二話 お披露目会(上)

 私は後になって、この時のお披露目会にもしも出なかったらどうだったかな、と何度も想像したものである。


 出なかったら、まぁ、恐らくは予定通りに領地の有力者の子供と縁組されて、18までには嫁に出されていただろう。農家か、商家か、狩人か、はたまた木こりか。その辺りの嫁になり、そして野山を駆け回りつつ子供を産んで育てて死ぬまで領地を出る事無く暮らしただろう。お貴族様とも皇族とも無縁の人生を送ったに違いない。


 しかしながらこのお披露目会での出会いによって、私の人生は根本から捻じ曲がることになる。


 お披露目の日、私はお古だがかなり上等な紺色のドレスを着せられた。毎日着させられていれば流石にドレスにも慣れはした。動きやすいようにこっそりコルセットを緩めて着崩す技も覚えたから尚更だ。今ならドレスのまま木にも上ってみせるわよ。私がそんな事を考えているとは知らない侍女たちは仕上がった私を見て感嘆の溜息を吐いていた。


「素敵ですわ!お嬢様!」


「本当に。今日は殿方が群がってくるかもしれませんわよ」


 ふーん。群がってきたらぶん投げてやろう、などと私が思っているとも知るまい。私は促されて侯爵邸のエントランスロビーへと向かった。ハイヒールも慣れた。これはあれだ。獲物に気付かれないように忍び足で、爪先立って歩く歩き方をすれば良いのだ。


 この一ヶ月、あまりにも暇だった私はお屋敷の中を隅々まで探索した。天井裏から床下まで。領地から持ってきた普段着で歩いていれば下働きの人たちもまさかお嬢様だとは思わずに接してくれて、お手伝いをしたらお駄賃をくれた。私はそれを持ってお屋敷を抜け出して帝都を探検し、買い食いをしたり小物を買ったりした。騒ぎになる前に何食わぬ顔をして戻るなど朝飯前だ。


 お屋敷探検帝都探検もまぁまぁ楽しかったがいい加減飽きてきた。帝都には森が無く、獲物がいない。何だか見たことも無いくらい大きなネズミやゴキブリはいたが。私はそろそろ狩りがしたいのだ。領地に帰りたい。今日のこのお披露目とやらが終われば帰れるはず。私は最後のお務め頑張るぞ!と気合を入れて馬車へ乗り込んだ。


 私が知っている世界で一番大きな建物は、領地のお屋敷で、二番目が帝都の侯爵邸だったが、帝宮はそれを上回ってダントツに大きかった。探検中になんか凄いのがあるな、と思っていたのだが、それが帝宮だったようだ。帝都の奥まったところにある丘全体が帝宮で、磨かれた石で作られた上り難そうな城壁と尖塔に囲まれた真っ白なお城だ。尖塔の青い屋根にはいくつもの彫像が飾られ、それぞれが金や銀で彩られている。馬車はバカでかい門を潜るとしばらく花々の咲き乱れる庭園の中を走り、更にその先の門を潜り、丘を巻いて上る石畳の道をガラガラ走り、そして少し小さいが豪華な装飾の施された門を潜り、また庭園の中を走ってようやく帝宮本館に辿り着いた。


 街の方から見えたのは帝宮本館ではなく、帝宮付属のお役所群みたいな建物だったと後で知った。帝宮本館は5階建ての一目で全体が視界に入らない程の巨大な白亜のお屋敷で、色鮮やかな青い屋根が印象的だった。馬車が軽く30台は停められる車止めで馬車を降りた私はあまりの豪華さ巨大さに呆れてしばらく口が塞がらなかったわね。ただ、お父様お母様は流石に帝宮など来慣れているので、私を促してさっさとエントランスロビーへと入って行く。目に染みるような青い絨毯のロビーには既に数家の貴族たちが家族でいて、お父様お母様に挨拶をしに来た。何しろお父様は侯爵だ。この日、成人のお披露目に出る貴族の子女は25名いたのだが、実はその中で最上位なのはこの私、ラルフシーヌ・カリエンテ侯爵令嬢だった。


 すると、私達の方に若い、騎士と思われる男性がゆっくりと近付いてきた。男性と言うよりはまだ少年、子供に見える。お父様が目をやると、胸に手を当てる騎士の礼をして、その少年は微笑んだ。


「カリエンテ侯爵閣下。初めて御意を得ます。私は騎士、セルミアーネ・エミリアンと申します。本日、お嬢様のエスコートを皇帝陛下より仰せつかりました」


 ストレートティのような、艶のある髪色の少年だった。端正な顔立ちで、目を細めると青い瞳が優しい輝きを放つ。背丈は私より僅かに高い。かっちりとした紺色の騎士の制服を着ていて、身のこなしも機敏で隙が無かった。・・・こいつ、結構やるわね。強そう。


「おお、そうか。ではラルフシーヌをよろしく頼むよ」


「承りました」


 そしてセルミアーネは私の方を向き、跪いた。


「本日、あなたのエスコート役を賜りましたセルミアーネと申します。よろしければ私に右手をお預け下さいませんか?」


 そして私の方を見てニッコリと笑った。まだ少年の無邪気さを感じる笑顔だった。私は一応、今日の手順を聞いていたので、黙ってセルミアーネに右手を差し出した。


「ありがとうございます」


 セルミアーネは私の指先に軽くキスをすると立ち上がり、私の手を取って先導して歩き始めた。


 お披露目式では令息の場合は一人で入場だが、令嬢の場合はその年に16歳、正騎士になったばかりの中から選ばれたエスコート役が付くのだ。セルミアーネはくじ引きの結果、私のエスコート役になったのだった。


 セルミアーネは時折私の事を見て、スピードを調節して歩いてくれた。まぁ、私はもうハイヒールで全力ダッシュ出来るけどね。お作法の先生が言ったようなシズシズ歩きは最初から出来ないと諦めているし。私は帝宮内部をキョロキョロ見回しながら歩いた。装飾が何様式だ、とかは全然分からないが、何だかどこもかしこもキラキラしてて面白い。あと、天井がむやみやたらと高く、シャンデリアが何個も釣り下がっているのも面白い。あれにぶら下がって、飛び移って回ったら面白そうだ。


「ラルフシーヌ様は帝宮は初めてですか?」


 セルミアーネが微笑みながら聞いてきた。なんでこの人いつも笑っているんだろう?とこの時の私は思っていた。貴族の表情は作り笑いが常識だなんて知らないわよ。


「そうよ。というか、帝都にも初めて一か月前くらいに来たの」


「そうなのですか?御領地でお育ちになったのですか?」


「そう。は~。早く帰りたいわ。ここには森も無いし、狩りが出来ないんだもの」


 すると、セルミアーネが目を瞬いて言った。


「ありますよ、森」


「え?どこに?」


 私は結構帝都を探検したけど、公園が何ヶ所かある以外はどこもゴミゴミと建屋ばかりだった筈だ。セルミアーネは微笑みつつあっさり言った。


「帝都の城壁のすぐ外に。東の門を出ると大きな森があります。狩りも出来ますよ」


 うわ~マジか!私が帝都に来た時は反対側の西門から入ったのだ。それで分からなかったのだろう。これは、ちょっと見ないでは帰れないわね。明日にでもお屋敷を抜け出して行ってみねば。


「ラルフシーヌ様は狩りをなさるのですか?」


「ラル、で良いわ。そうよ。狩りが好きなの!ねぇねぇ。この辺にはどんな獲物がいるのかしら?熊はいる?赤い毛の大熊より大きい奴はいないのかな?」


 私が言うと、セルミアーネの微笑みが少しこわばった。


「く、熊?ラルフシーヌ、ラル様は熊も狩るのですか?」


「ラルだけで良いわよ。赤い毛の大熊までは狩ったことがあるの。弓矢でね。黒い小さな熊なら槍で刈ったことがあるわ。灰色の毛の大熊は赤い毛の奴より大きいって聞いてたから、いつか狩ってみたいのよね」


 セルミアーネが何だか微笑みを硬直させている。だが私はまだ見ぬ大物に想いを馳せていたから気が付かなかった。


「その、灰色の大熊というのはキンググリズリーの事だと思いますが、あれば出たら騎士団が出動するような代物ですよ。とても狩りの対象にはなりません」


「あら、赤い毛の大熊も本来は兵士たちが総出でやっつけると聞いたわ。あれを狩れたんだから灰色の奴も狩れるわ。多分」


 セルミアーネが流石に微笑みを消して唖然とした。私は自慢げにふふふんと笑って言った。


「いつか竜も狩って見たいのよ。北の方には居ると聞いたわ?見た事無い?竜」


「・・・竜は弓矢や剣では狩れませんよ。古の魔法とやらが必要だと聞きました。数年前にキュアンの街に出たそうですが、半日で街が燃えてしまったのですよ。出たら逃げるしかありません」


「え?本当にいるの!やっぱり!うわ~!凄いわ!どうやって狩ろうかな!」


「私の話を聞いていますか?ラル?」


「聞いてるわよ、え~、セルミアーネ。めんどくさい。ミアでいい?」


 セルミアーネは苦笑した。作り笑いではない笑い方をするとまだまだ子供の面影を色濃く残している。


「はぁ。良いですよ。ラル。あなたは本当に面白いお嬢様みたいですね」



 今日お披露目される25人は大謁見室手前の控室に集められた。この控室は物凄く広く、いくつもの柱が立ち並ぶ中にソファーが点在していて、その一つ一つに令嬢や令息が行儀良く座って待っている。ちなみに、ここでは既にお父様お母様はいない。私の側にいるのはセルミアーネと、世話係の侍女が二人。広いのでソファーの間はかなり離れていた。令嬢令息は皆、緊張して座っているようだ。べちゃくちゃ話しているのは私だけだった。私はセルミアーネと狩りの話題で盛り上がっていたのだ。


 セルミアーネは帝都で生まれたのだが、騎士だけあって訓練も兼ねて狩りを良くやるそうで、話が合ったのだ。流石に熊は狩ったことが無いと言っていたが。話を聞けばやはり領地の辺りとは動物の種類も違うらしく、手強そうな獲物もいるようだった。灰色の大熊はやはり赤い毛の大熊より少し大きいらしく、弓矢も簡単には通らないそうで、騎士団が出撃しても返り討ちに会う事もあるとか。・・・ワクワクして来た。是非狩ってみたい。


 そうこうしている内に時間になったらしい。令嬢令息が集められ、整列すると、豪華な装飾の施された大扉が厳かに開かれた。


 扉の向こうは大謁見室で、控室よりは狭いが天井はさらに高い広大な空間だった。列柱が左右に並び。その間に青いカーペットが真っ直ぐに伸びている。その左右には私の両親を含めた大勢の着飾った貴族たちが立ち、カーペットの突き当りには高さ5mくらいの階があって、その上に席が二つある。あれが皇帝陛下と皇妃陛下の席だろう。私が先頭で(何しろ一番高い身分なので)入場すると、貴族たちが一斉に拍手をした。200人以上はいる人たちが拍手をするとワーっと盛り上がる。私は何だか楽しくなったが、後ろの令嬢の中には怯えて泣きそうになっている子もいた。


 私はセルミアーネにエスコートされながらニコニコしながら歩いた。セルミアーネと狩りの話をしてテンションが上がっていたし、こんな風に注目されるのは初めてだったので楽しかったのだ。いや、領地で注目される時は悪さをして大ぜいの大人に追い回され怒られ、怒鳴られる時だったし。


「緊張しないんですか?ラル」


 セルミアーネが少し固い微笑みを向けて来た。


「なんで?何を緊張するの?」


「・・・いや、良いです。本当に変わったご令嬢だ」


「それより、何をどうすれば良いのか教えてよ?何にも分からないんだからね」


「それでどうしてそんなに堂々としていられるのかが不思議なんですが」


 私達は階の前まで出ると跪いた。右手を胸に当てて頭を下げる。と、セルミアーネが丁寧に説明してくれたのでその通りにする。皇帝陛下の御許可が頂けるまでその姿勢を保つ。ほうほう。


「皇帝陛下、皇妃陛下、ご光来!」


 侍従が呼ばわって、左右の大勢の貴族が一斉に頭を下げる。しばらく待っていると、重々しい声が頭上から振って来た。


「顔を上げよ」


 よし。ご許可が出た。私はひょいと顔を上げようとしたが、セルミアーネが鋭く「ゆっくり!」と言ってくれたのでゆっくりと顔を上げる事が出来た。貴族の動作は何をするにもゆっくり丁寧に優雅にやるのが良いらしい。


 顔を上げても高い階の上に居る皇帝陛下は良く見えない。長身の、恐らく50歳くらいの薄茶色の髪をした男性だ。顎髭を生やしている。・・・結構強そうだ。領地での兵士で一番強いおじさんよりも多分強いな。それもその筈、後で知ったが皇帝陛下は若い頃は猛将として戦場を駆け巡った戦士だったそうな。相手の強さを瞬時に見抜けないようでは良い狩人にはなれない。私の勘はこの人は怒らせない方が良いと告げていた。私は神妙な顔をして跪いていた。


「帝国の尊い一族に加わる者たちよ。其方たちを全能なる神に代わって祝福しよう」


 皇帝陛下が良く通るお声で仰った。するとその隣の皇妃陛下も微笑みを浮かべながら声を上げた。皇妃陛下は黒髪の細身の方だった。


「おめでとう。あなた達の未来に全能神のご加護がありますように」


 すると周囲の貴族たちから再びわっと拍手が巻き起こる。奥の方に控えていた楽団が祝いの曲を演奏していた。正直、私は誕生日を祝われた経験すらないので、こういう風に祝ってもらうのは悪い気分ではなかった。思わず万歳をしたくなるが、セルミアーネが横眼で「おとなしくしていて下さい」と見ているのでここは自重だ。


「では一人ずつ上がって下さい。最初はラルフシーヌ・カリエンテ侯爵令嬢」


 階の手前にいた偉そうな方(帝宮の侍従長だったそうな)に促されて、私はセルミアーネに手を引かれて階を上がる。階段の上り方にも作法がある筈だが、忘れた。ひょいひょいと上ってしまおう。セルミアーネは苦笑するだけで何も言わない。


 階の上に上がるとお席に座っている皇帝陛下と皇妃様に一礼する。皇帝陛下は思った通り目つきの鋭い物凄く強そうな方だった。ただ、笑顔は意外なほど慈愛に溢れていて、優しい人でもあるようだ。皇妃陛下もニコニコ笑っていて、こちらもそもそも優しい方なのだと思える。私はスカートを軽く広げて膝を沈め、頭を軽く下げた。一応教わった通りにやった。そして、教わった挨拶を暗唱する。


「全能なる神の代理人にして、帝国の偉大なる太陽、輝ける栄光の座、東西南北を統べるお方、剣と天秤の守護者、いと麗しき皇帝陛下よ。私、ラルフシーヌ・カリエンテは陛下に絶対の忠誠を誓い、帝国の安寧のために全ての力を捧げると誓います」


 皇帝陛下は頷かれ、私に右手を差し出した。私は立ち上がり近付き、また跪くと陛下のお手を取り、指先にキスをする。そしてまた立ち上がり、今度は皇妃陛下の元に跪き、皇妃陛下の指先にキスをする。そして、セルミアーネの横に戻った。ふう、これで終わり。多分間違い無く出来たんじゃない?


「カリエンテ侯爵の六女だったか?今まで見たことが無いような気がするが、帝都にはいなかったのか?」


 いきなり皇帝陛下が話し掛けて来た。事前に聞いていた段取りでは皇帝陛下にご挨拶して大臣に指輪を貰ったらすぐに下がる事になっていた筈。セルミアーネも若干驚いていたから普通の段取りでは無い事なのだろう。驚いた私は思わず素が出てしまった。


「ええ、そうよ」


「ラル!」


 セルミアーネに注意されて私は失敗に気が付いた。え~っと。


「そ、そうでございます。カリエンテ侯爵領?で育ちました」


 皇帝陛下も皇妃陛下も面白そうに笑っているだけで別に怒ってはいなかった。結構この人たちフランクな感じなんじゃない?


「そうか。さっきそこの者が愛称で呼んだようだが、以前からの知り合いか?」


「え?ミアですか?さっき初めて会いました」


 セルミアーネが何だか顔を真っ赤にして天を仰いでいる。なんだろう?


「さっき会ったのに愛称で呼び合う程親しくなったのか?」


「え?普通じゃ無いんですか?家の辺りでは会って気が合えばすぐに愛称を教え合うんです」


「という事は気が合ったのか」


「ええ。狩りの話で仲良くなったのよ」


 皇帝陛下は横に控えている大臣と立派な騎士様が困惑するくらいウケてククククっとお笑いになった。皇妃陛下もクスクス笑っている。


「そうなのか?『ミア』?」


「其方にそのような可愛い愛称があるとは初耳ですね」


 皇帝陛下と皇妃陛下がからかうようにセルミアーネに声を掛けたが、彼はことさら謹厳な顔を作って正面を向いているだけだった。この時、私に少し知識があれば、皇帝陛下が一介の騎士であるセルミアーネに親し気に声を掛けた事を不思議に思ったかもしれない。


 若干驚いたままの大臣から貴族の証になるという金の指輪(伯爵以上は金、それ以下は銀なのだそうだ)を頂いて、私は皇帝陛下と皇妃陛下に一礼してポンポンポンと階を降りた。あ、しまった。セルミアーネは諦めたように苦笑しながら私の後をゆっくり降りて来た。


 元の位置に戻ると、周囲の人や同じお披露目に出る子供たちが目を丸くして私の事を見ている。?何?キョロキョロすると、お父様お母様が卒倒せんばかりの真っ青な顔色をして私を凝視していた。???何?


「私、何したかしら?」


「何の自覚も無いというのがある意味すごいですね」


 セルミアーネが心底感服したというような声で言った。しかしながら彼はまだ私と出会ったばかりで良く知らなかったのだ。故に分かっていなかったのである。私が何かしでかすというのは、この程度で済むようなレベルの出来事では無いのだという事を。


 

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