第3話 こんばんは
カシャ、カシャ、とシャッターが切られる。
照明が置かれ、闇の取り払われた橋下は騒がしくなっていた。
銃声のような音を聞いた、と言う住人からの通報で警察が街から外れた現場に駆けつけると、そこには惨劇が広がっていた。
動物のマスクをつけた
その様は陸に上げられたタコの様で、うち一人は手足だけでなく顎も破壊されていた。
「昨日の今日だぞ」
初老の刑事は被害者が“痛み”ではなく怯えるような言葉を呻いていた事に直感が当たる。
「『レッドアイ』か。どんな化け物だ」
そもそも、人なのだろうか?
「何か痕跡はあったか?」
搬送された被害者たちはまともに話を聞けなかった。特に顎を砕かれた一人は完全に精神が壊れたのか恐怖のあまりに笑っていた。
しかし、救急車とパトカーと赤いランプを見ると動かない手足を必死に動かし、怯えて助けを求めると言う異常な様を見せた。
「緋野警部。こいつを見てください」
初老の刑事――緋野は周囲を調査していた者に促されて近くの茂みに転がっているソレを見る。
「こいつは、銃か? なんでこんなものがここにありやがる」
頭が痛くなる。それも、警官に支給されているリボルバーではなく、映画などで見るスライド式のオートマチックだ。
「薬莢も五発確認。通報の辻褄と合います」
「合って欲しくねぇな。日本はいつから無法地帯になったんだ?」
管理局に問い合わせる案件が増えた所で次に目撃者を見る。
「彼か?」
「はい。この橋の下で生活しているホームレスです。話によりますと被害者達に襲われたと」
緋野は現場に落ちている動物のマスクとバットなどの武器を見て、倫理観に欠けたガキどもの犯行だと直感した。
「話を良いか?」
「あ、ああ」
緋野はホームレスの前に座ると同じ目線で威圧を与えないように表情を和らげる。
「災難だったな」
「し、死ぬかと思った……ただ静かに暮らしてただけなのに……」
「そうか。あんたがここに住む理由は聞かん。それはこっちの問題じゃないからな」
捕まると思っていたホームレスは、緋野の言葉に表情を明るくする。
「だが、最近は悪ふざけするガキが増えてる傾向にある。あんたも今回の件で身に染みたなら、少しは屋根の下で寝ることを考えて見るべきだ」
ホームレスからすれば運は良かった部類になるだろう。
「あんたは見たか?」
「な、なにを?」
緋野は『レッドアイ』についてホームレスに尋ねる。
「あんたを襲った奴らを、襲った奴がいたハズだ」
「……」
ホームレスは被害者よりも怯え方が一般的だ。赤い色にも反応は普通に見える。
「……クロさん」
ポツリと呟いた言葉を緋野は見逃さない。
「クロ? 夜行黒斗か?」
「! 知ってるのか?! あの人は今、どこにいる?!」
必死な様子のホームレスとクロトとの関係が見えない。
「それはこっちの台詞だ。あんたと夜行黒斗はどんな関係だ?」
「お、おれは……いや……おれたちは……あの人に助けてもらってた」
「なに?」
彼が言うには、クロトは気まぐれで街を歩いてはホームレスたちに差し入れを持って来てくれたと言う。
「あ、あの人と……関わってるだけで他から被害を受けない……」
“ほれ、銭湯の入浴券。たまには風呂にでも行けよ、お前ら。今ならコーヒ牛乳もサービスしてるぞ”
クロトはホームレスを見ても毛嫌いするどころか、何度も社会復帰を促していたらしい。
「本当は……半年前にクロさんの店で清掃の仕事をあてがって貰う予定だった。けど、急にあの人は来なくなった」
それは厄ネタ『ブラック』を検挙した時期と重なる。
「……あ、あんたらまさか……クロさんを捕まえたのか?!」
「ああ。奴には色々と疑惑が――」
「な、なんて事をした! それで……街のタガが外れたんだ!」
最後の方、ホームレスは必死だった。
そして、自分にはどうしようも出来ないと、頭を抱えて踞る。
「あの野郎……」
緋野は悪態をつく。
厄ネタ『ブラック』こと――
もう一度話を聞く必要がありそうだ。
彼は線路沿いにふらふらと金網に寄りかかっていた。
焼ける……熱さはない……
しかし……己の中で荒ぶる火は静まる気配がない……
金網を掴む手はソレを引きちぎる様に力が入っていく。
「足りなく……なってる……ダメだ……くっ……クロさんは……まだ……出てこないのか……」
“少しの間、警察に行く事にした。しばらくは雑魚相手に発散しててくれ”
「ああぁ……」
目の前が赤く――世界が燃えている様だ。理性が感情に上書きされていく。
今日は軽いと思った。しかし、それはこちらの想定を大きく上回ったのだ。
敵が銃を持っていた。ソレが感情に薪をくべたのだ。
もう……行くしかない……警察署――クロさんの所へ。でなければ――全部コワシテシマウ――
赤い眼はより濃くなり、思考は全ては燃え上がる“怒り”へと――
リーン――
その時、鈴の音色が聞こえた。
いつの間にか目の前に傘を差す和服の女が立っている。
「おおおお前ええは――」
傘を少し上げ、女は彼と視線を合わせる。青色の眼が傘の闇から覗き、涙を流している。
「ワタシは……止まないの……貴方は……消えない?」
「しゃしゃべるなぁぁ。ももも一言ででで」
彼は必死に抑えている。金網を掴む握力は増し、引き裂くように破壊する。
「雨が……止まないの……貴方は……火が消えないんでしょ?」
抑えが外れた。彼は弾けるように高速で移動すると女へ襲いかかる。
傘が前方に向けられる。それは彼の視界を覆う為の動作。しかし、ソレ意を返さず彼は拳を傘へ打ち付けた。
拳と傘の接触と同時に彼女は跳ぶ。足を浮かせて重心を後ろへ。拳の威力に逆らわず後方へ衝撃を逃がす。
「おお前ははは――」
「皆からは……『鈴虫』って呼ばれてる。初めまして『レッドアイ』」
『鈴虫』。それは現代に置ける人斬りの通り名である。雨の降る夜、もしくは雨の降った日の夜に鈴の音色と共に腕の立つ者の前に現れる。
現段階で十六人。善人悪人問わず、手足を切り落とされると言った被害が公にされている。
「……みみみ見つけけけたた」
赤い眼が着地した『鈴虫』へ追いすがる。着地よりも早い様は人よりも獣の瞬発力に近い。
「止まないの……」
青い眼は涙を流していた。出会った時から流れていたソレは『レッドアイ』と同類であるのだと――
「おおお前ははは悪だだだ」
『鈴虫』の身体は浮いたまま。
『レッドアイ』は追い付き拳を再度叩き込む。
鉄を打つ音と、それに混ざる鈴の音――
「雨を――」
「火ひひを――」
厄ネタ同士の衝突は、住宅街の線路沿いで行われていたが、あまりにも静かだった。
「凄く……野性的なのね……」
鉄傘。『鈴虫』の持つソレは総重量が五十キロを超える代物であり、常人では傘として使う様なモノではない。
「全部燃えている――」
『レッドアイ』の拳を鉄笠で受ける。持ち手にも響くほどの衝撃。耐久値だけを追求した特注の鉄笠は容易く歪み、開いたまま閉じなくなった。
『鈴虫』は再度宙に浮く。しかし、ふわりと金網の上に着地した。
「止ませて――」
『鈴虫』は、とん、と金網から降りる。着地までの間を『レッドアイ』は見逃さない。その足を掴むために急接近――
鈴の音が鳴る。
「――――」
『レッドアイ』は咄嗟に急停止した。すると本来腕のある位置を銀閃が通り過ぎる。
「武器……」
鉄傘に仕込まれた刀。その刃は月の光を反射させ、光が泳いでいる様に錯覚してしまう。
「よく……避けたわね」
『鈴虫』はようやく地に足を着ける。刹那、銀閃が『レッドアイ』の首を狙って薙ぐ。
無拍子の一閃。それは避けられない攻撃である事を意味していた。
「――――」
しかし、『レッドアイ』は次の呼吸の間に、前に出て『鈴虫』の首を掴んでいた。
『鈴虫』の技量は達人を凌駕する怪物であるが、それが通じるのは常人だけだ。
『レッドアイ』には全てが見えている。
身体の力の入る部位も、僅かな筋肉の収縮も――“赤い眼”は燃える世界の中で真実だけを見る。
それは指先一つしか動かさなくとも、次にどの様な行動を取るかを確定で認識する。
「――」
金網をぶち破り、二つの厄ネタは線路へ出る。しかし、その勝敗は――
「まだ……」
『鈴虫』は静かに口を動かす。その首にかかる『レッドアイ』の握力は容易く骨を砕く――
「止まないの」
その時、『レッドアイ』の左胸にナイフが飛ぶ。
和服の袖下に隠してあった、武器を射出する装置からの一刺し。
「ふふ容易にに動き過ぎぎだだ」
『レッドアイ』は残った手でナイフを掴み止めた。
しかし、首を掴む腕が僅かに緩んだ様を『鈴虫』は見逃さず、蹴り離す。
「おおお」
それは女とは思えぬ程の力。『レッドアイ』は反対側の金網に破って公道へ戻される。
「……同じ……なのか?」
『レッドアイ』は溜飲が下がったように少しだけ“怒り”が冷めていた。
「……そうかもね。ワタシと貴方は……あの人と一緒」
女の方も涙は止まっている。袖からハンカチを取り出し涙の後を拭いていた。
「まさか……クロさんの事を?」
「限界だった……火は消えた?」
『鈴虫』の言葉に冷静に世界が見える自分がいる。しかし、根底にある“怒り”は簡単に燃え上がるのだ。
「傘……投げてくれる?」
『レッドアイ』は傍らに落ちている鉄笠の上部を片手で掴んで軽々と投げる。
それを『鈴虫』は当然のように受け取った。
「今日で……終わるかもしれない」
『鈴虫』は静かに語る。それは『レッドアイ』もどことなく理解していた。
「ワタシと貴方の……問題が」
異常な程に膨れ上がる感情。それを溜め込みすぎると己が己じゃなくなる。
「……終わる? 今日で?」
「ええ。どちらが死んでも……終わるわ」
この出会いと生き残る者に与えられる人殺しの烙印。
しかし、それ以上に二人は消してしまいたかった。
「それなら……人殺しになってもいい」
全てを壊してしまう前に――
近くで、カンカンカン、と列車の来訪を予兆する警告が聞こえる。
遠くから見え始めた列車の
列車が来るまで時間は十分ある。それまでに終わるだろう――
「こんばんは」
その時、『レッドアイ』は背後から声をかけられた。
それはジョギングの帰り道で、毎回ここを通る、天月茜の
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