第31話

 なるべく表情には出さないように我慢したが、スゥっと気持ちが沈むのが、自分でもよく分かった。


 そんな私の気持ちを感じ取った……というわけでもないだろうが、楽しげに旅について語っていたジェランドさんが、顔を引き締め、少しだけ深刻そうに言う。


「ただ、旅に出る前に、一つだけ心残り……というか、心配事を片付けておきたいとは思っています」


「心配事? どんなことですか?」


「レオノーラ様、あなたのことです」


「えっ、私……ですか?」


「ええ。先ほども申し上げましたが、ヘイデール様とアリエット様、あのお二人と関わり続ける限り……いえ、正確には、アリエット様と関わり続ける限り、あなたはずっと思い悩み、心に重りを乗せられたような気持ちで、一生を送らなければならないでしょう。ですから早々に、アリエット様と縁を切り、離れて暮らすべきです」


「…………」


「とてつもなく失礼なことを言っていると、自分でもわかっています。なんせ、赤の他人が、図々しくも『妹と縁を切れ』とほざいているのですから。しかし私は、このままあなたが不幸になるのを、見過ごしては置けない」


 ジェランドさんは、驚くほど真剣な瞳で私を見据え、言葉を続ける。


「私よりもアリエット様のことを良く知るレオノーラ様に、今更言うまでもないことかもしれませんが、アリエット様は、普通じゃない。彼女は、あなたから『大切なもの』を奪うことにのみ執着する、いわば怪物です。たとえヘイデール様との婚約を解消しても、彼女はまた、あなたが好きになった人を奪おうとするでしょう」


 執事として、たくさんの人々と接してきたジェランドさんの人を見る目は確かだ。短い間で、ここまでアリエットの人間性を見抜くとは。私はすっかり冷たくなってしまったコーヒーを一口飲み、乾いた喉を潤すと、「私もそう思います」と短く言った。


 ジェランドさんは力強く頷き、話を総括するように、一段階声のトーンを上げる。


「そんな怪物がそばにいては、あなたの心は永遠に休まらない。……ならばいっそ、旅に出ませんか? 私と一緒に」


 それは、ほんの少しも予想していない言葉だった。


『旅に出ませんか? 私と一緒に』


 つまり、つまりそれは、先程話した世界をめぐる長い旅に、私を誘っているということ? いや、つまりも何もない、こんな短い言葉の中に、他の意味などあるわけがない。


 驚き、戸惑い、それ以上に、胸が熱くなる。


 私は、この小さな田舎で、自分自身の弱気が作りあげた牢獄の中、アリエットという怪物と一緒に、ずっと閉じ込められていた。いつか誰かが、ここから救い出してくれるのを待っていて、一時は、ヘイデールこそが救世主ではないかと思った。

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