Ep.4 もたれている飲食店店員
ああ……今日も、ラーメンなんてものを夜中に食べてしまったわ……
解っているのよ、きっとこれってストレスなの。
いつもいつも、みんなのためと思って気を遣っていろいろと手伝ったりしているつもりなのに……いつも、上手くいかない。
夜中、外から何も聞こえなくなって、窓の外の灯りが遮光カーテンで遮られるとやっと、安心する。
テレビなんて点けない。
誰かの顔を見るのも、声を聞くのも嫌。
ほっとして、気分が緩むと……食べ続けてしまうの。
ずっとずっと、寝る寸前まで、何かを口に入れてしまう。
そうして朝になって、もたれて気分の悪い胃を誤魔化しながらお店に行って……人が食べるものを運び続ける。
いろいろな食べものの臭いが全身に纏わり付くようで、お店にいる時は何も食べたくない。
なのに、店の人達は食べものの話ばっかりするのよ。
一生懸命に話を合わせたって、そんな話をしたくないのだから会話が上手く続くはずがないの。
だから、喋れない分、仕事はちゃんとやろうって……なのに、あたしが運ぶ食事はまずそうだとか平気で言うのよね。
……言い返すと面倒だから、何も言わないけど。
ピーーーー
突然、変な音がした。
スマホの電源は切っているし、インターホンの音とも違う。
あ……PC……開けてた。
そっか、さっき転職サイト、見ていたんだった。
カチカチっ
うっかり触ってしまったマウスで、何かをクリックしてしまったみたい。
ヴーヴーヴー
えっ、今度は何よっ?
スマホのバイブ?
切っていたはずなのに……緊急速報とか?
『御依頼ありがとうございます。すぐに伺います』
……やだ。
壊れたみたい。
液晶、固まっちゃったわ。
「お待たせいたしましたにゃ。猫の手屋ですにゃ」
……やだ。
私も壊れちゃったみたい。
「大丈夫ですにゃ、まだ、使えますにゃ」
猫が私のスマホをべしべしと叩き再起動してくれて、PCの画面もちゃちゃっと閉じてくれた。
……ついでに丼、洗ってくれないかしら?
「何、甘ったれているんにゃ。そんにゃことをしに来たんじゃにゃいのにゃっ!」
じゃあ、なんで猫がここにいて、あたしに話しかけているの?
あたし『会話』は嫌いなの。
気を遣うから。
「今の会話で、どこら辺に気を遣われたのか解からにゃいですがにゃ。ま、どーでもいいんですにゃ、そんにゃことは。ちょっと、うつ伏せになるにゃ」
うつ伏せ?
食べたばっかだもん、嫌よ。
「お客さん、嫌にゃことばっかりカウントしているのにゃ。それだと『もたれ』て大変にゃ。だから、うつ伏せになるにゃっ!」
猫にどかどかテーブルの上で暴れられて、仕方なくベッドにうつ伏せになる。
あ、ちょっと胃から戻ってくる気がする……う……
突然あたしの背中に猫がぴょんっと飛んで、乗っかってきた!
ちょっと、止めてよ、重いじゃ……重く……ないわね?
おかしいわ、結構大きめの猫なのに全然重くないなんて。
するとなんだか背中の真ん中辺りから、ほわっと温かくなって柔らかい何かがあたしの背中や脇腹を押しているみたいな……ちらりと壁際の鏡を見たら、猫が前肢であたしの身体をマッサージでもしてくれているみたい。
あ、これって動画で見たことがあるわ。
猫の『ふみふみ』ってやつよね。
……なんだか……気持ちいい……さっきまでの、胃の中のものが食道を上がってくるような不快感もなくなって、全身が弛緩してトロトロになる感じ。
「お客さん、やっぱりもたれすぎにゃ。もちすぎもあるから、そろそろ手放さないと転ぶにゃ」
もたれて……もっているの?
「そうにゃ。もたれていると……『芯』がブレるのにゃ。それだと真っ直ぐ生きられにゃいし立てにゃいにゃ」
ふぅん……もたれるのって、そんなに悪いのかな。
つい……やっちゃうんだよねぇ……
「お客さんはちょっと、もたれ方が極端にゃ。だから、もっているのがギリギリなのに、気付けずずっともたれているのにゃ。楽にゃのは悪くにゃいけど……もたれ方が問題にゃ。もー少し、違う方向も向く方がいいにゃ」
……ねぇ、あたし、会話が嫌いなの。
「安心して欲しいにゃ。今、ぜーんぜん会話ににゃってにゃいのにゃ。そもそも会話なんて、特に必要にゃいものにゃ」
だって、会話力、求められてるじゃない?
それが嫌で……それ以外のことに気を遣っているのに、そのことしか評価にならないのよ。
「それが『もたれ』の原因にゃ。もたれていたら、真っ直ぐものが見えにゃいから、もちすぎてても解らにゃくて、ブレブレににゃっているのにゃ。だけど、もたれていたいだけなら、誰も止めにゃいし邪魔もしにゃいにゃ。もたれているのにもちすぎているから……したくにゃいことも求められてしまうのにゃ」
最後に両前肢でふみーーって感じに強く押されて、ぽんぽんと叩かれた。
うわぁ、身体が楽ーー。
こんなにスッキリしているの、何年振りかしら。
「もたれてズレたら、また呼んでくれていいにゃ。でも、根本的に芯を戻して立てにゃいと……そのうち戻せなくなるにゃ」
もたれて……もちすぎ、か。
「気遣いも頑張りも、過ぎると依存とかわらにゃいのにゃ。ちょっとずつ、立てればいいのにゃ。それじゃ、今回の請求はPCの方にゃから、そっちで確認して欲しいにゃ」
えっ、マッサージ料ってこと?
まぁ……気持ちよかったからいいか……
帰る時って、玄関から態々チェーン外して出るのね、猫って。
あれ?
あたしったらどうして、こんなに異常な事態なのに受け入れちゃってんの?
猫がどーしてオートロックの……っていうか、どうして、喋る猫がマッサージ?
翌日から、あたしは今までやっていた店の掃除に手出しをしなくなった。
清掃員がいるのだから、あたしの役割じゃない。
レジの手伝いもやらない。
それは主任のすべきことだから。
書類整理も備品の補充も、口出しを止めた。
派遣社員を雇っているんだから、彼女の仕事だ。
あたしは、自分にできないことがあるのなら、その他のことで認められようとして『もちすぎ』ていたんだって、やっと解った。
本来の仕事をきちんと、真摯に続ける。
それだけでよかったはずなのに、媚びを売るように他人の仕事に首を突っ込み手を出して、それで……気を遣っているなんて思っていたなんて。
本当に、なんだってそんなに『他人に評価』されたがっていたのかしら。
自分のことは自分で決めるのよね。
ちゃんと、芯をもってぶれないように。
他人軸になって、余分なことに手出しして、それで得られる表面的な感謝の言葉に気分良く寄りかかって……もたれこんでいた。
あーんなに、人に評価されることがストレスで暴食していたっていうのに、他人に認められたがっていたなんて、ほーんと、ばっかみたい。
そうよね、自分の心と芯に気付くのに、会話は要らないのね。
答えが自分の中にあるってことを、知っているだけでよかったのね。
うちに戻ってPCを立ち上げると、珍しくメールボックスにカウントが入っている。
……あら、請求書。
八千円……かぁ。
なかなかの金額とるじゃない、あの猫ったら。
『次回割引クーポン 50%off』
やぁね、また私が他人の評価や楽な言い訳にもたれ掛かって、ブレるとでも言いたいのかしら。
しばらく仕事はこのまま続けるけど、もう一度、本当にしたかったことがなんなのか、考えようかな。
あたしの『芯』……ちゃんと見つかるか、まだ解んないけど。
ちょっとずつ立てられたらいいって、猫も言っていたしね。
その日、あたしは久し振りに『昼間』に食事をした。
夜中の方が、まだ美味しいって感じるけど……まぁ、悪くないわ。
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