入社直後のミラクル

冨平新

入社直後のミラクル【KAC20229参加作品】

 「おい、加母田かぼた

 「はいっ」

 「お茶だよ!お茶!

・・・全く、いつになったら使える社員になれるんだ?」


 直属の上司の鬼瓦おにがわらは、

光彦に怒号を浴びせてお茶汲みをさせ、

パワハラを展開していた。


 福祉系の大学を卒業した加母田光彦かぼたみつひこは、

卒業と同時に大手東証一部上場企業の

『ディライトライフケア』に入社した。


 3か月の新人研修期間を終え、

夏から本格的に職場に入ったが、

社員は全員、忙しくしていて、

自分の抱えている仕事をこなすのに手一杯で雑談する暇もない。


 大学時代から付き合ってきた下條灯しもじょうあかりとは、結婚する予定である。

光彦には、どんなことがあっても歯を食いしばって耐えて、

灯を幸せにするんだ、という決意がみなぎっていた。

 

◇ ◇ ◇


 「はい、ディライトライフケアです」

 女性社員が電話に応対し、保留ボタンを押した。

 そして、鬼瓦に耳打ちした。


 「なんだって?…ちょっと社長のとこ、行ってくる」

 「かしこまりました」

 

 光彦は、他の全社員にもお茶汲みをしていた。

 「ありがとうございます」

 「ごめんね~、いつも忙しくってさ~」

 社員の方々は、それなりに光彦に気を使ってくれていた。


◇ ◇ ◇


 「加母田かぼた、ちょっと来い」

 社長室から戻った鬼瓦が、光彦に手招きをした。

 「みんな、忙しいんだ。お前に出番がやってきたぞ」

 「出番?ですか?」


 鬼瓦に同行しながら話を聞いた。

 「さっきかかってきた電話、お母様を老健で看てもらいたい、

という方からだったんだが、相談の電話だと思ったら、

もう会社の駐車場に居る、ということなんだ。

それで、3歳の子供を連れて来たから、面倒をみて欲しい、と言われた。

女性社員、全員忙しいだろ?お前に世話を頼みたい」

 「あ、は、はい、わかりました」


◇ ◇ ◇


 鬼瓦と光彦は、駐車場に向かった。


 「ワアアアァーン!」

 子供が大声で泣いているような声が聞こえる。


 クリーム色のベンツから、サングラスをした美しい女性と、

泣きじゃくっている3歳児が降りてきた。


 「いやぁ~、たちばな様、暑い中、ご足労そくろう頂きまして・・・」

 「お宅、一部上場でしょ?お部屋、まだあるんですって?」

 「最上階の個室、全て込々で、月100万のお部屋になりますが。

それでは、たちばな様、まずはご相談、ということで。

どうぞ。館内へご案内します」

 泣きじゃくる3歳の聖人あきとを抱いて、橘莉々たちばなりりは商談室に案内された。


◇ ◇ ◇


 3歳児がまだ大声で泣いている。

 「加母田かぼた君、頼んだ」


 人前では『君』付けか。

 光彦は思った。


 「よしよし、それじゃ、お兄ちゃんと遊ぼっか」 

 光彦は、子供の遊び場として設置されているプレイルームで、

泣きじゃくる聖人あきとを優しく抱きかかえて、気持ちを落ち着かせ、

チャンバラごっこをしたり、キャラクターアニメを見たり、

知育玩具で遊ぶなどして、楽しく過ごした。

 聖人あきとはいつしか、笑顔になって、キャッキャッと笑っていた。


◇ ◇ ◇


 医療費と介護料、生活費など全て込みで

月100万円の最上階の個室を正式に契約した橘莉々は、

鬼瓦に同行され、プレイルームに聖人あきとを引き取りに来た。


 「まぁ、聖人あきとちゃん、いいおかお!」

 あれほど泣きじゃくっていたことが嘘のように

3歳の聖人あきとは笑顔を振りまいていた。

 「まぁ、お宅、子供をあやすこともできるのね。なんて名?」


 そこへ社長が入ってきた。

 「ど~もど~も、この度は、当老健最上位の個室を

正式にご契約いただきまして」

 「ねぇ、この人、なんて名?聖人あきとがこんなにいい顔したの、

久しぶりに見たのよ。ちょっと聖人あきと、写真撮るから」

 橘莉々たちばなりりは、スマホで息子の写真を撮りだした。


 「こちらは、加母田かぼた、と申します」

 鬼瓦が、自慢気じまんげに答えた。

 「かばた、さん?」

 「かぼた、と申します」

 光彦が丁寧にお辞儀をしながら名を伝えた。

 「この人になら、お母さんのことも安心して任せられそう。

お母さんに何かあったら、よろしくね」

 「ありがとうございます!」

 光彦は、嬉しくてつい、礼を言ってしまった。

 「かしこまりました」

 鬼瓦が、付け足した。


◇ ◇ ◇


 社長と鬼瓦と光彦は、聖人あきとを抱きかかえた橘莉々たちばなりり

クリーム色のベンツに乗り込み、会社の門を出て行くまで

丁重ていちょうに見送りをした。


 「鬼瓦君、ちょっと」

 「はいっ」

 鬼瓦は社長に呼ばれて、館内に入っていった。

 少し遅れて光彦は、自分のオフィスに戻った。


◇ ◇ ◇


 「へ~、それで、鬼上司の鬼瓦、どうなったの?」

 「今月いっぱいで、退職だって」

 「えーっ!よかったじゃん!光彦!」

 光彦は、結婚を予定している下條灯しもじょうあかり

会社での出来事を伝えた。


 「その大金持ちのたちばなさんって人が帰った後、

鬼瓦は社長と何か話してたんだけど、

その後、廊下に『辞令』が貼られてさ。

何だか鬼瓦のポジションにつく新人は、

別の大手から引き抜かれた人らしい」

 「社長はきっと、鬼瓦のパワハラに気づいていたのね」


 「それから、俺、昇進することになった」

 「えー!昇進?入社してまだ1年も経ってないのに」

 「んー、何だかよくわかんないんだけどね。

仕事がもらえて、給与が上がるらしいよ」

 「わー!すごーい!来月からは毎月、何かおごってねん」

と言いながら、灯は光彦に抱きついた。


(完)

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入社直後のミラクル 冨平新 @hudairashin

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