第34話帝への献上と暴れん坊将軍義輝への謁見



「……これが甲斐の山塩でございますか」


俺が差し出した塩をしげしげと眺めて、肉体派公家の飛鳥井雅教は声を漏らした。

三方に載せた小皿に差し込んだ指を、雅教は口元へと運ぶ。


「うむ。確かに佳味ですな。これならば主上もお慶びになりましょう」


そう告げて雅教はしかつめらしい顔をほころばせた。

最上の味だと認められたことを俺は素直に喜ぶ。

美にはランクがあるのだ。

佳を最上とし、その下が麗でさらにその下、最下位が美となる。

佳人、麗人、美人という風な具合に。

だからこんな落首もあった――美人だからとて奢るでないぞ、上に麗人佳人居て御座る。


……そして飛鳥井雅教は美味ではなく佳味だと言った。


とまあ、こんな風に俺が飛鳥井卿の心の内を忖度している間も卿の論評は続いていく。


「……ですがこの塩の献上は私の手には余りますな。

 そこに居られます関白殿下がご献上なさればよろしいのでは?」


こう言って飛鳥井雅教は俺の隣に座る近衛前嗣に目を向けた。


「いや、さすがにこれを余一人で帝に献上し奉るわけにはいかん。

 神代の塩とあっては世の一大事。せめて五摂家の名を連ねてでなければならんだろう」


「関白殿下は私にその手伝いをせよと仰せでしょうか」


「そうだ。よろしく頼む。

 この塩はこの戦国の世に一石を投じることになるやもしれぬ」


「有職故実に御詳しい殿下がそこまで言われるならば、この私めも微力を尽くしましょう」


「任せた。俺は二条などとはそりが合わんでな」


何故か俺についてきた近衛前嗣がそう言って座を締めた。

どうしてこうなったかというと、

今川氏真名代の俺と信玄の連名で添え状を書いて塩を長尾と北条に送ってみたら、

塩を嘗めた近衛前嗣が冬の信濃路を雪をものともせずに踏破して押しかけてきてしまったせい。

当初の案だと京への道行きはお市との二人旅でちゃっちゃと終わらせる筈だったんだが……


まぁ、済んでしまったことはしょうがない。

俺は近衛関白と飛鳥井のおっさんに塩の甕を一つ渡して根回しを頼むと宿に戻った。

献上品の塩は飛鳥井の屋敷で預かってもらっている。

飛鳥井のおっさんは塩の甕を「帝への献上品である」という理由で、屋敷の中で最も上等の部屋に運び込み、塩警護の青侍を侍らせて厳重に守るそうだ。



……そして、それから数日後、俺は飛鳥井のおっさんに呼ばれる。


「帝よりの詔書である。謹んで聞くように」


「はっ」


呼び出しを受けて訪問したら、飛鳥井家の屋敷なのになぜか上座には近衛前嗣が座っていた。

上座に座った関白殿下が俺に向かって詔書を読み上げる。


安倍あべの太郎たろうどの。主上は此度のことで殊の外お慶びだ。

 そして宮中は蜂の巣をつついたような騒ぎとなっておる。

 古事記にある神代の海の水が見つかったとあってはな。

 これは国を引っ繰り返す大事になるぞ」


山科言継卿が俺に語り掛けて、宮中の内情を教えてくれる。

それによると、有職故実に詳しい公家たちの勅使派遣を真剣に検討しているそうだ。

とりあえず湯元に神社を建立することだけは既に決まっているらしい。

なので翌日、今度は足利将軍家へと向かった。


「……宮中での噂は聞き及んでおる。これがその塩か」


謁見に現れた十三代将軍、足利義輝が献上した塩を見て言う。


「添え状も読んだが未だに信じられぬ。……が、確かに塩であるな。これに相違ないか」


義輝は目を瞑り黙り込むと、ややあってからゆっくりと目を開いた。

その視線が俺を射抜く。


「古来より珍事は凶兆か瑞兆いずれかでしかない。

 ゆえにこの珍事を成したその方に問う。

 これは我が幕府にとって吉凶禍福のいずれであるか。

 直答を許す。答えよ」


俺は沈黙を貫いた。

辺りに静寂が漂う。

やがてその静けさに耐えられなくなったのだろう。一人の幕臣が声を上げた。


「答えよ」


見れば義輝もイラついたような仕草を見せている。

そこで俺は訊いた。


「聞いても怒るなよ」


「怒らぬ」


義輝が断言したので仕方なしに俺も口を開く。


「足利将軍家の命数はとうに尽きている」


「なんだと! もう一度申してみよ!!」


憤激した足利将軍義輝が小姓の太刀持ちの刀を抜いて立ち上がった。


「たわけたことを申すな! 戯れでもそのようなこと、許されぬ!!」


「分かった。何度でも言ってやる。

 この幕府の命運は既に尽きた!!」


広間に参集した幕臣たちが殺気立って立ち上がる。

白刃が光り、義輝の一の太刀が俺に向かって振り下ろされた。




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辛くも危機を脱したラ・ドーフィネ号は喜望峰を越えてインド洋に入った。

船はアフリカ東岸とマダガスカル島の間にあるモザンビーク海峡の半ばで進路を西に取り、ポルトガル領東アフリカ、ソファラの港に錨を下ろす。

久々の陸地に心躍らせる乗組員たちにルイーズが注意を与えた。


「いいな。お前達、女を買うのはやめておけ。

 ここはアフリカだ。どんな病気を持っているか分からん」


これは事実である。

アフリカ航路を回る船乗りの間では男だけが罹患する奇病の噂が広まっていた。

曰く、男でありながら乳房が膨らんで母乳が出るようになると。

そして、この病に女は決して罹らないこともあり、謎の奇病として船乗り達の語り草となっている。


ぶっちゃけるとこれは肝炎によるものだ。

アフリカで現地人の女は肝炎キャリアであることがあり、彼らと関係を持った白人の男は乳房が膨らんでしまう。

だから、二十世紀後半にアフリカで活躍した白人傭兵隊の将兵も絶対に現地人の売春婦とは寝なかった。

蛮勇を発揮した挙句、乳房が膨らんで巨乳となってしまった戦友の哀れな姿を見てしまっては現地の女を抱こうという気も失せるというものなのだろう。

溢れ出てしまう母乳でブラを濡らしながら戦場で戦うなど、大の男がやっていられるわけがない。


ルイーズの警告にラ・ドーフィネ号から下船する者達は苦笑いを返した。


「船でカカァが待っているのにそんな恐ろしいことできるわけがありませんって……」


そう、ラ・ドーフィネ号に乗り組んでいる人間の半分以下は女である。

より正確に言うならば、この船の乗組員は船長や副長と戦闘要員を除いては、ほぼ夫婦者で占められていた。

何故か。

この船はただの貿易船ではなく、スペインポルトガルの侵略の尖兵となっているイエズス会の野望を打ち砕くという使命があったからだ。

布教の進む非キリスト教国に駐在して、カトリックに抗いプロテスタントの考え方を広める。

別にプロテスタントに改宗しなくてもいい。旧教の信者離れを起こさせればそれで上々。

現地人に渡す武器弾薬も積んである。


そしてカトリックのような戒律の無い新教では、若い独身者を布教地に送り込むよりも、妻帯していた方が良い。

そんなわけでドーフィネ号は戦闘に必要な最少人数の海軍軍人を除き、志願者の中から年若い夫婦者を中心に選抜されていた。


……かようなわけで、ルイーズ達は旧教国による植民地帝国主義を阻むべく動いている。

もしもこの企てが成功していたならば、世界史の流れは大きく変わっていたであろうことは疑う余地もなかった。


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