第35話暴れん坊将軍足利義輝



義輝の一の太刀が一閃した次の瞬間、義輝の振るった刃は俺の掌中に在った。


「おおっ」と満座の一同にどよめきが走る。


義輝は顔を真っ赤にして渾身の力で押し込んで来ようとするが、刀はびくとも動かない。

それはまさに鬼のような形相と言ってもいいだろう。

どよめきはやがて静けさへと変わり、誰もが固唾をのんで事の成り行きを見守る。


「真剣白刃取り……なんという技だ……」


誰かがぽつりと漏らすと義輝がハッと我に返る。

そして俺はおもむろに口を開いた。


「義輝殿、塚原卜伝に教えを受けた貴殿なら、これが技などでないことは分かるだろう」


これには剣豪将軍足利義輝もウウムと唸るしかない。


「……まさしくこれは師直伝の真剣白刃取り。

 相手を鏡に映った己自身と悟らねばこの境地には到達できん。

 そうか、お主の心は余に寄り添っておるのか……」


深い息を吐いて義輝は力を抜く。

俺が手を離すと、義輝の刀は太刀持ちが差し出した鞘に納まった。

ぱちんと音が響く。


「では、改めて済まなかった」


義輝が頭を下げて詫びる。


「上様……!」


「よい。これは余の落ち度。止めるな」


膝を浮かせた家臣を義輝が制止して、再び俺に目を向けた。


「まだ続きがあるのであろう。聞かせてくれぬか……?」



「……そもそもの起こりは室町幕府の始まりにあると俺は思う」


義輝の求めに応じて俺は話を続ける。


「それはいったいどういう……?」


怪訝な顔で暴れん坊将軍が尋ねた。


「初代将軍は大君である後醍醐天皇を放逐して幕府を開いただろう。

 これぞまさしく下克上。下克上で始まった幕府が下克上で終わるのは道理」


「しかしそれは建武の新政が……」


「武士の側の言い分もわかるが、何をどう言おうと室町が下克上から始まったことに変わりはない。

 後醍醐帝に惚れ込んでいた高氏としては不本意なことだったろうが、やってしまったことは事実だ」


「事実としてはそうなるか……」


下を向いて義輝がつぶやく。


「さらに三代将軍義満はおのれが太上天皇になろうとした。これでは義満は逆臣と呼ぶしかない。

 明国から日本国王の王位を与えられた者が天皇になれば、日ノ本の帝は中華皇帝の臣下となり、

 日本と中華王朝との外交は対等の関係ではなくなる。

 そういった愚挙の積み重ねが今の幕府となって現れている」


義輝が何かを言おうとしたが、そこに俺は畳みかけた。


「義満にも言い分はあるとは思う。

 が、諸外国にとってはそんな内情などは関係ない。

 やったことだけでこちらを見てくるのは間違いないだろうな」


外交は国と国とのメンツの張り合いだ。

そこでわざわざ自分の方が格下だと言い出すやつはただのアホウでしかない。

どんな事情があるにせよ、悪役令嬢同士のマウントの取り合いで、ライバルの靴を自分から進んで舐めるような悪役令嬢はどうなるだろうか……?


「……命数が尽きているとはそういうことか」


俺の指摘に義輝が嘆息する。


「そこで義輝殿に問う。

 貴殿が命に代えても為したいこととはいったいなんだ?

 今の幕府を存続させることか?

 足利の血脈を残すことか?

 それとも、帝と日ノ本の盾となって大八島を海の外から守ることか?」


俺が問いに将軍義輝は黙り込んだ。

じっと目を閉じて俺を見定める。

しばらく沈思黙考ののち、彼は俺を見つめた。


「俺の本望は帝と日ノ本の盾となることだ。

 だが、逆臣だったとはいえ、先祖は先祖。

 先祖の残した室町の幕府を守るのは子孫の務め。室町は捨てられぬ……」


心底残念そうに話す義輝に俺は最後の言葉を掛ける。


「室町を事実上畳んで、裸一貫から義輝幕府を立てる道もある」


「……いや。俺が生まれ育った室町を、俺の手で倒すのは忍びない」


「そうか……」


俺は残念だった。

剣豪将軍と呼ばれた義輝にはちょっとした思い入れがあったからな。

だが、これが暴れん坊将軍の決断だというのなら仕方がない。

俺は席を立った。


「縁が有ればまた会おう」


「ああ」


立ち去る俺に義輝は声を掛けるが、俺は振り向かなかった。

いつか再び会うことはあるかもしれない。いつかは。



御所を退出した俺に「太郎どの」と声を掛け背後から迫る足音がある。

追いすがってきた男はみずからを細川藤孝と名乗った。

謁見の席に居た幕臣の一人だなと俺は思い当たる。それも激高した家臣団の一人として。


「先ほどは失礼仕った。この通りお詫び申し上げる」


「その様子では、ただ詫びを入れに来たのではあるまい。何か用か?」


俺の問いに藤孝は再び頭を下げた。


「今の室町を畳んで新しき義輝幕府を開くとはいかなることかお教えくだされ!」


彼にとってはよほど大事なことなのか、幕臣は三度、頭を下げる。



「よかろう。だが、本当によろしいか?」


俺は重々しく口を開いた。

ここは細川藤孝の屋敷。余人に聞かせるべきことではないとのことから、俺は藤孝の自宅へと招かれている。


「構いませぬ。先だっての上様は同意されませなんだが、

 将軍義輝様がその職を全うされる道があるというのであれば、臣として心に留めておかねばなりませぬ。

 折を見て、私からも上様に申し上げますれば……」


「左様か」


俺の問いかけに藤孝が諾とうなづいた。

ならばと俺も先ほどの話を再開する。


「義輝幕府を立てるにあたっては、まず最初に今の室町を畳まねばならん」


「はい」


「そこでまずは義輝殿に大政奉還をしていただく」


「大政奉還……」


ここで藤孝が一瞬固まったのは幕臣として今の幕府に思い入れがあるからだろうか?


「さらに、今上の陛下におかれましては上皇になられ、

 しかるのち、後南朝より治天の君を推戴いたします。

 そして、南朝の帝より義輝殿が将軍宣下を受けて新たなる幕府を開く……」


「なんと……!!」


細川藤孝が絶句する。


「上様が将軍職を帝に返上されても、同じ北朝の帝から新たに将軍宣下を受けたのであれば室町の続きとなってしまうというわけか……」


細川藤孝がそう述べると沈黙した。


「そういうことだ。

 そして南朝より治天の君をお迎えすることによって室町将軍初代が行った仕業の清算とする。

 これにより義輝は勤皇の志篤い忠臣と呼ばれよう。

 下克上により生まれた室町を潰し、義輝殿が忠義により新たな幕府を開く」


こう言われて一瞬納得しかけた藤孝だったがあることに気が付いて反論する。


「ですが、そうなると今の皇統が……」


「抑々(そもそも)、南北朝合一の際の約束事として治天の君は南朝、北朝から交互に出すという決まりではなかったか?

 それと、南朝側が供出した三種の神器を持ち去ってしまい、合意事項を何も守ってはいない。

 この不正義、歪みを義輝殿が正してこそ、新たな幕府を開きうると考えるがいかに?」


「確かにそれは北朝側の落ち度かもしれませぬ……」


将軍を通して帝に仕える幕臣としは実に言いにくそうにしながらも、細川藤孝は俺の指摘を認めた。


「で、だ。新たに幕府を開くとなれば三好長慶との関係も変わろう。

 あの者は将軍家に取って代ろうなどという大それた野心を持ってはいない。

 初代将軍義輝が長慶を新幕府の大老に任じて新たな幕府に恭順せぬものを討ち平らげさせるのだ。

 そうして幕領を増やしていき、力ある将軍家とする。

 初代高氏公以来の悪弊を廃して義輝殿が将軍職を全うするにはそれしかない」


俺の言を聞いて衝撃に打たれる細川藤孝。



「安倍殿のお話たしかに承りました。いつか機を見て上様に申し上げまする」


立礼で見送る藤孝に見守られて俺は細川の屋敷を出た。


「……なんという大それた事を考える男だ。こやつ、狂人の類であるまいな」


俺の斜め後ろを歩くお市が、軽く俺を睨みながら嘆息する。

それというのも、お市は俺の従者の姫騎士として義輝との謁見に同席していたからだ。

なので俺はお市に聞いてみる。


「アンジェリカ。お前の目に義輝はどう映った?」


しばらく考えてからお市は考えを話し出した。


「……強いな。あれほどの剣豪はそうはいないだろう。聡明でもある。だが」


「だが?」


「孝心が目を曇らせておる」


俺はお市が背後で目を細めるのを感じる。


「……お前はあの将軍を助けるつもりか?」


「いや。それは考えてはいない。

 やつは男だ。下手な助勢は剣豪としての誇りを傷つけるだろう。

 だがもしも、義輝が純白の全身鎧を身に纏った

 真面目系生徒会長な金髪碧眼美少女のヨシテルちゃんだったなら話は別だ!!」


「お前はいったい何を言っているんだ?!……」


女騎士アンジェリカから呆れ声が返ってきた。


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