これがサキュバスの恋

「……………」

「おっす翆!」

「おはよう……ってどうしたんだ?」


 朝、学校に着いてから翆はボーっとしていた。

 登校してきた仁と道明に挨拶をされただけでビクッとする程度には、外部に対して全くと言えるほど無防備だった。


「お、おう……」


 気の抜けた声で返事をした翆に、二人はどうしたのかと不思議そうに見つめた。翆は何でもないと言葉を返すしか出来ないのだが、彼の頭の中には起きてからずっと沙希亜のことしか考えられなかった。


(……ヤバい、あの夢のせいか沙希亜のことが頭から離れん!!)


 夢の中、翆の部屋に現れた彼女に色々なことをされた。それこそ、不思議と夢だと実感できたので恥ずかしいことをそれはもう遠慮なしお願いしてしまったのだ。


『ふふ、翆君も男の子なのね。ねえ翆君、してほしいことを言ってみて?』

『分かったわ。それじゃあ私に身を任せて……そうそう、それで良いの』

『初めてだったの? ふふ、凄く嬉しいわ♪ でも私も同じよ、これを使って誰かにご奉仕したのは翆君が初めて♪』


 記憶に刻まれた彼女の言葉の数々が蘇る。

 とにかく最初から最後までエッチな夢だったが、あまりにもリアルすぎて実は夢ではないのではないか、そんなことを考えもした。だがそれも全て、沙希亜から与えられたものが大きすぎて気にする暇もなかった。


「なあ本当に大丈夫か?」

「顔が真っ赤だぞ?」


 どうやら今の翆は心配されてしまうくらいに顔が赤いらしい。まあ確かに頬はとても熱いので真っ赤だろうことは容易に想像できる。舞と来夏が来たら更に追及されてしまいそうだが、幸いにも彼女たちは友人たちと会話を楽しんでいるようだ。


 さて、そんな風に翆が夢のことで大変な状況になっていたその時……彼女が教室に入って来た。


「おはよう」


 涼しくも、同時に甘い声音だった。

 教室に入って来たのは当然沙希亜で、彼女が現れたことで世界そのものが切り替わるように空気が変わった。男女問わず彼女に見惚れ、みんながみんな挨拶をして少しでも彼女に話しかけたいのだと思わせるほどだ。


「さてと、じゃあ俺たちは戻るな」

「また後で」


 沙希亜が来たということはつまり翆の後ろに座るということだ。仁と道明は別に沙希亜に対して恋心は抱いていないものの、彼女の傍というのはかなり緊張するみたいなのだ。

 昨日、彼女がサキュバスと分かり色々なことを話した。名前で呼び合う仲にもなったし、掃除用具入れに二人で入るなんてハプニングまで経験した。だからこそ彼女とは本当に親しい友人になれたと思う。だが……やはり夢の内容がこれでもかと邪魔をしてくる。


「おはよう翆君」

「……おはよう」


 彼女の顔を見ることが出来なかった。それだけ翆は緊張してしまっており、それが逆に沙希亜が翆を気になる要因になってしまった。


「どうしたの? 顔が真っ赤だけれど……」

「いや……その、えっと……」


 夢は夢、現実は現実、ごっちゃにするなと翆は自分に喝を入れた。パシッと軽く両手で頬を叩くと、彼の中にあった夢に対する妄想はある程度消えてくれた。これなら大丈夫だと、翆は深呼吸をしながら改めて沙希亜に目を向けた。


「おはよう……沙希亜」


 名前を口にする時は少し静かにしてしまったが、沙希亜はちゃんと聞こえていたらしく嬉しそうに頷いた。実を言えば、いつもと違う翆と沙希亜の様子は結構目立っていた。友人たちもそうだし、特に普段から翆と絡むことのないクラスメイトたちも不思議そうに見つめていた。


「ねえ翆君、まだ朝礼は始まらないし良かったらお話しましょう?」


 ツンツンと背中を突かれながら沙希亜に提案された。翆は視線が集まることを実感しつつ、ゆっくりと体を横に向けて顔だけ沙希亜に向けた。相変わらず綺麗な表情で彼女は微笑んでおり、近くで見つめ合うことでやっぱり照れ臭くなる。


「ねえ翆君、母さんと姉さんにバレたことは一応伝えたの」

「そうなの?」

「えぇ。翆君は大丈夫だからって、私は心から翆君のことを信じていることを伝えさせてもらったわ」

「……そっか。ありがとう」


 特に翆がお礼を言う必要はないだろう。それでもここまで信頼してもらえるのは翆にとって嬉しいことだった。彼女の秘密を知っているのは翆ただ一人、それはある意味周りに対する優越感も僅かながらあった。


(ったく、こんなことで優越感を感じるなんて浅ましいな)


 彼女にとっては知られてはならない事実をしって優越感を感じるなど、人として最低だなと翆は内心で自分自身に呆れた。だが、そんな翆に対して沙希亜はこんなことを口にした。


「私の秘密を知ってるのは翆君ただ一人……ふふ、ねえ翆君。私、何度も思うことだけど秘密を知られたのが翆君で良かったわ。翆君みたいに優しくて……相性もバッチリな人で本当に嬉しい」

「相性?」


 相性とはどういうことだろうか、つい疑問を口にしたが沙希亜はどこか夢心地な様子で語り始めるのだった。まるで周りのことは一切見えていないかのように、翆しか見えていないと言わんばかりに。


「私、昨日の夜に確信したの。翆君と心も、体も全部相性がバッチリだってこと。本番までは行けなかったけれど、それでも翆君に胸を使ってご奉仕出来たことは天にも昇る幸せだった」

「さ、沙希亜……?」


 別に翆は鈍感というほどではなく、こんなにも近い距離で言われた言葉を聞き取れないほど難聴でもない。翆は今、沙希亜が口にした言葉が全て聞こえていた。まるで昨日見た夢を彼女視点で語られたかのように、翆は信じられない気持ちを抱きながらジッと彼女を見つめてしまった。


「ねえ翆君」


 彼女は唇をペロッと舐め、妖艶な雰囲気を醸し出して翆に問いかけた。


「昨夜のこと、どれくらい気持ち良かった?」

「っ!?」


 思わず翆は立ち上がった。

 口をパクパクと動かす彼の様子からどれだけパニックになっているのかがよく分かる。クラスの全員がどうしたのかと翆を見つめる中、原因となった沙希亜はクスクスと意味深に笑っているだけだ。


「さ、沙希亜――」

「うっすみんなおはよう~」


 どうしてそれを、そう聞こうとしたところで担任が教室に入って来た。仕方なく翆は席に座ったが、心臓はとてつもなくドクンドクンと大きな音を立てている。


(なんで……なんで昨日のことを……えぇ?)


 あれは夢のはず、それなのに沙希亜は言い当てるように口にした。あまりにもパニックになりすぎているせいか、恥ずかしさよりも圧倒的に困惑の方が大きい。それから翆は授業中も、休憩時間もそのことで悩むことになる。


「ねえ翆、アンタ本当に今日どうしたの?」

「うんうん。熱でもあるの? ずっとボーっとしてるけど」


 休憩時間に舞と来夏が声を掛けてきた。

 いつもは揶揄ってきたりすることが多い彼女たちだが、あまりに翆の様子がおかしいので純粋に心配しているらしい。


「だ、大丈夫だって」

「大丈夫じゃないでしょうが」


 そう言って舞は手の平を翆の額に当てた。

 熱がないかどうかを確かめ、特に熱はないわねと手を離した。


「っ!?」

「どうした?」


 手を離してすぐ、舞はビクッとするように辺りを見回した。何かに怖がるような仕草はちょっと心配になるほどだ。


「なんか……一瞬心臓をきゅって掴まれたような気がして」

「どういうこと?」

「ちょっと、今度は舞が調子悪くなったの?」


 とはいえ舞の様子は特にそこまでの変化はない。すると、翆の背中から沙希亜が話しかけてきた。


「ふふ、ねえ翆君。熱があるのかしら?」


 今度は翆がビクッとする番だった。

 さて、今沙希亜は翆のことを名前で呼んだ。そのことが気になったのか、舞と来夏が目を丸くして沙希亜を見つめた。


「小清水さん今……」

「翆君のこと、名前で呼んだ?」

「えぇ。翆君とは名前を呼び合うくらい仲良くなったの。そうよね?」

「あ、あぁ……」


 どうやら舞と来夏にとって翆と沙希亜の接近は大ニュースのようだ。朝礼が始まる前に話をする姿は見ていたが、実際に名前で呼び合うほどとは思わなかったらしい。

 結局、それから仁と道明にも沙希亜とのことを知られかなり嫉妬された。クラスで人気のイケメンも翆を睨んだりして生きた心地はしなかったが、沙希亜が常に傍に居たことで翆にちょっかいを掛ける人間が居なかったのが幸いだ。


 そして、時間は流れ放課後になった。

 家に帰るため、通学路を歩いていた翆だが……彼の隣には当然のように沙希亜が歩いていた。教室を出る際に彼女に呼び止められ、放課後に少し一緒に過ごさないかと誘われたのである。


「まるで放課後デートみたいね?」

「……うん」


 距離の詰め方が明らかにバグっているような気さえしてくる沙希亜の様子に、翆はずっと翻弄されているようなものだ。真っ直ぐ帰るのではなく、近くの公園に寄ってお互いベンチに腰を下ろした。


「さてと、それじゃあ翆君。何故私が昨夜のことを知っているのか聞きたい?」

「……あぁ」


 当然翆は頷いた。


「だってアレ、夢じゃなくて現実だもの♪ 昨日、私は翆君の夢に自分を繋いであなたの部屋に現れたのよ?」


 沙希亜の手が伸び、翆の胸元をなぞっていく。沙希亜はそのまま翆の体に寄り掛かるようにして身を寄せた。柔らかな感触が伝わり、昨夜の記憶が再び蘇る。


「あれは全て現実、決して夢なんかじゃない」


 信じられない、けれども信じる他ない沙希亜の雰囲気だった。

 沙希亜は翆に抱き着いたまま、更に言葉を続けた。


「あなたは逃がさない絶対に……私にとって、あなたはもう何よりも大切な存在になった。いきなりでビックリしたでしょう? 本来なら恋愛ごとには順序と言うものが存在する。でも私はサキュバスだからゆっくりと愛を育むなんて我慢できない、ねえ翆君……私と夢の時間を過ごしましょう?」

「沙希亜……?」


 一体これからどうなってしまうのか、翆はボーっとする頭でそれを考えていた。

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