十一 陽炎の丘

 神明社を一同が訪ったのは、それから三日後の朝のことであった。

「林野さん、大庭です。お忙しいところ失礼いたします」

 社務所の格子戸を開けて顔を出した瑞香に、シェリルがホログラムを提示してみせる。

「……もしや、葵ちゃんのことでしょうか。あれから進展が?」

「ええ、ありました」

「どうなったんですか、あの子、どうなったんですか!?」

 シェリルが言い終わるのも待たず、瑞香は食いつくように迫って来た。

「待った、瑞香。ここでそんなあせっても仕方ないだろ、中でにしな」

 百枝がどこか神妙な声で言うのに、ようやく瑞香は引く。

「すみません、俺たちも今日は同道しています。シェリルに来てくれと言われているので」

「失礼します」

 啓一とサツキも、二人に続いて中に入った。

 あれから……。

 念のためにと百枝を医者まで連れて行った後、啓一とサツキに後をまかせてシェリルは速やかに警察署へ赴いてこの話を伝え、新星の捜査本部にも報告を行った。

 この内容に市警は上を下への大騒ぎとなり、連邦警察にも衝撃が走ったのは言うまでもない。

 唯一目撃情報があったあいさやの件に連続失踪事件の突破口を見つけようとしたら、突破を通り過ぎて背後に組織的と思われる人体改造実験が二件もあったという報告が返って来たのだから当たり前のことだ。

 事態を重く見た捜査本部は緑ヶ丘への捜査員増派を行い、新たに判明した奈義葵の事件を連続失踪事件の一件に加えて捜査を仕切り直すことを決定したのである。

 一方シェリルは部下二人を連れて神明社へ向かい、瑞香に葵の失踪を告げるとともに、人体改造実験の話を含む一件の概要を説明した。

 瑞香もやはり妹のように思っていた少女が常識を超えた兇悪事件に巻き込まれたと聞いて倒れかけたが、気丈にも持ち直し聴取にも協力したのである。

 それから三日音沙汰なしということで、瑞香もかなりあせっていたようだ。

「と、とりあえずこちらへ……今日は日差しが強すぎますから。何でしたらクーラーも」

 ひどく動揺しつつも、瑞香は日陰になる奥の部屋へと一同を通す。

「十月にクーラーはさすがにいらねえよ、確かに馬鹿陽気で糞暑いけどさ」

「でも、百枝さんそんなに汗かいてるのに……本当にいいんですか?」

 手で額の汗をぬぐいつつ、百枝は一つこくりとうなずいた。

「それでは、落ち着いたところで……まずは、この三日間で判明した事実からお伝えします」

 葵の最初の足取りをたどるのは比較的簡単だった、とシェリルは言う。

 自宅を管轄する岡山県警に、既に捜索届が出されていたからであった。

 これによると、葵は九月二十日深夜に行方不明となっていたことが判明したのである。

「ご家族のお話や奈義さんの部屋の様子から、家出ではないかと見られています」

「家出……!?じゃあ、ここに来る予定だったんでしょうか」

「これまでの経緯いきさつからするに、そう考えるのが自然です。倉敷さんと林野さんに会いたがっていらっしゃったようですし、それを右に置いても異邦で知人がいるなら頼るものですからね」

 同じ見解に達した岡山県警が一番近い関西宇宙空港で捜査を行った結果、乗船名簿から九月二十一日に新星空港へ向かう船を利用して出国したことが分かった。

 日本と天ノ川連邦は互いに旅券なしでも出入国可能ではあるが、完全に関門なしではなく入国管理局の簡易審査がある。この記録とも突き合わせて裏を取ったので、これは確実と言える。

 だが、そこでふっつりと葵の足跡が途切れた。

「監視カメラの映像を調査したところ、下船時の姿と空港内を歩き回っているところは映っていたのですが、そのうちにふっと消えまして……」

 その後も新星緑ヶ丘線の出発時刻に乗場の映像を調べたが、葵の姿は一切ない。

 念のため運輸省から二十一日と、またそれ以降の乗船名簿を提供してもらったものの、新星緑ヶ丘線に乗った形跡は一切なかったのだ。

「こうなると、新星空港で行方不明となったと断定するしかないでしょう。ターミナルビルの外に出てしまった可能性もありますが……遠くまで行くとは思えないので、ほぼそう言っていいかと」

「そんな……でもじゃあ、どうやってここへ来れたっていうんですか」

「残念ながら、それに関してはまるで不明です。ただ先日話したような状況からして、やはり拉致であろうと考えるのが自然と思われます」

「………」

「現在、この日以降に空港の自家用船専用棧橋を利用した船の中に、不審な船がいなかったかどうかを調査しています。かなりの数があるため時間がかかりそうな按配です、申しわけありません」

 シェリルが深々とこうべを垂れるのに、瑞香は、

「あ、いえ……こちらもそう簡単にいろいろ分かるとは思っていませんので」

 あわててとりなす。

「一方で、興味深い情報が手に入りました。二十四日二十三時頃、かがみだん行の乗合に起点の横山から少女が乗って来て、終点で降りたというんです」

 この路線は先日啓一とサツキも乗った路線で、赤駒地区から川を渡って中心部へ入り、植月町を通って最北部の団地・鏡団地で終点となる路線だ。

 運転手によると、少女はしわだらけの服に泥だらけの靴という見すぼらしい姿をしており、いやに辺りを警戒するような素振りを見せていたという。

 こんな夜中に曰くありげとは思ったものの、貧しいだけで特に大きな事件や事故に巻き込まれたわけでもなさそうだと解釈し、何も問わずにそのまま乗車させ出発した。

 終点で無一文と分かった際にも、先のようなありさまからどうにも責めるに忍びず、そのまま運賃を取らず次乗る時に払うよう言い聞かせて降ろしてやったというのである。

「出口周辺にあるカメラの映像を解析すると、奈義さんの顔とほぼ一致しましたので確定でしょう。このため植月地区周辺にいると考え、現在捜索を行っています」

「具体的にどの辺を?」

「そうですね……地区の北部全域が一応対象ではありますが、次第に植月神社周辺と奥宮町を重点とするようになって来ています。この周辺は雑木林がとみに多くて、迷い込む可能性が高いですし」

「………」

「また手前にお住まいの方、特に神社横の宮の坂ではかなり遅くに出歩いている方がいるようなので、そういう方の目撃情報も当てにしています」

 ここで瑞香が、なぜかわずかにおびえたような表情になった。

 それを一瞥したきり、シェリルは話を続ける。

「ですが、時刻が真夜中から早朝ですからなかなかじゃありません。その時間に時折夜回りをしている方がいらっしゃると聞いたので、何とかして全員に聞き込みをしたのですが……」

「駄目だったんですか?」

「ええ、残念ながら……。殊にセレナさんという方は会うのすら大変で、ようやくつかまえたと思ったら何も知らないと。さすがに天をあおぎましたよ」

「セレナさんは仕方ないでしょう。見回っているといってもほんとに庭周りだけだそうですので……。見ているとはちょっと思えないですね」

「おや、セレナさんをご存知でしたか。地元でもないのに」

「それはもう。百枝さんが以前こっちへ来た時に話してくれましたからね。ヤシロさんという家のメイドさんで、町内会の夜回りの方といろいろあって大変だったとか何だとか」

「なるほど、それでご存知だったんですか……」

「ええ、そうなんですよ」

 瑞香がそう言って苦笑を浮かべた時だ。

 シェリルがにわかに険しい表情となるや、

「……林野さん、なぜセレナさんの名前を知っているんですか?」

 静かな声でそう問うたものである。

「ですから、百枝さんが……あッ!」

 途中まで言いかけて、瑞香の顔がさっと青くなった。

「おかしいですね……いなさんやサツキちゃんの話によると、倉敷さんはヤシロ家の人たちの名前を一切知らないとのことでしたが。そもそもセレナさん自身が、夜回りの騒動の時ですらかたくなに名乗ろうとしなかったそうですから、なおさらに知りようがないはずでは?」

「………!」

「先日初めて倉敷さんのいる近くで名乗ったようですが、名前を聞いたのは禾津さんとサツキちゃんだけとのことでした。倉敷さんはよそっぽを向いて掃除に夢中になっており、後ろで何か話してるなという程度の認識だったとのことです。さらに言うとセレナさんの声は淡々として静かなので、そんな状態ならなおさら聞こえる可能性は低いでしょう」

「………!」

「倉敷さんが探るということもありません。ヤシロ家については別に害があるわけでもないからどうでもいい、そう言っていたそうですから。第一にして、興味本位で他人の隠しごとを無理矢理かぎ回るような性格の人でないことくらい、親友ならご存知ですよね?」

「………!」

「そのようなありさまですから、倉敷さんの口からセレナさんの存在が語られることはあっても、名前が出ることは有り得ないはずです。それなのに、なぜご存知なのですか?」

「………!」

「もしかするとあなたが、セレナさんの名前を何らかの形で知り得る立場にあるからではありませんか?もっと言えばご本人、さらには彼女の住まうヤシロ家と交流をお持ちだからなのでは?」

「………!」

 ここぞとばかりに畳みかけられ、瑞香は完全に凍りついている。

(はめられた……!)

 このことであった。

「そうそう、禾津さんからお願いしたいことがあるとのことですので……」

「ええ。ちょっとこの紙に、ある文字を書いてもらえませんか。筆ペンを用意して来ましたので」

「え、あの……」

 瑞香が戸惑うのをよそに、啓一はかばんから「溶ける和紙」と袋に書かれた紙を一枚取り出して彼女の眼の前に置いたかと思うと、

「『天勾践こうせんを空しゅうするなかれ、時に范蠡はんれい無きにしも非ず』、これを訓読なしの白文でお願いします」

 きっぱりと言い切ったものである。

 とうとう瑞香は、がくりとうなだれた。全て見透かされていた、そんな顔である。

 その時、後ろで黙り込んでいた百枝が、

「……瑞香、すまない!ばれちまったんだ!」

 歯のすき間から絞り出すような声で言った。

「百枝さん、それ、どういう……」

 これに百枝はシェリルたちの方を一瞥すると、小さくなりながら答える。

「お前さあ、三日前にヤシロさんとやり取りしてたろ。その時たまたま刑事殿がハッキングしてて、経路をたどられちまったんだよ。しかもあの人、刑事殿がオタ猫と一緒に迷ってたからって『高徳』にからめたパフォーマンスして助けたんだぜ。その時点でほぼ決まったようなもんだ」

「………」

「しかもさ、あたしがまたうっかり不機嫌丸出しで口滑らせちまったんだよ。これだけならまだごまかし効いたんだろうけど、みんなこないだあたしがヤシロさんと『高徳』の話に興味を見せたのを怪しんでたらしくてさ……完全に決定打になっちまった。ああもう、我ながら何やってんだ」

 あのハッキングの翌日に百枝の許を訪ねたシェリルたちは、ヤシロ家主人の介入を知った時、さらには先日ヤシロ家主人と「高徳」について話をした時に見せた不審な態度と発言とを根拠として、

「『高徳』の正体をご存知ですね?」

 そう迫ったのである。

 実際思い返せば、これらの時の百枝には奇妙な言動が見られた。

 発言においては当事者や関係者が言っていてもおかしくないような言い回しをしており、その場にいた者たち、なかんずく啓一はそこはかとない違和感を覚えている。

 態度では「どうでもいい」と言ったはずの隣人の話を必死で聞いていたり、与太話のはずの「ヤシロ家主人=『高徳』」説に対し困惑したような姿勢を見せたり、さらにはハッキングへの介入で驚かずに不快感を示したりと、挙動不審と取るしかないものがあった。

 発言の方はどっちつかずのところもあったのでまだ言い逃れ出来るにしても、態度の方はさすがにそうは行くものではない。

 これからすると、百枝はヤシロ家主人や「高徳」に対して、正体を突き止めようとする、もしくは正体が露見するような方向にことが進むのを嫌っていると考えられるのだ。

 そしてここまでするからには、「高徳」の正体を知っているばかりでなく、さらにヤシロ家主人や「高徳」との間に何らかの関わりを持っていると考えなければ平仄が合うまい。

 もっともそれを一気にぶつけると混乱するため、まずはこの切り口で話を始めたのだ。

 百枝は最初こそ否定していたが、一同の追及についに崩れ、全てを白状したのである。

「……あんなの、さしものあたしでも白旗上げるぞ。『白状せねばてこでも動かぬ』と言わんばかりの気魄で迫って来るんじゃさあ。刑事殿みたいな訊問のプロまで混じってんのは反則だぜ」

 よほど問いつめられたのか、百枝はげっそりとした顔になった。

「しかも、今も瑞香をいびるみたいに理詰めで攻めて白状させるとか……。うだうだ畳みかけないでも、あたしが『あのメイドさんの名前知らなかった』って言ってたって言えば、一発で済んだ話じゃねえかよ。刑事殿も性格悪いぜ」

 ある程度までもっともなだけに、三人は少しだけ気まずそうに眼をそらす。

「でも倉敷さん、『高徳』という人の正体を明らかにすることが、この一連の事件を解決する鍵の一つだって気がしたんですよ。大体にしてこの人、想像がつかない手段で信じられないほど細かい情報を得て動いてたわけじゃないですか。しかも今回のことで、事件の核心に迫る情報を得ている可能性も出て来たわけですし……。もはやここまで来たら、ヴェールをはがさないわけには行きませんよ」

 サツキがとりなすように言った。

 実はこの計画の実行を強硬に主張し、百枝にことの次第を白状させようと一番がんばったのが、意外にも彼女だったのである。

 こんなことは、穏やかな彼女にしては実に珍しいことだった。敬愛する先輩が危険にさらされている以上、何が何でも早く動かねば、その思いに突き動かされたのだろうか……。

 話を元へ戻そう。

 シェリルは瑞香に向き直ると、

「ともかく、全てはこちらが持っている証拠と倉敷さんの話から判明しています。謎の義士『高徳』は、倉敷さん、林野さん、そして……ジェイ・ヤシロさんが作り上げた存在だと」

 ゆっくりと告げるように言った。

 この言葉に瑞香は、

「その通りです。実際には具体的な計画を立てていたのは私とヤシロさんの二人だけで、百枝さんには単なる実行役としてお手伝いをしてもらっていたというのが正しいのですが……」

 改めて事実を認め、ことのなりゆきを話し始める。

 元々この計画は、ジェイが言い出したものだった。

「自分の持つ情報で中心部の住民を一部なりとも助けたい」

 そのような思いから生まれたものである。

 ただし百枝は当初は何の関係もなく、二人がうかつに自宅を空けられないことから、比較的自由のきく人物ということで実行役にと引きずり込まれただけだった。

 こんな状況であるから、当然百枝は一連の計画に関して一切の決定に関わっていない。

 渡された手紙をあの「白桜十字詩」の書かれた紙ではさみ、指定された家に投函しては裏道を使って引き上げる以外のことはしていないのだ。

「いきなり二人に拝み倒されて、あんなパフォーマンスやることになっちまったんだ。しかも日によっちゃ新聞配達よろしく何軒もやんなきゃいけないっていう……」

 危険がないわけではないし、何よりも百枝の肉体的・精神的負担が大きい。

 この計画の中では、一人結構な割を食わされた格好になった。

「まああたしなら、ステゴロも出来るし匕首あいくちくらい平気でかわせるしで見つかっても何とかなるからな。しかもちょうどヤシロさんちとは隣り合ってるから、連絡つなぎも簡単なわけだ。そりゃちょうどいいと思うだろうよ」

 とんでもないことをさらりと言いつつ、百枝は肩をすくめる。

「瑞香もよくやるぜ、みんなの印象に残るよう演出するなんてさ。『白桜十字詩』書いた紙つけて存在アピールして、ついでに『高徳』って名前で覚えてもらうとか」

「そうした方が先々やりやすいからと、私から提案してやらせてもらったんです。中身をどうしようか悩んでいたら、たまたま百枝さんのところのさく神社じんじゃが頭に浮かんだので、ゆかりの『白桜十字詩』を使ってみようと思いついたんです。視覚的に目立たせられますし、作者の名前を偽名としても使えますから。あと激励の詩なので、意味が分かる人がいればこちらの気持ちも伝えられるかも知れないと」

「まあ、効果は充分だったよな。あれだけ住民に頼りにされて『義士』と祭り上げられたんだしさ。……ただ、添えた気持ちまで分かった人ってどれだけいたやら。もっともあの辺の人らにとっては詩も伝説も故郷くにでそこそこ有名な代物だから、いないことはないだろうけどな」

 植月神社の摂社・作楽神社が「白桜十字詩」の出て来る児島高徳伝説ゆかりの神社であり、本社が津山郊外にある院庄の守護館跡に鎮座しているということは、先にも説明した通りだ。

 神社まであるとあって、津山周辺では児島高徳伝説も「白桜十字詩」もそれなりに知名度がある。中心部の住民にはまさにその津山周辺から移住して来た者が多いので、印象の残り方もいや増すことになったばかりでなく、詩を理解した者や添えた心まで察した者がいた可能性も否定出来ぬ。

 本当にたまたまの思いつきからであったとはいえ、瑞香が「白桜十字詩」を選んだのは結果的に正解だったと言えるだろう。

「一応お訊きしますが、この紙の文字を書いたのは林野さんですよね?」

「そうです。いちいちだと大変なので、何十枚もコピーしたのを百枝さんに渡していました」

「それが一番手っ取り早いからな。ただこっちは隠すのに往生して、仕方ないから金庫で土地権利書とかと仲よくしてもらってたよ。……刑事殿にはあっさり見抜かれちまったけどさ」

 よく考えれば定番も定番だもんな、と百枝はため息混じりにつけ加えた。

「情報は林野さんとヤシロさんが独自収集したものを使った……と聞いていますが、そもそもお二人の接点はどちらで?倉敷さんはご存知なかったので」

「それは、ここにヤシロさんが参拝に来られたのがきっかけです」

 これは、本当に偶然のことだったという。

 何せこのような土地、神をも恐れぬ真似をする不埒な輩は多くとも、神を拝みに来る人というのは実に珍しいものだった。

 中心部の寺社仏閣の状態はひどい。神社はここ緑ヶ丘神明社以外は仮殿状態、寺院に至っては全部郊外に疎開して仮本堂だ。

 神も仏も逃げ出さねばいられない、そんな状況なのである。

 それを知っているだけに、何ということのないこの光景が瑞香には泣くほどうれしかった。

「ヤシロさんの方も何か思うところがあったのでしょう、時折来られるようになりましてね。そうする間に、何とはなしにお知り合いとなりまして」

「あれ、じゃあもしかして私たちが駆け込んだ時に助けてくれた男の人は……」

「あの人がヤシロさんです。あの日、珍しく対面で打ち合わせしたいといらっしゃってたんですよ」

「なるほど……でも、どうしていきなり姿を消しちゃったんでしょうか」

「警察を呼ばざるを得なくなるなど、大ごとになって悪目立ちしそうな場合は立ち去っていいという合意をしてあったんです。ヤシロさんが、余り存在を知られると計画が露見しかねないとの懸念を強く持っていまして……。ここに来るだけでそのリスクがあるのにそんなことになろうものなら大変な話だと切々語られ、やむなくそうすることに」

「そうだったんですか。過敏すぎる気もしますが……そういう話があったなら仕方ありません」

 サツキは釈然としないような顔をしつつも、とりあえずは納得したという体で盆の窪をかく。

「それはともかくとして……接点を持って来たのはあちらからだったんですね。顔見知りになったところで、計画の提案をするつもりだったんでしょうか?」

「最初は本当にたまたまだったそうです。でもその頃から、腹案だけはあったとか。先ほども言った通り、自分の持つ情報網から入って来る情報を、中心部に住んでいる方の安全のため生かせないかと。しかしわけあって、警察を通すことは出来ない。かといって一人でというのも、生活に支障が出かねない……というわけで、ずっと協力者を探していたとのことでした」

 そんな時、中心部に住んでいて街の安全を願う同志であり、さらには地元の細かい情報が自然と手許に入って来るという立場にもある瑞香と偶然邂逅したわけである。飛びつかぬわけがなかった。

 警察を通す気がなかったのは、ハッキングによって情報を手に入れていたからだろう。

「おいおい、思いつきに巻き込まれたのかよ、あたしは……成功したからよかったけど、駄目だったらどうするつもりだったんだ……」

 すっかりあきれたという顔で、百枝が半面を覆った。

 こればかりは完全にとばっちりとしか言えないため、一同も気の毒そうにその姿を見ていた。

「となると、手紙はヤシロさんが書いていたんですか?」

 シェリルが仕切り直して問うのに、瑞香は、

「そうです。事前の打ち合わせでそう決まっていたので」

 そうはっきりと答える。

「そうなると、どの案件を選んでどこに投函するかの決定もですか?」

「それもです、ヤシロさんに一任していました。ご自分の情報と私の情報の中から、緊急性の高いものを選ぶという形で。ただやはり判断に迷うものも多くて、しばしば相談を受けてました」

「ああ、あの時のやり取りはその相談だったってわけか。そんな最中に、よく刑事殿やオタ猫を助けられたもんだ。しかも二人の状況に合わせて、即興で相関図作れるとか半端ないだろ」

「その場で図を!?ハッキングの腕には自信があると言っていましたが、そこまでとは……」

 瑞香は百枝の言葉に驚きの声を上げ、半ば呆然としてしまった。

 どうやらこの様子からするに、ジェイは瑞香と仕掛人として組んでいながら、自分の能力をきちんと伝えていなかったようである。

 情報の信憑性を保証するためにもこういうことは必要なように思われるのだが、それをなあなあにするとはどういうことなのかと疑わざるを得なかった。

「では、受け渡しの方法は?」

「こっちで話し合って決めた。あちらからあれこれ指示をしないといけなくなることも有り得るから、対面じゃないとまずいと言われてさ。そんならうちの境内でって言ったんだが、何だか知らねえがとてつもなく嫌がってよ」

 その嫌がり方たるや相当なもので、

「見られたり聞かれたりしたらどうするつもりなんですか!?たとえその時はばれなかったとしても、詮索しようとあれこれからんで来たりするかも知れないでしょう!私や家の者にとって、そういうのが一番困るんですよ!」

 顔を歪めてすさまじい剣幕で食ってかかって来たのだという。

「……過敏にもほどがありませんか?倉敷さんのところは周囲からほとんど見えないはずですし、参拝者が途切れずいるというわけでもないんですから、やり方次第で何とでもなるでしょう。会ってる理由だって、隣人なんですからいくらでもつけられるはずです。それに詮索してからんで来るって何ですか、常識があればそんなことしませんよ。そこまで来るともう言いがかりです」

 シェリルが眉をひそめて突っ込むのに、百枝は、

「ほんとにそうだよ。何とか否定したかったけど、もう相手の雰囲気が聞く耳持たんって感じでさ。しょうがないから代替案を考えることにしたよ」

 当時のことを思い出したらしく、むすりとした顔で言った。

「そこで思いついたのが奥宮の前だ。ここなら普段からあたし以外来ないし、入口が一つだから理由つけて通行止めにすりゃ誰も入って来ねえ。それに、抜け道であっちとつながってるしな」

「抜け道って、もしかすると俺が奥宮参拝の時に入り込んだ藪のことですか?」

 これは啓一である。

 セレナが見回りで歩いていたくらいなので、敷地同士をつなぐ道として充分使えるはずだ。

「そうさ、たまたま道みたいになってたところを使わせてもらったんだ。藪に偽装してあるから分からなかっただろうけど」

 つまりあの時啓一は藪に突っ込んだのではなく、抜け道の戸場口に飛び込んでしまったというのが正しかったわけである。

「受け渡しがある時は、電話で連絡もらってやってた。大変だったぜ、神社からそう離れないからいいものの、仕事を中断しなきゃいけなかったからな」

 手紙を持って来ていたのは、長くジェイ本人であった。

 だが今年の五月頃から、いきなりそれが同居の少女に変わったという。

「前に女の子がいるみたいだって言っただろ、あの子だよ。緑の腰まである長髪の子でさ。ヤシロさんを『マスター』って呼んでたんで、こりゃあの人の造ったアンドロイドの子かなと」

 もっともその辺りを訊いても答えようとしなかったため、今も詳細は不明のままだ。

 そして本来の使用人であるはずのセレナは、一度も現われなかったという。

「……メイドさんがいながらわざわざ家族にって、妙ですね」

「まあな。だがあたしは手紙もらえさえすりゃそれでいいんで、どうでもよかったんだけどよ」

 ぶっきらぼうに百枝が答える。

 そもそも自分の知らないところで決められたのをやむなく受けて動いたのだし、こういう態度になるのは仕方ないとも言えた。

「まあともかく、これでお訊きするだけのことはお訊きしました」

「あ、あの……やはり罪に問われるのでしょうか」

「問うことはしませんよ、救われた人がいるわけですし。ただ不審者まがいのことをしていたのは確かですし、警察に隠していたのもよくありません。ですから今回は厳重注意ということで」

「ありがとうございます……!」

 やはり後ろめたさがどこかであったのだろう、瑞香は泪を浮かべて礼を述べる。

「それでは、林野さん……いきなりで申しわけないんですが、今日は急用などありますか」

「え、いや、特にありません」

「では、ご同道をお願い出来ないでしょうか。神社の方は市警に厳重な警備をお願いしておきます」

「あの、大庭さん……まさか」

「ご想像の通りかと。ここまで明らかになって、行かないわけには行かないでしょう?……とりあえず、私が何とかしますので」

 シェリルは不安そうな瑞香にそう答えると、百枝の方に顔を向けたのであった。



「あちらから連絡なんて、一体どういうことでしょうか……」

 藪の中の道を抜けながら、少女はそうひとりごちた。

 藪の周辺、いやこの奥宮町には、今陽炎が立っている。

 余りの強い日差しと暑さに、季節が秋から真夏へ巻き戻ってしまったようだ。

 道を抜けたところで、むわっと熱気が来る。

 この季節にはいささか不釣り合いな薄手の白いワンピースが、今日は逆にちょうどよかった。

 だが、暑いものは暑い。少女は奥宮へ通じる道にたどり着いたところで一度立ち止まると、顔にかかった緑の長髪を一払いして髪を整え、時計に眼をやった。

「間に合いそうですね」

 そうつぶやいて奥宮へと歩みを進めていた時である。

「……久しぶり。すまないな、呼び出して」

 いつもは奥宮の前で待っているはずの百枝が、道の分かれるところでひょいと姿を見せた。

「何のご用でしょうか。余り例の手紙を渡す時以外で会うのは、ことが露見する危険性が高いのでやめた方がいいと思うんですけども」

 辺りを見渡しながら言う少女に、百枝は一つ首を振ると、

「いや……申しわけないが、無駄だ。ばれちまった」

 ゆっくりと神妙な声で言う。

 瞬間、シェリルと瑞香が姿を見せた。

「こ、これは一体……」

「ジェイ・ヤシロさんのご家族ですね?」

「え、ええ」

「……まず、このような騙しうちをしたことを深くお詫び申し上げます。こうでもしないと、お会い出来ないと思いましたので」

 シェリルが深く謝罪するが、少女は状況を理解しかねて驚いたまま何も言わない。

「私は、連邦警察特殊捜査課所属の警視・大庭シェリルと申します。ヤシロさんにお話をうかがいたく、こうして参上いたしました」

 シェリルがホログラムを提示した途端、少女は瞠目してじりじりと後じさった。

「安心してください、お話をうかがうのみです。特に罪に問おうなどという気はありません」

 が、次の瞬間、少女は身を翻そうとする。

「待っ……」

「ちょっと待った!エレミィさんが、どうしてここに!?」

「エ、エレミィさんよね、どう見ても……」

 背後から響いた声にぎょっとして振り返ると、果たして後から追いついて来た啓一とサツキが呆然としてそこにいた。

「え、ご存知なんですか!?」

「ご存知も何も、有名UniTuberの人だ……!多分、その筋のファンなら誰でも知ってる人さ」

「そうですよね?国立重力学研究所の者です、先日広報お願いした……!」

 その言葉に、少女――エレミィはぺたりと力なく座り込んで天をあおいでしまう。

 ここまでの反応をされると思わなかったシェリルが驚いていると、突然藪が大きく揺れて人間の男性とセレナが飛び出して来た。どうやらエレミィと同じように呼び出しを不審に思ってか、藪の向こうか抜け道でこちらをうかがっていたらしい。

「エリナ!」

「エリ……お嬢様!!」

 エレミィ、いやエリナにセレナが駆け寄リ、男性がかばうように立ちはだかった。

「待ってください、私たちはエリナさんに害を与える気も罪を問う気もありません。同じくお二人にも何もする気はありません。どうか落ち着いて、お話をうかがわせてください!」

「………!!」

 シェリルが嘆願するが、男性はこわばった顔で両腕を広げ立ちふさがったまま動きもしない。

 しかしその時後ろから、

「……もうやめましょう、こうなったからにはどうしようもありません」

 か細いエリナの声が聞こえて来た。

「分かった……覚悟を決めよう」

 男性はそう言うと、唇を噛んだまま悔しげな眼をして手を下ろす。

「ちょ、ちょっと、そんな大げさな話じゃないので……」

 もはやシェリルは、すっかり困惑の中にあった。

 確かに刑事が騙しうちをしたとなれば、誰でも怒りを覚えようし警戒もしようものだ。

 だがそれにしても、眼の前のヤシロ家の人々の態度は度を越している。

 男性からはまるで寄らば斬ると言わんばかりの敵意、エリナからはこの世の終わりでも来たかのような絶望がにじみ出ているのだ。

 まさかこんな兇悪犯罪者にでも追いつめられたかのような態度を取られるとは、さすがに予想出来るものではない。

(おい、こんなんなるんならやっぱり正面から訪ねた方がよかったんじゃねえか?)

(結果的にとはいえ、どじ踏んだかも知れませんね……)

 百枝が眉をしかめて小声で言うのに、シェリルは頭を抱えてみせた。

 境内での手紙の受け渡しを拒んだ際の言葉からするに、どうもジェイには強い人間不信のきらいがあり、信頼の置ける者以外を自分の領域に絶対立ち入らせないようにしているようである。

 他の家族については分からないが、名乗りもしない、自分がどういう者なのか訊かれても答えようとしないなどと秘密主義を貫いている辺り、ジェイと似た傾向があるように思われた。

 そこに刑事が事情を訊ねにやって来たなら、確実に猛烈な拒絶反応を示されて無用な騒ぎになりかねない。聞きつけた近隣住民が出て来た日には、さらにややこしくなるはずだ。

 そのためあちらから出て来てくれる上に、余人がいない環境なら騒ぎも最低限に済むだろうと、責められるのを覚悟でこんな騙しうちに出たのである。

 だが結局同等かそれ以上の騒ぎになってしまったのだから、さしものシェリルもこれは失敗だったと認めざるを得なかった。

 周囲の空気が混乱に満ちる中、男性がエリナたちの顔を再び見て決心したように一つうなずく。

 そしてシェリルへと近づいて来るや、軽く会釈をして口を開いた。

「……申しわけありません、お見苦しいところをお見せいたしまして。私がジェイ・ヤシロです。警察の方ですよね?……お訊ねいただいたことには、全てお答えいたします」

 そう言いつつも、なおもジェイからは警戒の色が消えていない。

「と、ともかく、再三言うようですが、当方としては本当にただただ少々の質問をするだけですので。身構えないでください……」

 シェリルの困り果てた声をよそに、ジェイは、

「こちらです。藪の中の道を通りますので、ご注意ください」

 先に立って歩き始めた。

 藪を抜けると、すぐに洋風の家が見えて来た。裏に妙に張り出している部分があるが、あれが恐らく研究室や倉庫などのある区画なのだろう。

「どうぞ、お入りください。……靴のままで大丈夫です」

 ジェイが言う通り、中はじゅうたん敷きの廊下が続いていた。

 啓一はここへ来てからもずっと和式の暮らしをしていたため、純粋な洋式に違和感を覚える。

 通されたのは、ソファーがいくつも置かれたかなり広いリビングであった。

「そちらへおかけください。全部使えば、多分全員座れると思います」

「マスター、お茶を入れてまいりました。……では、私も」

 セレナがいつの間にか茶を用意して来て座っている。

 そちらを見てまた清香のことを思い出したのか、サツキがどぎまぎしているのが分かった。

「それでは少々質問を。……と言いましても、恐らくは既に何を訊きにうかがったか大体見当がおつきになっているのでは」

「ええ、『高徳』のことでしょう。エリナの呼び出し方といい、林野さんと倉敷さんがいることといい、すぐに分かりましたよ」

「分かりました。……まずは、正式にお名前とご職業をおうかがいしてよろしいでしょうか?」

「はい。名前はジェイ・ヤシロ、元は外国人ですが、今はそのままの名前で帰化しています。種族は人間です。仕事の方は研究者と技術者を兼ねておりまして……アンドロイド関連が中心ですが他にもいろいろと。あとは仕事上必要になるので、プログラミングなどソフト面もやっています」

 ジェイはまるで用意でもしていたかのように、淀みなく端的に答える。

「分かりました。……先ほどの様子だと、こちらが既にこの計画の動機や実行に至る経緯いきさつを知っていると、大体察していらっしゃるようですね」

「その通りです。基礎的なことは、全て林野さんと倉敷さんが話しているだろうと」

「ええ。ですので、その辺についてはお訊ねすることはありません。お訊ねしたいことは二つです。まず、どのような方法で情報を仕入れていらっしゃったのかということです」

 シェリルの問いにジェイはしばらく逡巡するような顔をしたが、ややあって、

「ハッキングです。法に触れかねないと思いましたが、この街に巣食う反社会的勢力に対抗するには、中まで探って行く必要があると思ってやっていました。細かい情報は本当にそういうところでしか手に入らないので……」

 思い切ったように答えた。

「先日私たちのハッキングを助けてくださったのも、あなたでよろしいでしょうか?」

「え、ええ。林野さんとやり取りしていた最中、志を同じくすると思われる方が迷ってらっしゃったので、『高徳』のふりをして助けました。まさか警察の方とは思いませんでしたけども……」

「いえいえ、助かりました。ただこのようなことは、本来するものではありませんよ。当方もハッキングを使って捜査している以上人のことは言えないところがあるので、今回は見逃しますが」

「はい、申しわけありません」

 ここでシェリルは、どうやって宮子曰く「有り得ない」真似が出来たのか訊ねなかった。

 とりあえず今は、彼がやったということの裏取りだけが出来ればいい。

「それはともかく……桜通にたびたび通ってらっしゃったのも、そういう情報収集の一環ですか?」

 ジェイはその言葉に一瞬瞠目したが、

「……その通りです。虎穴に入らずんば虎児を得ずだと思い、現地で実際に店を回ったり破落戸連中の話をさりげなく聞いたりして情報を集めていました」

 なぜか眼を伏せながらゆっくりと答えた。

「そうでしたか。何度も来ては何度も同じアダルトショップをはしごしているのを部下が目撃していまして、どうにも不審だと報告を受けていたんですよ」

「それはとんだご迷惑を……このところ突きつめて情報を集めようと必死になっていたので、はたから見るとおかしく見えたのかも知れませんね。……あっ、女を買ったりとかはしてませんよ」

 ちらりと横に座るエリナとセレナを見ながら言う。やはり少々後ろめたいようだ。

「次に、手紙のことです。こちらは一貫してヤシロさんの担当だったと聞いていますが、どのようにやっていたんですか?」

「ハッキングなどで入った情報をまとめ上げて、その中から住民の方に危害がありそうなものをより分けていました。嫌がらせや脅迫、押し売りなどのしのぎ行為が大半でしたが、稀にですが襲撃や窃盗の計画などもありましたね。手紙の文面もそれに合わせて使い分け、水で溶ける紙にパソコンで打ち出しです。少ない時で三通ほど、多い時は十通以上それをやっていました。今は随分減りましたので大抵一通か二通、ない日の方が多くなっているくらいです」

「それを倉敷さんに渡して、さらに『白桜十字詩』の紙ではさんでもらい投函というわけですか」

「そうです。正直私としては、余計なものをつけると警察に渡されたり拾われたりする可能性が高くなるんじゃないかと思ってたんですが……。やはり、そちらの手に渡っているんですか?」

「ええ、市警の方で拾っていました。事件化しない方針だったので、ずっと放置されていましたが」

「ああ、やっぱりそうでしたか……どう考えても完璧に行くとは思わなかったんですよ。何かの拍子で落ちたりするに決まってると」

 ここで百枝が、気まずそうに眼をそらす。投函に失敗した引け目があるようだ。

「倉敷さんからお聞きしたところによると、ご自分で最初はお渡しになっていたのを、五月くらいからエリナさんにまかせるようになったとか」

「実は夏くらいから研究が立て込みましてね。手紙を書くだけでもう精一杯という状態で、渡す時間まで取れなくなったんですよ。セレナは助手のようなものなのでいてもらわないと困りますし、苦肉の策でエリナに……」

 困ったような顔をして言うのを、シェリルはこくこくとうなずいて聞いている。

「念のためですが……これで合っていますか、お二人とも」

「はい。助手は私しか出来ませんので、やむなくお嬢様に」

「最初は驚きましたけど、すぐそこですから」

 これはエリナであった。

「なるほど、大変だったんですね」

「いえ、こちらこそご迷惑をおかけしまして」

「構いません、そもそも最初に申し上げました通り、罪に問う気はさらさらありませんので。ただ、理由や結果はどうあれ不審者行為なのには変わりありません。それにやはり、警察に黙っていたのは問題です。それらの点だけは、厳重注意とさせていただきます」

「諒解しました。このたびは大変申しわけありませんでした」

 そう言って、ジェイたちは頭を深々と下げる。

 一方で啓一たちは、一連のやり取りに少々拍子抜けしていた。

 何せつい先ほどまで一家総出で絶望と敵意をまき散らして大騒ぎをした挙句、覚悟を決めるとまで言ってようやく質問に応じた相手である。

 回答を拒否して場が荒れたり、予想もつかない事実が出て来て動揺したりと、一波瀾も二波瀾もあって到底穏やかには済むまいと思っていたのだ。

 だが今眼の前で繰り広げられているのは実に凡庸な事情聴取で、新しい事実といっても大した話が出て来たわけではない。

 多少ジェイがぎこちない感があるが、問題にするほどとは思えなかった。

 シェリルも突っ込まないところを見ると、これ以上何か出るとは思っていないのだろう。

(幽霊の正体見たり枯れ尾花、ただの変わり者一家だったってわけか。まあ推しの子に生で会えたのは収穫だが……いくら何でもこんな会い方はないだろ、見方が変わっちまう)

 白けたような、困惑したような顔をしている啓一を尻目に、

「このたびは、ご協力ありがとうございました。これで失礼させていただきます」

 シェリルはそう場をまとめ、ゆっくりと席を立って頭を下げた。

 これに一同もならい、そのまま一緒になってリビングの出口へ歩き出す。

 その時、シェリルが忘れていたという顔をしたかと思うと、

「あ、そうでした。別件になるんですが……」

 指を弾いて何かを呼び出した。

「既に新聞などでも発表しましたが、今国内で起きている女性連続失踪事件のうち、二件が拉致事件である疑いが持たれています。幸い被害者は逃げ出せたようなのですが、その後の行方が分からない状態でして。些細な目撃情報でもいいので、おありならご提供いただきたいと……」

 その手のひらにあったのは、「英田清香」「奈義葵」と名前の書かれた二つの画像である。

 だがそれを見た瞬間、いや話が始まった瞬間、ジェイたちの顔が空間に張りついたようになった。

 殊にセレナなぞは、アンドロイドとは思えないほど蒼白となっている。

「………?もしかして目撃されてますか?でしたら、教えていただけますか」

 シェリルがいぶかしげな顔をしつつそう問うた。

「………」

 だがジェイはなぜかこちらをいきなりめつけ、何も答えない。

 そしてたっぷり数分黙った後に、

「申しわけありませんが……」

 眼をそらしてそう言いかけた時である。

「……マスター、いえヤシロさん!もうこんな茶番はやめにしましょう!」

 いきなりセレナが、横合いからそう叫ぶように言ったものだ。

「え、ええッ!?」

 これに一同は飛び上がらんばかりに驚いた。

 以前会った時のことを思い返しても分かる通り、セレナは寡黙で感情控えめ、淡々としていてともすると冷淡にすら感じられる性格のはずである。

 それがいきなり正反対となって感情を丸出しにした上、ジェイに対する呼び方まで変えて来たのだから、どだい驚くなという方が無理だ。

「あ、あの……」

 特にシェリルなぞ、完全に状況をつかみかねてこれまで見たことがないほど動揺している。

「分かっているの、あなたが何を言わんとしているか」

「………!?」

 いきなりこちらを向いて言い出すセレナに、シェリルが思わず後じさった。

「な、何を言ってるんですか!?私はただ、せっかくお会い出来たのだからご協力いただこうと思っただけで、特に他意はありませんよ!?」

「この期に及んで下手な嘘はよして、シェリル」

「なッ……!?」

 突如として呼び捨てにされ、シェリルはもはや目玉が飛び出さんばかりに眼を見開き、あごをかくかくと動かすしかない。

 その状況にも構わず、セレナはやはり人が完全に変わったような足取りでシェリルに近づくや、その肩をがっちりつかんで眼を見据え始めた。

 この異様なありさまに、たまらず啓一が飛び込む。

「ちょ、ちょっと!セレナさん、落ち着いてください!一体何なんですか、さっぱりわけが分かりませんよ!とにかくシェリルを離してやってください、気を失いかけてますから!」

 見れば精神的衝撃で過熱でも起こしたのか、シェリルが口から蒸気を上げていた。

 漫画的表現で口から魂が抜けているというものがあるが、まさにあれにそっくりである。

「わ、わあッ!!」

 セレナが大急ぎで手を離すと、シェリルはべたりと尻餅をついた。

「痛たた……ああもう、一体何が何やら」

 短いスカートを一生懸命に押さえつつ立ち上がる。

「え、じゃあ、本当に何も知らないの……?」

「知りませんよ!」

「つまり……演技じゃないってこと?」

「ありません!何を演技するんですか!?もしそうなら、パニックで過熱なんて起こしませんよ!」

 もはやシェリルは、今までほぼ経験したことがないほどの大混乱に陥っていた。

 さもありなん、先日の聞き込みで初めて会ったほぼ見ず知らずの人物が豹変し、古くからの知己のごとく語りかけて来るなぞ、急展開すぎて到底理解出来るものではない。

 事実その他の一同も、さっき止めに入った啓一がようやく正気に踏みとどまっている状態で、他はみなどこかへ魂が飛んで行きそうだ。

「あの、もしかして、やらかしたのかしら……」

 そう言った瞬間、どっとセレナの顔から冷汗が吹き出す。

「ど、どうしましょう」

「仕方ないでしょう。……でかい隠しごとなんてするもんじゃないですよ、やっぱり」

 不始末を叱るでもなく、ジェイがこめかみに手をやって首を振りながら言った。

 ここでようやくシェリルが正気に戻り、

「あ、あの、本当に一体何なんですか……!?私はただただ行方不明者について訊ねただけですよ、何でこんな目に遭わなきゃいけないんですか!?一体何のつもりなのか、何があったのか教えてくれないと引き下がれません!」

 顔をひくつかせながらじりじりと迫る。

「………」

「駄目だとは言わせませんよ、見逃せるものじゃありません」

 ぜえぜえと息を切らせながらようやくそれだけ言うシェリルに、ジェイはしばらく押し黙っていたが、ややあって、

「……分かりました、私も男です。ばれてしまったからには、全てお話し申し上げましょう」

 覚悟を決めたようにそう言ったのだった。

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