第39話最期の航海



夏になった。

静岡城内に設置された農林試験場は氏真が場長となって塩水選や正条植えのテストを行っている。

暖流である黒潮の影響が大きい駿遠豆なだけに今のところ作柄は順調なようだ。

女騎士団の方も調練は順調であと二~三年もあれば決戦兵力として運用できる見込みが立った。

こんな悠長なことをしていられるのには、四国同盟が成立したのが大きい。

信玄は伊那の天竜峡から新野峠へと抜ける街道整備を全力で行っている。

これが完成すれば信濃から三河に直接雪崩れ込むことが可能だからな。

今頃信長と同盟した松平元康は戦々恐々としていることだろう。

美濃の斎藤義龍も同盟加入を打診してきているため武田との関係も悪くない。

そんなことで俺も次の段階に進むことにした。


「氏真。長旅になるかもしれんが、ちょっと出かけてくる」


「いきなり急だな。何があった?」


「南海の探検と通商には外洋航海可能な船が必要だ。それを手に入れる」


「わかった。用が終わったら戻って来いよ。

 お前とのサッカー試合の再戦がまだだからな」


――西洋船を手に入れる


その方法は色々あるだろう。

船大工に建造方法を学ばせて自前で作る。

だがこれは時間がかかるし、教えてくれるかも不明。。

ポルトガル人から買ってもいいが、それだとボロ船を掴まされる可能性もあるし、それ以前に売ってくれないかもしれない。

となれば、アボルダージして奪うのが手っ取り早い。

奪取したポルトガル船を駿河湾の清水港に回航し、バラしてリバースエンジニアリングしてしまう方が簡単だ。

なにせ日本の船大工の匠の技は凄いからな。どうとでもなるだろう。

奪う相手は既に決めてある。九州に来航している奴隷商人どもだ。



そして暫くしてお市と共に俺は今井宗久の許に現れた。


「安倍様、先様との話は付いております。

 この割符をお持ちください。博多で待っておいでです」


「わかった。礼を言う」


「いいえ、今川家と安倍様のお役に立てたとあらば望外の喜びにございますれば」


「……ほう」


俺は目を細めた。

今井宗久は「今川家の」ではなく「今川家と安倍様のお役に立つ」と言ったのだ。

それがどういう意味かは考えるまでもない。


「王直どのは先年の初めに亡くなられましたが、甥の王汝賢どのが跡を引き継いでおります。

 一度お会いになられませ」


「了解した。そうさせてもらう」



堺から博多までは納屋の船に乗せてもらった。

停泊した船で待っていると王一党から使いが来て会うと言う。

俺とお市は使者の案内のままに彼らのアジトに向かうことにする。

王汝賢のアジトでは意外な人物が待ち構えていた。

商談にはその者も同席するという。


まず最初に、王汝賢よりも先にこの人物が自己紹介を始めた。


「私は朱儁(しゅしゅん)。朱寘鐇の孫になる」


三十路前の若い男が名乗る。

俺はその男から厄介な匂いを感じたが口に出すのはさすがに憚られた。


「王汝賢だ。叔父から受け継いだこの船団を指揮するのが俺だ。

 納屋の亭主、今井宗久の話ではポルトガル船を襲撃したいと聞いたが間違いないか?」


「そうだ。豊後を出たポルトガルの奴隷船団を襲ってすべてを奪う」


俺の言葉に王汝賢がにやりと笑う。


「それは面白い。では取り分の話をしよう。

 そちらの申し出では船と日本人奴隷以外はすべて貰ってもいいんだったな?」


これは取り決めの再確認だ。ここで理解に食い違いが無いかどうかを確認している。


「それで構わない。ただ、日本へ戻る航海の水と食料だけは確保させてもらう」


「それぐらいならいいさ。では安倍殿、商談成立だな」


俺と王汝賢は拳を打ち合わせた。


こうして新たな航海がはじまる。




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マラッカ海峡を抜けるラ・ドーフィネ号には緊張感が漂っていた。

青地に三つ又の黄金剣のフランス王国旗を掲げているとはいえ、ポルトガルの勢力圏でユグノー船と知られたらどうなるか?

無駄にそう考えてしまうクルーがいないわけでもない。航海と寄港には細心の注意が払われた。

この当時はまだシンガポールは建設されていない。

マレー半島の突端を抜けてボルネオ島を右手に見ながら進み、船はルソンに至る。


「とうとうここまで来たか……」


ルイーズは感慨深げにひとりごちた。

何しろ地球の反対側である。長い航海だったと思う。

聖墳墓騎士団に入団するためにエルサレムまで旅をした時の比ではなかった。



「情報収集をせねばな」


ひとつ伸びをすると、ルイーズはオスカルに下船する旨を伝えた。

副長のアンドレアを護衛にしてルソンの大地に足を下ろす。

東方において唯一のスペイン領土であるフィリピン諸島は新大陸との通商路の要衝であるため、人と船の出入りが多く喧騒が絶えなかった。

ルイーズの目の前を鎖でつながれた奴隷の群れが通り過ぎてゆく。

おそらくは新大陸に連れて行くのであろうそれをルイーズは嫌悪の目で見送った。


「新大陸はスペインポルトガルの過酷な統治で労働力が不足しているようです」


アンドレアの指摘にルイーズは旧教国の愚劣さを垣間見る。

大体において抑々(そもそも)の原因は、スペインポルトガルが占領した新大陸で原住民に苛政を強いていることにあった。

カリブ海に浮かぶ西インド諸島がその良い例だ。

イスパニョーラ島やキューバを含む西インド諸島にはカリブ族というインディオが住んでいて、

これがカリブ海の名の由来なのだが、このカリブ族はスペインによる植民地化からほどなくして絶滅した。


別にスペインのコンキスタドール(征服者)がカリブ族を皆殺しにしたからというわけではない。

なんとその原因は過労死。


コンキスタドール達は占領したカリブ海の島々で原住民のインディオを駆り集めては自分達の経営するプランテーションに送り込んで奴隷にした。

体力的に劣るアジア系人種のインディオは炎天下で日中ぶっ通しの重労働に耐えられず、熱中症と過労で次々と死んでゆく。


しかもそれだけではない。

注目すべきことに、スペイン人の奴隷管理は実に杜撰(ずさん)で、奴隷は男女の別なく同じ大部屋に放り込んでの雑魚寝だった。


ほぼ全裸に近い男女がカリブ海の熱い夜に一つ屋根の下で寝る。

男と女が一つ屋根の下……となれば、やることは一つ、と俗にいう。


果たして彼らには何も起きなかった。


疲労が常に限界を超えていたため、性欲などはすでに存在していなかったのだ。

生殖行動に振り向けるリソースすら生命維持に振り向けなければいけないほどの過酷な労働がカリブ族から性欲を奪っていた。

その結果としてカリブ族は子孫を残せずにこの地上から絶滅する。


そして、ここで困ったのはスペイン人の入植者達であった。

奴隷にしていたインディオがバタバタと死んでいく。

新大陸本土から連れてきたインディオも当然アジア系のため、体力的に弱くて熱帯での過酷な労働には耐えられない。

かといって、スペイン人が自分で農園労働をするつもりもない。


そこで白羽の矢が立ったのがアフリカの黒人である。



「アフリカから黒んぼどもを連れてきて奴隷にすればいいんじゃね?

 あいつらは頑丈だから耐えられるだろ?」


誰かが言い出したこの一言で西インド諸島とアフリカ黒人の運命が決まった。

現代の西インド諸島にインディオが居ないで大半が黒人系なのはこういった経緯から。


ともあれ、地球上の人種の中で最も頑強な黒人は征服者たちの期待通りの働きをしたのは間違いない。

世界とはまことに地獄である。


「奴隷を作り出すとはとんだ福音もあったものだ……」


「ローマの腐敗は反宗教改革によっても変わることはなかったですな」


ルイーズがその片棒を担ぐイエズス会のことを吐き捨てるように言うとアンドレアもそれに同意する。

そうしてルソンの町を歩いている二人は植民地帝国主義が撒き散らす腐臭に顔をしかめるのだった。


「この腐毒がヨーロッパに撒き散らされなければいいのだが……」


ルイーズはしっぺ返しがいつの日にか全ヨーロッパを襲う予感に震える。


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