未知との遭遇
「……あら?」
鬼が、口を開く。
「遅かったのね」
不思議な声だった。
美しい声ではある……が、彼女の声を聞いた瞬間、私の身体は臨戦態勢へと移行する。
「さあ……そんなところに立ってないで、こちらにいらっしゃい」
口を開くたびに彼女の声がドス黒く、強い粘度を持った泥のように私の内側にこびりつき、それらは得体の知れない違和感や恐怖となって私の中に蓄積していく。
「……いえ、ここで大丈夫です」
私は別に電車内で立っている方が好きというわけではないけれど、今回ばかりは突っ立っていることを選んだ……いや、立ち尽くすしか無かった。
この女は……やばい
Bの客室の悲劇からある程度の覚悟はしていたが、これは想定を遥かに超えている。私はこの人の全てを知っているわけではなく、むしろまったく知らないと言っていい。しかし、返り血を浴びているにもかかわらず貼り付いているその笑顔……奇妙なのは私たちに浴びせられている視線が獲物を狙う獣のそれではなく、むしろその逆で慈愛や愛情といった私たちを守り、包み込むような優しいものであるように感じられたことだ。
いっそ最初から私たちに対してギンギンに眼光を研ぎ澄ませて、すぐにでも戦闘になるレベルで控えていてくれれば良いものの……どうやら彼女はそう単純な殺人鬼ではないらしい。
現状、この女にとって私たちはただの獲物にすぎない。獲物が狩人に対してできることは早い段階で情報を手に入れ距離を取り、いざというときにはすぐにその場を離脱できるよう準備と警戒を怠らない……これに尽きる。
電車は今も動き続けている
最悪、いざとなったら窓をぶち破ってでも脱出するつもりではあるが、その場合少年の安全は保証できないし、今後のことを考えるとこれ以上の身体の損傷はできるだけ避けたいところではあるため、それは最後の手段にとっておきたい。
……が、そんな私の浅はかな考えは結果的に無駄になった。なぜなら
「聞こえなかったのかしら?」
こちらにいらっしゃい
ッッッ!!!!!???????
瞬間、とてつもないプレッシャーが私達を襲った。
言っている内容はこの客室に私たちが入ってきた時と何ら変わりはない。だが、今発せられた言葉の圧は先程のものとは比較にならないほど有無を言わせぬ強制力を感じさせた。
……ッ!!……まずい、これは……
焦りと恐怖が私の思考を埋め尽くしていく……
そんな時だった。
「めい、おちついて」
言葉が沁みる。
「おちついて、かおをあげて」
思考が止まる。
「まえをみて」
焦りもある。
恐怖もある。
でも
「ぼくがいる」
少年の小さい左手が、私のボロボロの右腕を握る
その瞬間……なんだか視界が開けた気がした。
……いやあれですよ、別に美少年に手を握られて新しい扉が開いたとかではないですよ?
私は救われたのだ。
徹底的に破壊され尽くした私の右腕には既に感覚なんてない。けれど、1000年間ひとりぼっちで、そして今目の前の白い暗闇に打ちのめされそうになっている私の手を取り温もりを与えてくれるこの少年に私は救われた。
「……ふぅ」
息を吐く。
少年の手を取り私は歩き出す。
そして私たちは
白い鬼と対峙する。
*
今、私たちはAの客室にいる。
血塗れだったBの客室を除きC.D.Eの客室と比べると、ここはやや華美な印象を受けた。天井のシャンデリアからは煌びやかな光が降り注ぎ、中央にはさほど大きさはないものの歴史を感じさせるテーブルが据えられている。その周囲には女が座っている1人用の椅子があり、その向かいに置かれているソファーに私たちは腰を下ろす。
しばらくの沈黙
そして
まず、彼女の口が開いた。
「さっきはごめんなさいね。決してあなた達のことを怒ったわけではないのよ。あまりにもあなた達の帰りが遅かったものだから連絡もないし心配だったのよでも良かったわナギサはずいぶんボロボロになっているみたいだけど大事はないようねいったいどこにいっていたのかしらいつも言っているでしょうもうあなたはお姉さんなのだからしっかりしないとだめよあなたがだらしないとショウくんにも迷惑がかかるのよお風呂沸かしてるからあとでちゃんと綺麗にしてきなさいね女の子なんだから常に身嗜みを整えないと
「あなたは……」
「まだ話の途中よ人の話は最後まで聞きなさいだいたいあなたは昔からそういつだって私の言うことを聞かないの私はいつだってあなたのためを思って言ってるのそれなのにいつまでもそれを理解しようとせず己の欲望の赴くままに私の思いを踏みにじるのよいつになったら理解してくれるのかしらいつになったら言うことを聞いてくれるのかしらどうしてわかってくれないのかしらどうして無視できるのかしらナギサちゃんどうして私はこんなにあなたのことを愛しているのにどうしていい子にできないのかしら私が悪いのかしら私がいけなかったのかしら
言葉が、止まらない
決壊したダムから水が溢れ出すように
言葉の洪水が私たちを飲み込んでいく。
言葉の波に溺れていく。
暗い感情の中に沈んでいく。
なおも鬼は呪詛のように言葉を紡ぎ続ける。
それは恨みなのかもしれない。
それらの言葉は目の前の私たちではなく、まるでここにはいない誰かに向けられているようだった。
それは願いなのかもしれない。
ここには存在しない誰か、今はもう失ってしまった何かに対して想いを届けたいという祈り
少し前の私なら……少年と出会う前の私なら
この狂気に飲まれてしまっていただろう、
きっと自分を保てなくなっていたと思う。
でも……今は違う。
「ふふふふふふふふふそうね私が甘かったからいけなかったのね反省するわ悔い改めるわ私ったら母親失格ねそうだわ今後は厳しく躾けてあげるあなたに好かれなくても構わない私のことを嫌いになっても気にしないだってあなたのことを愛しているのだものナギサちゃんあなたが元気でいてくれるのならば私の元から離れないでずっと一緒にいてくれるのならばどんなことも受け止めてあげる私があなたを導いてあげるわさぁまずは足を出してどこにも行けなくなるように切ってあげるわ後は身の回りのお世話は私がしてあげるもの手もいらないわ重いし持ち運びに邪魔だから切ってしまいましょうそれから
続きを発するより前に、私は椅子から立ち上がって机の上へと即座に飛び乗る。
解き放つはこの時のために準備しておいた必殺の左。
そして私は白き鬼の胸へと渾身の一撃を放った。
ガッッッッッ……!!!!
ギィィィィインンンンン!!!!
金属同士が激しくぶつかり合う音が響く。
少し遅れて全身に衝撃が走る。
戦闘が始まった。
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