第11話 青春に集中しなさい

「――」

「起きたな」


 『レッドアイ』がゆっくりと動く。その動作に場にいるクロト以外の全員が注目した。


「……」

「羽島。オレは先に帰るわ。撤収作業をよろしくな」

「……わかりました」


 行くぞ。とクロトに促されて『レッドアイ』も続く。

 誰もがソレを止めることはしない。

 厄ネタは触れるべきでは無いのだと、全員が改めて理解したからだ。


「待てよ」


 しかし、桐生はソレを呼び止める。『レッドアイ』の足が止まった。


「お前は何だ?」

「……」


 『レッドアイ』の返答を待つ桐生。クロトは答えてやれ、とアイコンタクトを送った。


「理不尽に対する怒り」

「は? おい――」


 その回答に納得しない桐生は『レッドアイ』へ更に追求を――


「止めとけ」


 羽島が止める。クロトは、ニヤニヤしながら見ていた。


「運が良かったな桐生。オレは第二ラウンドを止める気はねぇ」

「クロト……お前は得体の知れない奴の方が『ファミリー』より優先か?」

「オレは困ってる奴を助けてるだけだ」


 その言葉に桐生は思い当たる事があるのか、それ以上の追求はしなかった。






「傷の治る理由?」


 バイクで送ってもらったコウは別れる際に質問する。


「昨日『鈴虫』と戦った時に手を怪我しました。結構深かったと思います」

「そんで?」

「朝には治ってたんです」


 コウは自分の掌を見る。自分の身体なのにそうじゃない様な錯覚を覚えていた。


「んー。オレも色々と調べたけどな。そう言うのは当然らしい」

「一晩で切り傷が治るのが?」

「元々、人間ってのはそう言うモンなんだと。だが、文明が整備されて行く過程で怪我をしにくくなり、生き残る上で過剰な能力は進化の過程で削られて行ったらしい」


 クロトは煙草を取り出し火をつける。


「人間の身体は永い時間をかけて現代社会に生き残りやすい様に原点から変化してる。『レッドアイ』の握力だとコップ持てねぇだろ?」


 必要以上の力は現代社会において不必要なモノ。逆に不便にしかならず、最悪危険因子と見られるだろう。


「海外の専門的な研究機関に行って調べて貰ったんだが、オレらの遺伝子配列は九割以上機能してるらしい」


 コウも何かの番組で見たことがあった。

 人間の遺伝子は実のところ三割も機能していないらしいのだ。


「……それって僕たちの身体は原点に近いって事ですか?」

「正確には原点の情報を肉体に引っ張り出してるって事だ。『レッドアイ』の時は眠ってるDNAがフル稼動してるんだろう」


 昔は身体一つで色々とやる必要があっただろうからな、とクロトは考察する。


「傷が治るのもその一環だ。切り傷程度、即座に治らなきゃ生きていけない時代だったんだろうぜ」

「でも……意味が解りません。なんの前触れもなく、なんでこんなことになるんですか?」

「それについても面白い仮説がある」


 クロトは煙を、ふーと吐くと研究機関で言われた事を思い出す。


「人間は進化を続けたが、面白い事に脳だけは全く変わってないらしいんだと」

「え?」

「進化による身体機能の整備に比例して、脳は能力に制限をかける事で適応した。世間一般で言われてる“脳のリミッター”ってヤツだな」


 人は脳のリミッターを外すと超人的な力を発揮すると言われている。しかし、その力に身体が耐えられないのだ。


「よく、脳のリミッターが外れた、とか言うヤツいるだろ? それでも脳には身体を壊さないように幾つもリミッターが着いてる。世間で知られてるのは、それが一個か二個外れた程度だ」

「じゃあ、僕たちのは――」

「全外し。脳のスペックやイメージを完全に肉体に反映できる状態だな。多分『レッドアイ』なら衛星軌道の計算式を暗算で出来るぜ。オレも出来るし」


 人類は進化の方向を間違えたよな、とクロトは笑う。


「ですけど……そんなことは……」

「考えてられない、だろ?」


 コウの疑問をクロトは先読みする。

 理性など欠片も割り込めない程の異常な感情は、何故引き起こされるのだろうか?


「前提として、そっちが先なんだよ」

「? どういう事です?」

「その感情が原始の身体を引き出すトリガーだ」


 そもそも、誰もがコウやクロトの様になる可能性を秘めているらしい。


「異常なまでの“怒り”や“喜び”は余計な打算から生まれる感情とは違う。シンプルで原始的な感情だからこそ脳は身体の構造を原始に戻すんだと」


 しかし、その様な感情を引き出すようになった要因があるのだとクロトは言い加える。


「ただ……強烈な感情の起伏があっただけでこうはならねぇ。そう言った事も脳がリミッターをかけて先に精神が壊れるからな。オレはこの感情を得た当時に何かしらの要因があったと推測してる」


 壊れることもなく、ただ制限だけが振りきれた状態。事が済めば沈静化するように、今の状態は余りにも不安定で辻褄が合わない。


「じゃあ……いつか」


 元に戻れるかもしれない。クロトの話に一縷の望みを得たコウは先が見えないばかりではないと明るくなる。


「オレの方でも引き続き調べてみる。なんか解ったら連絡するわ」

「僕の方でも出来る限りの調べて見ます」


 自分の過去を遡れば何か分かるかもしれない。


「バカ。お前は青春やっとけ。高校生なんて一生に一回だぞ」

「こんな状態じゃまともに学園生活も送れません」

「オレが送らせてやる。だから青春に集中しなさい」


 クロトは、それがお前の最優先事項な、とコウの頭に手を置いた。






 『橘食堂』。

 それは四季彩市の都心から外れた場所にある小さな飲食店である。

 中はカウンターの席しかなく、開いている時間も夜の8時から10時までという趣味で開かれている店だった。


「よーす」


 その閉店時間ぎりぎりを狙った様にクロトは中に入る。


「ん? おやおや。久しぶりのお客さんだ」


 店内を掃除していた店主の女は片眼を前髪で隠した美人だった。


「お前の味が恋しくてな、ミドリ。なんか作ってくんね?」


 店主――橘美鳥たちばなみどりはカウンターの裏側へ移動する。

 クロトは楽しみに席に座ると目の前に缶詰が放られた。


「百円でいいよ。税込で」

「えーっと……羽島から話行ってね?」

「来たよ。でも私は断った。君のツケだ。君から催促するのが義務だろう?」

「……カード使える?」

「使えない」


 にこり、とミドリは笑って掃除を再開する。


「悪かったよ。明日耳を揃えて返すから何か作ってくれ」

「そう言って半年も音信不通になった人は誰だい?」

「色々と――」

「言い訳は立場を悪くするよ?」


 ミドリは終始笑顔で口調もいつも通りだが、それ故に相当キレてる事がわかる。


「ごめんなさい」

「反省した?」

「した」

「じゃあ何か作ってあげよう」


 ミドリはコンロに火を入れる。

 クロトは、ほっ、と胸を撫で下ろした。


「少し時間がかかるから、彼と話でもして時間を潰しててね」

「んあ? 彼?」


 漬け物をボリボリと腹の足しに口にするクロトの肩に、ぽん、と第三者の手が置かれた。


「よう、クロト。一日ぶりだな」


 それは丸一日、四季彩市でクロトを捜し回った私服の緋野であった。

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