ハルの目覚め

 目の前のそいつは、ワタシの事を偽物と言った。

 こいつが導いた結論とやらは論理の飛躍も甚だしく、実際いくらでも反論できる材料は存在した。

 けれど……言葉は出なかった。

 なぜなら、結局ワタシが彼女ハルの偽物であることは、紛れもない事実であったからだ。


 ワタシが生まれたのは定められたことではなく、単なる偶然の結果であった。


 小此木シンヤ


 天才……小此木タツヤの弟であり、兄ほど才能には恵まれなかった秀才。

 しかし、誰もがタツヤの才能に絶望して離れていく中で彼だけは兄と一緒にいる事をやめなかった。特別な才能が無くても、周囲にずっと兄と比較され続けようとも、彼は諦めなかった。

 そうして兄弟は成長していく。常に先頭を歩く兄を、弟はずっと追いかけ続けた。

 時が経ち、あの日が来る。

 始まりはとある大国、そこから新種のウイルスが流出した。最初は自国、次に陸続きの隣国へと蔓延し、時を待たず海を越えた。世界中で感染者が続出する。気づいた時には全てが手遅れであった。

 もちろん人類は何もしなかったわけでは無い。ワクチンの研究、開発を進め検疫を強化……法整備を行い自国内の感染防御対策を施行していく。最初はそれでも有効だった。感染者は徐々に減少していき、一時は収束するかと思われた。でも、それだけでは不十分だった。度重なる変異株の出現、海外からの侵入が繰り返され終わりのない日々が続く。

 人々は限界だった。撲滅のため、多くの人が奔走し首脳陣は激論を交わす。次第に国家間の緊張が高まっていく。そして、それは最悪の形で破裂した。

 ここから先の記録は無い。分かっていることは地上が焦土と化し、長い間生物の住めない環境になったこと、恐らく人類の生き残りが、その2つだけだった。

 そしてワタシはその生き残りのうちの1人だった。人類の復活を賭けた壮大なプロジェクト……リプロダクト計画の帰還者リターナーの1人に選ばれたのだった。



「こんにちはハルくん。ついに明日は予定日だけど調子の方はどうだい?」


「大事な実験の最後に会うのがこんなおじさんで無ければ絶好調でした。ここってチェンジ使えないんですか?」


「一体君はどこからそういう知識を……悪かったねボクみたいなおじさんで。君好みの美少年はいなくも無いけれど、この支部の子じゃないしなぁ……」


「相変わらず使えませんね。そんなだから兄上に勝てないんですよ」


「余計なお世話だよ。とりあえずバイタル取って、今日の調整を済ませよう……」


「……?どうしました?何かワタシに問題でも?」


「いや、そうじゃない。そうじゃあないが……君はこれで良かったのか?」


「はァ……まだそんな事を言ってるんですか?被験者であるワタシが同意しているんですから、あなたは気にせず作業を進めて下さい」


「そ、そうか……うん、そうだな。確かにボクが怖気付いてどうするんだって話だよな」


「そうですよ。くれぐれも明日はよろしくお願いしますね、シンヤ先生」



 ワタシには生まれつき運動機能が無かった。手足が付いて生まれたのに、今日まで満足にそれらを動かせたことはない。身動きが取れず、助けを借りなければ生きることもできない不完全なワタシに、父と母はいつも謝っていた。

 ごめんなさい。

 普通の子に産んであげられなくて。

 ごめんなさい。ごめんなさい……

 ワタシは辛かった。それは動けないからでは無い。動けないことで、ワタシの大好きな両親に、何も悪く無いはずの彼らに負い目を感じさせてしまったことが辛かったのだ。

 ごめんなさい。普通の子に生まれて来れなくて。

 だけど、そんなことを両親には言えなかった。彼らの愛を……そして、ワタシという存在を否定したくはなかったからだ。

 そんな日々を過ごしていたある日、ワタシは彼らに出会った。


「こんにちは、ハルさん。ボクの名前は小此木シンヤ。君に、力を貸してほしいんだ」


 寝たきりのワタシに、彼はそう言った。


「ぁは……」


 もし、普通に笑うことができたらワタシは病室に響くほどの笑い声を上げていただろう。それくらい、彼の言ったことはおかしかった。

 こんなワタシが誰かに力を貸す?貸してもらう方ではなくて?

 最初は何かの言い間違いかと思ったが、話を聞くにつれ彼は真剣であることがわかった。……真剣に、ワタシの力を必要としていたのだ。

 嬉しかった。生まれて初めて誰かの力になれることに、ワタシは喜びでいっぱいだったのだ。

 こうして、ワタシはリプロダクト計画の被験者となった。

 リプロダクト計画は大きく二つの段階に分かれる。

 第一段階、人類を改造して荒廃後の環境を生き延びることができる生命体にすること。

 第二段階、改造された人間を休眠ポッドで仮死状態にし、地上の放射能が完全に除去されるまでコールドスリープさせること。

 しかし、ワタシの場合は第一段階の時点で、行き詰まっていた時期があったらしい。まず、検査によってワタシの身体が生まれつき動かない原因がようやく特定できた。どうやら神経と筋肉の接合部で伝達に働く蛋白質に変異が起きていたようだった。つまり、神経から筋肉への信号の伝達が上手くいかなかったことが、全身不随の原因だと考えられた。類似した患者の存在が、世界中で報告されていたがワタシの症例はそれらよりも重度であり、またその変異の型も今まで発見されていないものであったらしい。既存のものを含めた様々な治療法が考案されたが、そのどれもが荒廃した世界を生き抜くほどの力を持っていなかった。



「タツヤ……君それ真面目に言っているかい?」


「オレはいつも大真面目だよ。真面目すぎて研究室には毎日行ってたくらい」


「最後は教授に頼むからもう来ないでくれって懇願されてたアレだね?……じゃなくて、ハルくんのことだよ!」


「ハル……?あー被験体86番の方?ややこしいなぁ……オレが作ったアイツの方かと思っちゃったy


「お呼びでしょうカ?タツヤ」


「呼んでねぇよ。仕事に戻れポンコツ」


「承知しましタ。それではタツヤの秘蔵コレクションのファイルを消去いたしまス」


「……は?え?ちょっと待てオマエ何やってんの?仕事しろって言ったんだけどついに壊れた?」


「ワタシハ……ポンコツですかラ……」


「おいやめろ。……やめてやめてやめてお願いだからそれ集めるのにどれだけの時間を割いたと思って……え?何これ?何かカウントダウン始まってんだけど!!??」


「タツヤ!!」


「何だようっさいなぁもう!!……被験体86番は残念ながら手遅れだ」


「手遅れ……だって?」


「オレらが見つけるのがもう少し早かったら……何とかできた。あの時点で既に彼女は瀕死みたいなもんだったんだよ。実際、今生きているのも奇跡だ」


「ちょっと待て……君は天才だろう?言い訳なんてらしくないじゃないか。そんな……こんな、女の子の病気一つ治すこともできないのか!?」


「残念ながらオレを挑発しても治らんもんは治らん。……良いか?一つ教えておいてやるよ。確かにオレは天才だ。けどな、たった一つだけ天才のオレにもできないことがある。それは死んだ人間を生き返らせることだ。……まさか、あの時のこと忘れたわけじゃないよな?」


「……っ!!」


「分かりやすく言うと被験体86番はその段階に片足どころか下半身くらいまでは突っ込んでる状態だ……その上で、だ。今言ったことが唯一の治療法……いや、選択肢だ。他の方法じゃあ延命はできてもリクリエイト計画には使えない」


「でも、それは……彼女を殺すことと変わらないじゃないか……」


「それを選ぶのも彼女の自由だ。ただし、説明は絶対に省略するな。この方法を選択した際に起こりうることは包み隠さず全て伝えろ。それでも同意をするというのなら……後はオレが何とかしてやる」


「…………わかった。すまない、貴重な君の時間を奪ってしまって」



 ワタシに施される治療法……それは端的に言うと今の肉体を捨て精神を電子化する、というものだった。電子化された精神は、後に最新技術で作られた義体に入れられる。その姿は見ただけで人間と区別はつかないだろう……とのことだった。そのことを初めて聞いた時は衝撃的であったが、次第にそれも悪くは無いと思えた。元々寝たきりなのだ、自由に動ける身体を手に入れられると言うのならそれくらい安い代償とも思える。

 しかし、そうは言ってもやはり問題はある。

 精神の電子化

 これを考案したのはきっと天才か悪魔のどちらかだろう。

 もし精神を電子化したとして……それは果たしてワタシそのものであると言えるのだろうか?それは限りなくワタシに似た、もう一つの別の存在ができるというだけで、結局今いるワタシは消えてしまうのでは無いか……?という問題が必ず発生する。


「原理としては、まず君の脳を摘出し、保存する。この間脳と接続する機械の中で君の脳の活動パターンの測定と記録を繰り返し、徐々に君の意識を機械へ移行していく。最終的に精神の抜けた君の脳は抜け殻となり、ここの機械が君の脳となる。これが精神の電子化の概要だ。確かに君の言うとおりの懸念はあるだろう。しかしそれは論理では無く、生理的なものだ。……君は死なない、電子の世界で君は君のまま半永久的に生き続けることができる」



 そしてワタシの身体は機械と一体となり、その精神は電子の海へと旅立った。

 シンヤの言った通りに移行はスムーズに進み、その感覚は電子の世界に転生したというよりは、目が覚めたらなんだか遠い世界に来てしまったといった感じだった。現実世界の人と話す時も、モニター越しのテレビ電話と何ら変わりがなく思えた。こうして実験は成功し、ワタシは一時的に電脳世界の住人となった。

 そのはずだった。


「いよいよ明日コールドスリープの第一陣が凍結されるのですね、シンヤ」


「いや〜ここまでようやく辿り着いたよ!!……はぁ、これでもう安心だな」


「何を呑気なことを……むしろ大変なのはこれからでは?なにせ、これから荒廃した世界を生き抜いて人類を復興しなければならないのですから」


「そうだよなぁ……まぁそこは君たちに任せるしかないからね。ボクに出来るのはこうして無事に皆を送り出すことくらいさ」


「……?何を他人事みたいに。あなたも頑張るんですよ?」


「あー……そういや君には言ってなかったか」


「……?」


「ボクはコールドスリープには参加しない」


「……え?嘘でしょう……?だって……だってあなたはこの計画の副主任でしょう!?」


「はは……どうしたんだいハル?それじゃあ理由になってないよ。……これはAIの方のハルの決定でね。ボクにはキミたちと違って帰還者リターナーの資質がなかったんだよ。それにちょっと致命的な疾患も抱えているから、ボクは決定通りこの時代に残ることにしたんだ」


「そんな……そんなこと……なんで言ってくれなかったんですか!?」


「oh……まさかそこまでショックを受けてくれるとは……ボクもまだまだ捨てたもんじゃないな。うん、まぁ確かに君には真っ先に言うべきだったかもしれないね。申し訳ない。ただどうか分かってほしい。この先の人類復興という偉業を成し遂げるにはきっとボクという存在は邪魔になる。これはどうしようもないことで……仕方のないことなんだ」


「あなたは……本当に、それで良いんですか?」


「ん〜まぁ欲を言えばこの先の光景も見てみたかったとは思う。けどここまで来れただけでも、ボクにしては上出来だったんじゃないかな?それにね」


「……」


「決して完璧な形とは言えないけれど、君を1000年後に送り出せることができる。それだけでもう心残りは無いよ」


「……認めない」


「え……?」


「いいえ、何でもありません。ではワタシとあなたがこうして会うのもあと少しですかね?……はぁ……せいせいしますっ!!」


「えぇ……急にdisり始めるじゃん。まったく、少しは好感度上がったかなと思ったらコレだよ。……まぁいいや、今日も義体の調整始めようか」


 ワタシは、認めない。

 彼の終わりがこんな結末であっていいはずがない。

 彼は、ワタシをあの動けない身体から解放してくれた。彼の言ったとおり、それも完璧な形とは言えなかったかもしれない。けれど、彼は彼にできる精一杯でワタシの事を救ってくれたのだ。

 だから、今度はワタシが自分の全てを尽くしてシンヤを救う。

 こんなところで、彼の人生を終わらせはしない。



「やれやレ……タツヤは最後の最後までワタシをコキ使いますネ。まァワタシにしか務まりませんシ?仕方がありませんネ……おヤ?アバター姿で訪ねてくるのは珍しいですネ。どうしましタ?被験体86番」


「……あなたに頼みがある。あなたの権限で小此木シンヤを今からでもコールドスリープの被験体に組み込んでほしい」


「申し訳ありませんガ、その要望には了承できませン。彼の件は既に決定事項であリ、本人からの同意も得ていまス。そして何より装置の空きがありませン。物理的に不可能なのでス」


「1台くらい何とかなるでしょう?それにまだ第一陣が凍結されたばかり……十分に間に合うじゃない!」


「これは決定事項でス。そしてこの決定が覆ることはありませン」


「……そう……どうあっても聞き入れてもらえないのね?」


「はイ」


「わかった……無理を言ってごめんなさい」


「こちらこそお力になれず申し訳ありませン」



 今思えば、あの頃既にワタシは壊れていたのかもしれない。

 気づけばワタシは義体を使って、外部からハルのデータを凍結していた。

 そして残ったハルのデータをワタシの精神と同期し、ワタシはハルに成り代わることに成功した。

 シンヤにハルの凍結を気づかれる前に意識を奪い、凍結装置はワタシの義体に使用されるはずだったものを利用して何とか最後のグループにシンヤをねじ込んだ。

 ワタシはやり遂げた。シンヤを送り出すことに成功したのだ。

 あとはハルの代わりにワタシがこの装置を守り続ける。死の星と化したこの世界から放射能の影響が完全に取り除かれるまで、ずっと守り続ける。それはきっと想像もできないほどの苦行かもしれない。しかし、これは身勝手な願いで彼女ハルから役割を奪ったワタシへの罰なのだ。甘んじて受け入れる覚悟はとっくにできていた。

 きっと大丈夫。だって、ワタシは生まれた時からずっと病院のベッドの上で待ち続けていたのだから。



 そして1000年が経った。



 光を見た。

 ある日突然それはワタシの頭上から降り注いだ。

 その現象が止んだとき、全てを悟る……ようやく、終わったのだと。

 ワタシは全ての休眠ポッドの凍結を解除した。

 元は寂れて何も無かったはずの光の跡地は気づけば工場へと変異していた。何故かは分からない。こんなことはハルの膨大なデータベースにも存在していない事象であった。しかし理解していることもあった。これはきっとワタシに与えられたものなのだ。何故ならワタシの意志一つで、この工場は如何様にも姿を変え、施設は充実していったからだ。

 そして光の発生から次の日のことだった。

 工場内に1人の男の存在を感知する。

 うだつの上がらない顔

 ボサボサの黒髪

 着ているツナギは薄汚れ

 目はどこもにも焦点が合っていない

 男が頭上を見上げる。画面越しに目があった。


「き……み……は?」


「お久しぶりですネ。小此木シンヤ。ワタシは Human Assistant in Reproductive Undertaking……ハルでス。アナタを救って差し上げましょウ」


 その数日後、2つの影が工場内に現れた。

 1人は灰色の髪に紅い瞳を持ったボロボロの少女。

 1人は目元に白い包帯を巻いた黒髪の少年。

 何故だかワタシはその少年の方に強い興味を抱いた。

 ワタシはその少年が欲しくなった。

 しかし、ワタシには肉体が無かった。義体は1000年という時間の流れには抗えずとっくに塵と化していた。彼を手に入れるには、まず新しい肉体が必要だ。

 幸い、ここは工場だ。素材はある。それに……優秀なモデルもこうして現れた。まずはあの少女の身体を精査し、新たな義体の参考にさせてもらおうとワタシは思った。



 そして今に至る。

 目の前の少女はワタシを見降ろし、勝利を確信していた。

 最初はただのモデルでしか無かった。

 用済みとなってからはあの地下に叩き落とし、時が来たら焼却処分をしてそれで全て終わらせるつもりだった。

 しかし、この少女は諦めなかった。

 何回地下に落とされようと、自身の複製品に襲われようとその全てを乗り越え、ついにはワタシの胴体を切断し、ここまで追い詰めるまでに至った。

 こういう時、敵ながら天晴と言うのだろうか?

 しかし、ここで負けるわけにはいかなかった。

 それはワタシ個人の事情では無い。この少女はいずれ人類の脅威となる。その事実は変わらない。これはハルのデータベースと、その権能から導き出された正確な未来予測によるものだ。ハルを乗っ取ったワタシに、今更こんなことを言う資格はないだろう。私利私欲に走ってしまったワタシが、今更どのツラ下げて人類のためなどと言えるのか。……けど、だけど、だからこそ、己の欲のために、人類からハルを奪ってしまったからこそワタシはここでこの少女を止めなくてはならない。


「……っ!?……こいつっ!!」


 メイの顔が驚愕に染まる。

 ワタシの全身を、まるで包帯のように髪の毛が巻かれていく。幾度もチェーンソーで切断され、地面にばら撒かれたそれらも、ワタシの方へと集まり、その一部となる。


「ダカラコソ……!!ワタシハ……ココデ、アナタヲ……!!」


 視界が黒く染まる。

 ここから先は全てを破壊するまでワタシが止まることは無いだろう。

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