第40話死の海



「では今回は下見であると」


アジトに招待された俺とお市はなぜか朱儁(しゅしゅん)に話しかけられている。

どうやらこの男は王汝賢に厚遇されているようで、単なる客ではなさそうだ。


「そうだ」


俺の言葉に朱儁(しゅしゅん)は不満そうだ。


「だから出す船は一隻でいい。ただ働きの船賃は払う」


そう言って俺は金貨の袋を一つ、机の上に置く。


「確かめさせていただいても?」


「勿論、構わない」


「では」


朱儁(しゅしゅん)が袋の閉じ紐をほどくと黄金の輝きが溢れ出した。


「これは……、見たことのない金貨ですな」


それはそうだ。

これはラビア王国の金貨だからな。

餞別代りにとプリンセスⅠ世が持たせてくれたものの一部だったが、ここで役に立った。

見慣れぬ金貨に朱儁(しゅしゅん)は疑いの目を向けつつも、秤を持ち出してざっと確認する。


「確かに本物です。これは船賃代わりに頂いても構いませんね?」


再度の念押しに俺は了承の意を返すと、向こうも満足げに頷いたので続きを促した。


「偽旗作戦がやりたいんだ」


「偽旗……」


聞き慣れない言葉に朱儁(しゅしゅん)が疑問を抱いた表情で俺を見る。

偽旗とはFalse Frag Operationのことだ。

分かりやすくぶっちゃけると――


「大友家の旗を掲げてポルトガル船を襲う」


「なんとまぁ」


呆れたように朱儁(しゅしゅん)は慨嘆した。


「幸いなことに日本は戦国の世で海賊の取り締まりどころじゃない。

 海禁政策の明も同様。大友にしても琉球あたりまで水軍を送る力は無い。

 大友にすべてを擦り付ければポルトガルの標的は大友家になる」


「そして我々の正体が疑われることなく襲撃を継続できるというわけですか」


「そうだ」


俺の言葉に朱儁(しゅしゅん)は頷いた。


「いいでしょう。準備不足は失敗に繋がりますからね」


こうして俺たちは王汝賢の出した船に乗り込んで襲撃ポイントを探しに出帆する。



「ポルトガル船はこの航路を通っています」


船上で朱儁(しゅしゅん)が俺に解説する。

博多を出港した俺たちは王汝賢の後援者である松浦水軍の根拠地平戸で物資を補給すると、彼杵半島を東に見ながら五島列島との間を抜けて琉球へ向かう。

琉球はポルトガルのマラッカ征服以後、ポルトガル船の入港を拒否していたが、俺達には関係がない。なので水と食料を手に入れた俺たちは西へ進んで尖閣諸島にたどり着いた。

ここで俺たちは船を島陰に隠して上陸、島の周囲の水深を調べて廻り、それが済むと台湾海峡に入って南シナ海方面に向かう。



「どこで狙いますか?」


「海峡に入る手前でやりたい。島陰に隠れてズドンとな。

 明の沿岸に近づきすぎるとマズイ」


朱儁(しゅしゅん)の問いにそう答える。


「安倍殿の方針に倣えば、澎湖島のあたりも不味いでしょうね。

 何しろ倭寇の根拠地として知れ渡っていますから、ポルトガル船も警戒するでしょう」


「その通りだ、朱儁(しゅしゅん)どの。

 海峡を抜けて別の場所も探してみるが、あの場所が最適だと思う」


甲板上から周囲を捜索しつつ、これから先の方針を決める。

やがて、海峡の出口に差し掛かる。




♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡



ラ・ドーフィネ号はルソンから出帆した。

港を出てひとまずは西へと向かう。

この時、船の中ではこれからの進路を巡って意見が分かれていた。


「西へ向かいましょう。

 ポルトガルと敵対関係にあるのならば向かってみる価値はあるはずです」


これがアンドレアの意見である。

ルソンでの情報収集の結果、彼の意見はこちらに傾きつつあった。

一方、それに異議を唱えたのはルイーズである。


「大陸にあるミンとやらは海禁政策を取っているとか。

 そのような国が我らの同盟相手として妥当であるとは思えないのだが……」


「ですが、アントワーヌ殿、これ以上東に行っても群島があるだけです。

 そのような小さな島々に強力な力を持った相手がいるとは思えません」


「うぅむ……」


ルイーズが唸り、議論が暗礁に乗り上げた時にそれは起こった。

マストの上の見張りが声を上げる。


「船が来る!!」


「どこの船だ!?」


見張りの船員は望遠鏡を伸ばして水平線上に浮かぶ帆を確認して叫んだ。


「ポルトガル船。およそ八隻です!!」


その声で船内は一気に緊迫した。

船長のオスカル=カミーユ・フラマリオンは改めて再度、風と波を改めて確かめる。

敵に追い風と追い波が来ていることにオスカルは舌打ちをした。


「船足が速すぎる。帆を下ろしても無駄だろう。転舵しても間に合わん。

 そして相手の数が多すぎる。このまま船団の横を抜けるしかない」


すぐさまそう判断した船長のオスカルは戦闘準備命令を発する。

無線も何もないこの時代、他の船が海賊行為を働かない保証はどこにもない。

艦載砲への装填作業が直ちに開始された。

そうこうするうちにも、ドーフィネ号は台湾海峡を抜けてきたポルトガル船団へと押し流されていく。


「相手が海賊でなければいいのだが……」


オスカルがそう呟いた

ポルトガル船の舷側がピカリと光る。


……不味い。


アントワーヌはそう思った。

次の瞬間、ラ・ドーフィネ号の遥か手前で水柱が立ち上がる。

これで敵であることがはっきりした。

オスカルが舵輪を回して舵を切る。

ポルトガル船団は二手に分かれてドーフィネ号を包むように回り始めた。


「集中砲火の的になる! 急げ!!」


オスカルが発破を掛けて船員の尻を叩く。

そして彼は号令した。


「右、舷側砲、撃て!」


轟音と共に空気が振動し、全身が揺さぶられる。

黒色火薬の煙があたりに立ち込めて独特の香ばしい匂いを周囲に振り撒いた。

数瞬の後、水柱が敵船の周囲に立ち上がる。

それを眺めてオスカルは次の指示を下した。


「砲、近い。角度を上げろ!!」


再度の装填作業が進められる中、敵の次弾が大気を切り裂いて飛来し、背後で水柱が上がる。


「恐れるな! 挟叉(きょうさ)しても百発百中はない!! 撃ち返せ!!!」


再びの轟音に船体が揺れる。

空気を引き裂いて飛ぶ砲弾が敵船に飛び込んで跳ねた。


「くそっ、海に落ちたか!」


アンドレアが口惜しがる。

そうこうしているうちにも敵船団は車懸がかりの体勢を作り出し包囲網を形成していった。

命中弾は未だなかったが、四方から砲弾が浴びせられて水柱が上がり、甲板は水浸しになる。


「船長、このままでは……!」


ルイーズが声を掛ける。命中弾が来るのは時間の問題だと思われた。


「アンドレア! 左舷の錨を下ろせ!! 愚図愚図するな!!!」


オスカルの指示でアンドレアがすっ飛んでいくと、すぐに錨を下ろす作業に取り掛かる。

暫くして、いきなり船が引っ張られ始めた。

錨に引きずられて急激に船体が傾く。


「ぐっ」


いきなりの急制動にルイーズが堪えていると、ポルトガル船の砲弾が頭上を通り過ぎて海面に落下した。

今しがた船が浮かんでいた位置に砲弾が落ちたのを確認してルイーズはぶるりと震える。


「よし、敵の射線を外れたぞ! 両舷、全門斉射!!」


ドーフィネ号の両舷から艦砲が発射され、左右から押し寄せる空気の振動がルイーズの身体を揺さぶった。

彼女はその衝撃に耐える。

砲煙が船の周りに立ちこめて一瞬の間、何も見えなくなった。


「どうだ!」


オスカルが叫ぶ。

ロープでマストに身体を結び付けた見張りが喚声を上げた。


「敵船、1、命中です!!」


見ればポルトガル船の一隻が火を噴きかけている。

甲板上では海水を掛けて火を消そうとしていた。

敵を襲った不幸にドーフィネ号の乗組員が歓喜の声を上げるが、それも長くは続かない。

三度(みたび)ポルトガル船の砲火を浴びる。

そして、最初の命中弾がラ・ドーフィネ号を襲った。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る