十二 深淵

「再びとなりますが、どうぞお座りください」

 謎ばかりが深まる中、一同は再びリビングへと戻ることになった。

「恐れ入ります。……先ほどは、お見苦しいところを」

「いえ、こちらが勝手に勘違いして騒いでしまっただけですので……」

 ジェイの言葉に、居心地悪そうに立ったままでいたセレナが眼をそらす。

「さて……セレナさんについてお話を聞く前に、まずお訊ねしたいことがあります。ヤシロさん、あなたは実はかなり特殊な経歴の持ち主ではありませんか?」

 シェリルの言葉に、ジェイは瞠目した。

「そ、そうです……!ですが、なぜそれを!?」

「あなたが用いたハッキングの手法からそう考えました。あなたの手法は、はっきり言って現在知られている技術では実現不可能です。となりますと、よほど人智の及ばない在野の天才であるか、さもなくば過去にそれだけの技術に触れて学ぶ機会があったかくらいしか考えられません。どちらであったとしても、普通の経歴にはなりようがないでしょう」

 シェリルの言うことも当然である。

 先日ハッキングしたネットワークは、国内有数のハッカーである宮子と職務上ハッキングに慣れたシェリルが組んでも、半日以上もかけないと奥まで入り込めないほど厳重なものだ。

 そんな場所へ一瞬で入り込むという常識外れにもほどのある技術を披露したとあっては、もはやジェイ自身が何かわけありの人物であると考えねば平仄が合わぬ。

 ジェイはこくりとうなずくと、ズボンのポケットを探り、

「なるほど、確かに道理です。まさにその通りでして……。ただそれを説明するためには、まずこれをお見せしないとまずいかと」

 財布から何かカードを取り出して提示する。

 次いでエリナも、脇に置いてあったハンドバッグから同じようなカードを取り出した。

「えッ、これは……『転移証明書』!?」

「そうです。私、そしてエリナは転移者なんです」

 意外な展開に、一同がざわめいたのは言うまでもない。

 しかし何より驚いていたのは、シェリルであった。

「こういうことでしたか……」

「正直、これも見抜かれていたのではないかと思ったんですが、違ったようですね」

「そうです、全く把握していません。確かに転移関連は私たち連邦警察の担当ではありますし、自立までは何かあった時のためにデータを参照出来るようにしてあります。しかしそれ以降はアーカイヴにして、みだりに閲覧出来ないようにしてしまいますので」

「そういうものなんですね……」

「今回はただ事情だけ訊いて不問に付すつもりでいましたので、調べる発想すらありませんでした」

 シェリルは特殊捜査課で三番目の地位に当たる管理官の一人なので、こういったデータベースへのアクセス権限を一応持ってはいる。

 しかし鶏をさばくにいずくんぞ牛刀を用いんと言う通り、この程度のことで行使するには大げさにすぎるし割に合わないというものだ。

「それにこの世界では、人間の方とアンドロイドの方が一緒に暮らしているなんて普通のことですから。あと外国人でも、そのままの名前で帰化している人もいますので……」

 シェリルの言葉に、ジェイは耳の裏をかいて何とも言えない表情となる。

 あれでうまくごまかせているか、彼自身も少々自信がなかったようだ。

「ちょっと待ってください。となると……立場、俺と一緒ですか?」

 啓一がそう言って、自分の「転移証明書」を提示してみせる。

「あなたも転移者でしたか。しかしこれは……座標がまるで違う。さまざまな世界から人がたびたび転移して来るという話は本当だったんですね」

 証明書をひとしきり見ながらそう言うと、ジェイは話に戻った。

「話が脇にそれましたね。この通りですので、元の世界の技術体系はこちらとかなり異なっています。ただ偶然にもこの世界より水準が高い部分がちらほらあるようで……この件でハッキングを試みた際も、どうせ通じるまいと思っていたところ思った以上の威力を発揮してしまったんです」

「使ったら未知の技術だったという按配ですか……。どうにも信じがたいですが、眼の前で見てしまっているので嫌でも信じざるを得ませんね」

 そう言ってシェリルは一つせき払いをすると、居住まいを正す。

「ではそのような事情が分かったところで、核心に入ります。……あなたは、一体どこまで何をご存知なのですか?」

 この質問にジェイはしばらく考えたが、ややあって、

「逆にお訊ねしますが、どこまで把握してますか?」

 注意深い口調で問うて来た。

 これにシェリルは、全てを話して聞かせる。

 あいさやと奈義葵の人体改造実験の件についても、

「本来はまだ捜査本部内でも極秘情報なのですが、明かさないわけには行かないでしょう」

 そう言って分かる範囲のことを話した。

「これら反社の件と一新興国産業の件、そして人体改造実験の件は、互いに強い関係があり一つながりであろうというのがこちらの見解です」

「なるほど、そこまで把握しているんですか。実はこちらもほぼ同じ情報を得ていまして、その結論に達しています。……ただ一つだけ、そちらと違うことがあるのですが」

 含みのある言い方をした後、ジェイは周囲を見渡し、

「……すみません、話を進める前に一つ。みなさんは、こういった話をご存知なんですか?ここにいる上にさして動じてもいないということは、そういうことなんだろうと思うんですが」

 ゆっくりと確認するように問う。

 話が変わったにも関わらず、関係不明の私人をなお留め置いているのを見とがめられたかとシェリルは一瞬つまったが、ここで引くわけにも行かぬ。

「そうです、全員知っています。経緯いきさつを全て話すとややこしくなるので簡潔に言いますが、みなさん英田さんや奈義さんと何らかの関係があるんです。その派生で、いろいろと知ることになったというところですね」

「二人のお知り合いだったんですか、みなさん」

「ええ。英田さんはこちらの真島さんの先輩ですし、そちらのいなさんとも職場が一緒です。また奈義さんは倉敷さんの従姉妹で、林野さんとも幼い頃から面識があります」

 シェリルが一人ずつ手を向けて説明すると、ジェイは眼を見張る。

「真島さん!?あなたがそうでしたか……」

「えッ!?私のことをご存知なんですか!?」

「……ええ、間接的に」

 今日会ったばかりのジェイが自分を知っていたことに、サツキが息を飲んだ。

 それを見るや、ジェイは急に伏し目がちになる。

「……来るべき時が来たということなんでしょうね。それならなおさらさっさと茶番は終えるべきでしょう。このままでの幕引きなんて、出来るわけがないことくらい分かりきっていたんですから」

 そしてまるで自分を落ち着かせるように何度か深い息をつくと、

「ともかく分かりました。……もう役作りはやめて、行くべきところへ行ってあげてください」

 セレナへ静かに語りかけた。

「既にやめているようなものですが、分かりました」

 セレナはそう言って静かにうなずくと、ソファーへ歩み寄り、

「……サツキちゃん。ごめんなさい、騙していて」

 沈痛な声でサツキの顔を見ながらそう言ったものである。

「………!?」

 その瞬間、場が一気に色めき立った。

「あ、あの、セレナ……さん?」

「違うわ、私は英田清香よ。わけあって偽名を名乗っていたの」

 セレナ――いや清香の言葉に、サツキがあわてて立ち上がる。

「そ、そんな!!だってあの時、違うって!!」

「わざと嘘をついたの。……本当なら、すぐにでも正体を明かしたかったわ。でも、出来なかった。あらゆる事情や状況がそれを許さなかったから」

「………!!」

「つらかった。家に戻ってから部屋で泣いたわ。自分を探し回っているだろう後輩とせっかく再会出来たのに、まるで無視して見ず知らずのメイドのふりをするしかない。何て情けないんだって……」

 清香がのどから絞り出すような声で、今にも泣きそうに言った。

 しかしサツキは清香から距離を取るように後じさるや、

「しょ、証拠はどこにあるんですか!?」

 受け容れられないとばかりに、必死の声で問う。

「確かに顔は似ていますけど、先輩の髪はもっと青みがかってますし、眸の色ももう少し暗かったはずです!体格も少し違いますし!第一、先輩は人間であってアンドロイドじゃないんですよ!?」

「サツキちゃん、落ち着いて。あなたも知ってるでしょう、私が人体改造実験の被害に遭ったのは。それだけで、もう人間を辞めさせられてるわけじゃない。それにそこまでいじられたら、何か様子が違ったところでおかしな話じゃないわ」

「そ、それは……!」

 冷静さを欠く余り前提が頭から完全に抜け落ちていたのに気づいたか、サツキがつまった。

「いろいろ疑問はあると思うけど、まずはきちんと説明を聞いてちょうだい。……ただでさえこの躰は『二つ目の躰』で、ややこしい事情を抱えてるんだから」

「えッ……」

 またも飛んで来た爆弾に、サツキは凍りつく。何を言っているのか、さっぱり理解出来なかった。

「……ヤシロさん、を見せなければいけないですよね。口頭での説明が出来るほど、事態が単純じゃありませんし」

「そうですね。……みなさん、英田さんの言うことは本当です。ただそれを証明し説明するためには、まずは彼女の『一つ目の躰』をお見せしてからでなければいけません。大変に驚かれると思いますので、心の準備をお願いいたします」

 ジェイは清香の言葉にゆっくりと言うと、そばの白衣を羽織ったのであった。



「ここです、どうぞ」

 眼の前に現れた部屋の中を見た瞬間、

「………!?」

 清香とエリナ、そしてシェリル以外の一同の顔からさっと血の気が引いた。

 部屋の真ん中に薄っぺらいクッションを敷いたストレッチャーと、その横にいくつもの大きな抽斗ひきだしがついた金属の巨大な棚が鎮座している。

 このような作りの部屋といえば、まず思いつくものがあった。

(霊安室……!)

 これである。ドラマなどで出て来るほか、近親者の看取りに立ち会った読者ならば小規模でもこのような施設を見たことが一度はあるはずだ。

 だが、病院でも葬儀場でもないこの家に、なぜ霊安室があるというのだろうか……。

「では……失礼して」

 ジェイは手術用のゴム手袋をはめると、一つの抽斗の鍵を開いて一気に引き出す。

 その瞬間。

「ええッ……」

 そう叫んだかと思うと、サツキが腰を抜かして床に座り込んだ。

 何とそこにあったのは、バスタオルを巻いた英田清香その人の屍体だったのである。

「こ、こ、こ、こんなことって!!先輩が!!先輩が!!」

 躰をがたがたと震わせながら屍体を指差し後じさると、サツキは、

「そんな馬鹿な!!先輩の躰がどうして……!!」

 屍体と清香とを交互に見ながら錯乱しきった声で言った。

 清香はナノマシンで直接躰を改造されたのだから、屍体が残るわけがない。

 それが別個の存在として眼前に現れたのだから、その驚きは並々ならぬものがあった。

「何が、何がどうなってるの……?あなたは、先輩を名乗るあなたは誰なの!?」

「サツキちゃん、落ち着いて。本当の本当に私が英田清香本人だから」

「嘘をつかないで!じゃあこの屍体は何なのよ!!」

 敬語も忘れて噛みつかんばかりに叫ぶサツキに、清香は、

「それも私なのよ。実は『英田清香』という人物の躰は、現在のところその屍体とこのアンドロイドとして活動してる躰の二つがあるの」

 ゆっくりとなだめるように言う。

「そんな馬鹿なことあるわけないじゃない!私を騙そうったって……!」

「違うの、そんな気はないわ。でもこんな常識外れのもの見て、驚くな疑うなという方が無理な話よね。……とにかく立った方がいいわ、ほら」

「断るわ!寄らないでちょうだい!」

 いまだ錯乱の渦の中から戻らぬサツキを立ち上がらせようとするが、耳と尻尾を逆立てて敵意を丸出しにされた挙句、座り込まれてしまった。

 他の一同も、黙りこくったまままるで怪異を見るかのような眼で清香を見つめている。

 シェリルはその姿を気づかわしげに見やると、

「……どういうことですか。常識的に考えてこれは有り得ないことですよ」

 ジェイに向き直ってゆっくりと問うた。

「それを説明するには、まずはその屍体がいかなるものかということについて説明しなければなりません。百聞は一見にしかず、実際に見ていただいた方がいいでしょう」

 ジェイはそう言うと、屍体をストレッチャーの上に出してみせる。

 それを見た瞬間、シェリルが瞠目したかと思うと、

「……やはり。人体じゃなかったんですね」

 納得したようにうなずきながら言った。

「その通り、人体ではなく『人形』なんですよ。お分かりになったんですか」

「仕事上見慣れていますので、遠目でもそれとなく区別はつきます。それがなくとも、常温保存の時点で人体では有り得ません」

 そこでふむ、と言うようにあごに手をやると、周りを見回す。

「アンドロイド技術者が屍体保管庫を義体や大型部品の保管庫に代用するというのも、それなりにありますしね。父が技術者なので、その辺の事情は知っています」

「まさにその通りで、前の方が『使ってもらえるならば』と残して行ったというものを使わせていただいています。最初は縁起でもないとためらったんですが、例があるというので……」

 どうやらシェリルは最初から、ここが霊安室ではなく大型部品保管室だろうと当たりをつけていたようだ。当然、人体が出て来ると思うはずもない。

 だが事態が事態のため何が出るか分からぬからと、これらの指摘を一旦引っ込めて屍体そのものの確認を優先したというわけだ。

 二人の会話に一同がようやく冷静になったか、一斉に寄って来て「屍体」を検分し始める。

「髪の毛、これポリエステルか何かじゃないか?本物の髪に限りなく近いが……まあ、調べれば一発でそれと分かるんだろうけど」

「この眼、本物の目ん玉と微妙に違うぞ。それに本物なら、瞳孔開いてねえとおかしいだろ」

「いくら何でも皮膚がきれいすぎます。産毛もないなんて」

「……ちょっと見せて!」

 めいめいに言うのに、とうとう座り込んでいたサツキが弾かれたように立って駆け寄った。

「嘘でしょ……じっくり見ると等身大のお人形じゃないの。においだって明らかに人間じゃないわ」

 毒気を抜かれた体で呆然としてサツキが言うのに、清香が、

「そういうことよ。私に行われた実験の成果が、まさにその『人形』なの」

 重々しくうなずきながら言う。

「………!?」

 サツキはまたしても混乱に陥り、ふらりとよろけた。

「サツキちゃん、しっかり!……すみません、余りもったいぶったような言い方はなるたけ控えてもらえますか。この子がもちません」

 今にも倒れそうなサツキを支えつつ、シェリルが説明を求める。

「……再度確認しますが、人体改造実験の際に何が行われたかつかんでらっしゃいますよね?」

「え、ええ。英田さんの場合、ナノマシンの投与が行われたと。今判明している限りでは、それ以外の実験の内容については不明の状態なのですが……もしや」

「そうです。そのナノマシンにより、英田さんの躰は『人形』に変えられてしまったんです。『人間』としての意識があるままの状態で」

 無情の一言に、シェリルががくりと肩を落とした。

「そんな、やろうと思えば確かに出来ますが……相当悪質な代物ですよ」

 衝撃の余り場の空気が混乱しているのを収めるように、清香が順序立てて話し始める。

 あの日、仕事を終えた清香は、十八番の電車で最終目撃地の有楽橋電停へ出た。

 対岸の有楽町の映画館で、さる新作映画を見ようとしたためである。

 本当はもっと後に見に行きたかったのだが、興行成績が振るわずその日で上映終了という話になってしまったため、無理矢理予定をねじ込んだのだ。

 しかし、これが全ての発端はじまりになったのである。

「大丈夫だと思ったのよ、有楽町は治安いいし。ほんとに大丈夫だと思ったんだけどねえ……」

 事件は、映画館へ向かう道すがらに起こった。

 近道をしようと細い路地に入った時、前の方から、

「くそ、何で女が!?仕方ない、やれ!」

 そう鋭い男の声がしたかと思うと、いきなり飛びかかられて絞め落とされたのである。

「確かにあの辺では珍しく人気のほとんどない場所だったんだけど……。かなり驚いてたし、狙ってひそんでたような感じには思えなかったわね」

「話を聞く限り、その認識で合っていそうな気がします。拉致に前々から関わっている三下連中がその細道に迷い込んでおたついていたところに、偶然出食わしてしまったんでしょう。それで顔を見られたからまずいなどと思ってとっさに拉致したと……そんなところでしょうね」

 繁華街にある橋のど真ん中で拉致をしかけるような馬鹿の仲間だけに、手抜かりを糊塗するためにと目先のことしか考えずに拉致を実行したとしても決しておかしくはなかった。

 さまざまな意味で、余りにも不幸なめぐり合わせだったと言うしかないだろう。

「何てこった、衝動的犯行かよ。そりゃわけが分からんはずだ」

 啓一がぼりぼりと頭をかいて言うのをよそに、

「じゃあ、その後のことは覚えてないんですか?」

 ようやく立ち直ったのか、サツキが横合いから訊ねた。

「ええ、睡眠薬でも打たれたのかしらね。気がついたら裸で目隠しされて猿ぐつわかまされた上、後ろ手に縛られて転がされてたわ。ドラマなんかで見る監禁そのもの、あれを我が身で体験するとは」

 周囲は暗闇で全く分からなかったが、いやにひんやりとして地下室のような感じがしたという。

 闇は恐怖をもたらすものだ。裸ということもあり、震えがどうにも止まらなかった。

 それから何時間経ったのか、いきなり扉が開くような音がしたかと思うと、数人の男により部屋からそのまま連れ出されたという。

「三人で頭と腰と足をかついでいたらしいんだけど、これが無言のままざっざっざっと整然と足音立てて行くのよ。しかも裸の女性かついでるってのに、恐ろしく淡々としてるの。まるで丸太や鉄骨扱いされてるみたいで気味悪かったわ……」

「……一般人って感じがしませんね。兵士が隊伍を組んでいるようじゃないですか」

「そうそう、いい表現。躰の方もえらくごついのが背中越しに分かるほどでね、本物の軍人だと言われても納得するようなレヴェルだったわ」

 粛々と進む男たちの手によって、清香はどこかの部屋へ入れられベッドの上に寝かされた。

 そして縄を解かれて手足を固定され、目隠しが取られた時である。

 どう見ても手術室としか思えない部屋の風景が、眼に飛び込んで来たのだ。

 そして清香が驚きの余り固まっているすきに、部屋で待ち受けていた者が針なしの高圧注射器で何かを注射。軽い麻酔薬であったのか、そのまましびれで動けなくなった。

 そこで白衣の人物が入り、さっと事務的に健康状態を確認した後で四肢に何かの薬剤を大量に注射し始めたのだという。

「もうあれよあれよと進んでね。しかもこれも事務的なこと以外言わないの。別の意味で人なのかと思ったわ……」

「その時注射された薬剤に、ナノマシンが含まれていたと考えられるんです」

 後ろから、いきなりエリナが顔を出した。

「わッ!?」

「失礼しました。恐らくは説明に必要かと思って、実際に英田さんの躰から摘出されたナノマシンを持って来たんです。不活性化されていますので安心してください」

 その手にあるシャーレには、肉眼で見えるか見えないかというほどの細さの銀の糸のようなものが大量に入っている。

「やはり糸型でしたか……!」

 アイ・カメラで中身を確認して驚くシェリルに、

「そんなにやばい代物なのか?」

 虫眼鏡でのぞきながら啓一が訊ねた。

「ええ、使い方によっては極めて兇悪かつ危険です」

 糸型ナノマシンは長いプログラムを仕込める上、自己増殖能力を持たせて数を増やし命令実行に当たらせることが出来るという特徴がある。

 このため人体改造に使うには非常に都合がよく、うまくプログラムを行って大量に注射するだけで、全身丸ごと改造することすら可能になるというのだ。

「もちろん、有益なものとしての使用が大半です。外からのアプローチが出来ない病気や故障の治療や修理に用いられますし、アンドロイドの製造現場では頭脳を含む神経系の構築に欠かせませんから。ですが一方で悲しいかな、こうして悪の走狗として使われることも多いんです。私たちも人体改造事件で嫌というほど見ていますよ」

 唇を噛みしめながら、シェリルがナノマシンをめつける。

「想像はしていましたが、かなり使われているんですね……。そのマシンの場合、蛋白質の転換、部位別の転換物質指定、体組織および内臓の再構築などの命令が入っています。全身を根本から作り変える気満々というところでしょうか」

 後ろで清香の躰を収納して、保管庫の鍵を閉めたりするなどしていたジェイが説明した。

「想像すると吐き気がするわ、人の躰を何だと思っているのかしら」

 サツキが眉をひそめ、吐き棄てるように言う。

「……改めて聞くと、とんだものを入れられたと思うわね」

 注入を受けた後、清香の意識は急速に混濁してそのまま気を失った。

 その間にどうやらまた移送されたらしく、眼が覚めた時には元の服を着せられ、猿ぐつわを噛まされた上に縛られた状態で、どこかの屋敷の一室に転がされていたのである。

 部屋の出口には、何やら黒いスーツを着た男二人が見張りに立っていた。

「何というのかしら、露骨にやくざなのよ。しかも下っ端くさくて。三下ってのはこういうのを言うのかと思ったわね……」

 男たちは動けないのをいいことに、いやらしい眼で見ては卑猥なことばかり言って来るような品性下劣の徒だったという。

 一度など触られそうになったため、抵抗したところ髪をつかまれ思い切り殴られた。

「ひどい話よ、勢いとはいえ髪の毛まで引っこ抜くとかある?まあ、そいつは相方に引きずられて行って鉄拳制裁されてたけど」

「何てことを……」

「でもあいつら、ただの三下ね。上の言うまま見張りに立ってただけみたい」

 見張り二人はしきりに、

「上の命令とはいえめんどくせえ」

「夜とか俺たち二人だけでどうしろってんだよ」

 などとぼやいていたという。

 命令で無理矢理やらされているのが丸分かりで、何も知らされていないのは明らかだった。

 しかも扉を固めておけば逃げられないだろうとたかをくくっていたらしく、縄も猿ぐつわもとりあえず縛って結んでおけば格好がつくと言わんばかりに粗雑な結び方であったという。

「だんだん話が見えて来ました。そこから逃げたんですよね?」

「話が早くて助かるわ。ずのばん気取っときながら両方寝ちゃって。こっちはずっと固い床の上で躰が痛くてしょうがないもんで、もぞもぞ動いてたらいきなり縄がぱらりとほどけたのよ。こんなので駄目になるなんて、いくら何でもひどすぎでしょ……」

 見張りの話を聞く限り、今この屋敷にはこの二人以外に誰もいないようだ。

 しかも窓に試しに手をかけて鍵をいじり回してみると、さして音もせず全開に出来た上、のぞき込むと下りられる高さである。

 監禁した連中が馬鹿なのか、それとも単純にこの窓の構造や位置を知らなかったのかは分からぬが、あっさり逃げ道が出来てしまったことにあきれ果てざるを得なかった。

 ともあれ好機と見た清香は窓から逃亡を図り、そのまま塀をよじ登って外へ出たのである。

「音で気づかれやしないかと冷や冷やしたんだけど、立って歩こうが窓開けようが起きる気配もないから行っちゃえと。でもうまく行ったはいいけど、必死になりすぎてて上着は忘れて来るわ服も無惨に着崩れるわで、監禁以前にもっとやばい犯罪に遭ったと思われそうだったわ」

 シェリルは、ここで大きくうなずいた。

「状況的に見て、そこは五月十六日にがさ入れをした大門町の住宅と思われます。このがさ入れ直前に起きた殺し合いの死亡者に、二人だけ三下が混じっていました。死亡した三下がその見張りの可能性が高いですね。また人の髪とポリエステルの人造毛髪の混じった束が見つかり、女物のスーツの上着が見つかっていますので、全て平仄が合います」

「ポリエステルの髪……ああ、さっき禾津さんも確認した通り元の躰の髪がそうだわ。変化が始まっていたのね」

 脱出後、清香はとにかく早朝の街を滅茶苦茶に走った。

 しかし途中から躰は重くなり、着衣はさらに乱れ、足はきかなくなり始める。

 万事休すかと思ったところで、神社を見つけて駆け込んだ。

「それが、私のところだったわけですね」

 これは、瑞香であった。

「その節はありがとうございました……そして勝手に逃げてしまって申しわけありません」

「いえ……でもどうしてあのようなことに?あったことをそのままお話しくだされば対応しましたし、逃げる方がむしろ危険だったのでは」

「気がそこまで回らなかったんです。こんな話を信じてもらえるわけがない、と思ってしまって。そのうちに躰がどんどん変化してるのに気づいて、迷惑をかけられないと……」

「そうでしたか……お気持ちは分かりますが、私もこの街のただならぬことをよく知る身、驚きはしても悪いようにはしなかったと思います」

「申しわけありませんでした。ここで留まればよかったと、後で後悔しました」

 神明社を出た後、逃げるうちに躰の変化の速度が急速に上がった。

 結果、サツキも通ったあの細い橋の袂で力尽きて倒れてしまったのである。

 意識はあるが、躰が一切動かない状態だ。声も出ず、助けを求めることも出来ぬ。

 ここに清香は、完全に「人間」ではなくなってしまったのだ。

「案の定、回収されて一巻の終わりよ。気がついた時には、立派に箱詰めされてたわ」

「は、箱詰めですか!?」

「そう、まるで家電製品か何かみたいに」

「ただでさえ魂の牢獄状態なのに、さらに箱ん中とかねえよ……」

 百枝が呆然とした声でぽつりと言う。

「私もそう思いました。もう終わりだな、どっかに押し込められるんだな……と」

 だが絶望の中、清香は箱越しにとんでもない会話を聞いた。

「……本当に出荷していいんですか?」

「いいらしいぞ。もうデータ取り終わって用済みなんだと」

「いやいや……見つかろうもんなら大変ですよ?」

「それは周りも言ったんだが、『熟女なんていらないから売れ』って聞かないらしい。それに今までこの手の怪しいもん混ぜても、ばれなかったんだから大丈夫だって」

「自分たちで使いたいかどうかで決めてんですか。しかも何ですか、その自信……」

「俺が訊きたいくらいだ。ともかく命令は命令だ、仕事しろ、仕事」

 この話を綜合すると清香は気を失っている間に様々な検査を受けた後、何らかの手段で売り払われることになったようである。

 十三階段確定の人体改造実験の被験者なぞ、犯罪者にしてみれば何としても隠したいものだろうに、その真逆を行くとはどういうことなのだ。

「わけが分からなかったわ、足がつきかねないのに……。もっとも処分の理由を聞いた時点で、これは相当な馬鹿だと思ったけどね。あとどうしようもない慢心家だとも」

 余りに突っ込みどころだらけの会話に一時的に素に戻った清香だったが、伝票を貼りつけられる音やフォーク・リフトの音などを聞いているうちに、恐怖感がひしひしと湧き上がって来る。

 そのうち出荷作業は滞りなく終わり、そのまま宅配業者に引き渡された。

 どうやらワゴン車だったらしく、筒抜けの話し声を戦々兢々として聞いていると、配送先は桜通にあるアダルトショップだという。

「え、じゃあ『人形』って……等身大ドールだったわけですか!?」

「……そういうことね、いわゆるそっち向けのやつ。タオルにくるまってたから分からなかったでしょうけど、全身を見ればそれと分かるわ」

「等身大の人形という時点でもしやと思ってはいましたけど、ほんとにそうでしたか……」

「私自身は何が何だかわけが分からなくてパニックになってたから、そこまで考えが及ばなかったんだけどね。でもそれでようやく気づいて、もう死にたくなったわ……」

 だが無情にも清香はそのまま運ばれ、店に引き渡された。

 業者と店主の話を箱の中から聞いたところによると、どこかの専門業者の製品に偽装され、

「特注の需要開拓のため本物の特注品でデモをする」

 そのような名目で引き渡されたようである。

 このため宅配業者が去るなり、即座に清香は箱から引きずり出された。

「デモってことは、要するにサンプル展示ですよね?まさか、そのままショー・ケースの中へと押し込められて、さらし者よろしく……」

 サツキが身を震わせながら問うのに、清香は静かに首を振る。

「それも考えただけで地獄だけど、実際にはそれよりひどいことになったわ。そこはただのアダルトショップじゃなかったの。地下にある隠し部屋に等身大ドールを置いて、『展示即売』の名目で風俗もどきの営業をしてたのよ」

「それってつまり……!」

「そういうことですね。客に『試用』と称して抱かせていたんです。いわば代用風俗店ですよ」

 サツキの言葉に、ジェイが答える。

 もはや一同は、あっけに取られていた。

 人形である等身大ドールに春をひさがせる、こんな真似が商売として成立すること自体がもはや驚きである。

 風俗街まで来て生身の女と遊ばず、人形と組んづほぐれつすることがまず理解出来ない話だ。そんなものは自分で買って自宅ででも遊ぶものだろう。

 こんな奇妙奇天烈な店にも客がつく時点で、桜通の異常性が垣間見えようものだ。

「英田さんとしては、気が気じゃなかったでしょう。躰も動かなければ声も出ないということは、いかなる男にもてあそばれても何も出来ないということですから」

「先輩!じゃあ、そこでもしや……!?」

「安心して。そのお客第一号が、ヤシロさんだったんだから」

「へ?」

 エリナ以外の一同の視線が、ジェイに一気に集まる。

「……疑われても仕方ないですが、違います。私がその店に入ったのは、情報収集の目的です」

 ジェイは以前よりこのような代用風俗店に注目し、たびたび入店していた。

 隠れてやっている以上、生身の女だろうが人形だろうが何をどう言い繕おうと闇風俗である。

 反社会的勢力が通常の風俗に飽き足らず、闇風俗にも積極的に手を出していることを知っていた彼が、これからもしのぎの臭いを感じ取るのも当然のことであった。

「正直信じられない話なんですが、観察しているとどの店も客がかなりついてるようでした。しのぎとしては充分でしょう。そこで実態を探ろうと、等身大ドールを扱っていてそのような噂のある店を無作為に選んで入るというのを不定期でやっていたんですよ」

 その日は三軒入る予定でいたのだが、最後の店でかまをかけた途端、

「そう、大きな声じゃ言えないがやってるのさ。しかしお客さん運がいいね、今日ちょうど新しいのが一体入ったんだ。しかもだ、特注をもっとしてほしいからお試しにって新品の特注品を寄越したんだよ。太っ腹もいいところだ。よかったらどうだい、まだ抱かれてない初物だよ」

 店主がそう言って勧めて来たのだという。

 元よりジェイの目的は探りを入れることであり、抱く気なぞさらさらなかった。

 そのため先の二軒でもいかにも少しは遊んでいるかのような素振りを見せて時間を過ごし、適当な言いわけをして何もせずに帰っていたのである。

 今回彼の興味を引いたのは、「販促として新品の特注品が提供された」という店主の言葉だった。

 実はこのような店に特注品があること自体はさして珍しいことではない。

 ただし全て持ち主から買い取った中古品を置いており、新品が置かれていたことなぞ見たこともなかった。いわんや販促品をやである。

「しかもそこは一介のアダルトショップです。販促品だというのなら、自社の直営店なりショールームなりに飾っておいた方がよほど効果があるでしょう。それに店も店ですよ、そう言って引き渡されたものを飾らずにいきなり抱かせようとするなんて……これはもう臭ってしょうがないなと」

 個室に入った時、ジェイが見たのはまるで本物の女性かと思うような等身大ドールであった。

 ここまでは、大体予想通りである。

 そしてとりあえず観察してみようと、しゃがみこんでみた時だ。

(助け、助けて……)

 ほんのかすかであるが、助けを乞う声が聞こえて来たのである。

「しゃべれたんですか!?」

「後で調べたんですが、プログラムミスにより声帯が一部完全に変換しきれていませんでした」

「まさに奇跡だったわ、駄目元で声出そうと思ったら出たんだから」

 これでジェイは即座に全てを理解した。

 義を見てせざるは勇なきなりとばかりに即座に助けることに決め、彼女を買い受けたのである。

「主人は驚いていましたが、即買いする輩も普通にいるそうなので構やしません。というより本来そういう名目でやってるんですから、文句を言われる筋合はありませんよ」

「詳しいことは訊かなかったけど、値が五万円かそこらついてたって話ね。……カードとはいえ、それをぽんと出せるヤシロさんってすごすぎよ」

 すなわち我々の世界だと、最低でも六十五万円は超えていたというわけだ。

 こんな高額商品ならどう考えても特別扱いをして当然のはずなのだが、見る限り扱いは他の数千円、我々の世界での数万円から十数万円くらいのドールと一切変わりがなかったという。

 恐らくこの分だと処遇についての通達がなかったか、あっても店側が無視したかのどちらかだろうが、いずれにせよ全く理解が追いつかぬ話だ。

 もっともその前のなりゆきからして既におかしいので、末端がおかしいところで今さら驚くに値しないだろう。先の清香の言ではないが、馬鹿と慢心家の集まった狂気の空間だ。

 もっともその狂気が、結果的に清香を助けたのだから皮肉なものだが……。

 果たして清香は翌日ヤシロ宅に搬入され、直ちにジェイの手により検査されることになった。

「安心してください、私は味方です。あなたを絶対に助けますから」

 そう言って不安がる清香を落ち着けつつ、エリナとともに作業に入ったのである。

 幸い脳が完全に残っていたため、コンピュータを通じてのコミュニケーションを取ることは出来た。視聴覚もきちんと存在しているため、その点での不安はない。

「ただ助けるとは言ったものの……調べれば調べるほど、困難が立ちふさがって来ました。もう躰の構造が、本物の『人形』そのものでしたから。このままの状態では少々小手先の対処をしたところで、元の暮らしに戻るなぞ天地が引っ繰り返っても無理でしょう」

 そして悩みに悩んだ末、ついにジェイは一つの決意をした。

 この世界で違法とされる種族転換を行うことにしたのである。

 当初は外科的に手を入れて機械部品を取りつけ、自律行動出来るようにするという手法を考えた。だが侵襲範囲が余りに広すぎるため、術中死が確実との結論に達したのである。

 そこで最終的に考えられたのが、本来の躰を放棄し新たに清香の躰を再現した機械の義体を造って全てを移してしまうこと――すなわち、アンドロイド化であった。

 清香の躰が二つ存在するという異常事態が発生したのは、これによってのことである。

「違法行為だというのは重々承知でした。しかしもはや、これしか助ける方法はなかったのです」

 さっそくジェイは、義体製作の第一段階となる外殼の設計に取りかかった。

 だがこれが、体型を直接読み取るなどの普通の方法では出来ないことが判明したという。

「いくらそのまま変換したといっても、あくまで『人形』ですからね。しかも変換を行ったナノマシンにプログラムミスがあるとなると、なお当てになりません。これでは現状の体型を読み込んだとしても、英田さんの躰を正確に再現することが出来ないと判断しました」

 やむなくジェイは、元の世界から持って来た技術に頼ることにした。

 遺伝子情報の読み取りと復元を行い、根本から再現してしまおうと考えたのである。

「人間時代の遺伝子の塩基が残存しているか探るプログラムを仕込んだナノマシンを入れ、これを躰の中で一巡させました。これが拾って来た情報から、英田さんの遺伝子の復元を行ったんです。二回で何とかなったのは幸いでした」

「……そ、そんな技術がそちらにはあるんですか。うちでもやろうと思えば出来なくはないんでしょうが、そんな簡単にさっと済むとは思えません」

 シェリルがそう言って、冷汗をたらりと流した。

「完璧ではありませんよ。実際髪の色と眸の色、そして体格を完全に読み取れなかったんですから」

「かなり微調整したんだけど、とうとう駄目だったのよね。だから本人かどうか疑われるの覚悟の上で、そのまま造ってもらったの」

「髪の色や眸の色や体格が違ったのは、そのせいだったんですか……」

 これはサツキである。こんな理由で外見が変わっていたなぞ、想像出来るわけがなかった。

「私も同じことを危惧したんですが、真島さんの反応を見ると案の定だったようで……資料に乏しいとはいえ、申しわけないことをしてしまったと思います」

 次に情報に従って全体の設計図を引き、いよいよ外殼の製作に取りかかることになる。

 だがここで、ジェイは元の世界の技術を用いて信じられないことを行った。

「このようにして何とか復元した遺伝子をプリンタにかけ、必要な材料をセットして一気に出力しました。これで外殼の完成です」

「……は?」

「ですから遺伝子から導き出される体型をですね……」

「理屈は分かるんです。理屈は分かるんですが、途中の過程が抜けてませんか」

「確かに工程の自動化はありますね」

 シェリルが必死で言うが、話がどうも噛み合っていない。

 恐らく使用されたのは3Dプリンタのようなものだろうとは思うのだが、元が人間の遺伝子で完成品がアンドロイドの素体外殼というのは飛躍もいいところだ。

 遺伝子も「生物の設計図」だから同じようなものだと強弁出来なくはないが、あれはあくまでものの例えというもので、直接その中に姿形まで書かれているわけではない。

 考えれば考えるほど常識を超えているとしか言えない技術だが、実際にそれで外殼が完成したというのだから信じるほかなかった。

 ともあれ外殼が出来れば、次は部品をはめ込んで動かすばかりである。

「内部に入れる部品については、全て新製しました。一応、こちらの世界の標準規格に合わせてはあります。それから何度も試験を行い、ようやく完成に漕ぎ着けました」

「とりあえずそうして素体が出来たということですが、肝腎の英田さんの意識はどうしたんですか。人工頭脳に人格や記憶をコピーしても、それは完全に別人ですよ」

 人にはなべて人格というものがあるが、それは天賦のものとして脳に宿るものであるし、記憶もそこに蓄積されるわけだ。

 普通に考えて、脳を移植でもしない限り移せない。

「それですか。脳に宿っている『自己じこ同一識どういつしき』と一緒に引き抜き、新しい躰の方に移しました。こうすると脳を移植しなくても、本人の『心』がまるまる宿ります」

 聞いたことのない言葉の出現に、シェリルはおろか清香とエリナを除く全員の眼が点になった。

「あの、何ですかそれ?」

「こちらにはない概念です。簡単に言えば『魂』をそのまま移したようなものですね」

「魂……」

 科学の世界でおよそ聞くことのないオカルティックな言葉を大まじめに持ち出されて、もはや一同は完全に言葉を失っている。

 シェリルは一周回って冷静になってしまったようだが、それでも口から細く蒸気が出ていた。器用なことをするものだが、それを指摘している場合ではない。

「……ともかく私たちの世界には全くない、理解の及ばない技術をもって、英田さんをアンドロイドとして救うことを得たと。そう理解しました」

 これ以上深く訊くとさらに理解不能な話が出て来そうだと思ったのか、シェリルはそうまとめた。

「そうなるわね。……ある意味私は有り得ない、あってはならない存在ということになるわ」

「そんな、先輩がそんな……」

 サツキがようやく言葉を絞り出すが、意味をなさない。

 さもありなん、こんな常識を超えているどころか名状しがたい話を聞かされて、まともな言葉なぞ何で出ようというのだ。

「もしかすると桜通で等身大ドールを探し続けていたのも、被害者がいないか否かを確かめるため、そしていたなら救うためだったというわけでしょうか」

「その通りです。連中は何をやるか分からない人面獣心の輩、こんな事例があったとなったら次があることは充分に考えられましたので」

 シェリルの問いに、ジェイは深くうなずく。

 警察に不審者として目をつけられてしまった辺り賢いとは到底言えない方法だが、それだけ危機感を強く覚えていた証左のようなものだ。

「それはともかく、大変申しわけありません。ひどく驚かれたかと思いますが……実は、もう一つあるんです。奈義葵さんですが、こちらも私が保護しています」

「なッ……!?本当かよ!?どこにいんだよ!!てか、何で言ってくれなかったんだよ!!」

 葵の名を聞いた瞬間、百枝がいきなり我に返ってジェイに迫る。

「ま、待ってください。今お連れしますので……」

 そう言うと、ジェイは先頭に立って歩き始めた。



 一同が案内されたのは、家の中でも一番奥まったところにある部屋だった。

 百枝がごくりと息を飲む中、ノックがされて扉が開かれる。

 そこでは、青紫のショートカットに赤紫の眼をした童顔の少女がベッドに座っていた。

「え、どうしたんですか、そんなに人がたくさん」

「警察の方が事情を聞きに来ましてね。それと一緒に倉敷さんと林野さんが……」

 ジェイがそう言った瞬間、百枝が、

「……葵ッ!!」

 いきなり叫んで走り出し、葵に抱きつく。

「お、お姉ちゃん……?本当にお姉ちゃんだ!!」

「葵、葵……無事見つかってよかったぜ」

「ごめんなさい、心配かけちゃって」

「葵ちゃん……よかったわ、無事で」

 瑞香が優しく言いながら、百枝の後ろからゆっくりと顔を出す。

「瑞香さんも……!!」

 驚くや、葵はぼろぼろと泣き出した。

「お、おいおい。……こりゃよほどの目に遭ったんだな」

「何があったんでしょうか、英田さんの一件を考えると相当のことに……」

 百枝はしゃくり上げる葵をとりあえず泣き止ませながら、ジェイの方を向く。

「……何で教えてくれなかったんだよ、話すりゃあたしや瑞香の名前が出ないはずない。互いに見知ってんだから、知らせるだけ知らせてくれてもよかったろ」

「そうしたかったんですが、保護した直後から長いこと容態が思わしくなく、病院で言えば面会謝絶の状態にしておかないといけなかったんです。これは恢復を最優先にした方がいいと、体調が安定してからお知らせするつもりでいました。こうして話せるようになったのもこの数日のこと、そろそろとは思っていたんですが……こんな結果となりまして。いずれにせよ、倉敷さんにも林野さんにも申しわけないことをしてしまいました」

 ジェイが肩を落として頭を下げるのに、百枝は、

「葵の命を第一に考えたのは、そりゃ理屈だしありがたいけどさ……やっぱり、存在くらいは知らせてほしかったぜ。どこいるか分かるだけでも安心するし」

 釈然としないような顔をしてみせた。

 ともかく今は葵の方が大事と思い、それきり追及を打ち切る。

「泣いてちゃ分からないぜ。何あったか筋道立てて話してみな。刑事さんもいるから」

「……え?刑事さんって」

「あの子だよ。お前のちょい下くらいの見た目の子」

 そう言って百枝が見やったのを合図に、シェリルが歩み寄った。

「はじめまして、天ノ川連邦連邦警察特殊捜査課所属の警視・大庭シェリルです。奈義葵さんでよろしかったですね?」

 ホログラムを示すシェリルに、葵は、

「あ、はい。そうです……」

 眼を極限まで丸くしつつ答える。

「まあ信じられねえよな、こんなちんちくりんのちびっ子が刑事って言われても」

「ちんちくりんは余計です」

 冷たい眼で百枝の言葉を切り捨てると、シェリルは葵に向き直り、

「失礼いたしました。お躰などのお加減は大丈夫ですか?」

 不安を解くように言った。

「は、はい」

「では、お話をうかがわせてください。……ヤシロさん、ここで大丈夫でしょうかね?」

「十二畳ありますし、隣の物置から椅子を出せば全員座れるだけの数が稼げるはずです」

 そんなことを話し合いつつ椅子を持ち出し、全員が着席したところでさっそく話に入る。

「現在のところ当方では、あなたが九月二十日深夜に家出をして、翌二十一日に関西宇宙空港より我が国の首都・新星市の玄関口たる新星空港に到着し、以降行方不明となっていたこと、そしてその後いずこかで人体改造実験を受け逃亡したことを把握しています。これに間違いはありませんね?」

「はい……」

「きっかけについても、移住をお父様に断乎反対されて連絡すらも禁じられていたのに耐えかね、いさかいを起こした末のことと聞いていますが、これもよろしいですか?」

「そうです。売り言葉に買い言葉で大げんかになった挙句、もし行くなら本気で勘当するとまで言われまして……。いくら何でも親の言うことじゃないと爆発してしまったんです」

「なるほど、こちらに到着するまでのことはこれで全て分かりました。問題はそれ以降のことです。まずは、新星空港到着後からお話し願えますか」

 葵は少し考え込むと、静かに口を開いた。

「分かりました。……到着したまではよかったんです。それはよかったんですけど……」

 何と葵は、家出をする際にほとんど無計画で出て来てしまったのだという。

 頭に血が上ってとっさにやったためにほぼ場当たりで、列車や船の時間すらその場その場で調べ、乗車券や乗船券も迷いながら手配して何とかするようなありさまだった。

「お前、何て無謀なことしてんだよ!自殺行為だぞ!」

 百枝が思わず叱りつける。

 東京や大阪へ出て来るくらいなら、まだ百歩譲って何とかなったかも知れぬ。

 だが天ノ川連邦は、日本と強い縁があるというだけであくまで外国である。

 それも地球上ではなく四光年先の宇宙に浮かぶ外国なのだから、行き当りばったりで来られるような場所ではそもそもないのだ。

「ごめんなさい……。でも関西宇宙空港って関西国際空港の隣だし、そこから先も一本で一回乗り換えればいいだけ、そう思ったら簡単だと思っちゃって」

「そりゃきちんと計画立てた上での話だ。無計画で出来るほど甘くねえって……。大体外国に行くってのにそれじゃ、たとえ着けても現地で大変な目に遭うぞ」

 百枝は、頭を抱えながら嘆くように言う。

 そのことは、到着してから葵自身が思い知った。

 両替などやることが多すぎて追い立てられてしまい、パニックになってしまったのである。

 その間にどんどん時間が過ぎて行くのを見て、とうとう心細くなって来た。

 今から思うとここで自分に味方してくれている百枝に電話をかけて助けを求めていれば、悪い扱いは絶対にされないはずなので、随分精神的に楽になれたのかも知れぬ。

 だが余りにも余裕をなくしていたため、それすらもすっかり頭から抜け落ちてしまっていた。

 結局葵は下手に空港の中に居続けるのがよくないと考えてしまい、思い切って隣の展望公園に行き、落ち着くまでしばらく休憩することにしたのである。

「ああ、展望公園……さては、そこで何かありましたね?」

 シェリルが読めたとばかりに言うのに、

「え、どうして分かったんですか!?」

 葵は飛び上がらんばかりに驚いた。

「あそこはですね、最近不審者が増えてるんですよ。ちょっと変なところに迷い込んだ不案内な旅行者が、痴漢や引ったくりに遭うなどの被害が多発しています」

 この公園は空港の立地を利用して宇宙が展望出来るよう作られたものなのだが、コロニーの壁を隠す役割もしているために展望台や休憩所の周囲以外は地形が複雑になっており、少し外れるとあちこちに見通しの悪い場所があるのだという。

 事実葵も木立を歩いている時に、後ろから誰かにつけられている気配を感じた。

 どんどんと近づくのにあわてて交番へと急ぐが、荷物が重くて進まない。

 その直後から、葵の記憶はしばらく途切れた。

「捕まったのかどうかすら、覚えていないってことですか?」

「そうです。最後に見たものもよく覚えていません」

 次に葵が意識を取り戻した時、彼女は既に縛られ転がされていた。

 ただし清香の場合と違い、ごくわずかに光があり薄暗い程度である。

 周りを見たところコンテナがたくさん積み上げられていたため、貨物船の中だろうと思われた。

 こちらでは目隠しまではしなかった辺り、実行犯が別なのだろうか。

「ドラマで見るみたいな縛られ方で動けないし、猿ぐつわで声も出ないし。もう怖くて怖くて」

 やがて船がどこかに到着する気配がし、誰かが貨物室へ近づく音がした。

 ややあって男たちが入って来て、顔を思い切り照らす。

 そして起きていると知るや高圧注射器で何やら薬物を注射して無力化し、そのままかつぎ出した。

「気味が悪い人たちでした。何だか兵隊みたいな整然とした動きしてて……」

「私の時と一緒ね、それ。そういう訓練を受けた連中でもいるのかしら?」

 これは清香である。

 人間味を感じさせない沈黙ぶりと歩き方、確かに一般人が一朝一夕で習得出来るようなものではないし、やくざ破落戸なぞ論外だ。

「私としても気になるので、捜査事項に入れておきます。そこから意識が戻ったのは?」

「……手術台の上でした。一瞬何が起きたのか分からなかったんですが、何だか首が涼しい感じがするんです。あれおかしいなと思ったら……首が離れてて、下に躰だけがあったんです……。多分ですけど、首だけ外して吊るしてたんだろうなと……」

「はあ!?」

「えッ!?」

 とんでもない発言に、百枝と瑞香はじめほぼ全員が眼をむく。

 その一方、ジェイとシェリル含むアンドロイド三人は眉をひそめていた。

「それって、シチュエーション的に……あれだよな?」

 啓一がたらりと汗を流してシェリルに訊ねると、

「そうですね。その時点で、改造実験がほぼ終わっていたということです」

 恐ろしく静かな声でそう答えた。

「さらに言うと、この行為には相当な悪意があります。首だけを吊るした状態は危険なので、よほどの場合を除き絶対にやりません。それをわざわざ行った上、わざわざ躰が見える方向に向けてあったということは、起き抜けに『お前の躰はこうなったんだぞ』と見せつけてやろうという意図があったと考えていいでしょう」

「じゃあ葵が驚くのを見て楽しもうって算段だったわけか、糞ったれ!」

 百枝がすさまじい形相で吐き棄てる。

「……実際私が悲鳴を上げて泣き叫ぶのを見て、眼の前にいた白衣の人がにやにや笑ってるのが見えました。前かがみになっていた人もいましたね」

「最ッ低……!!」

 意味が分かったのだろう、清香が口角を思い切り歪めて言った。

「そういう特殊な性的嗜好があるのは俺も知っているがね。でも言うまでもないがあれは架空だから許されるようなもので、本当にやった上露骨に昂奮してるだなんて、おぞましい以外言葉が出んよ」

「こんなこと言いたくないが、今だけは言わせてくれ。これだから男ってやつは!」

 怒りが収まらないとばかりにどんとテーブルをたたく百枝を、瑞香が必死に押さえる。

「ともかくそれから首をつなげてもらったわけでしょうが、何かおかしいと思うようなことはありませんでしたか?具体的には、何かどうしても思い出せないことがあるとか、逆に覚えのない記憶や知識が増えたような気がするとか。例えば前者は自分がどこの何者なのか、なぜ何のためにどのようにしてここにいるのかということが分からない、後者は与えられていないはずの名前や地位の記憶がある、聞いたことも見たこともない人物のことを詳しく知っている、教えてもらったことのない言葉がすらりと頭に浮かぶなどです」

「一切ありません」

「そうだと思いました。念のため、こちらの画面を埋めてみてください」

 シェリルが自分の画面を貸し葵に住所氏名などの自己プロフィールを打ち込ませると、果たして全てがすんなりと埋まり、こちら側が把握していたデータとも合致した。

「内容に間違いなし、問題ありませんね。あと、従属や価値観の転換などを強制するような声が立て続けに何度も聞こえたり、五感が異常な感覚を訴えたりとか。例えば前者は『◯◯に従え』『◯◯は敵だ』『◯◯はこの世にあってはならない』という声が頭の中に響いてつられそうになる、後者は痛みや苦しみが全て快感や喜びに変わるなどです」

「それも全然ありませんでした」

「なるほど。倉敷さん、林野さん、再会したばかりの状況で訊くのも何ですが……長いお知り合いとして、葵さんの言動に何かおかしなところ、変わったところがあるように思えますか?他人に対する態度、言葉の言い回し、価値観、倫理観……言葉から分かる限りでいいです」

「いや、ないな。あたしが覚えてる通りの葵だ」

「同じくありません。これといっておかしな部分は」

 シェリルの質問に、百枝と瑞香がはっきりと否定する。

「なるほど。……となると脳に対する外科手術や、強い催眠などは行われていないと考えていいでしょうね。ただ質問だけでは推測の域に留まりますので、詳しくは検査しないと分かりませんが。奈義さん、ご協力ありがとうございました」

 どうやらこの長たらしい質問は、葵が脳改造や催眠を受け、記憶や人格の改変を施されていないかどうかを確認するものだったようだ。

 すらすらと出る辺り、このような事件を扱う際に被害者の状態を確かめるための質問の定型として使われているもののようである。

「脳や精神に一切手を加えられていないのは、保護した私が保証します。検査の際、一緒に調べましたから。データも一通りありますので、必要とあれば提供します」

 これはジェイであった。やはり外科的な改造とあって可能性を疑ったらしい。

「催眠はともかく脳改造か……そういや技術的に可能って言ってたもんな」

 先に述べた通り、この世界では人体改造が出来るだけではなく人格や記憶の消去や改変を行い、おのれのほしいままに扱うことすら可能とするだけの技術が存在するのだ。

 もしここで葵がそのような改造を受けていて、記憶を失っていたり誰かに隷属を誓ったり異常な価値観を振り回したりと、明らかに異様な言動をしていたらと想像するとおぞが走る。

 啓一はぶるりと身を震わせた。元の世界ではフィクションにしかなかったために、どうしても伴いづらくなっていた「実在する犯罪」という実感が、ここに来て一気に湧き上がって来たのである。

「ともかく連中がやったのは躰の改造だけだったということですね。……脱出はどうやって?」

「閉じ込められてた部屋に大きなダクトを見つけて、映画みたいにあれを伝って行けないかと思ったんです。試しによじ登ってみたら入れたので、そこから外へ出ました。意外に短かったです」

「中のシャッターなどは?」

「そんなものがあるとは思わなかったので戸惑いましたけど……この躰なら壊せるんじゃないかと思って、必死で体当たりをしたら倒れました」

「よくけがをしなかったですね……」

 シェリルが驚いたように言う。

 ダクトを通って逃げるというのはよく映画などであるが、実際にはこういったものの中にはダンパと呼ばれる一種のシャッターがあり、すんなりとは通れないものだ。

 それを、この華奢な少女が壊して進んだというのである。

「老朽化していたか、元々がちゃちだったか。ともかく普通のダクトならまず壊せませんので、そもそもそういう問題があった可能性がありますね。サイボーグに改造されたからといって、それで何倍も強靱になるとは限りませんので」

「それはあるでしょう。確かに躰の耐久力は上がっていますが、これはサイボーグ化されたことで必然的に強くなっただけで、故意に増強したものではありません。筋力に至っては、同年齢の人間の娘さんと変わらないんじゃないでしょうか」

「そうだと思いました。本当に運がよかったんでしょう」

 ジェイがそうつけ加えるのに、シェリルは考えるようにあごに手をやりながら言った。

 ともかくこの状況からするに、葵が監禁されていたのは外に単独で設置された物置など、普段人が長くいないような小建物ではなかったかと思われる。プレハブの線もないではないが、少しとはいえ人間より強くなっている以上、慎重を期して避けたはずだ。

「脱出時、何か見ていませんか?」

「真っ暗だったので……ただ、周囲が林なのは分かりました。そこから何とか走ったら、金網があったので乗り越えて外へと出ました」

「うーん、そんな単純な逃げ方をしたのに、セキュリティに引っかからなかったんですね。システムに穴があるのか、それとも元からそういうものがない場所だったのか。これはこれで手がかりとなるので、頭に入れておきましょう」

 このような状況のため、外へ出ても必死に明かりを追うしかなく、どこをどう走ったやら、どれだけ走ったやらまるで覚えていないという。

 乗合に乗ったのも、横山の停留所が偶然見えたからというだけにすぎなかった。

「この植月地区のかなり奥まで来たとのことですが、その後はどうしたんですか」

「もう体力の限界で……。その晩は団地の裏の林で寝ました」

 翌日、夜も明けきらぬうちに人家を探したものの、表通りに出ることに恐怖を覚えて雑木林の中を歩き回る方を選んだため、どつぼにはまって迷いに迷ってしまった。

 そして奥宮町まで入り藪を突き破ったら、そこがヤシロ宅の敷地だったのである。

 時に、九月二十五日の午前四時頃のことであった。

「そうでしたか……これも運が味方したと言うべきでしょうね」

 髪をかき上げると、シェリルはジェイの方を向いた。

「保護した時、どのような状態でしたか?」

「ひどいものでしたよ、一瞬浮浪者かと思うほど汚れていて。風呂に入れて話を聞こうとしてもためらうばかりだったので、何か常識を超えたことに巻き込まれたのか、それなら前例が既にあるから信じると言ったらようやく話してくれましてね……」

「私も説得したのよ、『人形にされた人間がここにいるから』って」

 自分以上に常識外れの事例を知った葵は、そこで今までのことを話し始めたという。

「ですが、おおよそのことを話したきりで倒れてしまいまして……。その後も眼が覚めても長く話すことが出来ず意識朦朧とし始める状態だったので、とりあえず恢復を優先して、詳しい話は全部後回しにすることにしたんです」

「それだけに、ここまで話せるほどになったのは奇跡よ。正直初めて聞く話もあるわ。予想以上にひどい目に遭っていたのね……」

 ジェイはこれを受け、なるべく見えない部屋をあてがって葵をかくまうことにした。

 清香の場合は犯人のあずかり知らぬところでアンドロイドに換装されたため、見られてもそう大きな危険はないが、葵は何もかもそのままの逃亡者ゆえ目につけば一発で分かってしまう。

 しかもすぐ露見してもおかしくないような派手な逃げ方をしていることからしても、関係者も気づいて必死に行方を追っているはずだ。

「夜回りの方以外、この家まではめったに人が上がって来ませんので、基本的に安全ではありますが……念には念を入れてというやつですね」

「まあ確かに、いくら植月地区が連中から危険視されていても突っ込んで来ないとは限りませんし」

 シェリルはそう言うと、百枝をちらりと見た。

「はいはい、あたしのしわざだよ、あたしのしわざ。悪いかこのちびっ子め」

 百枝がむくれながら言う。

 普段から「ごみ掃除」と破落戸どもに立ち向かっている百枝だが、危険視までされるとは一体どれだけのことをしているのか、考えただけで恐ろしかった。

 それはともかく……。

 葵が意識を失ったのを見て、ジェイたちはただちに研究室へ彼女を搬入し検査を開始した。

 事情が事情だけに、内部で重篤なエラーが起こった可能性があったからである。

 幸い緊張の糸が切れて力が抜けただけだったようで、しばらくして葵は眼を覚ました。

 そこで本人に諒解を取り、組立線から手足を外したり外殼を開いたりして、頭からつま先まで内外ともに徹底的に調べ上げたのである。

「まず先ほども言った通り、脳は一切手を着けられていません。しかし躰の方は通常のサイボーグとして設計されたものではありませんでした。明らかに戦闘用に武装可能な構造をしています」

「戦闘用……!?」

 その根拠として、ジェイは右腕の構造を挙げた。

 後頭部から右ひじの先まで不自然にケーブル類をはわせられるような空間が設けられており、ひじとはまた別にその先が簡単に外せるようになっていたという。

「このような構造は、ひじから先を銃器に換装出来るアンドロイドによく見られるものです。頭脳から腕沿いに専用の人工神経を伸ばして接続することで、脳で直接制禦出来るようにするんですよ。手自体を廃棄して完全に銃器に換えてしまうことも可能ですので、ことによるとこれも……」

「うえ……何てこと考えやがる」

 ジェイがつとめて淡々と説明するが、百枝が青ざめたまま口許を押さえて言う。他の者たちの反応なぞ言うまでもなかった。

 シェリルはこれまでこの手の事件を扱ったことが多いためか、顔色は余り変えていなかったが、やはり眉をひそめるのは避けられていない。

「また胴体のかなり奥から、回路のつながった中身のない金属の箱が見つかりました。これは爆弾を設置するための容器であると予想されます」

「………!?」

 思いもしないものの登場に、一同が凍りついた。

「つながっていた回路が、プラスティック爆弾の起爆に使用されるものと同一だからです。箱に爆弾と雷管を入れて接続すれば、脳からの命令で起爆させられるようになります」

 こんなものをわざわざ入れる目的は、ただ一つである。

「敵に捕縛されて進退窮まった時のために、自爆用の爆弾を仕込む場所として入れられたものと考えていいでしょう」

「………!!」

 百枝が蒼白となって椅子から転げ落ちそうになるのを、啓一たちがかろうじて受け止めた。

「倉敷さん!しっかりしてください!」

 ジェイは一瞬唇を噛んだが、説明を再開した。

「これだけでもとんでもない話だったのですが、さらに調べると慣れない技術を多用したことがたたって、生体部分と機械部分の均衡が崩れかけていることが分かりました。簡単に言えば、機械部品を詰め込みすぎたせいで生体部分が圧迫を受けていたんです」

 このような現象は、アンドロイドでも機械部品と生体部品の関係として見られることで、ことによっては救急搬送ものとなるような深刻な事態を引き起こす。

「その時はまだ生命に異常をもたらすほどではなかったので、とりあえず経過観察としました。しかし翌日、いきなり意識の混濁を起こしてしまいまして……。圧迫を取り除くために不要な部品を取り外すなどして、どうにかして正常化を図りました」

 この時取り外された部品は五十点以上に上り、半数は先にも述べた自爆装置のように全く動作しないような形ばかりのものであった。

 こんなものを大量に入れられていたのだから、葵の躰が悲鳴を上げても当然である。

「ですが、ここまでしても駄目でした。躰の方はどうにかなりましたが、生体脳への圧迫を取り除くまでには至らなかったんです。そのため、短期間に立て続けに昏睡と覚醒を繰り返す事態にまでなりました。これはもう生命に関わると、脳をこちらの技術を用いてそのまま人工頭脳化しました」

「つまり、奈義さんを完全なアンドロイドに……?」

「そういうことです。まずいとは分かっていましたが、ここで死なすわけには行きません」

 シェリルの問いに、小さく首を振りながらジェイは言った。

 想像もつかない技術だが、それについて訊ねる余裕は一同にはない。

「……ともかく、きちんとした兵器として用いることの出来る仕様になっているのは確かです」

 もっともあくまで「仕様になっている」だけで、実用する気があるかどうかは分からぬ。

 下手に技術者たちが性的倒錯を開けっ広げにしたせいで、ただのマッド・サイエンティストの自慰行為なのか、本気で兵器として造ろうとしたのか判然としなくなったからである。

「もしまじめに兵器として研究しようとしているのなら、恐ろしいことです。量産化でも企んだ日には最悪でしょうね。社会や国家に弓引かんとしている可能性すら考えねば」

「……葵はただの女の子なのに、何でそんなもんにされなきゃいけねえんだ、何でだよ……」

 躰を震わせ泪を流しながら百枝が言うのに、瑞香がそっと肩に手をやった。

 それを沈痛な面持ちで一同が見ている中、

「……まさか私も、転移した先でこんな事件にもう一度出食わすとは思いませんでした」

「えッ」

 ジェイがぽつりと言うのに、シェリルが弾かれたように声を上げる。

「エリナも、一緒なんですよ。元は兵器として改造された少女でした」



「な……エリナさんが!?」

「そうです。今でこそ普通のアンドロイドですが、最初に会った時は武装していました」

「一体、どうしてそんなことに……?」

 ジェイはシェリルの問いに伏し目がちになると、ぽつりぽつりと話し始めた。

「……私のいた世界は、世界征服を企む悪の組織があり、それに対抗する正義の組織があって戦っているという世界でした。こちらの世界の特撮……でしたか、その系統のテレビ番組や映画で似た構図が使われているので、ああいうものだと思いますでしょう?とんでもありません、あれらがまだ平和に思えるほどのおぞましさです」

 まず悪側が一つではなく、多数の組織が群雄割拠している状態である。

 そしてそれに合わせているうちに、正義側も無秩序に数が増えすぎてしまった。

 かくて社会はほとんど戦国時代のような状態に陥り、泥沼の戦いが繰り広げられる事態になってしまったのである。

「ここに各国家の軍や警察まで加わりましたからね、もはや無政府状態ですよ」

 ジェイが生まれる頃には正義も悪も互いに何のために戦っているのかも分からないまま、ただひたすら戦いのための戦いを続けているだけとなっており、社会は荒廃しきっていた。

 秩序なぞない。人がごみくずのように死んでは補充され、戦えるなら女子供でも前線に送られるという地獄のような光景があちこちで展開され続けた。

「……まるで六道輪りくどうりんしゅどうだ」

 啓一がぽつりと言った。

 人が輪廻転生するという六つの世界の一つ・修羅道はひたすら闘争心に満ちた世界で、生まれた人々は数千年以上もの生涯を延々と戦い続けるという。

 ここまで極端ではなくとも、信念に妄執して無益な戦いを続けているところがそっくりだ。

「当然、倫理観なぞ既に崩壊していました。人間の改造も日常茶飯事です」

 これが悪側だけなら、最初から市民に対し悪意しかないのだからまだ理解は出来る。

 だが何と正義側もそれに手を染め、兵器としてこき使うという真似をしていたのだ。

「無辜の市民を拉致し、手駒に使う。これをどっちもやったんです。果たして『正義』の定義とは何ぞやと思いませんか」

 そんな状況であるから、ヤシロ一族の住んでいた場所も地獄だった。

 一応ある国家の政府の施政下にあったものの、彼らは自分たちが戦う方が大切だとばかりに、軽々しく紛争を持ち込んで来て大騒ぎするばかりで、市民はばたばたと死んで行ったという。

 それでも市民は「正義」を信じ、義勇兵となって万歳突撃のようなことをして玉砕したり、「正義を守らずんば一族に非ず」を掲げて無理矢理戦地に人を送り込んで犬死にさせたりと、目を覆わんばかりのありさまになっていた。

「もう、逃げるしかなかったですよ。命あっての物種というのもありますが、それ以上にこんな人たちにつき合っていたら自分の頭がどうにかなってしまいます」

 救いだったのは、中立勢力が存在し一定の地域を常に確保していたことである。

 中立ということで正義側も悪側も等しく排除するという方針を取っていたことから、双方から関わると面倒だと無視されており、戦いを嫌う人々の亡命先となっていたのだ。

 ジェイは実家を出奔して中立地帯の一つへ亡命し、そこの大学と大学院に通い純粋な科学者としてアンドロイド工学を修めたのである。

「中立地帯は必要最低限の武装しかしていませんから、軍事需要より一般需要の方がはるかに多かったんですよ。ですから私もどこかに研究所でも開いて、地域のアンドロイドの人たちの面倒を見ながら暮らすか、そう思っていたんです」

 しかし転居して研究所を開いた数日後、ジェイは出先で道に迷って紛争地帯に突っ込んでしまい、悪の組織を今しも警察が潰滅させんとしているところに巻き込まれてしまった。

 そして戦闘が警察の勝利に帰した直後、兵士と思われるアンドロイドの少女が現れたのである。

 これが、エリナであった。

「ひどいものでした、躰中ずたぼろの上に服も大きく破けて。しかも元々肩やももなどが露出したようなかなりの薄着だったらしく、ほとんど半裸に近い状態で困惑しました」

「当時のことを考えると、何て格好で人前に出ていたのかと……。これ、元々がレオタードみたいな服だったんですよ。うっすら覚えていて今でも恥ずかしくて恥ずかしくて……」

 エリナが心底恥ずかしそうに言って赤面し下を向く。確かにそれで外に出ろというのは、通常の精神状態の女性ならこれくらいの羞恥を覚えてもおかしくなかった。

「こちらの世界にはアンドロイドの女性の服飾習慣として、露出多めのぴったりとした生地の服を着るというのが存在しますが、さすがに平時の格好です。そちらに同じ習慣があるにしても、恐らくその辺は同様だと思うんですが……」

「まさにそうですね、そんなのは日常の格好ですよ」

「それならなおさら、弾丸雨飛の戦場で正気の沙汰とは思えません。ろくに攻撃も防禦も出来ないじゃないですか」

「正直、私もそう思いました。実際に私を敵と見なして攻撃をしかけて来たんですが、本当に威力の低い小型銃を撃つだけで、しかも思い切り外す始末。躰中の傷を見る限り、普段の戦いは肉弾戦が主だろうと推測しました」

 啓一は、特撮の悪の組織にありがちな下っ端戦闘員を思い浮かべる。

 妙ちくりんな模様の全身タイツ姿で奇声を上げて数を恃みに襲いかかり、ばたばたやられて行くのがお決まりのあれだ。

 話を聞く限り、それが薄着の美少女に置き換わったようなものか。

 いや、真っ先に狙われるような露出部が多い分、下っ端戦闘員より悲惨だ。

「このまま逃がしては死なせるようなもの、保護して連れ帰りました」

 だがここからが大変だった。エリナには、記憶と感情が欠けていたのである。

 眼を覚ました途端、いきなり暴れて逃げ出そうとした。

 制止して自分は味方だと言い聞かせても、機械的な口調で警戒の文言を吐くばかり。

 これはいよいよまずいと、強制的に電源を落として調べることになった。

「結論から言うと、エリナはサイボーグでした」

 詳しく調べると、生体脳が丸ごと残されている。

 しかし、前頭葉から大脳辺縁系にナノマシンが改造を加えた形跡があった。

「マシンを入れた場所は最初不明でしたが、内耳に穴が空いていました。ここからでしょうね」

 これに狐耳のサツキを含め、全員が耳を押さえる。

 確かに一番脳に近い場所であるし、創作でもそれを利用した描写があったりもする場所であるが、はっきり言って聞いただけで痛かった。

「その辺りって……思いっきり情動や長期記憶を司るところじゃないですか……」

 サツキが耳をぺたりと伏せながら、とんとんと耳の間と盆の窪を指差す。

「そうです、ですからこれは感情や記憶を削りにかかったんだろうと」

 ただ不幸中の幸い、両方とも消去に失敗して一時的に封じられているだけであった。

「本来はこれ以上何もしたくなかったんですが、このままでは脳自体が不安定で何が起こるか分からないありさまでした。ナノマシンを駆除の上、人工頭脳化して解決しましたよ」

「特撮を通り越して完全にSFの世界だ……」

 またもあっさりと持ち出された「人工頭脳化」に、啓一が呆然として言う。

「あと、躰を調べたらプラスティック爆弾が出て来ました。どう見ても自爆用でしょう。直ちに燃やして処分し、空いた場所に補助電源を増設する形で埋めました」

「けッ、鉄砲玉にする気満々かよ。誰なんだ、そんな改造した糞野郎ども」

 百枝が怒りで顔を歪ませ、いつもよりさらに乱暴な口調で問う。

「最初は分かりませんでした。『機密事項』とかたくなに繰り返すばかりで」

 しかし、記憶が消えたわけではないのはしっかり確認していることだ。

 いつかは蘇ると信じ、普通の少女として接しながら一ヶ月。

 エリナは頭を抱えて苦しみ始め、ついに記憶を取り戻した。

「そして語られた内容に、私は愕然としました。何とエリナを改造したのは、本来『正義』の側であるはずの警察だったんです」

「はああ!?」

 百枝がひときわ大きく叫んだ。

「さらに驚くのはここからです。エリナは、警察幹部の娘だったんですよ」

 エリナの父親は人格が完全破綻しており、ひどい女性差別主義者であったという。

 このため血を分けた娘だというのに、

「戦闘に役立たない女なぞいらん」

 とうそぶいて、平然と虐待をしていた。

 そしてサイボーグ部隊を増員する際、

「どうせ役立たずならせめて鉄砲玉で役に立て」

 そう言って強制的に手術室に放り込み、一兵士に仕立て上げてしまったのである。

 警察幹部とは思えない非人道的行為に、ざわり、と一同がざわめく。

「……本気で吐き気がする下衆野郎だ。何が『正義』だ、糞外道めが」

 ぎりぎりと音がするほど百枝が切歯した。

「同感です。衝撃を受けた私は、同じような目に遭わされている少女を助けようと奮闘しました」

 だがことの露見を恐れた警察は、「悪の技術者」というプロパガンダを流し活動を妨害して来た。

 そしてついに研究所にいられなくなったジェイは、エリナとその他助けた少女たちを含む十人とともに、逃亡生活を開始したのである。

「しかしその最中、どこかの組織の対空砲が暴発しまして、山をどかんと鳴動させたんです。その途端、私とエリナは暗闇に放り込まれました」

 啓一の時と同じく、共振によって裂け目が出来てしまったのだ。

 こうしてジェイの苦労は水泡に帰し、彼とエリナだけがこの世界に飛ばされてしまったのである。

「一瞬何が起こったか分からず、そして理解した瞬間絶望しました。確かに私は警察の手から逃れようとしましたが、こんな逃れ方は望んじゃいない。しかも九人も置いて……」

 余りにも、残酷すぎる話だった。残された九人がどうなるか、想像出来るだけに余計である。

 このため元の世界に戻れないと知って、完全に抜け殻のような状態になってしまった。さらには暮らし始めた直後、エリナが目を離したすきに衝動的に自殺を図ったのである。

 この際警察官にやけにならぬよう言い聞かされた上、以後も心配されてちょっと何かありそうだと思われると声をかけられるようになったのだが、これが逆にジェイの心をかたくなにさせた。

 エリナのことから警察への反感を極めて強く持っていたために、この配慮を警察による監視と干渉行為であると悪い方に解釈し、不信感を募らせ烈しく嫌ったのである。

 そしてついにその嫌悪感が頂点に達した結果、ほぼ夜逃げ同然で逃げ出して各地を転々とした後、ちょうどいい物件があったからと緑ヶ丘のこの家に越して来たのだ。

「ああ、やはり警察に反感持ってたんですね……。お会いした時の行動から、何となくそう思ったんですよ。失礼な言い方ですが、敵と見なしてないとあそこまではやらないでしょう」

 啓一が言う通り、あの過剰なまでの拒絶反応は敵意なしには到底出て来ないものである。

「反感も持ちますよ。元の世界で社会を引っかき回すに飽き足らず、いやしくも血を分けた娘を生贄にする輩が幹部にいたとなっては」

「今回お知らせくださらなかったのも、それでしたか……」

「……半分は。ことが余りに荒唐無稽で信じられまいという思いもありましたが、やはり」

 シェリルは眼を伏せたまま、何も言わなかった。

 ただジェイが嫌ったのはあくまで警察だけで、転居して来た頃にはエリナの支えもあって何とか立ち直り、この世界に適応しようという気を起こしていた。

 政治や社会制度、価値観や倫理観などありとあらゆることを調べて学び、学術や技術に関しても論文を読み実践してみるなど、日夜理解に努めたという。

 その結果分かったのは、元の世界に比べると政治などに関してははるかにしっかりしているが、学術や技術に関しては特に科学技術面での齟齬が烈しく、下手をすれば遅れているということだった。

 前者についてはいいのだが、後者がいかにもよくない。元の世界から持って来た技術はおろか理論や知識までもが、こちらではほぼ通じないことが分かってしまったからだ。

 これに再び絶望したジェイは、その衝撃で隠棲を選ぶ。その後は前の住人が残して行った機材や手に入った各種の機械類を改造して、元の世界で使用されていた機器類を再現することに時間を費やし、技術者として居場所を失った寂しさをまぎらわせていた。

「唯一の救いは、エリナがなるたけ前向きでいようとしていてくれたことでしょうか。どうやらUniTuber活動がよかったようで……」

 エリナが「エレミィ」の名前で活動を始めたのは、間接的にでも人に触れていたいという思いからである。まさか名が全国に知れ渡るほどの存在になるとは思わなかったが。

「それでようやくこれはこれでと思っていたら、反社から眼をそらすことが出来なくなって……今やこのざまです。前世でどれだけの悪事をしたやら、まああんな世界に生まれ変わった時点でろくなもんじゃなかったでしょうけども」

 自嘲するように小さく笑うと、ジェイは、

「さて、話はこれで終わりです。洗いざらい、吐きました」

 すっと悲痛な表情になった。

 そしてゆっくりと立ち上がるや、

「どうぞ。お縄をちょうだいします」

 ゆっくりと両の拳を握り、並べてシェリルの前に差し出したものである。

「この国の法に従えば、理由が何であれ私は重罪人です。二人も実質的に改造したんですから。甘んじて縛につくつもりでいます」

「待ってください!ヤシロさん、あなたは人助けをしたんですよ!?あのままだったら、私は動けず牢獄に閉じ込められたも同然だったんです!!」

「そうです!!私も助けてもらえなかったら生き永らえられなかったですし、お姉ちゃんにも会えなかったはずです!!助けた人が捕まるなんておかしいですよ!!」

「マスターを捕まえるなら、私も一緒に捕まえてください!共犯ですよね!?」

「シェリル!!お前、分かってるだろ!?この人がいなかったら二人も犠牲者が出てたんだぞ!!それを防いだ人が罰せられるなんて!!いくら何でもあんまりだろうが!!」

「シェリル!!お願いだからやめてちょうだい、あなたが捕まえるべき連中はもっと他にいるでしょう!?こんなの誰も幸せにならないわ!!」

「大庭さん!!確かに法は法です!!でも人命を必死で救った方がそんな目に遭うなんてあんまりです!!このような天をも恐れぬ大罪を犯した奸賊を捕らえるのが、本来の警察の、刑事の役目ではないのですか!?」

「おい、シェリル!!お前、逮捕しようもんなら分かってんだろうな!?大槌かけやで粉々にして埋めてやる!!連邦警察の警視様なんざ怖くねえ!!」

 清香と葵、啓一とサツキと瑞香がすがるように必死で懇願し、エリナが決意の視線を向け、百枝が殺意を露わにする。

 だが次の瞬間、シェリルは、

「何のことですか?」

 あっけらかんと言った。

「うーん、少々記憶機能にエラーが生じていますね。一部の記憶が欠損してしまったようです。困ったものです、超高性能の大庭式人工頭脳も時にはこういうことがあるんですね」

「え、あ、欠損って……あの、英田さんを改ぞ……」

「ああ、これはいけません。このエラー、どうやら厄介な代物のようです。同じとおぼしき話を振られても、覚えられそうにありません。困りました、実に困りました」

 ジェイが言い直そうとするのを遮り、シェリルはきょろきょろとあわててみせる。

「ということで、私が覚えている限りでは罪に問う事実はありません。いいですね?」

「い、いや、その」

「いいですね?」

 シェリルに迫られ、ジェイは、

「は、はい」

 やっとそれだけ言った。

 ジェイが手を引っ込めたのを見て、シェリルはぱちりと片眼を閉じてみせる。

「ありがとうございます、ありがとうございます……!」

「お前、話分かるじゃねえか!」

 わあっ、と盛り上がるのに、

「お礼言われることしましたかね?ない罪で逮捕しないのは当たり前ですよ?」

 あくまで冷静に答えた。

「じゃあ、一旦失礼します。かなりの重大事件に発展したため、本部へ報告の上で今後の対策を練る必要があります、まずそれを急がないと。このたびは、ご協力ありがとうございました」

 シェリルは立ち上がると、ジェイに手を差し出す。

「こちらこそ」

 その握手を受けた後、葵の部屋を一緒に出た。

「……お前さん、存外粋なことするじゃねえか」

「さあて、何のことやら存じませんね……」

 啓一がそうささやくのに、シェリルはそうとぼけてみせたのだった。

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