと少し心配だったけどね。ここ何十年も誰もこれを着ていない筈だから大丈夫かと思って着てみたんだ」

 

 なんで気が付かなかったかなお父様。気が付かれたらそれはそれで大変だったろうけど。


 車列は帝都民衆の歓呼を受けながら帝宮に入った。


 私達に与えられた離宮は帝宮本館とほとんど隣接している。帝宮本館は基本構造としてはT字なのだがそこから廊下や回廊で幾つもの離宮に接続されていて、非常に複雑な分かり難い構成になっていた。良く知らないと迷子になる。私は森の中を走り回る事が出来る方向感覚の持ち主なので大丈夫だったが、アリエスは実際何回か迷子になってべそをかいていた。


 離宮自体は皇帝陛下ご夫妻がお住いの内宮もそうだが二階建てのお屋敷でそれほど大きくはない。完全なプライベートスペースなので、落ち着いて寛げる事を優先して造られているからだ。それでも部屋はダイニングだけでも3つ、サロンが8つ、パーティルームが8つ、寝室は個人用寝室と夫婦の寝室があり、クローゼットルーム、化粧室、お風呂、マッサージルーム、書斎などがある。・・・いや、小さくはないな。本館の無茶苦茶な大きさを見てしまって麻痺してるだけだ。何しろ本館はダンスホールだけで幾つあるか数え切れないほどなので。


 持ち込まれたドレスはあっという間にクローゼットルームに収納された。あんなに入るのかしらと思っていたのだけど余裕だった。家具類もあんなにあったのに人海戦術であっという間に収まってしまい、私やセルミアーネの意向も聞きながら配置され、飾り付けられる。侯爵家から連れて来られた侍女や執事もだが、帝宮の侍女や侍従も物凄くテキパキ動いて仕事が早い。下働きをサクサク指示してあっという間に仕事を終わらせてしまった。は~。凄いわ。


 それでも朝入って途中昼食休憩を挟んで、夕方まで掛かった。大変だ。へとへとだ。心配しかないという顔でお母様が侯爵家使用人を引き連れてお帰りになると、私はあやうくソファーに寝そべりそうになった。途端にエステシアに注意される。


「お妃様、気を抜いてはなりません」


 自分のお家で気が抜けないってどういうことなのよ。と思うのだが、普通のお妃様なら帝宮外宮で儀式や社交などで非常に緊張しながら過ごしていたものを、離宮に帰り外向きの仮面を外せるだけでもリラックス出来るのである。私の考える庶民的なリラックスが貴族基準で有り得ない程だらけ過ぎなだけなのだ。ナチュラルに作法やマナーが身に付いてさえいれば、無作法にならなくてもリラックス出来るものらしい。本当かしらね?


 因みに、私はこの時点ではまだ皇子セルミアーネのお妃様である。セルミアーネが皇太子になると私は皇太子妃になり呼称が妃殿下になるらしい。どうでもいい。


 セルミアーネは引っ越しをある程度見たら皇太子府に出勤してしまった。皇太子になる訳だから詰め込み教育の大変さは私の比ではなく。元のお家に住んでいた頃から帰って来てからも毎日遅くまで勉強していた程だ。引っ越しの日でもお休みに出来ない程忙しいのだろう。


 離宮の侍女は私が連れて来たエステシアとアリエス以外に上級侍女が3名、下級侍女が15名いた。上級侍女は上位貴族の子女で私達の身の回りの世話。下級侍女は下位貴族の子女でそれ以外の仕事を担当する。この区分けだとアリエスは下級侍女になってしまうが、そこは妃である私が連れてきた持ち込み侍女なので特別扱いだ。侍女以外にセルミアーネの世話をする侍従と従僕がいる。そちらは私はあまり会わないので人数さえ良く知らない。ただ、離宮の侍従長はハボックといい、彼だけは色々用事があってよく会う事になる。口髭白髪の細身の男性で、50代だそうだ。帝宮は長いそうで何でも良く知ってる、冷静沈着、あまり笑わない。


 離宮の侍女長はエーレウラ・モンベルム伯爵夫人という人で、これまた冷静沈着謹厳実直を絵に描いたような30代後半の眼鏡美人だった。黒髪をいつもひっつめてお仕着せを完璧に着こなしており、笑うところなど見たことが無い。見るからに厳しそうな人で最初は私はビビった。だが、実際にはかなり寛容な方だという事を私は後に知ることになる。エステシアとエーレウラは共に伯爵夫人で、同格の身分、侍女長と持ち込み侍女という事で少し初対面のこの日は緊張していたようだったが、私に振り回される内にそれどころではなくなって、同志的共感からか後には大分仲良くなっていた。


 離宮には他にも平民(ただし貴族出身。予算の都合などで成人の時に指輪が貰えなかった者)の下働きが大勢と、護衛騎士が十数人いる。つまり、お家の中に他人が大勢いるのである。どこへ行っても何をしていても人の目がある。これには参った。お風呂の世話をされるのは、ケーメラに強制的に世話されるようになって大分慣れたから良いとして、トイレの世話までされるのには本当に抵抗があった。何の羞恥プレイだ。だが、貴族のドレス姿では確かに一人ではトイレが出来ないのである。手伝ってもらうしかないのだ。


 覚悟はしていたが、何から何まで違う生活の始まりに私の豊富な筈の体力気力はたった一日でガリガリと削られた。お風呂に入り、まだしも動き易い夜着に着替え、巨大としか言いようがない天蓋付きのベッドにセルミアーネと入り、侍女が「お休みなさいませ」といってカーテンが閉められてセルミアーネと二人きりになって、心底ほっとした。力尽きた。


 セルミアーネも同じようにボロボロになっているだろうが、私はどうしても癒されたくてセルミアーネにがっちりと抱き着いた。は~。ここにだけは以前と変わらないものがある。セルミアーネの筋肉質の身体の弾力、匂い、そして抱き締め返してくれるセルミアーネの腕の優しさと頭を撫でてくれる時の丁重さ。


「疲れた?」


 そしてセルミアーネの穏やかな声だ。


「・・・ごめんなさい。あなたも疲れているのに」


「いいさ。私も草臥れたから君で癒されないとね」


 チュッと私の頭頂部にキスをする音がした。ううう。家の旦那は相変わらず優しい。そして私は情けない。まだ初日、これから延々と続くお妃様生活なのに既にかなりへこたれている。帰りたい。


「大丈夫、大丈夫。ラルなら大丈夫だよ」


 セルミアーネの励ましがしんみりと心に沁み込んで来る。・・・本当は私よりも大変なセルミアーネを私が励ますべきなのに、助けなきゃいけないのに。こんなんじゃいけないわよね。私は自分を奮い立たせた。明日から頑張ろうと思えた。


 は~。やっぱり私、セルミアーネと結婚して良かったな。セルミアーネがいなかったらこんなの一人ではきっと耐えられなかっただろう。私は何となくそう思って、セルミアーネの胸にキスをした。そしてそれだけで満足して眠りに落ちたのだった。セルミアーネがいなければそもそもこんな苦労はしないで済んだのだ、とは不思議と思わなかった。


 


 


 

 


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