夢のようなサキュバス制度

「そ・れ・で♪ 何か聞きたいことはある?」

「……………」


 隣から囁かれた甘い声に翆は顔を向けた。そこに居るのは沙希亜ではなく、彼女の姉である凛音だった。今日もまた夜に沙希亜が来ることは伝えられていたが、まさかその姉も同伴とは翆も予想外だった。


『翆君、もしかしたらと思ったけど姉さんと話をしてみて?』


 そう言われて凛音と話をしたのだが……まあ話は一瞬ですぐに凛音に押し倒されてしまった。そのままなし崩し的に沙希亜を含めて天にも昇るご奉仕を受け、今こうして瞳にハートマークを浮かべた彼女が隣で横になっているのである。


「……その……凛音さん?」

「なにっ!?」


 名前を呼んだだけで彼女は嬉しそうに返事をした。

 沙希亜とはまた違ったベクトルの美しさと性格を持った凛音だが、翆としてはまさか出会ってばかりの彼女とこのような関係になるとは思わなかった。沙希亜に関してもほぼ似たようなものなのだが……まあ二人同時にというのは翆にとってそれこそ現実とはかけ離れた世界の話だったわけだ。


「姉さんの境遇は話した通りよ。私もまさかと思って連れてきたんだけど……ふふ、姉さんが幸せそうにしているのなら私としても良かったかしら」


 沙希亜は自分のことのように嬉しそうだった。

 それから一旦ベッドから出て床に座った。すると当然のように左に沙希亜、右に凛音が腕を取るように陣取った。左右から感じる圧倒的な柔らかさと甘い香りに、翆は沙希亜一人を相手にする時以上に頭がふわふわしてきた。


「でも姉さん、翆君の一番は私よ。それは絶対に譲らないわ」

「分かってるよ。こうして翆君に出会えたのも沙希亜のおかげだもの……ねえ翆君」


 そこで凛音は少し表情を曇らせた。そして何かを言いづらそうにしながらも、なんとか伝えるべき言葉が見つかったのかこう言葉を続けた。


「今更だけどいきなりでごめんね。私、翆君との出会いがあまりに嬉しくて勢いに任せてしまった。さっきの沙希亜の提案は凄く嬉しかったけれど、さっきの幸せな時間を味わえただけで私は満足……してるようん!」


 満足は確かにしているのだろうが、決して本意の言葉ではないと分かりやすく伝わってくる。沙希亜がきっかけとなって凛音の運命とも言える翆に出会えたのだが、どうも彼女は若干の負い目があるらしい。沙希亜の姉として、何より翆を困らせないようにと自分に無理して付き合わなくていい……そう伝えたいのだ。


「……姉さん」


 沙希亜もどう声を掛ければいいのか分からないみたいだ。

 そんな中、翆は色々と考えていた。サキュバスとしての苦悩を知っているからこそ沙希亜のことを守りたいとも思ったし、凛音のことも困惑の中で受け入れた。男としての欲望は当然あったが、それでもこうして耐えながらも翆の傍に居る彼女に対して何もしないなんてことは考えられない。


「凛音さん」

「っ……なに?」


 何を言われても受け入れるから、凛音からはそんな意思が感じ取れた。

 翆としても何を言えば良いのか整理は出来ていない。それこそ無責任なことは言えないが何かを伝えないとと必死に頭を動かした。


「正直、沙希亜の出会いからさっきのことまで驚きばかりです。どうして俺にみたいなことも当然思いました。……沙希亜と凛音さん、サキュバスとはいえ二人の女性に愛されるというのも不思議な世界で……はい、まだ受け止めきれてません」


 複数の女性と愛し合うなど常識では考えられない。それがたとえサキュバスであっても翆には普通の女性と同じように考えているので当然だ。だが、その常識の中に生きていないのが彼女たちサキュバスなのだと今は思っている。


「……沙希亜、俺は凛音さんも救いたい。君のお姉さんにさっきみたいな辛そうな顔はさせたくないよ」


 そう真っ直ぐに沙希亜に伝えると、彼女は微笑み頷いた。


「ありがとう翆君。私、翆君に伝えて良かったわ。姉さん? そういうことよ」

「え? ……翆君?」


 目を丸くした彼女の様子に、翆と沙希亜は同時に苦笑した。

 翆が出した答えとはつまり、凛音も同じように守りたいと思ったのだ。翆が傍に居るだけでも安心してくれるならそれでいい。そもそも、既に普通とは違う関係性を築いてしまったのだから今更だった。


「凛音さん」

「っ……うん」


 翆を待つ凛音は緊張した面持ちを隠さない。翆からどんな言葉を伝えられても大丈夫だと、その瞳は決意に満ちていた。


「これからも俺の傍に居てくれますか? ……その、頼りない部分は――」


 最後まで言い切ることは出来なかった。

 腕を離した凛音はそのまま翆の胸に飛び込んだのである。それなりに勢いが強く沙希亜を巻き込むように倒れるかと思ったが、沙希亜はいとも簡単に二人分の体重を支えていた。


「翆君……翆君翆君!!」

「えっと……」

「一昨日の私みたいね。でもそっか、私は外からこんな風に見えてたのね」


 正面から凛音、背中から沙希亜に抱きしめられながら翆はしばらくそのままだ。凛音が落ち着いた段階で離れてくれたものの、彼女の瞳に宿る気持ちは更に強くなっているのか片時も翆から視線を逸らさない。


「……なんか二人の女性とこういう関係って自分がクソ野郎に思えるよ」

「そんなことないわ」

「そんなことないよ」


 世間から見れば確実にクソ野郎なのは間違いない。だが何度も言うが翆と彼女たちの関係性は普通ではなく、二人に関しては人ではない。つまり、人が作ったこの世界の常識は通用しないのである。


「でも翆君からすれば嬉しいことじゃない? 自慢するわけじゃないけど、私と姉さんの見た目は極上と言ってもいいはず。そんな二人を好きに出来るんだから」

「……幸せです」


 それは正直な気持ちだった。

 男として女性と付き合いたい気持ちはあった。それこそデートだけでなく大人のやり取りもしてみたいと考えていた。それを沙希亜や凛音といったあまりにも美しすぎる二人を相手をしてくれるのだから幸せ以外の気持ちはないだろう。しかもただ体の関係だけでなく、心から二人は翆のことを考えているのだから更に幸せの感情が二乗されるようなものだ。


「……あたしさ、今日は本番してないけど義務感で男を相手した時より遥かに気持ちが満たされたの。凄いのね恋の気持ちって」

「姉さんはもう翆君しか相手しないでしょう?」

「当然でしょうが。夢の中でするのも嫌、もう翆君しか見れない。翆君以外の男なんて生きてる価値あるの?」


 どうやら少し凛音は過激なタイプらしい。

 翆以外の男と言われて翆自身嬉しい気持ちはあるが、この言い方だと彼女たちの父親に関してはどうなんだろうと気になる。


「そう言えばさ……二人のお父さんは?」


 それは純粋な疑問だった。

 翆の問いかけに二人は答えたがかなり予想外のモノだった。


「私たちに父親は居ないのよ。そもそも母さんが私たちを産んだのもサキュバス特有の魔法の影響もあるしね」

「え?」


 それは一体どういうことなのか、引き継ぐように凛音が言葉を続けた。


「故郷で何かしたらしいけど詳しくは知らないかな。ただ、女同士で交配出来る仕組みもサキュバスにはあるらしいからそれかなとは思ってる」

「……へぇ」


 流石サキュバス、どこまでも規格外の存在らしい。


「……ふぅ」


 それにしても疲れたなと翆はため息を吐いた。

 二人とのやり取りもそうだが、色々と考えることが多すぎて疲れたのである。そんな疲れを察したのか、沙希亜と凛音が頷き合って指をパチンと鳴らした。


「おぉ……」


 すると現れたのは恐ろしいほどに柔らかい布団だった。

 魔法の影響か、翆は体が浮く感覚を感じて浮遊し布団の上に下ろされた。すぐに眠気を誘うような布団の上で横になった翆に二人が左右から身を寄せた。


「翆君の部屋はご両親が顔を見せることはある?」

「朝と夜は特にないけど……もしかして?」

「うん。今日は泊らせてもらおうかなって」


 どうやら二人はここに泊まるつもりのようだ。

 こうして布団を用意された段階で帰るつもりはないだろうし、翆はまあいいかと思って頷いた。


 ひょんなことから二人と関係を持つことになったが、翆は後悔していない。大人になった時にたくさん頑張らないといけないなと逆に自分を鼓舞する。しかし、まさかの言葉が沙希亜と凛音から伝えられた。


「何かをしないといけない、そんな風に力まなくても大丈夫よ。母さんから聞いたけど人間の相手が出来るとお金をもらえる仕組みなの。現代に潜むサキュバスを受け入れ、更に愛してくれるお礼みたいなものね」

「私も驚いたよ。相手の男性が働かなくてもいいように、それこそサキュバスをずっと愛する時間に余裕を持ってもらうようにって高額のお金が毎月送られるの」


 なにその夢のような制度は、翆はそう思った。


「だからね翆君、翆君は私たちに溺れるだけで良いの。それだけで私たちはずっと離れずに一緒だから」

「うん。だから翆君は堂々と私たちを愛してほしい。私も沙希亜も、あなたに愛される以上に天国のような時間をあげるから……ふふ♪」


 彼女たちから与えられる時間、それは確かに幸せかもしれない。

 だが同時に、とても疲れることになるんだろうなと若干怖くなったことを翆は口にしなかった。口にしたらしたで意味深に笑われるだけと思ったからである。

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