既知との遭遇 2人目

 そうして、堀内さんは降車していった。

 彼がこの先どこに行くのか……私にはわからない。

 ただ一つ会話をしていて思ったのは、やはり堀内さんはただの人間であった、ということだ。

 最初は私たちのような(まだ少年が何者か全くわからないので今は仮にだが)人外の存在なのかという予想をしていたのだが、彼と会話をしているうちにそんな疑念はいつの間にか消え失せてしまった。

 残念ながら彼の、そしてこの列車がどういう存在なのかも推測の域を未だ出ない。しかし彼と会話できたことは、私の中ではとても貴重な経験となったと思う。

 最後の一言だけ気になったが……今は考えても仕方がない。さて、


「しょうねん〜♪このあとどうする〜?」


「めいのすきにしたらいいよ」


「お、よくわかってんじゃん」


「いってもむだだからね……」


「それじゃあここにいても仕方がないし、先に行こうか!」


 珍しく少年のノリがいいというかもはや諦めを通り越した表情をしていたので、実際は心底めんどくさいんだろうなぁ……とは思いつつも私は特に気にしないことにした。


 残る客室は3つ。


 私たちはD室を後にし、一つ隣のCの客室を目指すことにした。



 D室とC室の連結部に到着する。

 ……今思うと、堀内さんはある意味で私たちにとって都合の良い客であった。

 まったくの初対面にもかかわらず私たちに対して気軽に接してくれたし、ある程度の礼節も持ち合わせていた。

 何にせよ敵意の無い相手ほどやりやすい存在はいない。

 ただし、ここから出会う全ての乗客がそうだとは限らない。もちろん残る全ての乗客が悪人だらけ……というわけではないだろうが、ある程度用心をしておくに越したことは無いだろう。


 ふっ……と、息と一緒に緊張も吐き出す。


 私は扉を開いた。


 Cの客車は今まで通ってきたE、Dの客車と比較すると内装はやや異なっていた。

 私たちの入ってきた方を仮に手前側とすると手前側は4人がけの席がいくつか設置されているのだが、奥の方にはカウンターのような机が設置されており、座ると窓の外を向くように1人用の椅子が複数設置されている。そして


 ……いた、1人の乗客が


 見た目は女性。私と比べてやや短い(ちなみに私は肩甲骨にかかるくらいの長さ)ボブカット。

 そして髪の色は黒がほとんどをしていていたが、毛先だけ紫色に染まっていた。

 服装は黒のシャツワンピースにライダースジャケットを羽織っているため全身真っ黒といった感じだ。そしてメイクはややきつめだった。

 ……うわぁ私こういう人苦手だったなぁ

 などと過去の記憶を掘り起こしていたのだが、そこでふと疑問が生じる。


 この人……欠損部分無いよな?


 そうなのである。私と少年含め、先ほど堀内さんの件から察した私はこの列車の乗客は何かしら欠損部分が存在する、と考えていたのだが……


 あれれー?私の勘違いだったかなー?

 ……まぁいいか、別に。

 むしろよかったじゃないか。何も失うことがないに越したことは無いと思うし。それにこの列車に乗っているということは失ってはいなくても、何かしら抱えているものがあるのだろう。

 残念ながら堀内さんはこの列車に乗った経緯をよく覚えていなかったらしいが……もしかしたらこのお姉さんなら何か知ってるかもしれないし。

 などと考えた私は少し緊張しながらお姉さんに話しかけることにした。


「あのぅ……すいませーん」


「…………」


 無視された……聞こえなかったのかな?


「ぼくのときとちがうよねたいどが」


「べっ、別に私はコミュニケーション強者なわけじゃないんですぅ〜普段結構無理しているんですわ……少年相手は別だけどね!!」


「めいうるさい……それにさ」


「……?」


「このおねぇさんたぶん、ぼくたちのこえがきこえてないよ?」


「……へ……?」


「ほら、もうすこしちかくまでいってあいさつしてみなよ」


「う、うん……わかった」


 ……声が聞こえない……だと……!?

 とりあえず先ほどは彼女の視界に入っていない距離から声をかけていたので、今度はもう少し近づいて声をかけようと試みた。


「すいません……!!」


 今度は無視されませんように……と心の中で密かに願いながら彼女の前に出るようにして挨拶しようとする。次の瞬間


「……?………!!???」


 ……なんかすごいびっくりさせてしまったようだ。

 そして、ようやく疑問が確信に変わった。


 彼女は聴覚を欠損している


 どうりで見た目では分からないはずだ。

 耳が聞こえないとはどういう世界なのだろう。

 幸いにして私は生まれてこの方、運動機能の異常は経験したことはあっても五感のいずれかに支障をきたすということはなかった。

 それが先天的なものなのか、それとも後天的なものなのかは彼女に話を聞いてみないとわからないけれど……もしも生まれた時から耳が聞こえないとしたら、世界はどう映るのだろうか。

 正直とても失礼で直接聞くことは叶わない質問かもしれないけれど、不思議とこの時の私はそう思ってしまったのだった。



 そして現在、私と少年とCの客室にいたお姉さんはカウンターに並んでいた。側から見れば3人で窓の外を眺めている格好だ。

 お姉さんの耳が聞こえなかったことを知らなかったため、先ほどはびっくりさせてしまったがしばらくして平静を取り戻したお姉さんに身振りで隣の席に促された結果このような配置になった。

 どこの客室から見ても相変わらず代わり映えのしない景色だな……まぁ当たり前か

 なんてぼんやりしている場合じゃないな。

 せっかくだし何かお話ししたい。

 けれど会話の伝達手段がないなぁ……私、手話とかできないし……などと考えていると、お姉さんが自身の上着のポケットを探り何かを取り出した。

 それは1000年前にはどこにでもあって、あらゆる場面で活躍する文明の利器、


 紙と、ペンだ。


 そしてお姉さんはサラサラと何かを書き出す。


 ……ここ一連の流れを経験した私にとってこの先何が来てももう驚かないぞとは思ってはいたものの、やっぱり目の前でそれを見せられてしまうと驚きと戸惑いの感情で胸中が埋め尽くされるのを抑えるのは困難であった。

 そして


 お姉さんからメモ用紙とペンを受け取る。

 そこには簡単な質問と、見かけのわりに可愛い文字が書かれていた。


『わたしは平野アユミ。あなたたちの名前は?』


 こうして


『私はメイ、といいます。こちらの少年の名前はまだありません』


 私たちの筆談は始まった。



 *



『メイね。わたしのことはアユミでいいよ』


『わかりました。アユミさんはいつからこの列車に乗っているんですか?』


『それがわたしも良く覚えていないんだよね』


『覚えてない、ですか?』


『そうね直前の記憶はない。この列車には気づいたら乗っていたって感じかな』


『もしかして何か心当たりでも?』


『心当たりってほどでもないかもしれない』


『話していただけませんか?』


 ………


『わたしビルから飛び降りたんだよ。それがこの列車に乗る前の最後の記憶』


『耳はその時から聞こえないんですか?』


『生まれつきだよ』


『どうして飛び降りたのか、聞いてもいいですか?』


『ぐいぐいくるなぁ。いいよ、大したことでもないし。婚約者に逃げられたんだ』


『逃げたというのは?』


『わたしの聴覚障害は病原体由来でね、子供にも遺伝する可能性があった。結婚するってなったら事情を話さないわけにはいかないしね。そうしてあいつに事情を話した次の日から連絡がとれなくなったんだ』


『話したときはどんな様子でした?』


『やっぱり落胆はしてたよ。あいつ子供好きだったからさ。でもあの時言ってくれたんだよ「子供ができなくても君と一緒にいる」って』


『でも、消えてしまった』


『そうね、何回も連絡はしたけど。それで思ったんだ。この先もたとえ好きな人ができても裏切られるだろうし、たとえ裏切られなかったとしてもまともな子供を産むこともできないんだなって』


『それで、自殺を?』


『動機が軽いと思う?確かに、冷静になってみたら短絡的すぎたかもね。でも自殺する人間なんてこんなものよ。死にたいってよく言ってる人いるでしょ?あれは本気で言ってるわけじゃないけど。でもある日急に悲しみの許容量を超えちゃうと脈絡もなく人間って死ねるのよ、あっけなくね』


『決して軽いだなんて思ってませんよ。私にもわからなくもないですからその気持ちは』


『右腕がないから?』


『いいえ、こう見えて以前までは指一本動かすこともできなかったんですよ私。その時はずっと思ってましたよ死にたい、とか。後は自由に生きていける普通の人間たちのことを呪ってました。こいつら死なないかなって』


『そっか。あんたもなかなかヘビーな事情抱えていたんだね。なんだか私が情けなく思えてくる』


『別に気にしてませんよ。今は普通に生きていけてますし』


『良かったらメイ、あんたのことももっと教えてよ。わたしのことは話したんだし』


『わたしの話でよければ』


 そうして私とアユミさんと私はお互いの身の上話をした。後半はほとんどくだらない雑談となってしまったが、久々の同性との会話は遠い昔に無くしてしまったキラキラした何かを少しの間だけではあったけれど、私に取り戻してくれたのだった。そして


『もっと色々話したかったけどもう紙が無くなりそうだね』


『残念ですね。せめて私に手話が使えたら』


『いいんだよ。それに時間みたいだし』


 列車が停まる。ドアが開き、風が入ってくる。


『あんまり役に立てなくてごめんね。お礼と言っちゃあなんだけど』


 アユミさんは残り少ない紙に何かを書き込み、それを折りたたんで渡してきた。


『これは……?』


『次の客車に行く前に見て』


『わかりました。アユミさん、また会いましょうね』


 アユミさんは控えめに笑いながら


「またね」


 と言い残し降車した。


 残る客車はあと2つ

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