第53話鬼の誕生
俺達がフランスへ発つと聞いてプロイセン公アルブレヒト・フォン・ブランデンブルク=アンスバッハが送別の宴を開いてくれた。
その席で変わった料理が出たので俺は驚く。
「これは……!?」
真っ赤な色のキノコに俺とお市は絶句して手を止めた。
「おや、これは東方では珍しいですかな?」
そう言ってアルブレヒトが真っ赤なキノコを手に取ってみせる。
「清須の城の周りにも良く生えているのだ……。カンゾウタケ(肝臓茸)を食べるのか」
お市は狼狽した風で俺に問いかける。
「アンジェリカ、フランスではこれを牛の舌と呼んでいて、とっても美味しいのよ」
「え?! そうなのですか、ルイーズお姉さま?」
「ええ、そうよ。美味しいから食べてみて御覧なさいな」
「……お姉さまがそう仰られるのならば」
意を決したお市がカンゾウタケに手を伸ばして目を瞑る。
小さく先っぽを「ぷちっ」と齧った。
「……あ」
お市がびっくりする。
「美味しいでしょ」
「はい。ちょっとすっぱくて美味しいです!」
「センセイ。このキノコは生でも食べられるんですよ」
エリーザベトが俺に皿を差し出してくる。
お市の反応を見ていた俺もゆっくりと噛みついた。
口内に酸味を含んだ赤い液汁があふれ出す。
今までに味わったことのない味だ。
どうして日本では食べられてこなかったんだろう?
そんな疑問と共に喫食する。
俺は日本にもある植物で、日本では食べられずにヨーロッパでは食べられているものがあることを知って改めて考え込んだ。
「アンジェリカ様、これ、どうぞ」
エリーザベトが箸でキノコを摘まんで差し出す。
「これは……?」
「ベニテングタケです!」
絶句するお市にルイーズが追い討ちをかける。
「アンジェリカ、これは毒抜きしてあるから大丈夫よ」
慣れない手つきで箸を操ると、あぶなっかしい動作でルイーズはベニテングタケを頬張った。
「太郎、貴方も食べなさいよ」
「あ、ああ……」
ルイーズの押しの強さに負けて俺もベニテングタケを口に含むと、すぐにズーンと来た。
……美味い!
なんだこの旨さは!!
「ふふん。北ヨーロッパじゃベニテングタケは普通に食べられているのよ」
ドヤ顔でルイーズが語るが、これは確かに驚きだ。
日本では毒キノコとしてしか知られていないが、北欧では毒抜きして食べているとは。
エリーザベトはじめ、弟や女騎士隊候補の面々もベニテングタケに箸を伸ばしている。
「センセイ! この箸って面白いですね!
たった二本の棒なのにフォークやナイフの代わりになるんですから!!」
興奮した口調で貴族令嬢が俺に話しかけてきた。
「センセイの教え通り、箸で食事を摂るようにしてから剣捌きが上達しました!
ありがとうございます!!」
彼女が笑顔で礼を述べるのを俺は笑顔で受ける。
「箸を使って食べるという動作には手先を動かす神経の繊細さが常時要求される。
また、そういった形で運動神経が鍛えられることは脳の活性化を促進するから、頭が良くなる効果もある。
学問だけではなく、戦いや剣技においても頭の良さは必須だ。
頭の悪い者は何をやっても大成しない。
そして、体を動かすことは頭の回転を良くし、知能を高める効果がある」
俺がこう言うと、講義でよく俺に質問してくるこの娘は嘆息する。
「……賢者様。センセイは賢者様ですわ」
俺がこの娘、ヘートヴィヒとそんなことを話しているとアルブレヒトが割って入った。
「この箸にはそんな理由があったのか!」
アルブレヒトはそう言いながら、取り扱いに四苦八苦している箸でキノコを摘まむが、大人の中ではまだマシな方だ。
子供の方がはるかに早く順応している。
特に習熟度の高いのはエリーザベトの弟フリードリヒだ。
この姉妹は特に箸の扱いが上手くなっているが、弟の方がより習熟してきている。
「手先の器用な人間が増えれば、それだけ産業が発達する。
細工仕事の巧みな職人が増えればより精緻な工芸品が多く作られて経済も活性化するからな」
おそらくこれは事実だ。
アメリカなどにおいて、アジア系人種の知能がおしなべて高い理由の一端は、箸を使う食文化にあるという。
だから
真っ先に行った知識チート内政ネタは、食生活における箸の全面的普及だった。
知能云々の話はおっさんの受け売りだが、
箸を使いこなすのには、手先の神経から脳に伝達される感覚データの複雑な処理を瞬時に行わなければいけないという話には納得がいく。
そうでなければこの単純な二本の棒を食器として使いこなすことはできない。
二本の棒を食器として扱うには、摘まむ箸と摘ままれる食品との間で微妙なバランスが取れていなければならないからな。
「プロイセン人は根が真面目だから箸の普及は国力の増加に繋がると思う」
俺の見立てにプロイセン公が強い眼差しと共に頷いた。
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混濁した意識の海の中で、誰かが呼びかけたような気がした。
ゆっくりと海の底から記憶が浮かび上がってくる。
海面から顔を出したラヴィニアの意識は、吹き付ける冬の寒さにぶるっと震えた。
おぼろげだった視界がはっきりとしてくる。
最初に目に入ったのは事切れた母のデスマスクだった。その横には父の死に顔も揃っている。
仰向けに横たわったラヴィニアに覆いかぶさった二人の顔はどういうわけか笑顔だった。
二人の眼は閉じてはいない。
まるで生きているかのような光を湛えてラヴィニアをじっと見ていた。
――そうだった。わたしは死んだのだ。
そう認識したとき、惨劇の光景がフラッシュバックする。
三月一日、ヴァシー=シュル=ブレーズの城壁外で礼拝をしていたわたし達ユグノーはギーズ公の軍隊に虐殺された。
サンジェルマン勅令に従って、城壁外で神への祈りを捧げていたわたし達をギーズ公の軍隊は辱めた。
そして武器を持たないわたし達にギーズ公は銃を向けて撃った。
この銃撃でわたしの弟のフランソワが死に、両親は咄嗟にわたしを庇って身代わりとなったのだった。
そう、ラヴィニアが記憶を回復した瞬間、彼女は耐え難い罪悪感に襲われた。
両親の死に際の笑顔がよりその思いを強くする。
悔恨が胸にあふれた。
無意識のうちに爪を立てて地面を握りしめる。
爪の中に土が喰い込んだ。
「父上、母上……」
積もった雪で手の汚れを拭ってラヴィニアは父と母の瞼を閉じる。
地面に倒された時に打った痛みで身体が悲鳴を上げているが、なんとか我慢して立ち上がった。
深呼吸と共に周囲に目を向ける。
あたり一面に殺されたユグノーの遺体が転がっていた。
動く者はラヴィニア以外にはいない。
ヴァシーの町に入ってもユグノーの死体だらけだった。
女の細腕では家族の墓を掘ることも能わず(あたわず)、仕方なしに指輪とペンダントを地面に埋めて墓の代わりとする。
そうして父の遺品のレイピアを家から持ち出すと、家にあった僅かな路銀と共に寒風吹きすさぶ街道を這いずるように歩き出した。
一路、パリへと。
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