第55話一方、その頃の駿河では
時は少し遡って、太郎達がタリム海跡地を西へ向かっていた頃の駿河の国。
山口教継は
「教継、今日は何用だ」
上座に着くなり氏真がそう切り出した。
教継は小脇に抱えた文箱から書状を取り出すと傍らに控える蒲原氏徳に託す。
「……ふむ。どれどれ」
氏徳より手渡された書状を受け取ると、折り畳まれたそれを氏真はばっと広げて読み進めた。
太郎よりの書状にはこう書いてある。
「何々……おはよう、氏真君。これから君にみっしょんを与える……?
あしたのためにその壱、来年から毎年正月に伊豆半島周回駅伝競走を開催すべし……とな?」
「……殿、駅伝競走とはなんでござりましょうや?」
「なんでも一人あたり五里を目安に徒歩(かち)で駆けて次々と書状を入れた襷を継いで駆けくらべをするものらしい」
書状を読み進めながら氏真が答えをつむいだ。
「それはまた……」
意味が分からず蒲原氏徳はそれだけを漏らす。
氏真はそのまま読み進めると、書状にはこんなことが書いてあった。
「俺がフランスに行っている間、山口教継が預かった書状一通をそれぞれ春夏秋冬の初めに届けさせる……か」
小声で氏真はつぶやいた。
山口教継は元々は織田信秀の家臣である。
桶狭間の合戦後、彼が粛清の対象とならずに済むよう、このような形で太郎は保険を掛けていた。
とはいえ、本来であれば山口親子は桶狭間以前に粛清されていた筈なのだが、そのことを太郎は知らない。
ただ単に、織田家からの寝返り組だという理由で、山口親子が内通者として処断されることが、今川家中の疑心暗鬼を招く可能性を危惧したためである。
そう、クメール・ルージュ率いる民主カンプチアが中華人民共和国の真似をして大躍進政策を強行して見事失敗した挙句に、
その原因を、居もしないアメリカCIAの工作員になすりつけて責任転嫁を図り、自国民の三分の一を殺して領内が滅茶苦茶になったのが念頭にあったからだ。
要は、何か大事な役目があれば粛清リストには乗らないだろうという配慮である。
「尚、この書状は君と氏康殿が読み終えると自動的に消滅する……ほら、このように
うわああああっ!!」
突然、氏真の持つ書状が何の前触れもなく火を噴いて燃え上がった!
思わず大声を上げて書状を放り出す。
「なんと面妖な……」
畳の上に放り投げられた書状は気が付いてみると何事もなく元に戻っている。
それを確認して薄気味悪そうな表情を浮かべる蒲原氏徳。
氏真は恐る恐ると再度書状を手に取って読み直す。
「……あともう一つ付け加えると、預けた書状は期日を待たずに教継から取り上げて読もうとするとこうなるから気を付けろ……か」
わけのわからない現象を前にしては氏真も手を上げるしかない。
しょうがないから太郎の言いつけ通りにしようと思う。
「さて、そうなると小田原まで行かねばならぬな」
「殿、お待ちくだされ」
立ち上がろうとする氏真を氏徳が押し留める。
「氏徳、太郎がふらんすに行っている今、こんな訳の分からない話を氏康殿に持っていける者が居ると思うか?」
「……それはそうでございますが」
苦り切った顔で氏徳が言う。
トップはそう簡単に動いてはいけないのだ。
不測の事態が不在時に出来(しゅったい)した場合、トップ不在では対処が遅くなる恐れがある。
しかし、氏真は押し切った。
武田信玄が三河を狙っている今の状況下で、今川家の脅威となる外部勢力は存在しない。
「氏康殿、お久しぶりにございます」
「氏真殿もご壮健で何より。
それで、なんでも太郎殿からの建白があるとかお聞きしたが、それは一体どのようなことですかな?」
「まずはこれをご覧くだされ」
小姓を間に挟んで氏真が氏康に書状を手渡す。
「氏真殿がわざわざ小田原まで出向かれるのですから並の用向きではございますまい……」
外交辞令を交えつつ、氏康が手渡された書状に目を遣った。
興味深そうに先を読んでいく。
「……ほう。伊豆周回駅伝競走ですか。
ここ、小田原を出て真鶴、熱海、下田、戸田と海沿いを回って沼津三島を経ての箱根越えで小田原に戻ると」
「太郎によれば、名付けて伊豆箱根駅伝競走だとか」
「確かにそう書いてありますな。しかしこの着想は面白い」
北条氏康が何度も頷いてみせる。
「氏康殿、ただ走るだけではございませぬ。
伊豆の東側の区間を走った者が騎馬による山越えで西側の区間を走るというのが」
「……確かにな。ただ足が早いだけでは駄目で、馬術にも勝れておらねば襷の受け取りに遅れよう。
徒歩(かち)の達者さのみならず馬の扱いに長ける者でなければならぬということか」
そう言って二人は伊豆の山中を騎馬で横断して前走者から襷を受け取る者の姿を想像した。
「その次に目を引くのはこれだ。
襷を受け取った走者は区間を走り三島神社に参拝してその場で絵馬を描き奉納。
しかる後に境内で待ち構えている次の走者に襷を引き渡す。とある」
「それだけではありませんな、氏康殿。絵馬のお題は初詣で賑わう三島神社の境内を描くこと。
しかもできるだけ上手に手早く、誰にでも境内の様子がわかるように描けている者に高い得点をつけるとあります」
太郎がこの駅伝競走に盛り込もうとしていたのは、将校斥候の概念である。
騎乗して敵支配エリアに潜入し、その場で写実的な絵を時間を掛けずにさっと描いて敵情をリアルに記録するというものだ。
写真機が発達する以前のヨーロッパでは写実的な絵画の才能は将校となる者にとっての必須の技能である。
ヨーロッパにおける絵画技術の発達は戦争と無関係ではなかった。
それを太郎は日本にも導入しようとしている。
氏真と氏康はその意図を掴めずにしばらく議論したのち、風魔小太郎の一言によって正解に行きついた。
遠近法の概念を書状で言及しているのを読んで、小太郎がその意図に気付いたのだ。
二人はそれで合点がいった。
「なるほど、そういうことか……」
氏真、氏康のどちらからともなく声が出た。
「分かってみると『なんだ、そういうことか』ですが、気づかぬ限りは分からぬものですな……」
「左様。なんと言ったらいいものか……。分からぬことがこうして分かってしまうのは存外に心持ちの良いものです」
太郎からの書状には更にこう書いてある。
「……尚、この競走は今川北条家中の対抗戦とはしない。
遠江、駿河、伊豆、相模武蔵の四か国代表による国別対抗戦とする。
家中対抗戦にすると勝ちにこだわりすぎるおそれがある。
見たいのは勝ち負けではなく兵の練度のため、余計な小細工が入るのをなくしたい」
氏康がそう読み上げた。
「これも理に適っていますな。
目先の勝ちを求めて小手先に走ると兵を鍛えることにはならないということです」
……とまぁ、そんな感じで打ち合わせが行われ、新年の初め、一月十六日に伊豆小田原周回駅伝が開催の運びとなった。
ちなみに駅伝競走ではコース周回の方向が一年おきに時計回り、反時計回りとなっている。
太郎の提言した一月二日ではなく一月十六日となったのは、この当時の正月期間、つまり、松の内は一月十五日までだったからである。
第一回ということもあり、氏真一行も参列して見守る中、冬晴れの小田原城下を一区走者が駆け出していく。
「殿、これを」
氏真が駆け去っていく選手を見送っていると、教継が傍らに立って新たな書状を手渡してくる。
受け取って中を検めると太郎からの次なる指示が書いてあった。
なになに~、と読み進めていく。
「あしたのために、その弐。
今川家騎馬隊の技量向上のために競馬(くらべうま)を開催せよ……?」
怪訝に思いながらも氏真は続きを読んだ。
「競馬の騎手は身体の軽い女子(おなご)が勤める。その任には白薔薇騎士団がふさわしい。
一競走あたりの出走者数は八名で単勝複勝で勝ち馬予想券を発売し、的中させた者には配当金を支払う……」
何のことは無い、競馬興行をやれという指示である。
こうして静岡競馬場が戦国時代の駿河で開場することになった。
第一回レースは1562年の春、事前に大々的な宣伝を行ったこともあり、五日の開催期間中、競馬場は大入り満員であった。
あと、騎手が全員騎士団所属の少女だったというのも大きいらしい。
これも当然の話だが、収益金は白薔薇騎士団の運営経費に回された。
そして、静岡競馬場の開会宣言を行った直後、氏真は山口教継より新たな書状を手渡される。
「……夏になったら北条家と共催で波乗り大会をやれだと」
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ベルリンを出て人気のない森に入ると俺は荷馬車ごと積み荷をアイテムボックスに入れる。
「何度見てもあんたって滅茶苦茶よね」
呆れ顔でルイーズが感想を口にした。
「だが、騎馬での移動ができるだろう?」
「……それはそうだけど。私の中の常識がおかしくなるわ」
「そうです。ルイーズお姉さま」
ルイーズに加勢するお市を無視して俺は馬たちに騎乗用の馬具を取り付けていく。
「フランスへ急ぐんだろう?」
二人に向かってカムオンと腕を振ると、彼女たちは顔を見合わせてから馬に跨った。
ルイーズが前に出て道案内をする。
「ついてらっしゃい」
「はい。お姉さま」
春まだ浅い、雪解けのドイツ路を駆けだす二人を追って、俺も馬を走らせた。
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