サキュバスな彼女と急接近

「俺と話を……?」

「えぇ。あなたと二人で話をしたかったの。今日ずっとね」


 翆を見つめながら沙希亜はそう言った。

 心なしか彼女から感じる妖艶な雰囲気に圧倒されてしまいそうになる翆だが、ずっと感じていた視線はやっぱりこういうことだったんだなと納得した。電気が点いていない薄暗い資料室の中で、沙希亜と向かい合うのは変に緊張した。上手く伝えるべき言葉が出てこない翆を見て沙希亜はクスッと微笑んだ。


「あまり緊張しないでほしいわ。何も取って食おうだなんて考えていないから」

「……いやそれは……まあうん」


 昨日彼女から不可思議な力を感じたのだから安心は出来なかった。それでもどうにか翆に落ち着いてほしい、何もしないからという気遣いのようなものは沙希亜から伝わったので翆は小さく息を吐いた。


「……ふぅ」


 学校一の美少女と言っても差し支えない彼女との二人きり、妙に心臓がドキドキするが色っぽいものでないのは確かだ。


「咲場君には気になることがあるでしょう? 今日の小テストの予習が手に付かないくらいに気になることが」

「っ……」


 沙希亜は一歩、また一歩と翆に近づきながら問いかけてくる。

 手を伸ばせば触れられる距離に彼女が近づいた瞬間、何とも言えない甘い香りが漂ってきた。視線を逸らそうにも彼女の赤い瞳にまるで縫い付けられたように顔を動かせない。


「……君は」


 しかし、沙希亜について気になっているのは本当だった。

 彼女の正体が本当に人間ではなくサキュバスであるのか、それを翆は知りたいと思ったのだ。


「本当にサキュバスっていう存在なのか?」

「えぇ、間違いないわ」


 バサッと音がしたと思ったら、沙希亜の背に羽が現れた。スカートの中から意志を持ったようにヌルリと出てきたのは尻尾だ。尻尾の先端がハートという特徴的な形をしているが、やはり近くで見ると偽物には到底見えない。


「触ってみる?」

「……えっ!?」


 ジッと見つめていたのが悪かったのか、沙希亜からそんな提案をされた。頷くまでもなく沙希亜のスカートから伸びる尻尾が翆の目の前でフリフリと振られている。


「良いの?」

「えぇ。咲場君なら全然構わないわ」


 翆なら良いとはどういうことなのか、その真意は分からないが翆は好奇心に後押しされるようにその尻尾を握りしめた。


「っ……♪」


 尻尾を握った瞬間、体をビクッとさせながら沙希亜は下を向いた。口元に手を当てて何とか声を押し殺すような感じだが、当然翆は気になってしまう。


「大丈夫か……? 痛かったりするんじゃ」

「だ、大丈夫よ……っ……全然……逆に気持ち良いくらいだから……♪」


 後半は聞き取れなかったが大丈夫とのことだ。


(……なんかすべすべした感触だな。柔らかくて芯があるような……これが小清水さんの尻尾かぁ)


 沙希亜の尻尾の感触は不思議なものだった。どんな感触が近いのかイマイチ言葉に出来ない曖昧なものだ。しかしこうして触っていると、いくらこれが尻尾とはいえ沙希亜の体の一部を触っていると思うと少しいやらしいなと思えてしまう。


「あ、ありがとう小清水さん。なんか不思議な感触だったよ」


 そう言って手を離したが、沙希亜の尻尾はまるで翆の手を逃がさないと言わんばかりに巻き付いてきた。それなりに強く締め付けられるような感じで少し痛いもののどうしたのかと沙希亜に目を向けた。


「もう少し♪ もう少しこのまま♪」

「……小清水さん?」


 まるで何かに夢中になったように沙希亜は頬を赤くし、定期的に体をビクンと震わせながら尻尾を操っている。翆の腕を扱くように、巻きつけながら上下に動かすのに夢中になっているようだ。


「……はっ!?」


 とはいえ、すぐに彼女は正気に戻って尻尾を解いてくれた。

 私ったら何を、そんな風に自分でも驚いてる様子を見せながらも愛おしそうに自らの尻尾を手にしている。


「本物……だよね。やっぱり小清水さんはサキュバスなんだ……その、全然信じられない気持ちではあるんだけど」

「……うん。あまり人に知られるわけにはいかないけれど、どうも咲場君には魅了が効かないみたいなの。一瞬効くけれど記憶を消すことは出来ないみたい」

「そうなんだ……」


 沙希亜が発した昨日の言葉から記憶を消すことすら出来ることは分かっている。だが翆は昨日のことをバッチリ覚えていた。その理由は皆目見当は付かないが、覚えているからといって言い触らすつもりはなかった。


「ねえ咲場君、どうして周りに言わないの?」

「え?」

「こんなこと、普通なら言い触らしたくなるものじゃない?」

「あぁ……」


 ちょうど思っていたことを沙希亜に聞かれた。

 翆は特に間を置くことはせず、彼女が聞きたがっている答えを口にした。


「理由は二つ……かな。一つ目は単純に小清水さんがサキュバスだって言ったところで俺がアホみたいに思われるだろうってこと」

「……なるほど」


 それは沙希亜にもある程度想像が出来たみたいだ。

 この世界にサキュバスなんて居ないモノだとみんな考えている。それなのに翆が沙希亜をサキュバスだなんて口にした時点で頭のおかしい奴呼ばわりをされ、更には沙希亜を辱めたと逆に集中砲火に遭うことは容易に想像できるのだ。


「そしてもう一つは……」


 どっちかと言えばこっちが本命の理由だ。

 翆が思い出すのは昨日の会話でのこと、また逃げないといけなくなるという言葉だった。辛そうに口にされたその言葉を考えた時、少なくとも沙希亜は正体を知られたことがあり追われたことがあるのだと翆は予想した。


「君が辛そうな顔をしたから」

「……え?」


 沙希亜は目を丸くした。

 翆は真剣な表情をしながらも、少し照れ臭いのか頬を掻きながら言葉を続けた。


「また逃げないといけない、そう言った時小清水さんは辛そうな顔をしてた。あんな顔を見ちゃったらさ、言い触らすなんて出来ないでしょ。この世界には人間だけでなくサキュバスっていう存在が居る……それは世紀の大発見かもしれないけど、俺はそんなものより小清水さんに辛い顔をしてほしくなかった」

「……咲場君」


 沙希亜の頬がさっきよりも赤くなり、その瞳は僅かに潤んでいる。翆は最後にこんな言葉で締め括った。


「今年、小清水さんが転校してきてからそこまで話をしたわけじゃない。でも……俺たちクラスメイトじゃん。ならそのクラスメイトの秘密くらい守りたいって思うんだよ俺は。信じられないかもしれないけど俺は――」

「信じるわ」

「お、おう……」


 信じる、その言葉はあまりにも強い力が込められていた。

 彼女は相変わらず翆を見つめたままだが、その瞳からは途轍もない信頼と何か大きな感情が乗せられていることを翆に直感させる。


 それから翆は沙希亜から話を聞いた。

 サキュバスとはそもそもどんなものか、どんな風に過ごしていたのかを。


「私、異性にここまで話したのは初めてよ。咲場君が私の初めての人だわ♪」


 言い方を考えてくれ、翆は心の中で大きく叫ぶのだった。


「……?」

「……素敵♪」


 いきなり静かになった沙希亜が気になったので彼女を見ると、彼女は翆を見つめてそう呟いた。そのままゆっくりと体を近づけてくる沙希亜だったが……そこで廊下の方から声が聞こえてきた。


「あら、人が来たのね。ねえ咲場君、電気も点けずにここに二人きりの私たち……見つかったらどんな風に見られるかしら」

「それは……」


 もしかしたら変な噂を立てられるかもしれない、そうなると翆は我慢できるが沙希亜にとって迷惑になるかもしれない。どこか隠れる場所はないか、そう思っていると翆は沙希亜に手を引かれた。そのまま彼女に連れられてに隠れた。


「ちょっと~! ここ凄く湿っぽい場所じゃんかぁ」

「まあいいだろ。ここなら誰も来ないだろうし」


 どうやら入って来たのは先輩の男女だった。

 二人はそんな風に軽口を叩き合いながら言葉を交わし、自然と顔を近づけてキスを始めたではないか。


「っ!?」

「あらあら、学校なのに大胆ね」


 狭い視界の中から見える二人の姿、しかし翆はそれよりも体に感じるとてつもない柔らかさの方が気になって仕方ない。


「……小清水さん」

「なあに?」


 すぐ目の前、翆の胸元に彼女の顔はあった。

 そう、二人が隠れたのはそこそこ大きな掃除用具入れだった。中にはあまり物が入っていないのでスムーズに入れたが、高校生が二人入るにはあまりにも窮屈だ。


「その……ごめん色々と」


 まず翆は謝った。

 沙希亜の手に引かれてここに隠れたのだが、その狭さのせいか翆の右手は沙希亜の豊かな胸元に固定されていた。少しでも動けば箒が動いて音を立ててしまう……だからこそ僅かであっても体を動かせない。


「あぁそのこと? 全然気にしないで……むしろドキドキするわ♪」


 狭くて暗い、その中で響く沙希亜の声が何とも官能的だった。

 手の平に伝わる大きな膨らみだけでも大変なのに、狭いこの空間に充満する彼女の良い香りが翆に襲い掛かる。見上げてくるその瞳は翆を離さず、彼女の息遣いさえも妙な気持ちにさせてくるほどだ。


「それよりも咲場君、名前で呼んでくれない? 私のことを」

「え?」

「沙希亜って呼んでほしいの」


 教室では絡み合う二人の先輩、そして掃除用具入れの中でも絡み合う翆と沙希亜、稀に見る不思議な光景が繰り広げられていた。

 

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