黒猫の配達員

甘木 銭

黒猫の配達員

「今日からお世話になります。若宮カズトです」

 バイトにやって来たのは、見下ろしてしまうほど小さく、全身真っ黒な猫だった。


 トラックの配達ドライバーになってから三年。

 お中元などで荷物の量がどっと増える夏の繁忙期は、毎年目が回るほど忙しく、体力気力共にげんなりしてしまう。


 そんなお疲れのドライバーを助けるため、毎年夏休みの学生がトラックの横乗り、つまり配達の手伝いをするため一緒にトラックに乗る要員として、短期のアルバイトに来るのだが。


 今年のバイトは猫だった。

 最初は忙しさのあまり自分の頭が行かれてしまったのではないかと疑ったが、どうやら本当に猫らしい。


 猫の手も借りたいほど忙しいとはいえ、まさか本当に猫が来るとは……


 採用担当者に尋ねると、


「うちの看板にも猫居るし、良いんじゃないかなって」


 そういう問題ではないだろう。


 しかし雇われてきた以上、働かせないわけにはいかない。

 今日の配達業務をこなすべく、彼をトラックに乗せていつものルートを走り始めた。


 猫とはいえ、仕事の相方だ。

 ずっと黙っている訳にはいかないだろう。


「若宮君は大学生?」

「そうです! あ、カズトでいいですよ! 友達からは基本そう呼ばれてるんで!」


 友達かよ、と思ったが配達中は何時間もトラックで二人きりなのだ。

 親しくできるならその方がいい。


 目的地について横を向くと、彼はすやすやと眠っていた。

 車内は冷房が効いているが、適当に日も差し込んでくるので気持ちのいい状態になっているのだろう。


 シートベルトをつけている上に、丸くなるのではなくシートに座るような姿勢になってはいるが、猫が普通に寝ているようにしか見えない。


 一応勤務時間中なので、揺さぶって起こすと、彼は何度か瞬きした後、軽く伸びをした。


「じゃあ、俺はこの荷物持って行くから、カズトくんはトラックで待ってて」

「自分はどうしてたらいいですか?」

 身を乗り出しながらカズト君が聞いてくる。


「手伝いが必要なときに呼ぶから、それまで好きにしてていいよ」


 カズト君は明るく返事をして、シートの上にちょこんと座り直した。

 俺が荷物を届けてトラックに戻ってきたとき、カズト君は携帯をいじっていた。


 まあ寝てさえいなければなんでもいい。


 それにしても、肉球でタッチパネルの操作ができるものなのだろうか。

 というか、人間用と同じサイズの携帯をどこに持っていたのだろう。


 俺がトラックに乗り込んで伝票をしまったところで、カズト君は家の中に携帯をすっぽり包んでしまった。

 彼は服を着ていない。


「よくそんなところにしまえるね」

「まあ、生活の知恵ですねー!」


 言っていることの意味はよく分からなかったが、彼なりに丁度いいところに落ち着いているようだった。


 さて、配達の業務には個人への宅配の他にも、業者や商業施設への大量の納品がある。

 そして、そういう施設への配達とともに、店舗の配送サービスに出されたお中元の荷物を回収していくのだ。


 大きい商業施設になると、お中元の荷物が一日に五十個ほども出ることがある。

 そういう大量の荷物の積み込みをこそアルバイトに手伝ってもらうのだが。


「すみません、重すぎて持ち上がらないです」

 猫であるカズト君は二キロを超える荷物が持てなかった。


 結局お菓子やタオルのような軽い荷物だけ持たせて、酒やジュース、調味料の詰め合わせといった重い物はすべて俺がトラックに積み込んだ。

 これでは彼がいようといまいと疲れの度合いは変わらない。


 おまけに、黒猫は軽い荷物の運搬でスタミナを使い果たしたのか、センターに帰るころには彼はシートの上で真っ黒な塊になっていた。


 まったくこれでは先が思いやられる。


「おう、カズト君。もう慣れたか?」

「ええ。でもやっぱり重い荷物は無理です」

「そりゃこんな細腕じゃなぁ!」


 あれから二週間。

 カズト君は相変わらずあまり役には立たなかった。


 しかし、明るい性格の為か、先輩ドライバーたちには人気で、昼休みにはいつもおっさん連中に囲まれている。


「タバコ吸うかい?」

「いやー、未成年なんで遠慮しとくっす!」

 まず猫に吸わせて大丈夫なんだろうか。


 先輩達は一緒に働いていないから気楽なものだ。

 こちらは苦労ばかりなのに。


 なんにせよ、今日も午後の業務をしなければならない。

 いっそ置いて行こうかとも思ったが、カズト君を呼んで、トラックは今日も出発した。


「あ、やべ」

 やはり重い物は全く手伝ってん歩らえないまま配達をこなしていたら、その疲れが出たのか、目的の家を通り過ぎてしまった。


「ここ一方通行だから、回って戻らないとな」

「降りて持って行っちゃダメなんですか?」

「狭い道だからトラック停めてたら文句言われるんだよ。いっつもトラックから降りずに上手いことポストに入れてるお宅なの」


 そう言いながら、俺はカズト君に持たせていた荷物を顎で指した。

 袋に入った、ポストに投函するサイズの荷物。


 こういった荷物はいちいちに第二探しに行くのも面倒なので、助手席にまとめて置いている。

 今は助手席には小さいながらもカズト君が座っているので、手に持ってもらっているのだ。


「それなら、自分が行ってきます。さっきの黒いポストですよね」

 そう言うとカズト君は、役に立っているのかいまいちわからないシートベルトを外して、窓を開けた。


「え、ちょ」

「先に出といてください! ほら、後続車来ますよ!」

「お、おう。出たとこの道で待ってる」


 カズト君は荷物を抱えて、するりと身軽に窓から外へ出て行った。

 急いで道を抜けて大きな道に出ると、路肩にトラックを停めた。


 しばらくすると、無事荷物を届けたらしいカズト君が四足走行で戻ってきた。


「お疲れ、助かったよ。ごめんね走らせちゃって」

「いえいえ!」

 トラックに乗り込んだところで、思わずため息をついてしまった。


「お疲れですか?」

「まあ、ね」


 おかげさまで。

 その言葉はかろうじて飲み込んだ。


「撫でますか?」

「は?」

「いえ、癒そうかと」

 彼の目は真剣そのものだった。


「えっと……」

「まあまあ」

 こちらが何とも言わないうちに、撫でられるのを待つようにシートの上に横になる黒猫。


 満足するまで付き合ってやるか。

 そう思って渋々手を伸ばした。


 以外にも、柔らかい。

 そして温かかった。


 撫でたい気持ちなど最初は一切なかったのだが、しかし。

 気が付けば、長々と彼の背中を撫で続けていた。


「どうですか?」

「あー、うん。ありがとう」


 にごしてしまったが、思った以上に良かった。

 こんな単純な、と思うが、それをしてしまうのが猫の恐ろしい所か。


 思えば、俺は彼に力仕事ばかりを期待しすぎていた。

 しかし、猫の手でそんな荷物を持てる訳が無いのだ。


 適材適所。

 彼が得意なのはむしろ今のような……いや、さっきのように身軽さや素早さを生かせることかもしれない。


 出来ないことを責めるよりも、出来る範囲で何をさせるかだ。


 彼のバイトが終わるまで残り二週間。

 その間に彼とどうやって働いて行けるだろうか。


 そんなことを考えながら、俺はまたハンドルを握った。







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