第12話 少しデートをしようか
目の前が真っ赤になった。
家族の葬儀で取り押さえられた僕は別室で警察と警備の人に囲まれていた。
そこへ、叔母さんがやって来たのだ。
「やぁ。コトリ姉さんから君の事は度々聞いてたよ。良ければ私の所においで」
「……」
シャー、というカーテンを開く音で意識を起こされ、目蓋から刺激する太陽光で目を開ける。
「そろそろおきなさい、寝坊助。ごはんを缶詰だけにするよ?」
「ああ……うん」
店のエプロンを標準で装備しているミドリは昼になっても眠っているコウを起こしに来たのだ。
「昨日は疲れたのかい?」
ミドリはコウの体調を気にしていた。そして、壁にかかったフード付きのパーカーを取る。
「少しだけ……」
「ふむ。怪我は?」
「……ないよ。あっても治るらしいし」
「ほう。けど無茶はダメだ。いいね?」
昨晩の決闘でアーロンの血がついたパーカーをミドリは抱える。
「まずはベッドから起きて顔を洗ってきなさい。今日は休みだろうけど、これ以上の自堕落は許容しないよ」
「うん」
先に部屋を出るミドリ。コウも起きるとスマホを一度確認した。
他所からの連絡は特になし。
「まぁ……友達も一人しかいないし」
今は夜の事もあり人とは少しだけ距離を置いている。
けれど、唯一の友達に『鈴虫』との夜のことを聞かれたのは意外だった。
「……大丈夫そうだったけど」
彼女は恐らく『レッドアイ』を正面から見た。しかし、後日会った時は恐れる事も発狂した様子もない。
あの時は『鈴虫』とのやりとりで少しだけ“怒り”が薄れていたとは言え、冷静に判断できるレベルでもなかったハズ。
「……よかった」
コウは鏡を見て眼の色が戻っている事に安堵する。
『レッドアイ』になって半年間で大体の法則が掴めてきた。
“怒り”は日常生活の至るところで蓄積されるが吐き出されるのは夜だけ。
日が落ちるとダムが決壊する様に一気にタガが外れる。
これを解消するには沸き上がる感情を他にぶつけるしかない。
最初は不良に絡まれていた女の子を助けたのが始まり。
そこから相手の人数も暴力も徐々に増えて行くが何も問題はなかった。
問題があるとすれば、己では制御出来ない“怒り”だけ。
僅かな理性で悪を判別していた。
向かって来てくれればそれで良かったのだが、警察にマークされていると気がつくと途端に動きづらくなったのだ。
そして、抑え込めなくなった怒りを無差別にぶつけようとして――
「よう、
クロさんが止めてくれた。
「コウキ、今日は何か予定があるかい?」
昼ご飯を食べながらミドリが話を振ってくる。今日は連休の飛び休みで、1日だけの休日だった。
「別にないけど」
「なら、少しデートしようか。私と」
意外な申し出にコウは思わず言葉に詰まる。
「ええっと」
「良かった。もう大丈夫みたいだね」
何の確認だったのか、ミドリは微笑むと空いた食器を持ち台所へ。
「コウキ。お小遣いをあげるから、少し外に出ておいで」
叔母と暮らし始めて半年ほどだが、その心の内を察するにはまだまだ時間が必要だと認識する。
「友達でも誘って遊びに行きなさい」
そう言って一万円を食台に置いた。
「どういう事だ?」
久遠はボクシング協会からの連絡に思わず聞き返す。
『アーロン選手が直接謝りに来たのです。今回の挑戦は無かった事にしてくれと』
「メディアが納得するのか? 彼のスポンサーは?」
『それは天月さんが心配する事ではありません』
「理由くらいは聞かせて貰えないか?」
『トレーニング中の事故です』
「馬鹿な」
アーロンは一流の選手だ。その理由はあまりにも信じられない。
『詳しい事は伏せられています。今回の一件での賠償は全てあちらが負担するとの事で――』
今回の試合による損害の有無を一通り聞き、久遠は携帯を切った。
「どうしたの?」
「アーロンが怪我をしたらしい。不戦勝だ」
食器を洗うミカゲは不機嫌な夫の心情を察する。
「そう言うこともあるわよ」
「ゼロとは言いきれないが……納得はいかん」
アーロンもプロだ。試合前の調整。その際のオーバーワークはご法度である事はスポーツマンなら誰しもが知っている。
「初歩の初歩だ」
今回の防衛戦は本気の本気で負ける事も頭を過る程に、接戦が出来ると思っていたのだ。
それが、相手の不注意で無くなってしまった。不完全燃焼から苛立ちが生まれていた。
「お義父さんそっくりね」
ミカゲに言われてクオンは反応する。
「……血か」
戦わずして勝つ。それは天月として最も不本意な勝利だ。それに強く苛立つのも、己に流れる天月の血が濃い事を自覚する。
すると再度携帯が鳴った。
「?」
見ると知らない番号。非通知でもないので一応出て見る事にする。
『Mr.クオン』
それはアーロンからであった。
「Mr.アーロン。どうやってこの番号を?」
『協会の関係者からね。急遽帰国する事になった為に直接顔を会わせられない事をショーチして欲しい』
「怪我をしたと聞いた」
『本当に参ったよ。しかし、自分でやった事だ。君には迷惑をかけてしまったが、私がリハビリに苦しむ事と相殺にして欲しい』
「リハビリ……相当悪いのか?」
『少々見誤ってね。右腕を潰してしまった』
右拳ではなく、
「オーバーワークは推奨しない」
『ハハ、そうだな。君の言う通りだ。身の丈に合わない事はするものじゃない。しかし、今回は見極めるには不確定な要素が多すぎたのかもね』
アーロンの言葉の真意はいまいち読み取れない。
『しかし、今回の一件で色々と境界を超える事が出来たよ』
「……やはり、トレーニングでの事故ではないな?」
『そこはシークレットだ。一つ言えるのは世界は思った以上に狭く、深いと言うこと。そして――』
アーロンは一呼吸おいて、迷いなく次の言葉を口にする。
『君に負ける気はしない』
それは負け惜しみでも強がりでも無かった。心から圧倒的なナニかと比較した上で、クオンは格下であると言う口調だったのだ。
『必ず復帰する。それまで誰にも負けてくれるなよ』
「わかっている」
『それじゃ、フライトの時間だ』
「Mr.アーロン」
切ろうとするアーロンへクオンも最後の言葉を送る。
「君が何と思おうと何も変わりはしない。私が最強だ」
その言葉に対してアーロンは返事をせずに切った。
顔の見えない通話越しにも関わらず、二人は相対する時の事を想定し笑っていた。
「お義父さんの血ね~」
機嫌の良くなった夫を見てミカゲも微笑んだ。
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