爆速超特急なサキュバス
それは正に幸せな感覚に包まれての目覚めだった。
「おはよう翆君」
「目覚めはどうかな?」
目を開けた瞬間、翆の耳は両方から甘い声音を聞き取った。蠱惑的であり魅力的で、どんな言葉で表現すればいいのか分からないほどにその二つの声は翆を惑わせる。
「……あ、そうか。昨日は二人と一緒に寝たんだっけ」
ようやく昨夜のことを思い出した。
沙希亜だけでなく、彼女の姉である凛音とも一緒に眠りに就いた。一人で寝る時とは比べ物にならないほどに満たされ、二人の柔らかさと香りに包まれて眠るのはもはや癖になりそうだった。
「まだ六時だけど、姉さんと私はそろそろ帰ろうかしらね」
「そうだね。名残惜しいけど、これからはいつでも翆間に会えるし♪」
沙希亜だけでなく凛音も翆は受け入れた。受け入れるなんて大層なものでもないが、翆の選択は間違いなく凛音の寂しさも振り払ったのである。
「……そうだよな。帰らないとだよな」
今日もいつも通り学校がある。だからずっと一緒には居られないのだ。まだ翆の中に迷いはあるものの、この体に触れる彼女たちの温もりがなくなると思うとそれはそれで寂しくのるというものだ。
「……翆君!」
「可愛い……」
人の感情に敏感なサキュバス姉妹は明確に翆の寂しさを感じ取り、まだ帰らないからとギュッと抱きついた。
「俺……一晩っていうか、色々考えたんだけどさ。たぶん逃げられないよね?」
翆のその問いかけに姉妹は見つめ合い、そしてすぐに翆に視線も戻して頷いた。彼女たちはもう絶対に翆を離すことはしないだろうし、サキュバスとして本来得られることがないと思っていた愛を手にした今、彼女たちの方が翆から離れられない。
「嫌?」
「嫌かな?」
その言葉に翆は首を振った。
確かに困惑の方がやっぱり大きい。しかしこの幸せを思う存分受けていいのか、罰が当たらないかと考えてしまうのだ。
「……すぐに慣れるというより、きっと俺は沙希亜と凛音さんをどうしようもなく好きになると思う。まあ既にそうなりかけてるけどさ」
あははと翆は笑った。
サキュバスとしてエッチな人外、肉体が極上なだけでなく性格も一途で優しさの塊なのはよく分かる。そんな二人の女性に心から愛されて我慢出来る男なんて居るわけがない。
嬉しさと諦めが混ざったような微笑みに、またしても姉妹は心を撃ち抜かれたようだ。何があっても翆を愛し続け、何があっても翆を守ると二人の瞳に決意が滲んだ。
「そのうち翆君のご家族に挨拶したいわね」
「そうだね。流石に表向きは二人と一緒にってのは伏せようか。サキュバスだから、なんてことを伝えるのは本末転倒だし」
いくら翆の両親とはいえ、サキュバスのことを伝えるのはリスクがあると判たようだ。それは翆も賛成で特に意義を唱えるつもりはなかった。
「さてと、後少ししたら帰ろうかしら」
「帰りたくないなぁ。ねえ翆君、今日は学校休んで私とどこか出掛けない?」
「ダメに決まってるでしょうが!」
「痛い!」
沙希亜がそれなりに強く凛音の頭を叩いた。確かに凛音のような美人と一日一緒なのは翆にとって幸せな一日になるだろう。それでも学生の本分である学業を疎かにするわけにはいかないのだ。
「名残惜しいですけど、ちゃんとしっかりする部分はしないとですから」
「……しっかりしてるんだね翆君は。私そういうところを見ちゃうともっと好きになる」
翆としては普通のことを言っただけなのだが、凛音の中では翆に対する評価の上がるラインが恋の力でバグってるらしい。
翆と沙希亜が困ったように苦笑した時、あっと何かを思い出すように凛音が声を上がるのだった。
「そうだわ沙希亜。一応サキュバスの幸せ制度登録のために翆君の体液を送らないと」
「何ですかそれ」
突然のことに翆はポカンとした。
「説明しましょう」
沙希亜は説明してくれた。
昨日話した内容の更に詳しい話になるのだが、人間の男がサキュバスを愛するお礼とその時間作れるようにとお金が支援される仕組みをサキュバスの幸せ制度と呼ぶらしい。
まるっきり言葉通りのシステムだが、仮登録と呼ばれるものを済ませたいとのことだ。
「本登録は実際に私たちの故郷に来てもらうことになるけれど、いきなりは翆君も困るだろうし仮登録をしておくの。そうすればいざあっちに行った時に少しの手間で終わるから」
「なるほどな……でも仮登録ってどうするんだ? 体液を送るみたいなことを言ってたけど」
翆がそう言うと沙希亜と凛音が目の前に膝を突いた。二人が見つめるのは翆の大事な場所ということで、すぐに言わんとしたことは理解出来た。
「ふふ、どこでしてほしい?」
「翆君の望みを言って?」
それから数分後、魔法で生成された綺麗な球体に閉じ込められた翆の体液は彼女たちの故郷に送られた。
しばらくすると沙希亜と凛音のスマホが鳴り仮登録完了という文字が浮かんだ。
「凄く簡単なんだな……」
「そうね。でもこれで仮とはいえ私たちと翆君は夫婦の一歩手前みたいな関係よ?」
「……私、この画面見れるなんて思わなかった。ずっと独り身だと思ってたし……うぅ」
嬉しそうにする沙希亜、スマホを握りしめて涙を流す凛音と、かなりカオスな空間が広がっていた。それから二人は帰るからと翆の部屋から姿を消し、翆にとっていつもの朝が戻ってきた。
「……っと飯飯!」
急いでリビングに向かうと朝食が用意されていた。仕事でいつも早くに家を出る父は居ないが、母はテレビを見ながら翆を待っていたようだ。
「おはよう翆。寝坊したかと思ったわよ?」
「ごめん母さん。ちょっと色々あってね」
色々あったと少し疲れを見せながら口にした翆に母の碧は首を傾げた。
「疲れたって何よ、遅くまでゲームでもしてたの?」
「……まあそんなところ」
流石に女性二人と一緒に夜を明かしたとは言えなかった。
翆の母である碧はとても優しい顔つきをしており、翆はそんな母が大好きだった。二人との関係とサキュバスについて、理解を得られないまでもいつかは何かしらの話をする必要は出てくるかもしれない。その時に一体どんな反応をされるのか分からないが、望めるなら碧にも二人を受け入れてほしいと翆は人知れず願った。
「それじゃあ母さん行ってくる」
「いってらっしゃい」
準備を済ませて翆は家を出た。
これから学校に着くと当然のように沙希亜とは出会うことになる。さっきまで一緒だったのに学校でまた再会するというのは翆にとって不思議な気分だった。
「凄い時間だったなぁ……」
昨夜もそうだし今朝もそうだ。翆にとって本当に濃厚な時間だった。今までは沙希亜のことが頭から離れなかったのに、ここから更に凛音が加わるのかと思うと大丈夫なのかと不安が募る。
「……俺も思いっきり心を掴まれてるんだよな」
言葉にすると改めて実感出来る。
まあそれも今更かと翆が苦笑すると、目の前に制服姿の沙希亜がすっと現れた。
「のわあああああああっ!?」
「あ、ごめんなさい翆君。また早く会いたくて出てきちゃった♪」
さっきまでのはだけたパジャマ姿ではなくキッチリと制服を着込んだ彼女はてへっと舌を出して笑った。
周りの目が気になったが、運の良いことに誰も居なかったので翆は安心した。
「それじゃあ翆君、一緒に行きましょう?」
「あぁ。分かった」
そして彼女は当たり前のように腕を組むのだった。そのまま学校に向かうが当然生徒の数は増えてくるため、腕を組む二人は視線の的だった。
沙希亜は同学年だけでなく、後輩にも先輩にも噂される美貌なのだから当然だ。
「翆君は週末暇?」
だがそんな集まる視線を沙希亜はもろともしない。沙希亜の問いかけに翆は少し考えて首を振った。
「特に用はないけどそれが?」
「良かった。私の家に泊まりに来ない?」
「……え?」
翆は思いっきりドキッとして沙希亜を見つめた。
「翆君の家に泊まったし、そこまで急な提案ではないと思うんだけど……どうかしら?」
確かに彼女は翆の家に泊まったが……。
どうやら距離の詰め方にその他諸々、沙希亜は超特急で爆走している。いや、もしかしたらこれがサキュバスなのかもしれないなと翆は乾いた笑いを浮かべた。
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