第32話 キュリシュ侯爵
フランツ様だけでなく、ハインツ様までもが私にふれることができた。
そのことに広間中にざわめきが広がる。
見守っていた陛下がすぐ近くまで来て、私にふれているハインツ様を確認する。
間違いなくふれていることを見て、首をかしげた。
「どういうことだ?ハインツ。
ハインツも運命の相手なのか?」
「いいえ、違います。ちゃんと弾かれていますよ。
ただ、俺は痛みを感じにくいんです。
その俺ですらこれほど痛いのだから、
普通の人間ではさわり続けられないでしょう。」
「では、フランツは?」
「確証はないですけど、
薬を使って同じように痛みを感じなくさせているのではと思います。
今のフランツの体調の悪さやふらつき、焦点のあっていない目、
どれも覚えがあります。
…俺が痛みを感じにくいのは、幼少期に毒を飲まされた後遺症です。
マニヌラの根を飲まされたからです。」
「マニヌラの根だと?…キュリシュ侯爵はいるか?」
広間に向かって陛下が呼びかけると、人波を縫って一人の男性が王族席まで来る。
細身で長身の男性は銀髪を後ろに束ね銀縁の眼鏡をしている。
顔立ちは似ていないが、全体的な雰囲気がゼル様に似ている。
この方がキュリシュ侯爵でゼル様の父親だった方。
そういえば父親ではなくても血のつながりがあるのだった。
「およびですか?陛下。」
「ああ、マニヌラの根について説明してもらえないか?」
「…マニヌラの根ですか。
通常の治療で使用することはありませんが、王宮では常備してあります。
たとえば足を切断しなければいけない時などに使う痛み止めです。
痛み止めというか、神経毒の一種で、痛みを感じなくさせるものです。
とても毒性が強く、一歩間違えれば死ぬか中毒になります。
これを使う以外の手はないという時にしか使わないものです。」
「これを飲んだら、痛みを感じなくなるか?」
「そうですね、痛みを感じなくなるでしょう。
一度でも飲めば後遺症が残ると思いますが…。
ところで、陛下。
そのマニヌラの根が無くなっているのが昨日わかりまして…。
王宮薬師室の薬庫に厳重に保管させていたものです。
今は盗んだと思われる薬師を取り調べさせているところでした。」
「何?王宮薬師室の薬庫から無くなった?」
疑いの目が一斉に王妃とフランツ様に向けられる。
それでも平然と笑って見せる王妃に鳥肌がたちそうになる。
「陛下、いったい何の話をしているのです?
ごまかされてはなりません。
フランツは運命の相手に選ばれたのです。
アンジェの恋心のような些細なものに目を曇らせてはなりません。
この国のために、アンジェにはフランツに嫁いでもらわなければいけません。
ねぇ、陛下。陛下ならわかってくださいますよね?」
まだそんなことを?
広間中の貴族から疑いの目で見られている、このような状況になっても、
それでも陛下は自分の考えを支持すると思っているのだろうか。
悠然と微笑んだままの王妃に、陛下は顔を背けてキュリシュ侯爵へと問いかける。
「そのマニヌラの根は、飲んだかどうかわかるのか?
身体の様子とか、そんなもので見てわかるものか?」
「ええ、血の検査をすればすぐにわかります。
というか、痛みを感じなくなるまでマニヌラの根を飲んだのだとしたら、
早く治療しなければフランツ様は死ぬだけですよ?王妃。
いいんですか?マニヌラの根の中毒を治療できるのは私だけです。
その辺の薬師では治療できません。
一度口にしてしまえば、完全に治すのは無理なほど強い毒です。
一刻も早く治療しなければ…命の保証はできません。
あぁ、先に言っておきますが、私はこの国に忠誠を誓っております。
どんなことをしても口止めできませんよ?」
「…なんですって?飲んだら死ぬ?」
ようやくフランツ様の様子がおかしいことに気が付いたのか、
早く治療しなければ死ぬというキュリシュ侯爵の言葉を理解したようだ。
王妃の微笑みが消え、焦りの表情へと変わった。
「さきほど、マニヌラの根は強い毒性を持つと話したでしょう?
痛みを感じていないというのは、完全に毒がまわっている状態です。
そのまま二日も放置すれば、二度と目覚ることはないでしょう。
たとえ死ななかったとしても後遺症は残ります。
早く治療することができれば、少しは後遺症を減らすこともできるのですが…。
王妃は…それでもいいんですか?
治療を受けずに運命の相手だと言い続けたとしても、
フランツ様が死んでしまったり、
後遺症で動けなくなってしまったら意味がないんじゃないですか?」
「……。」
それでもかたくなに認めようとしない王妃に問うのはあきらめたのか、
キュリシュ侯爵はフランツ様へと問いかけた。
真っ白な顔色でうつろな目、もう立っているのもやっとに見える。
「フランツ様、意識はありますか?
もう、立っているのもつらいんじゃないですか?
私の治療を受けてくれませんかね?」
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