魔法の猫の手

広之新

猫の手を借りた結果

 私はごく平凡な普通の人間だ・・・と思っていた。しかし実はそうでもないらしい。私には魔法の素質があるようなのだ。

 これは1週間前のことだった。偶然通りかかった路地の奥に古本屋を見つけたのだ。それは古く朽ちかけた建物で、かろうじて看板の古本屋の文字が読めた。普段なら興味もなくてただ通り過ぎるのだが、何かに引き寄せられるようにその店に入った。

 そこは薄暗く、かび臭い空気が充満していた。だが不思議なほどに厳めしい雰囲気があった。天井まである高い棚には、今まで見たことがないような古くて分厚い本が並べられていた。それぞれの本の背表紙を見たが、見たこともない文字で書かれてあるので何の本かわからない。店主は何も言わずに私をじっと見ていた。


「ここはどんな本があるのですか?」


 私はそう聞いたが、店主は答えず、そっと1冊の本を差し出した。


「これは?」

「あなたにぴったりの本です。持って行ってください。お代はいりません。」


 店主はそう言った。その本は革表紙の重くて厚い本だった。表紙を見ても中のページを見ても、やはり何が書いてあるのかわからない。私がさらに尋ねようとすると、その前に店主が言った。


「読めなくて当然です。でも読めるようになれば自然と読めます。」


 私には店主の言葉の意味が分からなかった。


「それはどういうこと・・・」


 私がそう言いかけたとき、急にあたりが暗くなった。そして次に気づいたときはあの路地に立っていた。だがあの古本屋は影も形もない。


(夢・・・だったのか?)


 私はそう思ったが、ふと右腕を見るとあの本をしっかり抱えていた。夢ではない・・・だが何か不思議なことに巻き込まれたのだ。


 家に帰ってその本を見直した。不思議と心惹かれるのだ。だがやはり何が書いてあるかわからない。


(店主は、読めるようになれば読めると言ったが、いつになったら読めるんだ?)


 私はその本を部屋の隅に投げた。そしてそのままその存在すらも忘れていた。



 決算期は仕事が忙しい。ゆっくり食事もできないほどだ。とにかく終わらないので、書類を家に持って帰って明日までに仕上げることにした。だが夜中になってもまだ書類は山積みのままだ。ちっとも進まない。


「ああ、忙しい。猫の手でも借りたい・・・」


 ふと私はそう漏らした。すると部屋の隅に放っておいたあの本が輝きだした。まるでその存在をアピールしているかのようだった。


「なんだ?」


 私はその本を手に取った。するとその本が読めるようになっていた。わからない文字で書かれているのにだ。


「なになに・・・猫の手を借りる方法?」


 それは初級の魔法の本だった。猫の手を借りる魔法だけの本・・・これで猫の手を召喚できるらしい。しかし魔法の素養がなければだめなようだ。私はその本をよく読んで早速やってみた。


「ネコネコネコネコ・・・・・」


 すると机から猫の手が生えてきた。それが手招きをするように動く。肉球もちゃんとついてある。爪はしまっているようだ。だが猫の手だけ生えていると異様な感じがする。


「なんだ、これ!」


 私は恐る恐る触ってみた。確かに猫の手だ。毛並みも柔らかで肉球もぷにゅぷにゅしている。私には魔法使いの才能があるようだ。


(忙しい時に役に立ってくれるのか?)


 と思いつつ、猫の手に命令した。


「この書類を片付けてくれ。」


 しかし猫の手は手招きするように動くだけだった。それからいろいろと命令してみたが、結果は同じだった。本をよく読んでみたが、猫の手を出したり、消したりすることが載っているだけで、その使い方については何も書いていなかった。


(ただの猫の手か・・・)


 私はがっかりして猫の手を消して、仕事を続けた。やれやれ、朝までには何とか終わるか・・・猫の手でも借りたいほど忙しいのに・・・などと思っていた。



 猫の手の魔法は習得したが、あれ以来、あの古本屋は姿を現さない。だから私が使えるのは猫の手の魔法だけだ。もし別の魔法の本が手に入れば、私ならもっといい魔法を習得していけるのに・・・


 と思っていたが、そうではなかった。この猫の手の魔法はかなり使い出がいい。毛並みが柔らかいから机の掃除のモップに最適だし、爪を出せばカッター代わりにも使える。それに疲れたときにそのぷにゅぷにゅした肉球に触ると癒されるし、その猫の手を出しておくだけでちょっとしたインテリアにもなる。私は大いに気に入っている。


「いいですね、それ!」

「かわいいなあ!」


 同僚もそれを見て羨ましがっていた。だから魔法でそれぞれに猫の手を借りてやった。それでみんなから感謝されている。しかしこれほどまでに猫好きが多いとは思わなかった。今日も会社のあちこちに行って猫の手の魔法をかけている。文字通り、猫の手を借りたいほど忙しい・・・。

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