7.夏探し

 秋が深まる頃だった。一人で両親の帰りを待っていた俺に届いたのは、両親の訃報だった。


 車で帰宅中の事故死。相手は飲酒運転。神はいないのだと悟った。

 葬式をあげる為に島に訪れた両親を亡くしたばかりの俺に、この島の人間もどき達はなんて言ったと思う?


『凪さんところは信仰心がないから』

『呪術返しが出来なくて死んだんだ』

『自業自得だ』


 ほらな、神はいねーんだ。いるなら今すぐこの島ごと消してくれよ、と俺は祈った。

 じいちゃんはそんな島に辟易しながらも、今さらどこか別の地で暮らすことに消極的であった。俺はこの陰気で、人間もどきばかりの島を出て行くことだけを楽しみに生活することを誓った。


 人目に晒されるより自然の中にいた方がマシだな、と俺は山の中を探検していた。そんな俺の耳に届いたのは「もう悪いことはしません〜」と泣き叫ぶ女の子の声。

 なんだそれ、と思わず笑ってしまった。どんな悪いことをしたと言うのだ。お母さんとの約束を破ってしまったのだろうか。それとも宿題をしなかったのかな。それともまさか万引きとか?!

 その声に導かれるように草をかき分けながら進んだ先の小さな崖の底に、その子はいた。


 天使だと思った。冗談ではなく本気で。悪いことをして翼をもがれ、天界から追放された天使だと。

 まぁ、その天使が俺の忌み嫌う幸尽教の教祖様だったわけだけど。


 そして天使、もとい小夜のそばにはいつも騎士がいた。その騎士は幼い頃から「巫女様を守るように」と言い聞かせられて育ってきたらしい。

 そりゃあ最初は気持ち悪い奴らだな、と思ったよ。だけど彼らも幸尽教の被害者だった。彼らももがいていた。そうして両親を失った悲しみの底にいる俺と、自分の人生を諦めている小夜と、盲信に囚われた両親の被害者のハルカは、絶望の淵でお互いの傷を舐め合った。





 人工的な光がほぼない島では、満月の明かりに照らされた小夜の身体がよく見えた。淡く優しい光によって浮かび上がる小夜は、この世の者とは思えないほどの神々しさだ。

 幸尽教の教えでは、彼女が産む子に神通力が宿ると言うが、俺は小夜にこそその様な不思議な力があるのではないかと思う。

 一目見れば、みな彼女に魅了された。できることならその手で触れてほしいが、自分に触れた場所から彼女が穢れていきそうで、そんな恐ろしい願いは口にできない。それならばせめて側にいさせてほしい。遠くから見つめることを赦してほしい。これからの人生で起きる幸せ全てを投げ捨てるから、気まぐれに笑いかけてほしい。

 実際にそう願っている人たちがいることも知っているし、俺だってその気持ちがよく分かる。


「小夜、すげぇ綺麗だ」


 改めて見た裸体の小夜は、この世の何よりも美しい。いや、何かと比べることが間違っている。小夜は俺の唯一だ。


「倫太郎、あんまり見ないで……その、恥ずかしいから」

「ごめん、でもずっと見てたい。ハルカ、お前よく正気で小夜のこと抱けたなぁ」


 俺が素直にそう言うと、ハルカは「正気だと思うか?」と自嘲の声で答えた。

 たしかにこの状況を見ればとても正気だとは思えない。一つの部屋に裸の男2人と裸の女が1人だ。どこからどう見ても異常だ。


「小夜、キスしていい?」

「そういうことは聞かない方がいいらしいぞ」


 ハルカは知った風な口調で俺に助言を与えた。ちぇっ、なんだよ、俺めっちゃ格好悪いじゃん、とばつが悪くなって、それよりも小夜を深く知っているハルカのことがなんだか面白くなくて、俺は下唇を突き出した。


「ふふ。私のこと妹扱いしてたのに、倫太郎の方が子供みたいに拗ねてる」

「"手のかかる"妹ね」

「……もうっ、イジワル」


 ぷぅ、と頬を膨らませて拗ねる小夜こそ、まるで子供みたいだ。まろい頬のなんと愛おしいことか。俺たちはそうして見つめ合って、同時に頬を緩めた。

 次の瞬間には、そうなることが"さだめ"だとでも言いたげに自然と重なりあった唇。そこに走ったビリビリとした感電のような刺激に思わず息を呑んだ。小夜と触れ合えることを細胞全部が喜んでいる。


「今、電気が走った」

「小夜も?俺も。すげーね、ほんとにこんなことってあるんだ」


 俺の感想を聞いた小夜は「やっぱり倫太郎が運命の人なのかな」と、嬉しさを隠すように控えめに告げる。それが堪らなくいじらしくて、抑えきれない感情が腹の底から湧き上がってきた。


「小夜、好きだ。どうして今まで気づかずにいられたんだろう」

「……私のこと"手のかかる"妹としか見てなかったからでしょ?」

「……倫太郎は遠慮してたんだろ、ずっと」


 俺たちの戯れをジッと見ていたハルカの唐突な言葉に弾かれて、「遠慮?」と小夜と声を合わせた。


「俺が小夜のこと好きだったから……、小夜とはどう転んでも一緒になれないから……、気づかないフリをしてたんだよ」


 ハルカは俺以上に俺の気持ちを的確に言い当てた。


「それと同時に慢心してた」

「慢心?」


 また小夜と俺の声が被った。


「小夜がまさか自分以外を選ぶだなんて、思ってもみなかっただろ?」


 それに、そんなことないよ、と咄嗟に否定しようとして、待てよ?とはたと気づく。そうかもしれない。俺の後をついて回る小夜の好意にしっかりと気づいていて、俺はその気持ちの上に胡座をかいていたのだ。だからハルカと小夜が2人でそうなったとき、"取られた"って思った。俺の小夜を取られたって、怒りの感情を覚えたんだ。


「……俺って割と性格悪いね」

「そ。倫太郎はナチュラルに自分本位なんだよ」

「私はそんな倫太郎も好き」


 小夜の告白を聞いたハルカは「恋って恐ろしいね」と溜息を吐いた。その通りすぎて思わず吹き出すように笑ってしまう。あばたもえくぼとは善く言ったものだ。

 俺の中にも、そしてハルカの中にも、そんな盲目的な恐ろしい気持ちが飼われているのだ。それどころか、他人を欺き、蹴落とし、何としてでも小夜を手に入れたいと願う、もっと醜く恥ずべき欲望も。

 俺のことを"太陽"だと心の支えにしてくれている小夜は幻滅するだろうか。それともその天使のような美しい顔の小夜の心の中は、俺よりももっと醜悪な願望を隠し持っているのだろうか。どちらにしても。


「小夜、俺はお前が好きだよ」

「倫太郎……」

「ほら、ハルカも」

「俺?……俺も、小夜が好きだよ」


 小夜は浅く頷き、「ずっと3人でいようね」と、「私だけの2人でいてね」と、天使の微笑みで、醜い独占欲まみれの言葉を吐いた。





 そもそも俺は童貞なのだ。そんな経験値ゼロの俺の初体験が3人って、それってちゃんとできるの?と思ったが、それはどうやら杞憂であった。

 いざ始まってみれば、童貞に毛が生えた程度のハルカと、ほぼ処女の小夜と、完璧に童貞の俺の息は寸分も違わずピッタリと合っていた。お互いの考えが手に取るように分かるのだ。まるでオナニーをしているような、そこ!という的確な責めに俺は呆気なく吐精してしまった。


「うあっ、ちょっ……と!俺、雑魚すぎん?って、おい、小夜、吐き出せよ!」


 呆気ない射精に自己嫌悪している俺の目の前で、小夜は口内に出された精液を躊躇いもなく飲み下した。


「だって、倫太郎の全部欲しいんだもん」


 も、もんじゃねー!と、行為にそぐわない軽い物言いに思わずめまいがする。


「こえー女だよな。絶対離れらんねーだろ」


 そんな心情を察してか、小夜の胸を愛撫していたハルカは俺に同情の言葉を投げかけ、「ほら、お前も俺と同じとこまで堕ちて来いよ」と小夜の足を左右に開き、その指で彼女の秘部を俺に見せつけた。

 ぬらぬらとした煌めきを纏った小夜のそこが俺を誘うように震える。ハルカは「堕ちて来いよ」と、そこをまるで地獄のように例えたけれど、俺には楽園だとしか思えなかった。

 えっとなんだっけ……。そうだ、確かすべての人間は生まれながら罪を背負っているんだ。神に背いて禁断の実を食べてしまったアダムとイブの罪。原罪。

 俺はさっきみたいに呆気なく射精をむかえないように、小難しいことを考えた。

 えー、でもさぁ。そりゃ、目の前に美味しそうな実があったら食べるだろ。それを罪だと知っていても。もう楽園には戻れないと分かっていても。


「小夜、愛してる」


 俺のその言葉に、小夜はこの世の幸せ全部を集めたような表情を見せた。


 笑ってしまうだろう。まだ何も知らない子供の愛してるに、どれほどの価値があるというのか。それでも俺は真剣だった。小夜に降り掛かるすべての厄災から、彼女を守りたかった。




 


「倫太郎、悠……あのね、聞いてほしいの」


 事後、小夜は恥ずかしいのか胸元を腕で隠しながら、俺たちを窺うように見つめた。


「なに?なんでも言って」

「お前の願いならなんだって叶えてやりたい」


 俺とハルカの気持ちは一つだった。ハルカの言うことがいちいちカッコイイのが少し悔しいけど。

 小夜は少し迷う素振りを見せたあと、意を決し口を開いた。


「子供を産んだらこの島から逃げようと思うの。私と一緒に来てくれる?」

「小夜……俺はお前と生きていけるならどこだって構わない」

「悠……ありがとう」


 倫太郎はやっぱり嫌だ?、と小夜が聞いてきたのは、進学先の高校を小夜に合わせて島内にしなかったことが関係しているのだろう。


「嫌なわけない。小夜とハルカと一緒にいられないことが一番つらい。……ただ、」

「ただ?」


 小夜とハルカの声が揃った。


「ただ、逃げるのは高校を卒業してからにしよう」

「あと2年……耐えられるかな」


 眉を下げた小夜が不安げに呟く。

 すでに苦痛だと感じている状況であと2年は確かに果てしない永さに感じるだろう。だけどこれからのさらに永い未来を考えたときに、それだけはどうしても譲れなかった。

 それに子供を捨て置くなどという業を小夜やハルカに背負わせたくなかった。もちろん俺自身にも。


「3人でいれば大丈夫。小夜のことは俺たちが守るから」


 そう言って俺は小夜を抱きしめた。腕の中でこくんと頷いた小夜が俺を見上げる。黒曜石のような瞳に映る俺が、ゆらゆらと揺れていた。

 その刹那、俺の頭の中に思い浮かんだのは、この島に蔓延る教え。


 "身に余る幸せは破滅をもたらす"


 何を言ってるんだか、と鼻で笑い、瞬時に頭から追い出した。俺は小夜を幸せ漬けにしてやりたい。だけど人は愚かしくも、幸せを得た途端、失う恐怖を同時に思い描くのだ。





 その日の深夜、俺のじいちゃんが死んだ。

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