一章 夜半の逢瀬①
「──何だ。まだ、これだけしか仕立てられていないのか。
不満そうな声を上げたのは、
乱暴な言葉を受けた沙夜は身を縮ませながら、父に向かって頭を下げた。
「……申し訳ございません」
視界の
けれど、仕事量が多過ぎると反論することも出来ないのは、そのような態度を取れば、
「まぁ、良い。
「よし、よし。ちゃんと出来ているな。……これがあれば、御神木も喜ぶだろうよ」
沙夜は「御神木」を見たことはない。ただ数年程前から、「御神木」に奉納するための領巾を仕立てろと命じられ、それから毎月一枚ずつ仕立てるようになった。
「こっちは追加の布地だ。
父は沙夜に向けて、布地が入っている布の包みを投げ
「どちらの衣も、怪我の回復だ。ちゃんと『
「……はい」
理由は分からないが、沙夜が仕立てる衣には不思議な力が宿るらしい。その衣を
その衣を父は多方へと売りさばき、かなり
……私はただ、この人にとって、利益を得るための道具にしか過ぎないもの……。
父から家族としての情を与えられたことなどなく、沙夜はいつしか期待するのを
唯一、沙夜の身を案じていた乳母も数年前に亡くなっているため、親身に接してくれる家族は一人もいなかった。
……この力さえなければ、今よりは自由な生活が送れていたかもしれないわね。
どれ程、沙夜が望んでも、この不思議な力は沙夜自身を「幸せ」にはしてくれない。
「とにかく、期日までに仕上げろ。でなければ、食事は無しだ」
「……はい」
仕事が終わっていないからと、食事を
催促した後、父は早々と立ち去ろうとしていたが、何かを思い出したのか、
「おお、伝えるのを忘れるところだった。……めでたいことに明日お前も成人の日を
「……ですが、世間の姫君の成人よりも
世間の姫君の成人は十二、三歳頃だと昔、乳母に教えてもらった。その
「榊原家において、成人となるのは十六と決まっておってな。……ああ、実に喜ばしいことだ。沙夜も明日を楽しみにしているといい」
明日もまたここを
……
父の
胸の奥で
松の
……あの方に会いたい……。早く夜にならないかしら……。
心が
……あの
沙夜は住んでいるこの小さな
一度だけ
その
……きっと、今夜も来て下さるわ。
沙夜は
● ● ●
……何とか、日を
残り一枚は明日、早起きしてからやろうと沙夜は
築地の
思わず、短く息を吐いた時だ。築地の向こう側から、こつこつと
今夜も来てくれた、という
「──こんばんは、沙夜。……今日は月が明るい良い夜だね」
壁越しに聞こえたのは、
声がはっきりと聞こえるのは、庭石のすぐ傍の築地に四寸
沙夜は
「……こんばんは、
沙夜にとっての心の拠り所、それが「玖遠」という名の青年だった。
彼との出会いは半年程前に
『──そんなに
その日から
玖遠が何者なのかは分からない。だが、たとえ名前しか知らなくても、彼が優しい人だということだけは知っていた。
いつも通り外での出来事を聞かせてくれる彼の低く
「……また、溜息を吐いたね。今日も父親に何か言われたのか?」
「っ……。玖遠様は何でもお見通しなのですね……」
「沙夜はすぐに
いつだって、沙夜が密かに抱くものに気付き、吐き出させてくれるのは玖遠だけだ。
それがどれ程、沙夜にとって心の支えになっているか、彼は知らないだろう。
「大したことではないのです。……ただ、明日で私が十六となり、成人を迎えると言われまして」
「……十六、か。それなら、お祝いしないとな」
「お、お祝い、ですか……?」
今まで祝われたことなどない沙夜は、その言葉に心がわずかに
「ふむ……。そういえば以前、桜の花を見てみたいと言っていたね」
「えっ、あ、はい……」
春を告げる
「お祝いの品とは言い
「そんな……申し訳ないです。成人すると言っても、今と何かが変わるわけではありませんし……」
「沙夜にとって大事な日だからね。……俺はこうやって、夜に訪ねることしか出来ないから、せめて桜の枝だけでも俺の代わりに沙夜の傍に置いてやってくれないか」
玖遠の言葉を受け、沙夜の心臓は小さく
彼が
……私はもう、この方がいないと、
きっと、玖遠と出会う前の自分に
「……では、楽しみにしていますね」
沙夜がそう答えれば、玖遠が
……やっぱり、玖遠様と
一人ではどうにもならなかった形容しがたい不安は玖遠のおかげで
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