二十七 垓下の歌

 山野地区に入った途端、一同はいきなり敵の一団に強襲を受けた。

 銃器を持っていないところを見ると、囲い込んだ上でゲバ棒や鉄パイプなどの鈍器だけである程度までたたきのめすつもりだったようである。

 しかし銃弾を手で受け止め、ひらりと数メートルは跳躍し、大の男を何十人も倒すアンドロイドが二人もいるような集団に通用するはずもなく、たちまちに屠られてしまった。

 これはいいのだが、シェリルは啓一が突然前線に飛び出したことにあわてている。

 いつも通り「自衛」で通せるので出ること自体はいいのだが、いかんせん戦闘能力が低いのだ。

 機動隊ですらぼうじゅん越しでもけがをすることがあるのに、いわんや特別な訓練を受けていない者が、何の防禦もせず飛び出すのはまずいなどというものではない。

「下がってください、いなさん!今のはうまく行きましたけど、銃器を持ち出されると本気で命に関わりますよ!」

 シェリルが前を固めながら叫ぶが、啓一は上等と言わんばかりに怒気を放っていた。

 余りのことに、機動隊員が啓一を回収に入ろうとした時である。

 いきなり眼の前で、エリナが素早く腕を突き出して何かをつかんだ。

「大庭さん!敵襲です!!」

 弾の飛んで来た方向と弾の種類からするに、これは狙撃である。

「レーダー起動!……右高台上に人とおぼしき物体を確認!」

 エリナが叫ぶのと同時に、機動隊員が啓一を引っ込ませた。

「すみません……禾津さん!こらえてください!」

 言うや、シェリルとエリナが二人がかりで弾をはたき落とす。

 だが、なかなか止まらぬ。腕がそれほどない分、弾数で押し切ろうとしているようである。

 しかも始末が悪いのが、相手が光線欺瞞を使用していることだ。

「エリナさん、どこに何人いるか詳しく分かりますか!?」

「すみません、存在は判明しているんですが……!」

 光線欺瞞は音波や電波もねじ曲げて消す。当然使われると躰を動かす音も銃を操作する音もしないし、レーダーも効かないことがあるため、詳細がよく分からないのだ。

「……よし!これこそ後方支援の出番でしょ!」

 ここで清香がにやりとするや、「ディケ」を抱えたまま防楯の前に飛び出す。

「みなさん、念のため踏ん張ってください!!」

 そして何と、いきなり前方に巨大な反重力場を張ったものだ。

 場の中にシェリルとエリナが入ってしまったが、このようなことを想定して選択的重力調整装置をつけていたため平然と立っている。

 一方、たまらぬのは不意打ちを食らった狙撃犯の方だ。

 光線欺瞞が一気に吹き飛んだかと思うと、四人そろって浮いてしまったのである。

「おい、何だこれ!?ばれた上に浮くって!?」

「知るか!くそ、下りられねえ!」

 悪態をつく男たちの後ろに業務用の光線欺瞞装置が見えるが、残念ながら「ディケ」を前にしてはただの鉄屑だったようだ。

 清香が無重力状態を作るため「ディケ」を調整しながら歩き出すと、啓一と百枝、そしてシャロンまでもがいつの間にか簡易反重力発生装置を持って飛び出して来る。

「え……!!ちょ、ちょっと!!特にシャロンさん!!」

 百枝は恐らく啓一の入れ知恵だろうが、シャロンがどうやって装置のことを知ったのか分からぬ。

「倉敷さん!そこで踏み切って高台の上へ!」

おう!」

 時折飛んでいる高さではあるが、装置をうまく使ってさらに高く飛ぶ。

 着地した瞬間、装置で銃を浮かせて取り上げた上、男たちを道の方へと蹴った。

「よっしゃ、銃は全部潰した!あとは適当に料理しな!」

 ここで、シェリルとエリナが同時に動く。

 無重力状態となっているため、男たちは慣性のまま緩やかに下へ向かって来た。

 そこを狙い、一撃を食らわせたのである。

「ぐはあッ……!!」

 男たちのうち二人は一気に吹き飛び、ちょうど反重力場の尽きた場所、用水路にかかる橋の欄干おばしまに躰をぶつけて沈んだ。

「次は……まずいですね、反重力場から外れます!あいさん、もっとこっちへ!」

 残りの二人は姿勢を戻しかけた上、反重力場の尽きるすれすれのところにいる。外れてしまえば、逃走されるのは確実だ。

 ここで飛んで来たのが啓一である。

「おらあ!なけりゃ作ればいい!」

 そう言うや、簡易反重力発生装置を持った腕を頭の上で大きく回し始めた。

 本能的に散開したシェリルとエリナの間に、龍巻状の反重力場が出来る。

「うわ……禾津さん、よりによって兇悪なのを!」

 清香が叫んだ通り、巻き込まれた男たちは地獄を見ることになった。

 余りにも烈しい動きをする反重力場に巻き込まれた結果、互いにどうこうなる前に脳が揺さぶられ、悶絶して失神してしまったのである。

 そして龍巻が収まった途端反重力場の外に押し出され、まるでごみくずのように道へ横たわった。

 高度が三十センチ程度のところで飛び出した上、頭も打たなかったのでさしたるけがはないようだが、恐らく眼が覚めても腰が抜けて立てまい。

 橋の向こうで、これを見ていたらしい者たちが一斉に逃亡を図った。

 これもまた高台のようなところから狙撃しようというはらだったようだが、予想を超えた未知の攻撃にすっかりおじけづいてしまっている。

 それでも一部が逃げながら撃とうとしたため銃撃戦になりかけたが、エリナの跳躍によって阻まれ、半分近くが銃を撃つ前に蹴りで倒され投降した。

 ここで山野地区と横山地区の西に展開していた部隊の一部が増援で入り、電光石火の勢いで敵を追いつめ投降させる。

 数は三百人程度と少なく、抵抗も烈しくはなかった。

 どうやらここで警察と銃撃戦を起こし、攪乱した上で潰しにかかる作戦だったようだが、あっさり瓦解したため戦意を喪失したらしい。

 これで倒された敵は四千百人、残り九百人まで減った。

『山野地区、残存部制圧完了!』

 ともかくこの橋が山野と横山の境に当たるため、これで制圧ということになる。

 ここで一度停止し、被疑者の回収を開始した。全員銃刀法違反と殺人未遂で現行犯逮捕である。

 そこでシェリルが先ほど反重力場の龍巻を食らった男を逮捕しようと近づいたところ、シャロンがその前に立っていた。

 先ほどから姿が見えなかったため探していたのだが、どうやら制圧後ここに戻って来たらしい。

「シャ……」

 呼びかけようとして、シェリルは凍りついた。

「……刑事さん、こいつ……私のことを散々いびって、騙して」

 まるで何かに取り憑かれたかのように、シャロンは低い声で言う。

「お、お、お前はけつの切り身!どうしてこんなところに!」

「……言う必要ある?」

 眼を覚ました男が自分の姿に驚くのを見て、シャロンはそれだけ言った。

 あの時は、何と恐ろしいやつかと思っていたし、殺されるかも知れないとおびえ続けていた。

 だが今はどうだ、まるで潰れた蛙のように地にはいつくばった醜悪な肉塊ではないか……。

 シャロンは立とうとした男を装置で再度転ばせると、そのまま無表情で尻を五回ほど蹴り上げた。

 そしてのたうち回ってあお向けになったところで、何と股間を三回蹴り飛ばしたのである。

「シャロンさん!それ以上は死にます!」

 さすがにこれには、シェリルも止めに入らざるを得なかった。

 こんな男の下半身がどうなろうと知ったことではないし、怨みをぶつけられて当然というところだが、睾丸は事実上の内臓であるため本当に死ぬ。

 終始無表情のまま現場を去るシャロンを、思わず隊員たちが避けた。男性として痛みがよく分かるためか、苦悶の表情となっている隊員までいる。

 再び失神した男を正気づけ、逮捕したところで無線が入った。

『横山地区、北二割ほど制圧完了とみられます』

「えッ、早いですね!?」

『極めてこの周辺手薄です。相手は山野地区で勝負を決する予定だった模様です』

 ここから先の横山地区に入ると、雑木林が途切れ田園が多くなる。

 敵としては潜伏が出来なくなって攻撃が難しくなるため、その入口に当たるこの場所でなるたけこちらの戦力を殺ぐつもりだったようだ。

「部長、よろしいですか。今押収した小銃、調べてみたところ地球の軍用です」

「軍用ですか、今回の事件では初めてです。配置人数が少なくとも強い武器を持たせれば、もしかすると潰せるかも知れないと考えたんですかね」

「今回かなりけが人が出ていますので、その可能性は否定出来ないと思います。もし反重力発生装置の助けもないままに銃撃戦へ突入していたら、恐らくみな無事では済まなかったのではないかと思います。自分も今ここにこうしていられたかどうか……」

 そう言って、機動隊員は汗を一筋流しながら首を振る。

「こうなると、この先でかなり強い武器を持った精鋭部隊が出て来る可能性がありますね……。今龍骨内の残党狩りが行われているので、残り九百人が全員まともに来るわけはないですが、数が少ないと逆にそれはそれで恐ろしいものです。気をつけてかかってください」

「諒解!」

 敬礼をして去る隊員の背中を見ながら、シェリルはいよいよ迫った敵城・一新興国産業本社をぎろりとめつけていた。



 十八人目を倒したサツキは、ようやく二号館の外側に当たる廊下へ踏み出した。

「全く、こんな狭いところに何であんないたのよ!」

 そんな数を時間がかかったとはいえ倒せてしまったことが信じられないが、今はそんなことを言っている場合ではない。

 だが、ことは簡単に済まなかった。誤ってさらに裏の三号館に入ってしまったのである。

 壁に張られた三号館の館内図を見て、サツキはあッと声を上げた。

 斜面にめり込むように建物が出来ているらしく、裏から出ることが出来ない。さらに館内も無理をしているようで廊下の構造が複雑になっていた。

「後ろが埋まってるのはともかく、何なのよこの廊下!今のうちに戻らないと!」

 最低でも真ん中に当たる二号館の中にいないと、自滅する可能性がある。

 だがサツキの耳は、誰かがすぐそばの廊下を集団で歩いて来る足音をとらえていた。

 あわてて死角となる隅の細い廊下に入り込んだが、このままこうしていても雪隠詰めにされて見つかってしまうため、必然的に敵と戦うしかない。

(別の階から来たのかしら?ひい、ふう、みい……これは数人単位で随分広がってるわ)

 恐らく一気に十数人が倒されたことで、サツキをか弱い女性ではなく充分な脅威と見なして動くことにしたらしかった。

(派手にやりすぎたかしら……でも動くしかない……!)

 サツキは二本ほど簡易反重力発生装置を取り出すと、最大出力で反重力場を発生させる。

 そして男が向こうから数人やって来たのを視認するや、手だけ出して思い切り一本を廊下へ滑らせるように投擲した。

「えッ……!?うわあ!!」

 いきなり立ち上がった反重力場に、次々と男たちが浮き上がる。

 一人があわてて銃を放とうとした途端に天井に思い切りたたきつけられ、さらに他の男たち三人ばかりに押し潰されて自滅した。

「馬鹿野郎!こんな状況で撃てると思ってんのか!」

 残った男のうち一人が多少の知識持ちらしく、大声で怒鳴りつける。

「知っているやつがいるのはちょっと厄介ね……」

 相手の知識は全く読めない状態だ。あらかじめきちんと選択的重力調整装置をつけている辺り、少なくとも並の者以上なのは間違いないだろう。

 そのうちに奥の男たちが壁にぶつかったり互いに頭をぶつけてのびたりして人が減って来たが、さっき怒鳴った男はうまく空中を泳いで姿勢を保っていた。

 サツキは廊下から飛び出し、男と対峙する。

「お前、確か重力学者だったよな?残念ながら俺はこういうのよく知ってるんだよ。さっき投げた棒、あれが発生源じゃないのか」

「よくご存知ですね。同業ですか」

「答える必要はないと言ったら?」

「別にどうもしませんが。どのみち倒すのは一緒ですので」

 あくまで冷静なサツキの態度が気に入らなかったらしく、男は顔を歪めると、まずは脅しとばかりに空中でくるりと回るや蹴りを入れようとして来た。

 だが、それに向けてわざとサツキは走り出す。

「馬鹿か!自分から当たりに……」

 その言葉は、続かなかった。次の瞬間、男は思い切り廊下に足を突っ込んでいたのである。

 しかも反重力場が消滅した状態だったのだから、たまったものではなかった。

「ぐああッ……!!」

 人の頭より上から思い切り足一本で斜めに蹴りの体勢で飛び降り、しかも着地に失敗すればどうなるかは火を見るより明らかだ。恐らくは、足か足首を粉砕骨折くらいはしている。

 サツキがやったことは実に簡単なことだった。すれ違いざまに力場分離回路を発動させ、男の落下先だけ反重力場を消したのである。

 悶絶する男を放っておき、死屍累々たる中を急いで駆け抜け、左へと曲がった。

 さっと自分の位置を確認すると、一号館へどんどんと進んでいる。

(危険かしら?でも、今分かる階段はここのやつだけ!行くしかないわ!)

 頭上の掲示を見ながら、避難階段へと進んだ、その時だった。

 廊下の向こうに、いきなり三十人ほどの男たちが現われたものである。

「しまッ……!!」

 サツキはとっさに足を止め、躰を反転させた。

 シェリルでもあるまいし、さすがにこれだけ固まった男の集団を倒すことは無理だ。

「それ行け!捕まえろ!!」

 これまでか、そう思った時である。

 いきなり、男たちの眼の前で防火シャッターががしゃん、と落ちた。

「……え!?」

 サツキと男たちが、同時に声を上げる。

 通常、火や煙を感知しないと防火シャッターは落ちないはずだ。故障するにしても、いくら何でもタイミングがよすぎるというものである。

 固まっていると、

『……真島さん!真島さん!』

 急に空中ディスプレイからジェイの声がして来た。

「え、ヤシロさん!?どうして!?」

『セキュリティを突破し、そちらのサーバの一部を乗っ取りました!間に合ってよかった、場所をようやく把握出来ましたよ……!』

 まさにこれぞ地獄に仏というものである。

 ジェイの息は相当上がっていた。どれだけ奮闘したのか、想像するに難くない。

『ともかく、敵を全部検出し閉じ込める方向で行きます!しばらく動かないで待っててください!』

 ジェイが一度会話を切ったところで、

「驚きましたよ、セキュリティを破るだけでも相当なものなのに、サーバ乗っ取りまでするとは」

 捜査員が畏敬の念すらこもった声で言った。

「いや、大したことはありません。セキュリティ突破は大変でしたが、その先は存外簡単でした」

 正直なところ、一新興国産業のサーバはセキュリティレヴェルこそ恐ろしく高かったものの、中は拍子抜けするほど動きやすかったのである。

 その中でも特に驚いた、いや開いた口がふさがらなかったのが、

「……まさか、警報装置をあんな分かりやすいところに置くとは。潰してくれと言わんばかりじゃないですか。お望み通りにしてやりましたが、あれはいくら何でもひどい」

 このことであった。

 セキュリティの壁を破るでも、今回はさすがに隠密というのは難しいと思っていたため、ジェイたちもある程度露見することを覚悟で動いていたのである。

 それがこのざまだったのだから、余りの間抜けぶりに突っ伏してしまったほどだ。

『有り得ないよね……。僕も工場の方に突撃したけど、こっちもおんなじように潰せるんだから。自分とこの製品造ってるのに何なんだろ』

 工場側のシステム掌握に回った宮子が、あきれたように言う。

『で、どうする?こっちは全部掌握していいかな?』

「私の方と同じように、一回セキュリティシステムまでで止まっていてください」

『諒解。じゃあ掌握する必要があったら言って、準備はいつでも出来てるから』

 現在、ジェイはあえてサーバを全部掌握していない。ことを性急に運んで悪目立ちすることだけは絶対に避けなければならないとの判断からだ。

 システムに別口から感知され、迎撃される恐れがあるからというだけではない。

 松村が異常に気づいた場合、どんな行動に出るか分かったものではないためだ。

 サーバに足はないが人には足がある。システムごと放棄され逃げられては元も子もないのだ。

 そこでまずは本社ビルのセキュリティシステムを乗っ取り、館内を観察してサツキを探したところ、策をもって逃亡したことを把握。

 しかも接敵して危機状態にあったことから、急いで防火シャッターを閉め分断したというわけだ。

『今、順番に閉じ込めていますが……このまま単純に閉めて行くと、そちらが外に出られなくなる可能性があります!追い立てて都合のいい位置に誘導していますが時間が……!』

「分かりました、とりあえず避難階段で外へ……」

『避難階段を確認しましたが、敵がたまっています!建物内で安全な場所へ誘導しますので、そこへ向かってください!』

「分かりました!」

 空中ディスプレイ内に表示される地図を見て、方向を確かめる。

「もしかすると倒すのに時間がかかってなければ、チャンスがあったかも知れないけど……今さら言っても仕方ないわね」

 切歯しながら、サツキは大急ぎで廊下を走り始めた。



 横山地区に入った一同は、いっそうの警戒をもってじりじりと進んだ。

 やがて構成員とおぼしき者たちがバリケードを築いて待ち受けているのが見えて来る。

 総崩れを起こしているのを聞いて、あわてて作ったにわか作りであるのは明らかであった。

 今度はゲバ棒での殴り合いをしかけたり、火焔瓶やパイプ爆弾を投げるなど、いかにも極左暴力集団らしい行動を取って来た。

 しかし残念ながら、相手が悪すぎる。シェリルとエリナがいる時点で、桜通と周防通の再現となってしまい、ばたばた倒されて行った。

 さらに敵を翻弄したのが、啓一と清香による反重力攻撃である。

「そら!反重力の味を教えてやるよ!」

 まず簡易反重力発生装置の投擲で転ばせるのは基本だ。これだけでバリケードが大きく崩れてしまい、さらには一部の構成員が転んでしまう。

 しかも浮いたことで武器も全て手を離れ、全員が丸腰の状態となった。浮いている銃やパイプを清香が思い切り打ち払い、場の外の用水路へ投げ込んでしまったため再度手に取ることも出来ぬ。

 そうしているうちに啓一がゲバ棒をつかみ取り、構成員を束にして殴り倒し始めた。

「おらあ!あの世でわび続けろや!この人間のくずども!!」

 大門町の時と同じ地獄が出現したのは言うまでもない。

 さすがに機動隊員が止めに入り打擲ちょうちゃくは止まったが、既に十人近くがのびてしまっていた。

「どっちが暴徒か分かんないわ!……って怖いから変な笑いしないでよ!」

 どす黒い引き笑いをする啓一に、清香がどん引きの体となっている。

 何があったか知らないが、大学の時に不快な思いをさせられただけでこうなるのは少々異常だ。

「どのみち、松村に与してサツキさんを閉じ込めてるやつあみんな敵だ!」

 奇しくもサツキと同じように、ステゴロで殴りかかって来た構成員を力場歪曲回路を利用して吹き飛ばし、力場分離回路を使って畑に顔から突っ込ませる。

 さらに清香が「ディケ」で反重力場の方向をあちこち引っかき回すものだから、なおさら構成員たちはあちらこちらに転がされてしまった。

「うわ……禾津さん、何か目覚めちゃってますね、それッ!」

「本当は結構怖い人なんじゃ……えいッ!」

 シェリルとエリナもしゃべりながら、どんどんと狩って行く。

「うら!そりゃ!!……往生際の悪いやつらだな!!」

 後ろでは、用水路沿いの遊歩道の入口で百枝が構成員をたたきのめしていた。

 すきをぬってそちらへ逃げようとしたのを、素早く察知して出て来たのである。

 地勢は逆だが普段やっていることとほぼ同じ、次々と屠られて行った。

「張り合いねえなあ!このもやしどもが、ちったあ破落戸を見習えよ!」

 百枝の声にすっかり恐怖してきびすを返すが、こんな場所で判断が遅いにもほどがある。防楯を前に絶望の表情を浮かべながら全員がくずおれた。

 機動隊の攻勢もどんどんと強まり、一歩進むごとに敵陣への圧力が増して行く。

 完全にバリケードは崩壊し、構成員たちも潰走状態だ。

 だが、もはやどこに逃げようと無駄である。今度は山野地区と横山地区の東を制圧した部隊が回り込んで来ていたために行く手を完全に阻まれ、抵抗虚しく投降する羽目になった。

 放水車によって周囲に延焼した火が消し止められた時には、すっかり誰もいなくなっている。

「……二百人!結構いましたね」

「残り七百人か。まだいるな……」

「いや、ちょっと待ってください……龍骨内制圧?三百人から三百五十人ですか!?」

 どうやら、龍骨内で残党狩りを行っていたのが終了したのを無線で報告して来たようだ。

「まだそんなに残ってたのかよ……」

 内ゲバで千人相討ち、残党狩りで最大三百五十人制圧。数字の感覚が狂いそうだ。

「じゃあ、三百五十人から四百人か。こりゃまた減りに減ったな」

「そうですね。ただまだ強力な部隊がいる可能性が……おっと、また入電です」

 シェリルはせわしなく通信を受ける。

『ヤシロです。今、一新興国産業のサーバを一部乗っ取り、逃亡している真島さんを安全な場所へ導いています。本社建物内には敵が約二百人ほど、現在防火シャッターにより行動を封じています』

「お、おい!サツキさん、逃げ出せたのか!?」

『そうだ、どういう策を取ったかは知らないが……さらに自分で敵を二十人以上倒したらしい』

「本当かよ……確か簡易反重力発生装置持ってたから、それ使ったのかね。あんな若い女性でもそんなこと出来ちまうのかよ。まあ、俺が言えた口じゃないが」

 啓一は大量に抱え持っている白い棒がそこまでの威力を持つことに、密かに恐怖した。

「……てことは、実質戦闘出来る状態のやつらは百二十人から百七十人ってことになるのか。減りすぎて実感が湧かないんだが……」

「それは私も一緒です。特に内ゲバで千数百人はちょっとないですよ」

「松村としちゃこんなことになるはずじゃなかったんだろうな、きっと」

「恐らくそうでしょうね。どこまで情報が行ってるかは分からないですけど……」

「マスターの乗っ取りで、本社内の情報網そのものがかなり寸断されているのでは?今や報告に行く人物もいないでしょうし、どこかで把握が止まっている可能性が高いです」

 これはエリナである。

 この予測は、実は当たっていた。

「くそッ、まさか逃げるなんてな……。馬鹿どもめが!」

 主を失った社長室の中で、松村は外を見ながら烈しい舌打ちをする。

 遠くでは、先ほど警察によって潰されたバリケードが黒こげの残骸をさらしていた。

「あれで何人やられたんだ?こんな時に報告も来やしないし、ここまで役立たずとは……。あと千人くらいはいるから、もしかすると数で押し切れるかも知れないが」

 松村への報告は、サツキが逃げ出したところで止まっていた。

 このためそれ以降の情報は全く入っておらず、当然その十分の一ほどにまで動ける人員が激減してしまっていることも耳に入っていない。

 本来なら報告が止まった時点で異常を感じて自分で情報確認をするべきなのだが、どうやらそんなことは思いつきもしないようだ。

 だが松村はそんなことはまるで構わず、

「……いや、そこまで考えるのはさすがに早いか。まだあの連中がいるからな」

 そう言って自信ありげに薄笑いを浮かべたのである。

 その間にも警察はさらに歩みを進め、交通局横山車庫の横を通り過ぎてどんどんと一新興国産業本社正門に近づきつつあった。

「横山地区、制圧完了!」

 正門まであと数百メートルというところで制圧が宣言される。

 これにより、突入ももはや時間の問題となったかに思われた。

 だが次の瞬間、いきなり機動隊の防楯に散弾が突き刺さる。

「わあッ……!」

 弾を受けた隊員の一部が貫通した弾で肩に傷を負い、流血した。

 突如武器の殺傷力が上がったことで、シェリルとエリナが一旦飛びしさって後ろに引き、清香や啓一も大急ぎで横に回った。

「もしかするとあれが精鋭部隊……!?散弾銃でお出迎えとは!」

「いや、今まで出なかった方が私としては不思議です。元の世界基準での話になってしまいますが」

「しかもこの威力、普通の散弾銃じゃありません!恐らく、相手は元軍人の連中……!」

 シェリルはそう言って舌打ちをした。

 やがて機動隊に混じっていた特殊部隊が撃ち返し、本格的な銃撃戦が始まってしまった。

 シェリルもエリナも散弾を処理出来ないことはないが、弾がばらばらに散るため全部は到底無理である。死ぬことはないが、負傷はさすがに避けられないはずだ。

「散弾の次は何が出るか……もしロケット・ランチャーみたいなでかぶつでも来ようものなら、私たちがどうこうする以前に全体に被害が出ます!」

 現実に有り得るだけに青くなっている二人を見て、

「ちょっとどいてくれ!こいつで何とか出来るかも知らん!」

 何と啓一が「ディケ」を抱えてやって来る。

「待ってください、正気ですか!?今の状況で前に出るなんて!!」

「安心しろ、出ないでここでやる。重力方向転換行きます!」

「機動隊や特殊部隊のみなさん!!念のため踏ん張ってください!!」

 清香がそう注意を飛ばし、啓一が「ディケ」を作動させた瞬間だ。

 精鋭部隊が、一気に正門にたたきつけられたものである。

 重力の方向が、彼らの後ろ側に変わったのだ。

 ヤシロ宅での実験の際に述べたが、「ディケ」は最大直径二百メートルの反重力場を、使用者の周囲だけでなく遠く離れた場所にも発生させられる。これに加えて、重力の方向を変える機能を使えばこうもなるわけだ。

 だが相手は訓練された元軍人で武器にも何が仕込まれているか分からないため、これだけでは強引に破られて反撃されることも有り得る。

「よし、重ねがけよ!もうこの際許されるでしょ!」

「合点承知!」

 さらに清香の号令で、啓一は封緘されていたスイッチを強引にいじった。

「実験でも数回きりで封印された禁断の代物だ、食らえ!」 

 ここで起きたことに、全員が目を疑う。

「ぐえッ……」

 何と手前にさらにもう一つ反重力場が出現し、敵が二枚の硝子板の間にはさまれたように身動きが取れなくなってしまったのだ。

 こうなっては、いくら元軍人でもどうにもなるものではない。

「今です、制圧してください!長くもちませんので!」

「わ、分かりました!」

 特殊部隊が走り、うまく重力に乗って重力方向に寝そべりながら手早く敵を拘束した。上に乗りかかった状態で押さえつけているようなものなので、簡単なものである。

 敵はもはや戦うどころではなく、圧迫で青くなって来ている者すらいた。

 一部は血を流して銃創を作っている。どうやら銃を撃とうとした際に運悪く反重力場にはさまれ、自分に弾が向かって来てしまったようだ。

「無力化完了!重力の向き戻してください!」

 敵一人につき周りを三人ほどで囲むように固めたところで、隊員から声が飛ぶ。

「戻りますよ……いっせーのせ!」

 果たして重力が元に戻った瞬間、敵はそのまま隊員たちの腕の中に倒れた。

 全員、ほとんど動かない。即座に逮捕され、一部は担架で運ばれた。

「……兵器じゃないですか!兵器じゃないですかそれ!」

「非殺傷にしてもやりすぎですよ、あれは!」

 一部始終を見ていたシェリルとエリナが、恐ろしいものを見たと言わんばかりに飛びのいた。

「違うわよ、緊急措置!こうなるとまずいから、封印してたのよ!」

「そもそも実験装置なんで、加減がきかないというか何というかだな……」

「いや加減してくださいよ、後生ですから!」

 一騎当千をほしいままにしていた二人のおびえぶりに、清香が、

(所長と相談して回路ごと除去してもらおうかしら……)

 「ディケ」の危険性を改めて自覚せざるを得なくなったのは言うまでもない。

 そうしている間に、特殊部隊と機動隊は正門に押しかけていた。

『警察です!速やかに門を開放しなさい!』

 拡声器で叫ぶや、門が開かれる。

 当然素直に応じるわけがないので、これはジェイが強制的に開けたものだ。

『真島さん、警察が突入しました!』

「よかった、やっと来たんですね!……こっち、どうにかなりませんかこれ!?」

 サツキはいまだ本社ビルの中を走っている。

 一時は防火シャッターで封じたと思った敵であったが、一部の者たちがシャッターに攻撃して無理矢理壊し、突撃して来たのだ。

 結果、サツキはあちらこちらをたらい回しされる羽目になってしまったのである。

『まさか防火シャッターに穴を開けるとは……!使われたのはバズーカ砲だったようです、建物内でこんなの使われるの想定してませんよ!』

「どうかしてますよ、戦車でも撃つ気でいたんですか!建物壊れて自分たちが死にますよ!?」

 余りにも滅茶苦茶かつ命知らずな敵に、双方ともに軽くパニックとなっていた。

 一方……。

 そうとは知らず、警察はどんどんと本社敷地内へ入って行った。

 最大の警戒をしながら進むが、意外にも誰も出て来ない。

「ヤシロさんがビル内の二百人は閉じ込めたと言ってましたが、他に誰もいないのは……あれ?」

 いぶかしげに言ってふと工場の方に眼をやったシェリルは、そこで呆気に取られた。

 何と二十人ばかりの男たちが、戦闘を放棄して工場の扉を開こうと必死になっていたのである。

『シェリル、工場の方にいるやつら見える?そいつら閉め出した連中だから、さっさと潰しちゃって!潰し終わったら、工場開けて中入れるようにするから!』

 どうやら、工場側のセキュリティシステムを乗っ取った宮子がやったようだ。

 精鋭部隊が眼の前で倒されたことで追いつめられ、籠城戦でもしようと思ったのかも知れぬが、あわれ片道通行にされてこのありさまというところか。

 途中で気づいて戦闘態勢に入ったものの、少人数でそんなあわてて戦おうとして勝てるわけもなく、特殊部隊によってあっさりと鎮圧された。

「終わりました、開いてください!……みなさん、ビル側と工場側に分かれてください!工場側にはもう敵はほとんどいないと思われますが、万一を考えて注意深く動いてください!」

 宮子に一報飛ばすと、シェリルは部隊を二つに割る。

 あとはビル側が問題となるが、索敵をしても外側には誰もいない状況だ。

「ヤシロさん、中に二百人閉じ込めたと言ってましたね……もしやこれ、ほとんど丸裸ですか!?」

 大雑把に計算すると戦闘可能なのはあとは多くても五十人ほど、下手をすればいないはずである。

 どうやら逮捕阻止とサツキの見張りとで頭がいっぱいになり、そもそもの人員配置を本社ビル内に偏らせてしまっていたようだ。

「普通全部見張って何ぼでしょうに、何を考えてるんですか。ほんとこの連中はもう……」

 これまでの戦いでも近視眼的なところが多かったが、本丸でまでそのありさまというのには、さすがに緊張を無視してでも突っ込みを入れざるを得ない。

 しかし、ここで防火シャッター突破の情報が入った。

「ヤシロさん、それは本当ですか!?五十人ほどが突破して脱出!?……何て力技ですか!」

「ええくそ、どれだけ手こずらせてくれんだよ!」

 啓一がやけになって叫ぶ。

「一階へは向かっていない?では突入準備します!」

 その瞬間、入口の自動ドアが開かれた。これもジェイである。

「突入せよ!」

 シェリルが大声で叫び、ついに最後の戦いが始まった。



 その光景を見た時、松村は持ちかけた煙草をぽとりと落とした。

「ま、待て……何だ今のは!?」

 正門前でそれまで銃撃戦をしていた精鋭部隊が、謎の攻撃により一瞬にして潰滅したのである。

 松村からは遠すぎて清香や啓一は見えていないため、一体何を使ったかも分からなかった。

「馬鹿野郎、そんなことがあってたまるか……!」

 あの部隊は、地球でかつて軍事独裁を行っていた国の軍人や国際テロ組織の残党をかき集めて作ったもののはずで、警察なぞでは歯が立たないはずである。

「いや、しょせん武力で何でもごり押しして生きて来たような腐ったろくでなしだ。調子に乗りすぎて自滅しただけだろう。くそ、こいつらまで駄目とは!」

 この男に言われたくはないというようなことを悔しまぎれに言い、松村は荷物をまとめ始めた。

 屈辱的だが、さすがにここから逃げないとまずい。

 「悪の組織」の首領ならどんと構えているところだが、警察が足許まで迫って来ているのにそんなことにこだわっている暇はなかった。

 さしずめ、ただの異常犯罪者に格下げというところか。

「専務!どちらへ!?」

 いきなり退去の準備を始めた松村を見て、同室していた配下の役員が叫ぶのに、

「お前らの眼は節穴か!逃げるに決まっているだろう!」

 ぎりぎりと切歯しながら怒鳴りつけた。 

 配下は一瞬面食らったが、押しのけて出て行く松村の後に大急ぎで続く。

 松村を含めて十人というそれなりの所帯ではあるが、拳銃を持っている程度で戦闘力なぞろくにありもしないのだ。恐らく警察にはかなわぬし、もはや一緒に逃げるしかない。

 もっとも松村としては、いざという時はさっさと切り捨てるつもりだ。この男には、今まで支えてくれた者たちに恩を感じるという心すらないようである。

 その頃、警察は本社一号館ロビーを占拠していた。二号館にも突入が行われる寸前である。

 今日は日曜日とあって松村たちと私兵以外、一般社員が一人もいないことをジェイが確認していたため、このように一気に突撃して存分に戦う体制に持ち込めたのだ。

『大庭さん、そろそろ全乗っ取りの準備を始めます!そこまで来たからにはもう必要でしょう!』

「お願いします!あと防火シャッターを一階から開けてください、制圧します!」

 防火シャッターが閉まった一画に展開し、開いた途端に押さえ込み制圧を繰り返す。

 追跡中の閉じ込めとあって大した武装はしていなかったが、さりとて素直に投降するわけもなく、往生際悪く戦っては廊下の奥で逮捕される者が大多数だった。

 一階が制圧され、どんどんと上に上る。十七階建てに現在閉じ込められているのが百五十人程度、突破して走っているのが五十人ほどだ。

『突破された場所は五階です!その近くの倉庫にどうやら武器を隠匿していたようで、他にもいくつか持ち出された形跡がありますので注意してください!殊にバズーカ砲には!』

 自分で言っていて、ジェイはあきれ返ってしまっている。

 元いた世界のような場所ならともかく、平和なこの世界でかたぎの社員が働いているすぐ横の倉庫にバズーカ砲を置かせている会社があること自体が信じられなかった。

 さすがに警察の突入を想定して、昨日辺りから置かせたものだと信じたいが……。

『結構散っているようです。一部カメラの破壊などがあるため、赤外線装置での検知ですが』

 五十人ほどとはいえ塊で動くわけもない、あらゆるところにいる可能性を考える必要がある。

「敵は五階から逃げていますが、下の制圧した階にも現れる可能性があります!あらゆる階で遭遇すると思ってください!またバズーカ砲など大きい火器を使ったとのこと、各自充分に注意を!」

 現在、警察は六階までを占拠しているため、本来はそれ以下を警戒する必要性は薄かった。

 だが何を血迷ったか五階に戻って来て御用となった者もあるため、あえてこう指示を飛ばすことになったのである。

「みなさん、同時並行で真島サツキさんを探してください!現在、敵を避けながら建物内を移動しています!特徴を再度伝えます、狐族の女性、頭髪は薄茶色、肩までの短髪……」

 さらにこれもやらねばならぬことだ。どこに隠れても敵が誰かしら近づいて来る上、隠れるのに適した場所も少ないため、追い立てられて階を上下するほど迷走してしまっている。

「あ、あ、また上に行っちゃいました!せめて部屋が普通なら何とかなるのに……やたら採光にこったり硝子張りにしたりして、とんだええかっこしいですよ!」

 さっきまで指揮官の顔をしていたシェリルが、普段の顔に戻って悔しげに言った。

 もっとも前者の方が警部以上の刑事として当たり前なのであって、前線に出て行って自ら暴徒や被疑者を狩りに行くといういつもがおかしいのである。

「しっかし、敵が人間の男ばっかりというのが何とも……。何だ、この種族と性別の偏り」

「人口比もありますが、集団自体が人間以外や男性以外を排斥しているからだという話もあります。そういう差別は巻きが逆の連中の十八番おはこでしょうに、不思議なものです」

 きわどい嫌味を言うと、シェリルは画面に再び眼を落とした。

「……ん?何ですかね、このやたら高い階を進んでいる人影は?」

『今、松村とその配下らしき人影が、最上階の十七階から階段を下りているのを確認しました。どこに逃げるのかは分かりませんが、ひたすら下を目指しています!』

「まずいですね、逃げられましたか。どこか隠れる場所でもあったら捜索が……」

 シェリルは唇を噛んだが、そのまま部隊に通信を送った。

「被疑者十人、現在最上階の十七階より階段で逃亡中とのこと!ただしまっすぐ下りるとは限りません、途中の階に出る可能性があるので、注意深く追ってください!」

「隠し部屋とか隠し通路とかありそうか?」

 ここで、啓一が割り込んで訊ねる。

『全部乗っ取りをかけたんで調べてみたが、今のところそういう代物は確認されてない』

「どうするつもりなんだ、あいつら?馬鹿正直にそのまま階段下りて来るわけもなし、やはり途中の階に出て仲間にでも保護を求めたりするつもりなのか……」

『そんなことより先に、真島さんと接触する可能性を考えた方がいい。連中が突然斜め上の動きでもしようもんなら、鉢合わせも有り得る。早いところ保護しないとまずい』

「それもそうだ、追われてるんだからな。……なあシェリル、ここでうだうだやってないで俺たちも上行っちまった方がよくないか?」

「よし、じゃあ突撃しちゃいましょうか!」

 ここまで来て指をくわえて見ていられないという思いから、全員一気に避難階段へ飛び込んだ。

『真島さん、松村を筆頭に十人が上から逃げて来ています!途中の階に出る可能性が高いので、鉢合わせを防ぐためにまた少し動いてください、すみません!』

「今度はあいつまでですか!?最後まで悪の首領気取って堂々と待ってなさいっての!」

 ぜえぜえと息を切らしながら、サツキは悪態をつく。

 敵五十人の脱出後、彼女はずっと建物内を移動し続けていた。

 どういう設計構想なのか、やたらに大きな窓や硝子張りの部屋が多い建物だ。こう中が丸見えとなっては、隠れるのにちょうどいい部屋であっても隠れられぬ。

「さっきの会議室も隠れられなかったし、二号館は敵がうろうろしてるし……」

 最初はかなり順調に進んでいた敵の制圧が、ここになって鈍って来ている。

 警察が上がって来るうちに、数は減ったものの逆に拡散を招いてしまっていたのだ。

『と、ととッ!?真島さん、これ……!!』

 その時、あわてふためいたジェイの声が響く。

『松村たちなんですが、十五階に出て階の中ほどで姿が消えました!ど、どういう……!?』

 このジェイの悲鳴は、階段を駆け上がる一同の許にも届いていた。

「消えたあ!?隠し部屋や隠し通路とかないって言ったろ!?」

『消えた場所は部屋の前じゃない、壁の前だ!単純にセンサーに引っかからなくなったらしい!』

「壁の前って……やっぱり隠し通路か何かあったってわけか!?」

『分からん、検知出来ないんじゃあ何とも言えない』

「システム全部乗っ取ったはずじゃないのか、それで出来ないって……」

 ジェイの困惑したような答えに、啓一がじれたような顔つきとなる。

 この状況なら、何をいくら隠そうが丸見えになってしまうはずだ。

『……もしかしたらこりゃあれか!?システムの一部だけ多重暗号化して隔離してあるってやつ!面倒なのを仕込んでやがるな』

 ジェイが鋭い舌打ちをする。あちらの世界でこの規模の大型システムを何度もハッキングした経験があると言っていたことがあるので、原因にすぐ思い当たったようだ。

「どういうことだ?」

『そういう技術があるんだよ。秘匿したいデータやプログラムに独自の暗号を多重にかけ、さらにそこにアクセスするシステムにも暗号を多重にかけて、本体のシステムから切り離しておく。だからアクセスする場合は、一つずつ暗号を解いて行かないといけないんだ。権限を持った内部の人間ならものの数分だが、外からだと……半日はかかる!』

 これに一同が青くなったのは言うまでもない。

 普段ならばともかく、一刻を争う今の状況ではアクセス不可能と言っているようなものだ。

『権限を持っているやつをとっ捕まえれば何とかなるが、そもそもそこにいるかどうか……元は外部者の私兵の連中に持たせるとは到底思えない。どうにもならないよ』

 ジェイが無念そうに言うのに、シェリルとエリナもかぶりを振る。

 恐らく知っているのだろう、よりによってとんでもないものが来たという顔であった。

「そんなんじゃ特定しようがねえよな……。でもさ、啓一さんの言う通り、隠し通路が妥当な線じゃね?ああいう悪人がそういうの用意しておくってのはよくあることじゃねえか」

「うーん……そうなると出入口の偽装が必要になりますよ。少なくとも扉は設置しないと。でもこんな建物で隠し扉は無理でしょうから、普通の扉にするしか……すぐに分かっちゃいますって」

「よほどおかしな場所じゃない限り、みんなそれほど気にしねえと思うけどなあ。何だったら光線欺瞞で覆ったらどうだい、それなら扉すらいらねえから楽じゃねえか」

 百枝の言葉に、清香は困ったような顔をする。

 このような光線欺瞞の万能視は、よく一般人の間である誤解の一つだ。

 光線欺瞞は単に物や人の姿、音や電波など存在を示す要素を隠すだけの技術で、その存在自体を消すわけではない。

 このため人の多い場所で光線欺瞞を使うと、あたら見えないがためにうっかり触られたり入られたりする可能性が極めて高くなり、逆に露見しやすいのでやらないのが普通なのだ。

「そういう話は今は一旦置いておいた方がいいと思います。場所が分からない松村をあれこれ言うより、場所が分かるサツキさんを優先しないと……!」

 意外にもその場をまとめたのはシャロンであった。

「シャロンさんに同意です。居場所が分かるんですから合流も可能のはずです。とりあえず、連絡を取り合ってどこかで……!」

 エリナが先陣を切って走り出すのを追って、再び一同は階段を上り始める。

 シェリルたちからの連絡を受け、大急ぎでジェイは隠れ場所を工面した。

『今、一号館の南避難階段を大庭さんたちが上っています!そっちへ行って合流してください!』

「分かりました、合流します!」

『あッ、危険です!敵が流れて来たので上がってください!十四階へ今なら行けます!』

「ま、また上がるんですか!?みんな分からなくなりません!?」

『しばらく堪忍してください、安定して避難していられる場所がまだ見つからないんです!』

「その分だとまた変わりそうですね……!」

『……すみません、十四階駄目です!十階へ!』

「やっぱり変わった!合流出来るんですかこれ!?」

 階段を途中で抜け、指示通りの部屋の前までやって来ると、

「よし、ここは見えないからしばらく大丈夫ね……!」

 大急ぎでさっと飛び込む。

 だが、ここでサツキは奇妙なことに気づいた。

(え、通路……?)

 このことである。

 なぜか二号館方面へ向かう細い通路が、いつの間にか眼の前に出現していたのだ。

 しかも驚いたことに、そこでジェイが、

『え、あの、真島さん!?何で壁の中にいるんですか!?』

 とんでもないことを言い出したのである。

「ええッ!?部屋と間違えて隣の通路に入っちゃっただけですよ!?何を大昔のゲームみたいなこと言ってるんですか……!?」

 そこで、サツキははたと気づいた。

「ヤシロさん、これって……もしかして啓一さんや倉敷さんが言ってた隠し通路!?」

『多分そうです。松村が姿を消したのも同様の通路を通ったからでしょう。ただやつが消えたのは十五階、この分だと各階とは言わないまでも複数階にあるようですね』

「一体何なんですか?」

『一番可能性が高いのは、上層部しか知らない隠し避難通路でしょう。ただし内部がどういう構造なのかは、検知出来ない以上分かりません。互いに階段やエレベーターで結ばれているというのがよくあるパターンですが、そうじゃないものも時折ありますから』

「一応、左手に開けてる場所があるみたいですが……暗くてどうなっているのか判然としません」

 眼をこらして先を見るが、こんな時に天井の螢光燈が二本も切れており獣人の視覚をもってしても何があるのか確認しきれない。

 だが、どう考えても奥に行くのは危険だ。これ以上の詮索は確実に身の破滅である。

「しかし、いかな何でも隠し方粗雑すぎですよこれは……」

 普段から社員が多くうろついている廊下に面しているというのに、まず扉などを設けて物理的に遮蔽することなく、光線欺瞞一本で済ますなぞお粗末にもほどがあった。

『いずれにせよ通路自体も中にいる人物も検知出来ない以上、すぐに戻らないと危険です。しかも松村たちが避難するために使う可能性があるとなると、なおさらです』

「分かりました、どうせ隣の部屋と間違えて入ったわけだし」

『待ってください!一号館、二号館ともに敵が逃亡中です!そこで待機を!』

 だが、ここで不意に通信に雑音が入り始めたかと思うと、

『……え!?あ、あ、通信が!』

 そう声が聞こえたきり、ぶつりと切れてしまったのである。

 そもそも今まで通じていたのが奇跡なのだが、これにより敵が外でどう動いているのか全く分からなくなってしまった。

 外の音は聞こえるため足音でおおよそ特定することも出来なくはないが、位置が悪いためどこにいるのか判別が難しい。

(どうしたらいいのよこれ、出られないじゃない!)

 だが、この時点でサツキは自分が決定的な勘違いを起こしているのに気づいていなかった。

 実はジェイとの会話を終える頃には、十階の敵は全員いなくなっている。

 切羽つまってばたばたと七階まで下りて来たところを、待ち受けていた警察が悠々と網にかけてあっさり制圧してしまっていたのだ。

『敵全て制圧!』

 制圧宣言は、そのままシェリルの許にも無線で届いている。

「時間かかりましたね。さすがはテロ集団、隠れる力だけはほめてやりましょうか」

 これでサツキの捜索と合流に専念出来るようになったのだが、ここで一同は大きなミスを犯した。

「……とと、サツキちゃんは今十四階にいたはず、もうすぐですね」

 余りにも情報が錯綜しすぎたため、サツキのいる階数を間違えたのである。 

 もっとも短い間に位置が立て続けで数階単位で上下するという大混乱状態のため、こうなったとしても一同を責めるのは酷だ。

 さらに、サツキと使っている階段すら違うので偶然出会うことも難しい。

 そのため行き違いとなり、この時点で十三階まで上って来てしまっていたのだ。

『みなさん!真島さんが十階で隠し通路に迷い込みました!すぐに戻るように言いましたが、通信が届かず不明です!』

「うわ、こんな時にそれかよ!しかも上りすぎじゃないか!とりあえず十階へ!」

「予想当たったけど、全然うれしくねえよこれ!」

 百枝が吐き棄てるように言うのをよそに、逆転して十階へ戻り始める。

 サツキは、なおも隠し通路の中で凍りついていた。

(まさかこいつらが降りて来るなんて!)

 遠く聞こえた制圧宣言によって自分の勘違いに気づき、すぐに戻ろうとしたところ、何といきなり松村たちがあれこれ言い争いながらばたばたと上からやって来たのである。

 さっきは確認出来なかったが、左に曲がったところにあったのは階段だったようだ。

 最初は通過するかと思ったが、ここでよりによって上の踊り場に立ち止まってもめはじめる。

「ですから専務、これ以上ここを下るのはどう考えてもまずいんですよ」

「だが、下る以外に何が出来るというんだ。それにどこに移動するにしたって、隠れて行けるのはここしかないことくらい分かってるだろうが」

「さっき下から響いた声聞きましたか、もう味方全滅ですよ!助けがいないじゃないですか!敵の網にかかりに行くことになりますよ、これ以上下は危険です!」

「じゃあ上へ行けというのか。そっちの方がよほどどうにもならなくなるぞ」

「そ、それもそうですが……」

「なら下に出た方がいいだろうが!何なら地下を通る古い避難通路を使えばいいとさっきから!」

「あんな社長ですら忘れかけてた通路、行って通れなかったらそれこそ詰みですよ……!」

 どうやら隠し通路の中にある階段を経由し、途中の階で味方に保護してもらおうと思ったようだ。

 だがその計画が崩れ去ってしまったため、松村が何とか自力で下へ行って無理にでも脱出しようと言い出したのを、一部の配下が反対して止めようとしているらしい。

(いいから早くしなさいよ、逃げるに逃げられないじゃない!)

 この通路は意外と音が響くため、サツキは右にも左にも動けなくなってしまった。

 その時である。ばん、ばん、と立て続けに六発ほどサイレンサーつきと思われる拳銃の音がした。

 人が倒れ、一部は階段を数段ずり落ちる音がする。状況からして明らかに息絶えていた。

「ふざけやがって、今まで誰のおかげで……」

 ぜえぜえと息を切らしながら松村が言う。

 どうやら余りにも強硬に言い張られたため、激昂して撃ったようだ。

 配下がいるおかげでこれまでやって来られたのだろうに、この言い草である。

 だがそんなことはどうでもいい話だ。拳銃を持っていることがはっきりと分かった以上、速やかに逃げねばならぬ。

「行くぞ!とにかく下れ!」

 そのまま気づかずばたばたと下って行くのに、サツキは胸をなで下ろして廊下に戻ろうとする。

 だがその時、持っていた簡易反重力発生装置が落ちた。

「………!」

 こういう時にものを落とすのは物語の定番だが、現実ではあってほしくない展開である。 

 よほど響いてしまったのか、すぐに配下たちが折り返して来た。

「誰だ、そこにいるのは!」

 すいされて馬鹿正直に答える者はいない。サツキは、二号館側へ逃げ出そうとした。

 だが、これがまずかった。配下がたちまちのうちに前後をふさぎ、彼女を階段にいる松村の方へ押し出し始めたのである。

「これはこれは真島さん、妙なところでお会いしたものですね」

 うやうやしく松村が言ったのに、サツキが耳と尻尾を総毛立たせて震えた。

「そんなに怖がることはありません。危害を加えないと言いましたでしょう」

 階段を上りつつ拳銃をしまい込み、手を広げて撃つ気のないことを示すが、六人も仲間を一気に殺した者をそう信じられるものか。

 ここでサツキは賭けに出た。

「じゃあ……」

 そう言うや、階段に向けて思い切り踏み切ると、

「私が逃げても何もしないってことですね!」

 そのまま松村の横を素早くすり抜け、素晴らしい跳躍力で一気に九階まで飛び降りたものである。

「………!?」

 さすがにこれは予想外だったらしく、松村は固まったまま動かぬ。

 そのすきを突いて、サツキは下へと走り出した。

 九階に隠し通路がなかったためである。やはり、何本もあるものではないらしい。

 ただ飛び降りた時、サツキの眼は下の階に通路の出入口らしきものがあるのをとらえていた。

 これが本当に通路なら、そこまで逃げ切れば活路が開ける。

 そして松村たちの追跡を振り切り、七階に降りようとした時であった。

 何と松村が、先ほどの言葉に反してサツキに向けて発砲したのである。

 意図的に外したようだが、下手なのか弾が頬をかすめて血がたらりと流れた。

「……嘘をつきましたね!?」

「威嚇ですよ、傷つけるつもりはありませんでした。不幸な事故、逃げるあなたが悪いんです」

「よく言うわ、何で私のせいになるのよ!あなた、そうやって何でもかんでも人のせいに……!」

「私が悪くないものは悪くないんですから」

 口論になりかけるが、元々何を言っても聞かぬ男、さっさと逃げ出す。

 六階でようやく隠し通路に出られたが、既に松村はすぐそこまで迫っていた。

「さてさて、来ていただきましょうか。全くやんちゃな淑女もいらっしゃったものだ」

 自分が完全優位に立っているからか、泰然とした言い方で近づいて来る。配下三人も一緒だ。

 サツキはあきらめずに、最後の手段で簡易反重力発生装置を投げつける。

「うわッ!」

 配下は吹き飛ばされ、後ろへ大きく転げた。

 だが、出力が弱かった上投げ方が悪い。松村がぎりぎり反重力場からはみ出してしまい、

「おっと……」

 少々足を浮かされただけで済んでしまったのである。

 今持っている自分の一番の武器が効かなかったことに、サツキは青くなった。

 転ばせた配下も、さっさと立ち上がってしまっている。

 さっと後ろに回った松村の口から、

「捕まえましたよ」

 死刑宣告のごとき声が、嫌な息とともに発せられた時であった。

「待ちなさい!そこまでです!!」

 聞き覚えのある、そして待ちこがれていた声が二号館側から聞こえて来たのである。



「サツキちゃん!やっと見つけました!」

「シェリル!みんな!どうやってここを!?」

「『ディケ』で怪しい場所を片っ端から探って回ったんです!……よくもたばかってくれましたね、ダミーの座標データを仕込むとは!」

 あれから十階へたどり着いた一同は、ジェイの示した場所まで来て「ディケ」で光線欺瞞を吹き飛ばし、隠し通路へ入ろうとした。

 しかし通路が出現することはなく、どこをどう調べても入口らしきからくりもない。

 それを聞いたジェイが、もしかすると細部を偽装したダミーの座標データをつかまされたのではないかと言い出した。

 試しに部屋の配置から天井や壁や床の様子までさっと調べて互いに確認し合ってみると、確かに二号館側の壁周りが一部異なっている。

 だがこれも多重暗号化を受けているらしく本物はアクセス不能で、一同はそれとおぼしき場所を徹底的に洗い出しては「ディケ」で光線欺瞞を吹き飛ばすということを繰り返した。

 その結果、とうとうここまでたどり着けたのである。

 安心する暇もなく即座に松村の方へ向き直るや、シェリルは、

「連邦警察特殊捜査課所属の警視・大庭シェリルです!松村徹也他三名、逮捕します!」

 思い切り大声で呼ばわった。

「くそッ、まさか破られるとは……!」

 よほど自信があったのか、松村が眼をむいて切歯する。

「おのれの不運を怨むんですね!……さあ、おとなしく縛につきなさい!」

 それに逆上した配下が拳銃を取り出すや、

「このちびめが、食らえ!」

 三人そろって一気に発砲した。

「……遅い!」

 当然効くわけもなく、全て弾を回収され階段に投げ捨てられる。

 激昂していると見えて、いつもより投げ方が荒かった。

 もう一度撃つが、これも回収されて逆に投げつけられる始末である。

「ひいッ!!」

 初めてシェリルの技を見た配下は震え上がり、拳銃を捨てて階段の方へ逃げようとし始めた。

 そこにエリナがシェリルの後ろからさっと現われ、思い切り配下を次々と蹴り飛ばす。

 階段側に面白いように吹っ飛んだ配下たちのうち二人は踊り場でのびてしまい、一人はそこも飛び越して見事な階段落ちを演じた。

 この光景だけで、松村を青くさせるのに充分である。

「あ、あ、亜人風情が!」

 銃を向けて引き金を引くが、弾切れだ。

 いかな拳銃でも七発も一気に発射すれば、さすがにこうもなろうものである。

「はい、差別用語いただきました。その『亜人』にされた人間がここにいるわよ」

 エリナと入れ替わるように清香が現われ、「ディケ」で松村を浮かせてサツキから引きはがした。

 そしてそのままいきなり反重力場を消して、どんと床に落とす。

「お前……誰だ!」

「知らないとは言わせないわ、あんたの部下が改造した……拉致被害者の英田清香よ!」

 清香がそう叫ぶや、松村のつま先を指も折れよと思い切り踏みつけた。

 烈しい痛みの中、松村は被験者の一人にそんな変わった名前の女性がいたのをようやく思い出す。

 実験では等身大ドールにしたと報告を受けたはずの人物が、なぜ今メイド服を着て動いているのかわけが分からなかった。

 だがそう考える間もなく足許に一発蹴りを入れられ、すさまじい気魄に押されて尻餅をついたままじりじりと廊下へと出されてしまう。

 そこに百枝がいずこともなく飛び出して来て、

「そうそう、そうなんだよ。あとな、あたしは倉敷百枝ってんだ。……同じようにてめえんとこの糞野郎が改造した奈義葵の、従姉妹だよ!」

 立ち上がろうとした松村の顔に一発、そしてみぞおちに一発拳をたたき込んだ。

「がはッ……」

 鼻血を垂らしながらよろけ、廊下をよたよたと後退する。

 松村は何とか持ち直し、肩で息をしてよたつきながらも別の避難階段へ歩き始めようとした。

 こんな形勢逆転は思ってもみないことである。刑事が来るのまでは予想していたが、その刑事がまず有り得ないほどの運動能力持ちだ。

 そして被験者やその親戚と名乗る者が現れ、地獄の獄卒よろしく次々と自分を責め立て始めたのだからもうわけが分からない。

「く、くそッ、近寄るな!」

 思い余ってまだ未練がましく持っていた銃を投げつけたが、ぷかりと浮いた。

 サツキと啓一を先頭に、全員が簡易反重力発生装置を躰の前に突き出していたのである。

 そして驚く間を与えずくるりと装置を回し、銃床を思い切りあごへぶつけた。

「………!」

 凄絶な痛みが、あごどころか頭全体に走る。

 逃げようとあがき、ようやく場から出てよろよろと立ち上がった松村の前に、つかつかとシャロンが近づいて来た。

「い、一号……」

 そう呼んだ瞬間、シャロンが向こうずねを蹴り上げる。

「人の名前を間違えないでくれる?」

 そして怨み骨髄に徹すとばかりの形相でめつけるや、

「私はシャロン、そんな名前じゃない!」

 下腹部、限りなく股間に近い場所に拳をたたきつけた。

 力はさして強くなかったが確実に効いており、松村は一瞬よろけようとして何とか立ち上がる。

 だが、直後に立ち上がったことを後悔した。

 まだ立って歩けると見なした一同が、ずんずんと迫り階の奥へ奥へと追いつめて来たからである。

 ここで松村は一番前にいたサツキに再び手を伸ばし、その躰を引き寄せようとした。

 彼女ならば非力だと思ったのだろうが、見事にサツキは手を打ち払い、

「汚い手で触らないでもらえますか。傷が……悪化しますから!」

 返す手で思い切り往復ビンタを食らわす。

「ぎゃあッ……」

 爪で両頬に小さく深いかき傷がつき、血がだらりと垂れた。

「何を叫んでるんですか?銃弾よりましでしょう、亜人風情の爪ですからね」

 ぎらりと眼を光らせて言うのに、松村は小さな叫びを上げる。

 つい十分ほど前まで余裕たっぷりだったはずのその顔は、紙のように白くなっていた。

 そうしているうちに廊下の曲がり角まで来てしまい、松村はやむなく曲がってふらふらと必死でその奥の部屋へと飛び込む。

 皮肉にもそこは、サツキが監禁されていた部屋であった。

 だがそんな部屋のため他の出入口はなく、墓穴を掘っただけである。

 もはや松村は一同が迫って来ているという事実だけでおびえきってしまい、扉を閉めることすら忘れて奥の壁際にへばりついてしまった。

 そこで松村が聞いたのは、若い男の声であった。

「力は山を抜き気は世をおおう、時利あらずしてすい逝かず、騅逝かざるを奈何いかんすべき、なんじを奈何せん」

 突如読み上げられた詩に、松村が口をぱくつかせていると、

「おう、松村。四面楚歌の気分はどうだ?こうやって『がいうた』くらい詠んでみろよ」

 啓一があごをしゃくって言う。

「な、何だそれは……!」

「まあ、お前みたいな馬鹿が知るわけねえわな」

 ゆっくりと近づいて来る啓一に、松村は顔を凍りつかせたままだ。

「そして、詠む資格もねえわな。お前に天に滅ぼされる覚悟があるわけもねえし、ましてや自ら首ねて死ぬことなんぞ出来ねえだろうよ」

「………!」

 露骨な嘲りを含んだ声に、松村は声も出ない。

「なあお前さ、こっちに転移して来てやったのがこれって、生きてて恥ずかしくねえの?」

「……お前、何で私が転移者だと!?」

「そんなもん調べりゃ分かる。しかも同じ世界でやんの、代理で緑ヶ丘はおろかこの国のありとあらゆる人たちに土下座したいくらいだわ」

 鳩が豆鉄砲を食ったような顔になった松村を、啓一はぎらりとめつけた。

「ま、本来はお前が謝るのが筋だがな」

 そこで松村がいきなり大声を上げ、

「わ、私は悪くない!拉致は女どもにすきがあったのが悪いんだし、改造実験だって実験体に適した躰だったのが悪いんだし、騒乱だってやくざ連中が煽られやすかったのが悪いんだし、今日のことだってあの連中が力もわきまえず人の口車に簡単に乗るようなやつらだったのが悪いんだ!」

 支離滅裂かつ牽強附会に満ちた戯言を並べ立て、自分の無実を主張する。

 だが、言い終わった瞬間。

「黙れ、このわっぱがあッ!!」

 啓一が、素晴らしい大音だいおんじょうで怒鳴りつけたものだ。

「こ、小童だと!?……わ、私はもう五十過ぎだぞ!?」

「ふん、全部『ぼくはわるくない』で通ると思ってるやつなんざ、小童で充分だ!」

「………!」

 啓一はかつかつとさらに距離を縮め、松村を追いつめる。

「しかも何だ?よそさまの世界を、公園の砂場か何かみたいに遊び場にして好き放題しやがってよ。『ぼくのかんがえたさいきょうのあまのがわれんぽう』ってか。そういうお遊びは頭の中かパソコンの中か紙の上でやってろ!」

「………!」

「お前以外にも今まで何人か転移者と触れ合ったが、みんな必死だった。帰れなくなっても何とか生きてやろうってな。まじめさが違うってんだよ、この世界との向き合い方が違うってんだよ!」

「……私も彼に全面的に同意するわ」

 そう言うと、サツキが耳をぴんと立てたまま啓一の横に立った。

「自分じゃ言わないけどね、彼は苦しんでたわ。自分の人生が全部無駄になってしまった、これからどうしよう。夢がかなわなかったらどうしよう。誰かの役に立てなかったらどうしよう。壮絶な不安よ。どれだけ苦労したか、あなたには想像もつかないでしょうね」

 そこでサツキは牙を見せると、

「……そもそも想像がつくなら、こんなことしてないでしょうけども!」

 思い切り唾を吐きかける。

「………!」

 もはや松村は、言葉もなかった。

 そこで啓一がぐっと拳を固めるのを見て、松村があわて出す。

 ここで殴られれば、今度こそ気絶するはずだ。

 だが次の瞬間、啓一の拳は松村の顔をとらえず、鼻の前でぴたりと止まる。

「……やめだ、やめ。お前なんざ、殴るにも値しねえや。汚えもんついても嫌だからな」

 吐き棄てるように言うのに、ついに松村はがくりとこうべを垂れてずるりとへたり込んだ。

 それを一瞥すると、啓一はサツキの方をちらりと見て、

「それじゃあ、この虞美人はもらって行くぜ」

 その肩を軽くたたき、軽く引き寄せる。

「ま、元々お前のもんでもないし、彼女だって頬に傷つけるような男なんざ願い下げだろうさ」

 くるりと背を向け、二人はそのまま部屋を出て行った。

 入れ替わりにシェリルが入り、さっと逮捕状を提示する。

「松村徹也!逮捕監禁の容疑、銃刀法違反・傷害の現行犯により逮捕します!……十五時二十一分、逮捕!」

 がちゃりと手錠をかける音が部屋に響き、時計を見せ逮捕時間を復唱する声が続いた。

 だがその直後、いきなり松村は顔をぐしゃぐしゃにしたかと思うと、すさまじい大声で泣き始める。慟哭というより、赤ん坊がぐずって泣き叫ぶような声であった。

 シェリルがそれを無理矢理立たせ連行する中、啓一は、

「……無様だな」

 一言だけぽつりとつぶやく。

 しばらくして工場占拠完了の無線が入り、一新興国産業本社は全て警察により制圧された。

 時に、連邦暦一六二年十一月十日十五時三十分。

 一週間にわたる緑ヶ丘内乱事件は、ここに終結したのだった。



 事件後、現場は別の意味で修羅場となった。

 松村以外の三人、そして殺害された六人は、そのまま連行または遺体収容を行うだけで済む。

 だが今回の事件で逮捕されたのは、当然これだけではなかった。

 一同を迎え撃った者たちは当然のこと、他の地区で鎮圧された者、そして龍骨内にいた者たちも、ことごとく現行犯逮捕されているのである。

 元々が数千人という規模でいたのだ。しかもその大半が銃刀法違反や傷害や殺人未遂などで束になって逮捕されたため、逮捕者が未曾有の人数となったのである。

 警察も消防もとにかく人員と車両をありったけ出し、被疑者の輸送や負傷者の搬送や遺体の収容を行うも、運べど運べどまるで減らない状態だった。

 しかも運んだところで、今度は置いておける場所がない。騒乱の時と同じようにやむなく大急ぎで周辺の市に頼み込み、銃刀法違反程度の者は一度市外に出すことになった。

 空港までのピストン輸送が続く羽目になり、ただでさえ疲れ果てていた現場がさらに疲弊してしまったのは言うまでもない。

 捜査本部には松村たち上層部が運び込まれ、取り調べが開始された。

 一方で民間人である啓一たちからも聴取を行う必要が生じ、おおわらわである。

 さらに大きな声では言えない話だが、いろいろと裏で外に出てはまずいようなことをごまかすために動く必要もあったようだ。

 翌日、朝から記者会見が開かれる。

 既に事件の速報はマスコミが報じていたが、これで正式に逮捕者などの数字が出た。

 記者たちも前代未聞の事件とあってあわてており、やや暴投気味の質問が相次ぐが、それにも几帳面に答えて行く辺りが大変である。

「うわ、シェリルのやつ……あんなんで記者会見によく出られたな」

「すっごい隈ね。アンドロイドってああいうのめったに出来ないのに、相当だわ」

 むろん一同も、この記者会見を見ていた。

 あれから聴取の後、へとへとの状態でヤシロ家にたどり着き、そのまま泥のように眠っていたのだが、起きて来たところで会見が始まっていたのである。

 発表された内容の中で一番衝撃だったのが、やはり「数」であった。

 今回の事件に関与した者の数は松村たちを含め四千七百人ほど。

 うち逮捕者は四千二百七十三人。松村たちを除き全員現行犯逮捕である。

 人的被害は死者が二百七十三人、うち殉職者三十八名。重軽傷者が二千三百二十人。

 物的被害は家屋被害が五百四十棟。うち損壊四百二十一棟、半壊百十九棟、全壊はなし。特定の建造物を狙った破壊計画もあったようだが、警察の必死の活動でここまでで食い止められた。

 その代わり内ゲバによって龍骨に被害が発生、五本三十五ヶ所が損傷。元々が強靱なため損傷の程度は極めて軽く、コロニー自体への影響はないという。

 また、一部の道路や用水路も相当な被害を受けた。殊に正門手前附近の道路は火がかかったこともあってペーヴメントが致命的な打撃を受け、用水路も大規模な柵の損壊や水路の破損が起こって水が一部であふれるなど、甚大な被害が発生している。

 ライフラインもずたずただ。電気は電信柱三百七十五本が損壊、百五本が折損及び倒壊したため東郊外全域で停電。水道やガスも水道管やガス管への被害甚大で、東郊外のみならず中心部でも一部供給停止が発生している状態である。

 はっきり言って、もはや「事件」というレヴェルではない数字であった。当然、国内でも史上初のことであるのは言うを待たぬ。

「内戦だよ、こりゃ。恐らく容赦なく内乱罪適用されるな……」

「さすがにそうじゃなきゃ嘘でしょ。ここまで好き放題やったらねえ」

 清香が茶を運んで来て、自らも座り込む。

「となると、今度は検察が大変ですよ。地検じゃ起訴出来ないんで、さらに高検へ送致です」

 この世界でも内乱罪はかなり特別視されており、第一審が何と高等裁判所から始まるという例外処置が取られるのだ。それだけこの罪が重いということの証左でもある。

 松村たちは昨日二十一時に緑ヶ丘地方検察庁へ身柄付送致および在宅送致されたが、このうち何人かがさらに送致されるとなると、一体どうなってしまうのか見当もつかぬ。

 続いて政府による会見も開始され、もはやテレビはこの事件一色である。

 新聞もぶち抜きで盛大に報じ、いつもより夕刊が厚くなる始末であった。

 その頃になると、今度は安否確認の電話がかかって来た。

 ハルカはサツキと啓一と清香の無事を知るやこらえきれずに泣き出してしまい、なだめるのに苦労することになり、百枝は地球の叔父から葵の声を聞かせてくれと言われてヤシロ家へ大急ぎで駆け込んで来る羽目になったのである。

「叔父貴も隣に預かってもらってるから待ってくれって言ってんのに、一刻も早く出せ出せで……眼に入れても痛くない娘だからなあ」

 ついでに休んで行くように言われた百枝は、茶を飲みならぼやいた。

「そういえば避難した人たちは、今どうなってるんですか?」

「まだ昨日の今日だからなあ。警戒がまだ必要だろうし、緊急事態宣言や避難命令が解除になるまで時間かかるの確実だろ。解除されても植月地区の住民はともかく、中心部や東郊外の住民は当分帰れないぜ。多分長いこと仮設住宅ものだな」

「まあ、確かに……立ち入るだけで危険な場所いっぱいありますしね。そもそもライフラインが全部駄目になってますから、帰ってもものを持ち帰る程度で生活出来んでしょう」

「だな……。復興だって、場所によっては一回更地にしないと駄目じゃね?」

「桜通なんか明らかにそうですよね。これでまた跡地をどうするのかと考えると時間と手間と金が」

 はあ、と啓一と百枝がほぼ同時にため息をつく。

 政府の援助が確実に入るとはいえ、かなり厳しい道のりになるのは確かだった。

「……というかだな、刑事殿はどうしてここいるんだ?仕事はどうしたよ?」

 そう言ってじろりと見た先には、果たしてシェリルがいる。

「一段落したので、部下にまかせて来ちゃいました。まあ、長居はどのみち出来ませんが」

 朝に記者会見をしておきながらよくやるものだとあきれるが、恐らく心配してのことと思われたため何も言わないことにした。

「そっちはこれからどうなるんだ?送致してはいおしまいじゃないだろ」

「そうですね、しばらくは残るつもりです。いかんせん事件が大きすぎて、捜査本部の解散までかなり時間がかかりそうなんですよ。来月までは確実ですね」

 シェリルはままならぬという感じで髪をかき上げる。

 普通の事件ならすぐに解散なのだろうが、今回はどうもそうは行かないようだ。

「それで新星へ戻っても、しばらく本部に缶詰じゃないかと思います」

「さすがにお前さんでも抜けられないか」

「こういう時、管理職ってつらいと思いますよ……」

 そう言いつつ、シェリルの口調はどこか軽い。

 残務処理ありと言いつつも、一気に肩の荷が下りたのは大きいようだ。

「……あ、そういえば、訊こうと思ってたんですけど。松村相手に『垓下の歌』をぶってみせたのって、『四面楚歌』つながりですよね?」

「そそ、分かったか。とっさに出て来てさ」

 あの時啓一が詠んだ『垓下の歌』は、項羽と劉邦が秦滅亡後に覇権を争った楚漢戦争の最後の戦いとなった「垓下の戦い」で、追いつめられた項羽が詠んだものである。

 この際、項羽は敗れた楚の兵が故郷の歌を周囲で歌ったのを聞き自分の敗北を悟って絶望、愛人・虞美人に自らの命運尽きることを嘆き、この詩を贈ったと伝わっているのだ。

 「四面楚歌」はこの故事が起こりであることから、思わずやったことである。ついでに項羽の最期まで盛り込んでしまった。

「え、そういうことだったの……あの、虞美人って項羽の実質的な妃……」

 これはサツキである。なぜか、少々顔を赤らめていた。

「………?」

 啓一は少々首をかしげたが、すぐに話を変える。

「そういや、中心部の立入禁止っていつ解くつもりなんだろうな?まだ被害受けてから一週間だから今すぐはないにしても、住民にしてみりゃなるたけ早く様子を見たいだろうよ」

「ああ、それは……もう中心部に関しては、緊急事態宣言が解除されたらすぐに市が応急処置で損壊した電信柱や切れた電線を全部撤去に入るそうです。そうすれば何とか……。それでも引き続き警備はしないといけないんですけどね」

「つくづく大変だな」

「でも、普通の生活に戻るために必要なことですし。積極的にお手伝いしますよ」

「普通の生活、か……」

 そう言うと、ふっと啓一は窓に眼を向けた。

 シェリルが「元の生活」と言わなかったのは、ひとえにこの街がずっと異常な状態に置かれ続けていたことを踏まえてのことだろう。

 その元凶が完全消滅した今、ようやく人々が待ちに待ちこがれた「普通の生活」が訪れるのだ。

「……まあともかく、あとは何にも手伝えないからなあ。というより、事件が起こった時に避難しないどころか、解決を手伝ったのが変だろという話だし」

「そうですよ。……専門家として協力してもらったのはともかくとして、その他のその……もろもろあれこれ理由つけてやったのは、ごまかすの大変なんですから」

 最後の方は小さな声である。

 これには、一同一斉に眼をそらした。全般的にいろいろまずいのだが、最後で松村を袋だたきにしたのなぞはねじが吹っ飛びすぎていて、知られた日には大騒ぎどころでなくなる。

 幸い松村は余りの衝撃にその辺の記憶があいまいになっており、触れるたびに大泣きをするため露見する心配はなさそうだとのことであった。

「まあ、往生際悪く泣きながら捕まった、ってことにしちゃいます」

「大庭屋、お主も悪よのう」

「いやいやお代官さまほどでは……って何をやらせるんですか。第一権力はこっち側です」

「違えねえ」

 伝法な口調で啓一が答えるのに、一同がくすくすと笑う。

 今までもこんなやり取りはなかったわけではないが、長き桎梏から解き放たれ、一応の平和が訪れた今ではその重みが違った。

 窓の外を、いつもとどこか違う夕陽がゆっくりと落ちて行く。



 一週間後。

 緑ヶ丘空港に、啓一とサツキ、そして清香の三人の姿があった。

「何だか名残惜しいな。ここまで濃密に関わったら……」

「それは私も思うわね。いろんな意味で忘れられるもんじゃないわよ」

「まあまあ、もう二度と来れないわけじゃなし、またいつか来ればいいだけよ」

 スーツ姿の啓一とサツキ、そしてメイド服姿の清香が待合室でそんなことを話している。

 この日、三人は新星へ帰ることになっていた。

 そもそもここにいる啓一とサツキの二人自体、元々は長期出張のために来ただけであって、事件が起きて無期限休工になりさえしなければ、とうの昔にここから去っていた身である。

 長逗留がかなったのは、二人が「この事件を放っておけない」と切に事件解決の手伝いを望み、さらには正式に捜査協力を行うよう命令が下ったからであって、今となってはいる理由がないのだ。

 しかし、すぐとは行かぬ。緊急事態宣言や避難命令が解除されるのを待つ必要があった。

 また研究所側でも、行方不明の研究員が種族が変わって帰って来るとなっては、受け入れ体制を整えるのにどうしても時間をかけざるを得なかったのである。

「帰ったら大変だわ。人間と勝手が違いすぎるから……大庭博士に訊いて何とかしよ」

「ですね。博士なら間違いないです」

「その時はついでに見学に行かせてもらえませんか。是非とも会ってみたいんで」

 そう言いつつ、思わず二人は清香の格好を見た。

 先述の通り、清香は一人だけいつものメイド服のままである。

(どうしてこの格好なんだ!?)

 このことであった。

 服がないらしいのだが、せめてブリムやエプロンドレスを脱ぐくらいのことはしてもよかろう。

 うすうす感じていたことだが、どうやら清香女史、メイドがいたく気に入ってしまったようだ。

「研究室の扉開けたらメイドさんにカーテシーで迎えられましたなんてなった日にゃ、多分みんなどう反応したらいいか分からんぞ」

 啓一が戸惑いながらそんなことを言っていたほどである。

 それはともかく……。

 待合室にはさらに、この事件で知り合った人々が全員集合していた。

 こうそろってみると、何とも壮観である。

「いやあ、また二時間だろ?気をつけてな。もう変な乗客はいないと思うけどよ」

「そうですね。……あ、私たちも時折そっちへ行くことがありますので、お会い出来たら」

 百枝と瑞香が言うのに、頭を下げる。

「何と言いますか、世をすねてたのを引っ張り出してもらってありがたい限りですよ。多分お二人がいなかったらまだこもってたでしょうしね」

「英田さんも無事に引き渡せましたし……。あ、そうだ、お二人とも。私に直接会ったってみだりに言わないでくださいね。トラブルの元になったりするので」

 ジェイとエリナが言うのに、盆の窪に手を当てうなずく。

「別件でシェリルにまた仕事振られるかも知れないから、画面越しや電話越しで話すことがあったらその時はよろしくね」

 宮子が言うのに、頬をかきながら笑う。

「私ももう少ししたら、そっちへ行くと思います。休んでいた方がいいと言われてまして……」

 葵がぺこりと頭を下げるのに、思わずこちらも頭を下げる。

「改めて、本当にお世話になりました。まだどうするかまるで決まらないんですが、もしかしたら新星でお会いするかも知れません。その時は、どうぞよろしく」

 シャロンが瞑目して深々と頭を下げるのに、頭を上げるよう手で示しつつうなずく。

 と、その時、ぱたぱたとシェリルが入って来た。

「ああ、間に合いました。もう出るだろうと思ってましたので」

「来てくれたのか。仕事は?」

「黙秘します」

「刑事が黙秘すな。……まあいいや、お前さんともしばらくお別れだな」

「あんまり無理しないのよ、こんな大きな事件だから大変でしょうけど」

「冷却水の飲みすぎとか注意よ、釈迦に説法でしょうけど」

「……何で見送りに来た側が心配されてるんでしょうか。ご心配ありがとうございます。早いところ片づけて帰りますから、またその時まで」

 シェリルが困ったような顔で言うのに、三人も苦笑する。

「そうだな。気長に待ってるよ」

「何かいきなり来てそうだけどね。知らせてちょうだいよ」

「戻る前にちょっと博士の手をわずらわせることになりそうだけど、堪忍してね」

 と、その時だ。

『十一時発新星空港行、改札開始いたします。一番乗場までおいでください』

 改札を知らせる構内放送が入る。

「もう行かないと。みなさん、ありがとうございました」

 啓一が代表して言いながら、一斉に三人で再度頭を下げる。

 全員が手を振るのを見ながら船に乗り込むと、すぐに出発となった。

「啓一さん、また来ましょう。復興が緒についた頃に」

「ああ、そうだな……」

 船が旋回して棧橋を離れ、そのまま闇の中を直進する。

 三人は名残惜しそうに、遠ざかる緑ヶ丘の街を窓越しにいつまでも眺めていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る