二十二 猜疑

 翌日から、緑ヶ丘には緊張の糸が張りつめるようになった。

 半分近く焼けこげた中心部には、規制により原則的に警察関係者しか立ち入れなくなり、時折警察官や刑事、パトカーや機動隊の車両が行き交うばかりである。

 郊外の家々もことごとく門扉を閉ざし、人々は逼塞するようにして避難所で暮らしていた。

 これまで例がない大規模な騒乱事件が二日連続で起こり、さらには人体改造事件という即極刑ものの兇悪犯罪が発覚したとあって、市民の不安と恐怖と疲労は日に日に募り行くばかりである。

 しかも騒乱事件について、警察の公式発表では、

「動機などいまだ判明せず」

 とされ、不明点だらけの事件という扱いをされているのだ。

 警察としてはいろいろとつかんでいても証拠が足りない状態のため、このように煮え切らないことを言わざるを得ないのだが、市民の立場としてはわけが分からぬし不気味なだけでしかない。

 このため人の世の常というべきか、様々な噂が立つようになった。

 中には笑殺すべき下らぬものもあったが、そういったものを除けば、

「一新興国産業が関わっているのではないか」

 というところからほぼ全て話が始まっている。

 そしてこうなると、同社の反社会的勢力との関係を知る身としては、

「どこかからまた連れて来て一騒ぎも二騒ぎもやるのでは」

 という方向に思考が向かわざるを得なくなるわけだ。

 経路は異なるが、結果としては警察をはじめとして松村の計画について知っている人々と同じ推測をするようになっているのである。

「……てなわけでさ、次が来るんじゃないかってみんなの不安がすごいぜ。年寄りや病気持ちの人の中には、具合悪くなって近くの病院行きになってる人結構いるよ」

 境内を掃除しながら、百枝は啓一とサツキに言った。

 聞けばよく避難所になっている公民館を見に行っているとかで、その陰鬱な空気にいたたまれなくなることもあるという。

「しかし、沈黙して三日経っちまったな。やっぱり情報収集に時間かけてんのかね」

 百枝が手を止め、ため息とともに言った。

「でしょうね……そっちに多少の時間をかけることは予想してましたが、存外に長いですね」

 二日連続で騒乱をしかけて来たことや、松村自身が戦いをしないで済ますことをよしとしないと思われることから、一同は本格的な蜂起を近日と見なして警戒を続けている。

 だがまるでそれに肩すかしを食らわすように、松村は一切の動きを見せなかった。

 もっとも先日啓一が指摘したように、本格的な内乱を前にして情報収集に舵を切る可能性があったため、少々沈黙している程度では驚くに値しない。

 問題は、これをいつまで続ける気なのかということだ。暴力団に対する家宅捜索が行われれば関係が露見して搦手からの逮捕が可能となるため、日が経てば経つほど不利になることくらいは本人が一番理解しているはずである。

 以前よりさらに松村の思考が読みづらくなり見通しがつきづらくなったことで、一同はひどくじりじりした気分にさいなまれている状態だった。

 こうストレスを感じていては正常な思考が妨げられ、何かあった時にとんでもないへまをする恐れがあるのだが、こればかりはいかんともしがたい。

 眉間にしわを寄せてあごをひねっている啓一に、

「ああ、そうだ。啓一さん、あの話しとかないと……」

 サツキが思い出したように言った。

「あ、そうだった。倉敷さんには、こっちから話してくれって頼まれてたな」

「何だい?何かあったのか」

「ええ。昨日の夜なんですが、シェリルから連絡来ましてね」

「刑事殿が?ようやく連絡ついたのか……」

 あくまで百枝の自宅はこの植月神社のため、用がなければここに帰っている。

「夜の十時でなけりゃお呼び出来たんですが、さすがに迷惑だろうと」

「……ごめん、その時あたし多分酒に酔って寝てたわ。呼ばれてもべろべろで無理だ」

「あ、なるほど」

 百枝の左党ぶりは啓一も知っているので、特に驚かぬ。

 今回の場合、やけ酒に走りたいというようなことを言っていただけに余計だ。

「ま、それはともかく。昨日の夜、すさまじく疲労困憊した声で電話かかって来ましてね。『一月分の仕事が二日で来た』なんて言ってて、もうへろへろでした」

「……何してたんだ?捜査で大変なのは分かるが」

「それがですね、ちょっと詳しくは教えられないと言われまして。いくらあいつでも、おいそれと全部教えられないとこに話が進んで来てるようです」

「ここ来てそれか」

 百枝がむすりとして言うが、これまでほぼ全部教えてもらえていたのが奇跡なのだ。

 現状ではかなり情報がしぼられているようで、その範囲でいくつか教えてくれたようである。

「まず現場の捜査ですが、二日がかりでもまだ終わりきっていないそうです。そりゃまあ、あの広さと被害の大きさじゃ無理でしょう」

 何せ今回は一キロ余りの通り一本と百メートル四方ほどの町一つという広い地域の中で、おびただしい器物損壊と烈しい放火が行われたのだ。百棟を超える建物が崩れかけ、数十本に及ぶ電信柱や街燈が連続で損壊して倒れそうになっているという状態では、鑑識すら簡単に出来たものではない。

 それにいくら暴力団や破落戸連中を逮捕に逮捕したとはいえ、松村が私兵を持っている以上、まだ危険が去っているわけではないのだ。

 また騒乱に乗り出して来ることがないとは言い切れないため、その警戒を行いながらとなり、捜査がなかなか進まないのだという。

「あっちゃあ、見事に手に余してんな……」

「しかも人員もぎりぎりって話ですからね、踏んだり蹴ったりだと言ってましたよ。警戒に多くの人を割かないといけませんから、仕方ないとは思うんですがね」

「人数を増やしてるそうだが、機動隊がほとんどみたいだしな。捜査に使えるような人員は思ったよりいないんだろうよ」

 捜査本部の人員については詳しいことは分からないが、外部から見る感じでは相手が武力行使にこだわっているということからか、最近では機動隊員の姿の方が目立つようになっていた。

「被疑者はどうしたのか、ってのもついでに訊いてみたんですよ。ほら、あんな人数置いておけないでしょう。豚箱に放り込むにしても限界があります」

「ああ、あれか。どうしてんのかと不思議だったんだよな」

 各警察署の留置場を全て使ったとしても、九百人という人数を留置出来るとは思えない。まさかぎゅうぎゅうに押し込めるわけにも行かないので、みなどうするのかと思っていたのだ。

「じっくり取り調べする必要のあるやつ以外は他の市に頼んで一旦外に出すんだろうか、なんて素人考えしてましたでしょう。それをぶつけてみたんですよ」

「ところが……一応そうみたいなことは言ったんですけど、どうも変な感じだったんですよね」

 これはサツキである。

 この質問にシェリルは、

『まあ、そういうところですね』

 そう答えただけで、それ以上何も言及しなかった。

 サツキにはこの反応が、どうにも引っかかったらしい。

「何だか言い方が、『その辺は訊くな』みたいな感じで……変だなって思ったんですよ」

「そう言われてみれば、確かに刑事殿にしちゃちと淡白かなって気はするけどな。でもあたしは単に流しただけなんじゃないかって気がするぞ」

「俺もそう思います、取り立てて言うほどのこともないからと」

「そうねえ……でもどうもねえ」

 サツキはまだどうにも納得しきれないという顔をしてはいるが、あくまで感覚的なもののため反論するのがはばかられたらしく、そう言ったきり話を打ち切った。

「がさ入れなんかについては、何か言ってなかったのかい?」

「いや、それこそ一番教えてくれないやつですよ……」

 百枝の問いに、啓一は頭をかきながら答える。

 そもそも家宅捜索というものは、逮捕と同じで抜き打ちで行うものだ。証拠を取るために捜索を行うのだから、捜索日が漏れて湮滅を図られては意味がない。

 別に一同を疑うわけではないにしても、それとこれとは話が別だ。

「だから『引っ張らず令状取れたらすぐに』だけでしたね」

「もどかしいが、まあ仕方ねえわな。松村につながる証拠が取れるかどうかがかかってんだし」

 百枝はそう言うと、ほうきを立てて手とあごを乗せる。

「それで、刑事殿には例の推測の話はしてみたのか?意見ほしいって話になってたし」

「しました。というより、こっちとしてはそれがメインだったので」

 一通り話してみると、シェリルはひとしきり考え込んだ後、

『なるほど……いい観点からの推測だと思います。殊に松村が戦わずして逮捕されるをがえんじず動くかも知れないというのは、納得出来る話です』

 そう感心したように言った。

 しかしその一方で、

『ですが「日を空けているのは情報収集のため」と言い切るには、いささか問題があります。まず一番はそれでしょうが、同時並行で捜査攪乱や妨害をも行おうとしているようです。私たちが遭遇した事件から考えると、その可能性は極めて高いですね』

 このようにも告げられたのである。

「え、何かあったのか」

「簡単に言えば、刑事のなりすましがあったんです」

「なりすまし!?」

 おとつい、市警の警部補になりすました男が自分の部下ではない巡査に声をかけ、「緊急の案件がある」と言って連れ出した。

 名を騙られた警部補は実在しており、騒乱鎮圧での負傷で入院していたのだが、当人の顔と事情を知らない巡査はこれをあっさりと信じてしまったのである。

 もっとも男は巡査に暴行しただけで、特に何か情報を得ようとするようなことはしなかった。

 巡査が気を失ったため、男は今も逃亡している。しかし襲われた際に巡査が必死に相手の顔を撮影していたため、それを元に調べてみると極左暴力集団の構成員が被疑者として浮かび上がって来た。

 しかも大門町で裏から現れ騒乱に参加しようとして、啓一にしたたかに打擲ちょうちゃくされた構成員たちと同じ集団に属していたため、一時捜査本部は色めき立ったのである。

 だが、捜査でいくら洗ってもこの巡査が狙われる理由自体が分からぬ。

 相手との接点がないばかりでなく、極左暴力集団との接点すらない。それどころかそもそもが今年入ったばかりの新人で、極左暴力集団なぞ知識でしか知らなかった。

「何だそりゃ。新人ぼこって何がしたかったんだ、そいつ?」

「さあ、皆目見当がつかないというのが正直なところです」

 しかも、なりすまし事件はこれだけではない。

 同じ日に市民病院のある藤塚地区の避難所に連邦警察の警部になりすました男が現れ、身を寄せていた中心部の市民に聞き込みをして帰って行くという事件が起きていた。

 これも本人は実在しているが、事件当時は周防通で捜査指揮中で郊外には近づいてすらいない。

 防犯カメラに写っていた顔から調べると、今度は先の事件とは別の集団の構成員である疑いが浮上したが、やはり逃亡している上にそもそも行動の意図が分からぬ。

「聞き込みだけかよ。要は刑事ごっこしただけじゃねえか」

「そういうことですよね。さっきの暴行以上に何の意味もありません」

 さらに同じ日、連邦警察の巡査部長になりすました男が空港に現れ、いくつかの質問を空港職員に対し行っている。

 この巡査部長も実在しているが、何と空港担当でターミナルの隣にある自家用船専用棧橋を目下警備している最中であった。

 男は本人が休憩に入って一時的に持ち場を離れ、さらに空港職員が勤務交替したところを見計らって現れるという大胆な手段を取り、本人が帰って来る前にいずこへともなく消えたのである。

 やはり防犯カメラの映像や証言から、また別の集団の構成員の疑いが出て来たが、逃げおおせられてしまっている上、質問内容も犯罪につながるようなものではなかった。

「今度は本人のすぐ近くで偽者登場かよ、大胆すぎるだろ」

「しかも気味が悪いのが、かなり本人に似てたらしいってことなんですよね。下手すれば、顔を知っている人でも騙されるほどだったそうです。だから最初から狙いを定めといて、周到に準備してから変装したんじゃないかって言ってました」

「そこまでしてやったことが意味のない質問って、何したいんだ……」

「そうなんですよね。いずれにせよ、どれも怪事件です」

 この三連続のなりすまし事件に、捜査本部は大いに揺れた。

「極左暴力集団の構成員が刑事になりすまし逃げおおせた」

 この事実が、これらの事件を一気に重大なものにしたのである。

 ただでさえ警察にとっては不倶戴天の敵であり、今起こっている兇悪事件の犯人が持つ武装組織に主要兵力として与しているような輩に、このようなことをしてのけられるなぞあってはならぬ。

 特に空港の事件は、本人がいる場所で顔を似せてすり替わるという巧妙なものであり、これをやられてしまったことは極めて痛い。

 そして何よりの問題が、警察の信用が下がりかねないことだ。ここで変に市民に疑われては、捜査に支障が出ることも有り得る。

 さらにこれで警察官同士が相互不信に陥ろうものなら最悪だ。捜査体制が揺らいでしまう。

 これらのことを防ぐためにも、絶対に見逃してはならぬ事件であった。

『これは実質的な捜査攪乱ないしは妨害に相当します。警察にいろいろ揺さぶりをかけられる上、人員を割かせしめることが出来る。捜査をやりづらくさせるには充分ですよ』

 あくまで静かな声だったが、シェリルはかなり怒っている。

 吉竹爆殺の時ほど露骨ではないが、今回の件にも挑発の意味がこもっていると思われるからだ。

「ああ、刑事殿は本部長だしそら腹も立つわな。……でも、何でまた偽者なんだ?他にも妨害方法なんていくらでもあるじゃねえかよ」

「それ、俺も思って訊いてみました。結論としては……いつものあれです」

 つまりは、「悪の組織」を手本にしたということである。

 「悪の組織」がヒーローの偽者を作り、替え玉として本人の居ぬ間に悪事をはたらかせたり、ヒーローと対決させたりするのはそれなりにあることだ。

『色違いのマフラーつけたのずらずら並べたりしてますからねえ。あれにヒーロー側が随分振り回されたのを考えると、偽者を使って攪乱するのが効果的だと思ってもおかしくありません』

 シェリルも『仮面ライダー』の偽ライダーを引き合いに出して、そう言ったのである。

「そうか、確かに複数話使ってようやくやっつけた気がするな。相手が多かったせいもあるが」

「それでなくとも闇社会じゃ、偽者だの替え玉だのは普通らしいですからね。『悪の組織』云々抜きにしても、そういうのは頭にあったでしょう。ただ、シェリルが危惧しているのは単なる偽者じゃないらしいんですよ」

「え?」

「アンドロイドを使った偽者なんです。最近だと数年前にありましたけど……」

 啓一の後を受け、サツキが厳しい顔で言った。

 この世界での偽者や替え玉を使った犯罪は、二十三世紀に相当するというだけあって我々の世界のそれとはやはり勝手が違う。

 その中でも一番悪辣なのが、本人にそっくりのアンドロイドを造ってしまうというものだ。一から造ってもよいし、別のアンドロイドを改造するのでもよい。

 もっとも大がかりにすぎる上、造った時点で法律に引っかかり一生臭い飯を食う羽目になるのでほとんど事例がないのだが、それにも関わらずシェリルはこれを一番警戒しているというのだ。

「ええ……?何ぼ何でも大げさすぎるだろ、それは」

「いや、松村の本業を考えてみてくださいよ」

「あッ、そうか」

 忘れてしまいそうになるが、松村の本業はアンドロイド委託製造会社の専務である。実際に造れるだけの能力を有しているのだから、姿を似せたアンドロイドをでっち上げるなぞ朝飯前だ。

 それに手本にしている「悪の組織」が、規模の大小はともあれ実際に何度もやっているので、自分も取り入れようと考えてもおかしくはない。

 実際にある手口であり、自分の持つ環境で簡単に実行出来るものであり、手本と崇め奉る「悪の組織」の作戦にもあり……となれば、やろうと考えるのも決して荒唐無稽な話ではなかった。

「でも狙うには、あっちがあたしらを敵として認知してないといけないだろ?あと、面も割れてないといけないだろうし……」

「それが、先日認知されちゃったんですよ。少なくとも、俺とサツキさん含め四人は」

「あッ、そうか!敵の眼の前で派手に騒いだもんな!」

 啓一たちも指摘されるまで全く自覚がなかったのだが、今回の騒乱はエリナ・啓一・サツキ・清香の四人が大きく介入したことで鎮圧に至った側面がある。

 これは逆に言えば、敵側にしっかり認知されてしまったということを意味するのだ。

「……こりゃ刑事殿が警戒し始めるわけだわ。多分刑事殿と関係あるのも分かってるだろうし、五人偽者が作れるぞ。……最悪な話、替え玉が入り込んで来て大混乱とかになりかねないのか」

 百枝が少々青い顔をして身震いする。

「いや、理屈としてはそうなりますけど……実際にはそういうのは有り得ないとのことです」

 実は啓一もこれを最初は懸念した。この世界のこと、どこから何が出るか分からない。

 そのため訊いてみたのだが、返って来たのは冷ややかな突っ込みだった。

いなさん、確かに可能ですが……どうやって本人らしく見せるんですか』

 このことである。

 今回のことで確かに認知はされただろうが、松村にとって赤の他人なのには変わらぬ。

 替え玉というものは何も知らぬ他人の前に出すならまだしも、知人の前に出すとなると本人と変わらぬ言動が出来なれば意味がない。接点のない者たちの人格や言動を五人分も探ることなぞまず不可能なのだから、やろうとしてもやりようがないわけだ。

「あ、そうか」

 説明されてすとんと納得が行ったのか、百枝が気の抜けたような顔をする。

「あるとすれば、今回の事件みたいに本人の居ぬ間に云々ってのが関の山だろうって話です」

「……それなら普通に人間や獣人使った方が早くね?実際それで警察相手にやりおおせてんだし」

 百枝が身も蓋もない突っ込みをするのに、二人は思わず眼をそらした。

「まあシェリルとかエリナさんとかあいさんとか、アンドロイドいますし……」

「組立線見えないし、近所に聞き回らないと分からないと思うけどなあ。こんな情勢下でそんなんやったら、怪しまれるだけだぞ。……刑事殿は元々お偉いさんで捜査本部長だから、大がかりに調べなくても知る手段はあるかも知んないけどさ」

 二人が気まずそうな顔を崩さぬままなのに、百枝は盆の窪に手をやる。

「まあ、これも結局いつものあれだよな。『悪の組織』のお手本通りってやつ」

「そういう解釈するしかないですよね。……ったく、結局これで済んじまうのが嫌になります」

「しかも実際にそう考えないと平仄が合わないっていうのが、地味に嫌な感じですよね。まじめな話なのに冗談っぽくなっちゃって。何も知らなかったら私でも『何でもそれなの?』になりますよ」

 確かに全部このように何でも「○○のせいだ」と言い続けていたら、はたから見ると何かのギャグにしか思えないのも事実だ。

 げに恐ろしきは、それでしか説明出来ないような程度の行動原理でずっと変わることなく動き続けている松村その人というべきか……。

「まあともかく気をつけろとのお達しですので、倉敷さんもそのつもりで」

「分かったよ。今度から組立線がないかどうか、確かめさせてもらうぜ」

「ハラスメントですよ」

「冗談だっての、刑事殿いるから分かってるよ」

 サツキが鎖骨の辺りを手で隠しながら言うのに、百枝が苦笑しながら返す。

 実際アンドロイドに対して組立線を見せるよう強要するのは、種族に対するハラスメントに相当するので、このような反応をされても当然だ。

 それを啓一は苦笑しながら見ていたが、ややあって、

「それともう一つ、言っておかないといけないことがありましてね」

 急にまじめな声となって話を変える。

「俺たち二人、正式に研究所の方から連邦警察への協力を命じられたんですよ」

「え!?そんなことしなくても、刑事殿が引き込んでくれたんだからよくね?」

 現状でも二人は、シェリルの計らいによって「研究者チーム」の一員という名目で、捜査関係者の扱いとされているはずだ。

「それが、お母さんのところに科学技術省から直に依頼が来たんですよ。内務省に『連邦警察への協力要員を出してほしい』と頼まれたとかで」

 この国には内務省が存在する。我々の世界の日本で「内務省」というと、戦前に強大な権力をかさに国民を虐げたことから悪印象があるが、ここでは名前だけで現在の総務省と変わらない存在だ。

 連邦警察を管轄するのが内務省、重力学研究所を管轄するのが科学技術省なので、まさに互いの頭の上同士でやり取りが行われて話が下りて来たわけである。

 言い方を変えると、省が自ら出るほどの重大な案件と見なされたということだ。

「どうやら連邦警察経由で『今回の事件で重力学の悪用により市が危機にさらされるおそれがある』という話が内務省に行ったようでして。さすがにしゃれにならないと、こういう事態に……」

「で、結局ご母堂がそれ受けて、あんたと啓一さんに協力するようにと」

「そういうことです。まあ現地に研究員がいたんですから、ちょうどいいわけですし」

「俺なんか大したこと出来ないんですが、まあ人手があって悪くなかろうということらしいです」

 ぴんと来ないという顔で、啓一が盆の窪をかく。

「清香さんはどうすんだ?」

「事件の被害者ですから、休職扱いで今回の命令からは外されてますね。もっともそれは建前で、要員には入ってますけども」

「……やっぱり立場微妙だな。裏でいろいろあっての今の状況だし」

 実は警察の人体改造事件公表後も、清香の置かれている状況はさして変わっていなかった。

 何せいまだに一同や捜査本部の刑事たちの前以外では、自分が被害者とも言えないし「英田清香」と名乗ることも出来ないのである。

 そもそも清香が今のようにアンドロイドとして命永らえていること自体が、常識的に考えて有り得ない話なのだ。脳以外完全な人形に改造されてしまった人物を、アンドロイド素体へ意識を移すことで助けることなぞ、この世界の技術では一切出来ないからである。

 さらに行為自体は人倫にもとらずとも、シェリルが粋な計らいをして見逃しただけであくまで違法行為なのには変わらないのだ。

 簡単に言えば、公表出来ない裏事情が余りにも多すぎるのである。

 もしこの状態で下手に正体を明かせば、市民側も何が何やらわけが分からず大騒ぎになるし、松村側も同じく状況が理解出来ず大混乱を起こして捜査に影響が出るのは確実だ。

 そのためにも、清香には今しばらく従前の通りにしていてもらうしかないのである。

「もっとも今は私たち以外の知り合い、具体的にはご近所さんがみんな避難してて顔を合わす機会がありませんし。それに松村側が顔を見ても、先輩本人と同定出来るかはちょっと怪しい感じがします。名前を知って深く詮索しようと考え出せば、まずいかも知れませんが……」

「うーん、清香さんがぼろ出さなければ大丈夫だとは思うけどなあ。今まで一切へまこかなかったんだし、うまくやりそうだけど」

「まあ実際に英田さん、見事に演じてたみたいですから。そんなんですから問題ないとは俺も思うんですけど……。そこら辺、出来れば一度シェリルと詰めたいんですがね」

「今の状況で簡単につかまるかねえ……」

 啓一の言葉に、ほうきを肩にかつぎながらぽつりと百枝が言った。

「しっかし、二人とも大変だよな。……といっても、今回は望むところか」

「そうです。元々この街を救うつもりで、お母さん黙らせてまで逗留し続けてましたからね。国のお墨つきでいられるなら、まさに渡りに船ですよ」

「俺も同じくそのつもりでいましたから、ちょうどいいですよ」

「……すっげえな」

 すっかりほぞを固めた二人に、百枝は押され気味になってつぶやく。

 正直なところ、ここまで外部の者が縁もゆかりもない自分たちの街を救うのに奮闘してくれるとは、夢にだに思わなかった。

 いくら清香が拉致改造されたことに対する意趣返しの側面があるとはいえ、自ら鉄鎚を下さんとすら考えていてもおかしくないようなこの力の入りぶりは、さすがにやりすぎの感がある。

 だがそう言ってみたところで、もう後戻り出来ぬのも事実だ。

「……あんま、無理すんなよ」

 百枝は、ただこう声をかけるしかなかった。



 午飯ひるめしを食べた後、啓一とサツキ、そして清香はデータの整理作業に取りかかった。

 いかんせん今回は研究所、いや実質的に省庁からの正式依頼である。シェリルが融通してくれていた時と違い、渡されたデータ量が異なっていた。

 先にも述べた通り清香は書類上では要員に入っていないが、実際には上も事情を理解しているため内々で協力命令が出ており、同じようにデータが送られて来ている。

「困ったな、中身が理解出来ないのにこんなたくさん送られても」

 とりあえず今まで得た乏しい知識でだましだまし整理してみるが、啓一にとってはいまだにこの手のデータは敷居が高いままだ。

「余り気にしなくていいと思うわ。形式的に全部送られて来てるだけで、助手が使うような資料は見る限りほとんどないから……。とりあえず、指示があったら引っ張り出すみたいな感じで」

「捜査本部からの書類だけは目を通しといて。何頼まれるか分からないと、準備も出来ないしねえ」

 清香がそう指示するのに、啓一は軽くうなずく。

「ああ、これですか。昨日の夜、全部読んじゃいましたよ。明らかに必要そうだったんで」

「あれま、早いわね」

「それくらいはしとかないと」

 意外そうな顔をする清香に、啓一は盆の窪に手をやってぎこちなく笑った。

(サツキさんと一緒なのが気まずくて、気をそらすために読んでたとか言えんだろ……)

 このことである。

 ヤシロ家に避難してからこの方、啓一とサツキは同じ部屋で暮らしていた。

 何せ宮子を含めていきなり三人増えたのに対し、空き部屋が二つしかなかったのである。

 本来なら男女で分けるところだが、よりによって宮子が作業スペースの関係上一部屋使わないと無理とあって、どうしようもなくなった末の措置だった。

 若い女性と同室で暮らした経験なぞない啓一には、正直たまったものではない。

 サツキは互いに着替えの時などに気を使えばいいだけだからと一切気にしていないようなのだが、それが逆に重圧になっていた。

 話を元に戻そう。

「ああ、そうだ。この書類の中で気になってることがありましてね。例の龍骨への掘削跡、あれの調査まで俺たちの役割になるんですか」

 既に述べた通り、周防通が焼き討ちに遭う原因となった件の掘削跡には光線欺瞞の類が一切行われていないため、本来なら調査の対象外となるはずだ。

「この書き方だと、一応見てもらって意見だけほしいって感じかしら。重力学が関係ない以上、何言ったらいいのか分からないけど」

 サツキがいぶかしげな顔で考え込んでいると、清香が、

「あッ……サツキちゃん、それについては『追記』に言及があるわよ」

 そう言ってささっと別の書類を開く。

「これを作成した時点では予定に入ってたらしいんだけど、後で中止することになったみたい」

「あ、本当ですね。……私たちの専門外だと分かってたって言ってるようなもんじゃないですか、何でこんなの入ってたんでしょうかね」

「市からねじ込まれたんじゃないかしら。多分警察の捜査に相乗りして調査するつもりでいたのよ」

「そんなことしてる暇ないでしょうに……」

 サツキが頭を抱えたのは言うまでもない。

 汚名返上をしたいのは分かるが、少しは状況を考えてほしいものだ。

「これを別の誰かが見て、いかな何でもひどいと止めに入ったってところじゃない?それにしたって、ちょっと遅すぎると思うけど」

「ですねえ……ま、意味のない仕事しないで済むんだから、いいですけどね」

 サツキがため息をつく横で、啓一は空中ディスプレイの中の書類を繰る。

「いろいろ書いてありますけど、要するに龍骨入口や点検口関係の調査全部やれってことですか」

「そういうことね。街一つ分だから、かなり数多いけど」

 今回の三人の主な仕事は、龍骨入口や点検口を撮影した画像や映像を検証し、突破の可能性や突破方法などを予測するというものだった。

 また捜査で重力学がらみの案件があった場合に、理論面から知恵を貸すのも仕事である。

 このため一連の仕事は、全て机上で完結するということになっているのだが……。

「……緊急時は実地調査もあるようなことが書かれてますけど、これ大丈夫ですかね」

「ああ、それ。そもそも案件自体があるかどうかが怪しいと思うわ。敵が大量潜伏してるわ、街が半分近くほぼ焦土だわじゃ……いかな何でも危険すぎるでしょ」

 そう言って、サツキはちらりと『桜通・大門周防通騒乱被害図』と書かれた地図を見る。

 被害を示す網かけや記号類がいくつも書き込まれており、見ているだけで痛々しいものだ。

 なお警察では、先日の騒乱を発生地により「桜通騒乱」「大門周防通騒乱」と呼称している。

「それもそうか……」

「お疲れさまです。お茶をどうぞ」

 エリナがどこからか現れ、茶をくみはじめた。

「あら、いいのよ。私の仕事なんだし」

「いえ、そっちの方が本業じゃないですか……」

 すっかり思考がメイドになってしまっている清香に苦笑する。

「お仕事、警察署まで行くことになるんですか?」

「ものや状況によるけど、シェリルとしては情報漏洩を防ぐためになるたけ来てほしいそうよ。通信傍受対策に念のためってことで」

「あー、傍受ですか……極左暴力集団の十八番おはこですね。俺の世界じゃ無線傍受とか電話傍受とか日常茶飯事だったらしいです」

 テロ組織やゲリラ組織で通信傍受は定番であるが、極左暴力集団もご多分に漏れずこれを得意としていた。さすがに我々の世界と勝手は違うだろうが、こちらでやっていても驚くに値しない。

「むしろ、今までよく大丈夫だったな……?ばんばんデータやり取りしまくり、通信しまくりだったってのにさ。暗号化とかどうなってんだ」

「そこは大丈夫よ。こっちでは何もしなくても普通に暗号化されるしねえ。さらに工夫すれば、傍受された場合にデータが自壊して吹き飛ぶ仕様にすることも出来るわ。ことによっては、相手が傍受に使ってたシステムをぶっ壊すことも可能とか何とか」

「データが自爆するのかよ、えげつないことするな」

「全部が全部そんなこと出来るわけじゃないけどね。でもあの子は部署が部署だから、普通にそれくらいはしてるわよ」

 サツキはそう言って茶をすすりながら、手をひらひらと振った。

 特殊捜査課には本来公安警察の管轄になるような案件も回って来ることがあるとのことなので、傍受には人一倍過敏になっていてもおかしくないだろう。

 その時、啓一のメールソフトに不意に受信のマークが表示された。

「あれ?シェリルからメール?」

「こっちにも来てるわ。先輩は?」

「来てるわね。珍しいわねえ、ひょいと通信して来そうなものなのに」

 シェリルがメールを使ったことは、少なくとも出会ってからはほぼない。

 文書として証拠を残す必要がなければ、文字より声で直に伝えた方がいいというのが基本的な考え方らしく、今回の事件でも今まで何か伝えることがあると全て通信であった。

「……何だこりゃ、前言撤回かよ。例の調査、やっぱりやんのか」

 メールには一度取り下げられた件の掘削跡の調査を、一転やることになった旨が書かれている。

 仕事に一区切りついて多少の余裕が出来ているらしいのだが、そこに余計な仕事をぶち込まれたと言いたげなのが、冒頭からありありと伝わって来た。

「……朝令暮改ですねえ。何があったんでしょうか」

「さあ。ただ一つ言わせてもらうと、市当局少しは自重しろってことね」

 啓一が嫌そうな顔で言うのに、清香が渋い顔で眉間をもみながらため息をつく。

 恐らく撤回に気づいた者が撤回の撤回を行ったのだろうが、たまらない話だ。

「どうもいただけんな……って、へ?」

 あきれながら読み進めると、さらに驚くような話が出て来る。

 新たに備後通と備中通の間にある大きな公園の中に掘削跡があることが判明したため、今日下見をやりたいというのだ。

「今日いきなりかよ!?しかも、現地へ直接なんて……急に調査物件が増えたんだし、一応は警察署で話すなり打ち合わせするなりしないとまずくないか」

「そうよね。よほど急いでくれと言われたのかしら」

「多分そうじゃないの?急に見つかって泡食った市当局に、散々拝み倒されたくちでしょ。はあ……せっかく余裕が出来たのに、シェリルもつくづく受難ねえ」

 啓一とサツキが口々に言うのに、清香がげんなりとした顔となる。

 内容のことごとくに突っ込みを入れたくなるような話だが、こちらは今では正式に雇われの身、嫌でも従わねばならないのだから、さらにたまったものではなかった。

 三人そろってげっそりとしていると、ふとサツキの方から呼出音が聞こえて来る。

「あ、私だわ。……もしもし、真島ですが」

『百枝だ、忙しいとこすまねえ』

 サツキが電話を呼び出すと、あわてた百枝の声が響いて来た。

「どうしたんですか、そんな急いで」

『確認したいんだが、落合っていう連邦警察の男の刑事知ってるか?刑事殿の部下なんだが』

「え?ええ、こっち来る時の船の中で会いましたよ」

『驚かないでくれよ、その人の偽者がついさっき公民館で出た』

「えッ!?……スピーカーにしますね!」

 大急ぎで携帯電話をスピーカーにすると、ざわざわと声がする。現地近くからかけているようだ。

「ほんとですか、そりゃ。シェリルと一緒にいたあの刑事さんの……」

『同じ刑事でも間接的に接点あるんだからな、ぞっとしねえぜ』

 百枝の語るところによると……。

 公民館で物資を運ぶ手伝いをしていた時、急に男が訪ねて来たのだという。

 男は「連邦警察特殊捜査課所属の警部」と落合刑事の名を名乗り、公民館に立ち入ろうとした。

 だがその時、町内会副会長がそれを止め、

「君、刑事なら徽章を見せるのが常識だろう」

 鋭い声で咎めたのである。

 この世界でも警察官は提示を求められた場合、警察手帳ならぬ警察徽章というものを出さねばならぬ。シェリルがよく手のひらに出しているものだが、人間や獣人の場合は専用の端末が存在する。

 男は大あわてで提示したものの、副会長は一瞥するや、

「君は連邦警察所属じゃなかったのかね?それは緑ヶ丘市警のものだぞ」

 一瞬にして偽物であることを見抜いたのだ。

「あと君の上司の名を言ってみたまえ。特殊捜査課なら一緒に仕事をしたことがあるからね」

 のけぞる男に、副会長はさらに迫る。

『いや、不運なやつさ。副会長さんって元市警の警視で、定年直前の数ヶ月だけだけど刑事殿と仕事上のつき合いあったんだよ』

 当然答えられず、男は脱兎のごとくその場から逃げ出した。

 あわてて副会長が飛び出したものの、石を投げつけられてひるんだすきに完全に逃亡されてしまったのである。

『せめてあたしならまだよかったろうが……いや、駄目だな。ありゃ相当足速かった』

 無念そうに言うと、鋭い舌打ちを飛ばした。

「今、警察来てるんですか?」

『ああ。騙った身分が身分だったってんで、連邦警察まで出てるよ。本物の落合さんも来てる。全然顔違うんでやんの、馬鹿にしてやがるぜ』

 そのまま百枝が盛大に切歯するのを聞いていたサツキが、

「……シェリルは?」

 ふとぽつりと訊ねた。

『えッ、いないよ。だって今相当忙しいはずだぜ?』

「そうですか。メールに余裕が出来たみたいなことを書いてたんで、もしやと思ったんですが」

『そうなのか、なら来そうなもんだな……。しかもメールって、刑事殿そんなの使ったっけ?』

「普段使わない子なんですけど、今回に限って」

『内容は何なんだい、差し支えなけりゃ』

「え、まあ秘密にするようなものじゃないからいいかな……一回取り消しになった調査をやるっていうんですよ。しかも、新しく見つかったものの下見を今日やるって」

『ふうん……』

 サツキの言葉に百枝はしばらく黙り込んだが、ややあって、

『……気に入らねえな』

 低い声で一言だけ言う。

『いつも使わないはずのメールで連絡して来る。やらないと言ったはずの調査をやるといきなり言い出す、しかも無理矢理下見をやらせる。そこに刑事殿の部下の偽者は出る、だがあの性格のくせして忙しいでもないのに来ない……刑事殿関連でいきなり狙いすましたみたいに不審なことばっかだ。何だか、いろいろ疑りたくなんねえか?』

「ちょっと待ってください。それらに何か裏があるっていうわけですか?」

『まあな。そんな気がするってだけだが……』

「……もっと言うと、敵方がしかけた罠かも知れないと?」

『ぶっちゃけちまえば、な』

 この突飛もない発言に、サツキはどう返したものか迷った。

 確かに百枝の指摘する通り、シェリル関連で合点の行かないことが一斉に押し寄せて来ている。

 しかし個々の出来事につながりを認めるというのは、さすがにこじつけだ。裏があるの罠だのに至っては勘繰りすぎで、考えすぎと一笑に付すのが一番だったろう。

 だがここでサツキは、そうして軽く流さずに、

「うーん……気のせいだと思いたいですが、否定出来ない部分がありますね」

 悩み悩み、半ば肯定するような返事をした。

「よりによって偽者替え玉を使って来るかもなんて話の後でこれじゃ、思いっ切り疑りたくもなります。私が過敏になりすぎているせいなのも知れませんが」

 このことである。

 サツキはあの偽者作戦の話に対する警戒から、猜疑心にとらわれていた。

 根拠のない話をがえんじることなぞ、本来科学者としてあってはならぬ。

 だが人が感情の動物である以上、警戒や緊張によって理性や思考のはたらきが普段からは思いもつかぬ方向に向かい、不合理を批判なく受け容れてしまうことはままあることだ。

 さらに今回の場合、普段有り得ないことの連続で知らず知らずのうちに疑心暗鬼になりかけていたのが、思わぬ刺戟で炸裂してしまった節があるのだから余計である。

「正直、俺も同じように引っかかってます。何でシェリル周りだけ急にこんなんなってるんだと。しかも偽者事件のおまけつきですから余計に……」

「それよね、非常に臭うわ。確かに結びつけるには根拠薄弱かも知れないわよ?でもね、今までの偽者事件見ても、敵方にしてみれば多少無理あっても攪乱出来ればそれでよしって感じだし。それにどうせ裏で糸引いてるの、あの松村なんだから」

 啓一と清香の雰囲気が、明らかにおかしくなって来ていた。二人とも、百枝やサツキと同じように突発的に猜疑心が爆発を起こしてしまったようである。

「ちょ、ちょっと待ってください。それじゃ何ですか、大庭さんの偽者でも繰り出されると!?」

 異様な雰囲気にあわててエリナが問うと、三人は重々しくうなずいた。

『そういうこった。刑事殿、あたしらの中じゃ一番顔知られてるからな。あくまで可能性だけど』

 百枝も電話越しにそう言う。一応「可能性」などと言うが、ほとんど確信の言い方だ。

(まずいですね、これ……!)

 四人が暴走し始めたのに、エリナはたらりと汗を流す。

 本物の戦場を経験して来た彼女は、このような不合理が集団を支配することが、最終的に大きな危険を招きかねないことをよく知っていた。

「よく考えてください、ただの偶然ってことも有り得るんですよ!?」

「そうかも知れませんが、注意するに越したことはないでしょう。違っていたら違っていたで、それでいいでしょうに」

「し、しかし……!」

「事実がどうであれ、今日会わなきゃいけないことは既に決定してるんです。私ももちろん本物だと考えて接しますがね……」

「もしちょっとでも妙なとこがあれば……ね」

 全員、眼がすわっている。清香に至っては、不穏なことを言って黒い笑みを浮かべる始末だ。

 この分ではシェリルが少々変な言動でもしようものなら、偽者だと疑って詰め寄りかねない。

「く、倉敷さん」

『まあ、確かにすぐ疑ったらいけねえとは思うがな。啓一さんの言う通り、注意だけしといて違ってたら違ってたで結果オーライでいいんじゃねえか』

 こちらもすっかりその気になってしまい、話を聞きそうになかった。

(マスターや勝山さんを……って、二人ともいないじゃないですか!)

 ジェイや宮子に説得してもらおうと思ったが、よりによってこんな時に二人とも出てしまっている。宮子が環境の見直しをしたところ、自宅に置いて来た周辺機器類が必要になることが判明し、かなり大きいから男手がほしいと駆り出されていたのだ。

 つまり、この場をエリナ一人で収めないといけないわけである。

 あせっていると、いきなり三人の許へメールが来た。

「ふうん、シェリルのやつ……さっそく来いってか。備後通側の出口で待ってるってさ」

 不信感を丸出しにした声で啓一が言う。

「こんなすぐに来てほしいってんなら通信するわよねえ、あの子の性格なら。歩くのが面倒なら車を寄越すっていうけど、どうしましょう?」

「断ったらいいわ。もしものことがあったら危ないもの」

 全身から警戒の気を吹き出しつつ、サツキと清香が相談し合う。

『ご対面か。あたしも行っていいかな?ここから神社に裏通って出られるし』

「まあ、ほんとはまずいでしょうけど……シェリルなら気にしないでしょう。本物ならですが」

 百枝まで来ると言い出してしまい、もはや収拾がつかぬ。

(ああ、もう!)

 こうなるともはや行かせるしかないが、放っておくとどう考えてもまずい。

 結局エリナが下した判断は、

「すみません、私も行っていいですか?もし何かあった時、お役に立てると思いますので」

 自分も同行して監視し、四人が暴走したら止めるというものだった。

 ここまで来てしまうと、ジェイや宮子を呼んでも間に合うまい。

 葵を一人にしてしまうためまずいと思いはしたが、以前からヤシロ家をそれとなく警備で固めてくれている連邦警察の刑事たちを恃みにするしかなかった。

「いいと思うわ。エリナさん、確実に戦力になるし」

 清香が言うのに、一斉に他の三人がうなずく。

(後生ですから何も起こらないでくださいね……!)

 エリナは頭を抱えつつ、四人とともにソファーから立ち上がった。



 立入規制が布かれた本通は、警察官と関係車両がぽつぽついる以外に人も車もまるで姿が見えず、がらがらの状態であった。

 入口に設けられた検問所で以前もらっていた身分証を提示し、シェリルに呼ばれた旨を告げて通してもらった一同は、まるで敵地に向かうような表情でゆっくりと入って行く。

 待ち合わせ場所に指定された備後通は、ここから十分ほど歩き左に曲がったところだ。

 今回北側の一部を除き被害をまぬかれたこの町は、植月町からも警察署からもそれなりの距離があるいささか辺鄙な場所で、歩道なし二車線程度の幅の道が続いている。

 ここに入った直後、エリナはふと隣にいる四人の方を向いてぎょっとした。

 何と四人は、道のど真ん中を横一列に広がって歩いていたのである。

 すさまじい威圧感が漂い、陽炎のように空気が揺れているかと思うようだ。

 ざっざっと音が聞こえそうなほど整然とした歩みで十分ほど歩くと、果たして東隣の備中通沿いまで広がる大きな公園が見えて来る。

 その時、公園の入口に見慣れた顔がひょいと現れた。

「あッ……みなさん、こっちです!この中へ!」

 姿を見れば、スーツなぞ着ている。仕事中でもあのラフな格好を崩さないシェリルにしては、少々珍しいことであった。

 仕事ながら、久々に会えた喜びもあるのか笑みを浮かべながら手を振っている。

 だが、一同の様子がおかしいのにすぐに気づいた。

「え、あの……どうしました?というより、なぜ倉敷さんとエリナさんまで?」

「大庭さ……」

 エリナが事情を話すべく歩みを早めようとした途端、すぐ横にいた百枝がすさまじい速さでばっと腕を出して止める。

「……奥の方にいる。あの白い建物の前の茂みのところ」

 小さな声で言うのにまさかとアイ・カメラで拡大して、

「………!」

 そのまま凍りついた。

 何とそこには、ほぼいつもの格好をしたシェリルがもう一人いたのである。

 木の立ち並ぶ公園の中で外からでも意外にも見えやすい場所らしく、特徴的な髪や服の色もあって人間である百枝にもしっかりとそれと分かったようだ。

「ま、まさか本当に……!?」

「そうだろうな。どっちがどっちか分かんねえけど……どうだ」

「い、いや……」

 突然のことにエリナが眼を白黒させていると、やはりこちらもしっかり認めたのか、サツキが露骨に疑いの眼をして口を開く。

「多分奥が本物のような気がします。あの子スーツ嫌いで、着てるの見たことありませんし。刑事だからってスーツだと思ったら大間違いですよ」

 それに呼応して、清香がサツキのそばに寄って声をかけた。

「こっそり二つに分かれましょうか。禾津さんと倉敷さんとエリナさんで前固めながら手前のと会ってるうちに、私とサツキちゃんが抜け出して奥行くから」

「諒解。三人とも健闘を祈ります」

「分かった、サツキさん。違ったらすっ飛んでくから」

 四人はそう言ってうなずき合うと隊形を変える。エリナも有無を言わさずに前に入れられた。

 シェリルが一人だけだったなら、さすがにいい加減にしろと止めるところなのだが、何せ二人いて真贋の判別がつかぬ以上強く出られぬ。

「どうしたんですか……?」

 ごそごそやっているのを見ていぶかしんだ「手前」のシェリルが、眼を点にしながら問うて来た。

「何でもない。そっち行くから待ってろ」

 啓一がそう言うのを合図に、そのまま隊形を崩さず一同が近づいて行く。

「あ、あの、すみません……本当にどうしたんですか?」

「別に。随分珍しいことするもんだな、通信じゃなくてメールで呼び出すなんて」

「え、ええ。驚いたならすみません、理由がありまして」

 啓一の威圧的な声に、「手前」のシェリルはぎこちなく答えた。

「というより、一回駄目になった調査またやるとかどうなってんだ。あれ、重力学関係ないだろ。それに、こんな急いでの下見なんているのか?」

「そうなんですけど……話が変わってしまいまして」

「どう変わったんだ。市にねじ込まれたとかそんなんか?」

「そういうところですが……って、何でそんな詰問口調なんですか!?」

 警戒心を丸出しにしたもの言いに、さすがに「手前」のシェリルが我慢出来ぬとばかりに言う。

 だが、この言葉の運び方に一同が過敏に反応した。

 どことなく言を濁すような返答の連続に、突然じれたような反問である。力づくでごまかそうとしたように見えてしまったのだ。

「そんなこたどうでもいいだろ。ああそうだ。落合さんの偽者出たけど知ってるよな?」

「知ってますよ」

「倉敷さんが現場いたんだけどさ、来なかったらしいじゃないか。ついでに捜査に本人も来たってのに、直接の上司のお前さんが来ないのは珍しいなあ」

「そんなこと言われても、都合というものが……」

 視界の端に、サツキと清香が「奥」のシェリルに向けて歩いて行くのが見える。

 それをしっかり確認した瞬間、啓一が、

「黙らっしゃい!!」

 大声で怒鳴りつけたものだ。

「ねたは上がってんだぞ。スーツで一丁前に真似ようとしたみたいだが、あいつは嫌いで着ないって聞いてんだよ。とんちんかんにもほどがあらあ」

「大体何なんだ、さっきからうじうじはっきりしねえ答えばかりしやがって。ごまかすつもりだろうが、そうは問屋が卸さねえぞ!!」

 エリナがおたつくのもよそに、啓一と百枝が「手前」のシェリルにどんどんと迫る。

 とうとう入口のそばにある大木まで追いつめたところで、今度は百枝が実力行使に出た。

「このッ、往生際の悪い!!首引っこ抜いてやる!!」

 何と飛びかかり、首を抜こうとし始めたのである。

「わ、わ、わわわッ!?……やめてください!!」

 不用意に飛びかかったため首までは手をかけたが、すぐに突き飛ばされて転んだ。

 百枝が尻餅をつくのも構わず、「手前」のシェリルは泪を浮かべて叫ぶように言う。

「一体全体何なんですか!?そもそも歩いて来た時からしておかしいですし!!この通りは七十五番滑走路じゃないんですよ!?」

「とぼけ……って、今何つった!?」

 この言葉に、啓一がかちんと固まった。

「禾津さんなら分かるでしょう、横並びで歩いて来るならあれですよ!」

 明らかに、往年の名作刑事ドラマ『Gメン'75』のオープニングに引っかけた言い方である。

 我々の世界でも年輩者のものになりつつある例えを、すっと口に出したわけだ。

「……ちょっと待て、お前偽者じゃねえのか!?」

 百枝にも通じたのか、ばねに弾かれるようにして立ち上がり問う。

「偽者とは何ですか!これを見てください!」

 そう叫ぶように言うと、手のひらに警察徽章を浮かべた。

「知らないかも知れませんけどね、これは偽造対策がかなり厳重にされてるんですよ!?しかも私たちアンドロイドの場合、手にチップを埋め込んでますから偽者なら出せもしません!!」

 これに啓一と百枝があっけに取られる。確かにアンドロイドなら、そういうことが出来るはずだ。

「ちょっといいですか。……これ、信号が相当複雑に暗号化されてます。どう見てもその辺の技術者程度じゃ、とてもじゃありませんが無理ですよ。マスターでも……多分無理です!」

 エリナが「手前」のシェリルの手を触り、信号を読み取って即座に判定する。

 いくつもこの手のものは元の世界で見て来たが、あちらの軍や警察よりも厳重に暗号化されており、真似なぞ出来ないのが直感的に知れた。

「つまり、まぎれもない本物……?」

「当たり前です!」

「だ、だよな。そもそも偽者が二十世紀ねた披露出来るわけないし……」

「どういう判別法ですか!!そんなのより警察徽章の方がはるかに判断材料になるでしょうに!!」

「まあそうなんだが……」

 もっともな抗議に首をすくめるが、そんなことはどうでもいいことだ。

「じゃ、さっきの話は……?」

「留置しきれない被疑者の外部への護送に同行してたからです!秘密だったので、通信での連絡は取るなと言われてましたし!落合さんの事件に行けなかったのは、課長命令で残務処理してたからですよ!ついでに言うと、このスーツも目立つと問題だから、着ろ着ろ言われて着てるだけです!」

「余裕が出来たってのは……?」

「あの時はそうだったんですよ、護送が終われば少し休めると思ってましたから!いきなり残務処理させられて、全部潰れましたけどね!」

「調査の話は……?」

「市がやっぱりやってくれとねじ込んで来たんですよ!とにかく本格的な調査は先でいいから、見るだけ見てくれとか言われて!」

「いや、それにしても現地集合は……」

「そうなんですけど、警察署に一度呼ぶのも遠回りで気の毒だと思ったんですよ!ほんとに外から観察するだけでいいからって話だったので、打ち合わせもいりませんし!それでも遠いから大変だろうとよければ車をと思ったのに、断られてこんな目に遭わされちゃ……!」

 「手前」……いや今や本物と確定したシェリルが泣きそうな顔で答えるのに、啓一と百枝は唖然とする。エリナに至っては、やってしまったと言わんばかりに頭を抱えていた。

 要するに秘密任務に従事しているのを隠さなければならなかったり、上司や市に振り回される羽目になったりしている中、精一杯行動したのがたまたま不審行動に見えていただけということである。

「いくら偽者が出てるからって、ちょっと変わったことしただけでこれじゃ困ります!」

 偽者と疑われた上に首まで抜かれかけたとあって、シェリルの怒りは収まらぬ。

「す、すまん!どうやら俺たち、不安すぎておかしくなってたみたいだ……」

「冷静になってください!サツキちゃんや英田さんっていう一級の科学者まで……」

 と、そこでシェリルの眼が点になった。

「……あの、サツキちゃんと英田さん、どこ行ったんですか?」

 このことである。

 とっくの昔に離れてしまったため、今頃は「奥」のシェリルと完全に接触しているはずだ。

「しまッ……!!偽者はあっちだ!!やばい、行くぞ!!」

「な、何なんですか!?」

 シェリルが事情を飲み込むのも待たず、三人は彼女を引きずりそちらへ走り出したのである。

 一方……。

 「手前」のシェリルとの問答が雲行き怪しくなったのを悟ったサツキと清香は、すっとその場を抜け出して「奥」のシェリルの方へと向かった。

 公園自体はさほど広くないものの、歩道がひどくうねっているため思ったより遠回りを強いられてしまい、二人は時間をかけてようやく「奥」のシェリルのところへたどり着く。

「シェリル!」

 サツキが手を振って呼びかけると、「奥」のシェリルは一つまばたきをしてぽかんとしていたが、ややあって手を振り返して来た。

「どうしたんですかね……何かぽけっとしちゃって」

「疲れてるんじゃないの?すさまじい仕事量だったみたいだし」

 てくてくと二人が近づくと、「奥」のシェリルは、

「……あ、こ、こんにちは」

 どこか固い声であいさつする。

「あれ?何か元気ないわね?」

「そうですか?忙しかったですし」

 そう言ってあはは、と力なく笑った。

「みたいね。『一月分の仕事が二日で来た』とか、あながち大げさでもなかったのねえ」

「え、あ……そうです、そうです」

 清香が通信で言っていた言葉を引いて苦笑するのに、「奥」のシェリルはおどおどと返す。

 ここで、サツキは妙なものを感じた。

(疲れているにしてもシェリルらしくない……)

 このことである。

 職務上疲れていることも少なくないシェリルだが、それでも普段より反応が鈍いという程度だ。あれこれしゃべりたがりの説明したがりで、時折妙なねたを入れたりするのは変わらない。

 少なくとも、口数がここまで減ったというのは見たことがないし、第一性格上こんなおずおずとした態度を取るようなことはないはずだ。

 それともう一つ、おかしなことがある。

「……ねえ、少しやせた?」

 ただでさえ外見が中学生ということで小さい顔と躰が、心なしか細くなっていた。

 アンドロイドがやせるというのは我々の世界では奇妙に聞こえるが、この世界では生体部品が多いがゆえに他の種族ほどではないが肥痩が起こるのである。

「そうかも知れません、カロリーバーとエナジードリンクで過ごしてましたし」

 半笑いで「奥」のシェリルが言った途端、サツキの表情が変わった。

「ちょっと待って。……シェリルは、エナジードリンク嫌いなはずよ?胃を傷めるし、動力炉にもよくないって言って飲まないもの」

「あッ……!」

 この指摘に、「奥」のシェリルの顔から血の気が引く。

「い、いえ、飲み物がなかったので無理に……!」

「いや、それはおかしいでしょ。あんなの、その程度の理由で飲むものじゃないって自分で言ってたじゃないの。……というより、旱魃になって水も何も備蓄がないなら飲んでもいいとまで言って、そこまで嫌いかと博士とお母さんをどん引きさせたの忘れた?」

「う……」

 ついに、「奥」のシェリルは言葉につまってしまった。

「せ、先輩……さすがにこれ、おかしくないですか?」

「おかしいわね。……もしかして、取り違えた!?」

 先ほどからのびくついた態度に体形の違い、そして嗜好の違いを指摘されての動揺、疲れていたとてさすがにおかしいにもほどがある。

「ちょっと、警察徽章を見せてちょうだい。知り合いでも求められたら出すのが義務でしょ?」

「そうよ、しょっちゅう手のひらに出してるの見てるのよ?」

 ついに、二人が最後の手段を繰り出した。

 だが凍りつくままで、一向に手を出そうとしない。

 この様子に偽者と確信した二人は、途端に食ってかかった。

「あ、あなた!シェリルに化けて何をしようっての!?誰の指示よ!?」

「誰に化けてるのか知ってるの!?……危害を加えようとするなら、こっちにも覚悟が!」

「え、あの、その、え、あ……」

 サツキと清香が猛烈な剣幕で迫って来るのに、「奥」……いや偽シェリルは完全にパニックとなって泪を浮かべながら首を振るばかりである。

「サツキさん、英田さん!取り違え、取り違えだ!!こっちが本物、そいつは偽者だ!!」

 そこでようやく、啓一たちが歩道を突っ走って来た。

「分かってるわ!もうばれたもの!」

「本物が来てるわよ、おとなしく縛につきなさい!警察官詐称は罪なんだから!あんたが化けたの、連邦警察のお偉いさんなのよ!?」

「れ、連邦警察……!?」

 清香の発言に、偽シェリルが瞠目する。

「よくも騙ってくれましたね……私が本物の連邦警察特殊捜査課所属の警視・大庭シェリルです!」

「け、け、警視!?そんな偉い人を!?」

 シェリルが遠くから高々と大きくホログラムを提示するのに、偽シェリルが腰を抜かした。

「だ、騙された……!そんなの聞いてない!!」

「……えッ!?」

 突然飛び出した言葉に、一斉に驚きの声が上がる。偽者に化けたにしては面妖極まる発言だ。

 思わずサツキと清香が問い詰めようとした、その時である。

「ええい、この役立たずが!!」

 いきなり屈強な男たちが現れ、偽シェリルを思い切り蹴り飛ばしたものだ。

「がはッ……」

 偽シェリルは、そのまま抵抗も出来ずに吹き飛ぶ。

 この闖入に、一同は凝然とした。

 男たちが、まるで何もない空間から飛び出して来たように見えたからである。

 偽シェリルが何かすることはあると思ってはいたが、さすがにこんな事態は想定していなかった。

 男たちは振り返るや、いきなりサツキと清香を引っつかんで強制的に引きずり始める。

「やばい!あいつら二人をかっさらう気だ!!」

「私が行きます!……待ちなさい!!」

 啓一が叫ぶのにシェリルが足の速さを生かして前に出るが、よりによって歩道が複雑に曲がりくねっている上に木の間もすり抜けられず、速度を満足に出せない。

「くッ……どうやっても引っかかって!大庭さん、どうか頼みます……!」

 エリナもやはり木が邪魔になって跳躍することが出来ず、そう叫ぶしかなかった。

「な、何て速さだ!……早くしろ、早く!」

 シェリルが猛然と走って来るのに、男たちがあわて出す。

 道の形状から難渋してはいるが、そこいらのスポーツ選手並の速度があるのが分かったからだ。

「やめてください、何なんですかあなたたち!」

「ええい、離しなさいよ!!」

 二人が必死で抵抗し、男たちともみ合いになっている。

「この……ッ!!」

「ぐえッ」

 清香が叫び、眼の前の男がひきがえるを潰したような声を上げて倒れた。

 股間を押さえているところを見ると、金的を食らわしたようである。

「サツキちゃん!」

 これで解放された清香が、サツキを助けようと飛び込んだ。

「サツキちゃん、英田さん!」

 そこに、シェリルが追いすがった瞬間。

 男たちがサツキを引っつかんだまま、いきなり空間に溶け込むように姿を消したものだ。

 出て来た時と同じように、まさに忽然という言葉でしか表現出来ない状況である。

「えッ……」

 余りのことに脳の処理が追いつかず、そのままシェリルは急停止した。

「シェ、シェリル……サツキちゃんが、サツキちゃんが……」

 サツキに手が届かずへたり込んだ清香が、わなわなと震えながら言う。

「サ、サツキさん……ッ!!」

 啓一の悲痛な叫び声が、公園に虚しく響いた。

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