姉は妹が羨ましい

「あぁ翆君……翆君♪ っ……んああああああっ!!」

「だあもう! 何盛ってんの馬鹿妹!!」


 翆と公園で話をした後の夜、ひと際大きな声を出した沙希亜の部屋に一人の女性が怒鳴り込んできた。


「あ、姉さん……」


 いきなり部屋に入り込んだ女性に沙希亜はポカンとした様子で口を開いた。

 そう、今彼女が姉と言ったがこの女性こそが沙希亜の姉である。沙希亜の白銀の髪と対照的な黄金の髪を持ち、整った顔立ちはもちろんだが目付きは鋭かった。ぶかぶかな服を着ているが体の凹凸はとても分かりやすく、ただでさえ大きな胸を持つ沙希亜以上の膨らみを彼女は持っていた。


「……凄い匂いね」


 沙希亜の部屋に充満する香りに思わず彼女は鼻を抑えた。それは決して臭いというわけではなく、愛おしい人を想いながら一人で勤しんでいた彼女が放つ香りがあまりにも良い匂いすぎたせいだ。


「……例の翆君って子のことを思ってたの?」

「えぇ。公園でまたご奉仕したけれど……ふふ、私ったら彼のことを考えるとまた火照ってしまって♪」


 ベッドに背中を預けるように体の力を抜いた状態で彼女は座っている。左手を胸に添え、右手に掴んだそれは大きな機械の駆動音を発しながら蠢ている。こうして話をしている中でも沙希亜は何度か体を震わせており、そんな妹の姿を見て彼女の姉である凛音りおんは呆れる……ではなく、羨ましそうな顔をした。


「……羨ましいな。そんな風に恋を出来る相手が居て」


 凛音は眩しそうに沙希亜を見た。凛音もサキュバスである以上、普通の恋愛の経験はまだない。沙希亜のように本番の経験がない処女ではないが、その体の関係を持った相手に恋をしているわけでもない。サキュバスとして効率よく精気を吸うことが出来るので半ば義務的に交わっただけに過ぎないのだ。


「私でも見つけることが出来たんだもの、姉さんだって絶対に見つかるわ」

「そうかな……もう諦めてるけどね。別に恋をしなくても生きていけるし、魅了して眠らせて一方的に搾り取るだけで大丈夫だし」


 投げやりな姉の言葉に沙希亜は苦笑した。

 沙希亜や母と同じく、凛音も本当に美しい容姿をしている。彼女は大学に通う二十歳の女性であり、去年はミスキャンパスに選ばれるほどの美貌だ。まあサキュバスである彼女たちの容姿は人間とは一線を画するため、ある意味彼女がその栄光に輝いたのは必然とも言えるのだが。


「沙希亜、いい加減それ切らない?」

「……そうね。姉さんのせいで波が引いちゃったわ」


 玩具のスイッチを切り、丁寧に拭いてから机の上に置いた。

 それを確認した凛音は沙希亜の隣に腰を下ろした。あまりにも美しすぎる二人が並ぶ光景、一体この世界に生きるどれだけの男がこの間に収まりたいと思うだろう。それくらいに芸術的とも言える美が並んでいた。


「……どんな子なの?」

「あげないわよ?」


 ギロリと沙希亜の瞳が凛音を射抜いた。

 サキュバスの力としては凛音の方が上なのだが、それでも格上だと思わせられるくらいに沙希亜の想いの強さを凛音は垣間見た。それに対して恐れるのではなく、やはりこんなにも想いを寄せられる相手が居ることが羨ましかった。


「あ~あ、なんであたしはサキュバスなのかなぁ」


 女である以上、人並みに燃え上がるような恋はしてみたいのだ。

 確かに体を重ねている時は気持ち良いが、どこまでやっても心は満たされない。これ以上の気持ち良さと、心を埋めてくれる温もりがないことをいつも凛音はどうして自分はサキュバスなのだろうと悲しくなるのだ。


「姉さん……」


 沙希亜が凛音の手を取った。

 凛音と違い沙希亜は相手を見つけることが出来た。確かに僅かな嫉妬と羨望はあるのだが血の繋がった妹だからこそ幸せになってもらいたい。自分のように寂しく生きるのではなく、心から幸せになってほしいと願っているのだ。


「やれやれね。妹に慰められるようじゃあたしもまだまだだ。ま、人生長いしこれから先見つかるわよねきっと。サキュバスだから姿は若々しいままだし……よし、合コンとか婚活にも手を出そうかな♪」


 数撃てば当たると凛音は笑った。

 そんな姉の姿を見ていると沙希亜としても複雑な気持ちを抱く。そんな時、何を思ったのか沙希亜はおかずにしていた下着を持った。それは公園で翆が放ったものを染み込ませたものだ。


「何それパンツ?」

「えぇ。翆君の香りが染み込んだものよ」

「ふ~ん……?」


 この言葉だけで何を意味しているのか凛音は分かったらしい。

 完全に気を抜いている凛音の鼻に目掛けて沙希亜はその下着を思いっきり押し付けるのだった。


「むがっ!?」


 鼻と口を覆うように押し当てた瞬間、分かりやすく変化が起きた。

 サキュバスの体は男を欲情させることに長けているが、同時にいつでも相手が出来るようにすぐ臨戦態勢を取るように体は反応する。だからこそ、この雄の匂いを嗅げばサキュバスはすぐにこうなってしまう。


「……はぁ……はぁ……何これ……何なの……っ!?」


 凛音は沙希亜から下着を奪い取った。

 そのまま一心不乱で香りを嗅いでいた。傍に居る沙希亜のことすらも一瞬で忘れたかのように、凛音は下着の香りを嗅ぎ続けていた。


「……はっ!?」


 だがすぐに彼女は正気に戻った。

 沙希亜に下着を返したが、完全に頬を赤く染めて彼女は発情している。妹の前だから我慢しようと頑張っているようで、必死に胸と下半身に向かおうとしている手の動きを止めている。


「もしかしてと思ったけれど……姉さんももしかしたら翆君を」

「……翆君……どんな顔なの? こんなに素敵な香りをしてるなんて……あたし初めてなんだけど♪」


 ワクワクした様子の凛音を見て、沙希亜は少し考えた。

 沙希亜はこうして恋の尊さを知ったわけだが、凛音はまだ恋を知らない。沙希亜のようにこの人だと思える相手に出会っていない。この反応だと八割くらいは凛音の体と心は翆を求めていることが分かる……沙希亜は凛音を翆に会わせてみることにするのだった。


「姉さん、もしも姉さんの心が翆君を求めるのだとしたら……私と一緒に翆君を愛する覚悟はある? サキュバスとしても、人としても、翆君だけを愛して彼の為だけに生きる覚悟はある?」


 その問いかけに、凛音は瞳を潤ませながら頷いた。





 その日、翆は沙希亜を待っていた。

 公園で天国のような時間を過ごした後、今日の夜も彼女は訪れると伝えてきたのである。前回は夢と思っていたのもあり、騒がしくすると父と母にバレるのではないかと危惧していたが、サキュバスの力で気配を遮断出来るらしくどれだけ大きな声を出しても大丈夫らしい。


(……いや、だからといってそんな……ねぇ?)


 沙希亜は翆に恋をさせると言った。困惑の方が大きい気持ちだとしても、それをすぐに恋に変換してみせると宣言されたのだ。このまま押し切られればそれこそ翆は彼女の体に完全にのめり込んでしまう。極上の体だけでなく、心さえも完全に捕らわれてしまうことが容易に想像できた。


「……っ……こんなの無理だろ。沙希亜のことが本当に頭から離れない」


 彼女の奉仕だけでなく、出会いから聞いた話の全てが強烈だったのだ。色んな意味で彼女のことを頭の外に放り出すことが翆には出来ない。そんな風にベッドの上で悶えていた時、小さく風が吹いてカーテンが揺れた。

 そして次の瞬間、翆の耳に甘い声が届いた。


「翆君、こんばんは♪」


 ドキッと心が跳ねた。

 心のどこかですぐ彼女に会いたいと思っていたのだろうか、左手を抱くようにして現れた彼女の温もりがとても愛おしかった。


「沙希亜……?」


 っと、そこで翆はもう一つの気配を感じ取った。

 体に触れている沙希亜に意識を取られてそちらを一切気にしなかったのである。ジッと見つめてくる視線を感じてそちらに目を向けると、そこには沙希亜に似た妖艶な雰囲気を醸し出す美女が佇んでいた。


「あぁ……この子が翆君? あたし……凄く胸がドキドキしてる」

「えっと……」


 二人っきりになった沙希亜と同じ顔を彼女はしていた。男を誘う甘い香りを放ち続ける姿を前にしながら沙希亜が耳元で囁く。


「突然でごめんなさい翆君。私の姉なの彼女は」

「お姉さん……?」


 こうして沙希亜の導きの元、翆は凛音と邂逅した。

 そして聞かされた話に困惑はしたものの、沙希亜と凛音の願いに後押しされるように彼は二人から夢のような時間を享受した。


 そして凛音はこう口にしたのだ。


「あたし……見つけた♪」


 その言葉の意味を知ったのは全てが終わった後だった。

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