Ep.3 片付け中の男

「ですから、猫の手屋、ですにゃ」


先ほど、突然現れたこの怪異なる猫と同じ形をしたものは、機械仕掛けでも木工のからくりでも、はたまたホログラムなどでもない。

体温があり、動いている。

そして何故か、人語を解す。


取り敢えず、何か食べるだろうかとコンビニ弁当の残りを目の前においてやった。


「久々にムカつくおっさんにゃ」


蹴り飛ばされた。

蓋に乗せていたので、ひっくり返るというよりはスライドしただけだったから、さほど零れずに済んだのは幸いである。


「一体、何ものなのだ……」

「猫の手屋、にゃっ! 言語理解と現状認識にゃんしきが、全くできていにゃいにゃっ!」


「……ということは、猫、なのかね?」

「そう言っているにゃ」

「手を貸す……とは、いったいぜんたい何に手を貸してくれるのだね?」


その自称『猫』は、ついっと冷たい目つきになって、椅子の上に立ち上がる。


「その、片付けているつもりでどんどん散らかっていく物の『廃棄』を手伝いに来たのにゃ」


廃棄。

ああ、そうか、これらは、確かにもう要らないものだ。

使うことも触れることも見ることもないものばかりだから、全部捨てるつもりで整理していたのだ。

だが、見て、触れて、いろいろと思い出してしまって……動けなくなっていたのだ。


これではいかんと奮い立ち、スマホで『片付け方』とか『断捨離』などと検索していた時に、うっかり触れた画面が切り替わったら……この『猫』が現れた。


「で、どうしますかにゃ? 『捨てるものを選べる』んですかにゃ?」


『捨てる』という言葉は、とても心が苦しくなる。

この手から離すだけではなく『無くす』ということで、これからの自分の人生の中からそれの存在がなくなるということだ。

二度と手にすることが、見ることがなくなり……きっといつか記憶からもなくなる。


物品を捨てても思い出は消えないなどとよく言うが、脳の中に情報が残っていたとしても取り出せなくてはないのと変わらない。

物品というものは、それを思い出す鍵であったり扉であったりする場合が多いのだと知っているから……捨てるのがつらい。


「思い出せなくなるのは、悲しい。だが、そもそも全てを忘れてしまうのなら、思い出せないということすら、忘れるのだろうか?」


猫はじっと私を見つめる。

その瞳には、優しさとか温かみなどというものは感じない。

『無関係な第三者』の瞳だ。


「思い出が助けににゃる人も、負担ににゃる人もいるのにゃ。お客さんが自分をどっちと思うかで、過去の価値は変わるのにゃ」


無くすと悲しいと思えるなら、私の思い出はこれからも価値があるのだろうか?


「先のことにゃんて、解るわけないのにゃ。でも、必要とか、価値とか、割とどうでもいいことにゃ」

「え?」

「選べにゃいなら選ばにゃくてもいいし、好き嫌いで選んでもいいし、そもそも思い出きおくなんて、どんどん頭のにゃかで都合よく変わったりするものにゃ」


そうだ。

確かに思い出は変質する。

自分の都合のいいように、自分が失敗したことなんてなかったかのように。

覚えていたはずが、事実と違っていたなんて、よくあることだ。


それすらも……価値があったり、なかったり……するのか。


「困った……これでは、選べないよ」


猫が、にやり、と笑った。

アリスインワンダーランドのチェシャ猫のようだ、と声を漏らしたらかなり不機嫌そうになった。

自己主張のハッキリとした猫だ。


「選ばず全部捨てる……っていう選択もあり、にゃ」


全部、捨てる。


「全部捨てにゃい……も、にゃいってことはにゃい」


『にゃい』は『ない』だな。

いかん、微笑ましいなどと思ったことがばれたら、この猫はきっと怒り出してしまうな。


「全部捨てたら、私の記憶からもなくなって楽になるのだろうか?」

「そうかもしれにゃいにゃ」

「全部捨てなかったら、ずぅっとその大切な記憶に囲まれて幸福でいられるのだろうか?」

「そうかもしれにゃいにゃ」


どちらも……は選べないのだろうか?


「お客さんが『ここにあるものを捨てる』のではにゃく、何も捨てずに『お客さんがここを去る』ことも……選べるにゃ」


そうか。

ことは考えていなかった。

ものを自分から離しても、捨てなければ、ここに来さえすればまた手に取れるのだ。

そして私が覚えていることは、たったひとつでいい。


『ここに全てがある』ということだけを忘れなければ、ここに来たらなにもかも思い出せる!


おや……猫が、何も言わずに座り込んでしまった。


「どうしますかにゃ? 『廃棄』」

「捨てない。このまま、僕だけがここから出ていくよ」

「……それで、いいんですかにゃ?」

「うん。ここにぜんぶある。そう思っていられるなら、その方がいいよ」


おや、猫が風のように軽く笑った。


「やっと、選べましたにゃ、お客さん」


僕は足取り軽く家を出る。

ああ、もの凄く久し振りだ。

違うな……『初めて』だ。

外に出たのは。


あれ?

久し振り?

初めて?


コンビニ弁当は……誰が買ってきたのだったかな?

僕……では、なかったのかな?


「弁当代も加算しとくにゃ」


遠くで、猫の声がした。



「未来が選べて、良かったにゃ」



=====



「……また、猫の夢……」


まだ夜中だというのに、目が覚めてしまうのは決まってその夢を見た時だ。

その夢は小さい頃から何度となく見ている。

喋る猫と、部屋を片付ける夢だ。

……片付かなくて、目が覚める。


「ふぅ、やっと終わったにゃ」

「うわぁっ!」


猫!

あの夢の猫だ!


「お客さんの片付けなかった『昔のもの』で、ご利用料の補填ができたにゃ。多くて時間、掛かっちゃったにゃ。でも、ちょっとだけ足りにゃいから、次の通信費に加算されるにゃ」


え?

利用料とか通信費とかなんだよ?


「『どこにあるか』……覚えてませんかにゃ?」

「覚えてって……知らないって! なんのことだよ?」


猫が笑った。

あの、夢の最後の方でよく見る、あの笑顔だ。


「覚えてなくて良かったにゃ。『前世かこ』なんて、ただの枷、にゃ。支払いが終わったら、今日までの『記憶ゆめ』も捨てられるから、安心して明日に行くといいにゃ」


そう言うと猫は窓から……ではなく、俺の部屋の扉から出ていった。

後を追って扉を開いたが、いなかった。


ぴこん


ケータイから通知音。

開いてみたら『ご利用ありがとうございました』の文字と『差額七十円徴収済みです』……?


「あら、夜中に何してるの?」

「母さん……」

「また、猫の夢?」


え?

えーと、えーと……なんだっけ?


「いや……夢は、見てないよ」

「じゃあ、まだ時間あるからもう少し寝なさい。いくら楽しみだからって寝不足だとつらいわよ、旅行」

「うん、おやすみ」


部屋に戻ってもう一度ケータイを見たが、何も映っていないし履歴にも何もないし……ん?

何、探してたんだっけ?


窓の外はまだ真っ暗だ。

もう一眠り、しよう。




(……今回の出張料金、安すぎ。生まれ変わりの手伝いなんて猫の仕事じゃないですよ、全く!)


眠りに落ちていく時に、ちょっと悔しそうな感じの猫の鳴き声が聞こえた気がした。


明日、晴れるといいな……

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る