黒猫屋敷の転生令嬢

如月姫蝶

黒猫屋敷の転生令嬢

 彼女は、この数日、そのボトルを何度撫でさすったことだろう。

 決意を秘めて取っておいた二本のボトル。片方はミルクで、もう一方はサラダ油だ。

 いよいよ行動に移さねばならない。ボトルの蓋を開ける力さえ失ってからでは、全てが手遅れとなってしまう。

 彼女は、万年床から半身を起こすと、ボトルを開封して、中の液体を丹念に全身に振り掛けた。

 その後また、ドサリと万年床へと崩れ落ちる。

 彼女が愛して止まない生き物たちの眼が、満天の星々のように煌めいていた。


「お嬢様、またもや計算を間違っておいでですよ」

 マズイ。侍女マオーチカの声が、また一段と低くなった。

 彼女は、王都の豪商の娘で、それ相応の教育を受けたのだ。しかし、父が事業に失敗したため、一家離散の上で都落ち。こんな片田舎で小領主の跡継ぎ娘たる私の、侍女兼教育係に収まったというわけだ。

「うぅ……一休みして横になりたい」

「あ〜ら、ハナスタシア様、ご両親ともども、永遠に横におなりになってもよろしいんですのよ?ご両親が流行病でそろってお亡くなりになったこと、冬が過ぎても隠し通せるとでもお思いで?」

「いいえ」

 侍女の指摘に反論の余地を見つけられず、私は、書物机に突っ伏した。

 私は、あっけなく亡くなってしまった両親の、一人娘にして唯一の後継者なのだ。我が国では、小なりと言えど領地を賜りし者が、領地経営にお手上げしてしまった場合、女王陛下によって、領地も爵位も没収されてしまう。私の場合、早すぎる両親の死を意図的に隠匿していたことまでバレたなら、物理的な意味で首が飛ぶこと請け合いである。

 女王様のご機嫌伺いのために王都へ向かう春までに、初歩的な領地経営をマスターして、代替りを認めて頂くよりほかにないのだった。

 マオーチカは、淀み無く小言を捲し立てながらも、ミルクティーを淹れて菓子を添えてくれた。

「ときにハナスタシア様、猫たちの件は、いかが致しましょう?」

 領主が下さねばならない決断の一つを、侍女は、もうすぐ領主になるはずの私に突きつけたのだった。

 私は猫が大好きだ。それ以前に、我が家の紋章には黒猫の図案があしらわれている。

 うちのご先祖は、領民に猫を飼うことを奨励することによって、鼠を駆除して、穀物や書物を守り、流行病の頻度を減らしたのだ。

 ところが、ここ数年、猫が増えすぎて弊害が出ているのだ。

 そして、全ての流行病を鼠が媒介するわけではないから、猫はいっぱいいるのに、両親はあっけなく死んでしまった……

「ご決断を、ハナスタシア様」

 マオーチカは、重々しく催促した。

「わかった、仕方無いわね。今後暫く、雄猫の去勢を奨励しましょう。過去の例に倣い、応じた民には、少しばかりの報奨金を」

 気は進まないが、私は応じた。

 私は、過去の国王や領主たちの政策の成功や失敗、傾向と対策についても学びつつあった。

 その中には、私にグサグサと刺さる、極端な動物好きや動物絡みの失政の例も散見された。

 例えば、人よりも犬を可愛がり、民の信頼を失った王。はたまた、こよなく鷹狩りを愛し、鷹たちの普段の餌とするために、民から飼い犬や飼い猫、食肉用の家畜まで奪って、ついには暗殺された領主……

 口に入れたクッキーがなぜか苦い。けれど、私は、民の暮らしを守るべき領主に、もうすぐなるのだ。

「ああ、ハナスタシア様……」

 侍女の顔が、いつの間にか目の前にあった。

 艶やかな黒髪に縁どられ、大粒の黒曜石のような瞳が埋め込まれたその白皙は、普段は理知的に冷たいのだが、今はどこか熱ましかった。

 ああ……こういう落ち着いた美しさっていいなあ……

 私は、どこか痺れたようにぼんやりとしながら感じた。

 私の目はいわゆる金目銀目——右は金茶で、左は青銀なのだ。色彩の珍しさだけで、良くも悪くもとやかく言われてしまうのだ。

 それに比べて、マオーチカは……

 私は、「ひゃっ」と声を上げた。にわかに鼻先がぬるりと濡れた。なんと、マオーチカが、私の鼻を舐めたのだった。

「ミルクがついておりましたので」

 いやいや、それはない。私はミルクティーを鼻から飲んだりはしないのだから!

「ミルクとお肌の脂がないまぜになって、とても美味しいです」

 なぜに具体的な感想まで述べる?いや、ちょっと待って、お勉強してるうちに、私ってば脂ぎってたの?

「ああ、本当に食べちゃいたい!」

 マオーチカは、笑いながらあちこちマッサージした後、ようやく解放してくれた。私は、諸々焼き切れていた。なんならうっかり事切れてしまいそうだった。


「そなたが爵位と領地を継承すること、女王の名において認めよう」

 跪いてこうべを垂れた私に、女王キラキラプリンセスカヤ様の玉声が降り注いだ。

 侍女の謎の過剰なスキンシップを免れるためには、勉学に精を出すしかなかった。そして赴いた春の王都で、私は、生まれて初めて女王陛下に謁見し、念願を叶えることができたのだ!

「ハナスタシアよ、顔を上げよ!」

「ははっ」

 陛下の凛々しいお声掛けに従ったところ、私よりも五才ばかり年長の、ミントグリーンの瞳に迎撃された。

「金目銀目か。不吉よの……

 まあ良い。見目はどうあれ、そなたの善政を期待しておるぞ!」

 そして女王陛下は、私には退出を促す一方で、なんと、マオーチカと二人きりで話をしたいと仰った。

 私にとっては初耳だったが、なんでも、マオーチカは、女王様と即位前から面識があり、彼女の父が事業に失敗さえしなければ、女王様と平民が交流するためのサロンに出入りするはずだったという。ゆえに旧交を温めたいとの仰せだった。


 人払いを済ませた一室で、女王と小領主の侍女は二人きりとなった。

 女王は、玉座よりはよほど質素な椅子に崩れ落ちた。

「どういうことだ!金目銀目などとは!あやつは、転生前のニホンでの顛末を悔やんですらおらぬのか!?」

「悔やむも何も……すっかり忘れているようです。かつての貴女様のように」

 冷たい白皙の美女は応じた。


 キラキラプリンセスカヤは、かつて遠い異世界の日本という国で、束の間の前世を生きた。

 やがてこの王国の第一王女に転生して、両親たる国王夫妻の愛を一身に受けて成長したのである。

 しかし五才となったある日、転生を司る女神なる者が、突如として王女の前に降臨したのである。そして彼女に、次なる転生の時が迫っていると告げたのだ。

「この世界の王女として生を受けたのは、あなたの魂が癒しを必要としていたからです。あなたには親に愛され、安全を楽しむ必要があった。けれど、もう十分でしょう。魂の救済を待ち望む待機児童は、大勢存在するのです」

 彼女の前世は日本の平民であり、連続幼女誘拐殺人事件の被害者となったという。

 キラキラプリンセスカヤは、そんなお告げを受け入れられなかった。そして咄嗟に女神から逃げ出そうとした王女の元へ、思わぬ援軍が駆けつけたのである。

 それは、人間の大人ほどに大きく、二又の尻尾を生やした黒猫——猫又だった。

「女神様、妾が永々と生きて溜め込んだこの魔力、マルっとモフっと差し上げますにゃ。それと引き換えに、そこな王女様を延命して、ついでに妾ともう一名を、この世界に受け入れてはもらえませんかにゃあ〜」

 妖怪猫又が日本で溜め込んだ魔力は、女神への賄賂として余りあるほどだった。


 その日彼女は、日本の地方都市で、幼い一人娘を公園で遊ばせていた。ところが、珍しい金目銀目の猫を抱いた老婦人が現れたため、猫好きの血が騒いで、老婦人とその猫に夢中になって話し掛けたのである。

 するといつの間にか娘は姿を消しており、後日バラバラ死体となって発見されたのだ。

 彼女は親族から絶縁され、彼女も人間とは関わりを持とうとしなくなった。

 そして数十年後、別の地方都市で、猫の多頭飼育に業を煮やした近隣の住民が、廃屋同然の家屋に踏み込んだ。そして、彼女らしき遺体と、そこに群がる猫たちと、空のボトルを発見したのだ。ボトルの調は使用済だった。

 猫たちは、死期を悟った飼い主が差し出した最後の晩餐に夢中だった。そしてその中に、ただの黒猫のふりをした猫又も混ざっていたのである。


「私はあの女を処刑する口実を探している」

 キラキラプリンセスカヤは、言葉を絞り出した。

「御意。ゆえに、彼女が両親の死を隠匿している件もお伝えしましたのに」

 元猫又たる侍女は、淡々と返した。今や彼女は、小領主の侍女に扮した女王の密偵なのである。

「それは……この冬は流行病によって、相当数の貴族が死んだ。後継者を一本化できるまでその死を隠匿された貴族なぞは他にもおるが、私はそれらを不問に付したのだ。ゆえに、ハナスタシア一人の首を刎ねるわけにもゆかぬな」

 キラキラプリンセスカヤは、延命と引き換えに前世の記憶に苛まれることとなった。

 前世の彼女を殺した犯人は、未だ日本の拘置所で存命らしく、手の出しようが無い。

 そして、あの日公園で悲鳴を上げたのに、猫に夢中で振り返ってもくれなかった母の背中は、もはや脳裏を離れることなど無いだろう。

 日本とこの王国では世界が異なれば時間の流れまでも異なるのか、それともキラキラプリンセスカヤが王女として転生するまでに何年もとして過ごしていたのか、ほんの五才ばかり年下の小領主の娘として、この王国に生まれ落ちた、あの女……

 キラキラプリンセスカヤは、延命して大人となり、女王としての責任をも負うに至ったがゆえに、声を噛み殺して流涙した。

「妾は、あやつが処刑された後、あの美味珍味な血肉にありつければオ〜ルオッケ〜にゃ。ただ、触り心地からして、あの肉体にはまだ多少の伸び代があるにゃ。成長期を終えるのを待って処刑してもらえるに越したことはないかにゃあ〜」

 マオーチカは、いつしか、猫又の口調に戻っていた。彼女はうっとりと目を細めて、ついでに生やした二又の尻尾を、貪欲な触手のように揺らめかせたのだった。



 

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