二章 常夜桜②

「妖の頭領と言っても、俺と同じように守護領域を管理している者はほかにもいてね。この場所はさいりゆうこくの南側に位置しているけれど、他にも東にはだいを管理しているだいじや族がいたり、都よりも北の山々はてんが頭領として治めていたりするんだ」

 玖遠に屋敷を端から端まで案内されながら、沙夜は妖の世界について教えてもらっていた。妖は本来、人間が去った古い屋敷やせきほこらどうくつなど、気に入った場所に勝手に棲むらしい。沙夜が知っている妖はそれまで「くろ」だけだったので、あまり群れず、根無し草のように生きているものだと思っていた。

 実際に妖の本質は自由気まま、ようりよくの強さがすべての基準とのことだが、一部のとくしゆな地域に棲んでいる妖はちがうようだ。特に力の強い妖が「頭領」を務め、人間を通さない結界を展開して「守護領域」を管理し、配下の妖達をとうそつしているという。

 玖遠の守護領域は四十町程の広さがあり、結界で山を二つ囲っている。そのはんの中で暮らす庇護下の妖もいる一方で、守護領域外に棲んでいる者達もいると教えてくれた。彼らは守ってもらっているお礼として、時折、野菜や肉などを届けてくれるとのことだ。

「他の土地にも妖は棲んでいるけれど、彼らは俺の庇護下じゃないからね。さっきも言ったように中には人間を喰う奴もいるから、もし見かけても近付かないようにしてね」

「は、はい……」

「それと守護領域内だとしても、屋敷の外に出る時は白雪を連れて行くんだよ」

「お供なら、お任せ下さい!」

 胸を張りながら明るく返事をしたのは、くりやからもどってきた後、そのままいつしよに案内をしてくれている白雪だ。身長が沙夜よりも頭一つ分小さいので、つい、白くてふわふわしている耳をでてしまいそうになる。

 だが、沙夜が何よりも気になっているのは、先程から視界の端に映る、様子を見に来ている妖達の存在だった。玖遠や白雪のようにようと呼ばれる種の妖だけでなく、二足歩行しているけものだったり、毛むくじゃらで顔がない者だったりと、様々な妖がいるようだ。

 彼らから向けられる視線は、決して心地よいものではなかった。かべかくれるようにしながらこそこそと話しているつもりなのだろうが、しっかりと聞こえている。

「……頭領が人間をめとったって、本当だったんだ……。うーん、おいら、人間は喰わないけれど、肉付きが美味おいしくなさそう……」

「俺達はまだ夢の中にいるんじゃないか? だって、お役目一筋の女ぎらいで有名な、あの頭領だぜ?」

「今、朝。夢、違う。でも、確かに、あの人間、貧相……かも?」

「……ぎんちくあさぶき。全部、聞こえているぞ。壁のかげから出てきたらどうだ?」

 のぞき見しながらおしやべりしていた妖達に向けて、玖遠がうでを組みつつ、あきれたような口調でうながした。彼らは気まずそうな表情をかべながら、沙夜達の前へと出てきた。

 灰色の毛並みを持つ妖狐が銀竹で、尾が付け根から二つに分かれている二足歩行のねこの妖が朝尾、そしてむらさきいろしつを持つ、ねずみに似ている妖が紫吹というらしい。

「全く、覗き見とは良いしゆだな」

「よ、様子見ですよ、様子見! 頭領のお相手はどんな人間かなぁと思って!」

 銀竹が苦笑しながらほおいているが、目が泳いでいた。

「……まぁ、良い。屋敷を案内した後、お前達に沙夜をしようかいしようと思っていたし」

 玖遠が沙夜の背中に手を当てた時だ。

「──あら、紹介なんてしなくて宜しいですわ。人間のむすめごときが頭領様の妻になるなど、私は賛成しておりませんもの」

 あらなみを立てるようなこわいろがその場に響き、沙夜達は視線を声の主へと向けた。

 すのの曲がり角に隠れていたのか、そこから現れたのは、顔はいたちだが人間のようにころもまとい、二足で立っている妖だった。げ茶色で丸い鼻からはひげびており、全体的にちやかつしよくの毛並みをしている。その妖のひとみが沙夜の姿をとらえるとすっと細められた。

「人間なんて、ずるがしこい上にきようなことばかりして、われら妖に害をりまくだけの存在でしょう? それをわざわざ娶ろうなど、だまされているのではありませんか」

 その妖は沙夜に冷めた瞳を向けてくる。そこには敵意のようなものが宿っており、沙夜は小さくかたらした。

 ……人間が妖をみ嫌っているように、妖も人間のことをけんしているのね……。

 人間が妖をおそれている理由は知っているが、妖達が人間を嫌悪する理由は分からず、注がれる冷たい視線を受け止めるしかなかった。だが、とつじよ、沙夜の視界がさえぎられた。玖遠がその妖の視線から守るように背中でかばったからだ。

「……ふう

 玖遠がその妖の名を呼んだしゆんかん、ぴしりとしきはりきしむ音が響いた。

 周囲の妖達の中には逃げ出す者もいれば、あおめて立ちくしている者もいる。

 妖達の様子を見て、はっとした沙夜は顔を上げた。玖遠の横顔がわずかに見えたが、彼はいかりを宿した瞳で風香をえていた。金色の瞳はあわく光り、するどく細められている。彼かられ出てくる冷たい空気は、その場を一瞬にしてこおらせていた。

 彼の横顔はぞっとする程に冷たく、沙夜はおどろいて一歩後ろに身を引いた。

「それ以上、沙夜をおとしめる言葉を発することは許さない。……いいか。彼女は俺が選んだ、たった一人の妻だ。お前が沙夜を貶めるたびに、俺をじよくすることにもなるが分かっているのか?」

「っ……」

 を言わせぬ圧をふくんだ玖遠の言葉に、風香は引きった声を小さく上げた。圧に耐え切れなくなったのか、壁に手をき、身体を支えるようにしながら立っている。

 屋敷の中に木々がこすれ合うような音が増していき、その場の空気の重さによって息がしづらくなってきた時だった。

「……落ち着いて下され、玖遠様。このままでは屋敷がとうかいしますぞ」

 突如、その場に響きわたったのはしわがれた声だった。それまで誰もが抱いていたきんちようは、いさめるような言葉によって少しだけやわらぐ。

 風香の後方からひょっこりと姿を現したのは、よぼよぼとした足取りの犬の妖だった。まぶたが開いているのか分からない程に毛深く、衣を纏っており、二足で立っている。

「あなた様の妖力の圧をこの老体で受けると、少しばかりつらいのです。どうか、このふせめんじて、お怒りをお収め下され」

 玖遠は真伏という犬の妖の方に視線を移すと一度目を閉じ、ふぅっと深い息をいてから瞼を開いた。それまで宿っていた冷たさと怒りは彼の瞳から消えている。

 そのことに沙夜はひそかに胸を撫で下ろした。

「……悪かったな。最近はせいぎよ出来ていると思っていたんだが」

「いいえ、いいえ、あなた様がその大き過ぎる妖力を制御するために、どれ程修練を積まれたのか、わしは深く存じております。玖遠様が『頭領』として、立派に務めていることも。……ですが、このたびのこんいんはあまりにもとうとつなこと」

 真伏の声色はおだやかだが、年長の者としての言葉の重みが宿っていた。

「あなた様の結婚はとても喜ばしいことだと思っております。……しかし、相手が人間となると、我ら妖も、はいそうですかとお祝いするのは難しいのです」

 真伏は玖遠を見上げていた顔を沙夜の方へと向けてくる。瞼はせられているというのに、心の中をかされるような気がして、沙夜は自然と背筋を伸ばしていた。

「ここには人間に傷付けられた際に、助けて下さった玖遠様をたよって身を置いている者もおります。そこに人間が一人でも入ってくれば、間違いなく場は乱れますぞ」

 真伏が言っていることは正しい。沙夜も自分が彼らにとっての異物だということは自覚しているし、最初から受け入れられるなんて思っていない。

「現に、あなた様のお母君である先代頭領が『婿むこ』をむかえた際も……」

「──真伏」

 玖遠が少し苦い表情を浮かべ、真伏の言葉をうばった。もしかすると、彼にとってはれられたくはない話なのかもしれない。

「……もちろん、先代頭領達が苦労していた話は知っている」

 ぜんとした態度で玖遠は胸を張りながら、真伏だけでなく、ほかの妖達にも宣言するようにはっきりと告げた。

「だが、全て承知の上で、彼女を妻にすると決めたんだ」

 そう言って、彼は一歩後ろでひかえるように立っていた沙夜へと手を伸ばし、一瞬にしてき寄せた。

「っ……!?」

 密着した身体からだから伝わる熱と揺らぐことのない熱い視線に沙夜はまどい、じろぎすら出来なかった。

「俺が沙夜を娶ることを祝福しろとは言わない。ただ、彼女に害をなすな。……それだけをおのおのの胸に刻んでおいて欲しい」

 すべてをけるように、玖遠の声色はしんけんなものだった。沙夜のためを思って守ろうとしてくれる彼のおもいに、胸の奥が熱くなってしまう。

 父の手からげたい沙夜は、これまでおのれのことしか考えていなかったのをじた。それほどに、強い意志を宿した彼の瞳は自分にはまぶしすぎた。

「……そこまで強いかくを持って、娶られるというのですね」

「ああ。俺にはもう、沙夜を娶らないというせんたくはないんだ」

 玖遠の返答に、真伏は深く息を吐く。それは呆れではなく、しぶしぶといった様子だった。

「ならば、あなた様のご意思に従いましょう」

 真伏は静々と頭を下げる。他の妖達も戸惑っているようだが、沙夜を追い出そうという意思は見受けられない。

 だが先程、反する言葉を告げてきた風香だけはちがった。沙夜をにくにくしげににらんできており、くちびるみながらきびすを返し、その場を後にした。

「ほら、あいさつは終わりだ、終わり。各自、今日の分の仕事に取りかってくれ」

 玖遠が手をぱんっとたたけば、妖達は間延びした声を上げながら、それぞれ別の方向へと去って行く。先程までの張りめた空気は消え去り、沙夜はしばられていたものから解放されたように、深い息を吐いた。

「……沙夜。さっきから、ずっと固まっているけれど……。だいじようか?」

 玖遠からの問いかけに、沙夜は一瞬だけ肩をふるわせる。目の前にいる彼は、心配する顔で沙夜を見ている。そこには冷めた感情は一つも宿っていない。

 ……今はこんなにも穏やかな表情をしているのに、先程の玖遠様は……まるで別人のようだったわ……。

 特に風香を睨んでいた際の金色の瞳は、自分に向けられたわけではないというのに、背筋が凍りそうだった。自分にとってはやさしく温かな人だと思っていたが、あの鋭いそうぼうを見た時、いまさらながら彼は妖の頭領なのだと実感した。

「……やはり、妖はこわいか?」

 玖遠には沙夜がおびえているように映ったらしい。彼は一瞬だけさびしそうに目を細めた。「妖」とつぶやいたその中に彼自身が含まれている気がして、沙夜は必死にかぶりを振った。

「いいえっ。そういうわけではないのです」

 沙夜は思わず、玖遠のそでをきゅっとにぎった。

 自分の知らない玖遠の一面を見てしまい、少し驚いただけだ。だが、先程の頭領としての玖遠を見ても、怖いという感情は生まれて来なかった。

「確かに妖の中には恐ろしいものもいるでしょう……。ですが、妖は決して、恐ろしいだけの存在ではないと思うのです」

 目の前の玖遠のように、心優しい妖がいることを自分は知っている。他にも、と考えた時、のうかんだのは玄のことだ。

 ……あの子は……「玄」は今も元気にしているかしら……。

 玄とは二度と会うことはかなわなかったが、沙夜にとっては大事な思い出の一つだ。

「……君は屋敷から出られなかったと聞いていたけれど、妖と会ったことがあるのか?」

 いぶかしむ、というよりもどこか確かめるような問いかけだった。

「実は幼いころぎつねの妖と親しくなったことがありまして。少しの間、いつしよに過ごしただけでしたが、とても楽しくて……。心が満たされる日々をその妖からもらったのです」

「……そうか。幼い君にとって、その妖との思い出が少しでもかがやかしいものだったのなら、俺としてもうれしい限りだ」

 沙夜が顔を上げれば、そこには優しい目をした玖遠がいた。

 喜ばれるようなことは言っていないはずだが、と首をかしげていた時だ。

「玖遠様。もう一通、便りが届いたのでそちらにも返事を書いて頂きたいんですが」

 背後から真面目まじめそうな声がかかり、り返った。沙夜よりも少し年上に見える青年は、両手で紙の束をかかえつつ、こちらを見ていた。

 よく見ると、青年はだいだいいろかみを一つにくくっており、髪と同じ色の耳が頭にぴょんと生えていた。もしかすると、玖遠と同じようなのかもしれない。

「ああ、八雲。ちょうど良い時に通ったな。彼女が俺の妻となった沙夜だ」

「……」

 八雲と呼ばれた妖はまゆを寄せただけで、言葉を返すことはない。何となく、沙夜は彼からかんげいされていないふんを感じ取り、ひとまず頭を軽く下げるだけにとどめておいた。

「……とりあえず、早く返事を書いて下さい。以前のように、十日も放置するようなことはなさらないで下さいよ。いい加減にしないと、相手方の気にさわります」

「分かってはいるんだが、返事を書くのは苦手なんだよ」

「だから、こうやって早めに書くようにと申しているのです」

 そう言って、八雲は玖遠に紙の束を押し付けるように持たせ、彼の背中を押しながらかし立てた。

「ああ、もう、分かったから、押すなって! ……お前は真面目で良いやつなんだが、本当にゆうずうかないな……」

 玖遠は深いためいききつつ、小さく振り返る。

「沙夜。また後で案内をするから、さっきの部屋で待っていてくれる? すぐにもどってくるから」

「あ……。ど、どうか、私のことはお気になさらず……」

 玖遠は申し訳なさそうな顔をしていたが、やるべきことをさっさと片付けようと、その場から早足で去っていった。一仕事終えたと言わんばかりに八雲はふっと短く息を吐き、きよぜつするようなするどい視線を沙夜へと投げかけてくる。

「……言っておくが、僕はお前を玖遠様の妻として、認めたわけじゃないからな」

「っ……」

 八雲はそれだけを言い残し、ふんっと鼻を小さく鳴らして、玖遠の後に付いて行った。

 彼の一言に対して、どのように返事をすれば良かったのだろうと沙夜が戸惑っていると、白雪が袖を小さく引いたため、振り返った。どうやら、白雪にも八雲が沙夜へと言い放った言葉がしっかりと聞こえていたらしい。彼女は少しだけ困ったような顔をしていた。

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