第4話 次の機会にね
結果として『レッドアイ』に関する情報は殆んど手に入れる事は出来なかった。
ホームレスの男は嵐が過ぎ去るのを地面に伏せて祈っていた為に、何も見なかったと言う。
しかし、緋野はそれよりも重要な情報を得たのだ。
四季彩市、前市長の孫に当たる。ヤツは『レッドアイ』を……いや、この街の事を何か知っている。
元々、薬物の違法取り扱いでの確保であったが、当人は否定も肯定もしないために長らく拘留出来ていた。
弁護士も呼ぶ気配もない。しかし牢屋の中にいるヤツは常に笑っている。いつでも出れる手札を持っていると見て良いだろう。
「面会をする」
緋野は現場から警察署に戻ると、その足でクロトの所へ足を運んだ。
「夜行黒斗ですか?」
「そうだ。まだ寝るような時間じゃないだろう?」
「いえ、彼は面会不可です」
「なんだと? どう言うことだ?」
「署長命令です」
まさかヤツは警察にも根を張って――
「ふざけやがって」
緋野は歯を食い縛る。奥の牢獄で相変わらずクロトが笑っている様に感じたからだ。
踵を返すとその足で署長室へ向かった。
走るのは楽しい。
荷物を持たず、風をその身で感じ、あらゆる鎖を外した解放感を感じられる。
自分だけの贅沢な時間。
高鳴る心臓は家柄から放たれた自分を強く認識させてくれる。
“それぞれの役割がある。アカネ、お前は『天月』としては不完全だ”
生まれて初めて祖父に会ったのは高校に上がった時。そして最初で最後の言葉がソレだった。
不完全。何がそう言わしめるのか、一族の写真を見て解った。
一族に求められるのはスレンダーで無駄なく筋肉を納める事ができる身体。
それが“天月”に求められる理想の女だった。
だが私は凹凸の成長が見て取れる身体。永い運動には適していない。
「……」
“親父の事は気にするな、アカネ。本家にはもう行かない”
父はそう言ってくれた。しかし、私も理解できる年齢だ。
“天月”の影響は一族であると言うだけで纏わりつく。使いたくなくても周りはそう見てしまうのだ。
だから、どの部活にも入らなかった。
「ハァ……ハァ……ハァ……」
いつの間にかペースを上げすぎていたアカネは車の来ない交差点の赤信号で立ち止まり、荒く呼吸をする。
「わ……たしは!」
父は私の為に身を切るつもりだ。なら……私に出来ることは、祖父の納得出来る
“刹那的に生きたいの?”
ふと、友達の言葉を思い出す。彼は“天月”の威光を目当てにしない、初めての友達だった。
「……友達と言えるのか」
まだ出会ってから一ヶ月程度。席が隣である以外、彼の事は何も知らない。
私が他の友達と話している時も彼は一人で過ごしている。
それがとてものんびりしていて、少しだけ足を止めようと思った。
彼の隣に座っている時だけは――
「夜は永いな……」
呼吸が整う。信号が青になったのを確認してから道路を横断し、いつものコース――線路沿いを走り終われば後は家だった。
しかし、線路沿いへと出た所で人影と遭遇する。
「こんばんは」
挨拶は彼女にとって自然な行為だった。
だから、場を把握するのは二の次だったから――
「……」
彼女の足は自然と止まった。
荒い呼吸を整える自分の動作と、遠くで鳴る踏み切りの音だけが耳に入ってくる。
「――ああ、コンバンワ」
地の底からの様な声で目の前のソレが返す。
見るとソレの手にはナイフの刃側を握りしめて、そこから血が滴り落ちている。
加えて、夏も近づいていると言うのに長袖とフード姿。そして、異常な“怒り”を背中越しにも感じさせた。
「――――」
アカネは直感で理解した。声をかけてはならないモノに話しかけてしまったのだと――
身体は凍りついた様に世界に縛り付けられる。
うごけ……うごけ……うごけ! 私の足――
一秒でも早くこの場を離れなければ。
しかし、脳の命令よりも肉体は、反射を優先して声さえも出せない。
ゆっくりと、ソレが振り向――
その時、列車が警笛を鳴らした。
線路に居る『鈴虫』に気づいたからである。
“次の機会にね”
『レッドアイ』は『鈴虫』へ視線を戻すと口がそう動くのを見た。
そして、反対側の金網を一度の跳躍で飛び越えて、闇へ消えていく。
折角……終わるハズだったのに――
ユルセナイ……
怒りが再燃する。沸き上がる様に邪魔した来訪者へその“怒り”はぶつけられる。
「ただいま」
アカネの兄、
「ただいま、母さん」
「おかえりなさい、ケン。もうすぐご飯だから手を洗ってらっしゃい」
「飯? アカネは?」
食事前には必ず母の手伝いをしている妹の姿を今まで見逃した事はない。
「走りに行ってるわ。そろそろ戻って来ると思うんだけど……」
ケンシは帰ってくる道中に、パトカーのサイレンが近かった事を思い出す。
「……ちょっと迎えに行ってくる」
スマホだけを持って玄関へ行くと靴を履く。
すると、扉が開いた。
「ただいま」
扉を開けたのはこの家の大黒柱の
「出掛けるのか?」
「アカネが日課から帰ってない」
「あらあら、お帰りなさい」
一家の母――
「母さん、アカネはいつ出た?」
「三十分前かしら。遅くてもそろそろ戻る時間だけど」
「……ケンシ、お前は家に居ろ。父さんが捜してくる」
「オレが行くよ。父さんはアカネのルート知らないだろ?」
「昔とは?」
「だいぶ変わってるし距離も伸びてる。だからオレの方が早い」
「皆で行きましょうよ。GPSもある事だし」
マイペースなミカゲに諭されて二人は、それもそうか、とスマホを取り出した。
「家に入れないんだが」
その時、いつの間にか開いていた扉にアカネが立っていた。
彼女は体格の良い男二人が玄関の利用を塞いでいることに難色を示す。
「お帰りなさい」
「ただいま、お母さん。後、父さんに兄さんも」
ミカゲは自分のスマホのGPSを二人に見せる。どうやらアカネがもうすぐ帰ってくる事は解っていたようだった。
「アカネ、先にお風呂に入りなさい」
「うん。その前に、二人とも通れないんだけど?」
クオンとケンシは靴を脱ぐとアカネに道を開けた。
「……」
シャワーを頭からかぶりながらアカネは先ほど遭遇したモノの事が頭から離れなかった。
「あれは――」
何だったんだ?
人の形、頭から足先まで定義は人間であるのだろう。しかし、その本質は向かい合えば解る。
それは底知れぬ“怒り”。誰もが一度は他者の“怒り”を向けられる事があるだろう。
時には理不尽に、時には自分に非があり。
それでも、限度を越えた“怒り”を前にした時、人はあらゆる原理を取っ払って萎縮する。
ソレを何千、何万倍と引き上げたモノがアレだ。
あの“赤い眼”と向かい合うだけでソレをぶつけられ身体が動かなくなるどころか、心が焼かれてしまうだろう。だが……
『アカネ、着替えを忘れてたわよ。ここに置いておくわね』
母の声に、少し間が抜けていた事に、ありがとう、と返した。
「……やっぱり、君なのか?」
それは明日になればわかる。しかし、事実であって欲しくはなかった。
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