第54話ベルリンで信濃名物おやきを



ケーニヒスベルクを出た俺達三人はバルト海沿いを西進した。

ダンチヒからシュテッチンを回ってベルリンに立ち寄る。

ベルリンはパリやロンドン、ローマと比べると新しい都市で、都市が生まれてからまだ三百年しか経っていない。

帝政ローマの時代には既に存在していた前者と比べると格段に若いだろう。

そうなった理由は実に馬鹿げた話で、ドイツ人の神聖ローマ帝国にはその政体上、固定した首都が存在しないせいだ。


そして俺達がここへ寄ったのは、プロイセン公家、ホーエンツォレルンの宗家がブランデンブルク選帝侯なためである。

ブランデンブルク選帝侯が本拠地をベルリンに置いて以来の発展はすさまじいという。

宗家当主のヨアヒム二世ヘクトルと会談することをルイーズにプロイセン公が奨めてきたのにはそういう理由もあるようだった。


プロイセン公アルブレヒトの紹介状を持ってベルリン市城を訪れるとすぐに中へと通された。

選帝侯のヨアヒム二世はすぐにルイーズと面会するということで、彼女が一人だけ先に控室を出ていく。

俺の方はといえば、しばらく待っていると宮宰が現れて、飼料用のビート(テンサイ)についての商談と相成る。

アルブレヒトが先に話しを通していたようで、飼料用ビートの購入代金は製糖法とのバーターでいいという回答が得られたので、俺としては良しとしたい。

そのままの流れで砂糖を使った新メニューの提案を宮宰や城のコックを交えて話していたらルイーズが戻ってきた。


開口一番、ルイーズが呆れたように言う。


「何よ。また料理の話?」


「ああ。そうだ。ところで、そっちの方はいいのか?」


「ばっちりよ。協定を結んだし、いざという時のセーフハウスも用意してくれるって。

 それはそうと、新しい料理っていったい何?」


「なんだ、お前も興味あるじゃないか」


「それはそれ。これはこれよ。新しいレシピは作物消費の新たな市場開拓に繋がるじゃない。

 商人としては黙って見てなんていられないわ」


「ふーん。喰い意地じゃないんだ」


「ちがうわよ!!」


ルイーズと言い合いながら厨房に向かう。

宮宰は一部始終を見届けると言って、コックと共に俺達についてきた。



「すいませーん。お借りしまーす」


俺は厨房道具に挨拶してコンロに火をかける。

一晩水に漬けてふやかした豆があったのでそれを使わせてもらう許可を料理長に貰った。

何をやるのか興味深げに料理人たちが集まってくる。


「……えっ?」


豆を茹でている鍋の中に大量の砂糖とちょっとの塩を入れると何故か驚かれた。

ルイーズもぎょっとした顔で俺と鍋を見ている。

お市は当たり前だろうという表情だ。


「豆を砂糖で煮漬けるのか」


恐る恐る料理長が聞いてくる。


「そうだ」


「なんでまた……」


「これが日ノ本やプレスタージョンの王国の代表的な料理法だからだ」


「プレスタージョンの……」


そう言われた料理長は黙り込んだ。

ルイーズは白い目で俺を見ている。

汁気が粗方飛んだ所で試食会だ。


「……ほう。これは」


「いや、なんというか……」


新しい味に感嘆する者がいれば、先入観とのギャップに戸惑う者もいて当たり前なので次に移る。

俺は煮豆を擦り潰して裏漉し器にかけた。いわゆる餡子である。

これをパンに挟んであんパンにした。

一同で試食する。


「うむ……」


宮宰は戦闘糧食に良いのではないかと言った。

豆は中世ヨーロッパに置ける庶民の主食であるから、餡子の調理法は庶民の食卓に彩を加えることになるだろう。

そういう話になったので、アイテムボックスに入れておいた小豆を取り出して、

「こんな豆もある」と言って見せると興味を持ってもらえたから翌日の試食会となった。


一晩漬けて柔らかくなった小豆を茹でると煮汁が赤い色に染まる。

たっぷりの砂糖で煮てこしあん、つぶあんにしてパンやパイの具にしてみた。


「こういう料理法ならこのアズキとやらの方が合うな」


いつの間にかやってきていたプロイセン公アルブレヒトが俺の隣で信濃名物のおやきに手を伸ばしている。


「政務ほっぽり出してきて良いのか?」


「問題ない。

 それにお前のことだ。何かしら新しいものを見せてくれるものと思えば来る価値がある。

 このあんパンというのは良いな。バターやクリームと一緒にバゲットの中に入れておけば戦場でも片手で飯が喰える。

 俺も次の戦争からはこれを戦場で喰って戦おう。それがいい」


そんなことを言いながらアルブレヒトは次々とパンを食べていった。

その日の夜、選帝侯を交えた夕食会のメニューにおやきとあんパンが並んていだのはアルブレヒトのしわざに違いない。

当然、選帝侯からも高評価を得たので、アイテムボックスに収納してあった小豆の大量売却と相成った。

この商取引ではプロイセン公も買い手に回ったので、ホーエンツォレルン家領では小豆の栽培が始まることだろう。


「寒い北ドイツでは育つ豆の種類が乏しいから、新たな豆類は大歓迎だ」


商談成立で握手となった際に、選帝侯にはこう激賞された。

プロイセン公も新たな商品作物によるビジネス展開を考えてニヤついている。

こうして新たなディールを成功させた俺達はベルリンを発った。

見送りのアルブレヒトが「また取引に来い」と言ってにやりと笑う。

俺も笑みで返して出発した。

もう三月も終わりの頃である。




♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡



ラヴィニアはとぼとぼと街道を歩いていた。

その歩みの危なっかしさに、馬車に乗せてやろうと停まる行商人もいたが、

ラヴィニアを見るとその形相に驚いてみな逃げいていってしまう。

彼女の中にくすぶる虚無がそれほどすさまじいものだったからだ。

凍り付いた無表情が機械的に足を動かしている。

そのよろよろとした歩みを安倍あべの太郎たろうが見れば、ゾンビと勘違いしたに違いない。

あまりにもそれは、小6の時に、避難所となっていた母校の小学校にバリケードを突き破って雪崩れ込んできたゾンビに酷似しすぎていた。


心が死んでいる……太郎ならばそう表現したかもしれない。

今、この時の、ラヴィニアを動かしているのは復讐という名の攻撃衝動である。


そんなラヴィニアであるが、500メートルほど先に潜む殺気に気が付いた。

こじんまりした森の中に、藪に身を隠すようにしている数人の息遣いがなぜか感じられた。

こちらに向けられる視線からは、まだ獲物として認識はされていないということも何故か分かる。

ラヴィニアはこのおかしな感覚に戸惑ったが、素直に直観に従うことにした。


道を逸れて森の中へ入る。

どういう訳かは分からないが、ラヴィニアには敵意の存在が皮膚感覚として感じられた。

その感覚に従って動いていく。

しばらく歩くと遠目にだが、先ほどの敵意の正体が草むらに隠れているのが目に入る。


困ったことに向こうには馬がいる。

更には、手足を縛られた娘達が馬車に放り込まれていた。

その光景を見てラヴィニアは思い出す――新大陸へ若い娘を売り飛ばしている悪徳商人のことを。


……逃げられない。


咄嗟の状況判断からラヴィニアは隙を衝いて殲滅すると決断した。

このまま森を逃げたところで、街道に出れば追いかけられる公算が高い。

もうすでに体力もギリギリのところにある。やるなら今しかない。


腹を括ったラヴィニアは父の形見のレイピアを無表情のまま抜いた。

そのままゆっくりと見張りに近づく。

その時、突然にひらめくものがあった。


……気配を消すのではだめだ。周囲の木々の気配と同化するのだ。


直観に従って、ラヴィニアは森の木々の一本になった。

最早その目は野盗まがいの奴隷商人たちを見てはいない。


そしてラヴィニアは野盗を皆殺しにした。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る