一話 野人令嬢
私ことラルフシーヌ・エミリアンは侯爵家の生まれだ。旧姓はカリエンテ。
カリエンテ侯爵家と言えばこの帝国においてはなかなか捨てたもんではない。名家である。なにしろ帝国に12家しかない侯爵家の一つだ。その中でも格としては5番目で、つまり帝国の貴族界では侯爵家の上である某系皇族である公爵家2つを含めても7番目という事になる。
帝国には領地持ちだけでも約700家くらいの貴族がいるのだから。7番目の価値が分かるだろう。分かるよね?
私はそんな侯爵家に生まれたのである。つまりお嬢様だ。ご令嬢だ。控えおろう、って感じだ。しかしながら私は自分が侯爵令嬢だなんて全然知らないで育った。13歳になるまで自分が貴族だなんて一つも自覚が無かった。なぜか。
実は私は兄姉が非常に多かったのである。兄が5人、姉がやっぱり5人いた。父と母は大変仲良しで、母も子出しが良く、毎年の様に子供が出来て生まれたらしい。
しかも家系的に頑健な血筋なのか、兄妹皆健康で、全員が無事に成人まで育った。ちなみに言えば貴族にしては珍しく兄妹の仲は非常に良い。
子供が多いのは良いことだ。子孫繁栄一族繁栄、大変おめでたい。・・・のだが、限度というものがある。
カリエンテ侯爵家はけして貧乏な家では無い。広大で肥沃な領地を持ち、交易事業でも儲けており、帝国貴族としてもなかなか裕福な部類のはずだ。
しかしながら、貴族を一人育て上げるのには天文学的なお金が掛かるものなのである。これは位が高く家の格が高くなればなるほど掛かる。
幼少より施す教育費。これは各教科毎に先生も違うし、家の格に応じた教育を施そうと思えば一流の先生を呼ばなければならないからより高額になる。それから子供一人一人に付けるそれなりに質の高い召使いの人件費。子供はどうしても周囲の人間の所作を真似るから、質の低い召使いを付けると子供の作法が荒れる。だから高額な人件費を払って良家の子女や夫人に来てもらうことが多い。
当然だが一流品を揃えた部屋が必要だ。子供の貴族としてモノを見る目を養わせるためには、一流品に囲まれて過ごさせなければならない。モノの良し悪しを見抜けないというのは上位貴族には時に命取りになる。当然食事もオヤツも一流でなければならず、その食事を作るコックも一流でなければならない。良いコックはそれほど数がいないので、雇うには高給を払う必要がある。
高位貴族は社交において服を一度着たら二度と着ないのが当たり前だ。同じ服を着て社交の場に何度も出たらそれだけで家の格が下がりかねない。この法則は当然子供にも当てはまる。子供にも社交があり、親と出る社交、子供だけで交流する社交があり、結構な頻度で服を使い捨てる。勿論、ちゃんと仕立てた一流品の服をだよ?女の子ならこれに加えて宝飾品も揃えなければならない。流石にこれは使い捨てでは無いけれど、侯爵家ともなれば社交の度に一つくらいは新しい宝石を身に付けて行くのが望ましい。
その他諸々の費用は正にとんでもない額になる。カリエンテ侯爵家は子供が都合11人いるのだから、この出費が11人分だ。流石に裕福な侯爵家だって無理がある。しかも普通は生まれた子供が半分くらい成人するまでに死ぬものだが、カリエンテ侯爵家は全員が元気に育ってしまった。大変喜ばしい事ではあるが、子供を全員一人前の貴族として育てるのは大変で、更に言えば、これは少し後の話になるが、成人してから嫡男以外の子供を婿に出すなり嫁に出すなり。分家を立てるなりしなければならず、その手配と費用は大変だっただろう。
つまり、どういうことかというと、私がカリエンテ侯爵家11番目の子供、末の令嬢として生まれた時にはカリエンテ家の財政は火の車だったのである。そもそもそんな財政状態だと分かっていて、子供を更に作った両親の神経を疑わざるを得ないが、この時両親はもう40代で、流石にもう子供は出来ないだろうと思っていたらしい。私は一つ上の姉とは5歳離れている。その間はちゃんと自重していたのだろう。
そんな訳で私は両親の遅い子供として生まれた訳であるが。その頃には一番上の兄は既に結婚して子供もいた。一番上の姉は公爵家に嫁入りが決まっていた。令嬢の嫁入りにはそれはもう莫大な費用が掛かる。格上の家への嫁入りなら尚更だ。つまりどういうことかというと、私を侯爵令嬢として育てる費用がもうカリエンテ侯爵家に無かったのだ。嫡男の子供の養育と公爵家への嫁入りに比べれば、6女の養育費の優先順位が下がるのは無理からぬことではあった。
両親は悩んだらしい。格下の家に養子に出すことも考えたらしいが、それでもやはり養育費を持たせるのが常識だ。そのお金も無かったそうだ。
結局両親が選んだのは私を領地のお屋敷に送りそこで育てることだった。そして育った後は、領地の有力な平民の家に降嫁させ、領地とカリエンテ侯爵家の繋がりを深める役に立てようと考えたのだった。
これはこれまでもいろんな領地で実際に行われた婚姻政策で、珍しい事例ではない。ただ、生まれた時からそれが決められて、わざわざ領地で育てられるなんて事が普通は無いだけで。私は一歳の誕生日まで帝都のお屋敷で育てられ、それからは領地で育つことになった。
カリエンテ侯爵領は帝都からゆっくり馬車で10日ほど掛かる。森と肥沃な平地からなる豊かな土地だ。農作物はよく採れるし、森には獣も多く肉と毛皮が採れるし、木材を帝都に運ぶ仕事も盛んだ。友好的な隣国と接していて交易も盛ん。この領地でも賄えきれないのだから貴族の子育て費用恐るべし。
領都の外れに侯爵家の領地屋敷はある。広大な敷地を高い城壁で囲った城みたいなお屋敷で、実際有事にはお城になるらしい。流石に侯爵家、という威厳と迫力に満ちている。
のだが、私はこのお屋敷で育てられはしなかった。当たり前だが巨大なお屋敷を維持管理するにはお金が掛かる。私一人を入れるためにお屋敷を開いて年中快適に維持するために使用人を雇ったら、とんでもない費用が掛かってしまう。金欠の侯爵家にそんなお金は無い。そのため、お屋敷は年に2回くらいお父様お母様が来る時のみ最小限の区画を掃除して開けるだけ。それ以外の時は閉めていた。
私はお屋敷の城壁の外にあった庭師の家に住んでいた。小さい藁葺き屋根のお家である。そこにはカリエンテ侯爵家の領地における代官であるキックス男爵が住んでいた。私はそのキックス男爵夫婦に預けられたのである。
このキックス男爵は元々は本当にお屋敷の庭師で、前任の代官が田舎を嫌って領地に寄り付かないので仕方無く代官業務を代行している内に領地経営に詳しくなり、お父様が見出して男爵の位を与えたという人だった。代官となって金欠領主の要求に良く応じ、庭師の仕事も続けて、しかも主の娘を預けられるという無茶振りをされてしまった訳だが、そんな事は感じさせないくらいいつも飄々としていた。それなりにお給料は貰っていた筈だが、小さな家に住んで質素に暮らしていた。
キックス男爵は私が預けられた時で30歳。奥さんは三つ下で27歳。子供はいなかったので私を本当の娘のように扱った。私は二人を父ちゃん、母ちゃんと呼んだ。幼い頃は二人を本当に両親だと思っていた。
ちなみにお父様お母様は別に私の養育を放棄したつもりはなく、年に2回くらい領地に来た時は私を呼んで可愛がってくれた。聞くところによれば高位貴族は一緒の屋敷に住んでいても子供の養育は乳母任せで子供とは滅多に会わない例も珍しく無いのだとか。だから私の扱いが特に酷い訳ではない由。遅くに生まれた子供だから孫みたいに可愛いと言って、いつも帝都から沢山のお土産を持ってきてくれた。帝都からくる優しいだけのお父様お母様の事が私は大好きで、いつも来る時期を心待ちにしていたものだ。何しろ父ちゃん母ちゃんはおっかなかったので。
いや、父ちゃん母ちゃんが厳しかったのは確かだが、私が大概悪ガキ過ぎたのだ。正直、あれくらい厳しく叱ってくれなかったら、私は何をしでかしたかわからない。いや、叱られても色々とんでもない事をしでかした自覚は。ある。
私を預けられた時、父ちゃん母ちゃんは「この子は将来、平民に降嫁させる予定だ」と聞いていたらしい。だから平民に馴染むように育ててくれと。まぁ、貴族らしく育てる予算が無いからとは言わなかったらしいが、お父様の懐事情は父ちゃんが一番よく知っている。そのため、父ちゃんは遠慮無く私を庶民の娘として育てる事にしたそうだ。
平民の家に嫁入りするなら家事全般は出来なければ困るし、平民の生活習慣を知らなければ困る。だからその方針自体は間違っていないだろう、私は母ちゃんに教わって炊事洗濯掃除は勿論、糸の紡ぎ方から布の織り方から服の仕立て方まで教わった。同時に庭師の父ちゃんに付いて森に入り、山菜やキノコやその他野草の知識を教わった。この辺の一般庶民なら必須の知識で誰でも知っている普通の事だった。問題は私の好奇心が色々教わっている内に普通の範囲で収まらなくなってしまった事だ。
私は自分一人で遊びに出かけられるようになると、近所の子供と転げ回って遊びながら野山を駆け巡った。そして必要の無い範囲まで勝手に学び始めたのだった、猟師に付いて歩いて獣の行動を学び、簡単な罠から始めて弓矢も教わり、実際に動物を仕留めて家に持ち帰るくらいは当たり前にするようになった。それくらいならこの辺の活発な子供なら結構する者もあるが、10歳の時に鹿を仕留めたのはそう出来る事では無いので、ちょっと自慢だ。
狩だけではない。川で潜って魚を突き、木に登って木の実を集め、崖を登って薬草を集め、ついでに度胸試しに村の大風車に登って村中を大騒ぎにさせて父ちゃんに殴られた。私は俊敏で運動神経も良く、猟師の身のこなしを教わったり近所にいた元兵士から剣術や格闘術を教わったりした甲斐もあって、そこらの男の子よりもよほど強かった。というか、いつの間にか私は近隣の悪ガキどものボスに成り上がっていた。ついた渾名は野人。猿。女の子が付けられて良い渾名じゃないわよね。まぁ、実はサルの血が混じってるとか言われていたよね。何しろ木登りが得意技で枝から枝へ飛び移って森の中を縦横無尽に走り回っていたから。
私は子分を率いて領都の町や近隣の村を駆け巡り、悪事の限りを尽くした。猟師に協力して獲物を仕留めて、子供と侮る猟師から獲物の大半を持ち去ったり、果樹園の手伝いと称して子分どもと大挙して来襲して収穫物の大半を食べてしまったり、意地悪な漁師の作っている干し魚に大量の猫を連れてきて放ったり、貴重な薬草によく似た、ただの野草を交易商人に売りつけたり、牛と豚を数十頭連れ出して対決させたり、まぁ、結構洒落にならない悪さをした、ここには書き切れない。
いや、良いこともしたのよ?近くに出没した大熊を仲間と協力して仕留めた時はお父ちゃんの顔が引き攣ってたけどみんな褒めてくれた。近所にやってきた山賊を寝込みを襲って一網打尽にした時には領地を守る兵隊さんたちに喜ばれた。母ちゃんは卒倒しちゃったけど。
そんな感じで私は13歳になるまで自由過ぎるくらい自由に生きていた。もちろん遊んでばかりではなく、父ちゃんの庭師の手伝いもしたし、母ちゃんに付いて畑仕事、ワイン作りなんかも手伝って一通り出来るようになった。もちろん、大好きな森の中を相変わらず駆け巡って本職の狩人顔負けなくらい獲物を獲って肉を売ったり毛皮を売ったりして家計を助けたりした。父ちゃんは呆れて「狩人に嫁に行けば良いのでは?」と言ってたっけ。実際、狩人の中には地元の有力者もいたから、そうなった可能性もあっただろう。当時は狩人から一目置かれるくらいの腕はあったから。
ところが13歳の時、領地にいらしたお父様お母様が「あなたを帝都に連れて行かなければならない」とおっしゃったのだ。は?帝都?私が首を傾げていると、お父様が説明して下さった。
なんでも、帝国の貴族の子女は、13歳の春に皇帝陛下に成人のお披露目をしなければならないのだそうだ。お披露目をして初めて貴族であると皇帝陛下に認めて頂けるのだとの事。
当時私は流石に、父ちゃんから私の本当の両親はお父様お母様であるという事は聞いて知っていた。ただ、自分が貴族であるという自覚は全く無かった。なので自分が貴族として認められる為に、というのがイマイチ理解出来なかった覚えがある。
お父様としては、どうせ平民に嫁に出すつもりの娘だから、お披露目に出さなくても良いか、と思っていたらしいのだが、お母様がせめても、と言って下さったらしい。結局私はお父様お母様に連れられて、帝都に行く事になった。帝都にはちょっと行ってみたいと思っていたからちょっとウキウキしながら大きな馬車に乗り込んだのだった。
10日も掛かった道中だが、優しいお父様お母様とずっと一緒なんて初めてだったので私は楽しかった。私が話す日々の生活を聞いてお父様お母様はかなり引いていたけど。礼儀作法なんて知らない以前の問題で、食事を平気で手掴みで食べる私を見て、こんなのを帝宮で行われる成人のお披露目に出しても大丈夫なのか?とお母様は深刻に悩んだらしいが、連れてきてしまったものは仕方が無い。
初めて見る帝都は、いや、何だこれ?としか言えなかった。何しろ、それまで知っていた最大の町が領都なのである。あれが人口大体一千人。帝都は100万人だ。比較にならない。何もかもが大きく、人が兎に角無茶苦茶にいて、うるさくて臭くてゴミゴミしていて目が回りそう。
見るもの全てが新しく面白く、私は馬車の窓にピッタリ張り付き目をまん丸くしていた。お父様お母様はその様子を見て笑っていたが、私が馬車のドアをヒョイと開けて飛び出してしまったので笑っている場合では無くなった。
私は馬車を飛び出ると裸足のまま走り出した。後で騒ぎが聞こえたので一応「ちょっと見物してくるわ!」と言い残して置く。ちなみにその時の服は生成りのブラウスに膝までのスカートにボディスという全くの庶民服(それでも一応新品を着て来ていた)なので私はあっという間に人混みに紛れてしまった、らしい。
私は市場を隅から隅まで楽しみ、路地を走り抜け、大通りを見物し、城壁をよじ登り、低くても5階建という帝都の街並みの屋根の上を走り回った。あまりにデカイ街すぎて1日ではとても探検し切らない。むふー。凄いわここ。そして日が暮れてきたので元の場所に戻ってきたのだが、当然だがもう馬車はいなかった。そりゃそうだ。
幸い、どうしたものかと悩んでいる所をお父様から依頼されて私を探していた巡回の兵士に見つかり、無事に侯爵邸まで送り届けられた。父ちゃん母ちゃんならゲンコツをくれる所だが、お父様お母様は無事を喜ぶだけで一つも怒らなかった。なんだか物足りない。
だがしかし、流石に勝手に出歩いてはいけないと真剣に諭されたので、私はそれ以降は大人しくしていた。父ちゃんからお父様お母様の言うことはよく聞くように言われていたし。
侯爵邸には一応私のお部屋があった。一歳まで使っていた部屋らしいけどそんな記憶はもちろん無い。何にも無かったのだがベッドだけは運び込まれていた。どこかにしまってあった古いベッドだったらしいが、私はいつも藁を布で包んだだけのベッドで寝ていたからそれでもそのふかふかさに感動した。
そしてドレス。もちろんお姉様方のお古だ。私は女性としては平均的な体格だったから一つ上のヴェルマリアお姉様の子供の頃のドレスでピッタリだった。ヴェルマリアお姉様は私の5歳上でこの時18歳。お嫁入りに苦労していたらしい。ドレスを持ってきてくれたお姉様はせっかくだからと私のコーディネートもしてくれた。
いつもはタライに水汲んで水浴びしかしないのに、立派な陶器のお風呂に侍女三人の手を借りて入り、身体中をピカピカに洗われる。ろくに櫛を入れたことも無い銀色の髪も丁寧に櫛削られ、香油で磨かれ、丁寧に結われた。化粧なんてしたことも無かったものを、せっかくだからとちょっとしてくれた。
仕上がった私を見てヴェルマリアお姉様は目をパチクリさせていた。
「随分と見違えたわ。流石は私の妹ね」
姿見を見れば確かに「誰だこれ?」というレベルで別人に化けていた。しかし、コルセットはきついし動き難いし、ハイヒールは歩き難い。こんなんでは狼に襲われたら逃げ切れないわね。とか思っていた。私は自分の美醜に一切関心が無かったから、お姉様やお父様お母様から綺麗になった、見違えたと言われても少しも嬉しくは無かった。
お披露目の日まで私は一月半ほど侯爵邸に滞在し、一応はマナーの講師に基本的な礼儀作法を教わった。焼け石に水だったが。普通の貴族令嬢が生まれた時から厳しく仕込まれる作法をこんな短時間で覚えろというのが無理筋だ。マナーの講師も匙を投げ「とりあえず何があっても微笑んで、喋らなければよろしいでしょう」と言い残して帰っていった。
それでも食事の際のカトラリーの使い方は私が器用なこともあって出来るようになったし、使う順番も覚えた。手づかみダメ絶対。国王様への挨拶のやり方も練習させられて覚えた。それを見てお父様お母様は「これなら何とかなるでしょう」とかなり楽観的な事を仰って、私をお披露目に出す最終的な決断をなさったのだった。
このお披露目式で私の運命は大きく変わることになる。
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