二十 騒乱

 それから一時間後。

 植月町から桜通へ降りる坂道の戸場口に、ほうきを持った百枝の姿があった。

「おいおい、あんなんして大丈夫なのかな」

「本人が言って聞かないんじゃ、どうにもこうにも……」

 そこから百メートルほど手前で、啓一とサツキがそうひそひそと話をしている。

 あれから……。

 シェリルが去った後、一同解散となってそれぞれの居場所へ戻ることになった。

 もし啓一の予想が当たっていたなら、当然桜通や隣接する通りは大騒ぎとなるし、植月町にも何らかの影響が及ぶ可能性が高い。

 本来なら自主的にこもっておくところなのだが、ここで黙らなかったのが百枝だ。

「下で騒ぎになったら、絶対破落戸とかが流れて来るぞ。普段ぶちのめしまくってるあたしが、ここでやらんでどうすんだい。大丈夫だ、匕首あいくちくらいなら防げる」

 そう言って自らほうきを抱えて出て行ったのである。

 さすがに今回はいつもと勝手が違いすぎるため全員で止めたのだが、聞くものではなかった。

「せめて銃弾避けのバリアを張るものだけは……」

 そう言ってジェイが小型バリア発生機を渡して行かせることにしたものの、見ていないわけにも行かないと必然的に全員ついて来ることになってしまい、離れた場所ではらはらと見守っている。

 いや、それも実は正確ではなかった。

「……大庭さん、どうしても駄目なんですか」

『いいですか、エリナさん。軍隊のような組織ではないとはいえ、相手は何らかの形で武装してるんですよ?身の安全が保証出来ません』

「……どうしても危ない時に入るのは」

『駄目です!』

 先ほどから、横でエリナが内蔵通信機でシェリルともめている。

 元戦闘用だからと、いざという時に出動したいと申し入れたのだ。

「もういい加減にしなさい。大庭さんを困らせちゃいけない」

 見かねたか、ジェイが後ろから割り込む。

「マスター、では眼の前で街の公安が攪乱されているのを見逃せと?」

「いや、そういうんじゃなくてな……」

 エリナの眼の色が、今まで見たことのない色を帯びていた。

 この街を何としても守りたい、そのような強い意志の宿った眼である。

 最初これを言い出した時は、一同も相当に驚いた。

 エリナにとって過去に戦闘用サイボーグだったことは、余り思い出したくない話なのではないかと考えていたからである。

 だが彼女には、元の世界で自分の力を使ってジェイの活動を補助していたという事実があった。しかもそのために本来持つ力を存分に発揮出来るよう訓練して伎倆うでを磨き上げ、さらには躰そのものを何度か再強化すらしていたというのである。

 つまりこちらに来る前に、既に元戦闘用たることを充分に受け容れ活用していたわけだ。

「人命や財物を守るためなら、人を支えるためなら自分の戦闘能力を活用するのも辞さない」

 それを今やポリシーとしていると言われては、黙るしかない。

 しかし、この世界ではあくまで一介の民間人なのだ。シェリルとしてもジェイとしても、いくら能力があっても介入をがえんずることは出来ない。

「大庭さん、こっちで何とか言い聞かせますので……そっちの仕事を進めてください」

『分かりました。……エリナさん、絶対に駄目ですよ!』

「前ふりとして受け取っておきます」

 そう強気に言い返すエリナに、とうとうがっくりとジェイがうなだれた。

(どうやって止めたものか……)

 完全にそう言いたげである。

「……エリナさんって、あんな強情だったか?」

「いや、違うと思うんだけど……うん」

 こちらの二人も、「推し」の豹変ぶりに驚いて飲まれた形になっていた。

 そう言いつつ下の方へ眼を凝らすと、ちらりとシェリルの姿が見える。

 一同は知らぬことであったが、あれから捜査本部に戻ったシェリルが件の暗号の話をしてみたところ、意外にもあっさりと受け容れられてしまった。

 何と過去に極左暴力集団が似たような手法を使ったことがあるという事実が、警備部の刑事の証言で明らかになったのである。

 暴力団が使用したこととモールス信号に着目したことは新しいと驚いていたが、これで暗号を信じるか否かという最大の問題は一気に解決した。

 ただし、さすがに急とあって増派は間に合っていない。相手に気づかれないようにじりじりと増やさないといけないのも足かせになっていた。

 これから大規模な蜂起が起こる可能性があるというのに、完全な迎撃体制が整っているとは言い切れないのが実にもどかしい。

 だが、次第にそう言っていられなくなって来た。

「十四時まで、あと五分か。……当たるなよ、後生だから」

 ジェイがそれを聞いて、開けている場所に小型バリア発生装置で防弾用のバリアを張る。

 もはや一同もよほどのことがない限りは、ここから動くまいと肚をくくっていた。

「あと三分」

 ひるがりの商店街に、緊張の糸が張りつめる。

「五十九、五十八、五十七……」

 十三時五十九分を指したところで、思わず啓一はカウントダウンを始めた。

 眼下で、刑事たちがじりじりと動き始めるのが見える。

「十、九、八、七、六……」

 南無三とばかりに数える声が、ついに十を切った。

「三、二、一、〇!」

 叫ぶように言うや、首を伸ばして下を見る。

「……外れたか?」

 祈るように言うのに、一同が固唾を飲んだ時だ。

 わあッ、といきなり桜通の真ん中から大声が上がり、大量の男たちが湧いて出て来たものである。

「……くそッ、当たりやがった!!」

 地団駄を踏み、吐き棄てるように啓一が言う。

 連邦暦一六二年十一月三日十四時〇分、奸賊・一新興国産業との戦いの幕が、事実上切って落とされた瞬間であった。



「……来ました!総員配置ついてください!!」

 通りの先に暴徒が湧いたのを見るや、シェリルが鋭く命令する。

 子供っぽい声は変わらないが、有無を言わさぬ気魄があった。

「やはり当たっていましたか」

「警視、下がってください!」

 船内で一緒だった落合刑事が、前線に急いで近づこうとするシェリルを見てとっさに制止する。

「出て来る、出て来る……数多いですねえ」

「そうです!ですから下がってください!!」

 やはりあの時同乗していた弓削刑事が横から言った。

「いえいえ、ますますこれは下がれませんよ。今の手勢で手こずったら大変です」

「お気持ちは分かりますが……!後生ですから下がってください!」

「……大庭がやらねば誰がやる!!」

 シェリルは落合の言葉を無視してそう啖呵を切るや、一気に助走をつけて現場へ駆け込む。

「あッ!!」

「うわあ……あれ大変なことになるわよ!だから止めたのに!」

 落合が固まるのに、弓削が頭を抱えた。

「……ああ、大変なことになるね。敵方が」

「加減してくれと言っても聞かないんだから」

「それより被疑者を回収して回る手間を考えないと……」

「そこは周囲の人に適宜やってもらうしかないわね」

 二人の発言に、すぐそばにいた市警の刑事がぎょっとする。

「ど、どういうことですか……?」

「見てれば分かりますよ」

「出っ食わしたやつらは、ほぼ詰みよね……とと!私たちも動かないと!!近隣の通りの救援に入りましょ!落合さんは敷島しきしまどおりへ!私は朝日通に入るから!」

 上司が飛び込んで部下が出ないわけに行かぬとばかりに、二人はろくに答えずすっ飛んで行った。

 それを尻目に、シェリルは一路桜通を走り出す。

 通りは、暴徒と警察があちこちで攻防を繰り返し混乱を極めていた。

「これはひどいですね。武装蜂起というよりただの暴動です」

 敵は適当に徒党を組んで手当たり次第暴れているだけで、秩序というものがない。

 しかも暴力団とは関係のなさそうなはぐれの破落戸が、そそのかされて附和随行しているようだ。

 こうなるとただ便乗して暴れている者もいる可能性があり、いろいろな意味で実に始末が悪い。

「よし、ここは漏れて来たやつらをさばきましょうか……!」

 ひとりごち、通りの真ん中で一旦立ち止まった。

 見とがめる者はいない。必死なのもあるが、このような現場へシェリルが飛び込んで来るのは日常茶飯事であるからだ。

 もっともそれ以上の理由があるのだが、ここでは一旦置こう。

「くそッ、兄貴が……って、あん?何でがきがこんなところに?」

 どうやら誰かの舎弟らしき三下が、警官隊を振り切って飛んで来た。

 この修羅場の中でいきなり場違いな少女が現われたのに驚いたようだが、そんなことを気にしている場合ではないとばかりに手を上げる。

「邪魔だど……」

 その言葉を言い切る前に、どこをどうされたのか、すれ違いざまにどおっと三下が倒れ沈黙した。

「まず一人!……処理頼みます!」

 後ろにいた警官に三下の処理を頼み、警官隊の動きを観察して素早く動く。

「ほら出て来た!えいッ!」

 敵と確認するや、ものも言わせず拳をみぞおちに突き込み打ち倒した。

 兇器は持っていない。ステゴロで暴れていたのだろうが、いいだ。

「二人!……三人!四人!」

 いい歳をした大人が、見た目中学生の少女の前で抵抗も出来ずばたばたと倒れて行く。

「こ、この野郎!」

 五人目は匕首でかかって来たが、手刀で得物をあっけなく飛ばされ背負投げを食らった。

「五人!『野郎』はお門違いです!……とか言ってたら六人!」

 今度は、胃液をたばしらせながらうまく警官たちの方に飛ぶ。彼らの方もぱぱっと処理した。

 もうお分かりかと思うが、シェリルが堂々と現場に立ち入れる最大の理由は、躰に似合わないこの異様な強さである。

 今回の事件ではハッキングや通信といった情報面で八面六臂の常識外れな活躍をしているが、実はこんなところでもいんちきじみたことが出来るのだ。

 これに青くなったのが、同じく警官隊の網から逃げおおせた連中である。

 さもありなん、十分もしないうちに六人、それも刃物持ちまで徒手空拳で葬られたのだ。

「な、何なんだあのがき……」

「……お、お前行け!」

「いやお前が行けよ、俺より強いだろ」

 おびえた小悪党の典型のようなせりふを吐いて押しつけ合う。

「……まあ、まずこれくらい一気に潰せばかかって来ないでしょうね」

「て、てめえ、大人をなめてんじゃねえぞ!!」

 煽るような言い方に激昂したか、一人がナイフで突かんとすっ飛んで来た。

(行ける!)

 棒立ちとなっているのにそう思ってかかったようだが、刃がシェリルの脇腹をとらえた瞬間、がつんという岩でも突いたかと思う音とともに、ナイフが根元から破断する。

「ああ、その程度じゃ通らないです……よっ!」

 これも、柄とともにあっさりと無様に地面へ伏した。

「何やってやがる、腰抜けども!!」

 どこで見ていたのか、見かねたとばかりに先の脇道から警官を蹴転がして男が飛び出して来る。

「大丈夫か!?」

「何とか無事だ!くそ、油断したッ!!」

「……二丁目中ほどより拳銃を携帯した者一名、本通方向へ逃走!至急対処願います!」

 路地の中から複数人の警官が叫ぶ声と、助けを呼ぶ無線が聞こえるところを見ると、相手の銃撃を受けて突破されてしまったようだ。

「さっき銃声らしき音がしたと思ったら、あそこでしたか」

 恐らく相手が拳銃を隠しているのに気づかないまま近づき、唐突に銃撃を受けたのだろう。

 ただし雰囲気からするにかなりのだれのようなので、対処した警官を責めるのは酷だ。

「このちんちくりんが、鉛玉ならどうだ!」

 そう言いつつ、男は銃を構える。

 男もシェリルが人間ではない、つまりアンドロイドだということは分かったようだ。

 種族の特性上、頑丈なのがアンドロイドの特徴である。しかも中学生ほどの体格で男を何人も屠ったという時点で、戦闘能力自体もかなり高いはずだ。

 しかし、飛び道具ならどうか。さすがに風穴が開くのではないか……。

「あ、自分から来たんですか……狭いとこ掃除するの大変だからよかったですよ。仲間内でけが人が増えるのも困りますしね」

 一方、シェリルは涼しい顔でため息をついてみせる。

「このッ、くたばれ!!」

 その悠然とした態度に神経を逆なでされた男は、そのまま銃を連射した。

 通常なら一人に対して、しかも拳銃で一気に撃つような弾数ではないが、頭に血が上りすぎてすっかり忘れている。

 しかし男の怒りがこもった弾は、

ッ!ッ!ッ!」

 シェリルの気合声とともに失速して虚しく落ちた。

 ついでに、落とし切れなかった銃弾まで空中でつかみ取られる始末である。

「……へ?」

 何が起きたか分からず立ち尽くす男の前で、シェリルの右手からぱらり、と銃弾が落ちた。

「困りますね、私は蚊や蠅を退治しに来たんじゃないんですよ」

「うわあッ……ば、化け物め!このッ、このッ!」

 紙のような顔色となって銃を向けるが、既に弾切れで役に立たない。

「退治に来たのは……ごきぶりですッ!!」

 一気にシェリルに追いすがられ、その場で道にたたきつけられて鎮圧された。

「八人!九人目来ますか?」

「わああッ……!!」

 その言葉を聞いた瞬間、周囲の暴徒たちが我先にと逃げ出す。

 ここまで来ればシェリルが手を出す前に、警官たちが続々と取り押さえて行くだけだ。

 さっと内蔵通信機で無線を飛ばしてみると、幸い先ほど銃撃を受けた者は無事らしい。

 とりあえず横道を固めるよう指示し、シェリルは前後左右を再度確認して走り出した。

「お、おい……」

 この一部始終をバリア越しに見ていた崖上の一同が、呆然としてしまったのは言うまでもない。

「……出る必要、なかったですね」

 殊に途中で「助けに出る」と言い出したエリナなぞは、欄干おばしまに妙な体勢で足をかけた状態のまま固まっていた。

 さもありなん、小さな躰のどこから出るのかと思うほどの力と超人的な技をいかんなく発揮し、自分よりはるかに大きい暴徒を八人一気に鎧袖一触で鎮圧してしまったのである。

「……もうありゃずるだ。銃弾はたき落としたりつかんだりとか、ないだろ」

「ああいう子なのよ……」

 啓一があきれたように言うのに、サツキが黙って首を振りながら言った。

「まあ、あっちも大概ずるだと思うけどな……」

 そう言って啓一が眼を向けた先では、百枝がこちらに逃げて来る暴徒を撃退している。

「うら!おら!どりゃあ!」

 男顔負けの声を上げながら、百枝はえげつない勢いでほうきを振り回していた。

 いや、もはやあれは素人の域を超えて、いっぱしの武闘家が戦っているのと変わらない。

 シェリルが通りの北側で男たちを潰しにかかっている頃、こちらでは警官隊をすり抜けた暴徒が坂に侵入し始めていた。

 こっそり脇道を使って植月町に上がってしまえば逃げ切れると思ったのだろうが、ここで百枝が待ち受けていたのである。

 百枝を知っている破落戸連中は彼女を認めるやかちんと固まってしまい、直後きびすを返して大急ぎで桜通へ戻ろうとし始めた。

「馬鹿かてめえら!!何で巫女風情に逃げてんだ!!」

 しかし普段ここに来ない暴力団員などには、逃げに入った連中の行動が理解出来ぬ。

 いくら堂々と構えていたところでごく普通の竹ぼうき一本持っただけの巫女、何するものぞ。

「や、やめておいた方がいいですよ!あの女は特別ですよ!!」

「何言ってやがんだ、頭いかれてんのか!もういい、俺が行く!!」

 止めるのも聞かず、早速一人飛び出して行った。

「来た!……おらあッ!!」

 百枝は一歩も引かず、跳び上がってほうきの先で思い切り顔を引っぱたく。

「がはッ……」

 ただでさえ先まで固い竹ぼうきを、素晴らしい跳躍力で斜め上からたたきつけられて平気でいられる者はいないはずだ。

 その場で一撃も出来ず倒れる男に、どよめきが広がる。

「次!」

 まるで稽古でもつけるように叫ぶ百枝に、しゃにむに匕首を持った男が飛びかかって来た。

「おっと危ねえもんを!……おらよっと!!」

 これもすぐに手首を打たれて得物をはたき落とされたかと思うと、ほうきの柄でみぞおちをえぐられて撃沈する。

 頭の上でくるりとほうきを回転させる姿は、完全にアクション映画のそれだ。

 とうとうやけくそになって集団で襲いかかって来るのにも、

「どれ!こら!どっせい!!」

 頭から横っ面からぼこぼこに打ちのめし、最後はみぞおちでペーヴメントと接吻させる。

 この猛然たる反撃で、坂の中ほどまであっという間に死屍累々だ。

 その後も何人か襲いかかっては返り討ち、飛びかかっては吹き飛びの繰り返しである。

 何人倒されたかは詳しく分からないが、シェリルと同じかそれ以上に星を稼いだようだ。

「だ、だからやめとけって言ったのに……わあッ!」

 へっぴり腰でじりじりと下がり始めた生き残りが後ろに見たのは、鎮圧を終えた警官たちである。

 しかも機動隊だ。前門の虎、後門の狼という状態に、あっけなく男たちは投降する。

「お、お巡りさん……助けてくれ、助けてくれ……」

 中には漫画のように、本来敵のはずの警官に助けを求める者まで現れる始末だ。

「普段からあんなことしてたのか……。そりゃトラウマになるわ。というより、あれってどう見てもそこらで売ってる竹ぼうきのはずだよな?」

 汗をたらりと流しながら、啓一がつぶやく。

 ほうき一本で杖術まがいの技を繰り出し、しかももの怖じせずに容赦なく的確に急所を打って来るのだ。どんな気性の荒い男でも、ごめんこうむりたいはずである。

「ちょっとあなた、何やってるんですか!私たちが入りますからまかせてください!!」

 ややあって増援らしき市警の警官隊が到着し、百枝は撤退させられた。

「ちぇッ、もう少し倒したかったのに。まあ、さすがに銃持ち出されたら困るからなあ。バリアあるって言われても怖いっちゃ怖いし」

 こっちに戻って来つつ愚痴る百枝に、

「いや、そういう問題じゃない気がしますよ……」

 顔をひくつかせながら、啓一はかろうじて突っ込むことしか出来ない。

 シェリルといい百枝といい、ここへ来て想像の上を行く戦闘力を持つ者が二人も出ようとは……。

 さらに修羅道じみた世界で本物の戦闘用だったエリナがいるのだから、もしまかり間違って彼女が出ることになってしまえば、恐ろしいことになる予感しかない。

「しかし、さすがに避難する人が増えて来たな……」

 それもそのはずだ。いくら高い崖で地理的に断絶しているとはいえ、さっきのように下から暴徒が流れて来ないとは限らないのである。

 そのため警察官が現れると、

「そこのみなさんも避難してください、危険ですよ!」

 当然ながら、こう言われてしまうわけだ。

 陰にいたせいもあったのだろうが、むしろ今まで言われなかったこと自体が不思議なほどである。

 だがそれを聞いた瞬間、エリナが後ろを振り向き、

「何でしょうか?私たちは平気ですので、お構いなく」

 ゆっくりと、しかしのきいた声で言った。

「………!?」

 その姿を見た途端、警察官が驚いて腰を抜かす。

 エリナはただ振り向いたのではなく、『エクソシスト』よろしく首を真後ろに回していたのだ。

 しかもそれで笑っていない眼でにっこりとほほえんでいるのだから、本家よりもある意味怖い。

「わ、分かりました、分かりました、出来るだけ早く避難してくださいね……」

 すっかり警察官はトーン・ダウンして、逃げるように去って行ってしまった。

「……俺は何も見なかった、見なかったぞ」

「奇遇ね、私も何も見なかったわ」

 啓一とサツキが、冷汗を流しつつそう言い合う。

 ジェイを除く他の面々も同じらしく、ものこそ言わないが必死で眼をそらしていた。

 横でぐるりと首を元に戻す音と、ジェイが叱る声が聞こえるが、それも聞かなかったふりをする。

 もっとも一同としてはここから動かぬと定めているため、この方が都合がいいのだが。

 話を元へ戻そう。

 十五時になっても、暴徒の勢いは思ったほど衰えなかった。

 とにかく、問題は数である。潰されても湧き、潰されても湧きを繰り返すのだ。

 シェリルが鎮圧した地点までは完全に固めたが、そこから先がなかなかどうして進まない。

「こりゃもう総力戦ですね、敵さんは……」

 正直なところ、そう考えないと無理がある人数だ。

 これで隊伍を組んで押し寄せて来て、機動隊と真っ向から押し合いへし合いになっているわけではないのだからたまらない。

 ゲリラ的に数人で飛び出して来ては暴れ、鎮圧するとまたあっちで暴れの繰り返しだ。店の店主や店員などの中にも、附和随行して襲いかかって来た者もある。

 隣の敷島通や朝日通では、桜通から流れて来た暴徒の鎮圧に手間取っているようだ。

「全く、次から次へ……と!目的は何なんですか……ねッ!!」

 軽々と二人鎮圧しながら、迷惑そうに言う。

 恐らく明確な目的があるのは、総元締である松村くらいだ。

 先にも述べた通り、本番前に騒乱を起こすという「悪の組織」としての「様式美」を貫きたい、そんな馬鹿馬鹿しいことを考えていると思われるからである。

 これに対し、この暴徒たちには目的がまるでないのは明らかだ。

 そもそも、彼らに騒乱を起こす理由がない。確かに警察とは敵対しているが、こんな衝突に至るほどの緊張関係はなかった。

 逮捕者を締め上げて理由を吐かせても言いそうなことは、金がもらえるからやった、上からの指示だ、鬱憤晴らしにやった、そんなつまらない話なのが目に見えている。

「もしそうなら馬鹿……よいしょっと!ですね!!」

 出食わした男を大外刈で一人鎮圧する。拳銃を所持していたため、潰さないと危険だ。

 動機は馬鹿でも、武装の方は比較的本気である者が割といる。三下や破落戸はステゴロが多いが、木刀や棒、匕首やナイフや日本刀、拳銃などを使う者が数十人単位で認められていた。

 小銃や機関銃、手榴弾や火焔瓶など殺傷力の高い武器も想定したが、今のところそのようなものは出て来ていないのが救いである。

「ただ騒げればいいってんでしょうか。でもさっきから動いてる連中には、きちんとしたまとめ役がいる可能性がありますね……」

 周囲の鎮圧が済んだところで、シェリルは左右を見渡し観察を始めた。

 実は、先ほどから一部統率の取れた動きをする者たちが現われている。

 七丁目まである通りのうち、四丁目の途中までを鎮圧した辺りで急に現れた連中だ。

(これは、ある意味中枢部隊のようなものでは……?)

 そうにらんだシェリルは、自分の機能を最大限使用して指揮者がいないか探し始める。

 しかし、人波が余りにひどくどうにも見つからぬ。

 その時四丁目を越えようとした辺りから、いきなり機動隊が押され始めた。

「くそッ、こんな時に違法駐車しやがって!」

「いやこりゃわざとだ!!立往生してる車も!!」

「あれもか!!運転手案じて損した!!」

 どうやら敵は端といわず真ん中といわず何台も車を止め、道をふさぐ作戦に出ているらしい。

 その間をぬっての大混戦となり、なかなか鎮圧出来ずに捕り逃がしも増えているようだ。

「やっぱり、ここらのは最初から考えて動いてますね……あッ」

 その瞬間、シェリルの眼に妙な動きをする男の姿が飛び込んで来た。

 聴覚増幅装置を使って半ば無理矢理言葉を聞くと、指示のような声が聞こえて来る。

「あいつですか。頭目を潰せば総崩れになる可能性が!」

 かっと眼を見開くと、

「大庭です!主導者とおぼしき者の鎮圧に入ります!」

 叫ぶや、これもまた素晴らしい跳躍で機動隊を飛び越し車の屋根に着地した。

 拳銃を持つ連中にはいい的であるが、この弾も半分以上はたき落とす。

「あのですね、私は蠅取り紙じゃないんですよ!」

 うんざりしたように怒鳴ると、つかんだ弾を左右に節分の豆のごとく投げつけた。

 想定外のことに撃った側が動揺し、動きが乱れすきが出来たところで、ようやく鎮圧が再開されて行く。この効果を狙っていたところもあった。

「待て、がき!俺が相手だ!」

「おや、誘い出されて来ましたか。あなたがこの連中の頭目で?」

 向かいの車の屋根に、先ほど目をつけた男がひょいと登って来て対峙する。

「トップっちゃトップだ」

「そうですか。突然ながら、投降した方が身のためかと。今ならこの美少女警視直々にわっぱかけてもらえる特典つきですよ」

 普段自称しない「美少女」をわざわざ言う辺り、完全に相手を煽っていた。

「自分で言うやつがあるか、馬鹿にしやがって!お前みたいな貧乳のちびいらねえわ!!」

「ひどいこと言いますねえ。……まあ、拒否権はないんですけど」

「この!」

 激昂した男は、いきなり発砲する。

 弾はいわゆるマグナム、さすがにはたき落とせまいと思ったのだが……。

「何てでかいもの撃つんですか、危ないったらありゃしない」

 そう声が響いた瞬間、その場の空気が凍る。

 何とシェリルは、自分の首を外し両手で持ち上げて弾を避けていたのだ。

 弾の方は、何がどうなっているのか外れた胴体側の結合部に鎮座している。

「な、な、なッ、なッ……!?」

 眼を疑うというレヴェルを凌駕した現象に、男は大パニックに陥った。

 猛獣を撃ち殺し、ものによっては戦車すら葬ることもあるという弾を、こんな反則にもほどのあるやり方で避けられればそうもなろう。

「あ、これお返ししますね。持っていてもしょうがないので」

 弾をハイネックの襟に落としつつ首を結合すると、それを手に取り男目がけて投げつけた。

「ひいッ!」

 小さな金属塊を、実弾でも投げられたように男は身をすくませて避ける。

「……お、おい、その刀寄越せ!!」

 銃が効かないと悟るや、ぶんから無理矢理日本刀を奪い取り抜いた。

 そしてこちら側の屋根に飛び移りながら、一気にシェリルへ斬りかかったのである。

 だがシェリルは、

「その時義経少しも騒がず」

 全く動じず、きりりとそう言って右腕で刀を受けたものだ。

「その時義経少しも騒がず」

 再び繰り返しながら、腕を払って男を突き放す。

 腕を斬り飛ばすどころか、服に傷もついていなかった。

「うわ、わ、わ、わああッ!!」

 着地した直後だったこともあって男はそのまま後ろへ転び、

「むうん……」

 元いた車のボンネットの上へ転落してそのままのびてしまう。

「はあ……。そこは碇を持ってですね、『見るべきほどのことは見つ』と言って飛び込むんですよ。頭目の器じゃないですねえ」

 義経の仇敵であるたいらの知盛とももりを引き合いにして、あきれたように言った。

 これに、敵がざわめいたのは言うまでもない。

 やはりこの男がある程度の主導権を握っていたらしく、簡単にのされたのを見てしまったことで動揺が一気に伝播したのだ。

 このすきを逃がす機動隊ではない。とっさに囲い込み、どんどんと追い込んで行く。

 士気を失って落伍する者が出て来る一方、最後のあがきとばかりにボンネットから屋根に登ってシェリルに襲いかかろうとする者も現われた。

「おっと、いけませんね」

 だが、そこでシェリルはひらりと隣の車の屋根へ飛び移る。

 あわてて追い駆けるが、全く追いつかぬ。一人、二人と足を滑らせて落ち、八台飛び移る頃にはすっかり追手はいなくなっていた。

八艘はっそうびならぬ八台飛びですね、これ。……みなさん、敵が崩れて来てます!今なら一気に潰せますよ!」

 南側で格闘していた機動隊員に声をかけ、またしても彼らの頭を飛び越して地面に下りる。

「こっち側も、大体いいようですかね。じゃあちょっと……大庭より弓削、桜通、五丁目から七丁目で鎮圧中、そちら現況報告願います」

『朝日通、今六丁目辺り鎮圧中です。桜通からの逃亡者は止まっています』

「諒解。……大庭より落合、現状報告願います」

『敷島通、ほぼ鎮圧です。五丁目から六丁目で残党狩り、一部度会わたらいどおりに逃亡しましたので追い駆けています』

「諒解。そろそろ私は引っ込んで、元の場所に戻りましょうかね」

 内蔵通信機で弓削と落合に連絡すると、シェリルは再び車の屋根を伝って暴徒ともみ合う機動隊の後ろに飛び下り、何ごともなかったかのようにぱたぱたと走って戻って来た。

「すみませんでした、長いこと空けちゃって。数の割には、存外骨のない連中でしたよ」

「は、はい……」

 そう言って謝るシェリルに対し、市警の刑事はすっかり呆然としている。

 眼の前で起きたことがことごとく余りにも強烈すぎて、とてもではないが信じられないのだ。

 呆然としているのは、崖上の面々も同じである。

「……何だあれ。そりゃああいうギャグ漫画あったけどよ」

 やはり首を抜いて銃弾を避けたのが、かなりの衝撃であった。

 先日サツキが乱心して引き抜こうとしたように、アンドロイドの頭は起動したままで外れる。

 だがそれをこんな場で、しかも自分でやるとは思いもしなかった。

「あれは初めて見るときついわ、私も固まったもの。幼なじみでもちょっとねえ」

「やりますね。私も一応出来ますので、ここは戦法の一つに……」

「怖いことを言わんでください」

 シェリルに張り合うようなことを言うエリナに、啓一はとっさに突っ込んだ。

「しかも『船弁慶』に『平家物語』かよ。あと碇かついで云々は『碇潜いかりかづき』と『義経千本桜』入ってるだろ。いくら好きだからって、あの状況で能に歌舞伎に、さらに元ねたの古典まで出すか?……そんだけ余裕ある証拠なんだろうけどさ」

「確実に勝てるの分かってたから、ついでにおちょくってやろうって感じかしらね。……あれは特殊だけど、普段でも時折ああいうねた繰り出して来る子ではあるのよ」

「三百年も前の二十世紀ねたも分かるみたいだし、あいつの頭は一体どうなってんだ」

「そういうのも好きだからとしか言えないわ。それに、結構普通に通じちゃうし」

「通じるのか!?……この世界はどうなってんだよ」

 筋違橋すじかいばしでの『君の名は』といい、宮子宅での『仮名手本忠臣蔵』といい、我々の世界では今や年輩者か趣味人かしか知らないようなことを、外見中学生ほどの少女が深く愛好しよく知っているというのは非常に奇妙奇天烈なものがある。

 さらに一般に通じるというのも信じがたいものがあるが、古典の知識が乏しいはずのサツキがここに来る前に、歌舞伎の『菅原伝授すがわらでんじゅ習鑑ならいかがみ』のせりふをハルカと一緒に言っていたくらいなので、本当にそうと考えるしかなかった。

「全く刑事殿は……さすがに今度ばっかりは引いたぜ」

「大変な人と一緒にいたんですね……いやはや、山椒は小粒で何とやら」

「首外しはさすがにやりすぎじゃない?まあ、威圧するには一番だけど」

「……みんな何で簡単に済ませてるの!?僕、がちで怖いんだけど!?」

「………」

「わあっ、葵がフリーズしてる!しっかりしろ!」

 そう口々に言う横で、葵が固まっているのに気づき、百枝があわてて肩を揺らす。

 勢いで一緒になってついて来たものの、眼の前の光景が余りに衝撃的でこうなったようだ。

 その衝撃が、主に自分たちの仲間であるシェリルのせいというのが問題だが……。

「……ともかく一部で苦戦が続いているが、これはもうちょっとで終わりだな。立てこもりなどがあれば別だが、もう警察が固めてしまって無理だ」

「同意見です。破れかぶれになって向こう見ずに動くという可能性は捨てきれませんが、それより士気の下がり方が著しく、その前に容易に狩られるでしょう」

「火焔瓶やパイプ爆弾などが出る可能性は、もうなさそうだな。放水車が一応出ているが……」

「そうですね。出ているなら最初から出ているでしょう。これはほとんど突発的な暴動です、そんなもの作る暇はなかったのでは?」

「いくら作るの簡単でも、あればかりは既製品は存在しないからなあ」

 話を無理やり戻す形で、ジェイとエリナが鋭い眼で戦況分析を行った。

 さすがにかつて戦闘が日常だっただけあり、こういうことには一日の長がある。

 二人の分析通り、崖下の暴動は急速に鎮圧されつつあった。

 劣勢を悟り逃亡する者、通りの真ん中で追いつめられて膝を突く者。

 逃げようとして店の扉にしたたかにぶつかったり、階段を転げ落ちたりして自滅する者。

 刀やナイフを振り回すが、筋が滅茶苦茶すぎて兇器を落とされ、ひねり潰される者。

 単独で動いている暴徒は、もはや何もしない方が身のためと思うほどでみじめ極まりない。

『朝日通、鎮圧しました。現在被害状況確認中』

『同じく敷島通、鎮圧しました。被害状況確認中です』

 近隣の二本の通りが片づいた。あとは、桜通だけである。

「どんどん圧縮されて行ってますね、あそこまで行くと武器は使えないでしょう。残りは……そうですね、五十人切ってるようですね」

 アイ・カメラで軽くカウントすると、シェリルは内蔵通信機であるところに無線を飛ばした。

「大庭からSへ」

『こちらS、どうぞ』

「朝日通、敷島通、ともに鎮圧完了。桜通、鎮圧間近。そちら異常ありませんか、どうぞ」

『附近住宅など主要地点見ておりますが、なおも異常ありません、どうぞ』

「大庭、諒解。それでは引き続き警戒願います」

 どこか他の場所を警戒しているらしい。

 こういう騒ぎに乗じ、第二の騒乱が起こるということはよくあるからだ。

「ここに集中していても問題なさそうですね。……とと、これはもうそろそろ」

 無線を切ると、シェリルは腕組みをして遠くの人波をめつける。

 もはや暴徒は崩壊状態、建物に逃げ込んだ者があっけなく御用にされているのが見えた。

 その五分後、並んだぼうじゅんの向こうで誰かが絶望した表情でくずおれるのが見えたかと思うと、

『桜通、鎮圧しました、鎮圧しました』

 早口で無線が飛んで来る。

 十五時五十五分、桜通騒乱鎮圧。実に二時間近い戦いの末であった。

「これ、大変ですね。逮捕者三百人は行きそうです」

「敵味方ともに死傷者の把握をしないと……あちらには勝手にけがしたのもいるので」

 いつの間に戻って来たか、弓削と落合が厳しい顔で言う。

 それを後ろに聞きながら、シェリルは、

「とりあえず終わりましたか……多分、まだ終わらせてくれないでしょうけどね」

 いまいましげに吐き棄てた。



 「緑ヶ丘にて騒乱発生」のニュースは、一気に全国を駆けめぐった。

 そもそも騒乱事件自体が、天ノ川連邦建国以来ほぼ例のない話である。

 我々の世界の日本では戦後集中して多発しているが、これは当時の社会情勢が不安定であったり、極左暴力集団がまだ表で猖獗を極めていたりした状況下での話だ。

 だが、こちらは表面上ではあるが何もないところから降って湧いたのである。社会の震撼すること並々ならぬものがあった。

 既に新聞やテレビなども、これを報道し始めている。

 もっともこの状況なので現場に近寄ることは出来ず、各社は警察や地元メディアの撮影した映像や写真を用いて速報を行うに留まっていた。

「さすがにあれじゃ取材出来たもんじゃねえよな……」

 百枝が何度も同じ映像を繰り返し流すテレビを見ながら、ぽつりとつぶやく。

「まあ今回は事件が事件ですからね、危険すぎますよ」

 そう言うと啓一は、頬杖をついてため息をついた。

 今一同は、ジェイの機転で全員彼の家に一時避難している。

 危険がなさそうな場合は解散の予定であるが、なかなかそうも行かなかった。

「半端ない被害だな、やっぱり」

「そりゃそうよ、さっきのって四百数十人いたんでしょ?」

 サツキが頭が痛いとばかりに、耳ごと頭をわさわさとかく。

 警察発表によると、この騒乱で実際に暴動行為に関与した者は四百六十人から四百八十人余り。

 首謀者は不在で、その代わりに指揮者十人ほどで回していたらしい。シェリルが車の屋根でぶちのめした男は、その中でも一番高い地位にあった者だった。

 逮捕者は三百七十一人を数え、捜査の進捗次第では今後増える可能性もあるという。

 めまいのするほどの多さで、どうやって留置するのか取り調べるのか想像もつかない状況だ。

「とりあえず市警全署の豚箱使っといて、いずれ外に連れ出すんじゃないかな。そういう方法があるかどうかはちょっと分からんけど」

 とは啓一の弁である。さすがにこれだけの大量逮捕は、彼も生で見たことはなかった。

 死者は幸いなく、負傷者は敵味方合わせて六十一人、うち重傷が五人。やれ拳銃だやれ刀だと物騒な兇器が飛び交った割には、奇跡的に少なかった。

 桜通沿道の建物や道は一丁目から七丁目まで軒並みぼろぼろとなり、無事な場所というと一番空港寄りの百メートルほどの空間しかない。

 殊に建物は硝子が割れているのなぞ数知れず、扉は吹っ飛び、シャッターは曲がり、建物の壁はひびが入って一部は崩れ、さらには弾痕に刀傷にと徹底的に蹂躙されていた。

「改めて見るとひでえや。見るからに危なすぎて、やくざ破落戸どもも近寄りたくねえだろうな」

 まあその方がいいわけだが、と百枝は何とも言えぬ表情で言う。

 さらに今回の事件では、棚ぼたではあるが違法営業店の大量摘発に成功した。

 建物に逃げ込んだ暴徒を追った警察官が、追跡の最中に偶然違法営業をしている店を発見、そのまま暴徒と店の関係者を一緒にお縄にするという事例が多発したからである。

 ここまで来ると、もはや何のために騒乱を起こしたのか分からない状態だ。結局、自分たちを掃討して店も摘発してくれと自ら言ったようなものではないか……。

「大庭さんのような人は想定外でしょうけど、どれだけ勝ち目があると思ってたんですかね」

「さあ……本人たちに訊いてみないと分からないだろ。もっとも、そんなこと考えてたのがどれだけいるか怪しいもんだがね」

 エリナのあきれたような言葉に、ジェイがげんなりした声で答える。

 どう考えても特に目的らしい目的もない、騒乱のための騒乱だ。意味のない問いだろう。

「シェリルが通信を飛ばして来ないところを見ると、これ相当な修羅場になってるわねえ。多分、次もどこかで何かやられるだろうという見込みで動いてるだろうし」

「ああ……次がないわけないですもんね」

 清香が茶をすするのに、啓一が渋い顔で答えた。

 松村のことだ、「本番」に入る前に何度か騒乱を起こしてもおかしくあるまい。

「まだ本命の私兵どもは動かさないでしょう、暴力団員だけでも数百人単位で残ってますから……。そいつらでまたかき回して、ってところでしょうか」

「自分の後ろを固める駒が全部消えかねない気がするんだが、それでやつはいいのかね?」

「知らんよ」

 ジェイの問いに、啓一は一言だけ答えた。

 もはや一同の中で、松村は「場当たりの何でもありの人物」という認識になりつつある。

 後先なぞという高等なことを考えていると思うなぞ、もはや笑止と言わんばかりだ。

「ともかく次はいつどこでか、って話になって来るわよね。南部は桜通が鎮圧されてあちこち警察が固めてるでしょうから、騒乱が再度起きるってのはないと思うんだけど」

 サツキが、中心部の地図を見ながら言う。

「北部かしらね。でもここ、反社は事実上捨てた場所のような……」

「捨てたのはしのぎの場としてじゃないか。一番東の大門町が事実上やつらのシマみたいなもんだし、またやらかすだけの環境はそろってる」

 サツキと啓一があれこれと候補を挙げるが、素人予測ではどうにもならぬ。

 その時である。急にサツキのそばで呼出音が鳴った。

『もしもし、サツキちゃん、大丈夫ですか?』

「あっ、シェリル!?あなたこそ大丈夫なの!?」

『大丈夫です。今、主要な被疑者の取り調べを終えて来ましたので。他の有象無象は私がいなくても何とかなります』

「ならいいんだけど……」

『それに、どう考えても数日かかると思われますので』

「四百人近いんじゃねえ」

『そういうことです。……あ、スピーカーにしてください』

 シェリルに言われた通り、サツキは携帯電話をスピーカーにして置く。

『みなさんにちょっとお説教です。何してるんですか、みなさん。あんな危ない現場を見物していたなんて……暴動の現場じゃ、銃の流れ弾とか普通にあるんですよ?特にエリナさん、あなた注意に来た市警の警察官を脅かしたそうじゃないですか』

「……そ、それは」

 痛いところを突かれ、エリナが口ごもった。

『あと、倉敷さんも大いに問題です。いくら腕に覚えがあるとはいえ、鎮圧行為を民間人がするというのは駄目ですよ。しかも命を危険にさらしてまで……。もっと言うと得物が竹ぼうきとはいえ、話に聞く限りほとんど兇器のような扱いだったとか』

「い、いや、ここはやり慣れてるあたしの役目だと思ったからさ、つい力入っちまって……」

『……あの、そもそも普段の追い払い自体、警察が見逃してるから出来てることだっていうのを忘れないでくださいね?』

「ぐッ……」

 百枝がうめいて下を向く。

 シェリルの言葉は、正論以外の何ものでもなかった。

 百枝の暴徒撃退は命を危険にさらしている上に罪に問われかねないものであったし、エリナの首回しも故意に相手の恐怖を狙ってやったのだからどう考えてもほめられたものではない。

 それに一同も二人をきちんと説得せず、ずるずる出て来てしまったということに関しては、責められても仕方ない話だった。

『ともかく、鎮圧は私たちの仕事です。手出しはいけません』

「はい……」

 一同は、しょげ返った声で答える。

『分かればいいです』

 むっつりとした声でシェリルは言った。

 この分だと、次に手を出したらもっときついお叱りを受けてしまうことだろう。

『……まあ、巻き込まれたのを自衛しようとしたなら、仕方ないですけどね。巻き込まれたのなら。命に関わりますしね、巻き込まれたら』

(……ん?)

 そこで啓一は、シェリルの妙な言い回しに気づいた。

「それ……」

『ああ、これから先について簡単な情報だけ差し上げます。現在、うちでは次に騒乱が起こるなら北部とにらんでいます。南部はもう根こそぎ掃討したに近いですからね。軍隊と違って補充のきく連中でもないので、もうここではすぐには動けないでしょう』

 意図を確認しようとした啓一の言葉を遮り、シェリルはまくし立てる。

「や、やはり北部なのね。どこって見立てはあるの?」

 強引に話を進めるのに驚きながら、サツキが訊ねた。

『サツキちゃん、これ以上具体的なことは教えられませんよ?』

 サツキはしまったという顔になる。話の流れからして、教えてくれるわけがなかった。

『……え?何ですか?ちょっとすみません、人が来ましたので。……なるほど、「山口」の可能性が高まって来たと。「S」と「N」どっちになると?……ふむ、「S」ですか。「広島」にも影響が及びそうですね、「A」も引き続き、「BG」も念のため……』

 どうやら部下とでも話しているらしいが、なぜか通話が切れず筒抜けである。

 もっとも内容は暗号じみて、聞いてもにわかには分からないが。

『……すみません、戻り……って、切るの忘れてました!みなさん、今の話は聞かなかったことにしてくださいね。やっちゃいました、解読されたら終わりじゃないですか……』

(……え?)

 またも何やらおかしい。切るのを忘れるほど、切羽つまった状況ではないはずだ。

「なあ……」

『ともかく、こちらからの情報は以上です。まかり間違っても来ないでくださいね?』

「わ、分かった」

『では、会議が入ってますので。失礼します』

 半分押し切るように言って、シェリルは通信を切る。

 さっきから啓一が言葉を発しようとしても、ほとんど無視であった。

「や、やっぱり忙しいみたいだな。いらついてるし、妙なへまはするし……」

 とりあえず啓一はそうまとめるが、どうも全員思うところがあるようである。

 しばし何を言ったものかと黙り込んだが、ややあって、

「……あの、多分あいつの真意、みんな大体分かってますよね?では、一緒に言いましょうか」

 そろそろと言い出した。

 一斉に、全員がうなずく。これはもうあれしかない。

「前ふり!」

 全員の声が、ほぼそろった。

「……あいつ、いいのか?ほんとにいいのか?」

「まあ、シェリルだし……」

 今まで何度したか分からぬあきれ顔に、サツキがあきらめたように言う。

 先にも述べたが、どうにも刑事らしからぬ信頼の得方をしている気がしてならぬ。

「それでは、出番ですね」

「お、おいおい!待ちなさい、それとこれとは話は別……」

 俄然やる気を出したエリナが言うのを、ジェイが止める。

 だが次の瞬間、エリナの眸から光が消えた。

「――その発言は理解しかねます。大庭様より間接的に許可と取れる発言が行われた以上、本機が鎮圧行為を補助することに関しては過度でない限り問題ないと判断します」

「お、おい……」

「――そもそも本機は現在居住する緑ヶ丘市の住民ならびに財物を、不逞の武装集団により蹂躙されることを希望しません。本機の力を用い、掃討する必要があるものと認めます」

「え、ええと……」

「――本機が思考するに、元より敵集団たる反社会的勢力は早期に殲滅すべき存在です。看過することは、社会通念に照らし合わせても許されるべきことではありません」

「わ、分かったから!分かったから、その眼と言葉づかいはやめなさい!」

 余りに堂に入った無感情ぶりに、たまらずジェイが折れる。

 このままでは、要求が通るまでずっとこの状態になったままでいるのも辞さないはずだ。

(やっぱりエリナさん怖いな……)

(首真後ろといい、見ちゃいけないもの連続で見てる気がするわ)

 啓一とサツキが、こそこそとそんなことを話す。

「漫画やアニメで眸の光が消えるって演出あるけど、本当に見ると怖いわね……」

「器用すぎだろ。というか、ヤシロさんのトラウマえぐってるし」

「……アンドロイドってこんなことも出来たんだね」

「……エリナさん、さすがにやりすぎ」

 他の面々も、エリナの強引さと怖さにどん引きになっていた。

「ありがとうございます。あくまで『自衛』のためにのみ戦うので安心してください。あくまで『自衛』のために。いいですね、マスター?」

「あっはい……」

 ジェイが無理矢理に納得させられたところで、啓一が割り込む。

「と、ともかく!これからどうするか考えないと」

「そうだな……。いつ連中が動くかの懸念はあるが、基本数百メートル圈内にみんないるから、一回解散しても問題なさそうとは思う」

「というより、僕は帰るよ。シェリルからまた何か来るかも知れないし」

 これは宮子であった。確かに、これ以上彼女を自宅から引き離しておくと問題がある。

 ハッキングなどの情報戦で斬り込み隊長の立場にある以上、いざという時に動けないと困るのだ。

「じゃあ、そうするか。俺たちも、ホテルでいろいろやらないといけないし」

「そうねえ。いい加減、洗濯物がたまっちゃって」

 啓一たちもそれに乗る。ホテル住まいだと、これが問題なのだ。

「あたしも神社空けとくわけにいかないからな。どうせ隣同士だし」

 こきこきと肩を鳴らしながら、百枝が言う。

「それに、瑞香や神明通の人らが避難して来る可能性があるしよ。とりあえず一回赤駒地区へ逃げたらしいから、ないとは思うんだが」

 実はここへ避難する前、百枝は瑞香に電話をかけて状況確認を行った。

 一応本人も神明通やその周辺の人たちも、川を越えて急いで避難して平気だったが、東郊外には敵城たる一新興国産業の本社があることを忘れてはならない。

「移動する可能性がもしかするとあるかも知れない」

 とほのめかしていたのだ。

「でも危なくて動けないでしょう、街中横断することになりますよ」

「んー、そうでもないんだよな」

「……少し、情報整理してから別れた方がよさそうですね。大庭さんの言っていた、場所を示している暗号のような文句も気にかかりますし」

「あ、それ俺大体分かるわ。多分……」

 そう言って再びテーブルにかじりつく。

 その後ろで、にわかに不吉な風と落葉の音がかすかに聞こえた。

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