猫の手も借りたいとは言うけれど【KAC2022第9回】

はるにひかる

 

 『猫の手も借りたい』

 忙しい時なんかに、よくこんな言い回しをするけれど、忙しい時にそんな事をしたら――。


「11番テーブルのオーダー上がり! あ、ヒマちゃん、お願いね!」

「わ、は、はい!」

 私が指示すると、西表いりおもて向日葵ひまわり――ヒマちゃん――は、カウンターの上に出されたスイーツを崩さない様に、そーっとトレイの上に載せて、更にそれをそーーっとずらして手の上に乗せた。そして、フォークなどの忘れ物が無いか、1つ1つ指差し確認。

 丁寧なのは良いんだけど、その間にどんどんオーダーされたスイーツやドリンクは上がって行くし、提供を済ませて戻って来たスタッフの列が出来てしまう。


 今、私が働いている喫茶店チェーンでは、有名ショコラブランドとのコラボスイーツを提供していて、普段ならアイドルタイムと呼ばれる昼下がりにも、お客さんは次から次へとやって来る。土曜日とは言っても、流石に満席は行き過ぎだ。

 過去の経験から確実にこの日は人手が足りなくなるからと前以て店長に人を増やす様に直談判していたところ、やって来たのが、このヒマちゃん。


 ヒマちゃんは、この喫茶店に今月入ったばかりのアルバイトで、まだ片手で数えられる位しかシフトに――それも、短時間しか――入っていない女子高校生だ。

 チャキチャキ動こうと頑張っているからか、後ろで1つに纏めた髪がその歩みに合わせて跳ねるのが可愛い。

 一方の私――瀬田藍里せたあいり――はこのお店で働き始めてもう4年目になる、女子大生。バイトリーダーなんて任されて来たけれど、来月の4月からは就職の為、退職してしまう。


「でも、まだ入ったばかりのヒマちゃんじゃ――!」

「忙しい時には猫の手も借りたいって言うだろ? 西表さんなら、丁度良いじゃない」

 今朝出勤した私にヒマちゃんが入る事を伝えて来た店長は、そんな事を宣った。

 ――何を言っているんだろう、あの人は。

 実際にこんなに忙しい時に不慣れな子を入れてしまったら、接客が滞って、出来る他のスタッフはイライラしてしまうし、本人はパニックになってしまうし、誰にも良い事は無いのに。

 ……って、今になって気付いたけど、ヒマちゃんの名字イジリをしていたのか。今度会ったらどうしてくれようかしら。

 うちの店長の持論は“習うより慣れろ”だから「新人さんもどんどん忙しい時に入って貰えば、やって行く内に出来る様になるでしょ」って言うけれど、私達がどれだけ苦労しているか。

 多少は仕方が無いけれど、余裕の有る時でないと、教える方の目が行き届かないし教わる方も何と無くなあなあに覚えてしまう。だから、同じ事でも訊いてみると人によって言う事が違う事が幾つも出て来る事になる。

 ……私も気付いた時には直して来たけど、私が辞めた後の事は、知りませんからね。


 ――ピピピ。

「オーダー入ります!」

「はーい!」

 新しいオーダーの伝票が出て来たので、丁度戻って来たホールの子がそれを取って読み上げてくれる。

「アイスワン! ナポリタンワン! ――あっ、これ……」

「どうしたの?」

 キッチンからカウンター越しに声を掛けると、その子は困惑した声を上げた。

「ショコラデニッシュも有るんですけど、お食事と一緒か後かが入っていなくて……」

 このお店では、と言うのもなんだけれど、デザートとお食事を一緒に頼まれた時にはデザートを提供するタイミングを訊いて、注文と一緒にハンディに打ち込む事になっている。

「誰?」

「ええっと、西表さんですね」

「ああ」

 担当の欄には、【西表】の文字。テーブルナンバーは13番になっているから、さっきのお料理を提供しに行ったついでに頼まれて、慌ててしまったのだろう。

「どうします?」

「ああ、本人に確認させるから、あなたは今出来たこれ持って行って」

 話しながらもドリンクを用意した私は、カウンターに置かれたその子のトレイの上に、伝票と一緒に置いてあげた。


「あ、ヒマちゃん。さっきのオーダーの事だけど……」

「えっ?! 私、またやっちゃいました?!」

 入れ替わりで戻って来たヒマちゃんに声を掛けると、ヒマちゃんの身体はビクッとして固まった。……店長、1回1回怒り過ぎですって。

「んー、13番さん、ショコラデニッシュはお食事と一緒か確認して来てくれる?」

 伝票のショコラデニッシュの所を指で示しながら、ヒマちゃんにお願いする。

 ちゃんと打ち込まれている時は、商品名の下に【同】か【後】か表示されている。

「あ、す、済みません、訊いて来ます!」

 膝に付くんじゃないかと思う位の勢いで頭を下げて、ヒマちゃんは13番テーブルに向かって行った。……これ、ひょっとして私が怖がられている? だとしたら、ショックだな。

「き、訊いて来ました! 後でだそうです! あ、う、打ち直しますね!」

「あー、それは書いてくれれば良いや。店長には内緒だけどね」

 こう云う時に慣れて無い人に打ち直して貰うと、大抵は混乱してにっちもさっちもいかない大変な事になる。……店長は絶対に打ち直させるけれど。

「えっ? あっ、はいっ! ありがとうございます!」

 うん、やっぱりヒマちゃんは笑顔が一番。……なんて、とても言えないけれど。

「後で、研修モードで確認しようね。あ、このドリンクお願い!」

「はいっ!」


   ☕☕☕


「お先に失礼しまーす。お疲れ様でした!」

 遅番で入った社員さんへの引継ぎを終わらせて、バックヤードのロッカーに戻る。

 すると、「ヒック、ヒック」と泣く声が聞こえて来た。

 今日私と同じ時間にあがるのは、ヒマちゃんだったと思うけれど……。

 ロッカーの陰から覗くと、椅子に座ったヒマちゃんが泣いていた。

「ヒーマちゃんっ!」

 お道化て声を掛けると、ビクッとしたヒマちゃんはゆっくりとこっちを確認して、凄い勢いで涙を擦って何でも無い様な顔で「先輩、お疲れ様です!」と笑った。

「どうしたの? 着替えないの?」

「……あの、先輩?」

「ん?」

「今日は迷惑掛けてばかりで、ごめんなさい……」

「んー? まあ、仕方が無いよ。今日みたいに忙しいのは初めてだったんだし」

 そう言っても、ヒマちゃんは納得しない様に首をブルンブルンと振るった。

 こんな時でも、そのお下げが可愛いと思ってしまう私は、きっとおかしいんだろうな。

「先輩、もう直ぐ辞めちゃうのに、全然良いところ見せられなくて……。こんなんじゃ、嫌われて終わっちゃう」

 ちょっと待って。そんな事言われると、お姉さん、勘違いしちゃうよ?

「何で? 嫌わないよ? ヒマちゃん、ずっと一生懸命やっているのが分かるし」

「せんぱい……うう……せんぱーい!」

 隣に座って頭を撫でてあげると、ヒマちゃんは泣き出して私の胸に飛び込んで来た。……ああ、もう! ヒマちゃんのはそう云うのじゃないんだってば!

 頭を撫でるのをめて背中を撫でてあげると、ヒマちゃんの呼吸は落ち着いて来た。

「落ち着いた?」

「……はい、済みません……。自分が不甲斐無くて……。先輩に出来るところを見せたかったのに」

「ありがとう。その気持ちが嬉しいな。私、ヒマちゃんの事が好きだから――」

「えっ?」

 驚いたヒマちゃんが顔を上げて私の顔を見た。

 ――あれ? 私、口が滑った?

「あ、好きって言っても、そう云うのじゃなくて――」

 ポスッ。

 慌てて言い繕おうとした私の胸に、ヒマちゃんはまた頭を預けて来た。

「――えっと、ヒマちゃん……」

「そう云うのじゃ、無いんですか?」

「えっ?」

 驚く私の身体を、ヒマちゃんの両腕が捕えた。

「そう云うのが良いです……」

 えっ?

「良いの? 私、女だし、6つも上だよ?」

「関係無いです。先輩が良いです。一目惚れだったんです。それから、先輩の優しさに触れて、もっと好きになって……。先輩はやっぱり関係有りますか?」

 モゾモゾと動く口許がこそばゆい。

 その頭を、優しく抱き締める。

「ありがとう、嬉しい。私も、関係無いわ」

「本当ですか?!」

 私が隠していた想いを伝えると、嬉しそうに叫んだヒマちゃんが、勢いよく顔を上げた。

 ――ので、それに引っ張られた私の唇が――。



   ☕☕☕



 猫の手を借りた結果、私には恋人が出来た。


 よろしくね、私のちゃん――。

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