サキュバスの故郷

「普通に車で行くんですね」

「えぇ。このまま秘密の道を通って故郷に向かうわ」


 秘密とは、ちょっと翆はワクワクしていた。

 今日は約束通りサキュバスの故郷に向かうため、小清水家のみんなと一緒に車での移動になった。

 普通に国道を通っての移動みたいだが、こうして実際に誰でも使う道路を通ってサキュバスが住む場所に向かう……それは正に未知の感覚だった。


「……すっげえ良い車だ」


 こうして今翆が乗っている車だがかなり高そうな車だ。

 まだ子供ということで車の価値については詳しくないのだが、車種はどこかで聞いたような気がしたのでかなり値段はするのだろう。


「母さん結構稼いでるから」

「うんうん。そんな母さんのおかげで私たちは不自由なく生きれてる。ありがとう母さん」

「……いきなりどうしたの? お母さん泣いちゃうわよ?」


 娘二人の言葉に璃々夢は本当に泣きそうだった。

 そんな家族のやり取りを見ていた翆は終始笑顔で、やっぱりどんな家族でもこんな温かな光景を見れるのは幸せなことだった。


「……早く着いてほしいなぁ」

「ふふ♪ ジャンケンで負けた姉さんが悪いわ」

「まあまあ」


 助手席に座る凛音の言葉に沙希亜がそう返した。

 俺の隣に誰が座るのかでひと悶着あったが、ジャンケンを制したのは沙希亜で彼女が今翆の隣に座っている。

 助手席に座る以上翆に対して何もできないのは当然だが、どうもそれが凛音には物足りないみたいだ。


「翆君、そろそろよ」

「え?」


 沙希亜にそう言われ翆は何のことかと首を傾げた。

 ふふんと笑った璃々夢さんが一気にアクセルを踏み込むと、一気に車は加速していく。


「ちょ、ちょっと!?」

「もっともっと速くなるわよ!」


 法定速度は守らないと、そう言いたくなったが翆の目の前には不思議な光景が広がっていた。

 それは前後を含めて対向車が一切走っていなかった。

 おかしい、それはあまりにも異常な光景だったのだが……更に景色まで変わっているではないか。


「……ファンタジーかよ」


 そう、目の前に広がる景色は正にファンタジーそのものだった。

 現代における緑に囲まれた国道を走っていたはずなのに、気付けば翆たちが乗る車は確かに道路を走っているが周りの景色は山々ではなく繁華街のような場所だ。


「……なんていうか、派手な街並みだな」

「そうね。サキュバスが多いからこんな風に夜の街をイメージしているの。それに時々だけど普通の人が迷い込むこともあるから」

「そうなのか?」


 沙希亜は頷いた。

 詳しく聞くとここは確かにサキュバスたちが住む街ではあるのだが、稀に普通の人が迷い込むこともあるらしい。

 その時は女性ならば丁寧に持て成し、男性も丁寧に持て成すがちゃんと癒しの時間を提供するとのことだ。


「ちゃんと外に送り返すときに記憶は消すのよ。じゃないと翆君の居る世界に私たちのことが筒抜けになっちゃうからね」

「へぇ」


 確かに記憶をそのまま持って帰れたらサキュバスの存在は公になっているはずなのでなるほどなと納得出来た。

 それにしてもと、翆は外の景色を見た。

 街並みの中に居るのはどこまで行っても女性だけ、しかもみんな恐ろしいほどにスタイルが良く美人だった。


「サキュバス……か」

「えぇ。文字通りみんなサキュバスよ」


 まるで男の欲望を詰め込んだような肢体を持った女性たち……傍に沙希亜や凛音という大切な存在が居るので見惚れるまでは行かないが、まるで見えないはずの香りがピンクという色を付けて漂ってくるような気さえしてくる。


「そろそろ止めるわ。翆君、普通にしていて大丈夫。近くには私たちが居るから胸を張ってね」

「不安になるんですが!」


 一気に不安になってしまった翆だった。

 大きなビルの隣に車を止めて外に降りると、何とも言えない甘い香りが鼻孔をくすぐってきた。

 甘い香り……何と言うか薄い香水のような香りだった。

 ついボーっとしそうになったが、両腕をそれぞれ沙希亜と凛音に抱き寄せられたことで正気に戻った。


「う~ん、やっぱりここの空気は男性には刺激が強いのね」

「みたいだね。でも翆君はそこまでって感じかな」

「そうねぇ。おっ立てて倒れてもおかしくないんだけど」

「……………」


 サキュバス怖い、翆はブルっと体を震わせた。

 これから向かうのはサキュバスの幸せ制度について正式な手続きをするのだが、その本部がこの建物らしい。

 車から離れて入り口に立つと、街中に溶け込んでいる女性たちが一斉に翆のことを目に留めた。

 サキュバスらしい凹凸の激しい体をした成人女性、沙希亜や凛音と同じくらいの年頃の女性、それよりも幼い少女さえも翆に目を向けていた。


「……なんかアイドルになった気分だわ」

「ふふっ、それくらい思い切って堂々としていた方が良いわよ♪」

「うんうん。さあ母さん、さっさと済ませよう」

「えぇ。行くわよ」


 三人に連れられるように翆は建物の中に足を踏み入れた。

 その瞬間、更にむわっと鼻の奥に刺すような甘い香りが襲い掛かって来た。

 本来刺さるというのはマイナスな表現になるのだが、そんな矛盾を抱えさせるほどの恐ろしい甘さだった。


「ようこそ――男おおおおおおおおおっ!?!?!?」

「男ですって!?」

「囲め囲めえええええええええ!!」

「食べちゃおっと……あ」

「……死んでる?」

「死んでないわよ!!」


 一気に騒がしくなってきた。

 当然この騒ぎを起こしたのは翆が原因だが、これがサキュバスかと改めて翆は彼女たちを認識した。

 ここはおそらく行政的な部分を扱うビルだとは思うのだが、当然彼女たちは全員スーツを着ている……スーツなのだが、胸の谷間は丸見えだしパンツが簡単に見えそうなほどの短いスカートを穿いていてどこを見渡しても目に毒だった。


「……っ」

「あ、翆君」

「まあこうなるよね」


 翆の体はしっかりと反応してしまっていた。


「沙希亜と凛音は翆君を落ち着けてちょうだい。私は受付をしてくるから」

「分かったわ」

「ほら翆君、こっちにおいで」

「え?」


 一体何をする気なんだと翆は首を傾げた。

 二人に連れられて椅子に座ると、凛音が傍に置いていたカーテンを他のサキュバスたちから隠すように配置した。

 翆の前に座り込んだ二人が何をするのか明確に察し、取り合えず彼女たちに全てを任せることにした。


(……なんかドッと疲れてきた)


 そう翆はため息を吐いた。

 しかしまだここに来て何もしておらず、サキュバスの故郷における受難はまだまだ始まったばかりだ。

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