十 伏魔殿

 二日後のひるぎ。

 啓一とサツキの姿を、植月神社の境内に見出すことが出来る。

「ああ、これで少しは風向きがよくなったらいいわね……」

「そうだな。ここまでやっとけば、多分通じてくれるさ」

 「ご祈禱待合所」と書かれた小さな建物の中で、椅子に座ってそんなことを話していると、

「いや、お疲れさん。久々のご祈禱だったんでね、こっちも緊張したよ」

 百枝が扉を開けて入って来た。

 その姿はいつもの巫女服ではない。桃色の「うわ」という緩やかで帯を前で結んだ着物にあさいろの袴をはき、「額当ぬかあて」と呼ばれる黒い絹の帽子をかぶって手に「ちゅうけい」という末広扇を持つという女子神職の装束であった。

「こちらこそありがとうございます、急な話なのに」

「ま、いいってことさ。本来の仕事したまでなんだから」

 笑いながら中啓でぱんぱんと肩をたたこうとしてまずいとやめる姿を見ていると、本当にこれが神職なのかと思うようだが、百枝に限って言えばいつものことで済まされよう。

 あれから……。

 午飯を食べた二人はそのまま宿へ直帰し、へとへとに疲れ果てた躰を休めた。

 殊に今回癒やしを得たのに急転直下で地獄を見せられたサツキの疲労は余りに深く、部屋に帰るなり泥のように眠りこけ、外に出ることもかなわなかったのである。

 やむなく弁当で晩飯を済ませていると、サツキが部屋にやって来て、

「植月神社で災厄除けのご祈禱をしてもらいたい」

 そう頼み込んで来たのだ。

 啓一は一瞬ためらったが、サツキの眼はひどく鬼気迫ったものである。

 さすがに無下にするわけにも行かず、それで気が済むならと翌日百枝に話を投げたのだ。

「科学者でも『困った時の神頼み』ってのはあるもんなんだな」

 百枝はそんなことを言って驚いていたが、科学者も人である。災厄に遭い続けたせいで散々精神をやられたとなっては、何かにすがりたくなるものだ。

 もっともそれが百枝に分からないわけもないので、今日ということで話がまとまったのである。

「しっかし、初穂料なんてこの際なくてもよかったんだぜ?ここまで切羽つまってる人から取ろうとは思わなかったし」

「いや、そういうのはいけません。お仕事にはお金が伴うものですし」

「そんなもんかねえ……あ、ちょっと着替えて来る。どうも巫女服じゃないと落ち着かなくてな」

 肩をすくめると、百枝は社務所の方へ引っ込んで行った。

 よく考えれば女性神職が巫女服を着ると袴の色が違ってしまって規則に反するはずなのだが、あのまじめな瑞香も同じようにしている辺り、誰かお偉方のお目こぼしでもあるのだろうか。

「……それにしても、この街はどうしてこんなことになってるのかしらね。どこにも闇の部分があるとはいえ、さすがに異常すぎるわよ」

「そういやおとつい倉敷さんに送ってもらった時に、一新興国産業のせいで狂ったとか言ってた気が。あれ、何なんだろうな」

「そうよね。単に郊外に本社と工場があるってだけで、街自体は企業城下町みたいに一切経済的に依存してないでしょ。街全体をおかしくするほどの強大な影響力があるとはとても思えないんだけど」

「ああ、確かにその通りだ。表向きはな」

 いつの間に戻ったのか、普段の巫女服に着替えた百枝が横合いからそう言った。

「表向きって……」

「……いい機会だから話しておくかな。あんたら刑事殿と知り合いだし、もったいぶっておいたって早晩知ることになるだろうから」

 髪の毛をさっとかき上げて椅子に座ると、ポットの茶を注いで二人に渡す。

「うーんと……二人とも宇宙移民の方法は知ってるよな?」

「あ、私は大体知ってますけど、啓一さんが……」

 百枝に訊ねられ、サツキがおたついたような顔で啓一を見た。

「俺は知らないんですよ、まるで」

「……珍しいな、誰でも学校でちょっとはやるもんなんだけど」

「あー……これは言っちゃった方がいいな。俺、実は転移者でして」

 啓一が盆の窪に手をやりながら答えると、百枝は、

「へ?あ、そうだったのか……先に訊いといてよかったぜ、話が通じなくなるとこだった」

 軽く驚いたような表情を浮かべた後、気まずそうに頭をかきながら言う。

 重大なことを告白されているのに反応が軽いが、実際のところこの世界の一般人の反応はみなこんなものだ。不利益になることはないと先に述べたが、これではそもそもなるわけもないだろう。

「元の世界では宇宙移民やってたのかい?その分だと、どうもやってなさそうだけど」

「そうなんですよ。そもそも移民とかそういう以前に、居住自体が実験段階だったんで……」

「なるほど、それじゃあいろいろ省かないで話した方がいいな」

 天井を見上げて少々悩むと、百枝は説明を始めた。

 それによると、今の宇宙移民の主流は宇宙コロニーなのだという。

 むろん惑星開拓も試みられたが、探査だけで最低二十年、しかも外ればかりを引くありさまで、

「探すより最初から造った方が早い」

 という結論になったのだ。

「正直、惑星を探す間に何十個も平気で造れるからな。そりゃそっちに行くって」

 ただ造るといっても砂場の城のように、単純に中で土をこね回せばいいというものではない。

 せっかく最初から造るのだから後から手を入れなくてもいいように、上下水道やガス、電気をはじめとして、必ず最低限必要なインフラも込みで造ってしまうのが普通だ。

 むろん、都市計画もこの時点でやってしまうのは言うまでもない。

「こういうのがあるんで、移民団じゃ建設の采配を取る『建設組合』っつうのを作って建設に当たらせるんだよ。コロニーが出来上がったら、改組されて市当局になったりするんだけどな」

「一から造りますってんじゃ、そういう組織が必要ですよね」

「そういうこった。だけど、組合のやることはそれだけじゃねえんだ。街の形だけ作っても暮らせねえから、行政や商業や産業のお膳立てもやるんだよ。行政は国に頼めばいいだけだが、商業や産業はどうしても外からの招致頼みになるんで、ある意味で手腕の見せどこになるな」

 人が暮らす街に基幹となる商業や産業は欠かせないものだ。しかも数万人単位の人が一気に移住するのだから、一から作るのではなく出来合いのものを用意して速やかに興さねばならぬ。

 だが移住者のいる土地の商店や企業は地元に基盤があるため、そう簡単に出て行けないのが実情だ。このため移民団には、中小企業はおろか個人商店ですら参加しないこともざらである。

 これでは街を維持出来ないため、内部頼みにせず外部招致を行わざるを得ないというわけだ。

「ほとんどの場合、招致相手はこっちの企業さ。地球からだと、距離が遠すぎて外国からになるんで期待出来ねえ。そんなら、距離的に近くてこれから世話になる国の企業に来てもらった方が手っ取り早いだろ?遠くの親戚より近くの他人みたいなもんだ」

「ああ、なるほど……」

 百枝の言うことは、実に理にかなっている。

 日本語が通じるために忘れてしまうが、天ノ川連邦はあくまで外国だ。海外支社を持つのは大企業でも相当のことのため、地方都市では期待出来ないというより期待するだけ無駄だろう。

 それならばこれから国内になるこちらの企業を受け入れた方が、交誼を図る意味でも都合がよいというわけだ。

「そうですか、外部招致で……ということは、まさか?」

「ここまで話せば分かるだろ。そう、その招致に手を挙げたのが一新興国産業だったんだよ。しかも、本社と工場全部移転させてくれって言い出してさ」

「………!」

 渋面を作る百枝に、二人は瞠目する。

「待ってください、いくら何でも規模が大きすぎませんか?私も見ましたけど、あそこだけで集落一つ分の面積潰しちゃってるじゃないですか」

 これはサツキだ。

「ああ、あんまりにも盛大なんで面食らっちまったよ。だがこういう大きいのも受け入れるつもりでいたから、こっちとしては文句は言えねえ。煤煙出されたりほこり飛ばされたり騒音立てられたりするような業種なら堂々と断れたが、アンドロイド委託製造会社はそんなことねえしな……」

「でもその業界じゃ悪名高い会社だって、サツキさんから聞きましたけど」

「それも知ってた。だから反対意見も随分出たんだが、会社側の態度がかなりていねいでな」

 手を挙げるに当たり、一新興国産業はかなりコロニー側に有利な条件を出して来たという。

 土地は生活に影響の及ばないような郊外の隅で構わない、周辺環境には必ず配慮する、そして雇用もきちんとしたものを創出すると約束するなど、下手な企業よりも好条件であった。

 しかもこれを、弁護士を連れて来て社長や役員直々に約定したのである。

「ここまでされちゃ何も言えないよ、弁護士だぞ、弁護士」

「そう来られては……。たとえ本心はどうあれ天地神明に誓って迷惑かけないって言う相手を無下に蹴飛ばしたら、こっち側の神経が疑われるじゃないですか」

「そうなんだよ。それでもなお疑う声はたんまり出たが、他に出て来た企業が小さなのばかりだったこともあって、最終的には飲まざるを得なくなった」

「………」

「そしてきちんと連中はその約定を履行した。立地は郊外、環境にはしっかり配慮、雇用も子会社が主だがきちんと出して来てる。ここまで殊勝なことされたら、なおさら文句なんぞ言えるもんか」

「……確かに」

 一新興国産業のやっていることは、文句のつけようがないほどに「合法」である。

 金や力にあかせ無理矢理入って来て横暴の限りを尽くすどころか、きちんと条件に合わせておおそれながらと現れ誠意を見せているのだ。企業としては、およそ満点というほかない。

「だが、それが逆に気に入らねえんだ。どんだけていねいにしたって、あそこのどす黒い噂は消えるわけじゃねえし、違法すれすれの注文受けてるって事実もなくなるわけじゃねえ。むしろああやって対外的には『合法』に振る舞うことで、うまく本性を隠して入り込んで行くのが手じゃないのかね」

 法に従ってる相手をどうにも出来ないからな、と言って百枝は茶を飲み干した。

「まあ、そりゃやり方としては有り得る話ですが……いくらやくざ企業でも危害を加える意思はないと表明してるわけですし、街を狂わせた原因とまで言うのはちょっと飛躍してませんかね」

「啓一さんと同じく私もそう思います」

 二人の疑問はもっともである。

 確かに反社会的勢力との関係が噂されているとあっては、裏で何かしているのではないかと疑うのも当然であるが、だからといって街の風紀紊乱に即結びつけるのは乱暴だ。

 大体にして桜通で利権を貪っている連中が、一新興国産業と関係があるという証拠もない。

「ああ、やっぱり来たか。突っ込まれると思ったよ」

 百枝は想定内とばかりに、腕を組んで平然と答えた。

「確かにこれだけじゃ根拠薄弱もいいとこだが、いくつかそれをほのめかすもんがあってな。そのうち一番に言われるのが、中心部の分譲と賃貸に関わってる不動産会社だ」

 眼を丸くする二人に、茶をくみながら百枝は続ける。

「コロニー内の土地は、建設組合か後釜の市が分譲するのが決まりになってる。公平を期すためにな。……ただ、変なのが入り込んで来るのも事実だが」

「それが、その不動産会社ってわけですか」

「ああ。買ったこと自体は別に問題じゃなかったんだが、その後のなりゆきがな……」

 中心部の土地は市民や企業の他に内外の不動産会社が購入したが、その中に「はし井地いじしょ」なる新星に本社を持つ不動産会社があった。

 同社は前のめり気味とすら思えるほど積極的に立ち回り、最終的に桜通沿いの商業地の四割ほどと大門町の住宅地全てを所有するに至ったのである。

 当初は組合も市民も、大胆と思いつつもこれを取り立てて気にすることはなかった。

 橋井地所はしっかりとした取引実績のある会社であったため、別に断る筋合があるわけもない。余りに威勢がよすぎて逆に不安という意見もあったようだが、事業拡大のため野心的な行動を取る不動産会社は他にもあったので、その一つとして見る者が大半だった。

 だが、それがとんだ落とし穴だったのである。

「不動産会社の思惑なんざ、市民にゃ分からない。だから見抜けなかったんだよ、まさかそこの会社が風俗店やアダルトショップに土地ばらまくつもりだったなんてな」

 橋井地所は桜通の歓楽街が建設され始めると本性を現わし、貸ビルを大量に建てて大都市からあぶれた性産業関連の店を積極的に招き始めたのだ。

「後で知った話だが、その頃新星はじめ大都市じゃ風俗店の取り締まりが厳しくなって、食いつめた輩が随分出てたらしいからな。買い手はいくらでもつくわけさ」

「それでお咎めなしですか。いくら歓楽街にする予定の場所でも、風俗営業となるとさすがに勝手が違って来やしませんか」

「残念ながらお咎めなしだ。あそこは法律上、大っぴらに開業しても問題ない場所なんだ。建設組合や後釜の市もこんなところに来ないだろうとたかくくってたんだか、最低限の規制しかしてなかったし。そこを突かれてじわじわと出店されて、気づいた時には並んでたって次第さ」

 小ずるいにもほどがある、と肩をすくめて首を振る。

「大体にしてきちんと手続きの上で開業、法律条例を守りながら営業してるんだからな。よほどのへまをやらかさない限り、店自体には何の手出しも出来やしない」

「………」

「そうしてるうちに商店が逃げ出して跡地がその手の店に化け始めたせいで、ほぼ風俗街化さ。同時にそいつらでしのぎをしてるらしいやくざ連中も集まって来て、さらに破落戸が集まって来て……あっという間に今のありさまってわけよ。こいつらも表じゃ大抵おとなしくしてるから、警察もよほどじゃない限り引っくくれねえ。睨まれてても、ほぼ安泰みたいなもんだよ」

「つまり橋井地所は、最初からその手の店やその手の輩の受け皿にするつもりで、桜通沿いの土地を買いあさったと、そう見られているわけですか」

「そういうこった。どっちも大きな金づるになるし」

「……やはり、背後には反社の存在があると?」

「恐らくそうだろうな。顧客の後ろにいるのが分かりきった上で取引してるわけだし、同じ穴のむじなと思った方が自然だろ」

 建設組合や市の手抜かりが招いた事態ともいえるが、最初からこんな陰謀じみたことを見抜けというのは酷であるし、今さら責めたところでどうにもならぬ。

「で、だ。これだけなら一新興国産業は関係ないんだがな。実は橋井地所の連中、やつらを異常にひいきしてやがるんだ。しかもやつらに便宜を図るためなら、何でもする気すらあるらしい」

「そんなことよく分かったもんですね」

「一度、信じられないことやらかしやがってな……」

 二年前、一新興国産業が桜通沿いに店舗をもう一つ増やす計画を立て、まとまった土地を橋井地所から買おうとしたことがある。

 だが運の悪いことに、当時橋井地所が持っていた土地の中には充分な広さのものがなかった。

 それならまずは協議して折り合いをつけるのが筋のはずだが、何と同社はそれすらせず既に骨組みまで出来上がった建設中の貸ビルを取り壊し、土地を捻出しようとする暴挙に出たのである。

 当然建設会社やその関連会社から猛抗議を受けることになり、新星の本社や緑ヶ丘の支社に関係者がつめかけ大騒ぎとなった。

 これを見た一新興国産業がその貸ビルの一階で構わないと言い出したため、橋井地所は関係者に謝罪し、建設を再開させることで騒動を終わらせることを得たのである。

「何ですかそれ、非常識どころの騒ぎじゃないでしょう。下手をすれば裁判沙汰、会社の信用もだだ下がりになりかねないことくらい分かるでしょうに。なのにわざわざやるなんて、まるで滅私奉公じゃないですか……。どう考えても、よほど特別な関係があると見なさざるを得ませんよね」

 これはサツキであった。

 確かにそうでもなければ、かたぎの仮面をうっちゃってまでこんな没義もぎどうをはたらこうと思わないし、思いつくわけもないだろう。

「その通りさ。うがった見方すりゃ、一新興国産業が助けてくれたとも取れなくもないし。やれ裁判だやれ行政指導だになると都合の悪いことがあるから、その前に手を打ったとかな」

「この件がなくとも、日の当たる場所に引きずり出されると困りそうなことやってますからね」

 サツキの言葉に、百枝はぽりぽりと首筋をかきながらうなずいた。

「それと、もう一つ橋井地所と一新興国産業の関係をうかがわせることがある。さっき、大門町の住宅地を買ってたって言ったよな」

「ええ、そうですね」

「そこって、町一つ全部が大型邸宅用地でな。ところが、そんな広さのとこを足並みそろえて一新興国産業の関係者が買っちまったんだ。それこそ取締役級のお偉いさんだらけ、子会社の社長なんかもいる。挙句の果てにゃ株主までいるんだぞ、ちょっと関係ありゃ誰でもいいのかって状態さ」

「それって、まるで社宅じゃないですか」

「そうだ、馬鹿でかくて高級な社宅だよ。あたしが思うに、この土地自体が最初からこいつら用にととってあった代物だったんじゃないかって気がする。それ買っただけと」

 広告に出ていない土地を直接交渉して買うということ自体はよくあるが、さすがにこんなに広い土地を一企業の関係者たちが寄せ集まって一斉に買うというのは異様である。

 百枝の言う通り橋井地所が彼らのためにあらかじめ土地を取り置いておき、機を見て一気に売買を成立させたと考えることも充分に可能だ。

 いずれにせよ橋井地所がこの土地に関して、一新興国産業に対して直接的にも間接的にも便宜を図った疑いが極めて高い。

「先日暴力団の残党がいたってんで連邦警察にがさ入れされたあの家も、一新興国産業の株主の家だって話だ。仮にも間接的とはいえ、一企業の経営に噛んでるやつが住んでる家でそんなだぞ?一新興国産業自身は『我が社に投資していただけで当方では預かり知らぬこと』ともっともらしくしら切ってるが、どうせとかげの尻尾切りだ」

 眉根をぎゅっと寄せて、苦い顔で百枝は茶を飲み干した。

「いずれにせよ、橋井地所がこの街に反社をばらまいた元凶なのには間違いない。そことただでさえ反社とのつながりが疑われてる一新興国産業が蜜月の関係にある可能性があると。しかも分譲した家の持ち主、一新興国産業の株主って身分のやつが反社がらみの事件起こしたと。もうどう考えてもこいつらと反社はお仲間としか思えねえ。ここまでいろいろそろっちまうと、やっぱりあいつらが来たのがけちのつき始めと考えざるを得ないよ」

「………」

「伏魔殿だよ、伏魔殿、この街はさ。それもご本家の『水滸伝』に出て来る、魔王を地中深く封じたあの館がそのまま出たようなもんだ。上もの取っ払った日にゃ、本物の魔王が出て来てもおかしくない。ああ、おかしくないさ」

 やけくそのように吐き棄てる百枝に、二人はかける言葉もない。

 その時であった。

 ぱたぱたと参道の方から階段を駆け上がる音がしたかと思うと、

「おーい、百枝さん!大変だ、急いで僕の家に来て!!」

 宮子の声が響いて来たものである。

「お、おい、オタ猫!?どうしてあたしが……」

「話はあと!あ、二人もいたんだ、ちょうどよかった!!早く、早く!!」



 半ば引きずり下ろされるようにして階段を下り、勝山家に飛び込んだ三人が見たものは、ソファーに眼を開けたままであお向けに寝転んだシェリルの姿だった。

「ちょっと待ってくださいよ、何がどうなってるんですか!?」

 そのかばねよろしく光のない眸を見て、啓一が思わず叫ぶ。

「落ち着いて。過負荷でシャットダウンかかっただけだから……。今、チェックが終わったからもうすぐ眼を覚ますよ」

「えッ、分かるんですか」

「眸の中見てみて。コマンドが流れてるから」

 言われて眸をのぞくと、何やら英数字が映し出されていた。

 内部処理中のアンドロイドの眸に数字やコマンドが流れるのはよくある表現だが、ご多分に漏れずこの世界でもそうらしい。 

「ああ、これなら大丈夫だわ。特に何ともなく起きるわよ」

 眸を見てサツキが言った時、シェリルがぱちぱちとまばたきをした。

「システム異常なし、再起動完了――みなさん、驚かせてすみませんでした……」

「よかった、びっくりしたよ。三人に電話してくれって言った直後、いきなり『遅かりし由良之ゆらのすけ……!』って叫んでぶっ倒れるんだもん、何が何だかさっぱり分からないよ」

「何でそこで『忠臣蔵』なんだよ。第一、それってどっちかというとしゃれで言うような代物だぞ?卒倒しようって時に余裕ありすぎだろ」

「す、すみません……。歌舞伎の中でも特に『忠臣蔵』が好きなものですから、多分無意識に出てしまったんだろうと思います」

「……いろいろと突っ込みたいところだが、今はよしとく。ともかく言葉通りなら一体全体何が間に合わなかった、遅すぎたってんだ」

 何とも奇妙な弁解にあきれつつ、啓一が訊ねる。

「とりあえず、順を追ってお話しします……」

 やはり衝撃がまだ残っているのか、シェリルは大儀そうに椅子に座り込んだ。

「もうお分かりでしょうが、私たちは今ハッキングによる捜査を行っていました」

「やっぱりな。でも、別口でハッキングが行われてるのが発見されたりとか、何だかややこしいことになってなかったか?それ以前に、そっち方面で大きな成果があったって聞いてないんだが」

「情けない話ですが、その通りです。実を言いますとずっと泥沼状態でして……」

 その理由の一つが反社会的勢力などによって後から構築されたと見られるネットワークと、使用されているサーバの仕様だ、と宮子がつけ加える。

「サーバ間をつなぐネットワークが固定されてなくて、不規則に接続先が変わるんだ。だから一つのサーバを通って次へ行こうとしても、その場で待機を余儀なくされて時間ばかりかかっちゃう。さらにサーバ自体も入口は通すくせに中で動いた痕跡を検知すると不意打ちで迎撃して来る嫌らしさで、余りにひどい場合はろくに動けもしない。こんな厄介なのは随分珍しいよ……」

「オタ猫がそこまで苦しむんじゃ本物だな、おい。どれだけ隠したいことがあるんだか」

 ぎりぎりと切歯する宮子に、百枝が顔を歪めて言う。

「それで、もうこれ以上は普通のやり方では駄目だということになりましてね。ここ二日ばかり、別の方法を取っていたんです。それが、これです」

 そう言ってアーム・カヴァーのまくれた左手首を見せた。

「こ、こりゃ……接続端子か!?」

 手首が一部開かれ、見たことのない形状の端子がずらりと並んでいたのである。

「ええ……それをやったの!?」

 サツキがそれを見て、若干顔色を青くした。

「ええ、こうなったら私の出番だろうと。せっかく出来るんですから」

「いや、分かるけど……。あなたじゃ逆に危ないんじゃないの?」

「まあ、覚悟の上ですよ。確かにかなりのリスクがありますが、勝算はありましたし」

「ちょっと待った、話が見えない。アンドロイドがやると何か問題があるのか?」

 そこで啓一が横入りした。アンドロイドのことなぞ知らないのに、話を進められても困る。

「ごめんなさい、知らなかったわね。サーバをアンドロイドが下手にハッキングすると、即入院、修理ものの損傷を負うことがあるのよ」

 この世界のサーバ運用者が一番恐れているのは、宮子のようなハッカーのハッキングよりも、アンドロイドのハッキングなのだとサツキは言った。

 ハッカーは高性能なコンピュータがなければ手も足も出ないが、アンドロイドは自分自身がコンピュータなので身一つでいくらでも出来てしまう。

 しかも通常のコンピュータより欺瞞性も高いため、データが事実上持ち出し放題となることも少なくなく、サーバ一台きれいに複製されてしまう事件も過去にあったほどだ。

 そのためアンドロイドに対してはどこのサーバも非常にセキュリティを強力にしてあり、数倍にして返してやるとばかりに、過負荷をかけて吹き飛ばすようなえぐい罠をしかけてあるのだという。

「そんなことがあるのか……。さっきの、まさかそれにやられたんじゃあるまいな?」

「それは違います。対策はしますよ、さすがに」

「それに僕と一緒にやってる分には、絶対そんなことはさせないからね」

 これは宮子であった。

「実はこの手の罠ってアンドロイド特効で、通常のセキュリティとは別システムになってるんだよ。単独ではコンピュータによるハッキングを検知しないから、一緒にハッカーがついて行けば罠を外せちゃう。よほどへまでもしない限り、痕跡もろくに残らないよ」

「つまりそれぞれ単独では無理でも、二人一緒なら突破出来るってことですか」

「そういうことだね。もっともかなりの技術がいるから、シェリルくらいの高性能アンドロイドと僕くらいのスーパーハッカーじゃないとまず無理な相談だけどさ」

 いずれにせよ、シェリルにしてみれば相当身を張る行動だったのには間違いない。ここまでやらせるほどとは、一体何を連中は隠しているというのか……。

「さて、話に戻りますが……あれこれと二人の特性を生かしながら入り込んで行った結果、かなり奥まで行くことが出来ました」

 二人が取った方法はこうである。

 まず宮子が入口から順次罠を外して道を作り、シェリルが中に入る。

 サーバの中身の検分が終わった後、宮子が罠を復活させるのに合わせながらシェリルが退出する。

「父さん特製の一品もののOSなので、少々大きく動いても痕跡は残らないんじゃないか……という予想でしたが、見事当たりです。消える直前のキャッシュファイルに偽装出来たので、片っ端からサーバ自ら葬り去ってくれました。これなら手を出すところに注意さえしておけば、かなりの自由がききます。最後にとどめで全部原状復帰すれば証拠湮滅完了です」

 退出したらサーバ間の移動に入るが、この際ネットワーク上で一旦停止して次に行くべきサーバを検出してから、そのままそちらへつながるのを待つ。

「ゆっくりと回る可動橋の上に乗っている按配です。一回つながるたびに流れて来るデータの移動ログを読み取って、当たりをつけて進む。冷汗ものですよ、自分のことは欺瞞し続けないといけないし、データは猛スピードで通り過ぎるので読むのも大変という」

 そしてつながったらまた同じように検分と退出、その繰り返しである。

 何か怪しいデータがあった場合は、シェリルがコピーを取って持ち出す。

「これが勝山さんだけだとどうしても痕跡が残るため、さまざまな欺瞞や証拠湮滅をしながらの持ち出しになるんですが……私は痕跡が自ら消えてくれるので、しっかりと最低限の欺瞞さえ続けておけば事実上の持ち出し放題です」

 そして持ち出されたデータを片っ端から宮子が整理し、場合によっては復号をかける。

 これでデータをはっきり見える形で蓄積させて行ったのだ。まさに見事な二人三脚である。

 だが、ここで問題が起こった。

 急にシェリルが瞠目したかと思うと、冷汗を流しながら「まさかそんな」「こんなものをなぜ」などと言い始めたのである。

 この時点で、宮子は危険を感じた。

 アンドロイドのハッキングは自分の分身をネットワーク内に飛ばしているようなものなので、直接データの内容を読むことが出来る。

 だがその内容によっては、本体が精神的な衝撃をこうむることがあるのだ。

 そして身を震わせながら、

「よもやここまでとは……とんでもないことです!今すぐにでも知らせないと!……勝山さん、倉敷さんとサツキちゃんといなさんに電話を!!」

 絞り出すような声で三人への電話を指示した時である。

「遅かりし由良之助……!」

 そう叫ぶなり強制シャットダウンを起こし、眼をかっと見開いたままくずおれたものだ。

 そこで宮子は大急ぎで証拠湮滅を行いアクセスを切断、シェリルをソファーに寝かせてから、電話なぞまだるこしいとばかりに直接植月神社へすっ飛んで来たというわけである。

「そういうことだったのか。最後、一体何を見たんだ?」

「それに関しては、復号したデータを見せた方が早いと思いますが……この騒ぎなのでまだ手がついていないはずです。勝山さん、お願い出来ますか」

「分かった。やっとくから話してて」

 宮子は自分の机に戻って作業を開始した。

「ともあれ俺たちを呼び出したってことは、何か大きな情報をつかんだってことでいいんだろ」

「そうです。復号済みのデータをこれから表示しながら説明します。空中ディスプレイに映像として出力しますので、そのまま立ち上げてもらえばいいです」

「分かった」

 一同が空中ディスプレイを立ち上げると、シェリルのデスクトップが映る。

「まず、どこを攻めたかですね。有り体に言うと反社の所有するサーバなんですが、ここに入るために五月のがさ入れ先が使っていたサーバのうち、最末端の一台を踏み台にしました」

「ちょっと待った。あの事件じゃ、関係者のデータを何者かが消して回ってたんじゃなかったのか?それじゃサーバ自体がきれいに初期化されてたり、極端な場合壊されたりしてるんじゃ」

「そう思いますよね。しかし何とも意外なことになってまして……」

 何とこのサーバ、再利用されて元のネットワークにつながっていたというのだ。

 しかもIPアドレスなどの設定も、全く変えられた痕跡がないという。

「はあ!?何だそりゃ、いっかな何でも有り得んだろ!?」

「その通りですよ。あの時こちらが追いつけない速度でかなり丹念に潰して回っていたのに、全部に及んでいなかったなんて誰が思うでしょうか。どこからどう露見するか分からないんですし、念には念を入れて徹底的にいじくり回すのが普通でしょうに」

「意外なところで間抜けが見つかるもんだな、おい」

 百枝があきれたとばかりに毒を吐いた。

 千丈の堤もろうの穴をもってついゆと言うが、まさにそれにつながる状況を末端の者が作ってしまったわけである。

「しかもあきれたことに、初期化にも失敗しています。何と有り得ないことに当時のログファイルが残っていまして……それによるとエラーを吐いたようですが、中身が消えているのでよしと思ったようです。全くもって信じられません、杜撰にもほどがありますよ」

「ええ……どれだけぼんくらでも、サーバ扱っててそれはないわ。素人がパソコンを初期化する時ですら、そんなエラー出たらやり直すっていうのに」

 サツキがどん引いたと言わんばかりの声を上げた。

 誰がやったのかは知らぬが、システム・エンジニアの肩書を即座に返上すべき行為である。

「ああ、前言撤回だ。ただの馬鹿だな」

 百枝もあきれ果てたと言わんばかりに切り捨てた。

「おかげで困らず進めましたけどね。……それでも回り道をさせられてかなりの時間がかかりましたが、桜通の土地を分譲した橋井地所のサーバに入れました」

「あ、その不動産会社の名前、倉敷さんから聞いたな」

「なら、捜査対象になっている理由も分かるかと。まずここでファイル群を分け入ってみたところ、いくつか収穫がありました。その一つを出します」

 ぱっと画面が切り替わり、何やら頁数のやたら多い文書が映し出される。

 『桜通店舗指導マニュアル』なるものだ。題名だけ見れば、桜通の性産業関連業者が結成した業界団体が営業指導のガイドラインとして作ったものに思える。

「何だこりゃ、不動産屋と関係ないだろ……」

「そこも問題ですが、右下の署名を見てください」

 一同がその言葉に視線を右下に向け、あっと声を上げた。

「『一新興国産業株式会社』って、ちょっと!何でこの会社の名前が!?」

 このことである。何とそこには、堂々と一新興国産業の商号があったのだ。

「そういうことです。そこで送付状がないかと探ってみたところ、ばっちり一新興国産業から橋井地所へこの文書を送った旨のものが出て来ました。これで両者の間に明らかな関係があることが分かりました。しかも内容や状況からして、一新興国産業の方が橋井地所より立場が上ということも」

「偽造の可能性はないの?」

「電子署名がきちんとついています」

 内容は、一言で言えば摘発逃れの指南書である。

 例えば法を破って売春行為を行おうとする風俗店に対しては、

「ただの『アダルト商品の陳列販売』に見せかけるため、表には等身大ドールのみを置かせるようにし、本物の女性は隠し部屋や別用途の建物に偽装した別棟に置かせること」

「隠し部屋の仕様は以下の通りにするよう推奨すること」

 このような「指導」をもって、ただの大きめのアダルトショップに見せかけるよう書かれていた。

 確かに陳列販売なら、男が何人もうろついていても冷やかし客と言い逃れが出来るだろう。

「店舗数が多すぎると怪しまれるため濫用は禁止。数を調整させること。その場合の別対策については三五頁を参照のこと」

 このような注意書きもおまけについており、自分から摘発逃れと言っているようなものであった。

「……もろ指南書だな、こりゃ。これやられたら、警察はすぐには踏み込めない」

「だな。証拠をつかませなければ殴り込まれねえからな」

「うわやだ、『本番』に関する指導まであるわよ……細かいにもほどがあるわ」

 三者三様に顔を歪め、眉をひそめて手引書を読む。

「そうですね、サツキちゃんの言う通り異様な細かさです。なのでこちらとしては単に両社のつながりを示すだけでなく、互いに組んで『指導』と称する店舗への干渉や介入行為をかなり行い、実質上桜通を管理統制している証拠にもなるだろうと見ています」

 そこでシェリルは一旦息をつくと、新しくファイルを出した。

「次ですが、このファイルを持って来た時に、たまたま株主の一覧と住所などの各種データが記されたファイルがついて来ました。プライバシー事項も含まれるので本当はまずいんですけど、たまたまですので仕方ありません」

「おい待て、それ本当にたまたまか?探して持って来たんだろ?」

「さあて、知りませんね」

「……結構黒いことしやがるな、この刑事殿」

 啓一の言葉に対してとぼけるシェリルに、百枝があきれる。

 もっとも「正直になる薬」を打つような部署が、こういった真似をしたところで今さらだ。

「うーん、見た感じでは一新興国産業の名前はない気がするけど。小さな会社と投資家の寄り合い所帯って感じねえ」

「それ、半分近くは暴力団が使ってるペーパー・カンパニーですよ。商号は変えてありますけど、住所が一致しています。ここにデータを入れておいてよかったですよ」

 シェリルが自分の頭をつつく。今回は実にアンドロイドの面目躍如だ。

「はあ!?じゃあこれ……もしかして資金洗浄の上で投資されてんのか!?」

「そうと思われます。まあ、暴力団が裏にいるのが確定の時点で既に真っ黒の黒ですので、そこの捜査は後回しですね」

 その時、いきなり百枝が瞠目したかと思うと、

「……ちょっと待った!個人株主にこいつらがいやがるじゃねえか!!」

 半ば叫びながら「松村徹まつむらてつ」「吉竹洋平よしたけようへい」という株主の名前を指差す。

「何者なんですか?」

「何者も何も、こいつら一新興国産業の専務と社長だ!関わってやがったのか……」

「えッ……」

 百枝がすさまじい形相で言うのに、場が凍りついた。

「先に見つけられてしまいましたか、そうです」

 一応、松村も吉竹も個人投資家という名目にはなっていた。しかし持株比率が比較的高く、株主としての発言力はかなりある方と思われる。

 つまりある程度まで一新興国産業の幹部が、橋井地所の経営を動かせるようになっているのだ。

「このようなことから、橋井地所は一新興国産業の実質的な関連会社となっていると考えてもいいでしょう。そのペーパー・カンパニー以外の会社も同社が隠れ蓑として作ったものの可能性がありますので、徹底的に捜査をかける予定です」

「つまり橋井地所なる会社は走狗、桜通の風俗街は実質的に一新興国産業が作ってほしいままにしてるようなもんって可能性が高いわけか……その上で利権をむさぼり、反社にも益していたと」

 啓一が呆然と言うのに、シェリルは黙ってうなずく。

「糞ったれ、噂は本当だったのかよ!小ざかしい真似しやがって……」

 百枝が顔を真っ赤にしながら叫ぶように言い、手許の茶をがばりと飲んだ。

「話を進めます。この大きな釣果を得た後いくつか坊主のサーバが続きましたが、その後連続で反社関係と思われるサーバに当たり、契約書や資金関係のファイル類を得ました。これは省略します、最初の話の補強材料でしかないので」

 専門でないと分からない内容も多いですし、と置くと、ぬるくなった茶で口を湿す。

「ここまででかなり反社関係の証拠固めが進み、連中と一新興国産業との関係もそれなりに明らかになって来たわけですが……なかなかもう一つの目的が果たせません。あいさんの失踪事件に関する捜査です」

「そうよ、それはこれで見つかったの!?」

「わわわ、サツキちゃん、迫って来ないでください!それを探すためにさらに奥に入ったんです。ただ、ここで事件が起こってしまったのでそれを先に」

 失踪の件と聞いて顔をずいっと近づけるサツキを、シェリルはのけぞりつつ何とか遠ざけた。

「この頃になると余りに遠回りを余儀なくさせられたため、勝山さんも私も場所を見失いつつありまして。反社のサーバに当たることも少なくなり、挙句の果てにはネットワークから外れてかたぎの下請業者のサーバに出る始末。当然何の成果もあるわけなく、そこを出たところで疲労の余り二人とも手が止まりました」

 後で知ったことだが、この時点で開始から十五時間が経っていたという。

 パソコンに張りついていないといけないためカロリーバーと水以外口に入れておらず、疲労が限界に達していた。

「その時です、驚くべきものを見たんですよ」

 何とシェリルが通っていたネットワーク上へ、明らかにハッキングと思われるアクセスがあり、一つのファイルがやって来て眼の前に静止したというのである。

「何ですって?サーバならともかく、データが走行するネットワーク上でしょ?何でそこでファイルが止まるなんて現象が起こるの?」

「分かりません。しかし不思議と害意を感じるものではなかったので受け取って見ると、元のネットワークへ戻る経路図と、戻った地点周辺のサーバの相関図だったんです。要するに、地図を誰かから渡されたんですよ」

 宮子ともども余りの急展開に驚いていると、にわかに再度同じ方向からアクセスがあり、もう一つファイルが現れたという。

「まっさらな和紙の画像に、あの義士・高徳が配っていた『白桜十字詩』と『高徳』の署名が書かれるというアニメーションだったんですよ。そして『義によってたすく』と……」

 その直後、シェリルははっきりとそのアクセス経路を確認した。

「奥宮町から神明通へ。ファイルの痕跡は、発信元をヤシロ宅と明示していました」

「………!」

 この言葉に、一同が色めき立った。

 現実で活動していたはずの「高徳」がいきなりネットワーク上に割り込み宮子とシェリルを助けたというだけでも驚きなのに、自らの正体を一切隠していなかったというのだから当然である。

「そ、そんな馬鹿な……!ネットワーク上、それも半日以上かけないと入れない場所へ一瞬で入って助けの手紙を寄越したって、どうすりゃそんなこと出来るんだよ!?」

「そもそも、何で勝山さんとシェリルがいることが分かったの!?そこからして変よ!」

「大体にして自分の身元を隠さないって、どういうつもりだ!?あれだけがっちり隠し通しておいて、今さら何の意図で……!」

 啓一とサツキが疑問を並べる中、百枝が、

「……おいおい、自分で正体ばらすやつがあるか?」

 驚くというよりあきれたように突っ込んだ。

 だがその口調には、何やら苦々しく迷惑だと言わんばかりのものがある。

「しかも、よりによって刑事殿の前でかよ。一応人助けの使命は果たしてるけどさ」

 なおも文句でもつけるような不満気な口調に、

(………?)

 啓一はいぶかしげな顔をしたが、そんなことより話を進める方が先である。

「とにかく助けがあったのは分かった、それからどうなったんだ」

「では、ここから先はこの地図を見ながら説明します。『高徳』――いやもうここは仮にヤシロさんと言っていいでしょう、彼は何とネットワーク変動のパターンを読んでおり、中身のあるサーバまでも特定していました」

 ただしさすがに一部は潜り込めなかったのか、

「当方もアクセス不能のため内容不明」

 いくつかのサーバにそのような註記がある。

「まあ内容が分かっているか否かはともかく、最初から見に行く必要がありましたが……」

「そこまでの能力見せておきながら本当かね?俺なら信じないが」

「あながち嘘とも思えません。『内容不明』のサーバは、罠を外すだけで一時間かかるほど厳しいセキュリティのものばかりでしたし。あの人の能力のほどは分かりませんが、手に余ってあきらめたとしても特におかしいとは思いません」

 二人はその後も空が白み朝日が昇る中、じりじりと地図の通りにネットワークをたどり、緊張の中サーバの中身をチェックし続けた。

 ここまで入ると果てなきぬかるみを行くがごとし、一度足を取られれば終わりである。

 事態が急展開したのは、五つ目のサーバに入った時であった。

「突如として、次のようなプロフィールを記したファイルが二つ出て来たんですよ。復号がかなり難しかったのですが、何とか読めるところまで……」

 そして、ファイルが表示された時である。

「あ、『英田清香』……!?」

 サツキがそう叫び、そのまま凍りついた。

「……そうです。英田さんのプロフィール、それも詳細なものがこんなところに」

「どこ!?これがあったのはどこなの!?」

「IPと地図から推測するに、大門町のどこかにあるサーバです。アクセスに精一杯すぎてどの建物にあるのかまでは特定出来ていないのですが……内容的に研究室かその関連施設だと思われます。あそこに研究所はないので、多分どこかの家に隠されているんでしょうが」

「内容的にって……?」

「これを見てください。復号しきれていませんが」

「………!!」

 ファイルを一読した瞬間、サツキが耳と尻尾をぼっと毛羽立たせ、ぐたりと椅子にもたれかかる。

「おい、サツキさん!!……しっかり!!」

「はあ、はあ……」

 すぐに立ち直ったが、サツキの眼は虚ろだった。

「くそ、何なんだ……って!!シェリル、これ!!」

「……見たままです。文字抜けが著しく読みづらいですが、人体実験の報告書と思われる文書です」

「………!?」

 声にならない声が啓一と百枝の口から出る。

「これによると、実験者は英田さんにナノマシンを投与したようです」

「ナノマシンって、やっぱりこの世界じゃ普通なのか?」

「普通といえば普通です。ただしご存知の通り、やろうと思えば物から人体まで何でも内部からいじることの出来る危険なものですからね。『微細機械取締法』という法律で取扱者は免許制とされ、正当な医療目的や研究目的、アンドロイドの製造・修理目的以外での使用が固く禁じられています。無免許者はもちろん、免許所持者でも正当な理由なき場合は単純所持だけで罰せられます」

 我々の世界ではナノマシンは理論段階であり、あくまで創作の世界で何をするでも便利な小道具として使われているにすぎないものだ。

 だが、この世界ではそれが実現しているのである。興味本位や何かの目的で人体実験をしてやろうなぞと悪心を起こす輩が現れても、決しておかしくはないはずだ。

「一体何の目的で!?もしかして先輩を改造しようと……?」

「そこまではこの文書からは分かりませんが……投与量からして改造の可能性はあります」

「そんな……!」

「文字が後半に行くほど欠けているせいで、実験の成否に関してははっきりしたことは分かりません。ですが、末尾に『■月■五日■送』『五■■六日■亡し■方不明■の連■■り』とあります。これは『五月十五日移送』『五月十六日逃亡し行方不明との連絡あり』と推測されますので、生存して自分の足で逃げられるほどの体力があったことは確かでしょう」

「そ、その日付って……じゃあ、やっぱり林野さんのところに逃げ込んだ人は先輩!?」

「そう考えていいと思います。『移送』を監禁場所への移送と考えれば、ことの流れを含めて一連の推測が当たっていたということになりますが、そこまではまだ……」

「……じゃあ、先輩は一体全体どこへ!?」

「残念ながら、この後の部分が読み取れません。少しデータ量があるので何か書かれていると思われるんですが……復号しても真っ黒です」

「そんな……」

 ついにサツキは、床へへたり込んでしまう。

 さもありなん、失踪していた自分の先輩が人体実験の餌食になっていたとは誰が思おうか……。

「それともう一つなんですが……倉敷さん、いいですか」

「え?何だよ、あたしがどうした」

「これから、さっきの英田さん以上のものが出て来ます。どうかなるたけ冷静に」

 そう険しい顔で言い、ファイルを切り替えた時である。

「………!!あおい……ッ!?」

 百枝の口から、たまるような声が飛び出したものだ。

 見れば画面には、『奈義なぎあおい』という少女が顔写真つきで映っている。

「嘘だ!……このッ、ふざけんのもいい加減にしやがれ!!」

 激昂してシェリルの胸倉につかみかかる百枝を、啓一とサツキ、そして作業をしていた宮子までもが飛んで来て総出で止めた。

「倉敷さん、落ち着いて!!彼女は何にもしてないじゃありませんか!!」

「だけど、だけど!!地球にいるはずの従姉妹が、こんなとこに何で出て来るってんだよ!!」

「従姉妹ですって……!?」

「げほッ、げほッ……だから、冷静にと」

「冷静でいられるかっつうの!!」

「気持ちは分かりますが、そんなに昂奮されては困ります」

「じゃあ何だ、黙ってろっつうのか!!」

「そういうことじゃなくてですね……!」

「いいから落ち着いてください!!」

 余りの錯乱ぶりにたまりかね、啓一が一喝する。

「………!!」

 この叫びに、百枝がびくりと固まった。

「はあ、はあ……とにかく倉敷さん、この奈義葵さんとやらがどういう人なのか話してもらわないと、話がまるで進まないですよ」

 肩で息をしながら言う啓一に、百枝は椅子に座って話を始める。

「さっきもちらっと言ったが、葵はあたしの従姉妹だ。一回り近く下で、あたしみたいなのを『お姉ちゃん』って慕ってくれてさ。瑞香にもなついて、小さい頃はよく遊んでやったもんだ」

「………」

「それで、移民の話が出た時だ。啓一さんとサツキさんには前に話しただろうが、一族は賛成と反対に分かれた。葵は行きたがって、こっちの高校への進学を望んだんだが……叔父貴が『家族誰一人として行かせない』って頑強に反対してたんで駄目だった。あたしも随分味方して説得したんだけど、それが裏目に出ちまって訪問はおろか連絡すら禁じられる始末でさ。そのせいで、長いこと声すら聞けてなかったんだよ」

「だから、あんなに驚いたんですか」

「だってそうだろ?緑ヶ丘じゃなくても新星なり何なりに来たなら、あたしに絶対連絡して来るはずだ。知り合いで確実に味方になってくれるはずだからな、真っ先に頼るだろうよ。だけどそんなもんなかったんだぜ?たまげて当然じゃないか」

 百枝のもっともな理屈に、啓一は黙ってうなずいた。

「奈義さんがこっちにいた理由に関しては、今朝発覚したばかりのことですので分かりません。そもそも倉敷さんの従姉妹であることすら、一時間ほど前にようやく確認が取れたほどですからね。……とりあえず今推測される経緯いきさつは、私たちの知らない事件に巻き込まれて、英田さん同様こっちに引っ張って来られたということくらいです」

「一体何がどうしてこんなんなっちまったってんだ、葵……」

「とりあえず復号したものを読みますと、やはり人体実験です。ただこれは欠損が著しく、何が行われたか仔細までは分かりません。ですが……」

 そこでシェリルは、ごくりと唾を飲んで一旦言葉を切り、

「外科的な人体改造、それも機械化が行われた可能性があります」

 一気に言ったのである。

「なッ……!!」

 その途端、啓一以外の全員の顔色が紙のようになった。

「そりゃ、サイボーグってことか……?この様子だと違法だよな?」

 啓一が雰囲気を察して訊ねると、シェリルは、

「ええ、正当な理由と許可なき場合は違法です」

 険しい顔できっぱりと言い切る。

 この世界では技術の発達によって、理論上人間を機械化したり獣人に変えたりと人工的に種族を転換したり、さらにはどの種族にも属さない新たな生命体を作り出すことが可能だ。

 しかしこれを放置すると自分の欲望を満たしたり、犯罪を行うために悪用する者が現れる。しかも人格・感情・記憶の改竄や消去なども技術的に可能であるため、これを合わせると他人を自分の都合のいいように完全支配しほしいままに操ることすら出来るようになるのだ。

 つまり自分の気に入った人間を拉致して改造し奴隷にしたりするのはもちろんのこと、昔の特撮番組のように「改造人間を大量に作って世界征服」なぞという、我々の世界ではフィクションでしかないことがやろうと思えば実際に出来てしまうわけである。

「……もしかすると出来るんじゃないかとは思ってたが、本当に出来ちまうのかよ」

 啓一が驚きの余り息を飲んでいるのに、シェリルは、

「ええ。ここまで来ると殺人以上の残忍な行為ということで重大な人権侵害になりますし、さらには個人だけでなく社会をも脅かすことになります。そのためこれらの行為を禁止する『種族転換禁止法』と呼ばれる法律があるんですが、法定刑は……場合によっては死刑のみです」

 汗を一つこめかみから流しつつ答えた。

「………!」

 啓一が凍りついたのは言うまでもない。

 だがアンドロイドを扱うのでも好き勝手をしすぎれば十三階段が待つということがある辺り、この世界は各種族の人権や尊厳を守るためには厳罰を一切いとわないところがあるのだ。

 欲望のため強制的に人体改造を行って玩弄するのを許すことなぞ、到底考えられまい。

 それに我々の世界と常識や倫理観が共通している以上、法律云々を抜きにしてもこのような行為が万死に値すると考えられるのも当然と言うべきであった。

「私たち特殊捜査課の本来の担当は、この『特殊犯』と呼ばれる犯罪なんですよ。今回のことで、この事件は本格的に私たちの担当となるでしょう。およそ最悪の展開です……」

「おい!そんなことより、葵は、葵は大丈夫なのかよ!?しゃれになってねえぞ!!」

「最後に『逃』の文字がありますので、逃げたと考えられますが……確実なことは」

「……夢なら覚めてくれ!!」

 百枝がぐっと両の拳を固め、天をあおいで絶叫する。

「シェリル、復号出来たよ!これ、大変なものじゃないか……!」

「次は何だ!?オタ猫、変なもん出したらくびり殺すぞ!!」

「ひッ……僕に当たらないでよ!!」

 百枝がすさまじい眼でめつけるのに、宮子が尻尾を毛羽立たせておびえた。

「だ、出すよ?……人によってはきつい代物だから、しっかり心の準備してね?」

「ごたくはいいから早く出せ!」

「わ、分かったよ……これ!」

 そして、キーをたたく音とともに画面に何かが映し出された瞬間である。

 百枝がいきなりどおっと卒倒し、

「むうん……」

 うめいて白眼をむいたものだ。

「わあ!倉敷さん、しっかりしてくれ!!」

「一体何なの!?……ってええッ!?」

 サツキの叫びに画面を見た一同が、驚きの余り息を飲む。

「手術中の写真……!」

 何とそこには葵と見られる少女の躰を切開し、何かの機械を埋め込んでいる様子を写した写真が並んでいたのだ。

「これは『遅かりし由良之助』と叫びたくもなるわけだ。捜査の甲斐なくこんなことが起きてしまったと分かったら、間に合わなかった、遅かったと嘆くしかない……」

 啓一はただ呆然とつぶやく。

「伏魔殿だ、本物の伏魔殿だったんだ!!魔王がいやがったんだよ、この街には……!!」

 身を起こした百枝の錯乱した叫び声が、びいんと空気を弾いて響き渡った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る