二十一 逆落とし

 翌朝、緑ヶ丘は恐ろしいほど静かな朝を迎えた。

 全ての住民が避難しがらんどうとなった街は、空虚と不穏がないまぜとなった不気味な空気に覆われ、まるで次に何が起こるのかと固唾を飲んでいるかのようである。

「結局、何もないまま夜が明けたか。夜戦をしかける根性まではないみたいだな」

 啓一はロビーで荷物を整理しながら、ぽつりとそう言った。

「そうだといいんだけどね……。どこを突いて来るか分からない連中なのは確かだし」

 かばんと「ディケ」の点検をしながら、サツキはため息をつく。

 あれから……。

 宿に戻った二人を待ち受けていたのは、市の避難勧告であった。

「中心部およびその附近の市民は速やかに郊外に避難すること」

「郊外の市民にあっては地域の避難所に避難すること」

「旅行者にあっては速やかに市を離れること」

 この三つである。

 いずれも「やむを得ない場合を除き」のただし書きつきではあるが、ことがことだけに多くの人々が従っているという話だった。

「しかしこれ郊外に逃げるのはいいけど、既に地元の人も避難してるから、避難所パンクする未来しか見えないんだがな。どうすんだろ」

「あー……絶対なるわね。市のページでも、更新するたびに人が増えてるもの」

 空中ディスプレイを出して避難所の状況を確認すると、どんどんと人が増えている。

 避難所周辺の親戚や知人の家へ身を寄せることも許可されているが、そう都合よくいるものでもないため、みなこぞって避難所へ行く羽目になっているようだ。

「旅行者は離れろっていうけど、空港の混雑も……うわこれひどいな、一時入場制限起きてる」

「多分だけど、市民の人たちも押し寄せてるんじゃないかしら」

 有り得る話だった。勧告では市外脱出は旅行者のみしか対象にしていないが、市民の中にも出られるなら出てしまいたいという者は出て来るはずである。

 航路を運営する運輸省も船を出しに出しているようなのだが、予想以上の人の多さにさばききれなくなって大混乱が起きているようだ。

「それと、身分のチェックで引っかかってるのもあるだろう。反社の関係者が逃げにかかる可能性もないじゃないからな」

「ますます混乱するわねえ」

 尻尾を困ったように揺らしながら、サツキが言った。

「もうほんと滅茶苦茶だわ。ここのとこのストレスで、尻尾の毛並まで乱れて来ちゃった」

「あー、何か少し毛羽立ってると思ったら」

「よく見てるのね。気になってリンスをいつも以上に丹念にかけてるのに、まるでよくならないわ。挙句の果てに時折ぽろぽろ毛が抜けるし、全くもう……」

 尻尾を前の方に持って来て表面をぱんぱんと払い、渋い顔つきとなる。

 獣人の女性にとって、耳や尻尾の毛並は髪の毛と同じく大事なものだ。

「まあ、ぼろぼろなのは私に限らないと思うけどね。言わないだけでほとんど全員そうじゃない?」

「そうかもな。でも、シェリルのやつはどうなんだか……一番疲れそうな立場なのに、あんなとんでもないこと平気でしてのけるなんて」

 昨日のシェリルの無茶苦茶にもほどのある無双ぶりを思い返し、啓一は思わず考え込む。

「運動能力の高さだけでもたまげたのに、あの頑丈さと戦闘能力の高さはもう規格外にもほどがあるだろ。あんな小さななりして、どうやったらあんなん出来るんだ」

「大庭博士ご謹製だし……『見た目子供でも頑丈・怪力・運動能力化け物は浪漫』とか平気で言っちゃう人の造った子だし」

「俺、事件が解決したら一度会ってみたいわ。変態技術者っぽい雰囲気感じる」

 さりげなく失礼なことを言いつつ頭をぼりぼりとかいていると、受付の従業員が申しわけなさそうに近づいて来た。

「申しわけありません。引き上げの車が来てしまいましたので、もし差し支えなければ動いていただけるとありがたいのですが」

「あッ、まずい!……サツキさん、出ないと」

「大変申しわけありません、お客様をこのような目に……」

「いえ、そちらが悪いわけではないので」

 小さくなる従業員を、必死で啓一がとりなす。

 このホテルも中心部に近いということで、避難の対象になったのだ。

 宿泊者がいるということで支配人も随分悩んだらしいのだが、ぐずぐずしていて何かあった場合、宿屋商売どころの騒ぎではなくなってしまう。

 もっとも宿泊者が啓一とサツキの他にいないという閑古鳥状態だったため、すぐにでも動けたのが救いではあったが……。

「じゃあ行くかね。……お世話になりました、ご無事をお祈りいたします」

「お世話になりました、失礼いたします」

 従業員に頭を下げてホテルを辞去すると、二人は植月神社の参道下へ向かう。

「お、今から行くのかい。……全く、ホテルが客残したまま休業に追い込まれるなんてな」

「急ですから……。それにこちらの街の事情を考えると、あれで済むとは思えないでしょうしね」

「まあな。あの騒ぎで捕まったのは一部だってことくらい、普段を見てりゃ大体想像つくさ。次が来ると思って逃げるのも当然だよ」

 啓一が荷物をかつぎ直すのに、百枝は桜通の方をめつけながら言った。

「あ、そうだそうだ。ヤシロさんとこ、まだ整理が終わってねえんだとさ。あんたらとあとオタ猫が避難するから、場所作らないといけないってんでどたばたしてるらしい」

「高台だからって体よく使った形になってしまって、ほんと申しわけない話です」

「ま、本人が誘ったんだから乗っちゃいなよ」

 今回、二人の避難先となったのはヤシロ家である。

 昨日夕方の避難勧告発令に伴い、ホテルが緊急休業して客ごと避難するという話になってしまい、どうしようかと困り果てていたところにちょうど電話が来て誘われたのだ。

 最初からこの街を出るという選択肢が自分たちにないということを話しておいたのが、思いがけずこんなところで役に立った形になる。

 本当は人の家に居座るなぞしたくはないが、かといって貴重な避難所を埋めるわけにも行かぬ。それだけに、ありがたい話ではあった。

「よけりゃ境内にいなよ。どのみちうちはあそこんちの裏口なんだし」

「ありがとうございます」

 百枝は境内へ二人を入れると、拝殿の縁側を勧めた。

「そういや、勝山さんまで避難を?」

「ん、ああ、あいつんちも避難対象地域に一応入るし。ただ裏方として真っ先に動く必要があるから、何とかして作業出来るようにあれこれやってるらしい。今の準備は半分それみたいなもんさ。刑事殿の許可は取ってる」

「いくつか方法は考えられますけど、そこまでしますか……」

「まあ、何だかんだ言って刑事殿から長いこといろいろ頼まれてる身だしな。あだやおろそかには出来ねえってこった」

 そう言って百枝は縁側に座ると、

「ああ、そういや……オタ猫が探ったら、やっぱり昨日のやつも松村が関係してたみたいだ。夜半には分かったらしいぞ」

 軽く眉をしかめてみせる。

「えッ、やけに早いですね」

 以前関連サーバにたどり着くのに宮子とシェリルで半日以上やってもならず、ジェイの救援を得てようやくというありさまだったのに、その半分以下の時間で情報が得られたのは奇妙だ。

「ああ、変だと思うだろ?本丸のはるか手前のサーバのわざと見つかりやすいところに、つながりを暗示させるような内容のファイルが置いてあったらしい」

 これに宮子はいたくプライドを傷つけられたらしく、激昂していたという。

 しかも証拠として採用するにはほど遠いものだったことが、余計に神経を逆なでしたようだ。

「挑発ですかね?」

「状況的にはそう見えるよな。刑事殿やヤシロさんは、これまでこっちががんがんハッキングしてるのをあっちがどれだけ知ってるか分からないし、脊椎反射でそう見るのは問題があるって言ったそうだが……いずれにせよ、見つけた側としては疑い持っちまう。今探っている内容を見透かしてるようにも読めるらしいし、なお嫌らしい揺さぶりになるだろうな」

 確かに、相手がこちらのハッキング行為を知っているという証拠はどこにもない。

 もしハッキングされていたならという想定で、ハッカーに疑心暗鬼を抱かせるために置いたファイルである可能性も考えられた。

「あたしなんかは、あいつらがこういう心理戦みたいなことしてんのにびっくりしてるよ。何でも殴って脅して札束で頬引っぱたいてって程度の頭のやつらじゃないか。情報戦はしたけど相手をなめてたから一発で見抜かれたし」

 だがいずれにせよ宮子は今までのストレスもあってこれで荒れてしまい、昨晩は深酒ならぬ深またたびをしてしたたかに酔っ払っていたらしい。

「またたびは宿ふつかよいしないけど、さすがに食いまくるもんじゃねえよ」

「深またたび、危ないんですよね。急性中毒で病院とかあるので」

「だろ?……電話でものごっつ刑事殿に叱られたってさ。今も影響が残ってるらしいから、避難の時に忘れ物とかしなけりゃいいんだが」

 サツキの言葉に百枝はそう言いながら肩をすくめてみせた。

「でも一番きついのは、言うまでもなく刑事殿だろうなあ。本人がちらりと言ってたらしいんだけど、人体改造や内乱計画の話の公表について、話がこじれてるらしくてさ……」

 余りにも一同が自明のこととして話しているためつい忘れがちになるが、警察は一連の事件のうち、拉致事件に関する一部の情報以外の公表をまだ差し控えている。

 そもそも先日ヒカリの死亡によってこの辺りのことが話に上ったものの、

「証拠湮滅や逐電を招く」

 という話になってしまい、結論が出ずに事実上の後回しとなっていたのだ。

 そこに証拠固めの不足やせっかく取った証拠の採用の可否といった問題が判明して来てしまい、さらに公表が難しくなっている。

「俺としては、もう人体改造があったって事実だけでも、『捜査中』の扱いにするなりして松村や一新興国産業を名指ししない形で公表してもいいんじゃないかと思うんですがね。松村は昨日の時点で完全に逃げも隠れもせずにやる気なんですし、今さら証拠湮滅や逐電なんぞしないでしょう」

「私も同意です。それに引き延ばすと警察の立場も悪くなりますよ。捜査に支障が出ます」

 いくら警察側に事情があるとはいっても、世間はそんなことはあずかり知らぬことだ。

 公表の問題が噴出するきっかけとなったヒカリの死が、先月の二十九日。今日はもう四日なので、ちょうど初七日だ。まだ延ばせるといえば延ばせるが、そろそろ限界だ。

「事情説明を入れれば、ある程度理解してもらえそうだけど……でもあたしが思うほど世間様は聞き入れないかもな。それに二十万人だっけ、ヒカリさんのファンがどう思うか……」

 これもある。二十万人もの人の不興をまとめて買うのは、いくら何でも困るというものだ。

 国民への奉仕を旨にしているとはいえ、やはり身をかわいく思うのが人情というものである。必要以上の批難にさらされるのはごめんと思っても当然だ。

 しかもこれを、四百人近い被疑者の取り調べでてんやわんやの状況の中で考えなければならないかと思うと、シェリルでなくとも気が遠くなってしまうような話である。

 何とも沈んだ雰囲気になったところで、それを払拭しようと啓一は話を変えた。

「そういや、シェリルはどこいるんでしょうね。ここには来ないでしょうけど」

「警察署だろ。意外にも『S』――おうどおりかも知んねえが」

 「S」とは、昨日シェリルがわざとこちらに与えた情報の中にあった暗号である。

 この暗号を解いたのは、啓一であった。

「あのアルファベット、旧国名の頭文字ですよ。現在の県名と対応させることで、どの国か分かるようにしてあるんでしょう」

 一見するとそれがどうかしたのか、という話だが、実はこれは中心部北部と強い関係がある。

 実はこの地区の町名は、全て旧国名からついているのだ。こう考えると、場所が特定出来る。

 「山口」=山口県は長門国と周防国、「広島」=広島県は安芸国と備後国。

 つまりあの時のシェリルの会話は、

「周防通と長門通で何か起こる可能性が高くなって来た。どちらかというと周防通が危ない。隣の安芸通と備後通にも影響が及びそうなので、安芸通は引き続き、備後通も念のため警戒するように」

 という按配に翻訳出来るというわけである。

 一同の反応は、日本のことをよく知らないジェイとエリナを除くと、

「ああ、言われてみればそうなるか……」

 そんなものであった。

 何だかんだ言って学校の歴史で軽く習うので、都道府県が分からないというほどでない限りは大抵知っていると思っていい。

「あいつ、最初から誰かが分かるだろうと思ってわざと県名入れたのかもな。案の定、啓一さんが当てちまったが。ほんとはあたしも気づかないといけなかったんだけどなあ」

 この手の知識は仕事柄豊富であるため、先を越されたのが少々悔しいらしかった。

「ま、それはともかくさ。その周防通ってちょっと変な町なんだよな」

 百枝曰く、街の構造がややおかしいのだという。

 緑ヶ丘市は計画都市であるため基本的に道は直線なのだが、周防通など一部の町の通りには妙な鍵の手、すなわちクランク状の場所があるのだ。

 これが地球の日本、特に城下町や街道筋なら、見通しを悪くして賊の侵入を難しくするために作られたものとして理解出来るのだが、この街ではその必然性がない。

「直線だけじゃつまんないから雰囲気作りかな、とも思うんだけどさ。鍵のとこに小さな植え込みとかあるし。でも気になるはなるんだよな……」

 と、その時だ。急に百枝のそばで着信音が鳴る。

「はい、倉敷ですが。……え、瑞香!?どうしたんだ?」

 電話の相手は、どうやら瑞香らしかった。

「……一緒に避難してた子が、行方不明になっただって?」

 穏やかならぬ言葉に、思わず二人は耳をそばだてる。

「自分たちだけじゃ手に余りそうだから手伝ってほしい?こっちに電話して来たってことは、『裏』に入り込んでここまで来てる可能性もあるってことでいいんだな?」

 そのまましばらく話した後、百枝は一つ深く息を吸うと、

「分かった、ちょっとみんなに訊いてみるわ。ああ、そういうことで。じゃあまた折り返すわ、その時にまた詳しい話とか頼む」

 そう言って電話を切った。

「あの、倉敷さん……林野さんのところで、『裏』に迷い込んだ子が?」

「そういうことだ。目下探してる最中らしい」

「警察には言ってあるんですかね?」

「いや、警察呼ぶのも考えたらしいが……いかんせんあの状態だろ?あいつのいる辺りなんか人不足も人不足、呼んでも来るまでに相当時間かかりそうなんだとさ。ちんたらしてらんねえから、自分たちで探した方がいいだろうって話になったらしくてな」

「じゃあ、こっちからも人海戦術で?」

「そういうこったな、合わせた方がいい。全員とは言わねえけど、誰か手伝ってくれる人……」

 サツキの問いに、百枝が難しい顔となった時である。

「手伝いましょうか?」

「わッ!?」

 いきなり真横から響いて来た声に、百枝がのけぞった。

「エ、エリナさん!?驚かさないでくれよ!!」

「す、すみません。声かけようとしたら電話中でしたので」

「……ま、まあしょうがねえ。もしかして、準備済んだとかかい?よく二人がいるの気づいたな」

「ええ、声が聞こえたので。……ですが、何やら大変なことが起きているようですね」

「あ、ああ、そうなんだ。瑞香のとこで『裏』に迷い込んだ子が出ちまって、探すの手伝ってほしいって話になっててな。ちょっと、声かけようと思ってたんだ」

「そうですか……ちょっと待ってください」

 エリナが奥宮の方へ行くのについて行くと、件の道からにょっきりと清香が顔を出した。

「ん、どしたの?みんなそろって」

「あ、すみません。実は……」

 話していると、今度はジェイまで出て来る。

「……なるほど。『裏』に迷い込んだのは厄介ですね」

「ああ。ちょうどうちの境内からヤシロさんとこの庭通ると『裏』に出られるから、ちょっと人海戦術で探してみようと思ってるんだけど……頼めるかな?」

「私は無理ですね、家を空けられないので。勝山さんもまだ調整やってますし、葵さんは論外と……あとはエリナとあいさんか」

「私は大丈夫ですよ。簡易レーダー持ちですし、子供一人探すなら何とか」

「私も行きます。人手は多いほうがいいでしょ?」

 エリナと清香が、同時にうなずいた。

「義を見てせざるは勇なきなり、俺も行きますわ」

「啓一さんに同じく」

 啓一とサツキも、肩を回しながら答える。

「じゃあ、あたし含めて五人か。瑞香に話通すから待っててくれ」

 そう言って携帯電話を出しつつ、百枝は藪に手をかけた。



 ヤシロ家の庭に出たところで、百枝は瑞香に再び電話をかけ件の少女について情報を聞いた。

 それが終わったところで、急いで打ち合わせに入る。

「こげ茶の垂れ耳、尻尾の短い犬族の女の子。背丈は刑事殿のみぞおち下くらいまで、体格はやせすぎず太りすぎず普通。名前は原直ばらなお。面相は今送った写真の通りだ」

 瑞香によると小学校に入って間もないとのことだが、獣人は生まれつき体力も運動能力も高いため、同年齢の人間の子供より行動範囲が広くなりがちだ。

 こちらまで来ているかも知れないと瑞香が思ったのも、決して大げさではない。

「こりゃ小さい子ですね。見逃しでもあったらことだ、慎重に探さないと」

「ああ。あたしも昔探したことがあるから分かるんだが、大人が思いもよらないところにいたりするからな。こんなところにいないだろうは禁物だ」

 あごに手をやる啓一に、百枝が真剣な顔つきで言った。これだけ言うとなると、その時見過ごしなどをしてかなり苦労したのだろう。

 これを踏まえた上で具体的な捜索方法について話し合い、救助が必要になった場合の対処法もしっかりと詰めておいた。

「ここでのこいつの出番が、迷子の捜索になるとは思いもしませんでしたよ」

 そう言うと、啓一は「ディケ」を肩にかつぐ。

「斜面から落ちてたの、木に登って下りられなくなってたのなんてことになってたら、それ使って浮かべたり下ろしたり引き寄せたりした方が確実だろ。無理にそのまま助けようとして、二次災害起きたらしゃれになんねえしな」

「ですね。出番がないのを祈りますが……」

 啓一とサツキは、本来なら置いて行くはずの「ディケ」を持って出るよう言われた。

 先にも述べた通り、反重力発生装置は人命救助にも使用されるので正しい判断である。

「私も長いのから短いのまで持って来たわ。丸いのも使えそうだし一緒に」

 清香のスカートの裏には山ほど簡易反重力発生装置が挿さり、背には戦闘用に開発していた円状の発生装置が背負われていた。

 同じ装置は、啓一やサツキもポケットなどを使って持てるだけ持っている。

「重装備すぎる気もするが……まあいいか。ともかく早く行かねえと」

「じゃ、ちょっとそこの藪を分けて……」

 清香が奥宮とは反対側にある柵代わりの藪を分けるのに続き、一同は外へ出た。

 眼の前には斜面にところどころ木が植えられ、上が遊歩道となった築堤が弧を描いて続いている。

 この一見何のことはない築堤が、「裏」と俗称されている場所だ。

 「裏」は正式名称を「コロニー内補助骨格上緑道」といい、コロニーの骨格のうち、構造上むき出しにせざるを得ない場所に土をかぶせ緑道化したものである。

 同じ骨格でも補助の補助で重要性が極めて低いため、せっかくならと道として開放しているのだ。

 だが下から入る道が少なく車両通行禁止であることもあり、実際に使う市民は少ない。定期的に通るものといえば、例外的に通行を認められている市の管理用車両くらいのものだ。

 またそもそも街を囲む内側の斜面が高くなっているばかりか、それと逆のコロニー外壁に沿った外側の斜面に至っては自然に見えるように凹凸がつけられており、突如急になっている場所も少なくない。一応転落防止用の柵はあるが、市の財政の関係でくたぶれているのが実情だ。

 小さな子供が一人で入ると何が起こるか知れたものではないため、急がねばならぬ。

 捜索は、ずっと一緒になっていても意味がないため縦に長く隊列を組んで行われることになった。

 啓一・サツキを先頭にし、少し離れて清香、次にエリナ、しんがりが百枝の順番である。

「じゃあ、行くか。見つけたら、連絡頼むわ」

 その声で、捜索隊はぞろぞろと「裏」を歩き始めた。

 進んでは止まり、進んでは止まりを小刻みに繰り返して見渡してみる。

 同時にサツキが音を聞き取りにおいをかぎ、エリナがレーダーをかけて人間に見えない場所を探って進むことで、さらに捜索の手を広げる算段になっていた。

「……しかし『裏』って、途中から中心部北部を回って、さらに川またいで向こうまで行けるようになってるんだっけか?次に警戒されてる場所の上通るじゃないか、危ないにもほどがあるぞ」

「そうね……敵が何をするか分からない以上、早く見つけて避難させるにしくはないわ」

 「裏」はその名の通りずっと街の裏を通っているのだが、実は植月地区の北側、鏡団地の近くで東に緩やかに曲がる構造をしているのだ。

 骨格自体は曲がらず直進しているのだが、そこから先はうまい具合に丘で隠せているため、ここから先も道を作る必然性はない。

 だがこのまま終わりにすると管理用道路の設置が難しくなるなどの問題があるため、そこから東へ下がり河川敷の地下へと向かう細い骨格を築堤に仕立て上げてつなげてあるのだ。

 最後は骨格の終端部に当たる川の堤防に接続して終わるのだが、実際には川の向こうにある別の「裏」とを結ぶ橋がかかっており、そこを使えば赤駒地区など東郊外からも入り込むことが可能だ。

 先日瑞香が植月神社に避難場所を移すという話を出したのも、この「裏」を使えば中心部を迂回して来られることを分かっていたからである。さらに百枝がつれづれにヤシロ家の庭を横断出来ることを話していたため、それもちゃっかり通らせてもらおうというつもりだったようだ。

「向こう側にいれば林野さんも探しようがあったんだろうが、こっち来ちゃったんじゃな……。悪いようになってないことを祈るのみだ」

 瑞香が探している少女があちら側の「裏」から橋を渡ったらしいことは、近隣住民の目撃により判明している。目撃者が足腰の悪い老爺だったため、連れ戻しに至らなかったのが痛い話だ。

 もちろん見ていない間にもう一度橋を渡って戻り、そこで迷ったということも有り得ないではない。だが瑞香が発見に至っていない辺り、その可能性は低そうだ。

「いないな……サツキさんはどうだい?」

 耳をせわしなくぴくぴくと動かして音を聞き、時折すっと息を吸ってにおいをかいでいるサツキに、啓一が問う。

「うーん、木や草の揺れる音以外に何も聞こえないし、獣人どころか生物のにおいもしないわね」

「人間以上に鋭い君がそれじゃ、本当にいないと見ていいか……」

「ちょっと待って。あそこの藪、少し詳しく見た方がいいかも」

 サツキは一つ指差すと、急斜面へ張り出した藪へと近づいた。

「……とッ、とッ、ととッ!?」

「危ない!」

 藪のそばの柵へたどり着いたところで斜面の傾斜に捕まり、足を滑らせて転落しかけたサツキを、啓一が大あわてでで助ける。

「柵壊れてるじゃないかよ、注意の看板くらい立てろッ」

 悪態をついて、啓一はおのれが何をしているかに気づいた。

 後ろから手を回して全身を引っ張り上げている。後ろから抱擁しかかっている状態だった。

「ご、ご、ご、ごめんッ!」

「あ、いや、しょ、しょ、しょうがないから……」

 手くらいならまだしも、胸周りをつかみつかまれた状態である。異性と距離が近づきすぎることを恥ずかしがる二人にとって、このいきなりのボディ・タッチは刺戟が強すぎたようだ。

「そ、そうだ、『ディケ』は!?」

「烈しく揺れちまったけど、大丈夫だよな!?」

「そ、そう!そんなやわじゃないから大丈夫!大丈夫!」

 顔を真っ赤にしてごまかすように言い合う二人を、

「……うぶなねんねじゃあるまいし」

 少し離れた場所から見て肩をすくめつつ、清香は内蔵通信機でエリナに通信を飛ばす。

「エリナさん、レーダーかけてみてどう?」

『反応なしですね……。子供どころか、生物反応そのものがありません』

「そうかあ、こっちも見たけどまるっきり。……前方に、昼間っからお熱い二人は見つけたけど」

『……あれはお熱いと言っていいんでしょうかね』

 何があったのか大体察したのか、あきれたような声が飛んで来た。

「それより、もう少し間隔開けた方がいいわ。倉敷さんにつなげられる?私の方からはサツキちゃんにつなぐから、それで一回打ち合わせましょ」

 内蔵通信機と携帯電話を使うと、このような芸当が出来る。この場合、サツキから清香、清香からエリナ、エリナから百枝とリレー方式でつながることになるわけだ。

(簡単に出来るっていうから、入れてもらってよかったわ)

 昨日ジェイに頼んで仕込んでもらった新品の通信機が、こんなところで役に立った形である。

 一回その場に立ち止まり打ち合わせを行った結果、先に啓一とサツキが進み始め、次に清香が進むというように時間差で間隔調整を行うことになった。

 二キロ近く、進捗によってはそれ以上先まで列が伸びる可能性があるが、やむを得ない。

 捜索開始から、一時間が過ぎた。

「右に曲がったな」

「……いるなら、ここから先かも知れないわね」

「中心部北部だからね、やばいやつがいるかも知らん。注意した方がいい」

「いや、それでなくともこれは危険よ。斜面が高くて急すぎるわ、これもう崖じゃない」

 この先は、今までとはまた別の意味で危ない。植月地区の台地が途切れた結果、下の中心部との間に相当な高低差が生じているからだ。

 正直なところこの状況に二人ともあせっているが、無情にも今のところまだ少女は見つかっていない。雑木林や藪を見回しても、サツキに耳と鼻を駆使してもらっても、エリナにレーダーをかけてもらっても、本当に猫一匹も見つからなかった。

 今のところ中心部の北縁にまで達しているのは、啓一とサツキだけである。清香とエリナと百枝は、鏡団地の北・中央・南と等分するように距離を置いて進んでいた。

 そうして二人が、なおも東へと東へと歩みを進めていた時である。 

 眼の前の藪から、にわかにがさりと大きな音がした。

「………!」

 ここに来て初めての生物の登場に、二人は身構える。

 だが、出て来たのはどっしりとした体格の茶虎猫であった。

「何だ、猫か……期待したのに」

 啓一が露骨に落胆したのは言うまでもない。

 だがサツキは猫を見た途端ぴんと耳を立て、ゆっくりと近づくと、

「待って。ちょっと訊きたいことがあるの」

 その場にしゃがんで猫に話しかけた。

 啓一は一瞬驚いたが、植月神社の境内で宮子が猫とひるをしていた時に猫の言葉を解していたことを思い出す。

 確かに猫ならば、人より行動範囲が広いので知っているかも知れぬ。

「そうなの、女の子がいなくなって探してるのよ。こげ茶の垂れ耳の犬族の子、見てないかしら」

 そう言うと座り込んでいた猫が、てくてくと歩き始める。

「あ、あれ?」

「『多分自分のねぐらにいる子だ』ですって。案内してくれるみたい」

 追って行くと、猫は道が少し広がって広場状になった薄暗い場所で止まった。

 にゃあ、と鳴いてひょいと入ったその場所に、確かに瑞香から聞いた通りの少女がいたのである。

「……あ、猫さん。お兄ちゃん、お姉ちゃん、誰……?」

 今までどうしていたのだろう、ひどく汚れくたぶれた姿であった。

「小原直美ちゃんかしら?……怖がらないで。巫女さんに頼まれて、あなたをみんなで探してたの」

 写真を確認してから呼びかけるサツキにうなずくや、少女はじわりと泪を浮かべて泣き出す。

「けがとかはどうだい?」

「転んじゃって、足が痛くて立てないの」

「ううむ……こりゃどうしたもんか」

 ここで啓一は、すっと電話を出した。

「後ろに伝えよう。どうするか、全員集合してもいいが……」

「遠くにだけどもう橋が見えてるし、林野さんに迎えに来てもらった方が早いかも」

「それじゃあ、その線で訊いてみるよ」

 リレー方式で連絡を取り、提案をしてみる。

『その方がいいかもな。橋を渡ったところから、そんなに遠くないとこに避難してるらしいって話なんで。その子けがしてんだし、来てもらった方がいい』

『念のため、私も向かうわ。もう見えて来てるから』

 百枝の言葉に続いて清香が言うのに振り向くと、もう二百メートルほど近くまで清香が来ていた。

『瑞香にはあたしから連絡入れる。そのまま待っててくれ』

 百枝が電話を切ると同時に、清香がひょこひょこと現れる。

「よかったわ、見つかって。あとは、林野さん来ればいいわね。……足、見せてくれる?」

「うん」

 少女はメイドになじみがないのか驚いたようだったが、素直に足を見せた。

「軽くねじったのかしら。背中におぶるのは無理かな……じゃ、前で抱きましょ」

「少しだけ反重力場作りましょう。この子一人ならごく微弱で……」

「空中に浮くけど、落ちないから大丈夫。動かないでね」

 啓一が「ディケ」でごくわずかな反重力場を作り出し、ひょいと少女を持ち上げる。

 急で騒ぐことも思いつかなかったのか、少女は眼を丸くしたまま清香の手の中に収まった。

 それから十五分ほどで、ようやく瑞香が到着する。

「林野さん、ここです!」

「ああ、いなさん、みなさん!直美ちゃん、無事でよかった……」

 そう言うと、瑞香は安心したように深々とため息をついた。

 少女の説明によると、避難していた集会所にいるのがつまらないからと、瑞香たち大人の目を盗んで外に出たところ、道に迷った挙句にここで足をくじいて帰れなくなってしまったのだという。

 道の両側が雑木林で薄暗いことに恐怖して泣くしかなく、先ほどまで時折この猫と身を寄せ合って座り込んでいたようだ。

「よかった、よかったわ。これからは、勝手に出ちゃ駄目よ」

「そうだ、怖い人たちが街を狙ってるんだ。出たらいけないよ」

「……啓一さん、怖がらせるようなことは」

「いや、言っとかないとまずいだろう。実際、大人でも怖いやつらじゃないか」

「まあ、そうだけども」

 サツキは啓一の脅かしとも取れる言い方を軽くとがめつつも、この頑是ない子供を醜い人非人の暴力に巻き込ませたくないという気持ちは充分にくみ取れたのか、それ以上は言わなかった。

「しかし、思ったより遠かったんですね。すみませんでした」

「いえ、謝るのはこちらの方です。実はあれから周りの方と相談した結果、『裏』から戻った可能性をもっと考えた方がいいのではないかという話になりまして……避難所周辺を再度探し回っていたんです。ですから、こっちは丸投げ状態にしてしまって、ほんとに申しわけないと……」

 サツキの言葉に、瑞香は深々と頭を下げる。

 どうやら、迎えに来るのに時間がかかったのはそのせいだったようだ。

「少しでも可能性があるなら、いろいろな場所を探した方がいいですよ。もう見つかりましたし、頭を上げてください」

 それをとりなすと、サツキは再びリレー形式で百枝まで電話をつなげる。

「倉敷さん、林野さんが今来ました。もう引き渡します」

『ああ、来たのか。そいつはよかった。……ちょっと瑞香に変わってくれ』

 携帯電話の形を変換し瑞香に渡すと、さっそく謝罪の嵐が始まった。

『いやいや、分かったから気にすんなって。……それよりその子、早く連れてってやんないとまずいぜ。ひねってんなら、これからどんどん痛くなるかも知んねえからな』

「分かりました。じゃあ英田さん、直美ちゃんを……」

 携帯電話をサツキの手に返すと、瑞香は少女を両手でそのまま受け取った。

「じゃあ、取り急ぎ戻ります。ありがとうございました、そちらもお気をつけて」

「お気をつけて」

『気をつけろよ』

 電話口に聞こえるように言って一礼すると、瑞香はそのまま橋の方へ去って行った。

『さてさて。じゃあ、戻るか』

「そうですね。ここは大門町の上ですし、長居は無用でしょう」

『そうだな、早く帰った方がいい。じゃあ待ってるよ』

 百枝がそう言って電話を切ったのに、サツキは心底よかったという顔をする。

「啓一さん、先輩、じゃあ帰りま……」

 安心した声でそう言いかけた時だ。

 斜面下から、かすかではあるが妙な音が聞こえて来たのである。

「サツキさん、どうしたんだい」

ッ……誰か下にいるわ。ちょっとのぞいてみる」

 唇に一本指を立て、サツキはささっと雑木林のすき間から下を見た。

 ただならぬ様子に、足音をひそませて啓一と清香も別方向からのぞいてみると、住宅裏に何人かの男たちがいるのが見える。

「何、あの人たち……?どう見ても住民じゃないわよね?」

「そうだな。全員避難してるはずだし、戻ったとしてもあんなところに入り込む理由がない」

「ちょっとズームと補正かけて見てみるわ」

 そう言うと、清香がアイ・カメラを動作させて再び下をのぞき込む。

「ちょ、ちょっと!あの人たち、銃持ってるわ……!」

「えッ」

 清香の物騒な言葉に再度じっくりのぞき込んでみると、確かに男たちは何やら小銃や拳銃らしきものを隠し持っているようだ。

「人のにおいがかなり濃密にするわ。これかなり人数いるわね……」

 サツキが、一つ空気をかいで言う。

 その言葉の通り、どこから出て来たのか数十人近い男たちが、木や物に隠れながら下の空地の方へと向かうところだった。

 そして、男たちが空地へ出る手前で一度歩みを止めた時である。

 先頭で小銃を持った男が、

「行くぞ。一気に潰せ」

 そう鋭く言ったのを合図に次々飛び出し、一気に銃声が周囲に鳴り響いたものだ。

「そ、そんな……!!」

 そうしている間に、警戒に当たっていた警官や刑事たちと一気に銃撃戦が始まる。

 明らかな武装蜂起だ。てっきり周防通が危険と思っていたため、完全に虚を突かれた形である。

 ふと見ると警察側の部隊の後ろの方に、かすかであるがシェリルの姿が見えた。周防通とこちらを交互に巡回でもしていて、巻き込まれてしまったのだろうか。

「伏せろ、流れ弾飛んで来るぞ!」

 静かに、しかし鋭く啓一が叫ぶのに、二人とも大急ぎでその場へ身を伏せた。

「ちょ、ちょっと待ってよ、いきなり下で銃撃戦とか聞いてないわよ!バリア発生装置もないし、このままじゃ大変なことに!」

「先輩、余り大声立てると見つかります……!」

「しまった、こりゃ逃げられん!」

 今三人が置かれている状況は、およそ最悪である。

 すぐ下に武装集団がひしめいているだけでも危険なのに、逃げ道になるはずの「裏」も少し離れたところからよりによって木がまばらになっている状態だ。

 光線欺瞞が出来れば逃げられもしようが、さしもの「ディケ」もそればかりは出来ぬ。以前サツキが反重力プールで使っていた携帯型の光線欺瞞装置も持っていないし、あったとしても出力が小さすぎてまるで役に立たないのが実情だ。

 こんな状態で無理矢理逃げようとしたところで、確実に敵に見つかって的にされるだけである。

「くそッ、危ない場所だとは思ってたが……まさかここから蜂起しやがるとは!周防通の話はどうなったんだよ……!」

 啓一が歯噛みして言った時だった。

 その言葉に呼応するかのように、その周防通方面から爆発音が響いたのである。

「なッ……!?」

 エリナと合流し一緒に団地を通り過ぎようとしていた百枝は、突然眼下の中心部から上がった爆発音と火の手に凍りついた。

「周防通です、あれ!爆発物は火焔瓶!」

 エリナがアイ・カメラで特定する。爆発物まで分かるのはさすがだが、そんなことを言っているような状況ではなかった。

「おい、急ぐぞ!早く戻ろうぜ!」

 ここは安全地帯である。大急ぎで走って帰るだけの時間は充分にあるはずだ。

「――戦闘用機能、全機能を起動。行動に移ります」

「は、はあ!?」

 いきなり無感情になったエリナの言葉に、百枝はのけぞる。

(やる気だ、この子……!)

 このことであった。

「ま、待て待て!火中の栗を拾うつもりかよ!?」

「――この街を守る上で当然の行為です」

「と、当然じゃねえだろ!おいちょっと!」

 百枝があわてて服をつかみ止めようとするが、間に合わない。

「――栗が爆ぜるのが怖くて、戦闘用アンドロイドが務まりますか!」

 途中から思い切り感情を入れて啖呵を切ると、そのまま一気に団地前の道へ飛び降りた。

「げえっ……」

 シェリルを凌駕するのではないかと思うほどのばねに青くなるうちに、エリナはあっという間に中心部へ向けて飛び降りて行ってしまう。

「お、おい!あたしにどうしろと!とりあえずヤシロさんに連絡、連絡!」

 後に取り残された百枝は、大急ぎで電話をかけ始めた。



 周防通は、まさに修羅場の様相を呈していた。

 昨日の桜通が暴力行為に終始したのに対し、こちらはいきなり爆発物である。

 これにより上がった火で、附近に隠れていた刑事が追われて飛び出して来るのを、暴徒が徒党を組んでパイプや角材で殴り倒すのが遠くからでも見えた。

「何てことを……!」

 敵の狙いは、周防通沿いに潜って昨日から警戒していた刑事や警察官の一斉排除であろう。

 昨日と違って火や爆発物を使う辺り、相手の手勢が少数でも犠牲者が出る可能性があった。

「直接飛び込みますか、そうしないと危ない!」

 エリナはここで、大胆にも一気に周防通の真ん中へ飛び入ることを決める。

「角度計算、問題なし!」

 一瞬にして脳内で計算を行うと、そのまま植月地区から数百メートルの弧を描き、すたっと計算通りの場所に着地した。

 これに驚いたのが、もがき苦しむ刑事たちを調子に乗って玩弄していた暴徒たちである。

 さもありなん、華奢な娘がひらひらとワンピースをはためかせつつ、どことも知れない場所から飛んで来たのだ。

「何だこの女、飛んで来やがったぞ!?」

「馬鹿野郎、人が飛ぶか!」

「騒ぐな、これこそ飛んで火に入る何とやらだ、邪魔だからやっちまえ!!」

 動揺しつつも叫んで殴りかかって来るが、エリナの思うつぼである。

「人を虫扱いとは失礼ですね……えいッ!」

 助走もつけずに飛び上がるや、一番先頭の男を足先で蹴りつけた。

 ついでに空中で躰をひねり、その横の男の横っ面を横ざまに蹴り飛ばす。

 長髪でひらりとした服を着ているだけに邪魔になりそうなものだが、どうやっているのかほとんど乱れている気配がない。

「敵に銃器や爆発物の所持は認められず。これなら簡単に片づきますね」

 どうやらこの連中は、最初から単発で爆発を起こして刑事たちをあぶり出すだけの役目しか帯びていないようである。次の弾なぞ持って来ていないと見ていい。

 そう言っている間に、エリナの躰がひらりと舞い、男が顔に大きな足跡を作って倒れる。

 完全なまでに自然体でかけ声も一切ない攻撃に、他の男たちが後じさった。

「あ、あのちびが腕と躰で来たと思ったら、こいつは足かよ!」

 どうやら昨日の騒乱に参加していた者がいるらしく、がたがた震えている。

 それでも角材で殴りかかって来たのを、

「役割分担というものです」

 冷静に言うや、膝蹴りで沈めた。

 ぼっきりと折れた角材を静かにぽいと投げ捨て、横合いから来た男を弁慶の泣きどころを突いた上に腹を蹴って一気に倒す。

「残り三人!訂正、二人!再度訂正、一人!」

 横腹、みぞおち、頭と打たれ、二人倒れ伏した。

「こ、この女、えげつねえ……!!」

「敵を倒すのに、蹴る場所を選ぶお人よしはいませんよ」

「ほざけ!」

 威勢よく飛び出して来たこの男は、何とかかと落としで地面に沈んだ。

「殲滅。……急がないと刑事さんが!」

 死屍累々たる中を刑事に走り寄る。何とか息はあるようだ。

 素早く周囲を見ると、暴徒にやられず軽傷だった刑事が出て来る。

「き、君は……」

「ちょっと通りすがっただけのアンドロイドです。今いた敵の排除に成功しましたので、次が来ないうちに早く同僚の方とともに逃げてください」

「だが、君はどうするんだ!?」

「構いません、『自衛』のため戦闘を続行させていただきます。……さあ、早く!」

 有無を言わせぬ口調に刑事はすっかり気押されてしまい、倒れた同僚の救助に走り出した。

「予想戦闘レヴェル評価、中の下か下の上。ぬるい方ですが、確実に仕留めないと!」

 振り返ると本通に駆けつけていた機動隊が火焔瓶を投げつけられ、散らばって燃える火に攪乱されてうまく部隊を展開出来なくなっている。

 隠れていた別働隊が足止め目的でやったのだろうが、これ以上の狼藉を許すわけには行かぬ。

 そちらへと走り出そうとした瞬間、眼の前で爆発音が響き再び火が広がる。

 別働隊が背後のただならぬ状況に気づいて、振り向くや一気に火焔瓶を投げたのだ。

「焼かれろ、この女!」

 だが、こんなことで動じるようでは「戦闘用」の名が廃る。

「目標、十一人。排除開始……ッ!」

 そう言うや、燃え上がった炎をいとも簡単にひょいと飛び越えて着地した。

「……は?」

 これに、一斉に暴徒たちが間抜けな声を上げたのは言うまでもない。

 建物の二階近くまで燃え上がった炎の壁の向こうにいるはずの少女が、それをものともせず飛び越して来たのだ。

 そのすきを逃がすつもりは元よりない。前の方にいた暴徒が、一気に狩られた。

「三人排除完了。爆発物を速やかに無効化」

 暴徒三人が持っていたパイプ爆弾をさっと奪うと、端を発火装置と雷管ごと引きちぎり、近くで町を横切っている川へと投げ捨てる。

 こうなると水で火薬が濡れそぼってしまい、もはや使いものにはならぬ。

「不法投棄で叱られますね、後で拾っておかないと。もっとも、今はそれよりも社会の汚物を排除する方が先ですが」

 エリナがきっと眼を向けるや、暴徒たちはひるむ。

 両端ねじ止めの上にうかつに解体すれば大爆発必至のパイプ爆弾を、力まかせに引きちぎって完全無効化するという、有り得ないことを眼の前でやられてしまったのだ。

 しかもやったのが白ワンピースの可憐な少女なのだから、もはやパニックになるしかない。

「ば、化けもんだ!」

「ええ、昔は確かに化け物でした、心のない」

 言うや、叫んだ男を回し蹴りで吹き飛ばす。

 地に落ちんとする男の腰からパイプ爆弾を二本奪い取ると、滞空している最中に端を引きちぎり、また川へ放り込んだ。

 超能力で浮かせたわけではもちろんない。エリナの動きが早すぎるのだ。

 本人にはしっかり見えているが、当然暴徒には何をしたか分からぬ。

「化け物だった頃は、無辜の民間人に手を上げたこともありました」

 さらに二人。この連中が持っていた爆弾も、受け止めてすかさず処理した。

 人どころか爆弾までも次々と葬られるのを見て、暴徒たちががたがたと震え始める。

「でもある人に会って心を取り戻し、紆余曲折を経て『人』として生きています」

「お、お、お前のような『人』がいるか!」

「いるんですよ、残念ながら。もっとも……」

 そう言いつつ一人を飛び越えながら背中を後ろ足に蹴飛ばすと、

「人面獣心の自称『人』に言われたくありませんが!」

 横に並んでいた男二人を足を広げ、横から蹴倒した。

 しかも、後ろ手に爆弾も回収しながら処理する。これは、水の流れる側溝に捨てられた。

「残り二人!」

「ひ、ひいいっ!」

 一人は完全に戦闘意欲を喪失し、座り込んでしまう。

 異臭が鼻を突く辺り、失禁したもののようだ。

「本物の汚物を処理するのは勘弁です、そのまま座っていてください」

 横を通り抜けざま、ここで初めてエリナは手を使った。

 斜め後ろに右手を振り下げ、男の後頭部に手刀を入れたのである。

「残り一人。速やかに排除します」

「う、うわ、うわ……」

 残った男の歯の根は、もはや合っていなかった。

「どうしたんですか?反撃しないんですか?」

 炎を背に、闘志を露わにした少女がゆっくりと歩いて来る。

「固まっていないで早くお願いします。まだ戦いは終わっていませんので」

 男の顔が空中に張りついたようになり、だくだくと冷汗が流れ始めた。

「早くしてくれませんか?余り引き延ばされても困りますので、早く頼みます」

「こ、こ、この怪物めえ!!」

 とうとう男は、やけくそになって火焔瓶を投げつける。

 だが次の瞬間、火焔瓶はエリナの左手の中に直立したまま収まっていた。

 蓋の布につけた火を、右手でぐっと押さえて消す。手には焦げた跡すらもなかった。

「困りますね、モロトフ・カクテルは好みじゃないんですよ。せっかくなら、スクリュー・ドライバーかソルティ・ドッグ辺りをください」

「……な、な、な、なななッ!?」

 火焔瓶の別名にかこつけて言うのに、男は卒倒せんばかりになっている。

 それでも最後に力を振りしぼったか、しゃにむに襲いかかって来るのを、

えいッ!」

 右拳でみぞおちを突いて吹き飛ばした。

「殲滅。瓶で殴られなかっただけ感謝してください、人にガソリンを注ぐ趣味はありませんので」

 そう言うと、エリナはさっと機動隊員たちの方を向く。

 こちらの火は全て消し止めたらしく、部隊が無事展開されていた。

 ほとんどが眼の前の出来事に呆然としているようだが、そこまで考慮している暇はない。

「みなさん!この奥まであらかた片づいてます、やっちゃってください!……あとこれ、回収してください、持ってても危険で邪魔なだけなので!!」

 その言葉に、隊員の一人が拡声器を取り出した。

『え、ええ!エレ……もとい、そこの女性!ええと……』

「何でしょうか!少なくとも私はみなさんの味方、そして緑ヶ丘市民の味方です!」

『りょ、諒解!!そ、その、ご協力感謝します!!』

 エリナの堂々たる宣言に、機動隊も彼女が敵でないと判断したようである。

 なお後に分かったことであるが、呼びかけた隊員はエリナのファンであった。

 ある意味で、最初から彼女が敵ではないと分かっていたとも言える。

 それどころか、「推し」が火の中で舞うように敵を狩って行く姿を見て、

「まるで戦女神のようだ」

 と思わず評したとすらいう話だ。

 もっとも狩られる側にとっては、炎を背負った緑髪白服の悪魔でしかなかったわけだが……。

 話を元に戻そう。

 隊員に火焔瓶を回収してもらうと、道を空けるためにエリナは一回近くの街燈の上に飛び乗った。

「放水車到着!」

「放水車到着、到着!直ちに消火に入れ!」

 ようやく放水車が回って来たらしい。

 一気に火が消し止められ、ついでに一部奥から流れて来た暴徒も吹き飛ばした。

 水が止まったところで、機動隊員がエリナの倒した男たちを回収しながら進み始める。

 先に行った方がいいと、街燈を渡りながら先ほど火が上がっていたところまで進んだ。

 その瞬間、再び火の手が上がる。生き残りが火焔瓶を投げたのだ。

「全く、瓶はくずかごに入れるのがマナーですよ……!」

 うんざりとしたように言うと、エリナは火の向こうに飛び降りる。

「目標、二十一人。多いですね!」

 後ろの火が放水車によって消された直後、現場はエリナによって蹂躙され始めた。

 まず対象になったのは、火焔瓶やパイプ爆弾を持った敵である。

 着火や起爆に移られる前に本人を狩り、同時に回収して全て無効化。今度は側溝に捨てるだけでなく、水が入ったものなら何でもいいと近くにあった水桶に浮かべて処理した。

「これが缶ジュースやラムネなら風流なのに……」

 どんどん増える残骸に、残念そうな顔をしながら言う。

 敵が目に見えてあせりはじめた。どうやら爆発物を雨あられと浴びせて押し切る作戦だったらしいが、投げる前に片っ端から無効化されては意味がない。

 とうとう種切れとなったらしく、昨日のような体当たりと兇器を使った暴動が始まった。

 こうなったらこっちのもの、五人、六人と次々狩って行く。

 無線で伝わっていたのか、機動隊もさりげなく援護をしてくれた。

 だが、少々様子がおかしい。

(狩った数の割に人が余り減らない……?)

 このことであった。

(少しずつ補充されている?でもどこから?)

 その疑問を解決するため、エリナは再度街燈の上へ飛び上がってレーダーをかける。

「東方向から多数の人の列を確認」

 これだけでは分からないので出力を上げ、列の発生源を確認し始めた。

「列の発生源、大門町の西五十メートルまで遡及可能……!?」

 レーダーに映し出された結果に、エリナは息を飲む。

 つまりこれは、大門町周辺から人が流れて来ている可能性を示しているわけだ。

「どういうことですか!?確か大門町は、警備を固めていると大庭さんが!」

 このままでは仕方ないと、街燈から飛び降りながら二人狩る。

 そしてさらに狩り続けながら、内蔵通信機でシェリルを呼び出した。

「大庭さん、エリナです!今、周防通で『自衛』のため戦っています!」

『エリナさん、そちらの隊員から聞いています!今、こちらは大変なことになってまして……!』

「どちらにいるんですか!?」

『大門町です!眼の前で武装蜂起がありまして……鎮圧を試みましたが、敵の武装が厳重で本通上まで一旦引いています!』

「そ、そんな……!」

 つまり大門町は、現在敵により占拠状態にあるということである。

 それならば腰を落ち着けて、人員を補充して来ていてもおかしくなかった。

『私も動きたかったのですが、小銃で烈しい弾幕を張られてしまって動けず……ッ!』

 無念と言わぬばかりの切歯の音が、無線越しに聞こえる。

「そちらに向かいましょうか!?」

『駄目です!下手に飛び込むとまた弾幕が来ます、大けがをしますよ!それに民間人だというのを忘れないでください!』

「ううッ……」

 シェリルが強い口調で止めるのに、エリナはつまった。

 一応エリナにも、弾幕をくぐり抜けた経験は何度かある。

 だがいずれも四五人ほどの仲間の手を借りてやっとというありさまで、一人で出来るのかと言われるとまるで自信がないとしか言えなかった。

 それにここで戦えているのはシェリルが黙認してくれているからで、エリナがあくまで民間人なのには変わりはない。この通り一本程度なら言い繕えても、下手に他の場所まで出張るとそれが破綻しかねなかった。

「分かりました!とりあえずこちらを始末するのに専念します!」

『……申しわけありません!』

「ご武運をお祈り申し上げます……!」

 暴徒を狩りながら、エリナは哀切な声で言い通信を切る。

 次の瞬間、その攻撃がいきなり烈しくなった。

「……この償いは、しっかりしてもらいます」

 すさまじい闘気がふくれ上がり、一部の暴徒が小さな声を上げてのけぞる。

「それでは……修羅道を経由して地獄道に行っていただきましょうか!」

 そう言うと、エリナは腹いせとばかりに眼の前の男を蹴り飛ばした。



「最悪の事態になっちまった……」

 大門町の真上にある「裏」に伏せていた三人は、眼の前の光景に青い顔となった。

 にわかに始まった銃撃戦は、結局警察側が敵方の予想以上の攻撃の烈しさに押され、本通まで撤退を余儀なくされるという結果に帰してしまっている。

 もしかするとシェリルが潰しにかかるのではないかとも思ったが、見る間に烈しくなる弾幕に飛び込むのをあきらめたらしく、悔しそうな顔で現場をめつけているのが遠く見えた。

「けほッ、けほッ……こんな高いところにまで硝煙が……」

「大丈夫かい、君らの鼻じゃ相当きっついだろ」

「ごめんなさい、何とか大丈夫……。あんなに人を出してひたすらに撃ちまくってたのに、まさか鎮圧出来ないなんて思わなかったわ」

だれがいるか、武器が上等かのどっちかかもな。もしかするとだが、極左暴力集団があの中に混じってるかも知らん。そうなると、ただのやくざ破落戸とは話が違う」

「テロ集団でしょそれ!?暴力団以上に危ないじゃない!」

「先輩、余り大きな声は……」

 声をひそめて状況分析をするうちに、果たして敵は悠然と斜面下に本営を築き始める。

 そこから、何人かが西へ向かって出て行った。周防通の騒乱に加わるつもりだろうか。

「小銃を持って行ってないな。作戦か、単に友軍誤射を嫌ってるか」

「どうなのかしらね。……それとはまた別に、小銃を持った人たちが少しずつ隣の通りに展開して行ってるように見えない?」

 そこでサツキが、ぴくぴくと耳を動かして下の声を聞き始めた。

「……もう少し人数を出しておくか。そうだ、お前ら陸奥通に入れ。そっちは出羽通に」

「大丈夫ですか、小銃部隊をあっちへそんなに割いて。こっちにもっと残した方が」

「問題ないだろう。どうせ警察の連中はさっきのでびびって攻めて来ない。拳銃で充分だ」

 最後の方は、啓一と清香にも聞こえる。

 どうやら警察を退けたことで、小銃を大量に備えておく必要はないと判断したようだ。

「馬鹿にしてやがるな、完全に」

 啓一は聞こえないよう、静かに口の中で舌打ちする。

「警察の人たち、攻めるかしら?今なら……」

「どうだろうな。仕切り直しに時間かかるだろうし、周防通の騒乱がまだ続いてる。第一敵がちょっと武装を薄くしたからって、すぐに攻めるのは早計だろうよ」

「ちょっと……それじゃいつまでも私たち逃げられないじゃない」

 清香が頭を抱えて言った。

 何せ、このまま下手に動けば気づかれる状況なのである。

 大きな声を出せないので、通信も出来ない状態だ。清香には内蔵通信機があるが、小さなもののためシェリルのように脳内通信モードを使って頭の中で通信する機能はない。

「下がどうにかなってくれないと無理じゃない。上から爆弾でもかますしかないわ」

「そりゃ上から攻撃すりゃ潰せるが……」

 サツキの言葉に苦笑したところで、啓一があごに手をやった。

「そうか、上か。……これ、存外行けるかもなあ」

「え、ちょ、ちょっと、何言ってるの?」

「まあ、話を聞きなよ。その上で、英田さんと一緒に判断をしてほしい」

 そこで啓一が一通り、打開策を話し始める。

「……随分大胆なことしようってのね」

「充分行けるは行けるわ。理論上、一気に無力化出来るもの」

「一番最初が怖いんですが、その辺はどうなんですかね?」

「そらせるからまず大丈夫よ、そういう仕込みをしてもらってるから。あとは勇気だけね」

「よっしゃあ、じゃあやるか」

 啓一がそう言って立ち上がるのを、サツキが止めた。

「ちょっと待って。……ねえ、猫さん、ちょっといいかしら。この雑木林の木の間って、私たちくらいの人が通れる?」

 猫はその質問に眼を丸くし、明らかに動揺する。

「『獣人が通ったのは見たことがあるけど人間やアンドロイドは』ですって」

「こんな斜面のへり落ちないように通るの、相当な柔らかさと運動能力がないとなあ」

 啓一は肩を一度すくめると、こほんとせき払いをし、

「……まあ、いいや。古にこの作戦を実行した人曰く、『鹿も四つ足、馬も四つ足、鹿が通れて馬が通れぬわけはない』。獣人も二足歩行、他の種族も二足歩行、従って全員通れるということで」

 はたから聞いていると無理があるにもほどのあることを、したり顔で言った。

「うわ、改めて聞くとすごい理屈ね」

 清香があきれて言う。まともに聞くと、牽強附会にもほどがあった。

「でも、この場合はそれが成り立っちゃうから怖いんですよね。……じゃ、とりあえず『ディケ』の方は私が担当しますから」

「頼むわ。じゃあ禾津さん、これ」

 サツキが「ディケ」をかつぎ、ささっと啓一が自分の服にいろいろと装置を取りつける。

 そして清香が持っていた円状の簡易反重力発生装置を斜め前に掲げたところで、一斉にその場へ反重力場が立った。

 しばらく眼を閉じ呼吸を整えると、啓一は、

「……よし!」

 眼をかっと見開いてそのまま雑木林へ突撃を開始する。

 通常ならば、ここで木が大きな音を立てて盛大に揺れたり枝が折れたりするはずだ。

 だが、啓一はこれをほぼ音もなくするりとすり抜けたかと思うと、斜面の端を蹴って一気に下へ飛び降りたものである。

「……え?」

 下でのんびり煙草なぞふかしていた敵の男は、物の動く気配に上を見てかちんと凍りついた。

 当たり前である。十メートル近くある斜面の上から、何やら輪を持った男が飛び降りて来たのだ。

「ま、待て待て!……敵襲!敵襲!」

 叫びながら撃つが、弾は輪に入った途端あさっての方向に曲がり、当たることはない。

「え、え、何だこりゃ!?」

「行けるな!そりゃあッ!」

 一瞬おびえたような顔をしつつも、弾が当たらないのに気づいてにやりとするや、男――啓一はそのまますたっと着地した。

 その瞬間、周囲の人や物が浮かび上がる。反重力場が、いきなり本営内に立ち上がったのだ。

「ととととッ!?」

「うわあッ!?」

「寄って来るなお前!どけ!!」

 まさか反重力に襲いかかられるとは思わなかった周辺の敵は、全員足をすくわれ宙を舞い始める。

 滑る、転ぶ、ぶつかり合う、銃を取り落とす……大混乱が出現した。

 重力場との合わせ技である程度相殺しているので、まっすぐ空に吹き飛ぶことはないが、それでも自分の躰が強制的に引っ張られるとあってはたまるまい。

「ぐえッ……」

 そのうちに先ほど撃って来た男が、自分から崖に脳天をぶつけてのびた。

 崖に垂直にぶつかるという、ギャグ漫画でもない限り通常では有り得ないぶつかり方である。

 中心から外に向けて次第に無重力状態に近くなって行くようにしてあるため、ばたついて躰に加速度が生じたまま外側に向かってしまうと、やがて慣性の法則によって一定方向へ吹き飛び止まらなくなってしまうのだ。

「ひいッ!?弾がすっ飛んで来た!?あっち行け、あっち行け!!」

 こちらでは空を舞った補充用の銃弾が飛んで来るのを浴びた男が、恐怖の余り暴れ回り、場から飛び出して躰をしたたかに打ち沈黙する。

「くそ、銃!銃!……って!?」

 そちらでは銃を取ろうと手を伸ばした男が、召喚されたかのように浮いた銃の銃床に鼻っ柱を打たれ、鼻血を吹いて場の外に沈んだ。

 男の鼻から出た血が球体になって浮かんだ後、啓一のすぐそばで反重力場に捕まって上へ飛ぶ。

「汚ねえ!こんな状況で血なんか飛ばすんじゃねえよ!」

 鼻血が眼前をかすめたのに啓一が思わず悪態をつくが、躰に近づいた途端にぼたぼたと地に落ちて何とか服にもつかずに済んだ。

 選択的重力調整装置が躰の周囲に重力場を作ってくれているおかげなのだが、まさかこんな形で役に立つとは誰が思っただろうか。

「もう、さっきから無軌道に飛びやがってきりねえな!……右向け、右ッ!」

 啓一が叫ぶや、いきなり向かって右に男たちがばたばた倒れ始めた。

「な、何だ!?引っ張られ……」

「倒れる!ど、どけ!」

「無茶言うな!……ぐえッ!」

 五人ばかりが一気に右側の場の壁に張りつき、ぐっと押しつけられる。

 重力の方向がそちらに変わったのだ。むろんやったのは、上にいるサツキと清香である。

「……おっとと、こけるこける。練習した通りにと」

 当の啓一はたたきつけられた男たちの中へうまいこと立ち、上へオーケーサインを送っていた。

「ひ、ひいッ……化けもんだ!横に立ってやがる!」

 場の外に駆けつけて来た男たちが、腰を抜かす。

 足を右向きにして真横に立っているという時点で、視覚的にも動揺を招くはずだ。

「よし、うまく行った!次は左向け、左ッ!」

 今度は逆向きに切り替わり、右にへっ張りついていた男たちがそちらへ一気にたたきつけられる。

「ぐはあッ」

「落ちる!落ちる!」

「重い重い!潰れる!!」

 意識があろうがなかろうが一緒くたになっているため、さっきよりひどい状態だ。

 気絶していなかった者もあちこちに腕や足が入ってしまい、悶絶したり失神したりしている。

「なあ、これ結構えげつないな!?ちょっと驚いてんだけど!?」

 例によって左側にうまく着地した啓一は、足許を見て少々引きつった顔で言った。

「重力の方向が下以外に変われば、普通そうもなるわよ!」

「サツキちゃん、驚き顔しながら言っても説得力ないわよ。……方向下に戻す?」

「頼みます!」

 すとん、と重力が下向きに戻り、男たちがばたりと地面に伏す。

「あ、全員のびてら。二、四、六……十五人って、おい」

 その時、どうやって耐えたのか奥から拳銃を持った男が出て来た。

「このッ、くたばれ!!」

 足場の悪い中で必死に踏ん張り、こちらに銃口を向ける。

「うわッ、やめろ!」

「さすがにおびえたか、こいつ!」

「いや、そうじゃなくて……お前さんのために言うんだけど!?」

 次の瞬間、発砲した男は空中に飛び上がり、そのままきりもみしながら崖にたたきつけられる。

 あわれ弾の方も本人がこけて弾道がそれた上に、とどめとばかりに反重力場に捕まって空のかなたに消えて行ってしまった。

「あのなあ、無重力状態になってる場所で撃つやつがあるかよ。摩擦がないんだから、反動受け止められるわけないだろ。あ、聞こえてねえか」

「むうん……」

 うなってばたりと倒れた男を、啓一は思わず憐愍の眼で見る。

 しかし一方で、反重力の力を借りているとはいえ、普通の男であるはずの自分がここまで簡単に何人もの武装した男たちを倒せたということに、さすがに驚きを禁じ得ないものがあった。

「周りに人が集まって来てるわ、もうちょっと場を大きくする必要があるからそっち行くわね!」

「残っても意味ないし、私も!……集まってるやつに、ついでにちょっと脅しかけてやりますか!」

 見れば、騒ぎを聞きつけた敵が遠巻きに自分に向けて銃を構えている。

 さすがにこれはうまいこと工夫しないと、弾に当たる可能性があった。

えいッ!」

 二人分の踏み切り音がするや、上からサツキと清香が「ディケ」ごと飛び降りて来る。

「撃っちまえ!」

 撃とうとする男たちに、清香はスカートの裏からざっと簡易反重力発生装置を引き抜き、場の外へばらばらと投擲した。

「手榴弾かナイフか!?……引け、って!?」

 通常ならその判断で間違っていないのだが、相手は手榴弾よりある意味で厄介な代物である。

 ぶわあっと即席の反重力場が立ち上がり、男たちは一斉に後ろへこけて銃弾も空へ消えた。姿だけ見れば、まるでコントのようである。

 さっと着地するや、清香は華麗にカーテシーを決め、

「どうもみなさまこんにちは、反重力のお味はいかがでしたか?」

 余裕しゃくしゃくとばかりに言ってみせた。

「せ、先輩……余裕ありすぎです!」

 遅れて飛び降りたサツキが、やや引き気味に言う。

「ふ、ふざけんな、この女……うわっ、立てねえ!!」

「銃、銃!!」

 何とか体勢を整え構えて撃とうとするが、

「あら、撃つんですか」

 清香は腕を組み、煽るように言うばかりだ。

「なめ……」

 発砲した男の声は、それ以上続くことはない。

 反重力場に捕まって浮き上がり吹き飛んだ挙句、場の外の地面へたたきつけられ、腕が根元からちぎれ飛んだのだ。

「ぐああッ……手が、手があッ……」

「おやおや、季節外れにも花火をなさいまして……それにしては余りにも汚のうございますね。そちらでお出になったごみですから、みなさまで片づけてくださいませ」

 血の海に沈む男を蔑むように見ながら、清香が慇懃無礼な口調で言う。

「あ、英田さん、さすがに今のは……」

「……禾津さん、私はこいつらの仲間のせいで、躰ごとなくしてるのよ?腕の一本や二本、安いもんだと思わないかしら」

 その眼は、一切笑っていなかった。

 清香が今まで味わわされた塗炭の苦しみを思えば、ある意味でもっともである。

 その時、状況を見かねたかどこからか男が十人ほど飛び出して来た。

「ほう……」

 その姿に、急に啓一の眼が鋭くなる。

 男たちは、一様にヘルメットをかぶりマスクをつけ、ゲバ棒(長い殴り棒)などで武装していた。

 少々様子は異なるが、このような姿をした連中に啓一は嫌というほど見覚えがある。

「おやおや、やはりいらっしゃいましたか……極左暴力集団のみなさま方」

「な……!?警察関係者か何かか!?」

「お前らのお手本に苦しめられた一般人だよ!ここで会ったが三百年目、ぶちのめしてやる!!」

 そこでポケットに入れてあった簡易反重力発生装置を一気に投擲して転ばせると、ゲバ棒を奪い取り、場の外に蹴り出して一方的にたたきのめし始めた。

「けつから棒ぶっ刺して串焼きにしたろか、このどあほどもがあッ!!」

 ずたぼろになり地面に伏した男たちをしたたかに打擲ちょうちゃくし、さらに尻の穴を棒でぐりぐりと蹂躙する。

 さっきの男たち相手でもほぼ手らしい手を出さなかった啓一がこれだけ暴走するとは、一体どれだけの怨みがあるというのか……。

「おいサツキさん、こいつらに加茂川で水雑炊食らわせてやれ!」

「ちょっと、さすがに川には投げ込めないわよ!」

 『忠臣蔵』の一力茶いちりきぢゃの段になずらえて叫ぶ啓一を、急いでサツキが止める。

 既に男たちは、顔も躰もぼこぼこにされてのびてしまっていた。

 少人数で武装が薄かったということを差し引いても、テロ集団と恐れられている者たちがこれで一度に退場させられるとは、さすがに二人も目を疑わざるを得ない。

 だが、それに構っている暇はなかった。先ほどから特に反重力場発生と制禦以外目立ったことをしていないサツキに目を留めた敵が、彼女に襲いかかったのである。

 サツキがそれを聴覚と嗅覚で素早くとらえ、後ろ手に敵の腕をつかんだ。

「今度は私!?けんかすらしたことないのに!!」

 そう言いつつくるりと回って手を離し、男に回転力をかける。

 よりによって無重力状態になっている場所だったため、摩擦などの恩恵にあずかることが出来ずそのまま延々と回り始めた。

 よほど不摂生でもしていたのか、やがて男は一つうめいて嘔吐してしまう。

「き、汚いわねえ!眼が回った程度で何なのよ!」

 そばに落ちていた角材で突き出すと、男は場の外へ飛び出して行き反吐の中に伏した。

「ええい、もうこうなったら積極的に打って出ちゃいましょ!啓一さん、これ頼むわ!」

 そう言って「ディケ」を啓一に託し、反重力場の維持をまかせる。

 場の安定を確認した後、サツキは、

えいッ!」

 西の方でまだくすぶっている連中へ向け、簡易反重力発生装置を投げつけた。

 下手な爆弾より恐ろしいものと分かったのか一気に引くが、それで防げれば苦労はない。

 思い切り浮き上がってしまい、無秩序にふわふわ浮いた。

 頭をぶつけ合ったりして自滅を起こしているのが見えるが、この際構わぬ。

 サツキは素晴らしい跳躍力で飛び上がると、きれいな放物線を描きながら襲いかかった。

「げえっ……」

 狐の狩りそのままに飛びかかって来る姿は、恐らく彼らにはおのれを頭から貪らんとするかのごとき迫力を持って見えたことだろう。

 その直後、そこには見事に倒れて失神した男たちと、反重力場をうまく使って墜落を免れたサツキの姿があった。

「……おいおい、何つうことするかな」

「サツキちゃんって時々思いもつかないことするから……」

 余りにも大胆すぎる行動に、二人があきれたように言う。

 一方敵はまだ踏ん張り、今度は周防通へ向かっていた者がどやどやと戻って来た。

「わざわざ戻って来るの!?しつっこいわねえ!!」

 だが、不幸なことに彼らは先ほどまでの様子を全く見ていない。

 よって反重力場の中へ馬鹿正直に突っ込み、サツキに次々と倒されて行った。

「この!それ!」

 みぞおちを打たれ、真正面から手刀を打ち込まれ、蹴飛ばされて面白いように散る。

 さらにはすぐそばに落ちていた小銃を鹵獲し、銃床でぶん殴る始末だ。通常なら暴発の可能性もあって危険な行為だが、どうやら弾切れだったらしく何も起こらない。

 これを見て、さすがにやって来た男たちがまた周防通へ逃げ出した。

「待ちなさい!」

 叫んで連続で簡易反重力発生装置を投擲、滑らせ転ばせる。

 遠く、通りの奥に機動隊のぼうじゅんが見えて来た。多分こちら側はこれ以上追わずとも何とかなるだろう。

 さらに振り向いたところで、場に近づいて来る男の姿を横目に認めて、

「まだ来るの!?」

 うんざりとサツキが言った瞬間だ。

 その男が、気絶した状態でぷかりと空中に浮いたのである。

「……え?」

「サツキさん、右、右、本通の方!」

 言われて右を向くと、警察が動き出していた。

 夢中になりすぎて気づかなかったのだが、随分前から敵が総崩れとなったのに気づいた警察が、

「大門町奪還を開始せよ!」

 シェリルの指揮によって動き始めていたのである。

 当然、シェリル本人も戦い始めた。本営側の者は三人が倒したが、本通側の者は彼女が相当数を狩りに狩っている。

 見ていると桜通の時のように銃弾は払い落とす、ナイフは折る、棒や刀などの長物は受け止める、投げ技はかけるという按配で、手薄の相手はみじめに数を減らして行っていた。

 ついに防楯が本営まで迫り、残っていた男たちが投降する。

「みなさん!ちょっと向こうに逃げたの狩って来ます!」

 三人にそう言うや、シェリルは今度は陸奥通と出羽通の方へ突っ込んで行った。

 通りをのぞき込むと、どちらも逃げようと残党が大渋滞を起こし殴り合いに発展している。

 中には、殴り合いで自滅して道路に伏している者もいた。

「あ、これは私じゃなくても行けますね……ここは、機動隊のみなさんにおまかせします!」

 そのまま周防通方面へ走ったところで、周防通の部隊に無線を飛ばす。

「大庭から周防全局!状況報告せよ、どうぞ!」

『こちら周防一、南側鎮圧、どうぞ』

『こちら周防二、中側鎮圧、横道並びに隣接の通り固めています、どうぞ』

『こちら周防三、北側暴徒の供給停止しています、鎮圧間近です、どうぞ』

「大庭、諒解!」

 周防通は、機動隊とエリナの獅子奮迅の戦いで鎮圧の目途が立っていた。

 とにかく、人員の供給がなくなったのがありがたい。あとは減るだけだからだ。

「ええと、これで五十五人目ですか!昔でもこんなに敵を倒したことそうありませんよ!」

「もう引いてください!後ろから機動隊が来ます!」

 振り返ると、残党を鎮圧するため部隊が来ている。

 このまま戦っていても、邪魔になってしまうばかりだ。

「こちら周防三、暴徒の封じ込めに成功……」

 無線を背に聞きながら大門町方面へ走り出すと、シェリルが残党を転がして来るところに会う。

「あ、大庭さん!」

「エリナさん、来たら駄目って言ったじゃないですか!」

「いやその……逃げる場所がありませんので、これも『自衛』で」

「あ、それもそうですね。じゃ、さくっと狩っちゃいましょうか」

 にやりとシェリルが笑い、エリナと一緒に手を鳴らし足首を回した。

 死刑宣告が、残党に下った瞬間である。

『こちら周防三、北側鎮圧。これで周防通全て鎮圧、鎮圧しました』

 十五時三十七分、周防通鎮圧。

『こちら大門二、敵の本営を占拠。大門町並びに陸奥通、出羽通解放しました』

 十五時四十分、大門町・陸奥通・出羽通解放。

「こちら大庭から全局、大門町から周防通までを鎮圧!」

 その無線を受けながら、累々と地面と接吻をする男たちの中でシェリルは鎮圧を宣言した。

 十五時四十五分、全暴動がここに鎮圧されたのである。

 蜂起が十二時だったため、三時間四十五分も戦っていたわけだ。

「被害状況の確認は、部下にまかせましょうか。とりあえず、禾津さんたちのところに。エリナさんも来ちゃってください」

 肩をこきりこきりと鳴らしつつ、大門町方面へ走る。

 大門町では、気が抜けてしまったのか空地の向かい側の道路上で三人が座っていた。

「どうしたんですか、さっきのありさまは!『自衛』ですよね!?」

「ああ、『自衛』だよ。ただし半分本気の『自衛』なんだが……」

 啓一は、座り込んだままシェリルにことの次第を語り始める。

「そ、それは不幸としか……八方塞がりですもんね。半分本気という表現、分かります」

「ほんとに重力学で戦えるなんて……。素人ですよね、戦闘?」

「そりゃそうです。でも、意外とうまく行くもんですね。人って重力いじられるとてんで駄目なんだな、とつくづく思いましたよ」

 エリナがおずおずと訊くのに、啓一は頭をかきながら言った。

 本営内に鑑識が入るのを見ていたシェリルが、その言葉に振り返り、

「しかしまさかこんなところでお目にかかれるとは思いませんでしたよ、さかとし……」

 斜面の上を見ながら苦笑してみせる。

 斜面の下の本営に、上から飛び降りての奇襲。

 日本史や古典文学の心得のある読者なら、これが何を手本にしたか既に気づいているかも知れぬ。

 源平合戦のうち、一ノ谷の合戦で行われた奇襲作戦・逆落としだ。

 合戦において、源氏側は兵を二手に分ける。一方は平家を真東から攻める軍勢、もう一方は丹波経由で北から攻める軍勢であった。

 そのうち後者を率いていた源義経は、途中でさらに軍勢を割いて精鋭のみを残し、峻厳な山をたどって平家が陣を構える一ノ谷の裏へ出ることになる。

 この時下で陣を張っていた平家は、切り立つ崖下ということで安心しきってしまい、後ろの守りを一切固めていなかった。

 これを見た義経は、崖を馬で下っての奇襲という作戦を思いつき、そのまま岩場を馬で爆走して一気に陣へ突入したのである。

 これではさしもの平家もたまらぬ。真後ろの切り立つ崖から敵が真っ逆さまに攻めて来るなぞ、常識的に考えて誰が想像出来ようか。

 この常識外れの奇襲に一ノ谷の軍勢が潰走したことがきっかけとなり、平家側全体に揺さぶりがかかった結果、ついに源氏側は勝利を収めることを得たのだ。

 今回の作戦は、これに着想を得た形になる。

 偶然とはいえせっかく「ディケ」とジェイ謹製の簡易反重力発生装置を持っているのだから、直接本営の中に飛び込み、敵に反重力の洗礼を浴びせて存分にかき回してやろうと考えたわけだ。

「成功の確率が高かったから、こうかっこつけられるだけだよ。最初に銃弾をもろに食らってた日にゃ、その時点でもう駄目だ。こいつに仕込みがあって弾がそらせられて助かった……ヤシロさんにも感謝しないといけないな」

 そう言って、突撃に使った円形の簡易反重力発生装置をもてあそぶ。

 実際のところ、弾の問題は結構冷や冷やものであった。

 次またやりたいかというと、どちらかというとごめんこうむりたい。

「でも誰のおかげであっても、大金星を上げる結果になったのは確かです。連行されてく連中の顔見ていたんですが、途中で見たような顔がいるなと思ったら幹部でした」

 シェリルが頭をぽんぽんとたたきながら言った。ここにデータがあるということだろう。

「……ほんとかよ!?こんなとこに出て来たのか!?」

 暴力団の幹部なぞ、指揮するだけで自分で動くのは相当だと思っていたのでこれは意外だった。

「ええ、若頭がいましたね。人員が足りなくなったのか、それともここを長期に渡り本拠化するつもりで送り込んだのか……泥を吐かせないと分かりませんがね。全く、有力者が討死になんてとこまで、一ノ谷の真似しないでもいいでしょうに」

 正直、三人の逆落としがなければ、この大門町一帯はかなり長い時期に渡って占拠され本拠にされていた可能性があった、とシェリルは言う。

「その間にでもロケット・ランチャーや小型ミサイルとか装備されたら、さすがにこっちももちませんよ。それが未然に食い止められた形になりましたから、実にありがたい話です。民間人の介入におんぶにだっこしたのはまずいですが、ここまでになるとそうも言ってられませんので」

 シェリルがぺこりと頭を下げるのに、三人は恐縮しきっていた。

「それにしてもすさまじい戦いぶりでしたね……被疑者が軒並みずたぼろじゃないですか」

 被疑者を乗せた担架の列を一瞥し、シェリルがこめかみをもみつつ言う。

「しかも禾津さんなんか、極左暴力集団の連中を束でぶちのめしちゃってまあ……。尋常じゃない激昂ぶりでしたよ、あれ。しまいには『水雑炊食らわせてやれ』って叫んでましたでしょう、まさかああ来るとは思わなかったのでみんなびっくりしてましたよ」

「ま、まあ確かにあれはやりすぎと言われれば、正直返す言葉もないが……」

 あきれたようにため息をつくのに、啓一は思わず冷汗をぬぐった。

 その時、いきなりエリナの内蔵通信機に通信が入る。

「エリナです。……マ、マスター!?」

『何をやってるんだ、倉敷さんから聞いたぞ!』

「あ、いえ、その……」

『騒ぎは収まったようだが……何つうことを』

「すみません、見捨てておけなくて」

『気持ちは分かるが、お前自身がどうにかなったらどうするんだ!?』

「いや、その、それは……す、すみません」

 冷汗をかきつつ謝るエリナに、一同はおおよその内容を察した。

 迷子を探して帰って来る途中で、自分から騒乱の場に飛び込んで鎮圧の手伝いである。

 よく考えずとも、無茶苦茶にもほどがあるというものだ。

「すみません、大庭です。割り込み失礼します」

 ここで、シェリルが通信に割り込みをかける。通常の電話と違い、こういうことが出来るのだ。

『大庭さん!エリナが迷惑をおかけして……』

「いえ、迷惑ではありません。余り大きな声では言えませんが、正直エリナさんのおかげで騒乱が速やかに鎮圧された面もあります。どうぞ、私に免じてこれ以上お叱りにならず……」

『いや叱るというより、ただもう心配で心配で』

 どうやらジェイは、叱ろうと思って通信を飛ばして来たわけではないようである。

『エリナ、あっちみたいによそに手を出してまで戦わないと生きて行けないわけじゃないんだから……ほんとお願いだから心配させないでくれ……』

「ごめんなさい……」

 悄然として、エリナが再び謝った。

 思えば二人が元いた世界は紛争だらけの場所、このように本来関係のない戦いにあえて介入することもあったのかも知れない。

 それだけに、ジェイの口調には切実なものがあった。

『ともかく無事でよかった、それだけだ。……大庭さん、この後はどうなるんですか?』

「それですが、すぐに帰ってもらうわけには行きません。今回、事件の『被害者』であり目撃者という扱いになりますので、一旦事情聴取させていただくことになります。被疑者の取り調べと並行なので、時間がいつになるかというのは……」

『うわ』

 通信の向こうでジェイが思わず言って、口を押さえたような気配がする。

 昨日の逮捕者だけで四百人近くいたのだから、今回は恐らくもっと数がいるはずだ。彼でなくとも、先が思いやられよう。

「すみません、あれだけ深く関わっていますと。それに、エリナさんしか見ていないものもあるので、当方としてはそれも情報としてほしいんです」

『分かりました。……エリナ、疲れているだろうが、充分に協力するように』

「諒解です」

『じゃあ、とりあえず切る。ほんとに無事でよかった……』

 ため息をつくような声とともに、通信が切れた。

「まあ、エリナさん。ヤシロさんは心配されていただけです、余りお気になさらず」

「ありがとうございます」

 シェリルが慰めるのに、エリナは静かに頭を下げる。

「今の話だと……俺たちも来ないといかんよな?」

「ですね。……禾津さんたちは間接的とはいえ、本物の被害者に違いないので余計に。まあ、いずれにせよ悪いようにはしませんので」

 シェリルはそこで大きなため息をついた。

 さすがに事件が大きくなりすぎて、捜査本部長としては頭が痛いというところか。

「すいません、車お願いします……」

 まるでタクシーでも止めるような言い方で手を挙げてパトカーを手配するのに、四人はひどい疲れを見たのだった。



 事件後、国内は前日の事件に続いて大きく震撼した。

 いや、震撼どころではない。天地が引っ繰り返ったかのようなありさまだ。

 さもありなん、二日連続で同じ都市で大規模な騒乱が起きた上、中心部がほぼ焦土になりかかったというのだから、これで動じない方がどうかしている。

 上を下へというのはこのことか、政府の関係省庁はおろか内閣まで動いた。

「このまま放置すれば内乱など深刻な事態に発展する恐れがある」

 この意見で一致した内閣は、翌五日八時に緑ヶ丘市に緊急事態宣言を発令したのである。

 他国の非常事態宣言や戒厳令のように強制力はないが、今回ばかりは本格的に命に関わりかねないということで市民も自分から従っている状態だ。

 ほぼ同時に緑ヶ丘市当局も緊急事態宣言を発令し、政府と連携してさらなる市民の保護や治安の維持に努め始めている。

 連邦警察も機動隊と特殊部隊のさらなる増派を決定し、過去最大規模での展開を開始した。

 防衛省は初の市民保護・治安維持目的での派遣となることから、当座は警察にまかせ様子を見ると慎重な見解を示したが、それは表向きで準備を進めているのではないかとの噂が流れている。

 とにかく、緑ヶ丘はもはや「戦場一歩手前」という認識で一致していた。

「朝起きたらこれか……もっとも、当然というべきだが」

 ヤシロ家のリビングで、啓一はテレビと新聞を前にぐったりとした声で言う。

 昨日事情聴取を終え深更に帰って来た四人は、飯もそこそこにベッドへ倒れ込んだ。

 そして起きてみたらこのありさまである。予想出来たとはいえ、さすがに現実に見るとすさまじいものがあった。

「そこに来て、今度は連邦警察がほぞ固めましたと。大丈夫かねこれ?」

 さらに、この状況に横からさらなる衝撃を加えたのが連邦警察の記者会見である。

 かねてから発表しあぐねていた人体改造事件の一件を、「捜査中」として正式に発表したのだ。

 同時に事件名は「緑ヶ丘女性連続拉致改造事件」と改称され、連邦初の「連邦警察非常事態事件一号」の指定を受けることになったのである。

 国民はみな人体改造が下手すれば即極刑ものの重罪と知っているだけに、顔面蒼白となった。

 また犠牲者となったヒカリのリスナーは余りのことにパニックを通り越してしまい、一体どうしたらいいのか分からないと訴える始末である。

「これ公表の判断にシェリル関わってるよな、捜査本部長だし。何やかやと引き延ばしてたの、後で変な形で外部に伝わって妙なことになんなきゃいいが」

 まだ二ヶ月とはいえ、もはや知り合いというより友人というところまでの関係になっているだけに、その辺りも気にかかってならぬ。

「まああの子だし、うまくやるわよ」

 つき合いが長いだけに、サツキはその辺は心配していないらしい。

「何だかんだ言っていろいろと信頼あるよな、刑事殿」

 これは百枝であった。

 本来なら自宅である植月神社にいるところなのだが、情報交換ということで招かれたのである。

「それより、事件が扱いきれるのかってくらい大きくなってる方がよっぽど問題よ。やれ騒乱だ内乱だって口で言っても実感湧かなかったけど、今回ので心底恐怖したわ」

 昨日の騒乱事件は、区域が広かったこともあり桜通の騒乱をはるかに凌駕する規模となった。

 警察発表によると、参加者は周防通で五百二十人から五百五十人、大門町で百五十人から百七十人となり、計六百七十人から七百二十人ほど。

 うち逮捕者は周防通で四百三十一人、大門町周辺で百三人の計五百三十四人。

 人的被害は死者が十四人、うち殉職者三人。重軽傷者が二百五十一人。

 こればかりでなく、今回は放火が相次ぐなどしたこともあり物的被害も凄絶だ。

 家屋被害が周防通で八十五棟、うち火災による全焼二十三棟と半焼二十五棟、暴徒の破壊行為による硝子窓などの被害三十七棟。大門町で破壊行為により被害五十一棟。計百三十六棟である。

 電信柱五十七本と街燈二十八本が損壊、電信柱が一本ずつ折損と倒壊。周防通で電線が火災により大規模に焼け、大門町で電信柱の倒壊により電線が切断したため、北部はほぼ全域で停電している。

 この他、水道管とガス管が被害を受けて周防通周辺で供給停止となっていた。

 幸い住民は避難していたため無事であったが、復旧の目途が立つのか、いや目途などあるのかと疑問になるほどの惨憺たるありさまに、住民はおろか市民も唖然としている。

「ああ、全く!もう何もかも滅茶苦茶じゃないか!特に参加者と逮捕者の数だ、おとついから通算すると参加者だけで最大で延べ千三百人、逮捕者九百人余りだって!?こんなの俺の世界でもなかったことだぞ、さすがにびびるわ!」

 啓一の言う通り我々の世界の日本でもこの規模の暴動はかなり珍しい方に入るし、逮捕者の数がここまで多いものとなると千二百人余りの例が突出してあるだけだ。

「あたしたち地元民にとっちゃ、ぞっとしねえ話だよ。参加したやつらが千三百人って……延べの数とはいえ、それに近い数は確実にいたってことじゃねえか。潜ってるのを考えると多分もっとだろ。どんだけのたまり場になってたんだよ……よくもまああたしら何年も暮らせてたもんだな」

 百枝が言う通り、緑ヶ丘市民はこのおびただしい人数を見て、恐怖を覚え震え上がっている。

 中心部にやくざ破落戸が千数百人、もはや犯罪都市と言っても過言ではないはずだ。

 万一この連中がしのぎの損得勘定を考えずに郊外にも進出していたら、住民は本格的に逃亡せざるを得なくなり、今頃かたぎの者はここにはいなかったかも知れぬ。

「まあ、このために外部から呼ばれたのもいそうですが……」

「そうだとしたって、一時期はそれだけいたってことになるじゃねえか……たまんねえよ」

 いつもの鉄火ぶりも、この事実の前では不発に陥っているようだ。

 そこで啓一は一つ膝を打つと、話を変える。

「ああ、そうだ。昨晩遅くなりすぎたんで言えなかったんですが、今回やつらがこの事件を起こした動機について、それらしいものが見つかったと帰り際にシェリルが教えてくれましてね」

「あれ?今回はきちんとした理由があんのか?」

 百枝が不思議そうな顔をした。

 桜通の一件については、警察やここにいる一同のように松村の存在を知る者にとっては「『悪の組織』を気取るため」という、極めてろくでもない動機で起こされたものだと認識されている。

 知らない者などはもっとで、「動機不明」という扱いだ。これは警察が松村との関係をはっきりさせられないため、公式でそう発表したことも影響しているのだが……。

 今回もそんなものだろうと思っていただけに、実に意外な話である。

「あるんですよ。……サツキさん、説明頼めるかな?」

「いいわよ」

 そう言うとサツキは中心部北部の地図を卓上に展開し、周防通といくつかの通りをタップした。

「倉敷さん、周防通はじめいくつかの通りにある鍵の手、妙だって事件前に言ってましたよね?実はこの鍵の手の内側の緑地、ここが連中の狙いでした」

 事件前の緑地の写真が呼び出される。

 見た感じでは、まさに公園にもならないような茂みでしかなかった。

「実はですね、ここに地上と龍骨を結ぶ通路を掘った穴の跡があるんですよ。この鍵の手も、その場所取りのために作られたようです」

「は?何で街のど真ん中にそんなもん……」

 百枝が、露骨にわけが分からないという顔をする。

 本来龍骨の出入口は両端部か、一般人の立ち入らないような場所に作るのが普通だ。

「それがまるで分からないんですよ。点検口でも作ろうとして計画倒れになり、埋め返した……くらいしか説明がつきませんね」

「何だそりゃ」

 面妖を通り越し、実に奇々怪々な話である。

 わざわざ道を曲げて場所を作ってまでやったのだからどう考えても重大な工事なのに、詳細が分からないとはどういうことだ。

「私も存在自体、シェリルに聞かされるまで知りませんでしたから。第一、手引書にも載っていなかったんですし知るわけもありません」

「関係文書なんかは?市の事業なら残ってるだろうに」

「都市保全部の職員が居残っていたので訊いてみたら、あっちがびっくりしてしまって『大急ぎで探します』だそうですよ。鍵の手のことも言われて初めて気づくありさまで。夜を押しての照会になって申しわけないと思いながらしたのにそれですから、脱力したと言ってました」

「はあ……」

 心底あきれたというように、百枝がため息をついた。

 この分だと、市側も完全に存在を忘れてしまっている。

「こんなもん忘れたらいけないやつだろ、どう考えてもさ」

「本当にそうです。それに、地上も緑地にするだけで光線欺瞞なしとかないです、ないですよ……。普通の工事じゃないんですから」

 サツキがそう言って、頭を思い切り抱えた。

 いくら厳重に埋めていたとしても、屋台骨につながる穴が開いていた場所なのである。見つかれば悪用される危険性があることくらいは分かるはずだ。

「しかし連中、どうやって知ったんだ?公文書が行方不明状態なのに」

「内側から見て変だと思ったとか、そんなところだと思います。通路を作ろうとしたんですから、中にも対応する穴がないといけませんしね」

「それも普通残しておくか?……まあ、地上を残してるくらいだからなあ」

 サツキが図上を指でたたきながら答えるのに、百枝がげんなりとした顔で言う。

「ともかく、連中はここの存在に気づいて、使えるかも知れないから確保しようとしたんじゃないかって話みたいです。一番大きな穴らしいので、真っ先に狙ったのも理屈は通りますしね。どうせ騒いだ連中のほとんどは『よく分からないが上に言われたからやった』でしょうけども」

「それであの大暴動かよ……もう、何と言ったらいいやら」

 百枝をはじめ、一同が頭を抱える。

 これで住居財産を失った市民が、余りにも気の毒すぎだ。

「まあ数年でも臭い飯たっぷり食えば、少しはこりるだろうが……それでも間尺が合わねえな」

 騒乱罪の附和随行者は罰金刑だが、多くの者がそれで想定される以上の罪を一緒に犯している。起訴されて有罪になれば、確実に監獄行きだ。

「あと市の責任者にも詰腹切らせないと肚の虫が収まりませんね。怠慢にもほどがあるでしょう」

「違えねえ。忘れてましたじゃ済まねえよ、これ」

 こんなお粗末で中心部が灰燼に帰したとなれば、それくらいしなければおかしいはずだ。

 このように甚大な被害をもたらした今回の騒乱だが、よかったといえばよかったこともある。

 それは暴動に参加した暴力団関係者や破落戸が前回と合わせ千数百人も逮捕されたことにより、いみじくも市民の悲願であった反社会的勢力撲滅がかなってしまったということだ。

 実際大門町の占拠に乗り出した者の中には、シェリルが見抜いた通り幹部が何人もおり、小さな暴力団はこれだけで潰滅してしまったのである。

 また、外部に本部を持つ暴力団も緑ヶ丘での拠点をほぼ完全に失った。

 連邦警察は、既に緑ヶ丘だけでなく新星や他の都市でも家宅捜索の準備を着々と進めており、もはやこれらの集団はまな板の上の鯉であると言ってよい。

「まあ自業自得だな。部屋の隅で糞漏らしながら震えて待ての一言だ」

 相変わらずえぐい言い方も辞さない百枝に、一同は思わず顔を引きつらせた。

 もっとも散々苦痛を味わわされて来たのだから、これくらい言ってもばちは当たるまい。

「それはともかく、実際のところがさ入れまでにどれだけ解明されんのかね。今の時点で理由が分かってる以上、泥は吐きまくってんだろ?大門町の連中なんか、いろいろ知ってそうだしな」

「それが……困ったことに、肝腎なことほど分かりそうにないんです。特にアジトの場所だけは、何をやっても吐こうとしないそうでして」

 これは啓一であった。

 警察は大門町側の敵が多人数で空地の横から物陰に隠れつつ現われたことから、この周辺にアジトかそれに準ずる施設があるのではないかとにらんでいる。

 何せ最初から数十人規模で出て来た上に追加で極左暴力集団の構成員が湧いたのだから、これはもうどこかに広い隠れ場所を確保していると考えるのが自然だ。

 だが取り調べでその辺りをいくら追及しても、被疑者はみな知らないと答えるか黙秘で応じるかのどちらかで、まるで話にならない。

 今のところ周辺の捜索でほとんど手がかりが見つかっていないだけに、この状況にシェリル含め警察はいたく頭を痛めている状態だ。

「おいおい、刑事殿がいながらそれかよ……どうなってんだ」

「いかなシェリルでも、正式に黙秘権を行使されると強くは出られないそうです」

「変なところでまじめにしやがって……」

 百枝が眉をしかめながら言うが、被疑者の正当な権利である以上仕方もあるまい。

 と、ここで啓一はあごをひとひねりすると、

「……ですがこの状況になったことで、松村本人の逮捕への道筋はつけようと思えばつけられるようになったんですよね」

 天井を軽く見上げて考えるような顔で言い出した。

「え、そんなこと出来るか?証拠採用の話でもめてて無理だって話だったろ」

「真正面から行くのは確かに無理です。ですが、捕まった幹部どもが松村と同じ穴のむじなですからね。利用して搦手で行ける可能性がありますよ」

 このことである。

 今回暴力団幹部がまとまって逮捕されたことにより、警察にとっては所属団体の本部や拠点への家宅捜索が従来より格段にやりやすくなった。

 こうなると家宅捜索によって、かなりの確率で松村とのつながりが明らかになる可能性がある。

 そうなれば騒乱罪の容疑により、松村に無血で縄をかけることが出来るようになるわけだ。

 逮捕したならこちらのもの、人体改造犯罪を「余罪」の扱いで引きずり出して罪状追加、いわゆる「再逮捕」を繰り返し、徹底的に詰みへと追い込むだけである。

「暴力団の連中がどこまで吐くか、証拠を残すかというのはありますが……こればかりは松村のやつだって分からない。さすがのやつも身の危険を多少は感じ始めてるでしょう」

「おいおい、そんなら何でまた幹部まで出させちまったんだ。自爆じゃねえか」

「さあ……細かく指示を出さないで丸投げにしてたんだろうというのが、シェリルの見方でしたね。もうそうじゃないと説明がつかないと」

「……明らかにさじ投げてんな、それ。まあ滅茶苦茶なのは今に限った話じゃねえが」

 百枝が頭が痛いとばかりに、ため息をつきながら言った。

 松村が常識の通じない異常者、用意周到なふりをした間抜けという認識が浸透しつつある今となっては、もうあきれる気も起きない。

「それで、これからどうするつもりなのかしらね?やめるってのは……ないわよねえ」

 そう言って首をかしげるサツキに、啓一は一つ頭をかいた。

「まあ、有り得ないね。まだ私兵が残ってるから充分戦えるし。それに『悪の組織』にこだわって、その首領を気取ってるわけだからさ」

「私兵は分かるけど、首領気取りだからってのはどうして?」

 サツキが、分からないという表情で問う。

「考えてもみなよ。あの手の『悪の組織』がもう勝ち目なしで潰滅が確定になった時、首領が素直に『まいった』と降伏したり、逐電したりすることなんて絶対ないだろ。必ず最後まで悪あがきして、戦いに戦って死ぬのが普通じゃないのか」

「あー……それもそうねえ。有力幹部がやられても本拠地に突入されても、あくまで戦う気満々だもの。それで最後にヒーローと最終決戦やって死ぬのがお約束になってるし」

 記憶の糸をたぐってみたのか、サツキは盆の窪に手をやりながら言った。

「本来はそれっておかしいのよね。降伏したくなかったら、逃げて潜伏する方法だってある。人類なんか目じゃない科学力あるんだし、生きてればいくらでも再起の機会はあるでしょ。卑怯卑劣なこと散々しといて、そこでだけ逃げも隠れもせんとかっこつけられてもねえ」

「あの手の特撮番組や漫画やアニメって、悪玉を完膚なきまでにやっつけて何ぼだからな。だから首領には、あくまでアジトに留まってきっちり戦ってもらわないと困るっつう……。お話の都合ってやつだが、現実的に考えるとおかしいぜ」

 清香と百枝が次々と突っ込む。

「それです。お手本が最後まで戦うから、最後まで戦ってやろうと思ってるでしょう。逆に言うと、戦わずに無血でことが進むなんて邪道くらいに思っててもおかしくないかも」

 こう考えると、このまま邁進する以外の選択肢はないわけだ。

「じゃあ、やっぱり続ける気なのね……。そんなことしても、どのみち待ってるのは破滅なの目に見えてると思うんだけど、それでいいのかしらね」

「さあ、いいんじゃないか?知らんけど」

「知らんけどって……」

「今までが今までだからね。考えるだけ無駄ってやつさ」

 あきれたようにため息をつく啓一に、

「ああもう、どのみち異常者じゃねえか!何がそんなにやつを駆り立てるんだ!?」

 じれたように百枝が頭をぼりぼりかきながら怒鳴る。

 どこまでこの男は妄想に支配されているのか、そう言いたげであった。

「何度でも言いますが、もし分かったなら人として何か大切なものを失いますよ」

 盆の窪に手をやりながら、啓一がばっさり切り捨てる。

 あのような人として最初から何かが欠けてしまっているような人物なぞ、彼に言わせれば、

「そもそも理解してやる道理も筋合もない……」

 というところだ。

「話はおおむね分かったわ。ともかく動くのはもう確定として……いつ動くか分からないのが怖いわよ。今度は本気で来る気でしょうから」

 サツキはそう言い、耳と尻尾を毛羽立たせて身震いする。

 海外の内戦の光景でも想像して、怖気が来てしまったのだろうか。

「ううむ……」

 そこで啓一は、しばらく考え込んだ。

 その時期はいつかというと、さっきの理論にのっとると判断材料は一つしかない。

「さっきも言った通り、やつは戦わずして搦手からやられるという流れをがえんじないはずだ。となると、もし動く場合はその流れを断ち切る方向に行くと思うんだよ。つまり家宅捜索など警察の捜査が致命的なところに及ぶ前に、一気に潰しにかかるんじゃないかとね」

「………!」

「待てよ、それってやばくねえか!?直近も有り得るってことじゃねえか!」

 サツキが絶句するのに続き、百枝が叫ぶ。

 しかし啓一は押しとどめるように手のひらを向け、

「有り得ますが、にわかには断言出来ません」

 あくまで冷静に答えた。

「間を空ける可能性もあるんですよ。警察の出方を見るため情報収集を行うなどして」

「ああ、なるほどな。……ってか、むしろそっちの方があるか?」

「そうですね、やることの大きさを考えると」

 異常者で行動も行き当りばったりの印象が強いため忘れがちになるが、さすがにここまでの計画を実行しようというのに全く情報収集をしないなぞというのは有り得ない。

 むしろ今回に関しては、ことが内乱という統治機構の破壊を目指す行為であるため、かなり大量に情報を集めないと行動に移せない可能性があった。

「私兵の構成員が、そういう『情報』を重視する集団とみられるのも根拠ですね。元軍人なんかそうでしょう、すぐそばで情報収集と分析が日常的に行われてたんですから。極左暴力集団も方向性は違いますが、そういった情報重視で動いている集団なのには違いありません」

「それはそれで厄介だな」

「でも、警察もやられる覚悟で動いてると思いますよ。第一もう、ここは既に戦場のようなものじゃないですか」

 サツキが横合いから、厳しい顔でつけ加える。

 もはや昨日の騒乱の時点で、既に戦いの火蓋は切られているようなものなのだ。

「……ただここまで来てしまうと憶測の域になりますから、何か他に意見がほしいところですね」

「刑事殿の見解を聞きたいが、今修羅場も修羅場、大修羅場なんだよな。当然電話もかけられないし、あっちからも当分かかって来そうにねえ」

 大きなため息をつくと、百枝はソファーに深く座り込んだ。

「こうやってあれこれ推測をめぐらせても、仕方ないですよ。そろそろ時間も時間ですし、お昼の用意しますから……倉敷さんもどうぞ」

「すまねえ、いただくよ。もういろいろありすぎて、家事に身が入んねえんだ。参道下の店も避難で休みだしさ……ああ、やけ酒して寝たら全部夢だったりしねえかな」

 清香の言葉にそう言って百枝が天をあおぐのを、一同はただ沈痛な気分で見ているしかなかった。

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