第12話
ヘイデールの二つの瞳は、もはや隠す気もない嫌悪感と憤怒で満ち満ちていた。……愛しい人に、こんな目で見られるのが、これほど辛いなんて。
胸が痛い。
心が痛い。
突き飛ばされた時に強く打ったお尻の痛みなんて、今感じている心の痛みに比べれば、何もないのと同じだ。
溢れ出る涙。
無限に続く嗚咽。
私はもう、満足に言葉を紡ぐこともできず、うわごとのように「違う」「違うの」と囀ることしかできなかった。
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その後、ヘイデールはアリエットを抱きかかえ、馬車に乗せて診療所へと連れて行った。……診察すれば、アリエットにはかすり傷一つないことがすぐにわかり、先程大げさに転んだのは何だったのかということになるだろうが、あのアリエットのことだ、上手に立ち回り、適当な理由を並べて乗り切ってしまうだろう。
太陽は、すっかり沈んでいた。
私は、いまだに自然公園の展望台にあるベンチに、座っている。
泣いて泣いて、あまりにも泣きすぎて、もう一滴の涙も出てこない。
家には、帰りたくなかった。
うちに帰ってアリエットと会うのが嫌とか、そういうわけではなく、もう、どこにも移動したくなかったのだ。人間というものは、本当に心の底から疲弊すると、動く気力そのものがまったくなくなってしまうらしい。
月明かりに照らされた展望台で、私はただ、ぼおっとしていた。
それでも自然と思い出してしまうのは、先ほどのヘイデールの、あの冷たい瞳。……恋愛経験に乏しい私でも、さすがに分かる。ヘイデールが私に向けてくれていた、水晶のように無垢な愛情に、大きな亀裂が入ってしまったことを。
その亀裂は、努力次第で修復できるのだろうか?
……なんとなくだが、無理な気がする。
ゆっくりと、穏やかに、ヘイデールとの愛を育んできたはずなのに、こんな、たった一度のことで、愛は壊れてしまうのか。愛とは、これほど脆いものなのか。
そう、しみじみ思い、過ぎ去りしヘイデールとの楽しい日々を思うと、枯れたはずの涙が、再び滾々と湧き出てきた。このまま泣き続ければ、そのうち体中の水分がなくなった私は、枯草のようになり死んでしまうだろう。
それもいいか。
なんだか疲れたな。
瞳を閉じれば、次から次から溢れてくる涙が止められるかもしれない。
私はそっと、まぶたを閉じた。
暗闇の中で、十分ほどそうしていると、不意に、声をかけられる。
「レオノーラ様、そろそろお帰りになりませんと。この辺りの治安は良い方ですが、それでも遅くなると危険です」
若い男性の声だった。
丁寧で上品な言葉遣いの中に、確かな思いやりの気持ちがこもっていて、なんだか安心する。
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