Ep.2 夏休み終了間際の高校生 

 その変な広告がスマホに表示されてから、三日が過ぎている。

『猫の手貸します』

 何に?

 今、あたしにやりたいことも、しなくちゃいけないことも何もないのに、何に手を貸してくれるの?


「絶対、詐欺」


 今朝もそう思って、画面を閉じる。

 ……あれ?

 なんで、消えないのかな?

 真っ黒な画面に、その広告だけが浮かんでいる。


 どうでもよくなって机の上に放り出す。


 ちょっとだけ、もうちょっとだけ寝よう。

 そしたら、何かが変わっているんじゃないか……なんて。

 そんなこと、ないって知ってるのに。


 だって、あたしにはなんの価値もないもの。


 お父さんも、お母さんもそんなことは言わないけど、あたしより妹の方に期待しているのは解る。

 今の高校に入った時に、お父さんは何も言わずに溜息をついただけ。

 お母さんも目を逸らして、仕方ないわよね、としか言わなかった。


 夏休みも、もうすぐ終わる。

 また、学校に行かなくちゃいけない日々が始まって、友達も彼氏もいない学校に通わなくちゃいけない。


 誰も、あたしを見ていない。

 誰も、あたしに声をかけない。

 価値がないから、そんなことしない。


 何もしたくない。

 何も……されたくないから、このまま、何もしないでいたい。


 ウトウトし始めたときに、スマホのバイブがヴーーーーッとうなり声を上げて、机の上で小刻みに動く。

 仕方なく起き上がって、画面に触れたら……止まった。


 そして、また変な表示。

『ご依頼承りました。すぐに参りますので、そのままお待ちください』

 は?


 依頼って何よ?

 そして、机の上に……猫がいる。


「お待たせしましたにゃ」


 しゃべってる。

 猫のくせに。


「失礼にゃこと、考えてますにゃ? 猫ってのは、にゃんでもできるから猫にゃんですにゃ」


 にゃーにゃーにゃー。

 あはははは、夢にしちゃ面白いわ。


「どーして呼び出した人間はみんにゃ、夢とか、幻とか、ネコマタとか、言うんですかにゃあ? 失礼極まりにゃい」

「夢じゃないなら、なんなの?」

「『猫の手屋』ですにゃ。あなたに猫の手を貸しに来たのにゃ」

「夏休みの宿題なら、全部やったわよ?」


 あたしがそう言うと、そんなことは当たり前なのにゃ! って、しっぽを立てる。

 あたし、変だ。

 なんで猫とこんな風に喋っているのかなぁ。

 なんで驚かないんだろう?


「それは、お客さんが『はにゃし相手』を欲しがっていたからにゃ。だから、喋りたいのにゃ」

「……そっか。あたしの話し相手って、猫程度ってことか……」


 あ、にゃんこが怒った。

「にゃーーーっ! どこまで失礼にゃんですかにゃっ! 猫とはにゃせる人間にゃんて、そんじょそこらにゃいないのにゃ! 選ばれた人しかはにゃせないのにゃ! どーして人間ってのは、猫より自分らの種族が上って思っているんですかにゃっ? 図々しいにゃっ!」


「あたし、選ばれたの?」

「……そうにゃ。そうじゃにゃきゃ、うちの広告は見られにゃいのにゃ」


 えへへへー、そっかぁ。

 嬉しいなー。

 あたしなんて、なんにもできないのに、選んでもらっちゃったのかぁ。


「お客さん、自己肯定感が低すぎにゃ」

「だって、お父さんもお母さんも、あたしにはなんにも期待していないもん」

「それは素晴らしいことにゃ」

「え?」


 にゃんこはもの凄く真面目な顔して、あたしの目の前で髭をそよがせる。

 エアコンの風が気持ちいいのかな?

 ちょっと眼が細くなって、得意気な顔をしているみたいに見える。


「親から変にゃ『期待』にゃんてものを背負わされると、歪むにゃ。人間の子供は弱いから、親から言われたことを気にしすぎるのにゃ」

「弱い……のか」

「そうにゃ。第一、親の価値観とお客さんの価値観は、違ってて当たり前にゃ。自分以外の人間に、自分の価値を決めさせるのは、歪みの素にゃ」


 あたしの、価値。

 そんなもの、あるのかなぁ……


 そう呟いたら、にゃんこがすっごく変な顔をする。

 えーと、フレーメン?

 あれ?

 ブレーメンだったかな?

 そんな奴?


「本当に、にゃんて図々しいのにゃっ! たった十数年しか生きていにゃいくせに、自分の価値を判断するとか、神への……いや、全ての生き物への冒涜にゃっ!」


 にゃんこにそんな壮大なこと、言われても。


「いいかにゃ、お客さん。生き物ってのは創造主が作って、膨大な時間をかけて進化し続けて、ここまで来ているのにゃ。全ての生命体に価値があるから、生きているのにゃ。いや、死んだって価値があるのにゃ。それをたかが一個人、しかも十年ちょっとの人間如きが、勝手に判断していいものじゃにゃいのにゃっ!」


 にゃんこ、けっこう熱血なんだね。


「価値のにゃい生き物にゃんて、いにゃいのにゃ。みんな、価値があるのにゃ。そして他人が言う価値っていうのは『その人にとっての価値』というだけで、お客さん自身の『本当の価値』ではないのにゃ。だから、それを生きる支えとか判断材料にしちゃ駄目にゃ。親であっても、人は一面だけしか見ていにゃいのにゃ」


 にゃんこ、熱血教師みたいだよ。


「……どうしても子供相手だと、熱くにゃってしまうのにゃ……お客さんは、こういうこと言われたいタイプみたいだから、余計に……にゃ」


 あはは、にゃんこが照れてるー。

 でも、うん。

 嬉しい。

 あたしのこと、話してくれるの、凄く嬉しいよ。


「あたしの価値、どこにあるのかなぁ」

「それは自分で決めることにゃ。ただ、無価値ではないことだけは確かにゃ」

「そっか、あたしが決めていいのか」

「そうにゃ。誰でも、自分でしか決められにゃいのにゃ。でも、面倒なら決めなくてもいいと思うにゃ」

「いいの?」


 にゃんこの髭が、またくるくるって動いた。


「『価値』のために、生きるのは本末転倒にゃ。生きてるから『価値がある』のにゃ。順番を間違えちゃ、駄目にゃ」


 ……四字熟語、もう少し勉強するよ。

 にゃんこが使いこなせてるの、凄いね。

 意味、よくわかんないけど。


「ふっ、猫はにゃんでもできるのにゃ」


 ドヤ顔もするんだねぇ……ホント、にゃんこって不思議……


「……お客さん、お客さん……あ、本当に寝ちゃったかにゃ? まぁ、取り敢えずもう、死にたくは、にゃらにゃい……ですかにゃ?」


 なんとなく聞こえた、にゃんこの声。

 また……話したいなぁ……


「リピーターは、割引価格にゃ。いつでもどーぞ、にゃ」


 ……お金、取るのか……



 目を覚ましたら、もうすぐ昼だった。

 ちょっと、お腹空いた。


 一階に下りて、台所に行くとお母さんの姿が見えた。

 昨日までだったら、表情を覗き込んだり声をかけようかと立ち止まったりしていたのに、全然気にならずにスルーして冷蔵庫を開ける。


 オレンジジュースと、プリン。

 昨日買って入れておいたコンビニの袋ごと取り出して、二階に上がる。

 ……みんなの分……も入っていたんだけど、取り出されてはいないみたい。


 こういうご機嫌取りみたいな真似、もう止めよう。

 どうせ、無駄遣いしないで、って顔を顰められるだけだし。


 スマホを見たら『ご利用ありがとうございました』の文字。

『今回の『猫の手屋』ご利用額は三千円です』

 え、高っ!


『学生割引が使えますので、お支払金額は五百円となります。携帯電話の使用量に加算されます』


 ……うーん、凄いシステムだわ。

 取り敢えず、それくらいなら増えてても怒られないかな。

 アプリとか、ないのかな?

 ちょっと、リピートしたいんだけど。


 エアコンを切って、窓を開ける。

 窓開けていたら、来ないかなぁ……

 風が、真夏とは違って少しだけ涼しい気がする。


「二学期は……もう少し、勉強でもしようかな」


 にゃんこよりは、四字熟語……覚えたいし。

 それとも、バイトがいいかな。

『猫の手屋』の料金くらいは、自分で払えるようになりたい。


 プリン、四個も食べちゃった。


 スマホ画面に『ご利用いただいた方へ』って言う表示が出てて、アンケート画面になっていた。

 取り敢えず、アプリ作ってくださいって、入れておいた。


 また、会いたいなぁ……あのにゃんこと。

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