第52話ルター派一向宗爆誕
「センセイ! ありがとうございます!!」
翌日、エリーザベトは会うなり俺に礼を言ってきた。
「ん? なんだ?」
「弟のことで父に意見をしてくださったと聞きました。
あれから父も考えを改めたようで、弟への当たりも柔らかくなってほっとしています」
聞けば姉のエリーザベトは父親の弟に対する入れ込み具合と追い込み方に危惧の念を抱いていたが、
娘という、女の身で言っても聞き入れられないのでやきもきしていたとのこと。
「おかげで弟も気持ちに余裕が出てきたようで、少しだけですが笑顔を見せるようになりました」
「それはよかった」
俺は安堵の溜息を吐いた。
姉のエリーザベトは女の子ということで、別に期待もされていなかったから伸び伸びと育つことができたらしい。
そうして育ってきた姉の眼には、弟が跡取りの男子というだけで、酷い圧迫を受けているように映っていたようだ。
「……それでですが、センセイのあの技。兜割りを私に教えていただけないでしょうか?」
上目遣いで訊いてくる金髪碧眼の幼女、エリーザベト。
子供には無理だと言おうとしたが、考え直して、基礎だけは教えることは可能であると結論付けた。
「……いいだろう。明日の早朝、城の大聖堂に来い」
「はいっ! わかりました!! ありがとうございますっ!!!」
喜色満面の笑顔で十一歳の幼女が頭を下げる。
「エリーゼ。何か忘れてないか?」
「あっ、そうでしたっ! ダー! センセイ!!」
翌日早朝に俺が大聖堂へ赴くと、何故か大勢集まっていた。
エリーザベト以外の騎士志願の令嬢達だけではなく、アルブレヒトやフリードリヒに城中の騎士などである。
そして俺は牧師が登壇する演壇に登らされた。
「あー、これから兜割りの修行をはじめるが、これは結果であって目的ではない。
あくまでもただの結果だ。そういうこと(兜割り)もできるようになるというだけの話にすぎない。
それだけは頭の中に留めておいてくれ」
「エリーザベト。目を瞑って手を合わせて心を鎮めるんだ」
「はい。センセイ」
言われてエリーザベトが自分の両手を一人恋人繋ぎの要領で握りこむ。
すると、他の面々もそれを真似しだした。
全員がそうしたのを確かめてから俺は次の言葉を告げる。
「どんなものでも切れる剣は素晴らしい剣か?」
そう問われた一同の中からエリーザベトの声がした。
「……もしかして、違うのですか?
「違う。いついかなる時、どんなものでも切れる剣は良い剣とは言えない。
切るべき時に切るべきものしか切れない剣こそ最上の剣だ。
お前は自分の身体をうっかり切りたいか?」
「いいえ」
しっかりとした答えがエリーゼから返ってくる。
それに俺は満足の笑みを浮かべた。
「では切るべき時とは何か?
それが分からねば切ることはできない」
「ではそれはどうすれば分かるのですか?」
こう、問いを発したのは、先日に「カイザーが最高権力者か?」と質問した貴族令嬢だった。
「それは誰にも分かることではない。 マタイによる福音書の二十四章でイエスも言っていることだ。
……困惑しているのは分かる。答えは一つしかない。お前自身の内なるイエス、キリストに問うことだ」
斯う(こう)言われてハッとした者も居れば、何が何やら分からないという表情の者も居る。
俺は構わずに先を続けた。
「心の中で一心不乱に内なるキリストに問うのだ。そうすれば、その果てに答えはおのずと目の前に在る。
切るべきものはすでに最初から切れている。あとはその切れ目に刃を通すだけでいい。力など一切不要だ」
ここまで言い終えた時に、フリードリヒが初めて口を開いた。
「では、センセイ。どうすればわたしの内なるキリストに呼びかけることができるのですか?」
「そうだ、良い質問だ。これこそが最大最上の問題となる」
思わず唾を呑み込むフリードリヒを見て、俺は爆弾を投げ込んだ。
「心の中で一心にこう唱えるが良い。『なむあみだぶつ』と」
「ぶっ」
お市が堪らず噴き出した。
その音が静まり返った大聖堂にやけに大きく響く。
ばつの悪そうな顔でお市が謝罪した。
「……いや、すまない。続けてくれ」
俺はお市をじろりと一瞥して言葉を続ける。
「この『なむあみだぶ』は日ノ本の言葉で、我が内なるキリストと我は一つなり、という意味だ。
この言葉を日がな一日、どんな時でも一心不乱に念じ続ければやがて内なるキリストが道を示してくれるであろう。
兜割りは技ではない。心だ。心を剣に載せることができた時、はじめて可能となる」
こう言い述べて演壇を下りると、大聖堂に集まった会衆は一斉に「なむあみだぶ、なむあみだぶ……」と唱え始めた。
……これがルター派一向宗誕生の瞬間であるとは、この時の俺には想像もできなかった。
「お前っ、どうするんだ!?」
大聖堂を出る俺にお市が小声の日本語で詰め寄る。
「どうもしないさ。なむあみだぶの日本語の意味などわからないだろ?」
「もしも、バレたらどうする気だ?!」
「ドイツと日本が接触するまではあと何十年かはあるからな。
その時は時間が解決してくれるさ」
「くっ……」
お市は呆れて物も言えないという風で歯ぎしりした。
「どうなっても知らんからな!」
「安心しろ。俺も知らん」
この日から念仏が燎原の火のようにプロイセン国内に浸透していった。
誰にでも簡単にできる分かりやすさが受けたんだと思う。
そしてエリーザベトやフリードリヒ、それから女騎士志願の貴族令嬢の鍛錬を担当して春の雪解けを待つつもりでいたのだが、そこに衝撃的なニュースが飛び込んできた。
「ヴァシーでユグノーが虐殺された!?」
衝撃の余りルイーズが剣を取り落としそうになる。
このニュースを告げに来た使者は虐殺があったのは三月一日のことだと言った。
暦では一週間ばかり前のこととなる。
「これはいかん。急いで叔父上の許に参らねば!」
「待て」
「放せ! これはいくさになるぞ!!」
羽交い絞めにした俺の腕の中でルイーズが暴れる。
「ルイーズ。行くのは良いが、その前に状況を確認しろ」
激高するルイーズをなだめて使者に詳しい話を催促すると使者は我に返ったかのようにしゃべりだした。
曰く、三月一日のこと。
二代目ギーズ公、フランソワ・ド・ギーズが自領への移動中、ヴァシー=シュル=ブレーズ(ブレーズの南のヴァシー)でミサに出ようとしたところ、ユグノーが納屋を教会として大人数での集会を行っていたという。
これを発見したフランソワ・ド・ギーズは、この集会がサンジェルマンの勅令に反するとして解散を命じた。
サンジェルマン勅令でユグノーは城壁外での礼拝しか認められていない。
それで公爵の家臣がユグノーを納屋から追い出そうとして揉み合いとなり、ユグノーの誰かが投げた石がギーズ公に命中。
逆上したギーズ公が配下の兵にヴァシーの制圧と教会への放火を命じたとのことだ。
この結果、丸腰のユグノー六十二人が殺され、百人を超える負傷者が出たという。
「許せぬ……っ!!」
ルイーズが絶句するが、俺は別のことを考えていた。
「妙だな」
「何がだ?」
胡乱な瞳でルイーズが俺を睨む。
「話が出来すぎている。
誰が石を投げた? 仕込み臭い話だ。
ことによるとカトリックが戦端を開く大義名分を得るための自作自演かもな」
「なっ……!
だとしたら一刻も早く真偽を確かめねば……!!」
「……そうだな。フランスへ向かおう」
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