二十五 Z旗
翌日の早朝六時。
清香は、眼の前に大量に漂う空中ディスプレイを見てげっそりとした顔になっていた。
(しまったわね……結局徹夜だわ)
椅子の上に置いた非接触型充電器の位置を直しながら、キーボードをたたく。
あれから会議室に残った清香と啓一は、日が落ちきった頃に一旦仕事をやり終えた。
ところがその直後、警察官が申しわけなさそうに大量の仕事を持って来たのである。
龍骨出入口と点検口の写真分析という外に出せない内容の上、松村の蜂起が現実味を帯びて来ていることもあって可及的速やかに済ませねばならぬ仕事だ。
持ち帰れず明日に回すことも出来ないとあっては、もう泊りがけになるしかない。
これをシェリルがひどく申しわけながり、
「すみません、簡易ベッドありますから使ってください。あと充電器も」
何と手ずから部屋まで運んで来た。
一応仮眠室はあるのだが、事情があって今日は使えないと聞いてはどうにもならぬ。
もっとも仕事場への宿泊自体は清香もやったことがあるし、啓一もやったことがあった。
だが、それよりも問題になることがある。
(私は寝なくてもどうにかなるけど、
このことであった。
清香はアンドロイドなので眠気を押さえようとすれば押さえられるが、啓一は人間であるためそんな器用な芸当は出来ない。
何せ激動の一日であったため、啓一は一時にはもうつらそうな顔を見せ始め、二時になると今にも倒れそうになって来た。
清香も元は人間、この状態で起こしておいてもろくなことにならないのは分かっているため、無理をせずに寝てもらったのである。
女性のいる場所で云々と言って遠慮する啓一を無理矢理簡易ベッドに押し込め、それ以降ずっと一人で作業を続けていたのだ。
(しっかし全部自分で処理はきっついわ、性能は人間の時のまんまね)
正直なことを言うと啓一はあくまで手伝いのため、無理に起きていてもらう必要はないのだが、やはり人手は多いに越したことはない。
本人が聞いたら恐らくは手を振って否定するだろうが、専門外でありながら啓一自身の事務処理能力は人並み以上のものがあった。
「……くしゅんッ!」
どこからか入って来たほこりに、思わずくしゃみをする。
アンドロイドは必ずしも呼吸をする必要がなく止めておくことも可能なのだが、やはり人間の時からの癖でしてしまうのだ。
その時、簡易ベッドで寝ていた啓一がもぞもぞと動き、
「ん……ああ、六時過ぎたとこか」
ひょいと携帯電話を呼び出して時刻を確認する。
「あ、ごめんなさい……起こしちゃった?」
「いや、そんなことないですよ。自然に眼が覚めたんで」
「うーん、四時間しか眠れなかったのね……きつそうだわ、もう一眠りしたら?」
「いやいや、大丈夫です。二度寝すると、今度はきりなく寝てしまうんで」
あくび混じりにそう言い、目頭をもみながら起き上がった時である。
何やら大勢の人が外を歩き回る気配がし、がたがたと何かを動かす音が聞こえ始めた。
「……早朝から何かあったのかしら」
嫌な予感を覚え、清香はゆっくりと扉を開いて外を見てみる。
見てみて、ぎょっとした。
制服を着た捜査員が、何人もぞろぞろとものものしく廊下を行き交っている。
「何ですか、みんな騒々しい」
そのざわめきに、啓一が後ろから廊下をのぞき込んで来た。
だが、やがて何やら気づいたように真顔になる。
「
「え、がさ入れ!?」
「分からないですけどね。でも今の状況じゃ逮捕はないでしょうし、大門町で動きがあればもっと大騒ぎでしょうし……あとはもうそれくらいしか」
緊迫した雰囲気に呼び止めて訊くのもはばかられ、そのまま扉を半開けにして戸惑っていると、廊下の向こうからシェリルがぱたぱたと現われた。
「あ、起きてましたか、ちょうどよかったです。今から先日の騒乱に関する一斉家宅捜索に入ります。捜査員が出切ってしまうまで待っていてください、今出るといろいろ大変ですから」
そう言うや、また戻って行ってしまう。
捜索前に行われる最終の打ち合わせのため、飛んで行ったようだ。
「ついにがさ入れですか。時間かかったとこ見ると、相当証拠固めに苦労したんでしょうね」
「そりゃね、事件が普通じゃないもの」
「そうですね。容疑も恐らく騒乱罪がまず頭に来てるでしょうから……」
しばらくすると、ばたばたと無数の足音が響いて遠く消えて行く。
「……そろそろ出てもいいかしら?」
「大丈夫でしょう、とりあえず一回出てみますか。ただ、出たところで帰れるのやら。分析結果のファイルがありますし、説明もいるんですよねえ。シェリルはいないでしょうし……」
「いや、いますけど」
「そうだよな、いな……って、いるのかよ!」
廊下に出た途端に横合いから聞こえて来たシェリルの声に、啓一が飛び上がった。
「そう驚かれても困るんですが……」
「いやお前さん、がさ入れだってのにこんなんしてていいのか!?」
「いいんですよ、出て行っても邪魔になるだけですから。……それにそちらよりも、大門町の方を指揮することになる可能性が高いですから、ここにいないといざという時飛んで行けません」
あきれたように言うシェリルの言葉に、啓一は引っかかるものを感じる。
「……何だ?大門町の方を指揮って、何か怪しい動きでもあんのかよ?」
「今はありませんが、これから確実に動きがあると思われます」
この答えに、二人は顔を見合わせた。
「もしかして、このがさ入れで敵が動揺して動くと見てんのか?自分たちも危ないってんで」
「そういうことです。昨日いぶり出すとか仕込みを入れたとか言いましたが、これですよ」
「ああ、分かるわ。この捜索で累が及びかねないのは火を見るより明らかだし、どう考えても大あわてでばたばたやり始めるわよね。アジトの連中はもちろんのこと、外の連中だって騒ぐでしょ。ことによると、パニックになってアジトへ飛んでく間抜けも出そうだし」
二人の言う通り、シェリルたち警察の狙いはまさにそれである。
家宅捜索で松村と今回の事件の関係性を示す証拠が出てしまえば、本人だけでなく与している自分たちにも累が及ぶのは言うまでもないことだ。
ことによるとアジトが暴かれる可能性すらあるのだから、当然のごとくあわてて各所へ
「アジトがこれで突き止められますから、一気にやりやすくなります。当然、捜査の速度も格段に上がりますし、松村の逮捕状取得までの時間も一気に縮まるでしょう。さらには拉致被害者の救出も出来ますからね……サツキちゃんだけでなく、たくさんの人が助かります」
「そんなしっかりと考えて策練ってたのか。……昨日悪いこと言っちゃったな」
「家宅捜索に関係するということで、伏せざるを得ませんでしたから。はっきり言えてれば、まだああはならなかったかも知れません。気にしないでください」
昨日の口げんかを思い出して気まずそうな顔をする啓一を、そうとりなしていた時だ。
シェリルのすぐそばで、呼出音がいきなり鳴り始めたのである。
「……あれ?すみません、無線来ました。ついさっき出て行ったばかりですよ、何か道中で問題でも起きましたかね?」
予想外だったのか、シェリルはいぶかしげな顔で無線にかかった。
「え、大門町で動きが!?……極左暴力集団の構成員二人を住居侵入と傷害、公妨(公務執行妨害)で現逮ですか!分かりました、今行きます!」
思わず近くへ行ってみると、鳩が豆鉄砲でも食ったような顔になっている。
「……有り得ないでしょう、まだ始まってもいないのに!しかも外から人がやって来るなんて!」
「出ようとしたらこれって……」
だが次の瞬間、もっと驚くべき情報が飛び込んで来た。
「……えッ、突入中!?ちょっと待ってください、どういうことですか!?」
このことである。
現在アジトを使っている極左暴力集団の構成員が無理矢理立ち入ろうとして警察と大もめにもめたということまでは想像がつくが、本来想定していなかった突入に至ったのはさすがに解せぬ。
「とにかく大急ぎで行きます!……二人ともすみません、失礼します!」
よほど急いでいるのか、シェリルは警察署内、それも狭い廊下にも関わらずいきなり高速で走り出し、その場につむじ風を巻き起こしてあっという間に姿を消す。
「……突入だって?何でまたそこまで状況が飛びに飛んだんでしょうかね?」
「さあ……。とりあえずどうしたらいいのかしら、私たち」
「俺たちに指示出せるのはあいつだけなんで、そこらの刑事さんに訊くわけにも……とりあえず連絡来るまで待つしかないでしょう。とりあえず、食事に行きましょうか」
啓一がそう言って廊下を歩き始めた頃、シェリルは既に現場に到着していた。
本営のあった空地から二軒ほど離れた家に、後方での控えとして配置されていたはずの機動隊や特殊部隊が前に出て来て群がっている。
「本格的に突入始まってるじゃないですか……!落合さんか弓削さんはいませんか!?」
「ここにいます!大変なことになってますよ、落合さんも中入っちゃって!」
飛んで来た弓削によると……。
捜査員たちが警察署を出た旨が伝わってから五分ほど後、突如として二人の男が川沿いから路地を通って家の裏門を入ろうとした。
これに、張り込んでいた刑事たちは驚きを隠せなかったという。
動きがあるなら家宅捜索が始まってしばらく経った後、まずはアジトか上にある家の中にいる構成員が、外部から連絡を受けてあれこれ対処し始めるところから始まるだろうと思っていたからだ。
それだけに家宅捜索が始まってもいない段階で外から堂々と構成員がやって来るというのは、さすがに想定の斜め上だったのである。
疑問は山ほどあるが動きがあったことには違いはないので、さっそく住居侵入を企む不審者として職務質問を行おうとした。
当然というべきか、男たちはこれを拒否して逃亡を図る。
しかしぞろぞろと出て来た刑事たちに囲まれ、一人は裏門前で刑事と取っ組み合いになり、傷害罪と公務執行妨害罪で現行犯逮捕された。
「正直これは大したことはないのですが、問題はもう片方です」
もう一人は刑事を突き飛ばして大あわてで家の中に飛び込み、廊下にある鉄扉を開いて中へ逃げ込もうとしたところで、別の刑事に追いつかれもみ合いになったという。
必死で刑事を追い出そうとしたものの追い出せず、挙句そのまま中にあった階段につまづいて階段落ちを起こしてしまい、傷害罪と住居侵入罪と公務執行妨害罪で現行犯逮捕されたのだ。
「入口まで案内してくれた上、中にまで入れてくれたってわけですか!」
「そうです、こっちももう本格的に突入するしかない状況に追い込まれまして……!」
偶然の事故でたった一人とはいっても、刑事に飛び込まれたのは確かである。こっちにその気はなくとも、相手は「突入」として解釈するはずだ。
こうなるともう、想定していなかっただの何だのぐずぐず言っている暇なぞあったものではない。
「ちょっと行って来ます!今、落合さん以外にうちの課で誰が中にいますか!?」
「
「それで充分です!突入!」
弓削が答えるや否や、シェリルはばっと家の敷地内に飛び込んで行く。
「全く、偶然とはいえ突入になるとは……!でも、柵原さんなら大丈夫でしょう!」
家の中に駆け込むと、果たして刑事たちが部屋の中の階段へ入って行くところである。
「大庭です!中、どんな様子ですか!?」
「あ、警視ですか!今、どんどん始末してます!」
階下に立ったところで叫ぶと、野太い男性の声が返って来た。
「柵原さん!敵はどっちから流れて来てますか?」
言いつつ廊下に駆け込むと、果たしてそこには筋骨隆々の虎耳の男性刑事が立っている。
「今のところこの左右の奥からです……とと!」
そう話しつつ、横から鉄パイプで襲いかかって来た男を手刀で倒した。
この様子から分かる通り、この柵原という刑事もただ者ではない。
特殊捜査課の中でシェリルに次ぐ戦闘力の持ち主で、彼女と違って自分から現場に飛び込む無茶はしないものの、こうして虎族の自慢とする怪力で敵をたたきのめすのが常だ。
事実、柵原は既に露払いとばかりに数人の男を葬っている。
「拉致された人たちは見つかりそうですか……って、来ましたか!」
ゲバ棒を持って突進して来た男を、シェリルがさっと
「今そいつが来た方向に部屋があるようです。今、何人かともめてる最中……そい!」
「危ないですね、人質にされては困ります。……おっと、この狭いところで鋭器は勘弁!」
廊下を走って普通に会話しつつ、それぞれ二人倒す。
後ろをちらりと見ると、別の刑事たちが入口にたまった敵を潰していた。
「じゃあ、こっちはもうまっすぐ向かってしまいましょう!……おっと、銃弾!」
「やけになって撃ち始めましたか、手負いの獣はこれだから」
「柵原さん、注意してくださいよ!私ならともかく、あなたは鉛玉困るでしょう!」
銃弾をいつもの要領ではたき落とすと、柵原に言う。
弾を放った側はこれだけで驚いてしまい、銃を取り落として奥に逃げ出したが、
「まあ、撃てなくなればどうということはありませんが」
柵原によって地に伏した。
奥の廊下に出ると、果たして猛然たる戦いである。アジトの規模は把握出来ていないが、一体ここにどれだけの構成員がいるのかとさすがに驚くようだった。
「全く……つめ込みすぎってもんでしょう!」
「自分たちもうまく動けないでしょうに……そら!」
そんなことを言いつつ、二人とも余裕で構成員たちを狩って行く。
「お、お前ら逃げろ!!あのロリ、桜通で男を束でのめした化け物だ!!」
桜通騒乱の時にいたのか、シェリルの顔を見るや一人の男が真っ青になって叫んだ。
「変なところで有名になってしまいましたね……しかもさりげなく失礼な呼び方を!」
そう言いつつ、逃がすまいと追いつめて行く。
その時、別の男がいきなり遠方の扉を開き、中から人を引き出しにかかった。
拉致被害者を人質にする気とにらんだシェリルは、
「止まりなさい!!撃ちますよ!!」
叫ぶや拳銃を取り出し、すさまじい早さで男の足許を撃ち転ばせる。
これまで使っていなかったが、シェリルも刑事である以上拳銃を所持しているのだ。
腰を抜かすもしぶとく起き上がって逃げ出したところに、手錠を投げ一気に拘束する。
「相変わらず、本気出すと冗談みたいなことする人だな……」
手錠投げは論外だが、動いている者の足許を狙って撃つというのもかなり難しいのだ。
柵原はあきれつつ、次々と飛びかかって来る構成員を始末して行く。
彼だけでなく他の刑事の奮闘もあり、確実に敵は鎮圧されつつあった。
「よし、やはりここでしたか!」
シェリルは男を飛んで来た刑事に引き渡すと、一気に部屋の扉を開く。
女性たちはいきなり少女が現われたことに、何が何やら分からず瞠目していたが、
「安心してください、連邦警察です!みなさんを救助しに来ました!」
その叫び声に、一気に駆け寄って来た。
「お躰に不具合のある方などいらっしゃいませんか!?救急車を呼びますので!!」
「お願いします……」
「分かりました。……大庭から本部、拉致被害者を発見!鎮圧次第地上へ救出します、先に救急車回してください!」
七時十二分、拉致被害者十八人を発見。
「よし、入れ!」
それを待っていたかのように特殊部隊がなだれ込み、一気に鎮圧に取りかかった。
この時点で敵はほぼ戦意を喪失しており、一部の者が抵抗したのを押さえ込むだけである。
『大門二から本部、アジト西側とおぼしき区画制圧!』
七時二十分、アジトの西半分制圧。
『大門一から本部、アジト東側とおぼしき区画制圧!』
七時二十七分、アジトの東半分制圧。
『大門三から本部、アジト上の住居並びに敷地制圧!』
七時三十三分、アジト上の住宅と敷地を制圧。
ここにアジトは完全に陥落し、無事拉致被害者も救出されることとなった。
死者なし、重軽傷者五人、拉致被害者は体調不良を訴える者あれど身体的被害なし。
逮捕者はアジトにひそんでいた極左暴力集団構成員全員で、二十一人を数えた。
シェリルは被疑者を移送する刑事たちに続くようにして、ゆっくりと被害者を外へ導く。
「私たちの無力により、このように中心部の近くでありながら今まで発見することが出来ませんでした……捜査本部長として、心よりお詫び申し上げます」
深々と頭を下げるシェリルに、女性たちは逆にあわててしまった。
自分たちを助けに来たのが捜査本部長という予想外の人物だったというのもあるが、それだけの立場の者から直接丁重に謝られたのである。
ここまでやられては、誰も彼女を責めることはしなかった。
「極度に体調を崩している人はいませんが、数ヶ月の地下生活で躰の衰えなどありそうですね」
被害者を乗せた車と救急車とを見送りつつ、シェリルが神妙な顔で言う。
「警視、鑑識が入ります。どきませんと」
柵原に言われて歩き始めたところで、弓削と落合がやって来て合流した。
「弓削さん、落合さん!大丈夫でしたか!?」
「はい、何とか……それにしても、被害者が人質に取られずよかったです」
「しゃれにならないところでしたね。あそこでうまいこと撃ってくださったので何とかなりました」
「見えてましたか。正直これは使いたくなかったんですが、仕方ありません」
腰に下げた自動式拳銃を見せると、シェリルは渋い顔で言う。
「それにあんな狭いところで発砲とか、ぞっとしませんよ。排莢された薬莢が天井にぶつかるし」
ぶつぶつと文句を言いつつ、腕時計に眼を落とした。
「私は、一旦本部に戻ります。いきなり出て来てしまったので、困ってる人が」
「……放って来ないでくださいよ、民間人を」
誰か分かったのかじとりとした視線を向ける落合を軽く流し、シェリルは警察署へ歩き始める。
その当人たちは眠気も空腹も吹き飛んだ状態で、現場を遠望する窓をのぞいていた。
食堂へ行く途中で突入が始まったため、立ち止まって一部始終を見てしまったのである。
「電光石火の早業でしたね……あれ三十分かかってましたかね」
「さっきちらっと紫の頭が見えたけど、あれがシェリルでしょうね。また暴れ回ったんでしょ」
「そうでしょうね、あいつのことですし……しかし、どこをどうやったのか分かりませんが、被害者が何とか無事そうでよかったですよ」
「あとは捜査よねえ。何か見つかればいいけど」
そんなことを話しているうちに、当のシェリルが戻って来た。
それに続くようにして刑事たちが、ぞろぞろと列をなして奥へと入って行く。
「すみませんでした、二人とも。もうあれこれ言ってる状態じゃなかったので、アジトの制圧と被害者の救出まで全部やって来ました」
「ああ、今遠くに見てた。想定外だったみたいだが、結果オーライってやつだな。ともかくよかった、被害者が人質に取られたりしなくて」
「まあ、取られそうになったんですが……足許にちょっと脅しを入れてやって止めました」
そう言って、ちらりとシェリルは腰を見た。
「……おいおい、発砲したのかよ。大丈夫か?この世界でも、警察官の発砲って厳しいんじゃね?」
「そうですけどね。でもまあ、あれなら威嚇の範囲内でしょう。けがもさせませんでしたしね」
我々の世界では、銃刀法の関係もあって警察官の拳銃使用にはかなり制限がかかっている。
異世界だけに多少は緩いようだが、当人の微妙な表情を見るに余り使うものではないようである。
「それなら偉い人も怒らないでしょ。で、中はどうなってたの?」
「かなり本格的でしたね。別の廊下に入った人たちによると、奥の方に裏口まであったようです。それも一つではなく、片手で済まないくらいの数だと。騒乱の時、あそこから出たんじゃないかとにらんでますが……まあ泥を吐かせないと分かりません」
「シャロンさんが言ってた手術室は?」
「被害者の方を助ける方が先だったので、そこまで詳しくは見ていませんが……一度見るだけは見ないといけないと、首だけ突っ込んで軽く確認しました。それだけでも人体改造事件でよく使われる医療器具や機器類が大量に確認されたので、決定的な証拠が出る可能性は非常に高いでしょうね」
「……あー、もしかして取り調べや捜査次第では、私いた方がよさそうな感じかしら?」
今回制圧されたアジトには、清香を改造した手術室がある疑いが濃厚であった。
さらに逮捕者の中に、実験に何らかの形で関わった者がいることも考える必要がある。実験から半年が経過していて逐電の可能性が高い上、清香本人も接触した者がわずかというおぼつかない状況だが、少しでも可能性がある以上は面通しをしないわけには行かないのだ。
「そうですね……。今のところ、被疑者の面通しと現場写真を見ての証言をしていただく必要があります。しかし、泊まり込みでしたからねえ」
「いや、いいわよ。どうせ仕事でいたわけだし、その延長と思えば。そもそもが徹夜くらいでそんなに疲れる躰じゃないしねえ」
「いいんですか?すみません……」
「俺はどうするかね?何だかいた方がよさそうな感じなんだよな。何せ二十人以上いるんだ、もしかするとサツキさんを拉致したやつがいるかも知らん」
これは啓一であった。
あのアジトには、サツキの拉致事件の実行犯がいる可能性がある。そのまま逐電したと考える方が自然だろうが、万が一ということもあるので調べるだけ調べねばならぬ。
遠くからの目撃に終わったとはいえ、面通しに駆り出されるのはどのみち一緒だろう。
「……そうですね。面通しだけ、お願い出来ますか」
「あッ、そっちの方がよほど必要じゃない。真正面で見てるんだから」
清香が失念していたという顔で言った。
昨日の今日のこと、こっちこそまさに面通ししたほうがよい。
「じゃあ、あの時いたエリナさんと倉敷さんも呼ぶのか」
「ええ、そうなりますね。ついでにヤシロさんと勝山さんにも別口で用が……」
「多いな、おい」
「こっちも余り多くの人は正直呼びたくないんですが、早いところそれだけでもやっておかないと。今日の夕方には家宅捜索で押収した証拠がどどっと来ますから」
ひい、ふう、みいと指を折りながら、今からあごが出そうな顔をしてみせた。
「……あッ、もうそろそろ被疑者が来そうですね。取り調べ入りますので、また後で!」
言うやぱっと身を翻すシェリルを見ながら、二人は再び会議室で待機することになったのだった。
聴取など諸々が終わったのは、その日の
「いやあ、しょうがないとはいえきついなあ」
啓一が思わずげんなりとぼやく。
面通しだけとはいえ、ある程度まで取り調べが進んでからでないとやらせてはもらえないからだ。
殊に今回はなかなか泥を吐かない者が多く、余計に時間がかかったというのもある。
シェリル曰くそういう連中には「説得して正直になってもらった」とのことだが、もはや何をやったのか怖くて訊く気が起こらぬ。
「あいつ、あの手の輩にゃほんと容赦ねえわ。まあ川にたたっ込め言った俺が言えた口じゃないが」
「いいんじゃね?あたしらにしてみりゃ、いいぞもっとやれだ」
百枝が肩をすくめながら言う。
あれからシェリルに頼まれ、またしても一同はここに全員集合していた。
「それにしても、よくもまあ人質に取られずに済んだものです。扉を開けようとした瞬間に足許を撃って転ばせるとか、どれだけの
「そうだな。アンドロイドというのを差し引いても、まず普通じゃ不可能だ。しかも本来使う気がなかったっていうから、初弾を込めてもいないだろうし……スライドをどれだけ速く引いたのやら。どうすればそんなずるみたいなことが出来るのか、是非とも知りたいもんだ」
エリナとジェイはありとあらゆる暴力上等、銃器なぞほとんど日用品という世界の出身だけに、シェリルの行動に驚きを隠せずにいる。
「銃はぶっ放すわ手錠は投げるわ、今回のシェリルは過激だなあ。でもそれだけ大ごとだった証拠だよね。相手が少なくても、途中で制圧に失敗してたらどつぼだったし」
耳の先をちょこちょことかきながら、宮子が首をかしげるように言った。
事実、今回の事件は人質となり得る人物が大量にいたにも関わらず、立てこもりを阻止した上スピード解決に導くというかなり奇跡的な経過をたどっている。
ただ結果としてうまく行ったからそう評価が出来るだけで、偶然からとはいえ人命がかかっている状況でなし崩しに突入してしまったというのは、どう考えてもほめられた展開とは言えなかった。
正直なところ、敵の迅速な殲滅と例のシェリルの発砲とで乗り切った感がある。
「はあ……こっちも賢くなかったですね」
シェリルも自覚しているのか、後でこっそりとそのようなことを言って軽く落ち込んでいた。
「しかし何なのよ、あのアジト。細い通路を何本も掘って川の堤防とか橋の下とかにいくつも出口を設けたりして……ほとんど迷宮じゃないの」
清香が言う通り、アジトの出口は正面口以外かなり複雑な構造となっており、うねうねと暗く狭い通路を通りながらわざと分かりづらい場所に出るように作られていたという。
大門周防通騒乱で件の空地に展開した連中も、このような出口を使って出て来たとのことだった。
あの一件ではどこから人が湧いたのかずっと分からなかったのだが、今回その場所が明かされて、刑事たちもこれは分からぬはずだと驚きあきれてしまったらしい。
もっとも当の構成員たちも持て余し気味で、今回突入の端緒を作った二人が正面口から入ろうとしたのも、迅速を優先して他の出口を嫌ったためだったとか……。
「でも何よりも一番驚いたのは、サツキさんを拉致した実行犯と英田さんの事件の関係者がいたことじゃないですか。あれはさすがに有り得ないでしょう」
「何でさっさととんずらしなかったのよ?特に私の事件なんか、警察は気づいてもいなかったんだから何とでもなったでしょうに……」
啓一と清香、百枝とエリナの四人が参加した面通しは、予想以上の成果を上げている。
今回の拉致の実行犯が見つかったばかりでなく、何と清香の人体改造実験に関わった技術者と幇助して麻酔薬を投与した構成員が一人ずつ見つかった。
半年も前の事件だというのに逐電していなかった、口を封じられていなかったということ自体が驚きだが、かなり前に人手不足を補うために呼び戻されていたというに至ってはあきれるしかない。
「上も上なら下も下……と言いたいところですが、さすがに限度がありますよ」
松村の周囲が周到なようで穴だらけというのは既に知れていたが、恐らく最近まで縁がなかっただろう極左暴力集団までこれとは戸惑うばかりだ。
「間抜けになる電波でも発してるんですかね、松村って」
シェリルはそうひたすらぼやいていたものである。
「ともあれ、かなりの量の証拠品が押収されたらしいって話だから……そこに期待だな」
「そこに家宅捜索の押収分も入ると。これだけあれば、さすがに松村につながるでしょ」
「やつがいつ動くかがあるんで、時間との勝負ですが……」
清香にそう返して、啓一はふとあることに気づいた。
「時間との勝負と言や、シャロンはどうすんでしょうか。もう逮捕から二十四時間完全に超えてるんですが……検察官送致の期限まで半分来ちゃってますよ。いい加減判断せえと」
「うーん、その辺何も言わないわねえ。面通しだけはさせたらしいけど」
今回、面通しにはシャロンも参加している。
サツキの拉致事件に関わった当事者ということで、実行犯と幇助者の割り出しを手伝ったのだ。
その結果八人が何らかの形で関わっていることが分かり、該当者にはこの件でも追及の手を強めているとのことである。
だが面通しが終わると、その辺りを訊く間もなくすぐに引っ込められてしまったため、どうするのかいまだにはっきり分からないままだ。
「何とも微妙な線ですが、送致されれば起訴の可能性が高いでしょう。しかし関係者に処罰感情がないですし、シェリルのやつも直接言いませんがあの様子じゃ同じですよ。板ばさみですわ、こりゃ……」
と、その時である。
扉がノックされ、不意にシェリルが顔を出した。
「……みなさん、シャロンさんの処置が決定しました」
噂をすれば影というべきか、いきなりの話に一同は色めき立つ。
険しい表情に判断がおおよそ知れたのか、清香は眼をそらしていた。
「これより、検察官送致を行います」
ああ、とため息の声が上がる。
「どうにかならないの?……無理みたいね、その分じゃ」
「仕方ありません」
清香の言葉に、シェリルは硬い表情で答えた。
「……本来はまずいのですが、今回に限りみなさんの見送りを許可します。まず先に私たち刑事とシャロンさんが通りますので、その後ろから来てください」
神妙な声で言うと、シェリルは一旦廊下に引っ込む。
ややあって、シェリルを先頭に弓削と落合がシャロンをはさんで部屋の前を通った。
「ご迷惑をおかけしました」
二人が気をきかせたのか、一旦止まったところでシャロンがゆっくりと
それに続いて、一同は部屋の外へ出た。
その眼の前を歩くシャロンは、もはや観念しきった顔となっている。
(そうだよね、甘くないよ。罪は罪だもの)
烈しい自罰意識にさいなまれつつも、被害者側が処罰感情を見せていないということやシェリルの対応などから、どこか期待するものがあった。
だが、どのみち逃れる術なぞない。自分が片棒を担いだ事実は消えないからだ。
(結局、何もいいことなかったな。どれだけ刑務所入るんだろう)
今までの自分の過去を振り返り、自嘲の笑みを浮かべる。
誰の手によって何のために生まれて来たのかも分からないまま、ひたすら蹂躙され続け、挙句には騙されて罪を犯し、咎人として縄につながれているのだ。これがいい人生のわけがない。
一応服役を終えれば何とかなるらしいが、迎えに来る者なぞ誰もいないはずだ。
どう考えてもこれからの展望は、ただひたすらに暗い。
散々期待をさせておいてこれか、そうも思える状況だが、シャロンは誰も怨む気はなかった。
むしろ一日だけとはいえ、善意を向けてもらえ夢を見られたことに感謝すらしている。
(ありがとうございました、みなさん……どうかご無事で)
一行はエレベーターに分乗し、地下駐車場までたどり着いた。
だがそこで、シャロンは妙なことに気づく。
(え、何で逆方向に……?)
眼の前には、パトカーを含め何台もの警察車両が停まっているのだ。
どう考えてもこれに乗るのだろうに、なぜそちらに背を向けて逆方向へ行こうというのか……。
後ろからついて来る一同も、どうもおかしいなぞと言っているようだ。
その時、駐車場の中ほどの空間でいきなり腕を離される。
急に拘束が外されたことに驚いていると、シェリルが、
「……申しわけありません。本当は救いたかったのですが、どうにもなりませんでした」
そう言って眼を伏せた。
「い、いえ、いいんです。罪人は罪人ですから、もう……」
「しかし打開する方法が一つだけあります。正確には送致されても確実に不起訴になる方法ですが」
その言葉を無視して、シェリルは続ける。
「え……?」
そして次の瞬間、
「……被疑者死亡での送致です」
いきなりとんでもないことを言い出したものだ。
そこでようやくシャロンは、自分が壁を背にしていることに気づいた。
いつの間に抜いたのか、サイレンサーつきの拳銃が自分に突きつけられている。
シェリルが自ら手を下そうとしていることは、明らかだった。
「……あ、あいつッ!脳味噌いかれたかッ!」
「何してんのよ!ちょっと、刑事のやること!?」
わあわあと啓一たちが叫ぶが、すっと弓削と落合がふさぐように立つ。
(あはは……最後でこうなっちゃったか。でも慣れてるし、いいや)
乱心したとしか思えぬシェリルの行動に、シャロンはただそれだけ思った。
裏切られただの騙されただのという感情は起こらぬ。ただ、それだけ思ったのだ。
「お許しください」
シェリルが一言だけそう言い、引き金を引く。
次の瞬間、ぱすっという音とともにシャロンの意識は永遠に途切れた。
――永遠に、そのはずだったのである。
(三途の川かな……そろそろ)
シャロンの頭に不意にそんな言葉が浮かんだ。
(……え?)
浮かんだのに気づいて、面妖さにぽかんとする。
確か自分は、無茶苦茶な理由でいきなり射殺されたはずだ。
頭に衝撃を感じたので、完全に死んでいるはずである。
(え、え?どういうこと?)
戸惑っているうちに、意識まで覚醒して来た。
「……ここは?」
見回すと、何と病院か医務室のベッドらしい。
「あ、眼が覚めましたか」
そう言ってのぞき込んで来たのは、白衣の医師だった。
「あの、私、どうして?というより、ここはどこですか?」
「緑ヶ丘警察署の医務室です。いやあ、駐車場の中で行き倒れていたということで運ばれて来ましてね。躰はほぼ正常だったので、眼が覚めるまで待とうと」
まるで事実と違うことを言う医師に、シャロンは眼が点になり固まる。
「よかった、どうやら無事だったようですね」
「大庭警視、ただの気絶だったみたいです。深刻なことにならずよかったですよ」
果たして現われたのは、シェリルその人である。
「………!?」
驚きの余り口をぱくつかせるシャロンに、シェリルは、
「いやいや、驚きましたよ。警察署内で行き倒れとは……しかもどうやって地下の駐車場に入ったのやら。入口のすぐ横に警官がいるんですから、言ってもらえばよかったんですよ?」
早口でまくし立てた。
「いや、その」
「あ、これは失礼しました。連邦警察特殊捜査課所属の警視・大庭シェリルといいます。部下より連絡を受け、大急ぎで保護させていただきました」
何が何やら分からず、ひたすらシャロンが眼をしばたたくのをよそに、シェリルは続ける。
「持ち物が何もないので名前すら分からず、あせりましたが……恐らく手がかりがあるとすればあそこだろうと思って、眠っている間に詳細なスキャンをかけてみたら、案の定頭脳外殼に出生名と見られる刻印が入っていましてね」
シェリルは空中ディスプレイを出すと、その時撮った映像を示してみせる。
確かに、何やらローマ字で名前とおぼしき刻印が入っているようだ。
「これによると、あなたのお名前は『シャロン』さんでよろしいようですね。ただし、これだけでは残念ながら苗字の方は分かりません。製造者の方が分かればその苗字を仮にでもつければいいのですが、当然この状態では分かるわけもなく……」
シェリルはそう言うと、困ったような顔をしてみせる。
頭脳外殼に出生名が刻まれているという話は、先日逮捕後に一度したはずなのに、なぜ何もなかったかのように最初から説明しているというのだ。
「ということで、とりあえず名前は『シャロン』さんということで書類を作らせていただいています。失礼ながら非常にありふれた名前なので、これだけでは身元確認は困難と思われます。お話をお聞きすれば何とかなるかも知れませんが、ちょっと当方も立て込んでおりまして、後回しにせざるを得ない状態で……まことに申しわけありませんが、落ち着いた時にまた」
「ちょ、ちょっと待ってください、刑事さん!」
ここでようやく、シャロンがまともに声を上げる。
「言ってることが分かりませんよ!いきなり行き倒れとか!私、あなたの偽者をやって拉致の手引をして、逮捕されたんですよ!?」
とにかくわけが分からないとばかりに半ばパニックとなりながら言うと、シェリルは露骨に怪訝な顔となった。
「……記憶の混乱起こしてませんか?というより、今扱ってる事件とそっくりすぎて怖いんですが」
「いや、ですから混乱なんて」
「実は今、拉致事件が起こっていまして。犯人は極左暴力集団なんですが、大胆にも私の偽者を立てて被害者を騙し拉致しました。その偽者が確かに『シャロン』という名前なんですが……」
「そうです!それが……」
「今日、犯人の所属する極左暴力集団のアジトを捜索した際、どうやらその『シャロン』なるアンドロイドが殺害されていたということが分かりまして。実に痛ましい話です」
いきなり「自分」のはずの人物が殺されたと告げられ、シャロンの顔が凍りつく。
「え、じゃ、その人は」
「どうにもなりません。死者を逮捕するわけには行かないですし、遺体を身柄付送致するわけに行かないですからね。『被疑者死亡』の扱いで検察官送致、いわゆる書類送検を行いました」
「……どうなるんですか?」
「確実に不起訴です。……どうしたんですか、同名の別人なんですけども。まあ確かに余り気持ちはよくないですよね……失礼しました」
あくまでとぼけるシェリルに、とうとうシャロンは、
「いえ、ですから!私、本当に刑事さんの偽者やったんです!だってそっくりでしょう!」
じれたように自分の顔を指して言った。
「……どこがですか?造作や髪型に関しては私と雰囲気が似てるといえば似ていますが、髪や眸の色は全然違うじゃありませんか」
シェリルはいぶかしげな顔で、どこから出したか鏡を差し出す。
次の瞬間、シャロンが瞠目した。
「髪も眸も、元に戻ってる……?」
このことである。
そこにあったのは、青色の髪に茶色の眼を持った本来の自分の顔だった。
おまけに、顔の真ん中に鎮座していた疵痕までなくなっている。
「こ、これ、一体いつの間に!?しかも顔の疵まで!?」
「そう言われましても……最初からそうなので」
よく見ると服も変わっており、水色の長袖ブラウスに白の膝丈スカートとハイソックスという、シェリルとは似ても似つかない服装だった。
これでは偽者と言い張ろうにも到底かなうことはなく、盆の窪に手を当てるシェリルと鏡を見比べてひたすら戸惑っている。
「というわけで、当方としては行き倒れた方を保護しただけにすぎません。ただ、現在緑ヶ丘市は騒乱のため極めて危険な状態です。幸い、私の知り合いに保護してくれそうな方がおりますので……よければそちらに身を寄せることをお勧めします」
空中ディスプレイを出して何やら入力し始めたシェリルに、シャロンはごくりとのどを鳴らした。
「あの、もしかして……」
「それ以上はなしです」
シャロンの顔を見ながら、シェリルは唇に人差指を立てる。
「……世の中には、そうしておいた方が幸せだってこともあるんですよ」
そこにあったのは、優しい笑顔であった。
「さて、それじゃこの件は当方で処理しておきます。余り長く席を空けておけない状況なので、これで失礼します。どうぞお大事に……」
さっと空中ディスプレイを閉じ、一礼するとシェリルは出て行く。
医務室を出るやにわかに響き出した泣き声を背にひょいと右に曲がると、啓一たちが待っていた。
「よう、千両役者」
一緒に歩き出したところで啓一がからかうように言うのに、シェリルは、
「ほめ言葉としてまともに受け取っていいんですかね、それ」
苦笑しながら頭をかいてみせる。
「というより、いつ気づいたんですか?芝居だって」
「銃撃った時だ。音がおかしかったし、排莢も変だったからな」
「そこで見破られるとは思いませんでした。別にそっち方面詳しくないですよね?」
「まあな。雑学でたまたま知ってただけさ。むしろ実体験なら、この二人の方だろ」
そう言われ、ジェイとエリナがうなずいた。
「大庭さん、あれはさすがに三文芝居ですよ。私の前でやったらばれます」
「マ、マスター!……いやでも、サイレンサーの実物を知ってる人の前であれはとは思います」
拳銃のサイレンサーは、巷間ではその名前や映画などでの表現から、あたかも銃声を一切消してしまうかのように思われている。
しかし実際には銃声をそう簡単に消せるわけもなく、完全静音は無理どころか、銃の種類によっては明らかに火薬が炸裂したと分かってしまうような音すらするものもあるのだ。
異世界なのだから完全静音は出来る可能性があったが、どうやら騒乱の時を見ていると銃の性能は余り変わりがないようなので、感覚は同じと思っていいだろう。
あの時、シェリルが発射した拳銃はほぼ静音であった。あれでは銃に慣れない者は騙せても、知っている者には丸分かりである。
さらに突っ込めば、警視といっても普通の警察官にサイレンサーなぞ支給されないはずだし、大体にして硝煙は立ったが排莢された薬莢が落ちる音がしなかった。
「排莢は思い切り忘れていました、真っ先にばれるやつじゃないですか」
「実体がないんだから、それくらいはリアリティ出せよ」
「あれが限界ですよ、規制があるんです」
「それと検察官送致だって、あんなんじゃないって聞いたぞ」
「ああもう、妙な物知りがいるとこういう時困ります」
「まあまあ……それにしても心臓、いや動力炉に悪いわよ。まさか何にも言わずに、こんな無理矢理な芝居打つなんて。理屈は分かるけどねえ」
もうお分かりだろうが、あの支離滅裂というべき射殺劇はシェリルたちのしかけた大芝居である。
実はあれから一時間ほど前、捜査本部はシャロンを釈放する方向で話を進めていた。
だが罪状があるのは変わらないし、それを無視して釈放すればこちらはおろか彼女の身にも何があるか分かったものではない。
そこでシェリルが言い出した奇策が、
「架空の同名被疑者を作って誰かに殺害されたことにし、そちらにシャロンの罪をかぶせる」
「シャロンは同名の赤の他人として、単に保護されただけの身元不明者として扱う」
というものであった。
確かにこうしてしまえば、本物のシャロンを送致しないで済む上、そもそも罪を問われる立場ではなくなるので罪や逮捕の事実も消え堂々と釈放が出来る。
ただ、こういう方針を明かしてもシャロンが聞くわけもないのは分かっていることだ。そのため、「検察官送致直前にシェリルが無茶な理由をつけて射殺」という苦しい
だがあの時、当然そんなことを知らなかった一同は果たして大騒ぎとなった。
特に百枝はすっかり理性が吹っ飛んでしまい、シェリルは危うく首を引っこ抜かれるどころか折り飛ばされそうになってしまったほどである。
そこで先ほどのような違和感に気づいたジェイとエリナ、そして啓一が止め、ようやく種明かしとなった次第であった。
そもそも、シェリルは「射殺」はおろか「銃撃」すらしていない。
わざと身体検査を再度行って電撃を与える小型装置を目立たないところに密かに装着させ、「銃撃」とともに遠隔操作したのだ。
いくら躰に害がないとはいえこのようなものを使うのはしのびなかったが、リアリティを出して本人に気絶してもらわないと計画が成り立たない。
「しっかし恐ろしいな。ARは俺の世界でも普通にあったけど、肉眼じゃ見えんし本物とは似ても似つかなかったぞ。それが普通に見えて実銃と見分けもつかないとは……。まあ二十三世紀だからなあ」
啓一が言う通り、シェリルが「持っていた」のは本物ではなく精巧なCGの銃であった。
"AR"とは日本語で「拡張現実」といい、現実をコンピュータによって拡張する技術全般を言うが、一般的には静止画やCGで作成したモデルを画面上で現実の画像や動画とかぶせ、あたかもそこにあるかのように見せる技術として認識されている。
この世界ではこれがかなり進んでおり、肉眼でもそのまま見えるように本物と見まごうようなものを出現させることが可能だ。
ただし画面上のものはともかく、肉眼で見えるものは犯罪に悪用される可能性があるからと規制が行われており、アンドロイドでもこの機能を取りつけるには審査がいり苦労するという。
話を元に戻そう。
一連の芝居の後、気絶したシャロンは大急ぎで警察署にあるアンドロイド用の治療室に運ばれた。
一番の目的は、松村や極左暴力集団によって蹂躙されたシャロンを原状回復することである。
どう考えても普通に別人扱いを認めるとは思えないので、変装を解き、顔の疵痕を修復することで退路を断とうとしたのだ。
事件と関係のないジェイや宮子が呼ばれたのは、そのためである。
宮子に治療室の周りをネットワーク封鎖して外に情報が漏れるのを防いでもらい、そこでジェイとエリナが手早く作業を行った。
疵痕の方は顔の人工皮膚を張り替えるだけ、眸はカラーコンタクトを外すだけで仮復旧出来たが、髪の染め方が余りにひどくこちらの方に時間がかかってしまったという。
「何て乱暴な染め方ですか!繊細な生体部品相手に鬼畜の所業です!」
髪が自慢と配信でも言っているエリナが激昂し、自らありったけのシャンプーやリンスを使って髪を隅々まで洗い始めたというのだから、推して知るべしだ。
そして作業が終わり次第医務室へ運び電源を入れ、今に至るわけである。
「応急で最低限直すだけという話でしたが、結局必要になっていくつかいじる羽目になりましたね。特に電源周り、あそこまでがたついてるとさすがに……」
「電源を何度も何度も落としすぎなんです。メンテナンスですら落とさないことがあるのに……。今までよくハード面で悪影響出なかったものですよ」
「ま、それ以外が大丈夫そうだったからよかったが……」
ジェイとエリナがそんなことを言っているうちに、一同は捜査本部前にたどり着いていた。
「警視、証拠ですが……大漁です。今、急いでまとめていますので立ち会いをお願いします」
待っていたとばかりに落合が話しかけるのに、シェリルは、
「ついに来ましたか!腕が鳴りますね……!すみません、みなさん、しばらく失礼します!」
本部の中へすっ飛んで行く。
「あ!俺らどうすれば……って聞いてないや」
そういえば、余りのどたばたに飲まれ、帰っていいのかどうか訊き忘れていた。
少なくとも啓一と清香は、シェリルの許可がないと動けないのだが……。
仕方なく元の会議室に戻ると、
「大丈夫ですか?奈義さん」
「ええ、すみません……大丈夫です、もう」
何と弓削と葵が座っていた。
「へ?葵が何でここに!?」
百枝が眼を点にし、葵を指差しながら言う。
葵は逃亡者のため要保護ということで、ずっと家にいることになっていたはずだ。
「倉敷さん、失礼しています。実は被疑者の供述から意外な事実が分かりまして……大変申しわけないのですが、面通しに来ていただくことに」
「面通し!?この事件と葵は関係ないはずじゃ……」
「警視からお聞きでしょうが、被疑者の中に技術者がいました。この人物、どうやら奈義さんの事件にも関与していたそうなんです。それで取り急ぎ」
「まじかよ……」
百枝が余りのことに、開いた口がふさがらないという顔で漏らす。
「てか、事前にあたしかヤシロさんに言ってくださいよ。親戚だし保護者だし……」
「それについては、本当に申しわけなく思っています。大変急なことだったので」
「それと葵の存在が漏れたら危険だって話は、一体どうなったんです。いくら大量逮捕で敵が減ってるとはいえ、リスクが高すぎやしませんか」
「お姉ちゃん、刑事さんを責めないで。私が行かせてほしいって言って来たんだから……」
葵が弓削をかばうのに、百枝は黙り込んでしまった。
「弓削さん……葵ちゃんに面通しを頼むってことは、もしかしてそいつ改造に関与を?」
「……そういうことです。警視から聞いて調書で確認しているんですが、奈義さんははっきり改造を実行した者の顔を見ていたとか。そのため必要となったんです」
「まるで悪人のバーゲン・セールじゃないですか。アジト一つ潰しただけでこうなるなんて」
清香は頭が痛いと言いたげにこめかみをもむ。
「リスクの管理なんてまるで頭にない連中ですね。見つかれば身の破滅になるような輩を平然と活動させておくのみならず、ひとっところに集めるなんて……ほんとにテロ組織かと」
「それは私も思いますね。私たち警察としては、一網打尽に出来るので都合がいいですが」
ジェイがあきれ果てたという顔をするのに、弓削は渋い顔となった。
「結果は……?」
「大当りだった。あいつ、私が驚いてるのを見て前かがみになってたやつだった」
「ああん?よりによって一番の糞野郎だったか!あたしが警察なら金玉ひねり潰してるとこだ!」
葵の答えに、百枝が般若のごとき形相となる。
もっとも被疑者をどうするわけにも行かないので、躰を震わすしかなかった。
「怖いとかじゃなくて、それ通り越してすごく腹立った。何でこんなのがいるんだろうって」
本来ならトラウマで泣き出してもおかしくないところだが、あの時に受けた侮辱に対する怒りの方が先に立ったようである。
「はあ……蓋を開けてみたら、いろんな意味で頭のかわいそうなやつらが雁首そろえてたってところですか。三百年前のご本家が見たら、さぞかし嘆くでしょうよ」
啓一が、憐愍の響きさえこめた声でため息をついた。
先にも述べた通りこの世界のこの国の極左暴力集団は、元祖の劣化コピーの劣化コピー、ただの真似っこ集団でしかないのだが、いみじくもそれを証明したかのような出来事である。
「しっかし気分のいいもんじゃないですね、死刑確定のやつらと同じころにいるなんて」
「そこは裁判所が決めることですので、私からは何も。ただまあ、法律があのありさまですので個人的には確定と思いますが」
「拘置所が繁盛しますな……」
一体何人がぶら下がるのか知らないが、実にありがたくない繁盛であった。
「では、私はこれで失礼いたします。警視からですが、また折を見て来るとのことでした。あと証拠調べで分からないことがあった場合、何か来る可能性があるとも」
「わ、分かりました……」
最後につけ加えられた言葉に、清香ががくりと首を垂らす。
いくら少々の徹夜でびくともしないとはいえ、これ以上続くとなるとこうもなるはずだ。
「うーん……まあ、大詰めだししょうがないけどねえ」
清香が言う通り、まさにこのアジト制圧により一気に捜査は進展を見せている。
署内の部屋を何部屋も使ってようやく並べきれるくらい大量の物品が押収され、その中から面白いように次々と証拠品が発見されていた。
「……何かの罠かと思うほど残ってますね。絶対に見つからないという自信でもあったんでしょうか。まあ、人それを『慢心』というのですが」
書類がどんどんと作成され、シェリルのところに上がって来る。
今回の事件に関わった二十一人の検察官送致もそうだが、一番の本命は他にあった。
松村の逮捕状取得である。これさえ取れば、正面切って敵の本拠地を攻めることが出来るのだ。
だがシェリルをはじめとして捜査本部の誰もが、これが通過点であることを自覚している。
「逮捕だと言ってはいお縄につきますという男ではない」
この一言に尽きるからだ。
相手が現在の状況をどこまで知っているかは分からぬが、知ればここぞと五千人を繰り出して武力行使をして来るのは見えているからである。
「部長、証拠品の画像鑑定をお願いして来ます」
「分かりました」
案の定、清香たちはどんどんと証拠品の鑑定を頼まれる羽目になった。
中には画像のみでの鑑定が難しいものも多く、現物を見に行くこともある。
メイド姿の女性やワンピースの少女が、マスクをし手袋をつけて証拠品をつぶさに
「重力学に関わるものというと光線欺瞞装置しかない上、本当に簡易なものだけね。使えそうだからとりあえず備えておいたって感じかしら。たまたま今回の拉致では出番があったけど、あんな無茶な使い方するなんてねえ……知ってれば危険だとすぐ分かるから、あの連中はろくに知識ないでしょうね。恐らくそういうのは、本体の方にいるんじゃないの」
「人体改造実験関連は……糸型ナノマシンのプログラミング装置と製造装置が一番大きいでしょうか。しかしあんなでかぶつ、よくアジトに入れたもんです」
「それを根性で押収して来たのも、それはそれですごい話だがな」
「当時のデータまで消しきれていなかったそうじゃないですか。杜撰にもほどがあります」
だんだんと一同の中でも、決定的な証拠品の数々に「逮捕」の二文字が近く起こる現実として迫って来たようである。
やがて今回のアジト制圧で逮捕された被疑者が、ぞろぞろと検察官送致されて行った。
縄で数珠つなぎにされて引きずられ、しゃべることすら許されないという、一般人ならお世話になりたくない環境に押し込められるのである。
もっとも、同情心なぞ微塵もなかった。ここに今現在いる自分たちの仲間に非道をはたらいた張本人たちなのだから、残念でもないし当然としか思わない。
そんなことより、こちらは仕事をこなさねばならぬ。なるたけ手早く、しかし確実に進めなければならないので、実に手間がかかる。
「……いくつあるんだよ、このファイル」
「猫の手も借りたいって、僕猫だけどさあ」
「警察の人って逮捕前にこんな大変なことやってるんだね……」
とうとう余りにも仕事量が多すぎて、啓一の手をあふれてエリナやジェイ、さらには百枝や宮子にまで手伝ってもらう羽目になってしまった。
葵も手伝うと言い出したのだが、さすがにこのような作業を高校生にやらせるわけには行かないので、横で見させておくに留める。
結局途中で宮子と葵は帰宅、百枝だけが「こうなったら全部やる」と言って残った。
夕陽が落ち、夜になってもひたすらに作業は続く。
そして、時計が〇時を指した直後であった。
「これで終わりです、お疲れさまでした」
データを提出したところで刑事にそう告げられ、長い作業がようやく終了したのである。
「うへえ……やっと終わった。すごい量だった……」
「証拠になるような品やデータが多すぎるのよ。特に押収されれば即逮捕状直結になるようなもの、あんなところに残しておく?もう突っ込みどころしかないわ」
「同感ですねえ。機密扱いでしょうに、そうとは思えないほど雑でもう……」
「何なんでしょうかね?頭がいいのか悪いのか、本当に分からなくなりますよ」
「……まあ、頭いいふりしてる馬鹿なんじゃね?あたしあんまり知らんけど。しかしきっつ……」
エリナの言葉に、大きく伸びをしながら百枝が顔をしかめてみせた。
「こっちはいいが、がさ入れの証拠はどうすんだ?あれがないと騒乱罪で捕まえられねえだろ」
「それはそうでしょうね。でも今の容疑だけで充分取っ捕まえられますから、あとは新しい容疑がかかるたびに罪状追加、いわゆる『再逮捕』の繰り返しじゃないですかね」
「何度されるんだか見ものだぜ……って、刑事殿は何してんだ?顔見せないけど」
「ああ、シェリルなら……さっき本部の前通ったんですが、あれは絶対に声をかけない方がいいです。邪魔になりますからね」
「そんなにまだ修羅場なの?終わりに差しかかってるっぽいけど」
「修羅場ってんじゃあありません。……あれは、覚悟を決めた
清香の問いに、啓一はごくりとのどを鳴らしながら答える。
その意味は、本部に行けば自ずと分かることであった。
「警視、請求に提出する証拠が全てそろいました」
「……分かりました。一気に全ての罪で逮捕状請求することは難しいので、逮捕監禁罪から始めて出来るだけ盛り込んで請求します」
シェリルはそう言うと、眼の前に置かれた白紙の「逮捕状請求書」を
この世界では、逮捕状は電子請求が可能だ。だが彼女は、重大事件に関しては紙で手ずからこれを請求することにしている。
やがてシェリルの周りにぴんとした空気が張りつめ、その眼が静かに閉じられた。
首謀者の逮捕状請求書を書く前に、必ずやる瞑想である。
この一筆によって逮捕状が無事発行されれば、この街を長きに渡って苦しめ続け、さらに国家転覆を企む奸賊・松村徹也を逮捕することが出来るのだ。
これまで警部時代から数え切れないほど書いて来た請求書の中でも、この一通は一生に一度書くか否かというほどのとてつもない重みがある。
焼けただれた緑ヶ丘の街、恐怖におびえる市民、被害者たち、そしてサツキや仲間たちの顔を一通り脳裡に思い浮かべるや、
その幼い顔からは想像も出来ないほどの気魄に、シェリルとは今回初顔合わせの市警の刑事までもが息を飲んで見守る中、請求書はあっという間に出来上がる。
「……出来ました。これを裁判所へ持って行きます」
厳かな声で言いながら、シェリルは自ら請求書を提出しに行こうとした。
「待ってください、請求なら私たちが」
「……請求書というのは、本来本人が提出するものです。必要書類等をお願いします」
落合の言葉をしりぞけ、静かにそう命令する。
「諒解しました」
落合が敬礼し、捜査本部の時間が再び動き始めた。
サツキがそれに気づいたのは、まさにシェリルが請求書を書き終えた時だった。
ベッドに入ろうとした身を器用に起こし、耳をぴくりと動かしてみる。
部屋の外では、何やらこそこそ見張りたちが話していた。声がかなりあわてている辺り、よほどのことがあったのだろう。
耳を廊下の方に向け話を聞き取ってみると、やはりそのようだ。
「……まずい、あそこが全部ほじくり返されるなんて。もろに警察に証拠持って行かれたぞ」
「上がいないから言うけどさ、実は俺反対したんだよ。実験の時のやつら呼び戻すなんて」
「俺も同じだったけど、言ったとこで聞かねえよ……主導が別のとこのやつだし」
「ほんとにあいつら、自分のとこに技術者いるからっていばりやがって」
どうやら極左暴力集団のアジトか何かが警察によって制圧され、証拠品が押収されたようである。さらには実験、恐らくは人体改造実験に関わった人物が逮捕されてもいるようだ。
(もしかすると、これは……!)
もしこれが本当なら、捜査の大進展である。
場合によっては、松村やその周辺の人物の逮捕状まで出るかも知れぬ。
その時である。
「……何を騒いでいるんだね、君たちは」
どこから湧いたのか、いきなり松村の声がした。
「え、ええッ!?いや、すみません」
「こんな時間に淑女のいる部屋の前で、何と失礼な。気をつけたまえ」
「申しわけありません。……専務は何のご用ですか?」
「真島さんに伝えたいことがあってね。起きているかね」
「先ほど寝ようと準備していたところですので、今ならまだ」
「じゃあ」
すぐに、ノックの音が響く。
「失礼します、夜分遅くに。起きていてよかった」
果たして現われたのは、松村であった。
「……何でしょうか。私はそろそろ寝るところだったんですが」
サツキは、わざと必要以上に不機嫌な顔を作って言う。
彼女にしてみれば、塩を山盛りにまきたい気分だ。
「まことに申しわけありません、急いでお伝えせねばと。実は少々厄介なことになりまして……明日以降、一騒動あるかも知れません。それでも身の安全は保証しますのでご安心を」
思った通り、警察は一気に松村へ肉薄しているようだ。
しかし、この言い方は何なのだろうか。人を拉致して縄で縛りつけるという犯罪行為をしている身で、よくもまあいけしゃあしゃあとこんな善人面が出来たものだ。
「そうですか、それは安心しました。ただその一騒動の中で、ご自身が今の私と同じありさまにならなければいいですね」
サツキは冷たい表情で、思い切った皮肉を返した。
どうせ効くまいと思って言ったことだったが、
「……何をおっしゃいますか、そんなことは起こりません」
何と初めて効果があったようで、少しおたついている。
警察が確実に近づいて来ているのを知って、内心穏やかではないようだ。
これまでのれんに腕押しであっただけに驚いたが、サツキにとっては少々愉快でもある。
「ともかくご安心ください。……それではおやすみなさい、どうぞよい夢を」
「これはどうも。いい夢を見ても相殺されそうですけどね」
とどめの当てこすりをしたが、松村は答えずさっさと出て行ってしまった。
あわてたために靴が脱げたらしく、愚痴りながらはき直しているのが扉越しに分かる。
(珍しい反応……シェリル、かなり強烈な一発やってのけたのね)
サツキは、先ほどの予想を確信へと変えつつあった。
いくら異常者でも、さすがに足許に火がついて平然としてはいられないというわけか……。
(明日には、全てが終わるのかしら?)
もしこの状況で逮捕状が取れたならば、放っておく理由はないため即座に執行するはずだ。
しかし実際の執行までに、松村の私兵と
実際の戦いなぞ見たことのないサツキにとっては、恐怖でしかなかった。
(いや、私がここでしっかりしないと。きっとみんな助けに来てくれる)
もし自分を助けてくれるというなら、誰が真っ先に来るだろうか?
もし連中の手を抜け出せ得たなら、誰に真っ先に助けられるだろうか?
刑事で幼なじみでもあるシェリルはもちろんだが、恐らく他の仲間たちも来るはずだ。
今回の事件の被害者の一人である清香も、被害者の親戚である百枝も、絶対に来ないはずはない。
市民として強い義憤に燃えるエリナも、到底我慢出来ずに来るはずだ。
だが、足りぬ。それでは、一人足りぬ。
もう一人、絶対に来る人物がいる。
(啓一さん……)
啓一は今回の事件に対し、同じ世界からの転移者が起こしたことと知って強く憤慨し、「奸賊伐つべし」と打倒の火を心に燃やしていた。
彼が戦いに出るのはまんざら非現実的でもない。三人がかりで反重力発生装置頼みだったとはいえ、あの大門町の騒乱で一番大騒ぎをして星を稼いだからだ。
だが、ただひたすらに心配が募る。今回も反重力発生装置での戦いとなるのだろうが、今回の敵は五千人、大門町の時と同じようにうまく行くという保証はどこにもないのだ。
(……何で来てほしいって思うのかしら?危ないだけなのに?)
そもそも、彼にとってサツキは一時的な保護者にすぎない。サツキの方も、一時的というのはけちだと思うので一緒に暮らしてもいいとは思っているが、それ以上のことはなかった。
清香の仇たる松村打倒に必死になりすぎて一緒に引きずり込んでしまい、保護者としての責任を果たせなかった自分が彼に助けられるなぞおこがましい、そんな気持ちすらある。
だが彼がここに来ず、来ても自分の救助を他人にまかせきりにするという絵面が思いつかぬ。
それどころか先陣切って飛んで来る、そんな光景すら目に浮かぶのだ。
「啓一さん……」
サツキは一つぽつりとつぶやくと、そのまま静かに夢の中へ落ちて行った。
翌日。
啓一と百枝とジェイが起きると、時刻は七時を過ぎたところであった。
「あ、おはよう、禾津さん。ヤシロさん、倉敷さんも……」
「おはようございます、マスター、そしてお二人とも」
早起き上等の清香・エリナのアンドロイドコンビに迎えられ、もそもそと起き上がる。
「おはようございます……一日ぶりにしっかり寝ましたよ」
「おはようございます、簡易ベッドとかいつぶりやら」
「お、おはよう。研究者すげえなあ、ひどい時はこれやるってんじゃ」
あれから一同は、結局警察署に泊まることになった。
帰れないわけではなかったのだが、遅くなりすぎて危険だからと止められたのである。
服については、啓一と清香は泊まりを想定して最初から持って来ていたが、他の三人はどのみち一晩だからと寝間着と下着だけ貸してもらったようだ。
風呂もさっとしか入れないなど、一般人にはかなり困惑するような環境なので大丈夫かと懸念したが、杞憂だったようである。
話を元に戻そう。
着替えてすぐに署内の食堂へ向かうと、そこはすさまじく緊迫した雰囲気であった。
もう覚悟完了と言わんばかりの刑事や警察官たちが、黙々と食事をとっている。
五人も空いた席に入ったはいいが、その気魄に押されてものの味がしなかった。
「……今日やるつもりだな、あの分じゃ」
「多分逮捕状取れたでしょうし。それなら放っておく道理がないもの」
そう戻りながら話していた時である。
さっと、どこからかシェリルがシャロンを伴って現われた。
どうやら昨日の今日ということでここに泊まっていたようだが、突如現われたのは意外である。
「みなさん、おはようございます。ちょうどよかったです、本部へいらしてもらえますか」
「えッ……!?」
想定外の発言に、一同の声がほぼそろった。
ここにいるうち、啓一と清香は正式に協力を命じられていることもあって本部内に入ったことがあるが、単に善意で協力しているだけの残り三人、そして元々被疑者としてここに来たシャロンは当然のごとく入れてもらったことなぞない。
「私の机の前に来てください。ちょっと狭いので横並びで」
「し、失礼します」
刑事たちの驚きの視線に気まずいものを感じつつ、一同はシェリルの机の前へ並んだ。
「まず現況ですが、昨晩一時半頃、松村徹也および関係者の逮捕状が取れました」
請求書を書き終えたシェリルは、自ら部下を引き連れてすぐ斜向いの地方裁判所へ向かった。
逮捕状含む令状の発行が、裁判官により行われるのは有名である。
通常早い場合は一時間程度で出るのだが、今回は事件が事件のため、当直の裁判官がかなり慎重に審査を行って出したのだ。
「これより逮捕のため、一新興国産業本社に向かいます。ただしサツ……真島さんの捜索を兼ねているため難航が予想されますし、それ以前に戦わずに済むことはないでしょう」
ここでシェリルは一つ息を吸うと、
「そこで、後方支援をお願いしたいのです。通常ならばこのようなことはしないのですが……あちらが予想以上の技術力を持っているため、能力がおありのみなさまにご協力をお願いしたいのです。情けない話ですが、現在人員が足りていないため……。なお、これは連邦警察の本部もきちんと把握していますのでご安心ください」
静かに言い出す。
「……ちょっと待った、具体的には何をするんだ?」
後方支援といっても、例えば軍隊における輸送部隊などが思い浮かぶばかりで想像がつかない。
「今回重力学の悪用が行われ、東郊外が襲撃の危機に見舞われています。まずはそれを封じる必要があります。また、反重力発生装置などの不調に即対応する人材も必要です」
「そうなると、俺と英田さんがそれか?」
「いえ、倉敷さんも」
「は?あたしもかよ?」
「……倉敷さん、名目、名目!」
そこで、シェリルが声をひそめて大あわてで言う。
「あ……あたし、サツキさんの臨時助手扱いだったわ……」
思わず周囲を見渡すが、刑事たちは平然としていた。
シェリルがこのような変化球を投げるのは、さして珍しいことでもないのだろう。
「あと、今回は被疑者を含む一新興国産業が極めて厳重なセキュリティ体制を取っていることから、これを打ち破る人材が必要となります。今回改めて令状を取ってありますので、こちらも」
「それは、私とエリナですかね」
「そうですね。ヤシロさんはこちらで詰めてのハッキングをお願いします。で、エリナさんは現地での対応をお願いします」
「マスターは分かりますが、私はどうすれば?」
「現地でハッキングの必要が出た場合、それをお願いしたいのです。相当な技術がおありですから」
エリナは上を向いて考え込む。
分からなくはないが、宮子やシェリルと違ってあくまで素人なので、期待される結果を収め得るかは少々怪しい気がした。
「あと、シャロンさん。エリナさんの助手として行ってください」
「……え?」
耳を疑うような発言に、シャロンのみならず全員が二人を見比べる。
確かシャロンは聞く限り普通のアンドロイド、一緒に行ったところで何にもならぬはずだ。
「え、ええと、私は何をすれば……」
「普通に手伝ってあげてください。一人じゃ出来ないことも多いので」
「それって、俺みたいな感じか……?」
どうやら自分と同じような立場と思った啓一が言うと、
「ま、そういうことですね」
シェリルは盆の窪に手をやって答える。
「非戦闘要員ですので、こちらも手を尽くして守ります。……ただし、何かの事情で『自衛』の必要が出た場合は、『自衛』として力を行使しても構いません。あくまで『自衛』で」
片眼を閉じながら「自衛」を強調して言うのに、一同はようやく察した。
シェリルは「後方支援」の名目で、松村と何らかの因縁を持つ者を現場へ連れて行き、松村たちへの意趣返しをさせてやろうとしているのである。
元々松村に烈しい憎悪を抱いている上に従姉妹を改造された百枝、松村や極左暴力集団によって人生を蹂躙された挙句利用されたシャロンが無理矢理入れられている時点で、推して知るべしだ。
またエリナの場合は、その戦闘力の高さも期待されているのだろう。何せ自分のマスターを脅してまで騒乱の鎮圧に出撃し、星を稼いだという事実があるのだ。
しかも完全に名目というわけでなく、本当に後方支援も出来る者がほとんどという事実があるので、嘘はついていないことになる。
「……大胆なやっちゃな。大丈夫か?」
「大丈夫も何も、正当な方法ですよ?」
とぼけながら言うシェリルを、啓一はあきれたような顔で見た。
いろいろ型破りだと思っていたが、ここまで普通やってしまうだろうか。
「朝礼後にまた呼びますので、しばらく待っていてください」
「わ、分かった」
六人がぴんと来ないような表情で去った後、シェリルは、
「……『あれ』を掲揚するよう伝えてください」
職員にそう告げた。
朝礼を行い、さっそく逮捕に向けた作戦について再確認を行う。
これには、六人も参加となった。現場のことが分からないと動けないためだからとシェリルがねじ込んだようだが、恐らくこんなことは後にも先にもないことだろう。
これから、敵の本丸に乗り込み囚われたサツキを助け、奸賊・松村徹也を逮捕せねばならぬ。
敵が私兵をもって武力行使を行うことが予想される以上、機動隊や特殊部隊を最大限に使いその脅威を排除しなければ、これはかなうまい。既に鎮圧に向けて事前にいろいろ手は回したものの、どうしても
連邦警察にとって、まさに試練となる事件である。決して、失敗は許されないのだ。
八時半、ついに作戦についての再確認が終了する。
その最後、本来なら終了を告げるところで、シェリルは立ち上がって拳を固く握るや、
「連邦の興廃此の一戦に在り、各員一層奮励努力せよ!」
凛とした大声で叫んだ。
「
刑事たちと警察官たちが、一斉に応える。
啓一と清香、百枝が意を察して同時に応え、他の三人が見よう見まねで応えた。
もはや説明はいるまい。かの日露戦役の際、東郷平八郎がZ旗に込めた言葉が元だ。
事実、庁舎の前にも国旗に並びZ旗が掲揚されている。
連邦警察では重大事件がいよいよ大詰めを迎えた際、特に隠匿する必要がない場合は捜査本部のある庁舎に掲揚するのが習慣となっていた。
見られても構わぬ。むしろ望むところだ。
その決然たる思いが、ここに現われたのである。
シェリルを先頭にぞろぞろと出て行く刑事と警察官の後ろに、一同は緊張した顔で続いた。
そしてここに、最終決戦の幕が切って落とされたのである。
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